ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第二章 揺れる吊り橋は運命の鼓動
第十三話 旅情それぞれ


 この時代の人間は、実によく旅をする。

 

 大厄災以降の、緩やかな衰退と滅亡の中にあるハイラルの大地を、旅人たちは各々の思うがままに歩き回っている。ある者は一攫千金を夢見て廃墟の中にお宝を追い求め、ある者は究極の料理を追い求めて荒野を目指し、ある者は幻のキノコを求めて暗い森を徘徊する。

 

 百年ほど前まで、旅は一般的ではなかった。庶民たちはその土地その土地で日々の糧を得ることに汲々(きゅうきゅう)としており、観光や物見遊山のためにふらりと旅に出ることなど思いもよらなかった。

 

 そんな庶民にとって、旅とは唯一、巡礼を意味した。一つの例を挙げよう。ある時代のある日、ハイラル王国の東の果てのハテノ村で、ある村人が、一日の野良仕事を終え、変わり映えのしない夕食を手早く食べ、疲れ切った体を寝台に横たえたその瞬間、その脳に電流が走り、唐突に発願(ほつがん)する。

 

「そうだ、俺もいっちょ信心深くなって、女神様にお祈りを捧げに行かなきゃなるめぇ」

 

 それで彼は翌日から、一ルピーや五ルピーという小銭、それでも彼にとっては貴重な現金である小銭を村中でカンパしてもらい、粗末な旅支度を整える。村人たちは口々に彼へ言う。

 

「ありがてぇ、ありがてぇ。代わりにお祈りに行ってくれるなんてよ」

「うちのおっ母の病気が治るよう、女神様にようお頼みしてきてくれや」

「悪い人間に騙されんようにな。外には悪いやつらがいっぱいじゃ」

 

 準備を終えた明くる日、彼は太陽もまだ眠そうな朝早くに、誰からも見送られることなくひっそりと村を出る。道連れはいない。彼はたった一人だ。彼が目指す先は、始まりの台地にあるといわれる時の神殿である。激しい風雨に悩まされ、突然の病気や怪我に苦しみ、魔物や野盗の襲撃に怯えながら、彼は黙々と歩き続ける。

 

「ちぇっ、つまらねぇな。こんな目に遭うくらいだったら、村を出ないで野良仕事してたほうがマシだったかな?」

 

 だが、コツコツと歩を進めればいずれ必ず道は尽きる。やっとの思いで彼は目的地に辿り着く。見たこともなければ想像したこともないほどの、絢爛(けんらん)にして宏壮(こうそう)な神殿を彼は目の当たりにする。美しい巫女たちが優しい微笑みを浮べている。低く荘重に奏でられる音楽が彼の耳朶(じだ)を打つ。彼は、荘厳な雰囲気に満たされた内陣(ないじん)をおずおずと進み、村の小さくて可愛い像とは比較にならないほどに大きくて立派な女神像の前でぬかずく。

 

 感動が渦を巻いて彼の体中を駆け巡る。口から出てくるお祈りの言葉はしどろもどろだ。

 

「……女神様、女神様……! お祈りします、お祈りします……!」

 

 この短く拙い祈りのために、彼は旅をしてきた。いや、彼は祈りをするために旅をしたのではない。言うなれば、彼の旅そのものが祈りだったのだ。

 

 祈りを終えた彼は、また歩き始める。今度は、故郷の人々に伝えるために彼は歩く。彼の足取りは軽く、表情は晴れやかである。なぜなら、女神様がいつでもすぐそばにいてくれるのを、今回の旅で知ったからだ。

 

「ああ、旅に出て良かった。女神様に会えて本当に良かった……」

 

 もちろん、すべての庶民の旅がこの例のように、素朴で真面目で信心深いものだったわけではない。道中で悪い人間に騙され、宝箱バクチで有り金を全部失う愚か者もいたし、門前町の酒場や売春宿に入り浸って出てこない意志の弱い者もいた。たまたま出会った人に恋をしてそのまま結ばれ、二度と故郷に戻って来ない者もいたし、何らかの原因で不運にも命を落とし、誰にも看取られぬまま屍を晒す者も多かった。

