ところで、魔物は友情や愛情、尊敬の念といった、それこそ人間しか持ち得ないと一般的には思われているそういった情念を持ち合わせているのだろうか。
これは重要な問いである。なぜなら、それこそ「人間と魔物とを分かつ基準とは一体何であるか」という問いに繋がるからであり、ひいては人間性そのものに関する問いへと繋がるからである。
ハイラルの大地に住まう種族は実に様々である。ハイラル王国の民たるハイリア人、砂漠のゲルド族、火山のゴロン族、水のゾーラ族、空のリト族……噂だが、森に住む謎の種族もいるらしい。
その昔、といってもたかだか百年前までの話であるが、ハイラル王国は軍事的にも経済的にも他に懸絶する実力を有していた。しかし王国は、他種族を征服して完全にその統治下に置くという侵略主義的外交政策を採ることはなく、基本的に穏健な姿勢を崩さなかった。
時には忌まわしい種族間戦争がハイラルの大地を汚したこともあったが、それでも他種族を差別し、絶滅させてやろうなどという醜悪過激な思想に王国首脳部が染まったことはなかった。
この穏健的な外交政策こそ、ハイラル王国がその長い歴史の中で、ハイラルの大地にいわば
かくのごとくハイラル王国は文化的にも経済的にも他種族と密接な関係を構築していたのであるが、このことは当然、ハイリア人の精神と観念の世界にも影響を及ぼした。
何が問題になったかといえば、それは伸び盛りの国家にお定まりの「いったい我々は何者であるのか?」という議論であった。
ハイリア人も、ゲルド族も、ゴロン族もゾーラ族もリト族も、どれも見た目は異なり、能力も異なり、寿命すら異なっている。しかしながら、どの種族も同じように感情を持ち、思考をし、行動をしている。
それでは、ハイリア人が他種族と比べて優っているところは何か? ゴロン族のように頑丈ではなく、ゾーラ族のように自由自在に泳げるわけではない。リト族のように空を飛び回ることもできないし、ゲルド族のように体格に優れているわけではない。
一体ハイリア人とは何者か? だが、この問いに対する答えは案外すんなりと出た。それは、ハイラル王国の歴史から導出された。
太古の昔からハイラル世界を襲う、ガノンという厄災。その邪悪なる存在に、剣を持って対峙する勇者。そして聖なる力を以て、厄災を封じる姫巫女。
そう、この勇者と姫巫女こそはハイリア人以外にはあり得ぬのである。ならば、ハイリア人とは何者か、という問いに答えるのも簡単だ。
ハイリア人とは、厄災を封じる存在である。
現にハイリア人の王国は一万年前、古代シーカー族の技術協力の元に自動機械の大軍団を作り上げ、厄災を完封したというではないか。
確かに、ハイリア人の個としての実力は他種族と比べるまでもなく貧弱である。しかし、総体としては厄災をも滅する力を有しているのだ。
ハイリア人こそ、このハイラルの大地に平穏と安寧をもたらすものなのだ。
こうして、ハイリア人は民族的なアイデンティティを確立した。次に問題となったのは、厄災そのものについてであった。
ハイリア人は厄災討伐を使命としている。ではその厄災とはそもそも、なにものであるのか?
この問題を解明する上で手がかりとされたのが、多種多様な魔物たちであった。穏やかにして苛烈な自然界の生態系に明らかにそぐわぬ、人に仇なす異形の怪物、魔物たち……この魔物たちを調べることによって、厄災を解き明かすことが可能になるのではないか?
