ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第二十三話 「初めて」のパルス

 例えば、ある者が肉体と精神をまったく新しい形へと作り変えるべく、日夜研鑽と努力を重ねるとしよう。その結果として、一般人とは比較にならないほどの強大な力と卓越した技量を手に入れるとしよう。

 

 しかしながら、その者が兵士を名乗るには、なお乗り越えなければならない壁がある。

 

 その壁とは、初陣である。さらに正確に言うならば、それは初陣の際に直面する、異常なまでの緊張感である。

 

 ブルブルと体が武者震いをする。口はカラカラにかわいている。手は武器を折らんばかりに握り締めているが、逆に足はふわふわとして感覚がない。精神は極度に張り詰めているが、思考は著しく集中力を欠いている。

 

 目はチカチカとして、対象を捉えられない。目前の敵すら満足に見ることができない。指揮官の号令を聞き逃すまいと彼は耳をそば立たせているが、聞こえてくるのは自分の荒い息遣いだけである。

 

 史書に名を残すような例外中の例外を除けば、初陣の戦場に立つ者を襲う緊張感とはいずれも上記のごとくであって、多少程度の違いはあるにしても、その重大さに変わりはない。

 

 かつてハイラル王国軍にて最強と(うた)われ、その実力比類なき者として国王の嘉賞(かしょう)に与ること幾度にも及んだ、ある兵士がいた。彼の名はビスーナといった。ビスーナはその回想録において、自分の初陣の様子について以下のように書き残している。

 

「部隊は老練な隊長が率いており、私以外の大半は実戦経験豊富なベテラン達だった。部隊の兵数は五十人で、対する魔物はモリブリンが十匹に、ボコブリンが四十匹ほどだった。数の上では互角だったが、指揮官の戦術的能力と兵士の練度を見れば、我が部隊が圧倒的に優勢で、負けることなどあり得なかった。初陣としては至極理想的状況だった」

 

「……(中略)……ベテランの兵士ボルは、緊張して黙りこくっている私に言った。『何も考えず、ただ一直線に敵に突っ込め。俺たちがしっかり援護してやるから、心配することは何もない。後は訓練どおりに勝手に体が動くさ』 私はただ頷くだけだった。私は無闇やたらと水筒の水を飲んだ」

 

「……(中略)……投石と弓矢の応酬のあと、前衛同士の戦いが始まった。私は言われたとおり、真っ直ぐ突っ込んだ。訓練どおりに勝手に体が動くと言われたが、そんなことはまったくなかった。敵と思われる影に滅茶苦茶に槍を振り回し、攻撃が当たっているのか当たっていないのか分からぬまま、私はとにかく前へ前へと進んだ」

 

「……(中略)……戦いが終わったあと、疲れ果てて地面にへたりこんでいる私に、ボルが笑いながら話しかけて来た。『ほら見ろよ、俺の盾と兜を。ここに真新しいキズがついてるだろ。これ、お前がつけたんだぞ。必死だったから気づかなかっただろうが、こっちとしてもお前を援護するのに必死だったさ。下手をするとお前に殺されそうだったからな、ハハハ……』 私は呆然としてボルの顔を見つめていた。恥ずかしさで私は祝勝会でも隅っこでじっとしていた。隊長から『初陣にしては良くやった』と褒められた。それで私はわずかに慰められたのだった」

 

 無論すべての者が、この兵士ビスーナのように恵まれた状況下で初陣を迎えられたわけではない。興奮して周囲が見えないまま敵中に孤立し、積年の努力も空しく戦場に屍を晒す者もいれば、隊列に並んで歩いただけでそのまま戦が終わってしまい、何とも味気ない初陣となる者もいた。

 

 ハイラル王国滅亡に伴い、軍旗を高く掲げる武勲鮮やかな王軍も地上から消え去った。戦列にあって震えながら初陣を戦う新兵も、その新兵を弟とも我が子とも思って支え戦う老兵も、今ではいない。ハイラル兵という種族は滅亡したのである。

 