 

 一方、城下町に住む富裕商人や貴族たちの旅は、庶民のものよりも遥かに贅沢で、楽しみに満ちたものだった。彼ら上流階級の人間は、バカンスのシーズンには四頭立ての馬車を連ね、悠々と街道を行き地方へと下った。

 

 快適な車内では、冷えたワインとガンバリバチの蜂蜜水、新鮮な生野菜に果物、焼き極上トリ肉などの簡単な食事が供され、彼らは笑いさざめきお喋りに興じる。

 

「お聞きになって? 前の大臣の一人娘が、ついに結婚するそうよ?」

「おや、たしかもう二十五歳は過ぎてるのに、よく嫁ぎ先があったものだな」

「お相手は城下町南のあの成金一族の三男坊だとか。ほら、昔ツルギバナナ輸入で一山当てた、あの一族ですわ」

「ほう、あのバナナ一家?」

「そうそう、あのバナナ一家ですわ。まったく、いくら生活が困窮しているからといって、バナナ一家に嫁がせるだなんて、前の大臣ったらやっぱりとんでもない悪者なんだって思いますわ……」

 

 目的地は、人それぞれに異なっている。例えば、それはフィローネ地方の穏やかな海岸線だったり、あるいはオルディン地方の温泉地だったり、もしくはアッカレ地方の広大な草原地帯だったりする。

 

 こじんまりとした別荘に着いた彼らは、その日から二ヶ月間、待ちに待った休暇を満喫する。狩猟、音楽、詩作、読書、登山、もしくは何もかも忘れて睡眠、それとも酒蔵を空にせんとばかりに連日の宴会だろうか。いずれも共通しているのは、辛気臭い「お祈り」などする者はいないということだ。

 

「なぜなら私達は日頃から神殿と神官団に多額の献金をしているのですから。献金ですよ、献金。これ以上のお祈りがありますか?」

 

 そして瞬く間に二ヶ月が過ぎる。帰り道の彼らの足取りは重く、表情は暗い。なぜなら、楽しい夢のようなバカンスが終わり、退屈で苦痛に満ちた都市生活に戻らなければならないのを知っているからだ。

 

「ああ、こんな憂鬱な思いをするくらいなら、いっそのこと旅行になんか来なければ良かった……」

 

 大厄災以降のハイラルには、もはや庶民も上流階級も存在しない。あるのは、ただその日その日を生きる人間たちだけだ。彼らは巡礼でもなく、バカンスでもない、新しい形の旅をしている。有為転変のハイラルの広大な天地に、旅人たちはそれぞれの目的と楽しみを持って、今日も思い思いの草枕を求めるのだ。

 

 

☆☆☆

 

 

 今を遡ること数カ月前のことであった。場所はハイラル東部、東ハテール地方、ハテノ村、その外れにポツンと建つサクラダ工務店の事務所に、三人の男たちがいた。

 

 男たちは卓を囲み、黙々と昼食をとっていた。昼食のメニューは、チキンピラフだった。民宿トンプー亭に頼んだ出前料理だった。肉体労働の後の疲労した肉体に濃い塩味がスーっと効く一品だった。大盛りで一皿わずかに四十ルピーしかしなかった。

 

 カチャカチャと食器が鳴っていた。会話はなかった。なんとも珍しいことだとサクラダ工務店のベテラン社員、エノキダは思った。社長にして棟梁にしてデザイナーであるサクラダが、今日に限って何故か黙りこくっているのだった。

 

 エノキダはまだ若かった。少なくとも、まだ老けてはいない、と自分では思っていた。隣に座って一心不乱にピラフを掻き込んでいる、新人のカツラダのような溌剌とした若さは流石にないが、まだ若い。彼は骨太のがっしりとした体格で、毛深く、髪の毛はさながらマックストリュフのようだった。おまけに豊かな口髭まで蓄えていた。こういったむさい外見と朴訥な喋り方のせいで、彼は歳の割に落ち着いているとよく言われた。むしろ、歳よりも老けていると彼は言われた。

 

