ついに春休みが終わり、大学が始まりました。この時期は色々とやることが多くて頭がパンクしそうになります。
「よっしゃあ!やってやるぜ!」
先にグラウンドに着いたオレ達は、茂野先輩がくるまで待っていた。藤井先輩は自信満々の顔をしながら素振りをしている。正確に言うと、バットを持ってないのでエアバットで素振りをしていた。なんというか全く頼りにならない。
この勝負はお互いがピッチャー、バッターをやり、10球中相手よりも多くヒットを打った方が勝ちというルールらしい。その為、打つだけではなく、相手を抑えなければならない。藤井先輩はこっちの方の練習はしたのだろうか。
「球也!」
「え?…わっ!?」
藤井先輩が何やら学校のカバンをゴソゴソしていると思っていたら、急に何かを投げてきた。そう、グローブだ。
そのグローブは色落ちしており、型も滅茶苦茶でとても酷い有様だ。間違いなく手入れなどされてなかった代物だろう。
オレは渡されたグローブをはめてみた。無意識のうちに。
嗚呼、懐かしい。実はあの一件があってからもグローブの手入れだけはしていた。なのでグローブをはめること自体は懐かしくないのだが、外で青空の下、心地よい風の中でグローブをはめるのは随分と久しぶりだった。
「へへへ!キャッチボールしようぜ!」
藤井先輩もオレと同様にグローブを左手にはめた。そのグローブはオレのはめているものよりだいぶ状態が良いもので、型も悪くない。誰かのお下がりだと思われる。
そして右手にはボールが握られていた。どこで手に入れたのかわからないが、そのボールは硬球だった。
「…いいですよ」
これはあくまで藤井先輩の練習。そう、練習なのだ。
…と、自分に言い聞かせながらキャッチボールをする事にした。思った通りこのグローブは使いづらい。『一流は物を選ばない』とよく聞くがオレはそうは思わない。普段慣れ親しんだ道具だからこそ一流のパフォーマンスができるものと考えているからだ。まあオレが一流かどうかは置いといて。
そして思ったより藤井先輩が悪くないことに気づいた。ちゃんと胸の位置にボールを投げてくれるし、捕り方も良い。バッティングよりはセンスがあるように思える。
けどそれを口には出さない。調子に乗ってしまう事が目に見えているからだ。勝負の結果が既に殆ど見えているとはいえ、全力でやってほしいことには変わりないからだ。
「おう、待たせたなお前ら」
声が聞こえた方に振り返る。そこにはバット、グローブ、ボールを持った茂野先輩と、短髪の女の子がいた。あれ?この人何処かで見たような…
「か…!
「よっ 藤井!」
この女の子、いや恐らくこの人もオレより年上だろう。
訂正すると、この女の人も藤井先輩と知り合いみたいだ。藤井先輩は、この『薫ちゃん』を見た瞬間に、キッと凄い目つきで茂野先輩を睨んだ。
「おい茂野ッ!なんだって薫ちゃんを呼んだんだよ!」
「知らねーよ!こいつが勝手についてきたんだよ!」
…あ、思い出した。
「あの…貴方ソフトボール部の?」
「うん?そうだよ。私は清水。アンタは?」
やっぱり。
どっかで見たことあると思ったら…この人聖秀のソフトボール部に入ってる人だ。たまにグラウンドで練習している姿がなんか印象的だったんだ。
「オレは1年の秋浦っていいます」
「ああ1年か。よろしくな!」
気さくな人だ。なんだか少し茂野先輩に似た雰囲気があるな。
いや、そんなこと考えてる場合じゃない。オレの運命が決まる戦いがこれから始まるんだ。
「よっし…じゃあ始めようぜ藤井。オレが勝ったらおめーら2人とも野球部に入るんだよな?」
「え?秋浦も?」
清水先輩が心配そうにオレを見てくる。なるほど、この人も茂野先輩の実力を知ってるんだろう。知らないのは藤井先輩だけ…いや、オレも直接見たわけじゃないけど。
「おうよ!球也みてろよ!ゼッテー勝ってやるから!薫ちゃんも俺のかっこいい所みててくれ!」
「…頑張ってください」
「頑張れよ藤井」
可能性。それは0ではない。
なんの可能性かというと、それは藤井先輩が茂野先輩に勝つ可能性の事だ。まぐれが重なって勝つ。それもあり得るのだが… もちろん0ではないとはいえ、かなり低い。
