ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第十五話 浮上する悪夢

 活動的な人間にとって、閑暇というものは「我慢ならぬ停滞」らしい。たとえそれが怪我を癒やし病から回復するためにどうしても必要なものだったとしても、彼にとってはどうしようもない時間の浪費のように思えてしまうらしいのだ。

 

 だから、サクラダ工務店社長兼棟梁にしてデザイナーであるサクラダにとって、馬宿で過ごした三日間は苦痛そのものだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 平原外れの馬宿に着いたその晩、サクラダは素晴らしい明日を夢見て、さして上等でもない普通の寝台に身を横たえた。彼の両隣にはベテラン社員のエノキダと新人社員のカツラダがいた。重低音の効いた(イビキ)と共に、三人はほどなくして眠りの世界へと落ちていった。

 

「あら……?」

 

 いつしかサクラダは、巨大な建造物の中を歩いていた。ここは、闘技場だ。彼はそう思った。夢にまで出てくるとは、どうやら昼間に見た闘技場跡地がよほど印象に残っていたらしい。

 

 客席は見物人で満ちていた。その間を縫うように、可愛らしい少女たちが軽食と飲み物を売って歩き回っていた。着飾った富裕商人たちは色とりどりのパラソルを広げていた。貴賓席には絢爛豪華たる装いの貴族たちが座っていた。

 

「まったく、出来の良い夢だこと」

 

 サクラダは空いている席に腰を下ろした。前に読んだ本に書いてあったが、このような夢を明晰夢というらしい。ならば、自分の思うがままに振る舞えるはずだった。

 

「せっかくだし、楽しませて貰おうじゃない」

 

 手にはいつの間にか、肉汁滴る串焼き肉と、よく冷えたリンゴ酒の(びん)があった。サクラダは肉にかぶりつき、二口(ふたくち)三口(みくち)噛んでから一気にリンゴ酒で流し込んだ。

 

「うん、美味しいワ」

 

 突然トランペットが高らかに鳴り渡った。司会者がよく通る美声を闘技場内いっぱいに響かせた。

 

「皆様、長らくお待たせ致しました! さあ、戦士たちの入場です!」

 

 ワアワアと歓声が上がった。サクラダも身を乗り出し、眼下の競技場へ目を走らせた。戦士たち? 戦士たちねぇ……一体どんな戦士たちなのだろうか?

 

「……エノキダ?」

 

 サクラダは呆気にとられた。アーチから堂々とした足取りで入場してきたのは、工務店の従業員、エノキダだった。エノキダはいつもの青い印半纏を身に纏い、腰にはゲンノウを下げていた。彼は真面目くさった表情のまま、片手を上げて歓声に応えていた。

 

 その上、さらに驚くべき事態が起こった。

 

「エノキダが、沢山!?」

 

 エノキダが増えた。同じ格好、同じ表情をした、まったく同じエノキダが、最初の一人に続いて後ろからゾロゾロと出てきた。

 

 総勢十一人のエノキダが、競技場の真ん中で縦一列に整列した。

 

「どういうこと?」

 

 困惑するサクラダをよそに、司会は朗々と声を張り上げた。

 

「青チームが出揃いました! 続いて、赤チームの入場です!」

 

 反対側のアーチから、バラバラと元気よく人影が飛び出してきた。

 

「今度はカツラダ!?」

 

 赤チームは、工務店の新人社員、カツラダだった。いずれも赤い印半纏を着ていた。若い溌剌とした笑顔を浮かべた十一人のカツラダたちが、陽気に観客席へ向かって手を振った。エノキダたちと正対するように、彼らもまた整然と縦一列を成した。

 

「両チーム出揃いました! 一斉に礼! さあ、いよいよ古式ゆかしい運動競技、『タ・マケリ』が開始されます! 栄えある勝利を手にするのは一体どちらのチームでしょうか!」

 

 サクラダは一人頷いた。

 

「ふぅん、『タ・マケリ』か。なるほどね」

 

 かつて読んだ本の知識によれば、タ・マケリとは古代シーカー族の宗教儀式から派生した運動競技である。十一人で一つのチームをなし、二つのチームが一つの球を巡って走り回るというものだ。