 対して、棟梁のサクラダは若作りだった。というより、年齢不詳であった。建築家らしく、サクラダは一風変わったファッションセンスを持っていた。ピンクの鉢巻をおしゃれに締めた頭は、頭頂部が禿げていて、側面の髪の毛も短く刈り上げられていた。丸にゲンノウの紋を背中に染め抜いた青い印半纏は、セクシーに前をはだけさせていた。首周りにはふわふわした虎柄の襟巻きがあった。彼は首からお守りを下げ、耳にはピアスをつけていた。

 

 サクラダの性格は、明るく陽気であった。だが、どこか冷たいところもサクラダにはあった。どうやら、彼は若い頃にとても苦労をしたらしかった。一ルピーたりとておろそかにできない生活を送っていたとのことだった。そのせいか、彼には妙にリアリストなところがあった。

 

「良い? 夢を語るというのは、同時にルピーを語るってコトなのよ」

「建築家というのは何より創造的でなくちゃね。でもその創造性は実現を可能とするしっかりとした土台を持ってないと駄目なの」

「アタシは自分の建築がこの世の終わりまで残ってほしいと思ってるワ。でもそれが叶わないこともよく知ってるの。いずれ滅びるものに不滅の願いを込めてる。大したロマンチストだと思わない?」

 

 こういった分かるような分からないような独自の人生観や美学を、サクラダは二人の社員へ向かって、食事の時はいつも、のべつまくなしに喋り続けるのだった。

 

 そんな棟梁が、今日に限って何故か黙っていた。ちらりと、エノキダは自分の対面に座る人を見た。サクラダの食事はまったく進んでいなかった。サクラダは目と口を閉じ、腕組みをしていた。どうやら、彼は何か考え事をしているようだった。

 

 突然、サクラダが立ち上がった。彼は甲高い声で、力強く宣言した。

 

「エノキダ、カツラダ! 旅行にいくワよ! すぐに準備なさい!」

 

 脈絡がなさすぎる。なぜ旅行なのか? なぜ今すぐなのか? なぜ自分たちも一緒に行くことになっているのか? 様々な疑問がエノキダの頭脳で湧いた。しかし、彼の体は勝手に席から腰を上げていて、口は勝手に動いていた。

 

「合点!」

 

 隣のカツラダも元気よく立ち上がった。彼は口の周りに大粒のハイラル米の粒をつけていた。

 

「了解っス!」

 

 思考は一秒、返事は半秒。考えるよりもまずは返事をする。それはサクラダの社員教育の賜物であった。サクラダは満足そうに言った。

 

「良い返事ね。でも、まずは食事を終えましょう?」

 

 三人とも席に座った。そして、彼らはまたカチャカチャと食器を鳴らし始めた。サクラダが口を開き、一方的に話し続けた。

 

「食べながらでいいワ、アタシの話を聞きなさい。まずは改めて、村長さんの館の修築工事ご苦労様。クサヨシさん、とっても喜んでたワ。まるで新築みたいになったって。まあ当然よね、アタシとアナタたちが手掛けたんだもの。ハイラル中のどの村だって、あれだけ素敵なお家に住める村長さんはいないって思うワ。でもね……」

 

 サクラダは言葉を切って、深くため息をついた。

 

「正直言って、アタシは満足してないのよ。一万五千ルピーの大きな仕事だったし、やりがいもあった。決して退屈な仕事ではなかったワ。でもアタシ、満足はしてないのよ。アタシとしては、あの古ぼけた館を土台からぶっ壊して、アタシの理想とする新しい家をイチカラ作り上げたかったの。もちろんそのように提案はしたわ。でもクサヨシさんは、これ以上お金は出せないし、何よりアタシの建築デザインは突飛過ぎて村長の家としてどうかと思う、だから元の雰囲気を残したまま修築するだけにしてくれって言ったのよ。酷い話だと思わない? アタシのことをただの大工だと思ってるのよ、アタシは大工以上に芸術家でもあるというのに!」

 

 話しているうちに感情が昂ぶったのだろうか、サクラダはやや語調を荒らげた。だが彼はすぐに平静を取り戻すと、コップの水を一口含んでゴクリと飲み干し、一息ついてからまた話し始めた。