 したがって、この一大種族が有していた文化、習俗、風習、掟という広大な背景も、歴史の地層の中へ深く埋没することになった。我々の興味を著しく惹くところの、初陣という壁を乗り越える方法についても、おそらくかの種族は熟知していたのであろうが、それを掘り起こすのは並大抵のことではない。

 

 だが、ハイラル兵は消滅したとはいえ、戦闘を事とする者たち自体が消え去ったわけではない。例えば、リト族の戦士たちがいる。彼らの実力は空の覇者を自称するにふさわしいものである。他にも、ゾーラの兵士たちにゲルドの女兵士たち、カカリコ村のシーカー族や、ゴロンの屈強な腕自慢たちがいる。彼らは日夜鍛錬に明け暮れ、魔物に立ち向かい、そして勝利を重ねている。

 

 今日もハイラルの大地のどこかで、初陣を迎えた新兵がベテランに見守られつつ、叫喚とともに魔物に躍りかかっていることだろう。その新兵もいずれは経験を積んでベテランとなり、新たな世代の兵士を見守ることだろう。循環は絶え間なく行われ、新しい血が次々と古い血と代わっていくだろう。

 

 ハイラル王国滅びたりとはいえ、世界そのものが未だに厄災とその眷属の支配するところとならないのは、彼ら兵士という種族の存在に依るところが大きいのだ。もっと言えば、初陣の緊張と恐怖を克服する勇気ある者たちがいるからこそ、光ある世界が保たれているのだ。

 

 では、世界のあらゆる光を葬り去らんとする、闇と魔の軍勢はどうか? 彼らもまた人間や、その他種族の兵士たちと同じように、初陣で震えるのだろうか? 恐怖に(おのの)くのだろうか?

 

 きっと、彼らも同じであろう。光も闇も、人間であることも魔物であることも、思想や信仰も問題ではない。戦闘者となるためには、あの緊張感を痛みと共に精神へ刻みつけなければならないのだ。かつて密林に繁栄したと言われる古代部族が、成人の証として全身に入れ墨を彫ったように、それは必要である。

 

 イーガ団も、もちろんその例外ではない。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナーヌの物静かな精神は、珍しくも逆上し、火のごとく燃え上がっていた。

 

 夜空の砂金のごとき星々と、煌々(こうこう)と輝く大きな月は、幾重もの厚い雲に覆い隠されていた。周囲は、一寸先も見えない闇で満たされていた。

 

 バナーヌは夢から覚醒した直後、なぜか手に一発の爆弾を持っていた。彼女はとっさにそれを蹴り上げた。爆弾は空中で爆発した。閃光が一瞬だけ、付近一帯を明るく浮かび上がらせた。次いで、轟音が宿場町跡地に響き渡った。硝煙のにおいが漂った。バナーヌが遮蔽物にした廃墟の石壁に、空中から飛来した破片がカンカンと音を立てて当たった。

 

 せめて小休止をとのんびり座っていられた状況は、急激に変化した。敵の姿は見えなかったが、もはや戦闘状態であることは明白だった。敵は何らかの方法でバナーヌの存在を感知し、頭上から爆弾を投げ入れたのだろう。その爆弾を彼女は、夢現(ゆめうつつ)の境界に彷徨(さまよ)いながらも、なかば無意識にキャッチしたのだった。それは、高度な戦闘技能が彼女の芯に根付いている証拠であった。

 

 今、バナーヌの心は、襲撃者について考えを巡らすのではなく、夢を中断させられた怒りに満ちていた。

 

 貴重な夢だった。疲労した肉体と精神が生み出したとは到底思えぬほどの、あり得ないほど幸せに満ち溢れた夢だった。親友のノチが浮かべる優しく晴れやかな笑顔、テーブルに並んだご馳走の数々、鼻をくすぐるバナナの香り……どれをとっても最高だったのに。最高だったのに!

