ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第十六話 幸せの形、幸せな記憶

 人は働く。ガンバリバチのようにせかせかと、ガンバリバッタのように跳ね回りながら、ポカポカアゲハのようにキリキリ舞いをして、人は働く。

 

 生まれも育ちも関係ない。人である限り、働くことから無縁ではいられないのだ。農民はクワを振るって畑を耕し、漁師は網を打って魚をとり、鍛冶師はハンマーを振るって鉄を打つ。庶民だけではない、かつて存在した王も貴族も金持ちも、みんな労働から解放されるほどに幸せな人々では決してなかった。

 

 悲観主義的な詩人は「労働とは、人類最大の不幸」と歌い、しかつめらしい顔をした神官や坊主は「労働とは、天が人に与えた使命にして恩恵」といった。

 

 だが、実際のところ、労働そのものは大して不幸ではない。本当に不幸と言えるのは、「自分の才能と適性を活かせない」労働をやらなければならないということだ。

 

 しかしながら、そのことも一般人にとっては大したことではない。というのは、世の中はそんな人間が大半だからである。人々は、本当はこんなはずではなかったという懊悩(おうのう)を抱えて、さして面白くもない仕事に従事している。人は愛のない、苦悶に満ちた仕事をせざるを得ない。

 

 さらに不可解なことがある。それは、明らかに才能も適性もないのに、それを天職と思い込んで精励する人間がいるということである。子どもの落書きにしか見えない風景画をせっせと量産する画家、ハエも寄り付かない料理のようなナニかをせっせと量産する料理研究家、プロの宝箱ギャンブラーを目指して空っぽの財布をせっせと量産するばくち打ち……

 

 彼らは自分の仕事に誇りを持っている。彼らは決して自らを疑わない。彼らは満ち足りていて、幸福である。

 

 つまり、この滅びの時代にあっても、心の底から幸せな人々は確かに存在するというわけだ。

 

 

☆☆☆

 

 

 平原外れの馬宿で用心棒をしているウドーも、才能がないのに仕事に惚れ込んでいるタイプの人間だった。

 

 彼の体格は、大して優れていなかった。その手足は女のように白く細かった。血飛沫(ちしぶき)(まみ)れる闘争に必要な筋肉が、彼にはまったく不足しているのが一見してよく分かった。

 

 その容貌もよろしくなかった。彼の頭にはボサボサの黒髪が生えていて、顔は平凡だった。平凡さが一種の優しさを生んでいたが、それを魅力的と感じるかどうかは人それぞれだった。彼はメガネをかけていた。どう見ても、彼は強そうではなかった。どんなに良く見積もっても、彼は「考古学者志望の冴えない書生」といったところだった。

 

 こんなウドーを宿長が用心棒として紹介すると、大抵の客は困惑した。

 

「えっ、こんな弱そうな人が用心棒?」

「なんだか、部屋にこもって本でも読んでいたほうが良いんじゃないか、君は」

「こんなオッサンに守られるほど落ちぶれてはいないぞ!」

 

 しかし、ウドーには素晴らしい長所があった。それは、決してめげないということであった。渋る客に対して、彼は快活な態度と明晰な言葉遣いで用心棒の必要性を諄々と説くのだった。しかも、彼は自信たっぷりにそれを(おこな)うのだった。

 

「お客様の行く道の先には、つい先日ボコブリンの小拠点ができました。まだ街道にまで出てきて悪さをするようなことはしていませんが、万一に備えて俺を雇うことを強くお勧めします」

「俺は確かに体格は平凡で、剣技も平凡です。ですが、それを補って余りある知恵があります。どうか安心して護衛をお任せ下さい。ちなみにこれまでの護衛成功率は百パーセントです」

 

 いつも彼はメガネを輝かせ、自信たっぷりに相手の目を見つめ、断言した。そんなウドーの売り込みを受けると、それまで不信感を持っていた客たちはコロリと考えを変え、護衛を依頼してしまうのだった。「どうしてこんなに有能な人の護衛を断ろうとしていたのだろう」と、彼らは不思議に思うのだった。