 

「オホン。とにかく、アタシは心の中にどこかわだかまりを残したまま今回の仕事をこなしていたの。アナタたちには隠していたけどね。それで、考えたの。どうしたらアタシの理想を実現できるかって。何日か考えてみたんだけど、クサヨシさんが言うように、もしかしたらアタシのデザインってちょっと先鋭的すぎたんじゃないかって思うの。ほら」

 

 サクラダは部屋の隅に飾られている模型を指し示した。それは、異常な形をしていた。完全な球形が上下左右に積まれたような、既存のどの建築物にも当てはまらない外見をしていた。建物が球形ならば窓は円形で、扉も円形、煙突も円筒形であった。まるでチュチュゼリーを何個も連ねたような、異様な建物模型だった。

 

 サクラダは言った。

 

「アタシは、自然界における理想的形状は球形だと思うの。古代シーカー族の学者プト・レマの『天体論序説』によると、アタシたちの住んでるこの世界は夜空に無数に浮かぶ星々の一つなんですって。しかもそれは絶えず運動して、互いに位置を変えているそうよ。この運動ってことについてなんだけど、運動するということは、その動作主の形は角張っていない。なぜならアナタたちも知ってる通り、四角い車輪じゃ車は動かないものね。だから、アタシたちの星は円ないし球形ということになる。ここまではいいワね?」

 

 エノキダは答えた。

 

「はい」

 

 サクラダも答えた。

 

「はいっス!」

 

 いいワね、もなにもないのだ。エノキダはそう思った。この話は入社以来何度も何度も聞かされていて、正直エノキダの耳にはタコができていた。

 

 元気の良い二人の返事を聞いているのかいないのか、サクラダは話し続けた。

 

「アタシたちの世界が円ないし球形ならば、アタシたちの理想とすべき形も円ないし球形なんじゃないかしら。だって、女神様がそうであるようにと言って作った世界の形なんですもの。アタシたちはそれを大事にしなくちゃならないワ。アタシはそう思って、建築家兼芸術家として、理想のハウジングを追求してきた。ドブの整備から屋根瓦の交換みたいな安くて退屈な仕事をしている間も、理想を形にするべくいつも頭を働かせていたワ……」

 

 サクラダは遠い目をした。辛かった下積み時代を思い出しているのかもしれなかった。

 

「今回は良い機会だったの。だって顧客はあのクサヨシさんよ? 有能で、人格者で、働き者で、村のことを第一に考えてる。だから、クサヨシさんが自分のお家をアタシの提案に従って理想的な球形にしてくれたなら、ハテノ村のみんなも村長さんに倣って、お家を球形にしようって(こぞ)ってアタシのところに来たと思うのよ。でもクサヨシさんは拒否したのよ、突飛すぎるからって!」

 

 サクラダの話はなかなか終わる気配が見えなかった。これは長くなるな、とエノキダは思ったが、彼にはどうすることもできなかった。じっと嵐の過ぎ去るのを待つだけだ。彼は耐えることにした。サクラダは言った。

 

「さすがに悩んだわ。ハテノ村で一番の常識人であるクサヨシさんが否定したアタシの理想、もしかしたら一般人には一生かかっても絶対に理解できないんじゃないかって。先鋭的すぎるんじゃないかって」

 

 長い話に(たま)りかねたように、若いカツラダが質問を差し挟んだ。

 

「それで、そのことと旅行とはなんの関係があるっスか?」

 

 だが、それに気分を害した様子もなく、サクラダは答えた。

 

「一度頭をカラッポにして、イチカラ出直す必要があると思うのよ。だから、端的に言うと取材旅行ね。ハイラル各地の遺構や遺跡、現存する建築物を見て廻って、アタシの理想をもう一度練り直すの。今は別件も受注もしてないから、時間なら余裕があるワ。三人がブラブラと歩いて、誰のものでもない建物を見るだけだから、お金もかからない」

 

 ここで初めてエノキダは口を挟んだ。

 

「それで、旅行の期間は?」

 

 サクラダはさも当然とばかりに答えた。

 

