ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第十七話 ポイントブランク作戦

 死体が蘇る。大厄災以降、ろくでもないことばかり起こるハイラルの大地とはいえ、そのような奇々怪々なことがはたしてあり得るのだろうか。

 

 いや、この問いこそまさに愚問というべきものである。特に、それは戦闘者にとって愚劣極まる問いである。相手が死体であろうとなんだろうと、こちらに危害を加えてくるのならば即座に反撃する。戦闘者とはそのように訓練され、そのように習慣づけられているのだ。

 

 そういうわけで、訓練されたイーガ団員たるバナーヌもすぐに死体へ反撃した。

 

 右足首を掴まれるや否や、彼女はすぐにしゃがみこみ、空いている左足を地面を滑らせるように運び、死体の顔面へ蹴りを放った。

 

「ふっ!」

 

 彼女が狙った部位は鼻だった。彼女は一切の容赦をせずに左足を蹴り込んだ。

 

 強烈な蹴りを食らった死体は、出すはずのないうめき声を発した。

 

「おぐぇっ!」

 

 死体は力一杯掴んでいたバナーヌの右足を離して、両手で顔面を守るように覆った。

 

 足が解放されて、バナーヌは立ち上がった。こうなればあとは容易(たやす)かった。彼女はがら空きになった死体の腹部へと、踏み潰すような蹴りを幾度も放った。一回、二回、三回……蹴りが柔らかい腹部に入るたびに、死体は叫び声を上げた。

 

「おげっ! おげっ! おげっ!」

 

 そして、五回目の蹴りが命中した、その時であった。

 

「おげげ……うぇっ! でげぼぉおおお……」

 

 死体が吐いた。吐瀉物(としゃぶつ)を避けるために、バナーヌは距離を取った。彼女は思わず声を漏らした。

 

「うわっ」

 

 死体は吐き続けた。

 

「げほっ、げほっ、おぇええ……」

 

 どこにそれだけの水分が入っているのか、不思議といえば不思議であった。死体が動くことよりも不思議であった。地面に汚い水たまりを作りながら、死体はなおも吐き続けた。

 

「おぇ、おぇ、おぇええ……」

 

 バナーヌは、腰に手をやってその光景を眺めた。

 

「うーん」

 

 外見では取り澄ましているように見える彼女だったが、実のところ内心ではかなり困惑していた。彼女は正直なところ、少しやり過ぎたとも感じていた。バナナをたらふく食べていつもより気分が上がっていたというのもあるが、これは明らかにやり過ぎだった。

 

 顔に蹴りを入れた段階で相手は無力化されていたのだから、腹部への攻撃など必要ではなかった。だが、「弱った敵は徹底的に叩け!」と、そのように育てられてきたバナーヌである。気づいた時には、彼女の体は勝手に動いていた。だから、これは仕方のないことだったのだ。彼女はそう結論した。

 

 いつの間にか、彼女の後ろにサクラダとエノキダが来ていた。サクラダが言った。

 

「大丈夫!? 何かあったの!?……ってうわ……」

 

 エノキダが低い声で言った。

 

「……これは、ひどいな」

 

 二人が目にしたのは、鼻血で顔面を赤く濡らした男が、ゲロゲロとあたり一面に吐瀉物を吐き散らしているところだった。まさしく酸鼻(さんび)を極める光景だった。

 

 サクラダはじろりとバナーヌを見つめ、やや非難の混じった声色で語りかけた。

 

「これ、アナタがやったんでしょう? アナタ、やっぱり怖いコだったのね」

 

 バナーヌはそっぽを向いて、聞こえるか聞こえないかの声で答えた。

 

「……ちょっと、やり過ぎた」

 

 サクラダは、少し意外に思った。

 

「……ふーん。そう」

 

 どうやらこの娘、罪悪感を感じているらしいワ。冷たいように見えるけど、中身はそこらへんの一般人と変わらない感性の持ち主なのかもしれない。そのようにサクラダは人物鑑定をしていた。彼は(すき)があれば人物鑑定をするのだった。それは一個の会社経営者として身に染み付いた、一種の職業病であった。

 

 しかし、サクラダはすぐに考えを打ち切った。

 

「ま、いいワ」

 

 目の前の哀れな男をどうにかしてやるのが先決であった。持っていた水筒をエノキダに手渡すと、彼は命令した。

 

「エノキダ! その人を介抱してやって!」

 

 エノキダは即座に答えた。

 

「合点!」

 