 

「でも、肝心の球がないじゃない」

 

 サクラダは競技場を見渡した。何処にも球がない。タ・マケリに用いられる球は天体論的理想形に則り、限りなく真球に近いものでなければならないとされていたはずだった。

 

 突然、彼の隣に誰かの気配がした。声がした。

 

「球はあるワ」

 

 サクラダの口から声が漏れた。

 

「えっ?」

 

 首に妙な違和感を覚えた直後、サクラダの視界が反転した。また声がした。

 

「理想ってのは、頭に詰まってるものでしょ?」

 

 彼の視界がゴロゴロと転がった。雲ひとつない真っ青な空、石造りの座席、ガヤガヤと騒ぐ観客たち、売り子たちの笑顔……目まぐるしく光景が変わった。

 

「だから、アタシの首こそ完全な理想形なのよ」

 

 そして、噴水のように真っ赤な血液を噴き上げる、首のない胴体が見えた。その手には串焼き肉とリンゴ酒の瓶があった。紛うことなき自分自身の体だ。サクラダはそう思った。そして言った。

 

「あら、アタシじゃない」

 

 その誰かが答えて言った。

 

「そう、アタシ」

 

 首無しのサクラダの隣に、鋭利なノコギリを持ったもう一人のサクラダが立っていた。

 

「アラ、アラ」

 

 どうしようもなく、ゴロゴロと首は転がっていった。やがて、首は勢いよく競技場内へ飛び込んだ。

 

 待ちかねたというふうに司会が叫んだ。

 

「球が場内に入りました! 試合開始です!」

 

 歓声が上がった。サクラダの生首へ向かって、十一人のエノキダと十一人のカツラダが殺到した。

 

「パスだ」

「させないッス!」

「アハン」

「シュートだ」

「させないッス!」

「イヤン」

 

 宙を飛んで、跳ねて、転がって、サクラダの生首の所有権は目まぐるしく両チームの間を行き交った。

 

 カツラダの一際強い蹴りが側頭部にめり込んだ。

 

「どりゃーーッス!!」

 

 サクラダは言った。

 

「アラ、まあ」

 

 宙高くサクラダの生首は飛び上がった。

 

「見える見える」

 

 観客席に彼の目が向いた。キラキラと日光を反射するノコギリが彼には見えた。自分の首を切り落としたもう一人の自分であるサクラダが、不思議な踊りを踊っていた。

 

「新築 減築 解体 外構〜

 家の 事なら なんでも ございっ♪」

「その名も サクラダ

 DADADA サクラダ工務店〜」

「さくらだっ DADADA さくらだっ♪」

「フワフワ」

「シャキーン!」

 

 我ながら惚れ惚れする振り付けネ……宙を舞うサクラダの生首は、莞爾(かんじ)として微笑んだ。

 

 

☆☆☆

 

 

 結局、サクラダが起きたのは翌日の昼過ぎだった。外はしとしとと雨が降っていた。彼はびっしょりと寝汗をかいていた。その両目の下には隠し難いほどのクマができていた。げっそりとした声で彼は言った。

 

「微熱もあるみたい。悪いけど今日は休ませてもらうワ……」

 

 毎日欠かさないひげ剃りもその日だけはサボって、サクラダは寝台の上でゴロゴロしていた。

 

 食事を盆に載せて枕元へ運んで来たカツラダが、至極能天気な気休めを言った。

 

「滅茶苦茶頑丈な社長が寝込むなんて、ここ数ヶ月ずっと強行軍だったからスかねぇ。疲労したんスよ。とにかく寝れば治るッスよ、たぶん」

 

 エノキダはいつも通りだった。

 

「寝れば治る。大丈夫です」

 

 少しは心配する素振りを見せてくれても良さそうなものなのに、とサクラダの純真な乙女心が密かに不平を漏らした。

 

「まあ、悪夢を見るなんて、確かに疲労が溜まってたのかしらね。アタシもまだまだ若いと思ってたけど、しっかりと休みを取らないと体が保たない年齢にいつの間にかなってたのかしら……」

