ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第二十一話 ベサメ・ムーチョ・ハイリア

 史書を紐解き、仔細に読み解いてみると、歴史というものが存外「偶然」によって動かされてきたことが分かる。最も望ましい人に、絶好のタイミングで、最良の出来事が「偶然」起こっている様を見せつけられると、あたかもこの現世(うつしよ)は、人智や人意を超越する何かによって回転しているのではないかと思わされる。

 

 ハイリア人の話ではないが、偶然が歴史を動かした実例として、ある時代のゾーラの王のエピソードが挙げられるだろう。

 

 昔、ゾーラの里に戦下手な王がいたという。ある時、ド・ボン山脈に魔物の群れが集結し、ゾーラの民を脅かした。王は戦いの才能に乏しかったが、民への愛に動かされ、戦を決意した。王を深く愛していた王妃は大変心配し、王の鎧に自身の白いウロコを編み込んで、その無事を祈った。

 

 彼方の渓谷には、黒き魔物の軍勢が集結していた。それに対して、此方にはきらびやかな武具を身に纏った美々しいゾーラの戦列があった。銀灰色の剣と槍が鈍く日光を反射して林立した。常よりもさらに蒼い顔をした王は、戦列の後方にいた。王は緊張と不安を圧し殺し、精一杯の威儀を保っていた。そして、そんな王を優しく見守るように、編み込まれた白いウロコが輝いて照り映えていた。

 

 戦が始まった。王の作戦指揮がその時だけ珍しく冴えていたのか、あるいは優秀な部下に恵まれていたのか、それとも魔物たちの拙劣な戦い方によるものか、とにかく、戦はゾーラ族の優勢のもとに進んだ。

 

 だが、一瞬の隙を突き、あるリザルフォスの将が隊列を突破して王の本営へ斬り込んできた。既に死を覚悟した者の攻撃は猛烈そのものである。王は懸命に防戦をしたが、リザルフォスの巧みな剣術の前に徐々に追い詰められていった。

 

 後世、ドレファン王が自ら記すところによると、その劇的な瞬間の詳細は以下の通りである。

 

「……リザルフォスがとどめの剣を振り上げた瞬間、その奇跡は起きた。王の鎧の一部が鋭く光り、目を眩まされたリザルフォスの動きが一瞬止まったのだ。王はその隙を逃さず、横薙ぎにリザルフォスのノド元を切り裂いたという……」(『ゾーラ史』第三章「ゾーラの鎧伝説」より)

 

 かくして、戦下手の王は敵将を討ち果たした。勇壮なる戦列は醜悪な魔物の群れを殲滅した。ゾーラの里に安寧と秩序が戻った。ゾーラの戦士たちは凱歌を奏して里を行進し、王は手をあげて民たちの歓呼に応えながら、もう一方の手で鎧の白いウロコを愛しげに撫でていた。ゾーラ族の歴史に、栄えある勝利の記録がまた一ページ追加されたのだった。

 

 しかし、もしあの時、あのタイミングで、白いウロコが鋭く輝かなければどうなっていただろうか? もしあの時偶然にも、光がリザルフォスの目を貫かなかったら? 王は無事に帰還できたのだろうか? そして里は守られたのだろうか?

 

 もしも、の話を問うているのではない。ここで問題にしているのは、偶然というものの重さについてである。偶然はあまりにも強く我々を支配している。それは上の例のような歴史的大事件に限らない。記述するに値しない日常生活の一瞬一瞬の出来事が偶然によって引き起こされ、その出来事がさらなる偶然を生んでいく。

 

 例えば、浜を歩いていると偶然、砂に埋まった宝箱を見つける。中身を元手に宝箱博打をし、偶然、三回連続で当たりを引く。ほくほく顔をして街道を歩いていると、偶然、流れの肉屋と出会う。偶然、肉屋は仕入れたての極上ケモノ肉を持っている。すかさず購入し、今夜はご馳走だとばかりに岩塩をまぶして焚火でワイルドに焼き上げる。その近くを、偶然、何日も食べ物を口にしていない黒ボコブリンがうろついている。黒ボコブリンは、偶然、風に運ばれてきた美味しそうな香りを鼻にし、そして……

 