何も難しいことではない。これは練習量の差だ。
相手に勝つ為に練習をする。練習をすればするほど勝つ確率は高くなる。『海堂』に居たほどの茂野先輩と、殆ど素人の藤井先輩じゃ経験値が天と地ほど差があることは事実。しかし今のオレには応援することしかできない。
「まず俺から打つぜ。藤井、今度はちゃんと投げろよ」
「うるせー!みてろ…これが練習の成果だ!」
ピシュン!と投げられたボールは、バットを構えていた茂野先輩のど真ん中に投げられた。茂野先輩は微動だにせずボールの行方を見守り、すぐにニヤッと笑いだした。
最初から打つ気がなかった。恐らくちゃんと勝負になるのか1球目で見定めたのだ。この時点で茂野先輩は10球の内1球を捨てたことになったのだが、全く気にしている様子はない。むしろその余裕に藤井先輩が苛立っていた。
「笑ってられるのも…今の内だぜ!」
藤井先輩が振りかぶって2球目を投げた。そのボールのコースは先程と同じくど真ん中で────
カキンッ!と大きな音が響いた。
フルスイング。
茂野先輩は藤井先輩のボールを軽々と打った。多分100メートル以上飛んだな。そりゃそうだ。打ってくれと言わんばかりのボールだったからな。
「藤井。いちいち捕りにいかなくてもいいぜ。10球ちゃんと持ってきたからよ」
「……ち、畜生!」
清水先輩からボールを受け取った藤井先輩は、3球目を投げた。しかしそのボールも真ん中とは言わないが、インコース高めの甘いボールだった。もちろん茂野先輩はそれを楽々と打ち返す。
4球目、5球目と藤井先輩は投げていくが、全て茂野先輩には通用しなかった。まるで赤子の手をひねるように簡単に弾き返され、結局1球目以外は全てホームラン級の打球だった。
10球全て投げ終わった藤井先輩は苦しい顔をしていた。想定外だったのだろう。ピッチャーはストライクを投げればいいのではない。ストライクを投げるのが当たり前なのだ。それをただど真ん中のストレート、それも100km/h前後のボールじゃ経験者に通用しないのは当然だ。
「俺は10球中9球…か。ほら、お前の番だぜ?」
茂野先輩は藤井先輩に近づき、バットを差し出した。藤井先輩はそのバットを勢いよく掴み、ブンブンと素振りし始めた。藤井先輩が勝つには10球全部打つしかない。それをわかっているからこそプレッシャーがあるのだろう。
「藤……」
声をかけてあげたいけどうまく声が出なかった。いや、なんて声をかけてあげたらいいかわからなかった。なんてオレは情けないんだろう。
「くそ…!」
「行くぜ、藤井!」
「(
茂野先輩の1球目。
そのボールは先程の藤井先輩のようにど真ん中に決まった。そしてそのボールに対してオレと藤井先輩は目を見開いて驚いてしまった。
甘いコースだから?
違う。
凄く変化したから?
違う。
ただ純粋に───速かったからだ。
断言しよう、この球は間違いなく
制服で、靴もスパイクではなく普通の運動靴だ。なのにこいつはなんてボールを放るんだ……
2球目もど真ん中に同じようなボールを投げたが、藤井先輩はスイングすることすら出来なかった。
「はい、俺の勝ち」
この時点で藤井先輩は最高でも10球中8球しか打つことが出来ない。つまり勝負がついてしまったのだ。なんとも呆気ない。エールを送る前に終わってしまった事に驚きたかったが、それ以上に茂野先輩のボールが速すぎた事に驚いていた。
「ま…待てよ茂野!俺ぁまだ…」
「まだじゃねえよ!俺の勝ちだっつの」
「投げてやれよ」
オレが何も言えないでいると、横から清水先輩がそう言った。何故?勝敗はもう決しているのに。
「はぁ?なんで投げなきゃいけねーんだよ」
「いいからあと8球投げてやれよ!」
清水先輩の強い口調に怯んだのか、茂野先輩は文句を言いながらも仮想マウンドに戻った。
「か…薫ちゃん…」
「藤井、打てなくてもいいからちゃんとスイングしろ。振らなきゃ当たらないぞ?」
「…! あ、ああ…!」
少し、ほんの少し藤井先輩のやる気に火が付いたように見えた。構えも2球目とは違い良くなったし、目つきも良くなった。
が、現実は甘くない。