こうして、今まで討伐され、排除されるだけの存在であった魔物たちは、一躍研究の対象として脚光を浴びることになった。熱心な学者たちは挙って魔物たちを追いかけ、捕まえ、観察し、場合によっては解剖した。王国も魔物研究の重要性を認め、専用の研究所を設立し、資金援助を行った。
そのような魔物研究のブームの中で、判明したことが一つあった。それは、魔物といえども人間のような情念を、例えば喜怒哀楽の感情や、愛情や友情、嫉妬や憎悪を持っているということだった。氷漬けになったボコブリンを仲間が知恵を絞って救い出し、ともに喜び合った事例が報告された際、発表会に臨席していた王が「魔物とはいえどなんとも麗しき友情であることよ」と言ったエピソードは有名である。
魔物研究はここでさらに活況を呈した。情念を持つものならば、それは制御可能であろう。魔物を新たな労働資源として活用できる可能性すらある。
だが、この考えはいささか気宇壮大に過ぎた。記録を辿ると、闘技場や騎士訓練場で出し物や標的として使われたという例は僅かにあるが、それ以外で魔物を使役したという例はほとんどない。魔物を完全に制御することは不可能だったのだ。
今や、ハイラル王国は滅んだ。そしてそれと同時に魔物研究も潰えた。魔物に関する膨大な知識の蓄積は、灰となって風と共に消え去ったのである。
☆☆☆
ファイアウィズローブに囚われたカツラダを救出せんと、バナーヌは一計を案じた。普通に室内へ入った場合、魔物と正面から戦わなければならなくなる。しかし、なんといってもウィズローブは強敵である。救出対象たるカツラダを守りつつ、乏しい装備で討伐するのは大変な危険を伴う。
ここで彼女が注目したのが、アイアンブーツであった。この「不思議アイテム」はなかなか変わった特性を持っていた。まず、履くと非常に重たくなる。どんな強風にも飛ばされることがなくなるし、イワゾーのような巨漢が真正面から突っ込んで来ても、難なく受け止めることができる。
第二に、それは履くまでなぜか重量が増えない。手に持っている時やポーチに入れている時には、その重量は魔法のように消え失せていて、履いた瞬間に激増するのだ。
このブーツを使って、奇襲的に室内へ突入する。そういう単純だが豪快な作戦をバナーヌは立てた。彼女は密かに建物をよじ登り、痛んでいる屋根を探した。瓦が割れ、穴が開き、木材が腐っているようなところを彼女は探した。
目当ての箇所はすぐに見つかった。しかもおあつらえ向きに、それはウィズローブとカツラダが居るであろうダイニングルームの上にあった。
「ギャギャギャ! ギャギャ!」
「あぁー、新築減築解体外構ぉー、家の事ならーなんでもぉー、ござい」
声が聞こえてきた。魔物は完全に油断しているようだった。好機だった。
バナーヌは煙突によじ登った。少しでも高度を稼ぐためだった。そして登った後、さらに鍛え上げられた跳躍力でもって、彼女は垂直に、高く跳び上がった。それは突入前の予行演習だった。数瞬して、すっと音もなく彼女は着地した。この程度高さを稼ぐことができれば充分だろう。
さっそく彼女は突入することにした。突入後の戦闘に備えて、彼女は弓矢を手に持った。そして彼女は、煙突の上から傷んでいる屋根へ向かって
跳躍の頂点へ達した時、バナーヌは、瞬間的に装備を身に着けるという例の特技を発揮して、アイアンブーツを空中で装着した。突如、巨大な質量が彼女に与えられた。落下によって加速度がついた彼女は、狙い違わず屋根をぶち破った。
魔物とカツラダの悲鳴が同時に聞こえた。
「ギャギャギャゴェ!」
「うわあああっ!!」
ドカンという大きな音と共にバナーヌは着地した。彼女は靴底に何か妙な感触を覚えた。見ると、なんとも幸運なことに、ウィズローブがアイアンブーツに踏みつぶされていた。魔物はぴくぴくと痙攣していて、直ちに反撃してくる様子はなかった。
バナーヌは素早くファイアロッドを奪い取った。そしていつもの癖で、彼女は小さく呟いた。
「作戦成功」
見ると、頭を抱えて床に伏せている若い男がいた。これがサクラダ工務店の従業員のカツラダだろう。彼女は頷いた。
「おい」
バナーヌが声を掛けると、カツラダは顔を上げた。彼は突然の事態に驚き、いまだに呆然としているようだった。
こちらをただ見つめてくるカツラダに、バナーヌは冷静な声で促した。
「さっさと逃げろ」
カツラダは答えた。
「は、はいッス!」
