川神学園2―Sの一角で、
幾らプリントを睨もうと白紙は白紙だった。教室に視線を這わすも、周りのクラスメート達は既に書き終えたのか自習をしている様子だった。
川神学園のSクラスは所謂エリートたちの集まり。家業を継ぐ、有名大学に行くなどの明確な将来のビジョンをきちんと持っているのだろう。そのような生徒ならば進路希望調査のプリントなどものの五分終わるだろう。羨ましい。明確な進路希望があるのが羨ましいのでは無い。胸を張って書ける進路が有るのが羨ましいのだ。
識にも希望進路は有る。しかしそれを書けば担任からの呼び出し説教コースは免れないだろう。ただ、うちの担任なら本音で書いても流してくれるかもしれない。そんな雰囲気を垂れ流していた。
識は第一志望から第三志望まですべてを“高等遊民”と堂々とした文字で書いた。そして、そのプリントはホームルームの終わりに、他の進路希望調査に混じって担任のもとに届けられた。
放課後の進路指導室から識が気だるげな雰囲気を漂わせ出てきた。
「思ったより時間がかかったな……」
ため息をつくと、識はつぶやいた。呼び出されても二、三の小言で済むと思っていたのが大いに外れたためだ。クラスの担任――宇佐美巨人は生徒の自主性に任せる放任主義者だと読んでいたが、思いのほか真面目な教師だったようだ。
識は恨みがましい視線を、すでに閉まっている進路指導室の扉にぶつける。
空しい。生産性のない自分の行動に再びため息が出る。同じクラスの連中が見たらどうなることか。大抵のやつが見下した視線で笑うだろう。能力もあるが、それに比例するように選民思想を持っている連中だからだ。
「どうしたんじゃ?こんなとこで」
着物姿の少女が識に話しかけてきた。識のクラスメート
「宇佐美先生に相談があって」
「あのヒゲにか?」
不死川は渋い顔を浮かべる。自分のクラスの担任を、全くと言っていいほど信用していない様子だった。
「うん。進路のことでちょっとね。不死川さんはどうしたの?」
部活動などに所属していない不死川が放課後に残っているのはかなり珍しいことだった。
というか、意味もなく放課後に残る奴はSクラスには一人もいないだろうと断言できる。
「此方は有望な新入生がいないか見ていたのじゃ」
「誰か御眼鏡に適う子はいた?」
「剣聖の娘が入学したという噂を聞いての。黛家は中々の家柄、此方が付き合ってあげてもいいのじゃ」
「凄い子が入学したね」
「そうじゃろ」
不死川が自慢げに胸を張る。
(凄いのは不死川さんじゃなくて黛さんなのでは?)識の頭に言葉が浮かび上がるもおくびにも出さない。
「他にも凄い子が見つかるといいね」
「うむ。では此方はもう行くのじゃ、また明日の」
そう言うと不死川は足早に去っていった。そんな不死川を一瞥すると識も帰路に就いた。
竜野識は転生者だった。それも今回が二度目の。
一度目の転生は中世から近世程度の文明レベルを持った世界だった。最初の世界と違ってモンスターと魔法がある世界だった。
識の住んでいた村にも魔法の使い手はいたが、数えるほどしかおらず、“メラ” “ホイミ”が使える程度だった。
モンスターにしても村の近くに強い奴はおらず、いっかくウサギとかいう、角の生えたウサギのようなのがいた位だった。
村での生活は畑を耕し、野山で食べれる山菜や野草を採取する毎日だった。
識は最初こそ詰まらない生活だと思っていたが、次第にそんな人生も悪くないと感じるようになっていった。時間のある時は釣りに出かけることもできたし、田舎でのスローライフと思えば悪くない生活だった。
しかしスローライフも識が十六歳の誕生日に終わりを告げた。
世界各地でモンスターが凶暴化し、識の村でも被害が出た。その時の戦いで識は竜の騎士の宿命に目覚めてしまった。幸いなことに竜の紋章に蓄積された経験で戦闘面に不安は無くなった。しかし同時に悪いことも見えるようになってしまった。この時代、自分以外に闇の大神官を討ち取れる人物はいないということが。
それからの識の人生は急斜面からから転げ落ちるようなものだった。