3球目、4球目、5球目もバットにボールが当たることはなかった。ボールのスピードが速すぎて、自分のスイングを上手く出来ていない。
「何球振ったって当たんねーよ!」
6球目を投げながら茂野先輩が呟く。
その通りだ。次元が違いすぎる。1、2球目とは違い、茂野先輩はコースに決めてきている。当たるはずもない。
茂野先輩はオレの想像をはるかに超えていた。ストレート1球でこんなに痺れたのは眉村以来だ。それにストレートの質も眉村とかなり似ていた。
けど…なんでだろう。
その何かがわからずに胸がモヤモヤする。
「くそぉッ!!!」
9球目が投げ終わった。
勿論、1球も打てていない。バットにかする事すらない。もはや練習量の違いなどそんなレベルではない。これは〝才能の違い〟だ。たとえ同じ練習量だったとしても、藤井先輩が茂野先輩に勝てる可能性はほぼゼロだったかもしれない。そう思えるほど2人の野球センスはかけ離れていた。
藤井先輩ははぁ…はぁ…と息が荒い。そんなに疲れるほどスイングをしていないのだが、これも打たなきゃいけないというプレッシャーと、何よりも茂野先輩の圧倒的な威圧感に
「ラストだ、藤井」
「なんで…当たらねえんだ…」
なんで…か。
それを考えながら打席に入ってる時点で、もう勝負は決まっていたのかもしれない。
こんな時どんな声かけをしてやればいいんだろう。何を教えてやればいいんだろう。わからない。何もわからない。
そういえば…中学の時もそうだ。己の練習はしっかりとやるが、チームメイトの練習は義務的だった。なので『何故打てない』『何故捕れない』などの問題は無視してきた。オレは出来た。だから他の連中も出来るはず、と。
しかしそれはオレの
出来ないことを何故出来ないか追求することはせず、結果だけを求めていた。それがあの結末に至ったのだろう。
そう、あの結末は必然だったんだ。キャプテンであるオレがああであればチームは遅かれ早かれ崩壊していた。なんでそれに気づかなかったんだろう…いや、気づくのを恐れていたのかもしれないな。
「タイム───いいですか?」
「あん?」
オレは藤井先輩のもとに近寄る。
先輩は顔が青ざめていて、目にも光がない。もう何をどうすればいいかなど何もわかっていない状態だった。こんな状態で最後の一球を投げられても結果は出ない。
良かった。
最後の最後に気づいて。このまま終わってたらオレも藤井先輩も悔いが残っていただろう。
「き、球也…」
「…勝敗はもう決まっています。ここから藤井先輩が勝つのは不可能。でも……こんな所で諦めたらそれこそ格好がつかないですよ」
オレがそう言うと藤井先輩はチラッと少し離れている清水先輩を見た。動機が不純だったとはいえ彼女が、藤井先輩が茂野先輩と勝負をするためのキッカケだったのだ。
「偉そうにしてる奴にこのまま何も出来ないで負けていいんですか?」
「わかってるッ!打ちてえ…俺も打ちてえんだよッ!」
バットのグリップを握り締めながら藤井先輩は叫ぶ。その嘆きは茂野先輩と清水先輩の2人にも届いていた。しかしその気持ちで勝てるほど野球は甘くない。
「もっと脇を締めてスイングした方がいいですよ」
「…え?」
最初に会った時と同じだ。今の藤井先輩は茂野先輩の豪速球についていこうとして、脇が開ききっている。そんな状態では自分のスイングが出来ていなかったのだ。
ラストの1球。もうこれはヤマを張ってスイングするしかない。もしそのヤマが当たればあるいは───と思っているのだ。
これは賭けだ。しかし賭けなければ〝あの化け物〟は打てない。しかし相手はストレート1本。コンパクトに力強くスイングすれば可能性はある。
オレはその内容を藤井先輩に伝え、再び清水先輩の横に戻ってきた。これで打てなきゃもうしょうがない。そう思える事をしたのは初めてかもしれない。それも自分以外の選手に。
「おい秋浦、なんて言ってきたんだ?」
清水先輩の問いに、オレはこう答えた。
「ああ…『ホームランを打ってこい』って言いましたよ」
はい、第8球でした。
この小説では、多少どころか割と原作と違う展開になるかもしれませんのでご了承ください。
ではお疲れ様でした。