彼女の冷たい声が正気を取り戻す上で役立ったのだろうか、カツラダは立ち上がると、一目散に出口へと向かって走り出した。
出口から外へ出る前に、カツラダは律儀にも振り返って、バナーヌに礼を言った。
「キレーな姉さん、ありがとうッス! ご恩は一生忘れませんッス!」
バナーヌは適当に手を振ってそれに答えた。彼女は足元を見た。あとはウィズローブを始末するだけであった。すでに魔物はアイアンブーツで踏み潰されている。ロッドも奪い取った。後は、トドメを刺すだけだ。
ガン! ガン! ガン! と、バナーヌは重たいアイアンブーツで三回、敵を踏みつけた。魔物は苦悶の声をあげた。
「ギョッ、ギョッ、ギョッ!」
バナーヌは不満そうな声を発した。
「むぅ」
だがウィズローブは消滅には至らなかった。案外頑丈なやつだ。ここはやはり、弓で顔を打ち抜くべきなのだろうか? そう思ったバナーヌは、二連弓に矢を
その時であった。殺気を感じ取ったのだろうか、ウィズローブは怒りと憎悪と後悔と、どこか哀願するような調子の入り混じった、聞くに堪えない醜悪な叫び声を上げた。
「クルルアアアッ!!」
そして叫ぶや否や、ボンッという音と共に、ウィズローブはその体を風船のように一気に膨らませた。その急激な膨張力は尋常なものではなかった。アイアンブーツを履いたバナーヌを跳ねのけるほどに、それは強力だった。
バナーヌは思わず声を漏らした。
「なにっ」
バナーヌはバランスを崩され、倒れそうになった。だが咄嗟にアイアンブーツを脱ぐと、彼女は態勢を整えた。見ると、ウィズローブはいつものように宙に浮き、胸の部分についた顔を敵意と憎悪に歪めながら、四本の牙を剥き出しにして彼女を睨んでいた。
だが、やつの武器であるファイアロッドはすでに奪い取ってある。バナーヌは考えた。ウィズローブは強力な魔法の使い手ではあるが、徒手空拳で戦えるなど聞いたことがない。さきほどの膨張は、さしずめ最後の悪あがきというところだろうか。
唸り声をあげて、ウィズローブはバナーヌを威嚇した。
「グルルル……」
魔物は逃げる素振りをまったく見せなかった。得意の「姿をくらませる」歩行法をすれば、少なくともこの部屋から脱出はできるだろうに、魔物はそれすらしなかった。
バナーヌは、弓を引き絞った。何だか不気味な敵だが、さっさと始末して終わらせるに限る。澄んだサファイアの双眼でしっかりと敵を見据えると、彼女は殺意を込めて矢を放った。
その瞬間だった。さっき出ていったはずのカツラダが、悲鳴を上げてまた部屋へ戻ってきた。
「あぁあうわぁああっ!!」
カツラダは慌てふためいていた。直後、魔物とバナーヌは声を発した。
「ギョエエエエェエッ!」
「……ちっ!」
どんなに鍛錬を積んだ肉体と精神でも、突然発せられる音に対して無感覚でいることはできない。音に反応したバナーヌの肉体は、わずかに矢の狙いを
だが、致命傷ではない!
しかも、ものすごく邪魔なことに、カツラダがバナーヌの足元に縋り付いてきた。
「姉さぁーんっ!!」
彼は明らかに恐怖で我を失っていた。彼は涙まじりの大声で喚き散らしていた。ものすごく邪魔だった。カツラダは喚き散らした。
「姉さん、姉さん! 助けて、助けて!!」
バナーヌは乱暴にカツラダを振り払うと、落ち着かせるために顔へ一発、平手打ちを食らわせた。彼女は言った。
「落ち着け」
カツラダは痛みに叫んだ。
「いてぇッス! いや、そんなことより、アレ、アレを見てッス!」
カツラダは震えながら部屋の入口を指さした。
「クルッキュウ……」
そこには、もう一体のウィズローブがいた。今までバナーヌが対峙していたものとは違って、その体格はやや大きく、手足も太く、ローブの赤い装飾はもっと派手であった。その手にはファイアロッドよりも大きく立派な、溢れんばかりの熱量を発するロッドを持っていた。それはメテオロッドだった。
新手のウィズローブは、その紅蓮の両目に強い殺気を込めて、一心にバナーヌを睨みつけていた。
バナーヌの口から言葉が漏れた。
「メテオウィズローブ……!」
ファイアウィズローブの上位種であるメテオウィズローブが、そこにいた。予期せぬ強敵の出現に、顔には出さないながらもバナーヌは驚愕していた。
カツラダが泣きながら言った。
「家を出ようとしたらもう一匹いたんス! 助けてほしいッス!」
魔物たちが鳴き声を上げ始めた。
「クルッキュウ! クルッキュウ!」
「クルッキュウ……」