 

 それが、無粋な爆弾一発ですべてが台無しとなった! バナーヌは、必ず襲撃者を見つけ出し、この落とし前をつけてやると決意した。

 

 だが、決意とは裏腹に、彼女はどうしても眠かった。眠い! たまらなく眠い! バナーヌは睡魔に責め苛まれていた。そのサファイアの瞳に光はなく、瞼は閉じかかっていた。彼女の首と、金髪のポニーテールはがっくりと垂れ下がっていた。

 

 何をたかが眠気ごときに、と思うかもしれない。だが、睡魔ほど恐ろしいものはない。昔、ある地方における要塞包囲戦での話だが、要塞の守備隊の兵士たちは、連日連夜に渡る包囲軍の波状攻撃のせいで、満足に食事をとることも眠ることもできなかった。しまいには彼らは立ったまま眠り、目を見開いたまま眠り、剣で斬り結びながら眠り、()に装填しながら眠っていたという。命のやり取りの最中でも、睡魔は一切の遠慮をしない。

 

 そんなわけで、睡眠不足と疲労という不調を抱えたバナーヌの肉体は、彼女の強い決意を遂行できるほどの活力を残していなかった。

 

 彼女は首刈り刀を構えていた。しかし、その体は力なく廃墟の壁にもたれかかっていた。彼女の意識は途切れがちだった。万全な状態ならば、すぐにこの場から離れて、襲撃者の所在を探りつつ、戦闘するのに最適なポジションを得ようと素早く移動を続けることができる。だがバナーヌは、やはり一歩も動けないでいた。

 

 突如、どこかから、鋭く甲高いかけ声が響いた。

 

「やぁーーっ!!」

 

 その数秒後に、ボトボトという音がした。バナーヌはうつらうつらとしていたが、ハッとして目を見開いた。彼女の目の前に、導火線の赤い火も鮮やかな、黒い爆弾の丸い輪郭が二つあった。

 

 彼女は声を漏らした。

 

「くっ……!」

 

 バナーヌは、横へ咄嗟に跳んで地面にピッタリと伏せた。直後、二発の爆弾が破裂した。最初のヒンヤリメロンほどのサイズと比べれば、今回のものはそれよりやや小ぶりだった。ゆえに破片も爆風もさして威力はなかったが、それでもバナーヌの聴覚を一時的に狂わせるには充分であった。

 

 キーンという耳鳴りに悩まされながら、伏せているバナーヌは思った。このままではいけない! なんとかして、敵よりもまず先に睡魔を撃退しなければ! 

 

 今でもこうして伏せているだけで、眠りの世界に半分入ろうとしているのだ。一度寝てしまえば最後、彼女が目覚めることは永久にないだろう。多分に危機的状況であった。

 

 バナーヌは決心した。彼女は片手でポーチを探った。そして、中身が半分になった瓶を彼女は取り出した。その瓶には、燃えるように赤い液体が入っていた。それは任務の初日に夜のゲルド砂漠を越えるのに使った、ピリ辛薬の残りだった。

 

 彼女は瓶に人差し指を入れて、指先をたっぷりと液体に浸した。細く白い人差し指が真っ赤に染まった。ヒリヒリと皮膚が痛んだ。

 

 バナーヌは、躊躇いなくその人差し指を左目の直下へ運び、液体を塗りたくった。

 

 即座に彼女の左目を耐え難い痛みが襲った。バナーヌは、呻いた。

 

「くっ、ううう……!」

 

 しかしバナーヌは止まらなかった。彼女はもう一度瓶に指を突っ込むと、今度は右目の下にも同じことを行った。ついでに鼻の下にも彼女は薬を塗った。

 

 涙が滂沱(ぼうだ)として彼女の両目から流れ出た。鼻はツーンとして、鼻水まで出てきた。類稀な氷の如き美しさを誇るバナーヌの顔は苦痛に歪んでいた。彼女の顔は今や哀れにも色々な水分でぐちゃぐちゃになっていた。

 

 だが、これで良い! いや、ちょっとやりすぎな気がしないでもないが、これ良い! バナーヌは素早く懐紙(かいし)を取り出して顔を拭うと、とどめとばかりに瓶を口につけて、残った液体を一気飲みした。喉が焼けた。