 

 そんなウドーだったが、肝心の戦闘はからっきしであった。彼の剣技は(にぶ)く冴えないもので、槍は使えず、盾は自分を守るだけで精一杯だった。弓だけはまあまあ使えたので、彼はこれをメインの武器としていた。

 

 彼は事前に綿密な調査をし、予定ルート上の会敵可能性を計算し、無理な戦闘は避け、やむを得ない場合は弓で勝負した。彼は同業者よりも人一倍努力していたが、成果は大して変わらないので、効率は非常に悪いと言わざるを得なかった。

 

 要するに、ウドーは生まれてくる時代を間違えたのだった。人を説得し契約を取り付け、綿密な調査をし、あらゆる可能性を検討することができるという才能は、明らかに商人向けのものだった。城下町に大商人が商館の軒を連ね、引きも切らず人々が多種多様な商品を買い漁っていた、大厄災以前のあの夢のような時代、あの時代にあっては、ウドーはひとかどの商人として名を馳せたかもしれない。

 

 そういう才能に満ちた人間が、今の時代では一匹の用心棒に過ぎないのだった。いざとなれば依頼人の盾となり、体を張ってボコブリンやモリブリンと斬り合いをしなければならない用心棒を、世が世ならば一流の商人となったであろう人間がしなければならない。

 

 だが、ウドーはこの用心棒という仕事が大好きだった。

 

「たしかに、俺は弱いさ。全ハイラルでも下から数えたほうが早いくらい弱い用心棒さ。でもさ、楽しいんだよ、この仕事は。命を削って魔物と命のやり取りをしている瞬間、俺の心は楽しさで(はず)むんだ。変人と思うかい? なに、世の中もっと変なやつはいっぱいいるよ……」

 

 そんなわけで、ウドーは日々幸せに暮らしていた。モリブリンが全力で振り抜くモリブリンバットを何とか(かわ)し、小さな弓で矢を飛ばしてチクチクとダメージを与えるような、そういう稚拙極まる戦いをしていても、彼の心は仕事をしているという歓喜で満たされているのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 そんなウドーをムッとさせる出来事があった。

 

 それはある日の夜のことだった。馬宿の店長がウドーを呼んだ。彼が呼ばれた先へ行ってみると、三人の奇妙な男たちがいた。みんな青い印半纏を着ていて、腰にはゲンノウをさげていた。それはハテール地方から来た、サクラダ工務店一行とのことだった。

 

 事情を聞いてみると、工務店の三人はこれから夜半過ぎに馬宿を出て、デグドの吊り橋を見に行くとのことだった。そこで用心棒の雇用を検討したいということだった。

 

 早速ウドーは、熱弁を振るって自分を売り込んだ。

 

「夜中の街道を三人で行くのは大変危険です。ここは是非用心棒を雇うべきです。俺ならば護衛はもちろん、周辺の観光案内もできます。まさに一石二鳥とは思いませんか。それに……」

 

 熱心なウドーとは対象的に、頭にピンクのねじり鉢巻をした棟梁はどこか冷めた視線をじっと彼に向けていた。棟梁は気乗りしない感情を含ませた口調で尋ねた。

 

「あー、ウドーさんと言ったかしら。随分とお詳しいようだから訊くけど、ここら一帯の魔物の活動はどうなの? 活発? 低調?」

 

 ここでウドーは少し嘘をつくべきだった。だが、彼は用心棒としては正直者すぎた。

 

「幸い魔物の活動は低調です。最近は目撃証言すらありません。ですが……」

 

 正直に状況を伝えたウドーの言葉を聞いて、棟梁は話は終わったとばかりにパンっと手を叩いた。

 

「そんなら問題ないワね! うちにはエノキダとカツラダもいるし。あなた、またの機会ってことでヨロシクねー」

 