 

 食事もそこそこに、サクラダは毛布を被った。若さ、それは泡沫である。分かってはいたことだが、眼前に突きつけられると存外堪えるものだった。拭いきれぬ寂寥感を強いて忘れ去ろうと、彼は睡眠に専念することにした。

 

 

☆☆☆

 

 

 だが、彼の悪夢はその夜も続いた。

 

 翌朝、青々とした無精髭も情けなく、サクラダはやつれ果てた表情で、二人の社員に語っていた。

 

「聞いて頂戴。今度の悪夢はアタシの生首で玉入れ大会だったワ。無数のアタシの生首が籠に向かって投げ込まれるの……」

 

 カツラダが言った。

 

「どっちのチームが勝ったッスか?」

 

 サクラダが叫ぶように答えた。

 

「そんなことどうでも良いじゃない!!……カツラダのチームよ……」

 

 前日と比べて明らかに消耗している棟梁を見て、エノキダもカツラダも不安になった。夢見が悪いということは、ハイラルではことさら不吉の前兆とされている。そうでなくとも、サクラダはもう若くない。厳しい旅路に耐えかねて、精神より先に肉体が悲鳴を上げているのかもしれない。

 

 だが、二人とも無骨な大工に過ぎなかった。二人にその道の知識はまったくなかった。だから、二人はとりあえず店員に相談をすることにした。

 

 エノキダから話を聞いた店員は、いかにも気の毒そうに、しかしさして驚いたふうもなく答えた。

 

「ああ、お客様も悪夢を見たのですか。お気の毒なことです」

 

 エノキダは言った。

 

「どういうことだ」

 

 店員は答えた。

 

「いえ、あまり大きな声では言えないのですが……」

 

 店員がヒソヒソと囁くように続きを言った。曰く、この馬宿に泊まる客の中には、毎晩悪夢を立て続けに見る人が必ず一定数いる。人だけではない、馬もロバも悪夢を見るようで、夜中に悲鳴を上げることはしょっちゅうである。

 

 エノキダが尋ねた。

 

「原因は分からないのか?」

 

 店員は答えた。

 

「それがですね、『どうやら闘技場跡地が関係してるんじゃないか』と魔物専門家は言うんですよ」

 

 闘技場跡地の周りには、赤いような黒いようなピンクなような、とにかく一見して体に悪そうなドロドロが地面にへばりついている。専門家の間ではそれを「怨念の沼」というらしいが、これが悪さをしているらしい。

 

「微粒子になった怨念が空気に乗ってここまで漂ってくるのだとか、そういう話らしいですよ」

 

 若いカツラダが率直な疑問を挟んだ。

 

「どうして俺たちは平気なんスか」

 

 店員はポリポリと頭を掻いた。

 

「感受性の豊かな人ほど怨念の影響を受けるらしいですよ。芸術家とか、吟遊詩人とか、そういう人がよく(うな)されてますね」

 

 エノキダが腕組みをして尋ねた。

 

「何とかならないのか。このままでは社長が倒れてしまう」

 

 店員は答えた。

 

「一番良いのは一刻も早くこの場から離れて、お(うち)に帰ることなんですけど……」

 

 エノキダは首を左右に振った。

 

「成果なしで退却するのを社長は承知しないだろう。治すなり、誤魔化すなり、なにか方法はないのか?」

 

 うーん、と店員は顎に手をやって考え込んだ。そして、「仕方ないか」と小さく呟くと、彼はカウンターへ行き、戸棚の中から一つの紫色の小瓶を取り出した。不思議な装飾が施された、ラベルも貼っていない小瓶だった。

 

 店員はエノキダへ向かって小瓶を差し出した。

 

「では、これを使ってみてください」

 

 小瓶の放つあまりにも怪しげな雰囲気に、エノキダは不審感を隠さなかった。

 

「これは?」

 

 店員は答えた。

 

「先にも少し話しましたが、ヒルトンだかキルトンだか、そういう名前の魔物研究者の方から貰ったものです。魔物の肝から抽出した、マモノエキスなんだそうで」

 