 

「……うん。良し」

 

 まだ涙目で、鼻はグズグズするし、喉はヒリヒリするが、今までと比べて眠気は明らかに薄れていた。これなら、万全の六割程度ではあるが、戦うことができるだろう。彼女の意識はしっかりとしたものに戻った。

 

 睡魔を無理やり追い払う方法は、激痛を用いるのが一番効果的でかつ迅速である。ゲルドキャニオンで三人のゴロン族へ与えた苦しみと同じものを、あたかも因果応報であるかのようにバナーヌは味わったわけだが、他に方法はなかった。

 

 バナーヌは、次なる行動に移った。

 

「ふっ……!」

 

 彼女は高く垂直に跳んで、廃墟の壁の上に立った。細い足場で、足を踏み外しそうだったが、睡魔を追い払った今ならば問題はなかった。

 

 高所を得て索敵(さくてき)をするのは戦術の基本である。こちらの位置も暴露してしまうが、すでに敵に察知されている以上、まったく問題ではない。

 

 彼女が壁の上に立ってから数秒後に、またもや甲高いかけ声が闇の中で響いた。

 

「やぁーーっ!!」

 

 彼女は身構えた。

 

「来るか」

 

 予想通り爆弾が、しかも今度は三発の爆弾が、緩い放物線を描いて、右前方約十五メートルの壁の向こう側から飛んで来た。暗夜で、しかもバナーヌの目は未だに涙で潤んでいたが、訓練と経験を積んだ彼女の視覚はしっかりと、飛来する爆弾の導火線の小さな火を捉えていた。

 

 先程までは無様に這いつくばって避けていることしかできなかった。しかし、今度はそんなことなどしない。決然として反撃に出る時だった。

 

 バナーヌは、ポーチから白いブーメランを取り出して素早く構えた。彼女は瞬時に軌道を計算し、ブーメランを手から放った。

 

 放たれたブーメランは突風を纏い、飛来する三発の爆弾に近づくと、その風で以って器用にクルクルと絡め取った。なおも飛翔の速度は衰えることなく、疾風のブーメランは三発の爆弾を引き連れて、襲撃者がいると思われる地点へ向かって突進した。

 

 廃墟の壁に疾風のブーメランが直撃し、大爆発が起こった。爆音に混じって、なにやら声のようなものが聞こえた。どうやら悲鳴のようだった。

 

「……キャぁ……ぁぁぁ……」

 

 着弾と同時に、バナーヌは勢い良く大跳躍をした。彼女の優れた直感が、先程のカウンター爆撃が何らかの被害を敵に与えたと告げたからであった。せっかくの機会を見逃すわけにはいかない。

 

 ここで、空中のバナーヌへ向けて、今度は小さく先鋭なシルエットが連続して四発飛来した。敵の新たな攻撃であった。

 

「ふっ!」

 

 正確に偏差を計算した攻撃であるが、それゆえ熟練者にはかわしやすい。バナーヌは一発目を軽く首を傾けることで避け、二発目と三発目は首刈り刀で叩き落とし、四発目を左手で捕まえた。

 

 捕まえたモノに目にして、バナーヌは驚いた。

 

「クナイ……!」

 

 クナイ。鉄製で、平らな爪の形をした、両刃の武器である。いわゆる多用途武器で、小刀にもなれば手裏剣にもなり、壁登りの際のハーケンとして、または穴を掘るスコップとして、はたまた果実の皮を剥くペティナイフとして用いられる。

 

 そして、何よりクナイという武器が意味すること、それは、この武器の持ち主がシーカー族であるということだった。

 

 シーカー族! では、この襲撃者はシーカー族なのか?