 幸いなことに、人は偶然を滅多に意識しない。嬉しいこと、悲しいこと、何か目新しいこと、そういったことがふと起こった時に、人はその力の片鱗を感じるだけである。あたかも大波に揺られに揺られている船の一室に閉じこもっていた船客が、今まではまったく気づいていなかったのに、甲板に出て初めて波の高さに驚き、途端に船酔いを覚えるようなものである。

 

 だが、中には大波に敏感な者もいる。言うまでもなく、それは戦闘者たちである。

 

 

☆☆☆

 

 

「ぷはっ! がはっ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 無惨に破壊された一面の大地、その一角で、バナーヌは荒く息をついていた。

 

 彼女は体力を著しく消耗していたが、外傷はなかった。彼女の忍びスーツは茶色い土に汚れていた。自慢の金髪のポニーテールもどことなく力なく垂れ下がっていた。それでも、無事に生命を保ったことと比べれば何ということもなかった。

 

 いったいバナーヌは、メテオが降り注ぐ地獄のような状況の最中、どうやってその生をながらえたのだろうか?

 

 彼女を救った要因はいくつかあった。一つには、ファイアウィズローブが術に不慣れだったことが挙げられる。怒りと憎悪によって急速に才能を開花させたファイアではあったが、メテオストライクを発動させるのは正真正銘、これが初めてだった。殺意は一流だったが、それを確かな形にするほど彼は経験を積んでいなかった。

 

 もう一つには、メテオストライクという術自体が持つ欠点がある。この術は広範囲を破壊し焼き尽くすほどの大きな威力を持っていたが、その反面、ピンポイントの目標を攻撃するという精密性に欠けていた。

 

 ファイアはメテオから、この術の恐ろしさと素晴らしさについては教えられていたが、どういう場合にこれが不適であるかについては教わっていなかった。一人の人間を殺すのであれば、メテオストライクは明らかに威力が過剰である上に、効率が悪すぎた。小さなタモ網一つで簡単にハイラルバスを捕まえられる時に、大きな火薬樽を川に放り込むようなものだった。

 

 だが何よりもバナーヌが助かった要因は、彼女がふと訪れた偶然を利用し、それに身を任せたことだった。もっとも、煙のせいで彼女の意識は朦朧としていたため、それは明確に状況を認識した上での行動ではなかった。

 

 紅蓮のごとく天空が燃え盛っていた。無数のメテオが降り注いでいた。乱雑なドラムロールのような、魂を消し飛ばすような着弾音が響いていた。爆発と炎と煙、ビュンビュンと音を立てて飛び交う破片、狂ったように喚き散らすウィズローブの奇声……バナーヌの周りは、そういったもので満ちていた。

 

 もはや、一矢を放つ気力すら彼女にはなかった。白昼夢のごとき奇妙な光景を脳裏に描きつつ、彼女はうつ伏せになって地面に倒れ込んだ。

 

 その後だった。

 

 何かが、ウゾウゾと地面から這い出てきた。最初は数えられるほどにポツリポツリとだったが、次第に数えきれないほどにウゾウゾと大量に、それは(あらわ)れ出た。

 

 それはぶよぶよとした、不定形の半透明の体を持っていた。ぼんやりとした光を放つ、生気を感じさせぬ目が体の真ん中にあった。それは、チュチュだった。大地の一枚下に眠っていた大小様々なチュチュたちが、メテオストライクの発する轟音と熱に刺激されて、一斉に地表へと姿を見せたのだった。

 

 このゲル状をした下級魔族チュチュは、ハイラル全土に生息している。チュチュは木の上から音もなく降ってきたり、地面から突然湧いて出たりするので、ある意味ではボコブリンやモリブリンよりも嫌われている。大きさも様々ならば性質も様々で、熱を帯びたファイアチュチュ、冷気を帯びたアイスチュチュ、電気を帯びたエレキチュチュなど、その姿はバリエーションに富んでいる。

 

 その性質は魔物らしく、凶暴で貪欲である。チュチュは人間を見つければ一直線に近寄ってきて、重い体当たりを仕掛けてくる。チュチュは動きがトロく、見かけも他の魔物に比較して凶悪ではないため、用心棒や冒険者にはやや軽んじられている節があるが、一般人にとって危険なことには変わりない。

 