 馬宿の店長も棟梁へ用心棒の雇用をそれとなく勧めたが、彼はにべもなく断った。三人はほどなくして暗い夜空の下、街道をデグドの吊り橋方面へ歩いていった。

 

 

☆☆☆

 

 

 サクラダ工務店一行が出て行った後、ウドーは、自棄酒(ヤケざけ)を喰らっていた。彼は強い蒸留酒をコップに並々と注いで、グイグイと胃の腑に流し込んでいた。見るからに無謀で、無茶な飲み方だった。

 

 ウドーはガンッ、と乱暴にコップをテーブルに叩きつけた。彼は「ハーッ」という酒気たっぷりの溜息をついた。いかにも憤懣せんやる方なしというふうだった。

 

 ウドーはしばらくそのまま俯いていた。突然、彼は怒声を上げた。

 

「クソ! 何なんだ! クソ!」

 

 店長が呆れ顔で彼を慰めた。

 

「まあまあ、仕事が取れなかった程度でそこまで怒らないで。あの棟梁は随分変わり者ですし、今回は運が悪かったんですよ。それにしても、お酒を少し過ごされ気味では? そろそろ止めたらいかが?」

 

 ウドーはグイッと残りを飲み込んだ。彼は喉が焼き尽くされるような感覚がした。ぼうっとする視界、クラクラする頭が、自分は今酒を飲んでいるのだという思いを強くさせた。そしてその口からは、不満、愚痴、ぼやきが芋虫の行列のように出てきた。

 

「あの棟梁、俺が話してるのを見てどんな顔していたと思う? 面倒臭そうな顔? 興味のない顔? 苛立ち? そうじゃない、あいつ、あいつは……」

 

 彼は乱暴に蒸留酒の瓶を掴むと、なみなみと茶褐色の中身を注いで、グイッとまたもう一杯あおった。ウドーの顔はすでに真っ赤だった。

 

「あいつ、俺を(あわ)れんでいた! 何故だ! 憐れむなんて、憐れむなんて! あんな目で見られたのは初めてだ! あんな風に見られるのは耐えられない! 酷い侮辱だ! 用心棒ってのは舐められたらオワリなんだ! だってのに!」

 

 激昂し、ここまで一息に喋った後、バンッと音を立ててウドーはテーブルに突っ伏した。そして、グウグウと(イビキ)をかき、三回目の鼾の直後に、ガバッと突然起き上がった。

 

 隣に立っている店長にウドーは訊いた。

 

「今、俺は寝てたか!?」

 

 店長は呆れ顔をした。

 

「寝てましたよ」

 

 ウドーは立ち上がると、あたりをグルグルと歩き始め、空いている寝台へ身を投げ、また鼾を二回か三回かき、それからまた飛び起きた。彼は自分の柳行李(やなぎごうり)を開けると、急に装備を取り出して身に纏い始めた。

 

 突然の行動に店長は驚いた。

 

「何をするつもりですか!?」

 

 決意と憤懣をないまぜにした真っ赤な顔のウドーが、吐き捨てるように言った。

 

「今からアイツらを追いかける。やっぱり俺が必要だったんだと思い知らせてやるんだ! あのスカした棟梁の目ん玉をひっくり返させてやるぞ!」

 

 言うやいなや、彼はフラフラとした千鳥足で宿の外へ出て行った。

 

 慌てて店長は後を追いかけた。

 

「あー、待った待った。まったく、あなたの怒りどころはよく分からないな! とにかく行くって言うなら止めはしませんけど、せめてたいまつくらいは持っていきなさい……」

 

 

☆☆☆

 

 

 幸せな記憶、暖かな記憶、泣きたいほどに懐かしく、胸を締め付けられるほど切ない記憶……それはどんなにつまらない人間でも必ず持っている、精神という神殿の内奥に安置された、絶対に奪われない煌めく財宝である。

 

 バナーヌには、十歳より以前の記憶はない。そんな彼女にも幸せな記憶というものはやはりある。

 