「アタシが満足するまでよ」

 

 ここぞとばかりにエノキダは質問を続けた。

 

「なぜ、俺達も同行を?」

 

 サクラダは答えた。

 

「か弱い棟梁に一人旅をさせるつもり? まあ、あとは社員教育も兼ねてるワね」

 

 エノキダは言った。

 

「出発はいつですか?」

 

 サクラダは顎を手で撫でながら言った。顎には青々とした髭の剃り跡があった。

 

「ご飯を食べたらすぐに荷物をまとめなさい。なるべく必要なものだけを持っていくのよ」

 

 エノキダは、一縷の望みをかけて、最後の質問をした。

 

「俺たちに、拒否権は?」

 

 突然、サクラダは金切り声を上げた。

 

「サクラダ工務店社訓ッ!!」

 

 条件反射的にエノキダとカツラダが勢いよく立ち上がった。そして、二人とも叫ぶように言った。

 

「『棟梁が、白と言うなら、黒も白!』」

 

 ピッタリと息のあった二人の返事に、サクラダは満足げにニヤリと笑った。

 

「ま、そういうことヨ。他に質問ある?」

 

 若いカツラダが元気よく手をあげて言った。

 

「はーいっス! バナナはおやつに入りますか?」

 

 サクラダは言った。

 

「まあ、カツラダったら、バナナだなんて無政府主義(アナーキー)ね! いいワ、おやつなんていくらでも持っていきなさい。社員教育とは言ったけど、これは慰安旅行も兼ねてるんだから……」

 

 エノキダは、瞑目した。やれやれ、また社長の思いつきに振り回されるのか。社長は類稀な才能と確かな技術を持った尊敬すべき人だが、やはり変人である。

 

「だが、悪くないか」

 

 入社以来、いろいろと社長のわがままに付き合ってきたが、その度ごとにエノキダも得るところは多かった。今回も、結局は収穫の多い旅になるだろう。「ペンキは七色、気分は春色」だ。何事も楽しむ気持ちが大切なのだ。エノキダは皿に残っていたチキンピラフを口へとかき込んだ。

 

 

☆☆☆

 

 

 そんなわけでサクラダ工務店一行の旅は始まった。彼らは手始めにハテノ砦へ赴き、そこからはハイラル各地を東西南北、棟梁の気の向くままに歩き回った。彼らは街道を北にとって、山間の隠れ里であるカカリコ村へ向かった。次に彼らは足を伸ばして険路を冒し、夜光石輝く繊細豪壮なゾーラの里へ向かった。彼らは西へ道を辿ってゴングル山から瘴気と怨念渦巻くハイラル城を遠く眺め、それから一路南へ雄大なハイリア大橋を目指した……

 

 彼らは各地でスケッチを取り、測量し、地元の古老に話を聞き、文献を収集した。荷物を背負うエノキダとカツラダの足取りはだんだん重たくなっていったが、サクラダの足取りはますます軽やかになっていくようだった。

 

 そんな旅を続けて数ヶ月経った、ある日のことであった。サクラダが歓声を上げた。

 

「素晴らしい、素晴らしいワ!」

 

 サクラダを興奮させたのは、ハイラル平原南、アクオ湖に位置する、闘技場跡地だった。三人は街道からその偉容を眺めていた。サクラダは言った。

 

「戦士たちが命を賭けて戦った舞台が綺麗な円形をしている。昔の人は分かってたのよ! プト・レマの天体論を! こうなったら是非、中の様子も見てみたいワ!」

 

 カツラダがどこかうんざりとしたような口調で言った。

 

「けど今日はもう遅いっスよ。宿を取りましょうよ」

 

 サクラダは口を尖らせた。

 

「もう、意気地なしね! でも、確かにくたびれたワね。しかたない、カツラダの言うとおり、今日は休みましょう。エノキダ、この近くの宿は何処(どこ)?」

 

 エノキダは答えた。

 

「平原外れの馬宿です」

 

 そんな会話を交わしつつ、彼らはなんとか日暮れ前に馬宿に着くことができた。宿の店員が三人にお茶を出しながら、如才なく世間話を振った。

 