 廃屋の付近一帯のチュチュたちは、ここ数年は穏やかな生活を送っていた。以前はそうはいかなかった。まだ人間が住んでいた頃、ここの二人の人間の住人は歳をとっていたが元気が良く、朝と夕方に必ずクワを片手に散歩をし、チュチュを見つけ次第退治していた。

 

「婆さん、まーたチュチュが出よったぞ。ほれ、あっちにもおるわい」

「爺さん、力み過ぎるなや。腰を言わしたら爺さんのシモの面倒を見ることになるのはわしじゃからの」

 

 この世に発生したての、まだ肉の旨味も知らぬ小さなチュチュたちは、爺さんと婆さんの一撃必殺のクワによって次々と破裂させられた。老夫妻は単調な生活を彩る娯楽のひとつとして朝夕のチュチュ狩りを楽しんでいたが、チュチュたちにしてみれば毎日が過酷な生存競争だった。

 

 老夫妻がついに老いと病によって正常な判断力を失い、遠方から息子夫婦が来て引き取っていった後、この廃屋周辺はチュチュたちの秘密の楽園となった。好物のニンゲンこそなかなか来なかったが、餌となるカエルや小さな虫たちには事欠かなかった。土は暖かで具合が良く、ほどよく雨も降るので、チュチュたちは順調にその数を増やしていった。小さなチュチュは合体を繰り返して大きなチュチュとなり、大きなチュチュはさらに合体を繰り返してもっともっと大きなチュチュとなっていった。

 

 そんなチュチュたちの繁栄の日々に終止符を打ったのが同じ魔物のファイアウィズローブだったとは、偶然とはいえ皮肉なことであった。地面の下でぬくぬくと過ごしていた彼らは、突然頭上に鳴り響く轟音と振動に刺激され、条件反射的に飛び出して来たのだった。

 

 地上に出たチュチュたちは、どうしようもなく体に染み付いた習性に従って、いつものように餌を探し始めた。バッタは? ヤンマは? カエルは? あっちに跳ね、こっちに跳ねて、ウゾウゾと体を揺らしてチュチュたちは獲物を探した。

 

 そこに、メテオの嵐が降り注いだ。あるいは直撃し、あるいは至近弾となって、メテオはチュチュたちに絶対的な死を容赦なく振りまいた。

 

 チュチュたちは、出てきてはメテオに殺されることを繰り返した。軽快な破裂音と共にチュチュゼリーをバラまいて、彼らはあえない最期を遂げていった。そのチュチュゼリーすらもメテオに破壊された。彼らの痕跡はこの世に何も残らなかった。

 

 なかには、倒れているバナーヌに気づく個体もいた。あ、ニンゲンだ。ニンゲン、食べたい。魔物としての本能に従って、チュチュはノロノロとまっしぐらにバナーヌを目指したが、体当たりの射程に入るまでもなくメテオにやられ、死んでいった。

 

 閃光と爆炎が炸裂し続けていた。倒れているバナーヌのすぐそばの地面が、モゴモゴと揺れた。何か大きなものが這い出ようとしていた。

 

 姿を現したそれは、最古参の巨大チュチュだった。それは爺さんと婆さんの殺戮から逃れた幸運な個体であった。彼は、他の仲間たちと同じく暗い眠りをメテオストライクによって破られ、これまた他の仲間たちと同じく、半ば条件反射的に地上へ出てきたのだった。

 

 柔らかな土から、のっそりと彼は出現した。彼はぴょんと一()ねした。そのあとにはぽっかりとした大穴があいた。人間一人は容易に飲み込むほどに大きな穴だった。

 

 ぼんやりとした視線を走らせて、彼はあたりを見回した。餌はないか、バッタは、アゲハは、カエルは?

 

 彼は視線を下にずらした。そこには、人間が倒れていた。あ、ニンゲンだ。ニンゲン、食べたい。

 

 その図体こそ群を抜いて大きい彼も、所詮は知能低劣なチュチュに過ぎなかった。むしろ、多数の小さなチュチュの集合体であるだけ欲望も凝縮されているので、彼は湧き上がる食欲を抑えることができなかった。

 

 なにやら周囲が騒がしいが、とりあえず目の前のご馳走を食べてしまおう。彼はそう思った。体当たりをして弱らせて、生きたまま丸呑みにしてじっくりと消化するのだ。彼はゆっくりと狙いを定めた。

 