 イーガ団に来てしばらく経った頃だった。バナーヌは病気になった。高熱が続き、全身の関節が痛み、意識が朦朧とした。彼女はただの風邪だろうと診断され、適当な薬を投与された。寝台にしばらく放置されていた彼女だったが、数日経っても熱が下がらなかった。

 

 普通の温かな家庭ならば、子どもが病気になった場合、母親は付きっきりで看病し、粥を煮て、氷嚢を取り替え、優しく頭を撫でてくれるものだ。父親は栄養のつく食べ物と薬を求めて村を駆け回り、爺さんと婆さんは他の子どもたちを引き連れて女神像へお祈りを捧げに行くものだ。

 

 だが、そこはイーガ団であった。バナーヌには、優しい母親も、温かな父親も、愛溢れる家族もいなかった。そして、イーガ団の中に、それらの代わりをしようという奇特な者もいなかった。もしかしたらいるのかもしれなかったが、下手に手を出して上役から睨まれるのを全員が恐れていたから、結局は同じことだった。

 

 バナーヌには友達もいなかった。同じ年代の子どもたちはいたが、それは友達ではなく、生存競争の競合者だった。甘い友情の代わりにひりつくような敵意を! 競争、競争、息つく間もなき競争を! イーガ団の教育方針はおおまかこんなところだった。

 

 だから、バナーヌに友達などできるわけがなかった。第一、彼女は子どものくせに妙に無口でおとなしかったため、仮に競争主義がなくとも友達を作るのは難しかっただろう。

 

 たまに、彼女の枕元へ医師がやってきた。医師は彼女の脈を取り、舌を見、眼球を観察し、やる気なく診察をすると、カルテに何やらカリカリと書き込んで、終わりに決まってこう言って去っていった。

 

「まったく良いご身分だな、食っちゃ寝三昧とは。さしずめ仕事仕事仕事の俺たちは奴隷で、お前は王様といったところかな、ハハハ……」

 

 その頃はまだ幼く、純粋だったバナーヌの心は、その度に非常に傷つけられた。力の入らぬ体で苦労をして寝返りを打ち、彼女は横向きになった。綺麗なサファイアの瞳から涙がポロポロと溢れた。

 

 孤独、まったくの孤独だった。窓からは月の光が差し込み、医務室は闇と静寂に包まれていた。ネズミの這い回る音すら聞こえなかった。

 

 はらはらとバナーヌの涙は流れた。熱は引かない、意識ははっきりしない。自分はこのまま死んでしまうのだろうか。いや、死んでも良い。死んでしまいたい。こんなに寂しくて悲しいのなら、ひっそりと死んでしまいたい……

 

 突然、バナーヌの背後から小声で誰かが話しかけてきた。

 

「……バナーヌ、バナーヌ……」

 

 涙も拭わずに、バナーヌは振り返った。

 

 そこにいたのは、小さな女の子だった。確か、名前はノチといっただろうか。おかっぱに切り揃えた黒髪の下で、ぱっちりとした双眼が輝いていた。彼女は腰をかがめ、心配そうにバナーヌの顔を見つめていた。

 

 涙に気づいたのだろうか、ノチは遠慮がちにバナーヌに訊いてきた。

 

「……泣いてたの?」

 

 バナーヌは強がりを言った。

 

「……泣いてない」

 

 その言葉に気圧されたノチは、しばらく押し黙っていた。数秒か数分か、小さな二人の女の子は静かに見つめ合っていた。

 

 しばらくして、ノチは意を決したように「よしっ」と呟くと、何やら包みを開いてその中身をバナーヌに差し出した。

 

「これ、あなたにお見舞いだよ」

 

 バナーヌの目が驚愕に見開かれた。

 

 ノチが差し出していたのは、バナナだった。暗い中でもはっきり分かる、丸々と実の詰まった、新鮮で黄金に輝くバナナだった。それも、三本あった。一本だけでも貴重なのに、三本もあった。

 

 バナーヌはしどろもどろに言った。

 

