壱話 ここでは誰もがただの人
『悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。その才能を試すことを望むならば、己の家族を、友人を、財産を、世界のすべてを捨て、我らの“箱庭”に来られたし』
逆廻十六夜殿へと書かれた手紙の封は切られず、この封書は開かれることもなく読まれることもなかった。
少年は権利を自ら放棄、いや、運命を選択したと言うべきか。
かの世界に行き仲間と共に生きるのか、この世界に残り大切な人達と過ごすのかを。
彼は選んだのだ、このどうしようもなく退屈でどうしようもなく感動的な世界に残ることを———
2022年、11月6日。午後1時半を過ぎた頃。
とある研究所のような白塗りの建物の一室で金髪の青年と少年、逆廻十六夜と西郷焔はバイクのヘルメットのようなフルフェイスの被り物、ナーヴギアを眺めていた。
「これがフルダイブを実現したナーヴギアってヤツか……テレビで色々やってたから少し欲しかったんだよな」
「へえ、イザ兄こう言うのに興味あったのか。なんか意外」
焔は小さい頃から十六夜を見てきたため十六夜がこう言ったゲーム類に興味を示すことが稀であることを知っていた。
十六夜のいつものの過ごし方といったら趣味で資格を所得したり昼寝したり株式投資で金儲けしたり……まあ、身内でもよくわからない生活をしていたりする。
就職はしていないみたいだが何故か金回りが良いのはきっと株のせいだろう。
「なんか素人が仮面ライダーを模して作ったコスプレみたいなデザインだな」
「それは俺も思った。でも、分解してみたらかなり凄いんだコレ。コレを作った茅場って言う人はまさしく天才に違いない」
この精密機械を分解しても大丈夫かと思うが焔ならば問題ない。
彼は一度バラバラにした物から瞬時に構造を理解し、時間さえあればパソコンを備品から全て組み立てることもできるその圧倒的な理解力と再現力をもつ、茅場に負けず劣らずの天才である。
自室にあるパソコンも彼が一から組み立て、そんじょそこらのパソコンを上回るスペックを持っている。
「確か今日がアレだったな、VRMMOの
「もう既にナーヴギアにソフトが入っている。ベータ版をやったけど今迄のゲームと違う。VRとMMOを合わせたらこんなにヤバイとは思ってなかった」
ソードアート・オンライン、通称 SAOは近接武器を駆使してモンスターやボスを倒しアインクラッドと呼ばれる巨大ダンジョンの攻略を目指すアクションVRMMO。
バトル以外にも鍛冶とか食事とかの職業で商売したり、釣りや料理みたいな趣味を楽しんで普通に生活したりもできる、つまりなんでもアリのゲームだ。
ただし、よくゲームである魔法は無く、代わりにソードスキルといった剣技の(剣のみならず槍や斧もある)必殺技的なものがある。
「なんだ、ベータ版手に入れてたのか。そういや鈴華が『落ちたー!』って嘆いてたな」
「流石にアイツのアポート&アスポートも運をアポートできなかったというわけ」
SAOの正式サービスに先んじて世に出されたベータ版は申し込み者から抽選で選ばれた1000人に与えられたテスト版。
それでも恐ろしい数の申し込みがあったそうで、ナーヴギアもないのに十六夜もコッソリ申し込みをしていたのはナイショである。
そして、今日が正式サービス開始の日。
初回ロットがたったの一万本で初日に売れ切れ続出のこのソフトを手に入れることができた2人はかなりラッキーと言える。
「クソ高いナーヴギアを2台どうやって……あぁ、そういえばドン=ブルーノがたまたま手に入れていらねーって言ってたな。で、交渉してきてまで俺にコレを渡した理由は?まさか一緒にプレイしたいだけってのはないだろう。それなら鈴華でいいからな」
「鈴華は今朝から好きなマジシャンの公演見に行った。なんでもテレポートするとかなんとかはしゃいでた」
「いや、鈴華は自前でできるだろうがなんで行くんだよ」
もしかしたらマジシャンのタネも仕掛けもありのテレポートの後にタネも仕掛けもないマジなテレポートを見せつける気かもしれないが、そんな性格ではなかった。
「半分は一緒にプレイしたいってのがある。けど、言ったよな?コレがVRMMOだって。リアルでは物理的に強いイザ兄もSAOじゃただの人間」
「つまりゲームなら俺に戦い挑んで勝てるってか?舐めんなぶっ飛ばしてやる」