 部下がいるなら部下に任せる。それがサクラダ流の経営術である。決してゲロまみれの男に近づきたくないわけではない。断じてない。

 

 エノキダは水筒を男の口元へ持っていった。彼は優しい声で言った。

 

「ほら、飲め」

 

 エノキダは大きな無骨な手で男の背中を乱雑にさすりながら、水筒の水を飲ませた。

 

「よし」

 

 ふとエノキダの視界に、ただ見ているだけのバナーヌが映った。彼は言った。

 

「お前も、さすれ」

 

 バナーヌは、小さく頷いた。彼女は男の背中へと回ると、おずおずと壊れ物を扱うようにさすり始めた。エノキダにはそれが物足りなく感じられた。彼はバナーヌに向かって口を開いた。

 

「もっと力をこめろ」

 

 バナーヌの手に力がこめられた。彼女は確かめるようにエノキダに言った。

 

「……こう?」

 

 エノキダはまた言った。

 

「もっと真心(まごころ)をこめろ」

 

 バナーヌはバナーヌなりに真心をこめて背中をさすり始めた。彼女は確かめるようにエノキダに言った。

 

「……こう?」

 

 エノキダはひとまず頷いた。

 

「うん、まあ、良いだろう」

 

 大きなブ男と全身タイツの女に、ゲロまみれの男は背中をさすられ続けた。

 

 サクラダは、思わず(うめ)いた。

 

「なに……この……なんなの、この光景は?」

 

 少なくとも、こんな光景からインスピレーションなど湧かないのは確かだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 数十分後、二人の懸命な介抱を受けて、「死体」だったウドーは息を吹き返した。彼はブツブツと何ごとかを呟いていた。

 

「……まったく、本当に今日は厄日だ……」

 

 まだ立ち上がるほど元気ではないのか、ウドーは地面に座り込んでいた。鼻血を止めるため、彼はちぎった懐紙(かいし)を鼻の穴に詰めていた。その顔には、割れたレンズとグニャグニャに歪んだフレームのメガネを掛けていた。

 

 相手が落ち着いたのを見計らって、サクラダは話しかけた。

 

「それで、アナタは確か馬宿の用心棒の……ウドーさんだったかしら。いったいどうしてこんなところで倒れてらっしゃったのかしら」

 

 問いかけをされても、ウドーはしばらくぼんやりと三人の顔を眺めるだけだった。だが、彼は突然「あっ!」と大きな声を上げた。

 

「そう、そう! 大変なんだよ! 大変なんだ!」

 

 彼はふらつく足で立ち上がろうとし、すぐにまた転んだ。彼はいかにも焦っているというふうで、尋常な様子ではなかった。

 

 サクラダはウドーの肩を抑えて座らせた。

 

「落ち着きなさい。順を追って、イチカラ分かりやすく話して頂戴」

 

 ウドーはやや落ち着きを取り戻した。

 

「あ、ああ……すまん」

 

 はじめはポツリポツリと、合間に水を飲みながらゆっくりと話し始めた彼だったが、そのうち本来の頭脳のキレの良さを取り戻したのか、至極分かりやすい、明瞭な言葉遣いで、彼はそれまでのことを説明し始めた。

 

 

☆☆☆

 

 

 ウドーは自棄酒(ヤケざけ)をかっ喰らった。強い酒気で彼の理性の働きは著しく鈍っていた。そんな状態でウドーは馬宿を出て、闇夜の中、サクラダ工務店一行を追っていった。

 

 彼が身に纏っていたのはいつもの服装といつもの装備だった。そして、その手には蒸留酒の大瓶とたいまつがあった。

 

 酔っ払いにはつきものの、意味の通らぬ言葉の羅列が彼の口から漏れ出ていた。

 

「俺は強いんだ、最強だ、みんな雑魚だ、イモムシだ。イモムシぞろぞろぞんぞろぞ、お花に()まってさあ大変……」

 

 フラフラと千鳥足で、時々チビチビと酒を呷りながら、ウドーはデグドの吊り橋方面へ歩いていった。

 

「へ、へへ……うへへ」

 

 彼はふわふわとした、雲の上を歩くような心地だった。彼の全身に全能感が(みなぎ)っていた。大瓶の中身はすでに半分以下になっていた。

 

 彼は、久しぶりに良い気持ちだった。普段は酒を過ごさない慎みのある男ではあるが、そのために却って彼は、酒を過ごした時の対処法を知らなかった。とっくに酒量は彼の限界を超えていたが、ウドーは瓶の中身をせっせと胃の腑へ送り込み続けた。