「えっ、これって……バナナが……その……」

 

 ノチはにっこりと微笑んだ。

 

「あなたが病気って聞いて、お見舞いしなきゃって思ったの。お小遣いを全部使っちゃったけど、何とか三本だけ用意できたんだ」

 

 驚愕のまま固まっているバナーヌに、ノチはなおも促した。

 

「ねぇ、せっかくだし、今食べてよ。今日のお昼に倉庫番から買ったからまだ新鮮だよ。あっ、剥いてあげたほうが良いのかな。ちょっと待ってね」

 

 ノチはバナナを手早く剥いて白い中身を出した。食べやすいように、ノチは皮を剥いたバナナをバナーヌの口元へ運んでいった。

 

「ほら、あーんして、あーん」

「……あ、あーん」

「ほら、パクっと! そうそう、もう一口! あーん!」

「……あ、あーん」

 

 一口、二口と食べる度に、バナーヌの冷え切っていた心が温められた。

 

「美味しい……」

 

 ゆっくりと、バナーヌはバナナを咀嚼した。正直なところ、味はよく分からなかった。それでも、自分が今食べているのはこの世で一番のご馳走なのだと、バナーヌは心の底から確信していた。

 

 バナーヌの両目から温かい涙が流れ出した。滾々と湧き出るように、感謝と幸せの気持ちが凝結した濃い涙が、ポロポロと彼女の目からこぼれ落ちた。

 

「……美味しい、本当に……」

 

 ノチは笑っていた。ノチは片方の手で優しくバナーヌの金髪を撫でながら、片方の手でバナナを食べさせた。彼女は言った。

 

「明日もまた来るからね……」

 

 月の光がノチを優しく照らしていた。バナーヌには、彼女がとても美しく、神々しいものに思えた。

 

 それ以来、バナーヌとノチは友達になったのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 デグドの吊り橋の、その真ん中の浮島に、三人の人影があった。

 

 サクラダはエノキダの両肩を掴むと、いかにも感激したというふうに言った。

 

「エノキダ、本当に無事で良かったワ! 一時はどうなることかと……まあ、アナタが滑落程度で死ぬような男とは思ってなかったけど。ネェ、怪我はしてない?」

 

 エノキダはいつものように無愛想だった。何でもないというように彼はサクラダに答えた。

 

「少し足を挫きました。歩くのには問題ありませんが、走るのは無理です」

 

 バナーヌはその時、二本目になるバナナの皮を剥いていた。丁寧に、祈りを込めて、心をバナナの天使へ向けて、彼女は黄色い皮を剥いた。そして、万感の思いを込めて彼女はバナナを口へ運んだ。

 

「……モグモグ……」

 

 バナナを黙々と食べる奇妙極まりない女をあえて無視するように、サクラダとエノキダは話を続けた。サクラダが言った。

 

「カツラダにロープを探しに一人で行かせちゃったんだけど、早まったかしら?」

 

 エノキダは言った。

 

「カツラダは足が早い。今から追いかけても追いつかないでしょう」

 

 サクラダは困った顔をした。

 

「どうしたものかしら?」

 

 エノキダは答えた。

 

「俺達も馬宿へ帰りますか」

 

 サクラダは空を仰ぎ見た。

 

「……この天気じゃ、朝日を拝むのはもう無理ね。しかたないワ。撤収して再起を図ろうじゃない」

 

 バナーヌは三本目の皮を剥き始めた。これも良いバナナだった。

 

「……モグモグ……」

 

 不意に、サクラダがクツクツと笑いだした。

 

「それにしてもオクタ風船で飛ぶエノキダが見れるなんて……ほんっとーに気色悪い光景だったワ! でも、その分だけインスピレーションがガンガン湧いてきたワ。怪我の功名ってやつかしらね」

 

 エノキダは不愛想な顔のまま答えた。

 

「怪我をしたのは俺ですが」

 