「いや、それにしても遠くハテノ村からよくぞここまでいらっしゃいました。取材旅行ですか、私のような馬宿の店員には分かりませんが、大変なお仕事なのですね」

 

 サクラダは胸を張って答えた。

 

「そんなことはないワ。とっても刺激的でクリエイティブなお仕事よ」

 

 店員は言った。

 

「闘技場跡地はご覧になりましたか?」

 

 サクラダは頷いた。

 

「見たワ。明日は中に入ってみるつもりなの」

 

 強い期待と好奇心を隠さずにサクラダは答えた。だが、店員は驚くように言った。

 

「え、それはとんでもない!」

 

 サクラダは首を傾げた。

 

「アラ、どうして?」

 

 店員は言った。

 

「闘技場の中は魔物の巣になってるんですよ。上から下まで魔物でギッシリで、中に入ろうものならたちまち挽き肉にされてしまうとか。実際に確かめた人はいませんが」

 

 カツラダが呆れたように言った。

 

「そんな危険な場所が近くにあって、この馬宿よくやって行けるっスね」

 

 店員は答えて言った。

 

「不思議なことに、やつら中から出ては来ないんですよ。何でも、滅茶苦茶強い魔物が他の魔物を従えてるとか。その強いやつが外に出ないから、他のやつも中に留まってるって噂で」

 

 エノキダが呟くように言った。

 

「どうしてその魔物は外に出ないんだろうな」

 

 店員は言った。

 

「何かを守ってるって噂ですよ。貴重な武器だか宝石だか、とにかく大したお宝があるんだって噂です」

 

 またエノキダは言った。

 

「なんというか、噂ばかりだな」

 

 店員は答えた。

 

「確かめようがないので仕方ないです。とにかく、闘技場跡地に入るのだけはやめてください。無駄死にするだけです」

 

 サクラダはガッカリしたようだった。彼は言った。

 

「そう……地元の人が言うならやめといたほうが賢明ね。でもとても残念だワ。ねえ、他にこのあたりで見どころはないの?」

 

 店員はすぐに答えた。

 

「それでしたら、デグドの吊り橋なんてどうでしょう? 昔から景勝地として知られてますし、あそこから眺める朝日は格別美しいですよ」

 

 サクラダはしばらく唸って考えた。やがて彼は言った。

 

「うーん……吊り橋と朝日か……いいワ、インスピレーション湧いてきそうじゃない」

 

 店員はにこやかな表情を浮かべて言った。

 

「お疲れのようですし、朝日をご覧になるのでしたら出発は夜半を過ぎてからになりますから、いかがでしょう、ここは少しごゆっくりと休息なさって、英気を養うというのは……」

 

 三人は店員の勧めに従うことにした。寝台に横になると、社長のサクラダを指揮者として、彼らは(イビキ)の大合奏を始めた。

 

 

☆☆☆

 

 

 その三日後の、夜明け前のことだった。

 

「おーい! エノキダ! エノキダ! 生きてる!? 生きてるなら返事をしてェ!! エノキダー!!」

「エノキダさーん! エノキダさーん! 返事をしてくださいっス! エノキダさーん!」

 

 棟梁とカツラダの必死な呼び声が、どこか遠く頭上から響いていた。

 

「おーい、おーい! ここだ! ここだ! おーい!」

 

 エノキダは必死になって呼び返した。だが、こちらの声は上に届かないようだった。

 

「おーい、おーい……むぅ……」

 

 いつしか、向こうからの呼び声も止んでいた。彼は力なく空を見上げた。夜明け前の空はどんよりと暗く、雨がしとしとと降り続いていた。

 

「足は……折れていないな……」

 

 エノキダは、じんじんと痛む足を労るように撫でた。痛いのは足だけではなかった。全身が酷く痛んだ。その上びしょ濡れだった。彼は惨めな気分だった。

 

「俺としたことが……とんだことになった」

 

 彼は短く嘆息した。

 

 エノキダは、ひとり滑落していた。




 ああエノキダよ、何処へいく。

※加筆修正しました。(2023/05/06/土)
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