 

 いつの間にか雨が降っていた。細かで、陰気で、冷たい雨だった。彼が手に持っていたたいまつは、ほどなくして消えてしまった。ウドーは雨に向かってくだを巻いた。

 

「あー? ヒック、なんだコラっ、ヒック、この雨っ! コラッ! 火ぃ消えてるじゃねーかよコラっ! 雨っ!」

 

 酔っ払いの思考とは不思議なもので、支離滅裂で滅茶苦茶なことを考えているかと思えば、同時に、一つのことを達成しようと妙な執着を見せることもある。ウドーはその時、まさに後者の状態になっていた。

 

 どうにかしてたいまつに火をつけなければならない。彼は酔っ払った頭脳でそう考えた。サクラダ工務店を追いかけるという本来の目的を忘れて、彼は火を求めて街道を彷徨った。普通の人ならば大樹の下に入るなりして雨を避け、そこで火打ち石を使って火を起こすのであるが、酔っ払いにそのような理屈が思い浮かぶはずもなかった。

 

 そうして、彼は小一時間ほど歩き回った。いつの間にか夜は明けていて、空はやや白み始めていた。ウドーはそれに気づかなかった。

 

 だが彼はふと、妙な光景が眼前に広がっているのを認めた。

 

「なんだぁ、ありゃあ?」

 

 道の先には、二人の人影があった。一人は青い印半纏を身に纏い、腰にゲンノウをさげた男だった。男は髪の毛を短く刈り込んでおり、いかにも若者といった風体をしていた。

 

 もう一人は、人間にしてはえらく大きかった。その人は(そで)の大きな、ゆったりとしたローブを着ていた。首回りが血のように赤く装飾されたローブであった。その頭は異常に細く尖っていて、手足は黒く細長く、手には炎のように光り輝くロッドを持っていた。

 

 しかも、よくよく見ると、そのローブを着た人は宙に浮かんでいた。

 

「うぃー、ヒック」

 

 だが、ウドーがそんな奇妙なものを見て感じたことは二つだけだった。一つ、世の中には、変な特技を持ったやつもいるもんだ。空中浮遊なんて珍しい。もう一つ、あ、火があるじゃねーか。

 

「オラぁー、火ぃ寄越せ、火ぃ寄越せぃー」

 

 フラフラと、ウドーは二人の人影に近づいていった。距離が縮まるにつれて、彼には二人の様子がよく見えてきた。若者は大きな人影に向かい、(ひざまず)いて何か懇願しているようだった。若者は泣きそうな声で叫んでいた。

 

「お助け、お助けッス! 命だけは助けて欲しいッス! 命だけは!」

 

 対して、ローブを着た人物のほうは、愉快そうに「クルッキュウ、クルッキュウ」と笑い声をあげていた。身の毛もよだつような笑い声だった。ローブの人物は笑いながら両手と両足を振り上げ振り下ろし、妙なリズムで踊るような仕草をしていた。

 

 そして、ローブの人物は炎で光り輝くロッドを振り下ろし、若者のすぐそばに火球を飛ばした。若者の目の前に着弾した火球は、一回バウンドしたあと空中で爆発し、無数の火の粉を撒き散らした。若者は叫んだ。

 

「あちちちっ! あっちぃっス!!」

 

 若者の前髪に火がついた。若者は必死になって火を両手で消そうとした。それを見て、ローブの人物はケタケタと邪悪に笑った。

 

 火を消した後、若者はまた跪いて「命だけは!」と繰り返した。だが突然、彼は何かを悟ったような顔をして、すっくと立ち上がった。若者は言った。

 

「そうだ! こんな時こそサクラダ工務店の社訓を実践する時ッス! 見ててくださいッス、社長! エノキダさん! 行くッスよ!」

 

 若者は妙な節回しの歌と独特の振り付けの踊りを始めた。

 

「新築 減築 解体 外構〜

 家の 事なら なんでも ございっ♪」

「その名も サクラダ

 DADADA サクラダ工務店〜」

「さくらだっ DADADA さくらだっ♪」

「フワフワ」

「シャキーン!」

 

 だが、踊りが終わった直後、ローブの人物はまたもや火球を放った。ローブの人物は若者をいたぶるように今度もギリギリのところで火球を着弾させて、若者が火と熱に怯えて慌てふためくのを見てケタケタと笑い声をあげていた。

 