 バナーヌは四本目の皮を剥いた。彼女は祈りを込めて皮を剥いた。「……食せよ、なお食せよ。バナナは希望である。しかし、バナナよ、汝は我が栄え、我が頭をもたげさせるものなり……」 祈りの言葉は彼女の心の中でだけ響いた。

 

「……モグモグ……」

 

 ここで初めて、サクラダはバナーヌのほうへ顔を向けた。彼は不審感たっぷりに彼女を頭から爪先までじっくり観察した。

 

 臙脂色(えんじいろ)のピッタリとしたスーツを身に纏ったその女は、いまだにバナナを一心不乱に食べ続けていた。ハイリア人のようではあるが、これだけの美しさを持った女性を見かけることはなかなかなかった。というより、そんなことは今のご時世では絶無だった。整ったその顔立ちは彫刻芸術を思わせ、澄んだサファイア色の双眼は冷たい光を放っていた。何より目を惹くのが、金髪のポニーテールだった。

 

 無表情でバナナをもぐもぐし続ける女に不気味さを感じながらも、サクラダは一個の大人として彼女に挨拶をすることにした。

 

「それで、アナタがうちのカツラダを助けてくれたのよね? 感謝するワ。アタシはサクラダ。サクラダ工務店社長、兼棟梁、そしてデザイナーよ」

 

 バナーヌは手に持っていたバナナを食べ終えてから、ようやく言葉を発した。

 

「サクラダ?」

 

 サクラダは少しムッとした。なにこの娘、せっかくこっちが挨拶したのに、その返答はなんなのかしら……教育がなってない!

 

 だが、サクラダは出来た大人であった。彼は大きな心で女の無礼を許してやることにした。

 

「そう、サクラダ工務店を知らないのね。まあこんな辺境じゃ知られてないのも仕方ないかもね。良いワ、サクラダ工務店ってのはね……」

 

 サクラダは急に姿勢を正した。そして彼は喉から低い声を出すと、独特の節回しの歌と奇妙な踊りを始めた。

 

「新築 減築 解体 外構〜

 家の 事なら なんでも ございっ♪」

 

 五本目のバナナの皮を剥きながらそれを見ていたバナーヌは、ポツリと呟くように言った。

 

「それ、もう見た」

 

 だが、サクラダはお構いなしだった。

 

「その名も サクラダ

 DADADA サクラダ工務店〜」

 

 バナーヌはまた言った。

 

「もう見た」

 

 サクラダはめげなかった。

 

「さくらだっ DADADA さくらだっ♪」

 

 バナーヌはまたまた言った。

 

「もう見た」

 

 一際キレの良いポーズをサクラダは決めた。こうなれば大盤振る舞いである。彼はその場で華麗に一回転をした。

 

「フワフワ」

「シャキーン!」

 

 トドメとばかりに、彼はウィンクまでした。

 

 だが、渾身のプロモーションを終えたサクラダの足元に、ブスリと音を立てて二本の矢が突き刺さった。見れば、バナナを食べていたはずの女が、今度は弓を構えていた。そのサファイアの目は異様に鋭かった。

 

 突然向けられた殺意に、サクラダは激しく動揺した。

 

「な、なにをするのヨ!?」

 

 だが、その様子を見ていたエノキダは、棟梁とは対照的に落ち着いていた。彼はバナーヌに話しかけた。

 

「落ち着け、妙な動きでは決してない」

 

 しばらくバナーヌは無言でサクラダを観察していた。やがて、どうやら無害そうだと分かると、彼女は弓を降ろした。彼女は言った。

 

「もっとバナナをよこせ」

 

 サクラダは困ったふうにエノキダを見た。エノキダは社長へ耳打ちした。

 

「上に戻してもらう代わりにバナナを二十本やると取引したんです。社長のバナナをやってください」

 

 サクラダは頷いた。

 

「ああ、そういうこと……でも、なんでバナナなの?」

 

 エノキダは答えた。

 

「理由は分かりませんが……たぶん、バナナが好き過ぎるんでしょう。シーカー族のことわざにも『無くて七癖あって四十八癖』と言いますから」

 