 突然、それまでピクリとも動かなかったバナーヌが、ゆっくりと顔を上げた。サファイア色の両目で、彼女は巨大なチュチュを見つめた。その眼差しは光がなくぼんやりとしていて、まるでチュチュとそっくりだった。

 

 しかし、巨大チュチュは一向に気にかけなかった。彼はぶよぶよの肉体に力を込めて、一切の躊躇もなく空中へ跳んだ。

 

 バナーヌは動かなかった。ただぼんやりと、彼女は巨大な影が自分に迫るのを見つめていた。数瞬の後には、彼女の細い身体はゼリーの圧倒的な質量に圧し潰されてしまうのだろうか。

 

 そこへ、まったくの偶然だったが、人の頭ほどもある大きなメテオの破片が、ヒュンッと音を立てて飛んできた。あらゆる大砲から放たれるどんな種類の砲弾よりも速く鋭く、一直線に飛んでくると、破片は空中を跳ぶ巨大チュチュに直撃した。

 

 破片はチュチュの体の右側面下方から飛び込み、内部を滅茶苦茶に破壊しながら左上面へと抜けていった。

 

 一拍の間を置いて、巨大チュチュは爆散した。びちゃびちゃと、ゼリーと体液が周囲へ雨のようにまき散らされた。

 

 この時、バナーヌは動いた。彼女は匍匐前進をして、巨大チュチュが出てきた大穴へと這いずった。それは意識しての行動ではなかった。これまで幾度も死線を潜り抜けてきたという経験と、日頃の火の出るような鍛錬と、生まれつき有している優れた運動神経が、この偶然訪れた好機を逃すまいとして、彼女の体をして行動させたのであった。

 

 頭から落ちるようにして、バナーヌは大穴に入った。先ほどまで彼女が倒れていた場所には、別のメテオが着弾し、大きなクレーターを作っていた。まさしく間一髪だった。

 

 彼女は穴の中で姿勢を元に戻すと、しゃがむように身を低くして、両手で頭を防御した。この動きも、無論彼女の意識の外で行われた。

 

 バナーヌのこの行動こそ、イーガ団流戦闘術「オ・クノテ」の一つ、「土遁(どとん)の術」だった。本来この術は、地形地物を観察し、遮蔽物を見出し、場合によってはタコツボや壕を掘るなどして、敵の圧倒的火力攻撃から身を防ぐことを目的としている。

 

 巨大チュチュの開けた穴は、まさしく天然のタコツボだった。長身なバナーヌが完全に身を隠すにはやや深さが足りなかったが、身をかがめてさえいれば、頭上を飛び交う無数の破片から身を完全に守ることができた。真上からの直撃だけはどうすることもできないが、平地でただ伏せているよりは遥かにマシだった。

 

 あとは、メテオストライクが止むまでじっと耐えるだけだった。タコツボからぴょこんと、金髪のポニーテールが姿を覗かせていた。メテオの雨はますます激しさを増し、タコツボの至近距離にも何発かが着弾した。爆発によって噴き上げられた大量の土砂がバナーヌの頭上に降り注ぎ、タコツボ内部に侵入してきた。

 

 次第に、土砂によって空間が埋まってきた。このままでは、彼女は生き埋めになってしまうところだった。しかし、恐怖に耐えきれずに外に飛び出せばそれこそ敵の思うつぼであった。土遁の術とは、言ってしまえば、やせ我慢の術であった。

 

 そしてバナーヌは、忍耐強い性格をしていた。そもそもこの場合、彼女の意識は半ば別世界へと旅立っていたため、彼女は忍耐すらしていなかった。石像になったかのように、彼女は動かなかった。

 

 タコツボは、ついに土砂で埋まった。地面からポニーテールが生えているように見えるほど、バナーヌは完全に埋められていた。

 

 いつしか、メテオは止んでいた。ファイアの歓喜に満ちた絶叫も、凶悪な空の紅さも、大気を満たしていた焦げ付くような熱気も、嘘のように止んでいた。

 

 後に残されたのは、破壊し尽くされた穴ぼこだらけの大地だった。それから、一本のメテオロッドが残されていた。チュチュの楽園がひっそりと崩壊したことなど、誰も知らなかった。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナーヌの、暗く澱んだ意識の中で、声が聞こえた気がした。優しくて、小鈴の音のように綺麗な声だった。それは祈っていた。誰かのために、何かを祈っていた。