 ここに至って、ようやくウドーは二人に追いついた。彼はいまだに笑い続けているローブの人物の背後から、酔っ払い特有の馴れ馴れしさで声をかけた。

 

「なんだよなんだよ、ずいぶん楽しそうなことしてるじゃねーか、ヒック。ところでそこのローブ野郎くんちゃんさんよぉ、ヒック、わりぃが火、貸してくれよ。なぁ、火だよ火、ヒック」

 

 ローブの人物は怪訝そうに、背後に立つウドーの方へと振り返った。その人物は妙な声を発した。

 

「クキュウ?」

 

 ウドーは、不思議に思った。

 

「あれ?」

 

 このローブ野郎くんちゃんさん、なんと頭がない。そのかわりのように、胸にドでかい顔がついている。顔にはビカビカと光るオレンジ色の双眼があり、剥き出しになった鋭く大きな四本の牙が伸びている。

 

 一方、若者はウドーの姿を認めると、哀れっぽい声をあげた。

 

「あっ、アンタは用心棒の兄さん! 助けてくれッス! こいつは魔物ッスよ!」

 

 ウドーは間の抜けた返事をした。

 

「え、魔物?」

 

 すると、彼の隣の地面に火球が着弾した。

 

「えっ?」

 

 改めて、彼は前を見上げた。ローブの人物がニタニタとした笑みを浮かべていた。

 

 ゾゾゾ、と潮騒のような音を立てて彼の血の気が引いた。それと同時に、彼は急に酔いが覚めてきた。ウドーの脳内に蓄えられた知識は、目の前の存在をピタリと言い当てた。

 

 ウドーは震える声で言った。

 

「ふぁ、ファイアウィズローブ……!」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ウドーの眼前へ二発目の火球が迫っていた。

 

 

☆☆☆

 

 

「……それで、その火球は何とか避けて、弓矢で反撃をしたんだがね。酔っ払ってるから全然当たらなくて。ついには最後の一発を撃ったときに弓が折れてしまったんだ。もうどうしようもなくてね。逃げ回ってるうちに背中にでかい火球を二発食らっちまって……」

 

 ウドーは面目なさそうに言った。彼は沈痛な表情を浮かべていた。魔物との戦いに完敗したことで、彼は用心棒としての誇りをいたく傷つけられたようだった。

 

 だが、話を聞いていたサクラダは、相手の沈んだ様子にはお構いなしに、ウドーの両肩を掴んでガクガクと揺さぶりながら問いを発した。

 

「ていうかアンタのことなんかどうでも良いのヨ! カツラダは!? ねぇ、カツラダは!? カツラダはどうなったのよ!? まさか魔物に殺されたんじゃないでしょうね!?」

 

 揺さぶられたウドーは叫んだ。

 

「待て待て待て! やめてくれ! また揺さぶられたら……おえ、おぇえ……」

 

 ウドーはまた吐き始めた。サクラダが悲鳴をあげた。

 

「ギャアアアッ! こいつ、また吐いたワ! もう最悪!」

 

 今度は誰もウドーの背をさすらなかった。三人とも、えずくウドーを冷ややかに眺めるだけだった。話を聞いた限りでは、どう考えてもこの男に優しくしてやる必要は感じられなかった。この、クソ酔っ払いが。やはり酔っ払いはどうしようもない。それが三人に共通する思いだった。

 

 ひとしきり吐いて落ち着きを取り戻したあと、ウドーはまた語り始めた。

 

「弓は折れるし矢はないし、背中は二発も食らって燃え上がるしで、正直もう駄目だ、と思ったね。でもここでハッと閃いたんだ。モノの本で読んだんだが、古代シーカー族の武術に『フリシ・ニ』というのがあるらしい。平たく言えば死んだふりなんだが、イチかバチかこれに賭けてみることにしたんだ」

 

 サクラダが質問を挟んだ。

 

「で、今ここにアンタが生きて存在しているってことは、それに成功したわけネ?」

 

 ウドーは自慢げに答えた。

 

「大成功だったさ。俺の旅装は野宿の時でも直に地面で横になれるように、背中にぶ厚く綿が入ってるんだが、これがちょうど雨の水分を吸っててね、良い断熱材になったんだ。背中に下げてた旅人の盾は派手に燃え上がったけど、これがちょうど良い目くらましになったらしい。バッタリと派手に地面に倒れてそのまま火に焼かれるのに任せたというわけさ」

 

 今までずっと黙っていたエノキダが質問をした。

 