 サクラダは、どこか釈然としないふうであったが、とりあえず言った。

 

「ふうん……まあ、そういうことなら仕方ないわね」

 

 とりあえず、サクラダは手持ちのバナナをすべてバナーヌへ渡すことにした。

 

 

☆☆☆

 

 

 結局、カツラダが帰ってくるのを待つことなく、サクラダとエノキダは馬宿へ帰ることにした。歩いていれば、いずれこちらへ戻ってくるカツラダと会うであろう。何よりこの不吉なデグドの吊り橋から早く離れたいという気持ちも二人にはあった。

 

 出発する前に、二人は朝食の山菜おにぎりを食べながら、先程の不審者がスコップで掘っていた場所を調べていた。掘られた場所からは白くて、木の枝よりも太いものが地表へ顔を覗かせていた。それは骨だった。どうやら地下にはまだまだ大量の骨が埋まっているようだった。

 

 サクラダは好奇心から、骨を撫でさすった。

 

「これは……骨かしら?」

 

 傍らで見ていたエノキダも感嘆の念を漏らした。

 

「随分と大きい骨だな」

 

 もっと掘り出せないかと、サクラダは骨を引っ張った。

 

「とっ、とと……随分重いし、長いワねぇ……一体何の骨かしら」

 

 エノキダも骨を引っ張りながら言った。

 

「牛にしては大きい……魔物の骨か……?」

 

 サクラダは軽く悲鳴をあげた。

 

「ヤダ! 気味が悪い!」

 

 二人の男がはしゃいでいるのを、バナーヌはバナナを食べながら眺めていた。彼女の頭の中は多幸感で一杯だった。いっぺんにこんなにバナナを食べたら頭が馬鹿になってしまうのではないかと彼女は思ったが、やはりやめられないし止まらなかった。

 

「めっ! バナナは一日二本までだよ!」

 

 ノチの怒り顔が目に浮かんだ。もうそれの三倍以上は食べてしまった。ごめん、とバナーヌは心の中でノチに謝った。

 

 三人は食事を終えると、即座に出発した。サクラダはエノキダに肩を貸し、エノキダは痛む足を引きずって、ノロノロと歩いた。

 

 意外にも、バナーヌはこの二人に同行することにした。出発前、彼女はさらなるバナナを条件として護衛を依頼されたからだった。エノキダは言った。

 

「報酬としてバナナをさらに十本出そう」

 

 バナーヌは言った。

 

「十五本だ」

 

 エノキダは頷いた。

 

「分かった、十五本出そう」

 

 サクラダは宿を出るとき護衛を断った。だが、こうも変なことが続くと、次は魔物や野盗が襲撃して来ないとも限らなかった。正体不明のバナナ女に護衛の依頼をするのも妙な話だったが、その佇まいや身のこなし、雰囲気からしてどうやらただ者ではないことは明らかだった。女は馬宿で紹介された用心棒よりもよっぽど強そうだった。

 

 二人が前を進み、バナーヌはその後ろについた。二人はゆっくりゆっくり、エノキダの足をこれ以上痛めないように歩いていった。

 

 退屈しのぎに、サクラダとエノキダはヒソヒソと話し合った。サクラダは言った。

 

「エノキダ、後ろのあの娘は一癖も二癖もある女よ。何か隠し事をしてるって感じだワ。油断しちゃ駄目よ。アナタは女に耐性がないんだから」

 

 エノキダはのっそりと頷いた。

 

「大丈夫です。俺はもうちょっと家庭的な女が好きですから。あの女は美しいが冷たすぎる」

 

 サクラダは意外そうな顔をした。

 

「アラ、アナタの好みのタイプなんて初めて聞いたわ。ていうか、エノキダ、アナタに結婚願望なんてあるの?」

 

 エノキダはどこか心外だというような口調で言った。

 

「あります。人並みには」

 

