翌朝は、これからの旅の艱難を暗示しているかのように烈風が吹き荒れていた。それでもアレルの決心は変わらず、母や親衛隊長の制止を振り切って旅に出た。
「大丈夫だよ、母さん。こんなことで音を上げていたら、この先どうするのさ」
それが精一杯の強がりでないと、誰が言えよう。ここで延期などしたら決心が鈍ってしまうのではないか。やはり怖くなって、足を踏み出せなくなるのではないか。
アレルには、何よりもそれが怖かった。
「行こう」
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、アレルが言う。遠くなる息子の姿を、母は見えなくなるまで見つめていた。その瞳には、自然と涙が浮かぶ。
「………」
しばらく馬を走らせ、アレルも振り返った。砂塵の中、アリアハン城の外郭がおぼろげに見える。16年、これまで過ごしてきた故郷との別れである。帰ってこれるかは、定かではない。
「大丈夫だって、アレル。あたしがいる。ちょっと頼りないけど、モハレもいる」
ひでえなあとモハレが毒づく。とはいえ、場を和まそうとしたクリスなりの冗談だとはわかっているので、本気で怒っているわけではない。
そのやり取りに、ふっとアレルの表情も和んだ。
3日後、出発当日からの風は止まず、日を追うごとに雲は厚くなっていった。まだ夕方にもなってないはずだが、日暮れのように薄暗い。そのうちに、大粒の雨が降り出した。
「ついに降ってきただな。どうも、大雨になりそうだべ」
アリアハンからレーベの村の近くまでは、街道を進めばいい。しかし、次の宿場はまだまだ先である。宿探しは諦めた方がよさそうだ。
「あそこの森に、入り道がある。誰かが住んでるんじゃないか?」
雨具はあるが、無理をすることはない。向かってみると、小屋があった。しかし、どうやら無人らしい。屋根も壁板も朽ちて、大穴が開いている個所が見受けられた。
「ごめんください…、って誰もいないよな…」
幽霊でも出てきそうな雰囲気があるが、雨宿りには充分だ。無断で使うことは気が引けるが、雨脚次第では一晩過ごすことも考えるべきか。食料は充分だし、奥の部屋には乾いた薪が残っていた。
「こういう時、魔法使いがいると楽なんだけんどなあ」
旅慣れたモハレは、早速木を擦り合わせて火を熾そうとしていた。しかし雨の降りしきる中である。湿度が高く、なかなか火種が生まれない。
「僕に任せて」
アレルも
「へえ、アレルって呪文も使えるんだだな」
とは言っても、現状はメラとホイミくらいだ。資質としては、あまり期待できないのではないかと思う。父オルテガは高位の呪文も使いこなしたらしい。不肖の息子、なのだろうか。
「ふん、男ならまず剣の腕を磨かなきゃ!」
クリスは、呪文の才能がさっぱりだったらしい。それだけならよかったのだが、先日ジュダにやられたイオの屈辱が合わさって、今では呪文というものを仇敵視していた。
ちなみに、そのジュダはと言うと、マカリオの護衛と言うことでアリアハンに残っている。一緒だったらクリスの精神衛生上良くないのは解り切っているので、残る二人は内心ほっとした。
「二人とも、明日からはあたしが稽古をつけてやる。ビシビシ鍛えてやるから、覚悟しなよ」
えー、とモハレが不服そうな声を上げる。僧侶の本領は剣ではない、と言いたいのだが、クリスが聞くはずもない。
「あたしたちはバラモスを倒しに行くんだぞ!そんな弱腰で…」
故郷のバハラタに帰りたいだけ、というモハレの抗議をよそに、クリスが詰め寄る。しかし、不意にその表情が強張った。アレルも気付いた。これは、殺気―。
「………」
ドアの隙間から、外を伺う。人影はない。しかし嫌な気配は消えない。蹴り開けると、そこから飛び込んできたのは大型のカラスだった。
「こいつらか!」
クリスは何度も討伐したことのある、見知った奴だ。アリアハン大陸で一般的な魔物、おおがらす。最弱と言われるスライムに次いで弱いとされるが、辺り一面カラスの鳴き声。群れに囲まれている。
「ちっ、罠か!」
おそらく、小屋の住人はこいつらが食らい尽くしたのだろう。その後、寄ってくる人間を餌にすることを覚えたに違いない。
小屋の中に立て籠もろうにも、開いた穴から急襲される。が、外は雨で視界が悪い。不利な条件の中、急降下で襲ってくるカラスをタイミングよく切り伏せるしかない。
「あいつだ!」
アレルが剣で指した先には、人間の物と思われる髑髏を抱えた、ひときわ大きなカラス。群れのボスに違いない。が、相手は木の上だ。降りてこないことには斬りようもない。
「モハレ、呪文だ!」
アレルの声に、モハレが慌てて呪文を唱える。僧侶が得意とする攻撃呪文、
「ちっ!」
しかし、それを邪魔するように群れが動く。片端から切り伏せるが、ボスまで届くか―。
「いやあー!!!」