焔と十六夜は心底楽しそうに笑いながらナーヴギアを起動させて頭に被り、ベッドに寝転がり、合言葉をつぶやいた。
「「リンクスタート」」
はじまりの町、圏外の平原
「……でけえな」
十六夜の目の前には人間並みかそれ以上の大きさを誇るイノシシ、ビックフレンジーボアがこちらに敵意前回で睨んでいる姿が写っている。
「あ、イザ兄。そいつここら辺じゃ某ゲームのスライムみたいな扱いだから。やられたら笑い者」
背中に大きな斧を背負った黒髪イケメンのアバター、《
「いや、動きは完璧に見えるが身体がついていかねーんだよっと」
十六夜は少々動きづらそうにしながらもイノシシの脳天に斬り下ろしソードスキル《バーチカル》を撃ち込むと同時に右足でイノシシを蹴り飛ばす。
ソードスキル使用後には僅かに硬直時間があると聞いた。
それは微々たるものだがいざという時に敵の近くにいるのは無いなと十六夜は考え、敵を蹴り飛ばし距離を話して硬直時間分の時間を稼ごうとしたのだ。
実際その方法はうまくいった。
ヒットアンドアウェイに似たこの方法は確実にイノシシのHPを削り切ることに成功し、レベルが1つ上がった。
「ほら、倒したぞ。現実だと一撃なんだけどなあ」
焔はポカンと口を開けて十六夜を見ていた。
本来ならばビッグフレンジーボアは雑魚ではなく、雑魚なのはその下位にあたるフレンジーボアがそうだ。
焔は十六夜が苦戦する様を見たかったのでわざとこのモンスターをけしかけたのだがこうもあっさり倒されてしまったのは意外だ。
「……フツーソードスキル発動するのにちょっと苦戦するモンだぞ。感覚が捉えにくいから俺だって苦労したのに」
「センスの差だな。舐めんなよ」
十六夜は右手を振ってメニューウインドウを出し、ステータスのタブに移動し、レベルアップでもらえたポイントをとりあえず全て筋力と敏捷に振り、現実の破茶滅茶な肉体に近づけることにした。
ポイントはやや筋力の方に多めに振ることにした。
「一応、なんかイノシシの肉とか毛皮とかドロップしたが……これってアイテム欄からコッチに出せるのか?」
焔は十六夜の何気ない問いに首を縦に振って答えた。
「できる。でも……肉はやめといた方が……」
そう言ったがすでに時は遅かった。
すでに十六夜はイノシシの肉をアイテム欄から取り出してまじまじと眺めていた。
「……逆にリアルすぎてちょっと引く。なんだよ、狩り立ての生肉か?」
「まあ狩り立てホヤホヤではある。さっきイザ兄が切り刻んでいたし」
十六夜はイノシシの肉を戻して肉汁がついたのかしきり服の袖で拭いている。
時間が経てば汚れも肉汁も消えるがベタベタのままいるのは少し不快だったようだ。
「とりあえずここら辺の雑魚全員ぶっ飛ばしてレベルでも上がるか?」
「そうだな……イザ兄は1つ上がっちゃったしな。俺もレベル上げて他のプレイヤーより先んじてもっと先まで探索するってのもありか」
焔は現在武器に両手斧を採用している。
現実で力のない分、せめてゲームではパワーファイターでありたいという意思の表れであるがいかんせん大振りでスピードも出ないので囲まれると弱い。
いつまでも十六夜におんぶに抱っこ状態でいるのは尺だが、ここはひとつ十六夜と一緒に行動して背中を守ってもらうのが得策だろう。
「とりあえずはじまりの町まで戻ろう。たしかベータテストの時に情報通の知り合いがいたから会っておいても損はない。正式サービスが開始したら本格的に情報屋になるとか言ってたし」
「なるほど、今のうちに籠絡しようってことだな」
「間違ってはないけど……言い方が不穏だ」
2人は町に向かって歩き出そうとしたその瞬間、警報の音にも似た鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
それと同時に身体を青い光が包み込み広大な石畳が広がるはじまりの町の中央部にワープした。
「イザ兄、空が……」
今までの夕焼け空が『
さらに、空の隙間から血を思わせるドロドロした真紅の流体が零れ出してきた。
その気味の悪い流体は広場の時計台の傍に寄り集まり、巨大なローブ姿の人型を形成した。
『プレイヤーの諸君、私の世界にようこそ』
という茅場晶彦を名乗る者の声が響きわたり、剣と夢の世界は、HP全損イコール死亡という魔のデスゲームと成り果てた。