 一方、バナーヌは、十本目のバナナに手を伸ばしていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 そうこうしているうちに、三人はデグドの吊り橋を抜けていた。

 

 サクラダはホッと一息ついた。その禿げた頭頂部に汗が滲んでいた。

 

「ふぅ、これで危ないところは抜けたワね。今度は二人で滑落、なんてことになったら冗談にもならないワ」

 

 エノキダも多少元気を取り戻した。彼は両足で地面を踏み、調子を確かめた。

 

「社長、歩くのにはもう慣れました。多少痛むが、もう肩を貸してもらわなくて良さそうだ。このまま馬宿まで帰りましょう」

 

 バナーヌは、バナナを食べるのをやめていた。さすがに一度に十五本は食べ過ぎだっただろうか? 彼女は満腹になったお腹をさすった。そういえば、バナナを食べた後のお祈りをしていなかった。彼女は祈り始めた。

 

 心の中で声をはっきりと出して、彼女は唱えた。「……我は心を尽くしてバナナに感謝し、汝のくすしき御業をことごとく宣べ伝えん。いと高きバナナよ、汝によりて我は喜びかつ楽しみ、汝の名をほめ歌わん。我が敵は退くとき、つまずき倒れて汝の香りの前に滅び去りぬ……」

 

 このまま順調に行けば、三人は昼前に平原外れの馬宿に到着するはずだった。しかし、サクラダには気がかりなことがあった。彼は言った。

 

「それにしても、カツラダが帰ってこないワね。足の早いカツラダのことだから、もう戻って来ても良い頃だと思うんだけど」

 

 エノキダは顎に手をやって考えた。

 

「ロープを見つけるのに手間取っているのかもしれません」

 

 サクラダは呆れたように言った。

 

「馬宿に行けばロープの一本や二本簡単に手に入るでしょう! そんなことで時間が取られるなんて思わないわ! それに事情を伝えたら戻りは馬を貸してくれるかもしれないし。とにかく遅すぎよ、何かあったんじゃないかしら?」

 

 その時だった。バナーヌの鋭い視力は、街道上になにか奇妙なものが存在するのを認めた。どうやら、人が倒れているようだった。彼女は短く言った。

 

「二人とも、止まれ」

 

 有無を言わさぬバナーヌの口調に、サクラダとエノキダは素直に従った。

 

 二人を後ろに残して、バナーヌは倒れている人の元へ走った。

 

 その人は、黒焦げだった。その人はうつ伏せで倒れていて、ピクリとも動かなかった。どうやらその人はすでに息絶えているようだった。

 

 その服装は一般的な旅装だったが、丈夫な帯革(たいかく)と燃え残った盾の残骸から、この人物が用心棒であることが窺えた。その手には折れた弓があった。矢筒には一本も矢がなかった。他に武器は携帯していないようだった。

 

 バナーヌは、死体を仰向けにひっくり返した。意外なことに、死体の正面側は燃えていなかった。泥に汚れた男の顔は青白く、割れたメガネをかけていた。

 

「あっ」

 

 バナーヌは、この顔に思い当たる(ふし)があった。たしか、こいつは平原外れの馬宿で用心棒をやってる、ウドーとか言うやつだ。さして強くもないのに喧嘩っ早いやつで、弱いのにモリブリンの群れに突っ込んでいくという変態だ。口達者ゆえ客を多く集めることができるが、やぶれかぶれの突撃戦術ばかりで肝心の護衛の質はあまり高くないという、珍妙な評判を持つ男だったはずだ。

 

 その男が、なぜこんな場所で死んでいるのか?

 

 とりあえず安全を確認したバナーヌは、サクラダとエノキダの二人へ振り返って手で合図をした。こちらへ来いという意味であった。

 

 その瞬間、バナーヌは右足首に異常な感覚を覚えた。彼女は咄嗟に目をやった。

 

 死体が、彼女の足首を力一杯掴んでいた。




 ゼルダ世界におけるアルコール事情が気になるぅ

※加筆修正しました。(2023/05/06/土)
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