矢で撃たれたウィズローブは歓喜の声をあげていた。新手のメテオウィズローブは低い声を上げ、油断なくバナーヌを見据えていた。
カツラダは囚われの部屋へと戻ってきてしまった。しかも、敵は二体に増えた。状況はふりだしに戻ったばかりか、むしろ悪化してしまった。なんということだ。表面上はいまだに冷静さを保っているバナーヌのひたいに、一筋の汗が流れた。
☆☆☆
そのウィズローブは一人ぼっちだった。
彼も他の魔物と同様、いつかの赤い月の時に、この広大なハイラルの大地の片隅でひっそりと発生した。発生したときから、その手にはファイアロッドがあった。彼の体の中には溢れんばかりの魔力があった。誰かから告げられるまでもなく、彼は己がファイアウィズローブであることを、発生直後から自覚していた。
だが、発生したからといって、特にやるべきことなど彼には何もなかった。彼には倒すべき敵も、果たすべき使命もなかった。彼は生まれ落ちた後、適当に野山をうろつき、時折見かける人間を面白半分に襲撃し、ボコブリンたちの拠点に火を放って遊んでいた。
ただの魔物ならばそれで満足だっただろう。襲撃し、奪い、殺す。これさえできれば、魔物たちにとって幸せなのだから。しかし、彼はウィズローブだった。高い知能を持つウィズローブだった。そして、高い知能を持っているということは、退屈を覚えるという厄介な習性を持っていることも意味した。
次第に彼は、単調な日々の繰り返しに退屈した。彼が歩き回ったハイラルの大地は広大だったが、心を震わせるような強い敵もおらず、興味を惹くような面白いものもなく、美味い食べ物もなかった。おまけに持て余した魔力は彼の体をほてらせ、彼の神経をいらだたせた。
退屈をどうにかこうにか紛らわせ、溜まった鬱憤を発散する方法としては、野山に放火することが一番だった。最大にまで魔力を込めた火球を連発し、緑豊かで花咲き乱れる美しい森を丸々一つ灰燼に帰すこと、それは彼の数少ない楽しみの一つだった。炎に追われて逃げ惑う野獣たちや、煙に巻かれて空からバタバタと落ちる小鳥たち、焼け出されて呆然とするボコブリンたちを見るのが、彼にはとても楽しかった。
それでも、一時の興奮が冷めると、どうしようもないほどの虚無感が彼を襲った。こんなことをして何になるのか? 確かに面白いかもしれないが、ただ面白いだけだ。つまるところ、やっていることは火を放っているだけ。それは呼吸し、食事をし、排泄をすることと何の違いがあるというのか?
永遠に続くかと思われるような、暗い単色に塗り込められた日々だった。だが、転機というものは必ずあるらしい。満たされない日々を送っていたウィズローブだったが、そんな彼にもそれはしっかりと訪れた。
ある日のことであった。彼はいつものように退屈を発散させようと思って、適当な場所を探していた。しばらくうろつくと、今まで彼が見たこともないような美しい森に行き着いた。高さも葉の茂り具合も同じような樹木が等間隔に植えられていた。樹々はどくろ型の大きな岩を囲んで立っていた。その周りには色味豊かな花々が咲き乱れていて、綺麗なチョウやうるさい羽音のクマバチが飛び回っていた。鹿は静かに草を食み、鳥たちは美しい合唱をしていた。
燃やし甲斐のある森だ、と彼は思った。こんな綺麗な場所を燃やすのは初めてだ。もしかしたら今までにない楽しみが得られるかもしれない。そして、終わった後はきっと、いつもと同じように落胆して、満たされない思いを抱いてまたどこかへ行くことになるのだろう……
彼は渾身の力を込めて大火球を作り上げると、力いっぱいロッドを振り下ろし、その美しい森へ向けて放った。
その時、何かが急に彼の目の前に現れた。その何かは彼と同じようなローブを身に纏っていて、大きなロッドを持っていた。何かはロッドを振るうと、あっという間に彼がさきほど放った火球を消し去ってしまった。
「クルッキュウ……」
突然乱入してきた存在に、彼は驚いた。せっかくの楽しみを邪魔されて、彼は怒った。なんてことをするんだと言わんばかりに、彼はロッドを振るって攻撃した。
「クルッキュウ! クルッキュウ!」
「クルッキュウ……」
「クルッキュ、クルッキュアアア!」
「クルッキュウ……」
しかし、攻撃はすべて躱されてしまった。しかも、相手はまったく反撃をしてこなかった。撃ち続けたせいで、ついに彼の魔力は切れてしまった。