「その、ウィズローブという魔物、その程度のごまかしで騙されたのか?」

 

 ウドーは自信たっぷりに答えた。

 

「そりゃそうだ! あいつ、倒れて燃えた俺のそばにやって来たが、指先でちょいと俺をつついたあとは、笑いながら向こうにいっちまったぞ。所詮は魔物、人間の知能には敵わなかったんだ、ハハハ!」

 

 バナーヌは、呆れていた。この男、死んだふりが成功したと思いこんでいるが、そんなものが魔物に通用するわけはない。ましてや、相手はウィズローブである。魔物の中でもかなり高い知能を持つウィズローブに、稚拙な生兵法(なまびょうほう)の「死んだふり」が通じるわけがない。

 

 ところで、さきほどウドーは「フリシ・ニ」の名を出したが、イーガ団にもその技は脈々と受け継がれている。「フリシ・ニ」は死んだと見せかけて相手を油断させ、背後から心臓を一突きにするという殺人術である。それは日々、まさしく命をかけた猛訓練を弛むことなく繰り返すことで、ようやく身につけられる高等技術だった。

 

 もちろん、バナーヌも「フリシ・ニ」を習得していた。彼女がついて習った教官は、すでに九十歳を超えた老婆で、生きているのか死んでいるのか分からないようなシワシワでヨボヨボの人物だった。だが、その技のキレは超一流だった。

 

 独特の呼吸法と精神操作により、瞳孔を散大させ、呼吸を停止させ、心臓の動きを止めるのが「フリシ・ニ」の極意であった。まさに生きながらにして死体となるのである。

 

 バナーヌは、この技が嫌いだった。なぜなら、例の老婆の教官がこの技を実演している最中、本当にあの世へと旅立ってしまったからである。他のイーガ団員はそれを飲み会の席でのとっておきの笑い話にしているが、バナーヌはノチと一緒に、毎年密かに老婆の命日に線香を上げていた。

 

 バナーヌが「フリシ・ニ」について考えていると、エノキダが体をずいっとウドーに寄せて、大きな顔もずいっと寄せて、有無を言わさぬ迫力を込め、詰問するように言った。

 

「それで、お前はカツラダを見捨てて逃げたのか」

 

 ウドーはその言葉を聞いてハッとしたようだったが、しかし次には苦悶と怒りの入り混じった表情を浮かべ、三人へ向かって歯を剥き出しにし、大声で抗弁し始めた。

 

「仕方なかったんだよ! 悔しいが自分の命を守るだけで精一杯だったんだ! 相手はウィズローブだぞ! 勝てるわけがなかったんだ! カツラダとかいう人には悪いとは思うが、俺だって人間だ、命が惜しい! それに、あんたらが馬宿で俺を雇っておけば、こんな事態はきっと防げたはずじゃないか! 俺は悪くねえ、悪いのはあんたらだ!」

 

 ウドーの子どもじみた言い訳を聞いたサクラダは軽蔑するような表情をした。そして、どうせ聞き入れられはしまいが、という気持ちを含ませながらも、諭すように言った。

 

「ねえ、ウドーさん。アタシがアナタを馬宿で雇わなかった理由を言うワ。それはね、アナタに護衛の才能がなさそうだと判断したからじゃないのよ。こう見えてもアタシは建築家であり芸術家だもの。人にどんな才能があるのかはすぐに見抜けるワ」

 

 ウドーが叫んだ。

 

「じゃあ、なんなんだ! どうして俺を雇わなかったんだ!」

 

 サクラダはあくまで冷静だった。

 

「アタシはね、アナタが才能もないのに護衛を天職と思ってるのが滑稽とも哀れとも思えたのよ。だって、そう信じてて上手くいってるうちは良いかもしれないけど、いざピンチになって、場合によっては死ぬって時になったら、今まで自分が大好きだった仕事に裏切られたっていう絶望感を抱いたまま死なないといけないのよ? それは特に護衛とか用心棒っていう仕事の場合はなおさらじゃない? だから哀れに思えたの。そんな可哀想な人に大事な護衛を任せられると思う?」

 

 ウドーは、サクラダが説く言葉に思うところがあったようだった。次第に彼は俯いて、最後は神妙に話を聞いていた。

 

 サクラダはなおも話を続けた。

 

「アナタは何とか命をながらえた。それはとても良かったと思うワ。いくら無骨な大工さんであるアタシたちだって、たとえちょっとした顔見知り程度の仲だったとしても、その人が魔物に黒焦げにされて死んでたら嫌な気持ちになるもの」