村を飛び出してから大神官の呼び出した破壊神と相打ちになるまでわずか半年。識の二度目の人生は十七歳を迎える前に幕を閉じた。
親不孝通りは川神市の中でも治安の悪い場所に当たる。表通りにはいないような人種も当たり前のように闊歩し、喧嘩なども日常茶飯事のように起こっていた。その気になれば禁止されている薬物なども、比較的容易に手に入れることができるだろう。
そんな、一般人が嫌厭するような場所に識の住処があった。築三十五年のマンションで、風呂トイレ付で一万五千円という格安の物件だった。もとは二万円の物件だったが、去年に住民の一部が心霊現象に会ったと騒ぎ、逃げ出すよことが複数回起こった。噂が広がり、人が入らなくなったため今の値段まで下がった。
もちろん川神学園は学生用の寮をちゃんと用意していた。風呂、トイレ、キッチン共用で寮母さんがいるという、昔ながらの下宿先といったスタイルだった。
識は好みに合わない学生寮に見切りをつけ、今のマンションに転がり込むことになった。一番の懸念事項だった家賃は治安が良くないため安く、治安の悪さは識にとって大したデメリットにならないので即決した。
「よう、兄ちゃん。俺らちょっと困ってんのよ。金貸してくんない?」
男の集団が識の方に寄ってきた。先頭にいる男は赤と金をメインにド派手に染め上げられた髪、顔には複数のピアスがついていた。ピアスは耳だけでなく唇、鼻、目蓋と見ているこっちが痛くなりそうなレベルだった。
「大人しく渡した方が身のためだぜ。兄貴は地元で狂犬って恐れられた伝説のヤンキーなんだからな!」
取り巻きとおぼしき連中の一人が馬鹿でかい声で識を威圧してきた。ほかの連中も識のことを見下した目で見つめ、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
明らかに識のことを格下だと思い込み、歩く財布程度にしか思っていない様子だった。
「…………」
識は無言でチンピラ達を避け、通り過ぎようとした。
「テメー!しかとするとはいい度胸じゃねえか!あん!」
「死にてーのか?おうおうおう!」
識の態度に沸点の低い不良たちがいきり立つ。
「どうやら痛い目を見ないと分からないみたいだな」
リーダー格の男が拳を振り上げ、識に殴りかかってきた。その拳には鈍く光る金属の塊――メリケンサックが装着されていた。
「出たー!兄貴の殺人パンチ!」
「調子こいた連中を何人も血の海に沈めてきた兄貴の十八番よ!」
取り巻きが騒ぐ中、識はその拳を冷めた目で見つめていた。大振りでよけやすい、ただのテレフォンパンチだった。
バキィィ!
識の左頬に音を立てて命中した。
「おいおいおい。ヤベーんじゃないの?」
「顔面粉砕しちゃった?しちゃった?」
無抵抗に殴られた識をみて取り巻きがはやし立てる。
「まあ、殺人パンチって言うだけの威力は有ったんじゃないか?俺には無意味だけど」
拳は識にとどいてはいなかった。拳と識の間、光輝く気流のようなものが攻撃を完全に遮っていた。
識は痛みで顔をしかめる不良を殴り飛ばす。識に何時までも不良と至近距離でいちゃつく趣味はないのだ。残りの取り巻き立ちを片付けるのも、ものの数秒で終わった。通行の邪魔にならないように不良達を道の端にけり転がした。
「うわ、識に喧嘩売るとか馬鹿じゃないの」
識が立ち去ろうとすると、一人の少女が近寄ってきた。腰下まで伸ばしたツインテールが特徴的な美少女――
識のマンションの近くに兄妹で住んでおり、気が向いたら遊ぶゲーム仲間だった。
「地元云々言ってたから新参者かもな」
「へー。まあ、ウチとしては臨時収入が入ってうれしいけど」
天使は倒れた不良の財布から当たり前のように金を抜き取っていた。
「ほどほどにな。じゃあな」
「ちょっと待てって。ゲーセン行こうぜ」
「今から?」
「そうだよ」
既に歩き始めている天使を、識は苦笑しながらも追いかけた。
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