 エノキダは呆れたように言った。

 

「なんだ、毒じゃないか」

 

 店員は首を左右に振って否と示した。店員は言った。

 

「いえいえ、彼が言うには毒も薬も紙一重で、結局は用法と用量の問題なんだそうです。『魔物由来の病気や疾患にはマモノエキスを!』と力説してました。すごい早口な上に専門用語が多かったので、説明はよく分かりませんでしたが」

 

 エノキダは言った。

 

「効果はあるのか」

 

 店員は平然と答えた。

 

「うちの馬やロバたちにはマモノエキスを混ぜた飼料を定期的に食べさせてますよ。確かに夜中に悲鳴を上げることがなくなりました。他に悪い病気にもなってません。人間に使ったことはありませんが、たぶん大丈夫なんじゃないですか」

 

 エノキダは唸った。

 

「うーむ……」

 

 そんな怪しさ満点のものを飲ませて良いものだろうか。治るかどうか確証が持てないし、予期せぬ副作用もあるかもしれない。エノキダとカツラダは暫く話し合いをした。結局、二人はサクラダにすべてを話すことにした。

 

 静かに話を聞いていたサクラダは、疲れた表情に決意の色を示して、コクリと頷いた。

 

「いいワ。飲もうじゃない」

 

 エノキダが念を押すように言った。

 

「良いんですか?」

 

 サクラダは頷いた。

 

「アタシには夢がある。こんなところで休んでいられないのよ。さ、用意して頂戴」

 

 サクラダは大きなコップに一杯の水を持って来させると、それにマモノエキスを三滴ほど垂らした。水はみるみるうちに濃い紫色に変色した。心なしか、妙な臭いも漂ってきた。サクラダが、覚悟を決めたように言った。

 

「いくワよ……」

 

 鼻をつまんでサクラダは一気に水を飲み干した。ゴクリゴクリと彼の喉が鳴った。カツラダとエノキダ、馬宿の店員は、サクラダを見つめていた。

 

 飲み終えたサクラダが、言った。

 

「うん、不味いワ」

 

 店員が頷いた。

 

「それは不味いでしょうね。馬たちも悪夢を見る時よりマモノエキス入りの飼料を食べる時のほうが大騒ぎをするくらいで」

 

 サクラダが言った。

 

「でも、この不味さが却って効き目のありそうな感じを醸し出しているワ。今夜は良い夢見れそうよ」

 

 サクラダは毛布を被った。これで安心だと自分へ言い聞かせるような大きな鼾をかいて、彼は三日目の夜に挑んだ。

 

 

☆☆☆

 

 

 朝食のがんばりハチミツクレープを頬張りながら、サクラダはやや(やつ)れていながらも元気な表情を見せた。

 

「うん、まあ元気よ。悪い気分じゃないワ」

 

 カツラダが心配そうに尋ねた。

 

「今度はどんな夢だったッスか?」

 

 サクラダは言った。

 

「アタシの生首で大玉転がしよ」

 

 カツラダが叫んだ。

 

「やっぱり悪夢じゃないッスか!」

 

 カツラダを静かに見つめた後、サクラダは首を左右に振った。

 

「確かに悪夢よ。でもね、もう開き直ることにしたの。悪夢なら悪夢で楽しんじゃおうって。そう思ったら、不思議なんだけど活力が自然と湧いてきたのよ。それでアタシも観客席を降りて、大玉転がしに参加することにしたのよ」

 

 カツラダが尋ねた。

 

「首無しの体で?」

 

 サクラダは答えた。

 

「首無しの体でよ。生首の無精髭がチクチクと手のひらに刺さって痛かったワ。でもそれなりに楽しかったワね。二度とやりたいとは思わないけど。自分なりに悪夢に立ち向かった結果なのか分からないけど、寝覚めは悪くない。マモノエキス、確かに効果はあったのかもね」

 

 先にクレープを食べ終わったエノキダが、布巾で口を拭いながらサクラダに尋ねた。

 

「それで、今日はどうするんですか」

 

