天使との一件以来識は絶好調だった。体内でほんの僅かに狂いながらも噛み合ってしまっていた歯車が正常に動き出したのだ、調子が良くなるのは必然だった。
「やっぱり武器は無理だったか」
識はぼやくように呟いた。手の中には刀身が燃え尽き、束だけとなった日本刀の慣れの果てが有った。折れず曲がらず、切れ味と頑強さが売りの日本刀でも識の全力には耐えきれなかった。もしこれが天下五剣クラスならまた違った結果が出たかもしれないが、今の識には入手する伝手もコネも無かった。
「でも間に合った。魔法剣……いや魔法拳か」
識は満足そうに自分の拳を見た。竜闘気で強化された拳に雷属性の気を圧縮し纏わりつかせていた。
識がその状態で拳を地面に叩きつけると地面がクレーター状に消し飛んだ。巻き上がった粉塵が収まり惨状が露になると識は満足そうに頷いた。
(くっ……)
識は拳から伝わる痛みに顔を顰める。
(全力で打つのはやめた方がいいか……)
本来気の使い手が一度に使用できる気の総量は決まっている。限界まで鍛え上げたとしても自身の肉体に悪影響が無い範囲に留まる。しかし識は闘気と魔力の同時使用を実現したギガブレイクの応用で不可能を可能とした。限界まで気を使用した上からさらに追加で雷属性の気を纏ったのだ。その威力は全力でも無いにかかわらず、今までの識では実現不可能な威力を誇っていた。
識の修行は一つの区切りを迎え、後は武道大会までコンディションを整えるのみとなった。
川神武道大会予選日、まだ本戦ではないのにもかかわらず、会場の周辺は人でごった返していた。参加選手の関係者――付き添いなどがいるためだ。特にテレビで見るような有名な格闘家は一目見ようとサポーター達も来ており人口密度を上げていた。
九鬼の会場スタッフが有能なのか、人数の割には混雑も起こらず、識は会場まであっさりと入れた。
識は受付でどちらの予選方法を選択するか尋ねられた。
一つはバトルロワイヤル方式、もう一つは測定方式だった。
前者は複数の参加者が入り乱れて戦う方法で、立ち回りなどが要求される。
後者は身体能力を量り上位が本戦出場という非常にシンプルな方法だった。
識は迷わず後者を選んだ。深い意味は無い。ただ単にすぐ終わりそうな方を選んだだけだった。
識は受付を終えると奥に通された。そこには識と同じように測定方式を選んだ選手が待機していた。
(いろんな人がいるな。まるで格闘家のファッションショーだ)
識は始まるまでの暇つぶしに辺りを観察していた。見るだけで何の格闘技をしているか分かった。九鬼が世界に呼び掛けたため、空手、相撲、レスリング、ボクシング、ムエタイなど様々な格闘家達がそろっていた。中には明らかに異質な、堅気からは程遠い連中も混じっていた。
識はというとジャージにランニングシューズという出で立ちなのでこの中では逆に浮いていた。現在殺気も出していないので、完全に朝練途中の学生としか見えなかった。時折識の方をチラチラ見る者もいるが、本人は全く気にしていなかった。
「皆さん長らくお待たせしました。只今より予選を始めます」
メイド姿の女性が出てくると、マイクを通して透き通った声が会場内に広がった。今まで思い思いに待機していた選手たちの視線を一斉に浴びるも動じた様子は無かった。
(おっ、可愛いな。九鬼の従者部隊は顔面偏差値の試験があるって噂は本当だったのか?忍足さんも年齢はさておき美人だし)
識は本人に聞かれた殴られても文句は言えない失礼なことを思い浮かべる。実際受付にいた人やすれ違った従者部隊の面々は美形ぞろいだった。
「審査は簡単です。目標物を攻撃してもらいます。もちろん殴っても蹴っても体当たりでも構いませんよ」
「要はパンチングマシーンだろ。俺はそういうの得意なんだ」
参加者の一人が声を上げると、続くようにして声が上がっていった。
「ねーちゃん。御託はいいからさっさと始めてくれよ」
明らかに柄の悪そうな男が声上げた。
「皆さん、あちらに注目してください」
メイドは会場の一角に腕を向けた。幕で覆われていたその場所が、メイドのセリフに合わせて取り払われ姿を現した。
「なんだありゃあ」
会場の何所かで呟かれたセリフは選手たちの総意と言っても過言ではなかった。
中から現れたのは金属の塊だった。断じてパンチングマシーンなどという生易しいものではなかった。これならまだ車の衝突実験に使われるコンクリート壁やアルミハニカムの方が可愛げがあるだろう。
「さあ誰からでもいいですよ」
メイドは唖然としている参加者に笑顔で進めた。
「ふざけてんのか!拳が潰れるだろうが!」
空手家と思わしき人物が怒鳴り散らす。
「ふざけてませんよ。ちゃんと同意書にサインしましたよね?それにこの程度で怪我をするなら鍛錬不足なのでは?」
大会に参加するにあたって、参加者は怪我や死亡など一切追求しないことを課せられる。真の強者を求めて武器の使用まで許可しているのだから当たり前と言えば当たり前のことだった。
「雑魚はどいてろや」
なおも文句を言っている空手家を押しのけ一人の男が現れた。
空手家を人睨みで黙らすと、目標物の前まで悠然と歩いて行った。赤銅色にやけた筋骨隆々の肉体は見ただけで鍛え上げられているのが分かった。
「この裏ムエタイの破壊神とよばれた俺がトップで通過よ」
“きゃおらぁぁぁぁ”
男は奇声を発し目標物を蹴り上げた。
「どうだ?新記録出しちまったか?」
「測定不能です」
「強すぎるのも考え物だな」
メイドの返答に自尊心を満足させたのか鷹揚にうなずいていた。
「いえ。弱すぎて測定不能です」
「はっ⁉」
「次の方どうぞ。どんどんきちゃって下さい」
「おい!ちょっと待て!壊れてんじゃねえのか!」
結果が不服なのか自称裏ムエタイの破壊神が喚き立てる。
「質問いい?」
識がメイドに向かって言う。
「はい。どうぞ」
「それ壊しちゃって測定結果が出なかったらどうなるの?ああ、壊すっていうのは測定器が云々じゃなくて破壊するってことね」
識は目標物を指さす。
「破壊できるものならどうぞ。もしできれば本戦出場確定です。九鬼が開発した特殊合金で制作されてますので主力戦車の主砲にも耐えますけど」
「分かった」
識は近くにあるコンビニに行くような気軽さで目標物の前まで行った。
「おい!お前人の…………」
ガゴン!
識が目標物を殴り飛ばすと生身の肉体が発する音とは思えないような音が発生した。衝撃も凄まじく会場全体を揺らすほどだった。
戦車の主砲にも耐えるはずの特殊合金は、拳の形に拉げ亀裂が走るという無残な姿をさらしていた。
「嘘……」
メイドが目を見開き呟いた。
「言うだけは有るよ。まあまあ頑丈だった。また本戦で」
識は言いたいことだけ言うとその場を後にした。
残されたのは壊れた目標物と呆然自失となった参加者達だけだった。