 

「どうか、バナーヌが無事で元気に帰ってきますように……」

 

 バナーヌは、そこで覚醒した。目の前は真っ暗だった。嗅覚は、濃厚な土の香りをかぎ取った。彼女は全身を圧迫する重みを感じた。彼女は無我夢中で腕を動かした。

 

 もぞもぞと地面が動いた。突然、にょきっと、土に汚れた細く白い腕が一本生え出てきた。続けて二本目が、勢いよく地面の上へ出た。二本の腕は力を込めて大地を抑え込み、そして本体が地上へ出てきた。

 

「ぷはっ! がはっ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 バナーヌは、メテオストライクを乗り切った。

 

 彼女はあたりを見渡した。周囲は完全に灰燼と帰していた。

 

 よく生き残ったものだと、バナーヌは半分呆れた。途中から意識がなかったが、穴に埋まっていたということは、おそらく身体が無意識に動いて「土遁の術」を実行したのだろう。

 

 ズキズキと、彼女の頭が痛んだ。軽く吐き気もしていた。こんな気分の時にはとにかくバナナを食べるに限る。そう思い、バナーヌはポーチをまさぐってバナナを取り出そうとした。たしか、まだ、あの大工からもらったものが二本は残っていたはずだが……

 

 指先で、ぐちゃりとした感触がした。ハッとして、バナーヌはポーチを開いた。彼女は息を呑んだ。

 

「……バナナが……」

 

 中にあったバナナは、先ほどまでの激戦に耐えきれず、無惨に折れて潰れ、泥と土に汚れていた。

 

「……バナナが、バナナが……」

 

 ガッカリと彼女はうなだれた。だが、いつまでも立ち止まっているわけにはいかなかった。サクラダとかいう大工の棟梁からカツラダ救出の報酬を受け取ったら、すぐにでも平原外れの馬宿へ行かなければならない。報酬は一千ルピーと、バナナ五十本という約束だった。

 

 落ちていたメテオロッドをバナーヌは拾い上げた。あの魔物、ただのファイアウィズローブの分際でかなりの強敵だった。彼女はそう思った。どうやら魔力の使い過ぎで自滅したようだ。あのファイアウィズローブとメテオウィズローブの二匹の魔物の間には、明らかに仲間意識があった。こちらの命を執拗に狙ってきたのも、討たれた友人の仇をとろうとしたのだろうか?

 

 友人。そういえば、なぜかノチの声が聞こえた気がする。彼女らしい真摯で純粋な、真心のこもった祈りの声がした。その声に励まされたかのように、自分の意識は土中で戻ったのだった。

 

 もしあの時、祈りの声が聞こえなかったら、土の中で窒息していたかもしれない。

 

 立ち止まって、バナーヌも目を瞑り、手を合わせた。彼女はノチのことを思い、祈った。ややあって、彼女は走り始めた。彼女はサクラダ、エノキダ、ウドーの三人が待機している場所へ向かった。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナーヌが廃屋へ向かった後のこと、街道からやや離れた場所でサクラダ、エノキダ、ウドーらの三人は車座になって座り、救出作戦の首尾やいかにと、じりじりとした思いで待っていた。

 

 サクラダは誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。

 

「あのバナナ娘さん、上手くやってくれるかしら?」

 

 エノキダが、いつものぶっきらぼうな調子でそれに答えた。

 

「社長の人を見る目は確かです。大丈夫でしょう」

 

 ウドーは、懲りずにまた酒に手を出していた。彼は懐から取り出したスキットルに口をつけ、ちびちびと中身の蒸留酒を飲んでいた。

 

 それに気づいたサクラダが、呆れたような声を上げた。

 

「ちょっと、ちょっと。アナタ、またお酒なの?」

 

 ウドーはまったく悪びれなかった。彼はずり落ちた眼鏡をくいっと持ち上げると、こともなげに言った。

 

「迎え酒ってやつだよ。二日酔いにはこれが一番効くんだ。それに、神経をすり減らして待ち続けるのも心の健康には良くないだろう。どうだ、あんたたちも一杯やったら?」

 

 サクラダは首を横に振って否と示した。

 

「遠慮しとくワ。お酒は好きだけど、今はとても飲む気になれないし……」

 

 エノキダも言った。

 