 サクラダは答えた。

 

「元気になったことだし、早速デグドの吊り橋を見に行こうと思うのよ。吊り橋と朝日、かつての死神将軍じゃないけど、きっとアタシに良いインスピレーションを与えてくれると思うワ」

 

 エノキダは言った。

 

「では、食事を終えたらすぐに出発しますか?」

 

 サクラダはわざとらしく驚いたような顔をした。

 

「あら、それはイヤよ、アタシ。まだ病み上がりなんだから、もう少し寝台で休んでいたいワ。店員さんも言ってたけど、ここを夜半過ぎに出ればちょうどデグドの吊り橋に差し掛かる頃に夜明けだそうよ」

 

 エノキダは頷いた。

 

「では、出発は今晩ということで」

 

 サクラダは言った。

 

「そゆこと。それまでせいぜいダラダラしていましょう」

 

 言うだけ言うとサクラダは席を立ち、洗面器と剃刀と石鹸を持って外へ出ていった。彼はご機嫌に鼻歌まで歌っていた。どうやら裏の井戸で彼はひげ剃りをするようだった。

 

 エノキダとカツラダは顔を見合わせた。カツラダは言った。

 

「社長、すっかり元通りッスね!」

 

 エノキダは諦めたように首を振った。

 

「おかげで休みは終わりだ。俺は夜に備えて一眠りする。お前もしっかり仮眠をとっておけ」

 

 元気だけが取り柄の後輩に先輩としてアドバイスしつつ、エノキダの頭はぼんやりと別のことを考えていた。店員にお礼としてルピーをいくら包むべきか? ふと、彼は外の景色へ目をやった。一昨日来の雨は止み、水たまりには青い空と白い雲が映っていた。

 

 このまま良い天気が続けば、それに越したことはないが。エノキダはなんとなく不安を覚えた。

 

 

☆☆☆

 

 

 予定通り、サクラダ工務店一行は夜半過ぎに馬宿を出発した。三人ともその腰に、朝食として食べる予定の弁当の包みを下げていた。

 

 包みの中身は、山菜おにぎりとツルギバナナであった。馬宿に弁当を作ってくれるよう頼むと、わざわざおにぎりを用意してくれたのだった。

 

「ハテール地方の人はお米がお好きだと聞きました。ちょうど材料があったので作ってみたんです。お口に合うと良いのですが」

 

 バナナは、行商人から購入したものだった。どうしても仮眠からすぐに目覚めてしまうカツラダが気分転換に外をぶらついていたところ、バナナの行商人に会ったのだった。行商人は愉快な調子で口上を述べていた。

 

「さあさあ買った、さあ買った、バナちゃんの因縁聞かそうか! 生まれは南国フィローネで、親子諸共もぎ取られ、箱に詰められ牛に乗り、ゆらり揺られて道千里、着いたところが平原外れ! さあさあいくらで売ったろか!」

 

 カツラダは叫んだ。

 

「買ったッス!」

 

 行商人は嬉しそうに答えた。

 

「おっ、可愛いバナちゃん買ってくかい! 大特価、一房(ひとふさ)九十九ルピーだよ! さあさあ買ったさあ買った!」

 

 それはいかに言っても高すぎた。カツラダは言った。

 

「高えッス!」

 

 行商人は即座に答えた。

 

「そんなら一房三十三ルピーで良いよ! さあさあ買った、さあ買った! 可愛いバナちゃんさあ買った!」

 

 カツラダは結局六房を購入し、合計百九十八ルピーを支払った。経費ではなく、自腹であった。極端な値下げに思うところがないわけでもなかったが、大のバナナ好きの彼としてはこのチャンスを見逃すわけにはいかなかった。馬宿に帰ると、彼はサクラダとエノキダに言った。

 

「バナナ買って来たッスよ! 二人の分もあるッス!」

 

 寝台に横になって本を読んでいたサクラダが、カツラダに視線をやってから言った。

 

「アラ、ありがたいワね……って、ちょっと量多くない?」

 

 椅子に座って考え事をしていたエノキダも、バナナの量を見て言った。

 