ばてた彼を見て、ようやく新手のウィズローブは攻撃に移った。相手は彼の作り出すものとは比べ物にならないほど強力な火球を同時に三つも生み出し、放ってきた。
実力が違い過ぎた。彼はもはや反撃もできず逃げ回り、焼かれ、ロッドでしたたかに打ち据えられた。彼は頭を下げて許しを乞うた。
戦いともいえない戦いが終わった後、新手のウィズローブは彼に語った。ここは私の森、私の
こうして、日々を無為に過ごしていたファイアウィズローブは、メテオウィズローブという友と師を得て生まれ変わった。
二人はハイラル各地を巡り、時には遊び、時には戦った。経験と研鑽を積み、戦い方を改良し、二人で強敵に立ち向かった。そんな日々は、ファイアにとって夢のように楽しかった。
次第にファイアはメテオに対して尊敬と信頼を深めていった。メテオのほうも、ファイアに師と弟子という関係を超えた親愛の情を抱くようになった。それでも、ファイアが旅の途中で覚えた飲酒の習慣に対しては、彼はいつまでも文句を言っていた。
二人は最近になって新居を得た。ある日、彼らが闘技場跡地へ立ち寄った後のことだった。ぶらぶらと付近を放浪していた時、怪しげな人間の男が二人に話しかけてきた。男は小さく不格好な体に大きな荷物を背負い、頭にはウィズローブを
男は灰色の肌の手を振り回しつつ、甲高い声で熱弁を振るった。
「いやはや、二人連れのウィズローブだなんてとても珍しい! どうか私と友達になってください。いやいや、決して怪しい者ではありませんよ。それで、お名前は? なるほど、ファイアさんとメテオさんというのですか。私の名前? まあ、あなた方には人間の名前などどうでもよいでしょう。とにかく、どうぞよろしく! おお、あなたはお酒がお好きなのですか、それではこちらを差し上げましょう……」
人間の男が何の敵意もなく、何の恐怖もなく、人懐っこい調子で話しかけてきたものだから、二人のウィズローブはすっかり驚いてしまった。もとより人間と魔物との間で会話が通じるわけはないのだが、この人間の男はどういうわけか二人の思っていることをすべて先回りして察することができた。男はぺちゃくちゃとおしゃべりをし、おまけに色々と贈り物をくれた。
吊り橋近くの廃屋を紹介したのも、その男だった。
「旅をしているとはいえ、安心して身を落ち着ける
男の言った通り、そこには住み心地の良さそうな家があった。比較的穏やかな性格をしているメテオは、対話と交渉によってモリブリンたちを退去させようとしたが、突然やってきたやつらにすごすごと安住の地を譲り渡すようなモリブリンたちではなかった。モリブリンたちは手に手に武器を持って歯向かってきた。結果は、言うまでもなかった。二人は住処を手に入れた。
二人は面白おかしく、毎日を愉快に生きてきた。だが、どんなに良好な友情を育んでいる仲であっても、時には喧嘩をするものである。
その日、ファイアとメテオは肉の焼き方を巡って喧嘩をした。ファイアは酒に合うように岩塩を振った
口論自体はものの十分もしないで終わった。だが、メテオは家を出ていってしまった。ファイアはまったく面白くなかった。彼は怪しげな男からもらった酒を飲んで憂さ晴らしをしていた。
広い家に一人ぼっち。ファイアは何となく、昔を思い出した。広い大地にたった一人。あの時の自分は、まったくの孤独だった、そして今も……
それでも、メテオに対する怒りはなかなか収まらなかった。ファイアは憤懣を抱えて酒を飲み続けた。彼はそのうち、家を出て外へ行くことにした。もしばったりとメテオに会えたら、謝るか、それとも喧嘩の続きをするか、それは決めていないが、とにかく彼は昔のように一人で歩き回りたい気分だった。
街道のほうまで来て、彼は面白い拾い物をした。青い服を着た若い人間の男が、雨の中を脇目も振らずに走っていた。魔物特有の嗜虐心が刺激された彼は、こっそりと先回りをして、突然姿を現した。
人間は面白いくらいに動揺した。
「えっ?……うっ、うわぁああ!!」
人間はすぐに背を向けて逃げ出そうとした。彼はそこをまた先回りをした。人間はまた逃げた。彼はまた先回りをした。
ついに、その人間は地面にへたり込んでしまった。そしてその人間は、
「お助け、お助けッス! 命だけは助けて欲しいッス! 命だけは!」
彼はちょっと火球を出して脅かしてやった。人間は、今度は奇妙な踊りを始めた。
「そうだ! こんな時こそサクラダ工務店の社訓を実践する時ッス! 見ててくださいッス、社長! エノキダさん! 行くッスよ!」