 

 サクラダはため息をついた。そして、彼は静かな迫力を伴ってウドーに質問をした。

 

「ねえ、教えて頂戴。カツラダはどうなったの? アナタが見捨てたカツラダ、可哀想なカツラダ、アタシの大事な社員であるカツラダは、いったいどうなったの? 死んだの? 黒焦げになったの?」

 

 ウドーは、顔を上げた。そして、キッパリとした口調で答えた。

 

「カツラダは、死んでない」

 

 サクラダはホッとした。彼はあごをしゃくって続きを促した。

 

 ウドーは話し続けた。

 

「死んだふりをしてやり過ごした後、俺は去っていくウィズローブとカツラダの様子をコッソリ窺ったんだ。魔物はカツラダの背中にロッドを押し当てて、笑いながら空中を歩いていった。カツラダは泣き(わめ)いていた。要するに、カツラダは連れ去られたんだ。彼は魔物に誘拐されてしまった」

 

 エノキダが声を発した。

 

「ウィズローブは、どこへカツラダを連れていった?」

 

 ウドーは、どこか右の方、その遠くへと指をさした。エノキダのみならず、サクラダもバナーヌもその方向へ顔を向けた。ウドーは言った。

 

「俺が()している方角へ少し行くと、今は誰も住んでない家がある。二階建てで納屋までついている立派な家さ。二年前まで老夫婦が住んでたんだが、二人ともボケて病気になったから、遠くに住んでる息子夫婦がやってきて引き取っていったんだ。それ以来ずっと空き家になってる」

 

 エノキダが短く相槌を入れた。

 

「それで?」

 

 ウドーは喋り続けた。

 

「その空き家は、しょっちゅう魔物の住処(すみか)になるんだ。モリブリンが住んでたり、ボコブリンが住んでたりな。たぶんウィズローブもそこへカツラダを連れていったんだと思う」

 

 エノキダは言った。

 

「どうして、そう言えるんだ?」

 

 ウドーは答えた。

 

「ここ最近、魔物の活動が低調だと言っただろ? それは、いつもあの空き家を根城にしているモリブリンたちが居なかったからなんだ。誰が討伐したわけでもないのに出て来なくなったから、不思議に思って俺は調べに行ったんだ」

 

 水筒の水をウドーは飲んだ。間を置かずに彼は話し続けた。

 

「古ぼけた家の庭には、黒焦げになったモリブリンの骨が散乱してた。燃え尽きたバットとか、武器とかもな。残骸はだいたい魔物三体分だったかな。その時は原因が分からなかったが、今だとよく分かる。あの家へウィズローブが外からやって来て、どういう気まぐれか分からんが住みついて、先住者のモリブリンを皆殺しにしたんだろう」

 

 今度はサクラダが疑問を発した。

 

「なるほど、そこへカツラダが誘拐されていったのは分かったワ。でも、なんでウィズローブはカツラダを(さら)ったのかしら?」

 

 ウドーは首を左右に振った。

 

「そこまでは分からない。ただ、ウィズローブは魔物の中でも特殊な存在なんだ。やつらは例外的なまでに高い知能を持ってるし、未だにその生態のほとんどは解明されていない。人間を攫って茶飲み仲間にするか、それともおもちゃにするのか、それは分からないが、とにかくあの感じだったらカツラダをすぐに殺すっていうのは考えづらい」

 

 話は終わった。しばらく沈黙があたりに満ちた。サクラダは、腕組みをして考え込んでいた。彼は目を瞑っていた。しばし沈思黙考した後、彼は隣に立っていたバナーヌの方へ向き、話を切り出した。

 

「ねぇ、バナナ娘さん。ちょっと契約の追加をしたいんだけど……」

 

 

☆☆☆

 

 

 それから、だいたい半時間が経過した。

 

 すでに夜明けからは数時間が経っていた。どんよりと曇った空からは散発的に雨粒が降っていた。そこここで虫やカエルが耳にうるさいほどの大合唱をしていた。

 

 デグドの吊り橋からほど近い所に、その家はあった。白い壁をした大きな家だった。壁には所々に緑の(つた)が絡みついていた。柵は破れていて、屋根瓦は崩れ落ちていた。明らかに、その家に人は住んでいなかった。

 

 その空き家の近くの茂みに、孤影が一つ、息を潜めて身を隠していた。

 

 それはバナーヌであった。

 