「社長に同じく」

 

 ウドーは憮然とした表情を浮かべた。

 

「ふん、そうかい」

 

 そして、彼はまたちびちびとやり始めた。どうやら、この中で最も不安にとらわれているのはウドーのようだった。

 

 しばし、沈黙が三人を包んだ。だが、それも長くは続かなかった。

 

 腕組みをして、ぽつぽつと小雨を降らす薄暗い空を見上げていたエノキダが、すっと立ち上がった。

 

「社長、声が聞こえませんか? 人間の声が、どこか遠くから」

 

 サクラダも立ち上がり、耳をそばだたせた。ウドーもそれに倣った。二人は言った。

 

「む、確かに。何か叫ぶような声がするワね」

「上の方からだ。それに、だんだん大きくなってないか?」

 

 三人は空を見上げた。次第に声は大きくなり、はっきりと聞き取れるまでになった。

 

「ううわわああーっ!!」

 

 サクラダは驚愕で顔を歪ませた。この声は、確かにカツラダだ!

 

「これはカツラダの声よ! カツラダが降ってくる!」

 

 サクラダがそう叫んだ直後、三人から少し離れたところに、ドカッという音を立てて人影が落下した。

 

 すぐさま三人はそこへ駆け寄った。エノキダは足の怪我のためにのろく、ウドーは酒のせいで少し足取りが怪しかった。それゆえ、真っ先に駆け付けたのはサクラダだった。

 

 サクラダは倒れているカツラダを抱き起こすと膝の上に乗せ、必死に呼びかけた。

 

「カツラダ! しっかりしてカツラダ! 駄目だワ、意識がないみたい!」

 

 いつになく取り乱した様子のサクラダに、追いついて傍らに立ったウドーが叱責するような調子で叫んだ。

 

「アンタ、怪我人をそういう風に扱っちゃ駄目だ! ここは俺に任せろ!」

 

 そう言うとウドーは、サクラダからぐったりとしたカツラダを受け取り、手慣れた様子で救命処置を取り始めた。戦闘はからっきしの彼だったが、戦いの現場で必要となるこういった技術の習得には人一倍余念がなかった。これまでにも彼はこうして何人もの命を救ってきた。

 

 ウドーは大声で呼びかけながらカツラダの肩を叩いた。反応なし。ならば、まず気道を確保する。次に呼吸を確認する。正常な呼吸をしているか? していない。

 

「呼吸をしていない。人工呼吸だ!」

 

 ウドーは片手でカツラダの気道を確保しつつ、もう片方の手の親指と人差指でカツラダの鼻を摘まむと、口を大きく開けてカツラダの口を覆い、息を吹き込んだ。

 

 そして、彼は心臓マッサージを行った。迷うことなく、彼は必要な処置を次々と実施していった。確かな知識と経験と自信に裏打ちされた技術の冴えがそこにはあった。

 

 その光景を、サクラダは不安に潤んだ瞳で見つめていた。一方、エノキダは自分の胸中に湧き起こった、ある不謹慎な考えに苦しんでいた。

 

 いや、考えまい……考えまいが……いや、でも……こいつ、さっきまでゲロ吐いていたよな……エノキダの顔が奇妙に歪んだ。

 

 ウドーが懸命な処置をとり続けている間、廃屋の方角の空が赤く紅く燃え、魔物の恐ろしい叫び声と爆発音が聞こえてきた。

 

 エノキダがポツリと社長に尋ねた。

 

「なんでしょう、あの空と音は」

 

 サクラダが確信に満ちた声で答えた。

 

「戦闘をしてるのよ。あのコと、ウィズローブが。まさしく死闘でしょうね」

 

 エノキダが言った。

 

「様子を見にいきましょうか?」

 

 サクラダが口を尖らせた。

 

「あら。なんのために見にいくのかしら? アナタは怪我をしてて、アタシもきっと足手まとい。それに、カツラダも何とかここに戻ってきた。後は信じて待つほかないでしょう。待ちなさい」

 

 エノキダは頷いた。

 

「はい」

 

 その戦闘騒音も、数分が経過すると嘘のように止んでしまった。

 

 

☆☆☆

 

 

 カツラダは、無事に蘇生した。

 