「新築 減築 解体 外構〜
家の 事なら なんでも ございっ♪」
「その名も サクラダ
DADADA サクラダ工務店〜」
「さくらだっ DADADA さくらだっ♪」
「フワフワ」
「シャキーン!」
まるで意味が分からなかったが、死に物狂いのその表情と、震えを必死に抑え込んで踊る様子が、いたくファイアの琴線に触れた。彼はその人間を連れ帰って憂さ晴らしのおもちゃにすることにした。
そのあと、酒の臭いをぷんぷんと漂わせた、見るからに貧弱な人間の男がやってきた。だが、その酒臭い男はまるでお話にならなかった。ちょっと燃やしてやると、酒臭い男は死んだふりをしてやり過ごそうとしたので、ファイアはそのまま放置することにした。別に殺してやっても良かったのだが、彼は早く帰って「おもちゃ」で遊びたかった。
こうして、一晩中人間で愉快に遊んでいたファイアだったが、その楽しみは台無しにされた。
「作戦成功」
突然、何かとても重たいもので踏みつけられ、彼はロッドを奪われた。
「グルルル……」
メテオから教わった奥の手で跳ねのけることはできたが、敵は弓矢をしっかりと構えていた。逃げ出しても良かったが、彼は何とかして目の前の敵に一泡吹かせてやりたかった。
今まで無意味な死を無数の生き物に強要してきたファイアであったが、こうしていざ自分に死ぬ番が回ってくると、どうしようもない絶望感と怒りを彼は覚えた。
そして、その次には後悔がきた。メテオと喧嘩などしなければ良かった。肉の焼き方などどうでも良いことだった。酒を止めろと言われたら止めるべきだった。失うべきでなかったのは、メテオとの友情だった……
人間の女の殺気が引き絞られていくのが感じられた。それが限界に達した時、矢が放たれるのだろう。彼はそう思った。しかし、どうすることもできなかった。
「あああうわぁああ!!」
叫び声がした。次の瞬間、彼の腹に二本の矢が刺さっていた。
しかし、大した怪我ではなかった。それよりも、もっと重要なことがあった。
「クルッキュウ……」
そこには、自分の友が立っていた。それを見て彼は、自分はやはりメテオなしでは生きられないのだと思った。
☆☆☆
「どうするッスか!? どうしたらいいッスか!? 姉さん助けてッス!」
人生最大級の生命の危機に直面して、カツラダは完全に取り乱していた。彼は涙と鼻水を顔面にまき散らしていた。彼はみっともなく謎の女に助けを求めていた。
部屋の入口側に立っている大きなウィズローブが、ずいっと歩を進めてきた。魔物は低く声をあげた。
「クルッキュウ……」
カツラダは恐怖して思わず、女の足に縋り付いた。
「ひぃっ!」
間髪入れずに一発の平手打ちが繰り出された。女は言った。
「落ち着け」
平手打ちは電撃のような痛さだった。彼は叫んだ。
「いてぇッス!」
ぶたれた頬を抑えながら、カツラダは女を見た。女はまったく取り乱した様子がなかった。女は弓と矢で新手のウィズローブを狙いつつ、もう一方への殺気も切らしていなかった。なおかつ、彼女はなにやら周囲の様子を探っているようだった。
ぶち破られた屋根から薄暗い空が見えていた。天井の大穴から入ってくる淡い光線が、女の見事な金髪のポニーテールを照らしていた。
突然、女は弓を背に戻した。カツラダは叫んだ。
「えっ!? 姉さん、なんで弓をしまうッスか!?」
なぜここでそんなことをするのか、カツラダには理解できなかった。
次に、女はへたり込んでいるカツラダの両肩を掴んだ。その両手には、いつの間にか茶色のブレスレットが
ここで初めてカツラダは、女の氷のような美貌に気が付いた。姉さん、すげえ美人だったんだな……場違いにもほどがあることを彼は考えていた。
彼と彼女の目と目が、しっかりと合った。そして、何か決心したように女は呟いた。
「よし」
カツラダは言った。
「よしって……一体どうしたんスか?」
入社以来、サクラダ社長の厳しい監視のもとに置かれていたせいで、カツラダは女性と付き合ったことも遊んだこともなかった。うぶなカツラダは、緊急事態だというのに心臓が別の意味でドキドキとした。
女が短く問いかけてきた。
「いいか?」
カツラダはほぼ反射的に答えた。
「えっ、えーっと、いいッス!」
次の瞬間、女はカツラダを両手で持ち上げると、勢いをつけて放り投げた。カツラダは絶叫した。
「ううわわああっ!!」
あたかも
厄 友情談疑
※加筆修正しました。(2023/05/07/日)