 あのあと、バナーヌはサクラダから、カツラダを救出するように依頼を受けた。

 

 禿げ上がった頭頂部が見えるまで頭を下げて、サクラダは真摯な態度でバナーヌに頼み込んだ。

 

「お願い、彼を助けてあげて! カツラダはアタシのかけがえのない従業員なの。絶対に助けてあげたいワ。この通り、頭を下げてお願いするワ」

 

 社長に倣ってエノキダも頭を下げた。

 

「俺からも頼む。カツラダは見捨てられない」

 

 バナーヌは、迷った。ひとまず彼女は考えを整理した。今まではバナナに釣られてこの男たちと同行してしまったが、本来的なことを言うと、こんな連中はほったらかしにして平原外れの馬宿に急ぐのが(すじ)である。冷酷非情かもしれないが、イーガ団のためならば人情は切り捨てなければならない。

 

 だが、例のウィズローブは捨て置くことができない。その魔物が街道にまで出没し、人間を攫うというのならば、今後イーガ団のバナナ輸送馬車を襲撃しないとも限らない。話を聞く限り、今のところウィズローブは一体だけのようだが、そのうち仲間を呼び集めるようになったとしたら大変である。そうなればここら一帯の通行は完全に封鎖されてしまう。

 

 つまり、例のウィズローブは今回の任務遂行において障害となっている。排除する必要があるのは明白だ。彼女はそう結論した。

 

 それに、エノキダが付け加えた一言が、バナーヌの背中を後押しした。

 

「頼む。カツラダは大のバナナ好きなんだ」

 

 サクラダとウドーは、エノキダに「何言ってんだコイツ」というような顔をした。しかし、バナーヌはその言葉を聞いて「それなら助けないわけにもいかないか」という気持ちになった。

 

 彼女としてはウィズローブさえ排除できれば、攫われた人間がどうなろうと知ったことではない。だが、その人間がバナナ好きとあらば、見捨てるのはやはり寝覚めが悪くなるだろう。

 

 それに、彼女は以前、ノチから言われたことがある。

 

「バナーヌ。『情けは人のためならず』だよ。人にかけた情けはいつかは巡り巡って自分の助けになるんだよ。誰でも助けろっていうのは夢物語かもしれないけど、せめてバナナ好きな人くらいは助けてあげたら?」

 

 だから、バナーヌは依頼を承諾した。彼女は報酬として一千ルピーとバナナ五十本を要求した。サクラダはそれを承諾した。

 

 彼女は今、じっと家の中の様子を窺っていた。時折、中から若い男の声が聞こえてきた。おそらく、それはカツラダの声なのだろう。

 

「誰かー! 助けてくれッスー!」

「ここッスよー! 社長ー! エノキダさーん!」

「助けてー! 助けてー! たすけっゴホ、ゴホゴホッ!」

 

 彼は助けを呼んでいたかと思うと、今度は大声で歌い始めた。

 

「あちっ! あちちちち! 分かった、分かったッスよ! 踊れば良いんでしょ、ホラ!」

「新築 減築 解体 外構〜

 家の 事なら なんでも ございっ♪」

「その名も サクラダ

 DADADA サクラダ工務店〜」

「さくらだっ DADADA さくらだっ♪」

「フワフワ」

「シャキーン!」

 

 直後、彼はまた悲鳴をあげた。

 

「アチチチチチ! 踊ったじゃないッスか! 火球はやめるッスよ!」

 

 どうやら、ウィズローブもカツラダと一緒に家の中にいるようだった。バナーヌは密かに家の周囲を巡り、カツラダと魔物が家の中のどの辺りにいるのか当たりをつけた。どうやら、彼らは一番大きなダイニングルームにいるようだった。

 

 どうやって突入するか? 武器はない。首刈り刀はゲルドキャニオンで失われたきりだった。ウドーから小刀でも借りようとしたが、用心棒としてはあるまじきことに、彼は刀剣の類をいっさい持っていなかった。

 

「すまん。俺、剣技は不得手でな……」

 

 それならばせめて武器の代わりになりそうなものをと、バナーヌは二人の大工にゲンノウ(ハンマー)を貸してくれるよう頼んだ。だが、それも断られた。

 

「申し訳ないけど、これは大工の魂なの。武器として使うなんてもっての他よ。いくらカツラダを救うためとはいえ、こればっかりは譲れないわ」

 