 健康で若い肉体は、高空からの落下にもさしたるダメージを負わなかったようだった。普通なら脳挫傷、骨折、全身打撲、頸椎損傷など、ありとあらゆる大怪我を負ってもおかしくはなかった。

 

 それとも、落ちた場所が偶然ぬかるんでいて、落下の衝撃をわずかながらでも和らげたのが影響したのだろうか。あるいは、バナーヌの投げ方が良かったのだろうか。いずれにせよ、奇跡と言って差し支えないほどの偶然が彼を救ったのだった。

 

 カツラダはにこにこと、人懐っこい笑顔に感謝の気持ちを上乗せして、ウドーへしきりに頭を下げていた。全身が激しく痛むせいで、彼は横たわったままだった。横たわったまま彼は頭を下げていた。彼は言った。

 

「ほんと、助かったッス! ウドーさんのおかげっスよ! あんたは命の恩人っス!」

 

 ついに用心棒としての面目を大いに施すことができた。ウドーの表情は明るかった。ウドーは言った。

 

「いや、それほどでも。できることをやったまでさ。とにかく無事で良かったよ」

 

 サクラダもウドーの手を取って、言った。

 

「本当にありがとう! アタシ、アナタに偉そうに説教しちゃったけど、今は本当に心から謝るワ。アナタは立派な用心棒よ! ハイラル一の用心棒!」

 

 禿げたサクラダが浮かべる感動の表情は凄まじい迫力を伴っていた。ウドーはどぎまぎした。どぎまぎというより、面食らった。

 

「そ、そうかな? そう言われるとちょっと照れるかな……」

 

 サクラダは叫んだ。

 

「これは感謝の気持ちよ! 受け取って!」

 

 突然、サクラダはウドーに顔を近づけた。ウドーが避ける間もなく、サクラダはその瑞々しいピンク色の唇を彼の唇に重ねた。ぶちゅっという音が鳴った。

 

 それはサクラダの悪癖の一つだった。彼は感極まった時に、老幼と性別を問わずに熱いキッスをするのだった。

 

 数秒経ってから、ウドーは熱い接吻から解放された。

 

「モガガ……! むぐ……ぷはっ! お、おぇ……」

 

 ウドーの目から思わず涙が零れ落ちた。マジかよ、俺のファーストキスが。彼の顔の皮膚には、サクラダの無精ひげが刺さったチクチクとした痛みがまだ残っていた。

 

 それを見たエノキダは、また場違いなことを考えていた。

 

 社長のキスも大概だが……いや、その……やっぱりこいつ、このウドー、さっきまでゲロ吐いていたよな……ゲロした(くち)とキスか……エノキダの顔が奇妙に歪んだ。

 

 あまりの不快感にえずくウドーを後目(しりめ)にして、サクラダは横たわっているカツラダにも顔を近づけた。

 

「アナタも無事に帰ってきて良かったワ! もう最高よ!」

 

 カツラダは叫んだ。

 

「あ! 社長、俺はいいっス! いいっスから、やめ、やめて、やめてぇえ! うぐ……むぐ……うぐ……」

 

 ぐったりとして動かなくなったカツラダを尻目に、サクラダは腕組みをして座り込んでいるエノキダに顔を近づけた。

 

「エノキダ! アナタも頑張って……頑張ったかしら? とにかく、社長の喜びは社員の喜び! アナタも受け取りなさい!」

 

 エノキダは言った。

 

「む、そうですか。では」

 

 エノキダは抵抗せずに受け入れた。もっちりと厚みのあるサクラダの唇が、エノキダのひび割れた無骨な唇に重ねられた。エノキダの顔にサクラダの無精髭がチクチクと刺さった。入社以来、これで四回目、いや五回目だったか? もはやどうということもない。最初は抵抗したせいで舌まで入れられそうになったものだ。

 

 そして、エノキダはこうも考えていた。これは……その、やはり……ゲロした口との間接キスではないか……? エノキダの顔が奇妙に歪んだ。

 

 三人の男にあらん限りの感謝を振りまいたサクラダは、ひとつため息をつくと、振り返りもせずに言った。

 

「それで、アナタもアタシの感謝の気持ちを受け取ってくれる? バナナ娘さん」

 

 若い女の声が響いた。

 

「いらない」

 