そのクリスの陰から、アレルが飛び出した。遮るものは、いない。アリアハン王から賜った鋼の剣は、見事ボスを両断した。
「いやあ、結構やるもんだなあ、アレル」
ボスを失ったおおがらすの群れは、一目散に逃げ出した。もう襲ってくることはないだろう。モハレは決めたアレルの太刀筋を手放しで褒めていた。
「………」
クリスは、そう見ていない。アレルの剣の腕に不満があるというわけではない。むしろ、彼の実力を認めたという点ではモハレ以上だ。今なら自分が勝つ。だが、この先どこまで伸びるのか―、と。
それ以上なのが、いち早く敵のボスを見極めた洞察力と、仲間を使いこなす戦術眼。この少年は、間違いなくリーダーとしての才を秘めている。
(どうやら、あたしはオルテガ様の息子ってだけでしか見てなかったようだね)
もしかしたら、オルテガを超える存在となるのかもしれない。その予感に身を震わせたクリスは、アレルとモハレに「早く小屋に入ろう」と促されて我に返った。
どうやら、寒さのせいで震えたと思われたのだろう。事実、少し寒い。雨宿りのつもりが、びしょ濡れになってしまった。
おおがらすの襲撃から、5日。旅は順調とは言い難いながら、無難に過ぎた。無難とは言っても、魔物には何度も襲われている。
今相手にしているのは、いっかくうさぎ。その名の通り角の生えた巨大なウサギである。戦闘力と引き換えに、可愛さは失ったようだ。
「だあー!もう!!!」
モハレが息を切らして追うが、俊敏な相手をなかなか捉えられない。手に持つ棍棒は、空を切るばかりだ。
「フー!!!」
不意に、敵が目標を変える。対しアレルは充分に引き付け―。
「ふっ!」
ぎりぎりの回避からの、一閃。いっかくうさぎが、地に伏した。
「おーし。アレル、今のはなかなかいい感じだったよ」
その魔物の相手を、クリスは専らアレルとモハレにさせていた。別に怠けているわけではない。二人にもっと、実戦経験を積んでもらおうとの考えだ。
「…けど、モハレは何だい。あんなとろとろした動きじゃ、追いつけるわけないだろ」
この5日、モハレは叱られっぱなしだ。まず、痩せたらどうなのか。それが、このところのクリスの口癖になっている。
「んなこと言ってもだな、おらは戦うの苦手なんだべ」
しかも、クリスが「呪文禁止!!!」ときつく言ってあるため、仕方なく棍棒で敵と立ち向かっているのである。両手両足を縛られた上で上手く泳げ、と言われている気分であろう。
途中から街道を外れ、ここ3日は森の中を進んでいる。森の方が魔物が多いからだ。街道は森の西を迂回して北に向かうため、北に突っ切ればまた街道に出る。
「見えたよ」
王都を出発して、ようやく最初の目的地であるレーベの村にたどり着いた。戸数五十あまりの、鄙びた村だ。主な産業は農業だろう。地味は肥えているらしく、貧しいという印象は受けない。
「で、ジュダの野郎が言っていたのは、『魔法の玉』とか言う代物だったよな」
クリスが眉を吊り上げながら言う。ジュダの名前を出すたびに、イオの屈辱が甦るのだろう。とにかく、三人とも『魔法の玉』については噂すら聞いたことがない。まずは、長老に話を聞くのが一番だ。
「ほほう…、オルテガ殿の…。そう言えば、なんとなく似てらっしゃいますな」
いきなりの訪問で警戒されたものの、アレルが素性と旅の目的を告げるとほっとしたらしく顔を和ませた。そして『魔法の玉』についても、隠さず教えてくれた。
「由来はよく解りませぬが、確かにこの村に代々伝えられてきた物でございます。旅の目的が目的である以上、喜んでお譲りするべきなのですが…」
顔を曇らせるのは、実はこの村に『魔法の玉』が無いと言うのだ。なんでも、10日ほど前、急に弟が研究したいからと持って行ってしまったという。
「人嫌いの偏屈な奴でして、近頃はナジミの塔の最上階をねぐらにしていると言ってました」
聞いただけで、なんとなく性格が想像できる。ナジミの塔は内海の中央にある島に建つ塔だが、魔物の巣になって放棄されたのだ。確かに人は邪魔しに来ないだろうが、研究にも生活にも不便だろう。
「訪れる際は、充分注意してください」
ねぐらに罠を仕掛けるくらいのことは当たり前にする。それに呪文をかなり使うので、見知らぬ相手だといきなりぶっ放してくるかもしれない、というのが兄の長老の談だ。
「……危ない奴だなあ。とりあえず、行ってみるしかないようだべ」
ナジミの塔がある島には、大陸の南、王都から内海を挟んだ対岸の洞窟から行けると言われている。つまり、ここまで来た道の半ばを引き返すわけだ。
ただ、『魔法の玉』は確かに存在した。そうなると、ジュダの話は全て真実なのかもしれない。少しだけ、信頼を増した三人であった。
・モハレ
前回書き忘れました。基本的に原作同様。しかし原作ではゾーマ戦でも回復がベホイミ止まりだった彼。その辺りは強化しないと…。