 刀剣やゲンノウが使えないのならば、弓矢はどうか? しかし、目標がいるのは狭い室内である。突入して目標を確認し、弓に矢を(つが)えて発射する。その間に向こうは得意の「姿をくらますような」歩行法で動き回り、ロッドから火球を連射してくるだろう。何発か矢を当てられるかもしれないが、その間にこちらが丸焼きにされるかもしれない。

 

 となれば、あとはバナーヌの切り札である「不思議アイテム」しかなかった。

 

 ふと、彼女の頭に思いつくことがあった。彼女は考えを巡らせた。多少強引で、失敗した時にどうなるか予想もつかないが、成功した時は相手に反撃を許さないほど迅速に倒すことができ、かつ人質も無傷で回収できるはず……これでいこう。

 

 決意を固めたバナーヌは、そっと家から離れた。

 

 

☆☆☆

 

 

 カツラダは、疲労困憊していた。

 

 目の前には、朽ちかけた椅子にゆったりと腰掛けているファイアウィズローブがいた。魔物は手にロッドを持っており、もう片方の手で酒瓶を握っていた。酒瓶の中身は強い蒸留酒だった。ウィズローブはそれを、人間で言うなら胸の部分についている大きな顔に近づけて、ラベルをしげしげと眺めた。魔物は酒瓶を傾けて、その中身を四本の鋭い牙の間に流し込んだ。魔物はその動作を繰り返した。

 

 そしてウィズローブは、時折カツラダへロッドを向けて、ギャギャギャと声を出して彼に踊るように命令するのだった。

 

 哀れな人質カツラダは、要求に応えて何回も踊らなければならなかった。

 

「あぁー、新築減築解体外構ぉー、家の事ならーなんでもぉー、ござい」

 

 元気のない、明らかにフラフラとしたおぼつかない踊りでも、ウィズローブは満足するようだった。あたかも幼い子どもが、同じ絵本の同じ箇所を読み聞かせするよう何回も母親にせがむかのようだった。カツラダはサクラダ工務店のプロモーションダンスを延々と繰り返さなければならなかった。

 

 昨晩以来の空腹、何回も同じ踊りをさせられることによる疲労、魔物と同じ空間にいなければならないという恐怖……カツラダはもう、限界だった。

 

 もしかして救いになるようなものがないかと思い、カツラダは窓へと目を向けた。空はどんよりと曇っていて、雨がポツポツと降っていた。そういえば、社長とエノキダさんはどうなったのだろう? そして、あの用心棒は?

 

 魔物が叫んだ。

 

「ギャギャギャ! クルッキュウ! クルッキュウ!」

 

 魔物はまた踊りを要求しているのだった。カツラダは元気なく、ようやくのことで立ち上がった。

 

「はいはい、踊るッスよ……えー、、新築減築解体外構ぉー、家の事ならーなんでもぉー、ございッス」

 

 その時であった。突如、轟音が鳴り響いた。それは天井からだった。何か巨大な質量を持った重量物が、勢いをつけて天井にぶつかった音がした。魔物とカツラダは同時に声をあげた。

 

「ギャ!?」

「何事ッス!?」

 

 そして次の瞬間には、無数の瓦礫を撒き散らし濛々(もうもう)(ほこり)を舞い上がらせながら、何かが天井をぶち破って部屋へ突入してきた。

 

 魔物の叫び声が聞こえた。

 

「ギャギャギャ、ゴェ!!」

 

 カツラダも叫んだ。

 

「うわあああっ!!」

 

 カツラダは頭を抱えて床に伏せた。伏せつつも彼は顔を上げて、ウィズローブの方を確認した。

 

 そこにウィズローブはいなかった。かわりに、一人の女が立っていた。女は臙脂色(えんじいろ)の忍びスーツと忍びタイツを着ていて、顔には覆面をしていた。その手には弓を持っていた。サファイア色の瞳が凛とした光を放っていた。金糸の流れるが如き見事な金髪は、ポニーテールにして纏め上げられていた。

 

 女は、何か妙なブーツを履いていた。ブーツは鉄で出来ていて、いかにも重そうだった。

 

 そしてそのブーツで、女はウィズローブを踏み潰していた。ウィズローブはピクピクと痙攣していた。

 

 女は腰をかがめてウィズローブの手からファイアロッドを奪い取ると、短く言った。

 

「作戦成功」




「エノキダ、カツラダ、生きてるかぁ!?」
「ああ、なんとかなぁ」
「上から来るぞぉ、気をつけろぉ!」

※加筆修正しました。(2023/05/07/日)



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