「バナナばかり、こんなに食べられんぞ」

 

 カツラダは大きな声で言った。

 

「そんな! デグドの吊り橋まで結構距離あるッスから、着いたらきっとお腹ペコペコッスよ! そしたらこれだけのバナナなんてペロリッスよ!」

 

 サクラダは、あまり関心のなさそうな声で言った。

 

「そ。ま、食べ切れなかったらカツラダに返すワ」

 

 

☆☆☆

 

 

 星空の下、サクラダ工務店一行は暗い街道を進んだ。先頭を行くのはエノキダだった。その手にはたいまつを持っていた。念のために用心棒を雇おうかと三人は検討したが、最近のここら一帯の魔物の活動は低調ということだったので、サクラダはそれを却下した。

 

 黙々と三人は歩き続けた。いや、黙々と歩いていたのは二人だけだった。たった一人、棟梁のサクラダはすっかりいつもの調子で話し続けていた。

 

「建築家と大工さんの違いって分かるかしら。建築家も大工さんも職人であることには変わりない。問題は、どういう技術をもっているかよ。大工さんの技術は手仕事に特化してるワね。材木を寸法通りに切断したり、鉋をかけたり、真っ直ぐに釘を打ち込んだり。でも建築家の技術はそうじゃないの。建築家はね、頭の中にある家の形を実体化させる技術を持ってるの。だから言うなれば、部下の大工さんをいかに動かすか、どんな材料をどれだけ集めるか、コストを掛けるべき箇所と省くべき箇所をいかに見極めるか、こういう全体を俯瞰的に眺める力こそが彼の技術であって……」

 

 はい、はい、と適当に棟梁の話に相槌を打っていたエノキダだったが、ふと彼は足を止めた。

 

「おお……」

 

 サクラダが尋ねた。

 

「どうしたの、エノキダ」

 

 エノキダは言った。

 

「あれを」

 

 エノキダが指さした先には、夜空の星々と月の光をキラキラと反射する湖があった。ぼんやりとした白い浮島が、本当に宙に浮いているように闇夜に浮かび上がっていた。それに木製の吊り橋がかかっていた。三人はデグドの吊り橋に到着したのだった。サクラダが言った。

 

「ああ、ようやく着いたのね」

 

 頷きつつ、エノキダが言った。

 

「朝まで休憩にしますか」

 

 サクラダは答えた。

 

「いえ、伝承によると死神将軍はデグドの吊り橋の真ん中で最期の朝日を見たそうよ。アタシたちもとりあえず真ん中まで行ってみましょう」

 

 その時、たいまつがジュンという音を立てた。ポタリ、ポタリと周囲に音がした。雨が降ってきたのだった。カツラダが叫んだ。

 

「うわ、雨なんてサイテーッス!」

 

 エノキダがサクラダに尋ねた。

 

「引き返しますか?」

 

 ちょっと怒ったような口調でサクラダが言った。

 

「何言ってんの。こんなのただの(にわか)雨よ。(じき)に止むワ。さ、先へ進みましょう」

 

 暗夜に雨に吊り橋、こんな中を行くなど、普通ならば自殺行為である。だが、三日間も寝台で横になっていたサクラダはもはや我慢の限界だった。多少の危険を冒してでも、朝日は絶対に見る! 雨はきっと上がると信じる! サクラダは信念の人であった。そして彼は信念が裏切られたことをコロッと忘れる、忘却の人でもあった。

 

 コツコツと足音を鳴らして三人は吊り橋を渡った。雨で消えかかったエノキダのたいまつが弱々しく周囲を照らしていた。若いカツラダは「高い」だの「怖い」だのと悲鳴を漏らしていたが、一方サクラダは鋭い目を辺りに配っていた。設計は古いが、強度はしっかりと確保されている。乱雑だが、補修も定期的に行われているようだ。平原外れの馬宿が橋の整備をしているのだろうか?