 いつの間にか、そこにはバナーヌが立っていた。どうやって気づかれもせずにここまで近寄ってこれたのか、彼女は勝手に一行の弁当の包みを開き、黄金に輝くバナナの房を取り出すと、一本一本を丁寧にもいで、もぐもぐと貪るように食べていたのだった。

 

 しかしサクラダは止まらなかった。溢れ出る感激の気持ちをどうにかして発散しなければ、彼の気が済まないのだった。彼は叫んだ。

 

「遠慮はいらないワ! さあ受け取って、アタシの熱いキッスを!」

 

 バナーヌは短く答えた。

 

「いらない」

 

 すげない返答が聞こえたと思ったその直後、サクラダの視界がガクンと下がった。彼はそのまま地面にへたり込んでしまった。どうやら、彼は足払いを食らわされたようだった。

 

 バナーヌの姿は、忽然と消えていた。足跡すら残っていなかった。バナナの皮が落ちているだけだった。

 

 エノキダがサクラダに、さして心配そうでもなく、声をかけた。

 

「大丈夫ですか。何かされましたか」

 

 ペタペタと、サクラダは自分の体を触った。どこにも異常はなかった。彼はエノキダに言った。

 

「大丈夫、何ともないわ。それにしても、ああ……逃げられちゃったワね。せっかく感謝を伝える良い機会だったのに」

 

 エノキダは言った。

 

「他に異常はないですか」

 

 サクラダは答えた。

 

「心配性ね、エノキダは。まあ、そんなところがアタシは好きなんだけど……って、あれ? 財布、財布はどこにやったかしら?」

 

 先ほどまでサクラダの腰にしっかりとした重みを与えていた財布が、いつの間にかなくなっていた。その中身は、たしか千二百ルピーはあったはずだった。

 

 あたふたと体中を探って財布の所在を確認するサクラダを見て、滅多に表情をあらわさないエノキダが珍しく眉をひそめた。

 

「どうやら、あの女に盗られたようだな」

 

 サクラダは、呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。しかしその次には、彼はにやりとした笑みを浮かべて、どこか満足そうに言った。

 

「ふふ、やってくれるじゃない。報酬はしっかり受け取ったってわけね。確かに中身は一千ルピーとちょっと。だいたい契約通りよ」

 

 立ち上がって、いまだにえずいているウドーとカツラダに向かって、サクラダは呼びかけた。

 

「さあ、これにてすべては一件落着! 宿に帰って、みんなで美味しいものをたくさん食べて、いっぱい休みましょう! カツラダ、アナタは特別にアタシがおんぶしてあげるワ、さあつかまって……」

 

 

☆☆☆

 

 

 昼過ぎになった。厚く天を覆っていた雨雲は去って、青く美しい空が頭上に広がっていた。やわらかな日光が燦燦(さんさん)と降り注ぎ、犬は寝そべって日向ぼっこをしていた。馬やロバもどこか嬉しそうな様子だった。

 

 そんな平原外れの馬宿の近くで、バナナの行商人は今日も今日とてバナナのたたき売りをしていた。

 

「さあさあ買った、さあ買った、バナちゃんの因縁聞かそうか! 生まれは南国フィローネで、親子諸共もぎ取られ、箱に詰められ牛に乗り、ゆらり揺られて道千里、着いたところが平原外れ! さあさあいくらで売ったろか!」

 

 行商人の前に、一人の女が音もなく現れた。

 

「一千ルピーある。バナナをくれ。団員優待込みで」

 

 バナナの行商人は答えた。

 

「おっ、可愛いバナちゃん買ってくかい! 大特価一房九十九ルピーだよ! さあさあ買ったさあ買った……」

 

 そこまで言ってから、行商人は驚きで目を見開いた。

 

「って、お前はパシリのバナーヌじゃないか! ちょっと遅かったから心配したんだぞ! どこかで油売ってるんじゃないかってな。一体全体どこで何を……」

 

 バナーヌは短く言った。

 

「いいからバナナを」

 

 何をおいても、今はとにかくバナナだ。

 

 バナーヌは、ついに平原外れの馬宿に到着した。

 

 だが、忘れてはならない。これはまだ、折り返し地点ですらないのだ。




 独特の審美眼ゆえなのです、熱いキッスは。サクラダは大真面目です。
 しかしですね、私としても人生で初めて書いたキッスシーンがこんなふうになるとは思わんかった……

※加筆修正しました。(2023/05/07/日)
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