 

 そろそろ、真ん中の一番大きな浮島へ着くという時になって、突然、先頭を行くエノキダが立ち止まった。彼は言った。

 

「む、止まってくれ」

 

 サクラダが少し声量を落して言った。

 

「どうしたの?」

 

 エノキダは言った。

 

「何かがいる……魔物かもしれない。見てください」

 

 エノキダの低く小さい声に従って、サクラダとエノキダもその方向を見つめた。闇に紛れ込むようなシルエットで分かりづらいが、たしかにエノキダが言うように、何かが浮島の中心にいるようだった。エノキダは言った。

 

「もう少し近寄って、様子を見てみましょう」

 

 カツラダが言った。

 

「えっ、それって危なくないッスか?」

 

 エノキダの代わりにサクラダが答えた。

 

「たぶん大丈夫よ。魔物とか野盗だったらアタシたちがここに来てる時点で気づいてるだろうから、向こうからこっちへ来るはず。そうじゃないってことは、少なくとも敵意はないってことよ」

 

 三人は恐る恐る、忍び足で浮島の中心地へ向かった。彼らは腰をかがめて、低い姿勢で丈の高い草影に隠れた。

 

 そこには、奇妙なシルエットの人間がいた。その人間は、一生懸命スコップで地面をコツコツと探っては掘っていた。そっと聞き耳を立てると、ブツブツと喋っている声が聞こえてきた。

 

「なるほど、なるほど。ここを掘って、そう、骨だ、骨だ! この骨の形、それならばここを掘れば……ほらあった、あった! このサファイアの首飾り、間違いなく例の黒いヒノックスの持ち物……やはり私の仮説の通り、伝説の『吊り橋上の化物』は二体いたのだ……そうなると英傑に倒されたもう一体は何処へ……いや、確か闘技場の古い記録には……」

 

 三人は顔を見合わせた。エノキダが言った。

 

「見るからに怪しいな」

 

 サクラダが言った。

 

「魔物ではなさそうだけど、何をしてるのかしら?」

 

 エノキダがまた言った。

 

「とりあえず、声をかけてみるか」

 

 サクラダが頷いた。

 

「危ない相手だったらすぐに逃げましょう」

 

 カツラダが能天気な声を出した。

 

「逃げ足だけは自慢ッス!」

 

 サクラダがカツラダを叱りつけた。

 

「お馬鹿! 棟梁を見捨てて真っ先に逃げる大工さんがどこにいるのよ! カツラダはアタシを逃がすために(デコイ)になるのよ!」

 

 エノキダが言った。

 

「しっ、静かに。やつに声を掛けてみよう」

 

 エノキダはさっと立ち上がると、人影へ声を掛けた。

 

「おい! ここで何をしている!」

 

 突然の誰何(すいか)に、その人影はスコップを放り捨てて、面白いほどに飛び上がった。その手には何やら青色に輝く物があった。謎の人物は甲高い声で絶叫した。

 

「ひっ、ひぇえええ!!」

 

 人影は、一目散に吊り橋を目指して北へとドタドタと足音を立てて走り始めた。サクラダたちは叫んだ。

 

「待て!」

 

 エノキダが追いかけた。サクラダとカツラダが後に続いた。逃げる人影は思ったよりも素早く、すでにかなりの距離が開いていた。

 

「あっ!」

 

 吊り橋を渡ろうとしたエノキダが、つるりと滑って転んだ。どうやら雨で橋板が滑りやすくなっていたようだった。彼の大柄な体が橋の縁へと滑った。どこかに掴まる(いとま)もなかった。ザリザリと崖を滑り落ちる音がした後に、バシャンという大きな着水音が響いた。エノキダが転んでから、僅かに数秒しか経っていなかった。

 

 サクラダとカツラダの悲痛な叫びが響いた。

 

「あ、エノキダ!」

「エノキダさぁーん!」

 

 追っていた人影は、もはやどこにも見えなかった。

 

 

☆☆☆

 

 

「おーい! エノキダ! エノキダ! 生きてる!? 生きてるなら返事をしてェ!! エノキダー!!」

「エノキダさーん! エノキダさーん! 返事をしてくださいっス! エノキダさーん!」

 

 二人は、まだ下にいるであろうエノキダへしばらく呼びかけを続けていたが、どうにも向こうからの返事は聞こえてこなかった。呆然としつつ、カツラダが言った。

 

「どうしよう……エノキダさん、死んじまったとか?」

 

 サクラダは力強い目線をカツラダに返した。そして彼は言った。

 

「お馬鹿ね、この程度でエノキダは死なないわ。声が出せないほど怪我をしたか、もしくは、この浮島の独特の構造のせいで、下からの声が上へと反響しないようになってるのよ」

 

 カツラダが言った。

 

「それじゃあ、俺が降りて助けに行くッス!」

 

 サクラダは言った。

 

「もう、カツラダは本当に短慮ね! この雨の中じゃ崖下りはプロだって諦めるわ」

 

 カツラダがどこか憤然として言った。

 

「じゃあ、どうすれば良いッスか!」

 

 サクラダは冷静な声で答えた。

 

「カツラダ、あなたは急いで馬宿に戻るなり近場の廃墟を漁るなりして、長くて丈夫なロープを調達してきて頂戴。それを下に垂らしてエノキダを救出しましょう。時間はかかるけど、それが一番確実で安全よ」

 

 カツラダはやや落ち着きを取り戻した。彼は言った。

 

「社長はどうするッスか?」

 

 サクラダは答えた。

 

「アタシはここで待機しとくワ。さ、早く行ってらっしゃい!」

 

 走る時に邪魔なんでと言って、カツラダは弁当とバナナが詰まった大きな包みを置いていった。先ほどまで吊り橋を怖がっていた彼だったが、今回は迷いも見せず、全力疾走で馬宿方面へ走っていった。

 

 空はやや明るくなった。どうやら夜明けを迎えたようだった。それでもいまだにしとしとと、陰気な雨は降り続いていた。

 

 サクラダは俯き、ため息をついた。

 

「朝日は見れなかった。不審者は捕まえられなかった。エノキダは滑落した。ああ、余計なことなんてするんじゃなかったワ! 不審者なんてほっとけば良かったのよ!」

 

 突然、彼の背後からエノキダの声がした。

 

「社長」

 

 失望のあまり幻聴までするようになったかと、サクラダは自分の情けなさにガッカリとした。ガッカリとしつつも、彼は振り返った。

 

 思わず、サクラダは我が目を疑った。

 

「は?」

 

 それは、信じがたい光景だった。そこには、エノキダがいた。上半身裸のエノキダが宙に浮いていた。素肌を晒した両肩に赤いトゲトゲの風船がついており、ふわふわとゆっくりと上昇を続けていた。エノキダが言った。

 

「社長、引っ張ってください」

 

 サクラダは、エノキダの足に目をやった。誰かがエノキダの足に掴まっていた。そいつは、ピッタリと体に張り付くような臙脂色(えんじいろ)のスーツとタイツを身に着けていた。若い女だった。氷の如き美貌で、澄んだサファイア色の双眼が闇の中で光っていた。そして、見事な金髪のポニーテールをしていた。

 

 何故かその女は、一心不乱にバナナをもぐもぐと貪り食っていた。

 

 エノキダが急かすように言った。

 

「社長、そろそろオクタ風船が割れる。早く引っ張ってください」

 

 空を飛ぶ上半身裸のエノキダに、片手でエノキダの足に掴まりながら、もう一方の片手でバナナをひたすら貪り食う謎の無表情の女……

 

「意味が分からないワ……」

 

 サクラダの精神は、混迷を極める一方だった。




 最近見た悪夢は、タッパーに詰まった胎児に指先で心臓マッサージを施そうとする夢です。いや、ホントに怖かった。


※皆様。いつもお世話になっております。早いもので第十五話となり、字数もほぼ10万字となりました。これも皆様の応援あってのことでございます。日々増えていくUA数に心をときめかせ、頂いた感想と評価に感激し、ありがたくも誤字報告までして頂きましたこと、本当に感謝の念に堪えません。改めまして、本当にありがとうございます。今後も何卒よろしくお願い申し上げます。(2018/02/22/木)
※加筆修正しました。(2023/05/06/土)
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