 

 シーカー族は、イーガ団のまさしく不倶戴天(ふぐたいてん)の敵であり、最も油断のならぬ勢力である。これまで幾度も両勢力は干戈(かんか)を交えてきた。イーガ団は彼らのおかげで数え切れないほどの苦汁を舐めさせられてきた。

 

 相手がシーカー族であるなら、戦いの方針は変わってくる。バナーヌはさらに気を引き締めた。イーガ団の戦闘員に徹底されている方針として、シーカー族と対峙した場合、可能な限り生かして捕らえよ、というものがある。

 

 シーカー族とその本拠地カカリコ村に関する情報は、長い年月をかけてかなりの蓄積がなされているが、情報というものはいくらあっても無駄ということはない。それに、次期作戦はハイラル東部で展開されることになっている。そのためにも、何よりも「生きた」情報源が今は求められている。

 

 バナーヌは、爆破された壁の近くに音もなく着地した。付近にはいまだ爆煙が垂れ込めていた。闇夜であることも相まって、視界は良くなかった。頼れるものは聴覚だけだった。彼女は油断なく首刈り刀を構えて、そろりと一歩を踏み出した。

 

「でやぁあああっ!!」

 

 突如、叫び声とともに、何者かがバナーヌの背後から斬りかかってきた。真っ暗闇であろうと、それは訓練されたイーガ団員にとってさしたる障害とはならない。バナーヌは難なく首刈り刀でそれを受け止めると、右足で蹴りを放った。

 

 腹にバナーヌの強烈な蹴りが刺さり、敵はうめき声を上げた。

 

「うっ、ぐぅううっ!」

 

 バナーヌは、困惑した。

 

「む?」

 

 この一当りで分かってしまったが、この襲撃者、思っていたよりもかなり弱い。彼女はそう思った。シーカー族なのだとしたら、なおさら弱い。斬りかかってくるタイミングも悪ければ、剣筋も未熟で、間合いのとり方も良くない……

 

 だが、それ以上に彼女の心に奇異の念を起こさせたのは、敵の実力ではなく、その影と声だった。

 

 影と雰囲気から察するに、敵は明らかに体躯が小さい。それに、声も幼い。まるで子どもではないか。そう、まるで女の子のような……

 

 シーカー族は、決して子どもを戦いに出さないと聞く。どうやら族長のインパが、子どもの従軍を断固として禁じているらしい。

 

 事実、バナーヌがこれまで何度か戦ったことのあるシーカー族の戦士たちは、男も女も老いも若きもいたが、子どもだけは絶対にいなかった。

 

 目まぐるしく思考を働かせるバナーヌに対して、敵は腹に一発もらったことで却って闘争心を刺激されたようだった。ほとんど悲鳴に近いほどの叫び声と共に、敵はバナーヌへ向かって刀を振り回しながら突進してきた。

 

「うわぁああっ!!」

 

 敵は背が低く、その分だけ腕も短かった。しかも、その攻撃は滅茶苦茶だった。バナーヌは冷静に対処しつつ、方針を決めた。よし、こいつは捕まえよう。

 

 刀と刀の斬り結ぶ、鋭い金属音が連続して響いた。刀が空を斬る音と、荒い息遣いの声がした。

 

 このまま斬り合いを続けて敵が疲労するのを待ち、しかる後に捕獲する。バナーヌはそう決めた。シーカー族であると考えるには、いささか説明のつかない敵ではあるが、いずれにせよ情報を得なければならない。

 

 このように考える余裕のあるバナーヌに対して、敵は必死そのものだった。戦闘者には似合わない可愛らしい声に殺意を含ませて、敵は刀を振り回し続けた。

 

「この、このぉっ! えい、やぁっ!」

 

 相手の渾身の一振り一振りを、バナーヌは最小限の力で受け止めた。

 

「ふっ!」

 

 彼女は、あるいは流し、あるいは躱した。実力は明らかに彼女が上回っていた。

 

 次第に敵の息が乱れ始めた。バナーヌはそれを見逃さなかった。彼女は勢いをつけて相手の刀を振り払い、姿勢を崩させると、左手で手刀を作って、それを敵の頭へ振り下ろした。

 

「ふっ!」

 

 彼女の鋭い手刀は、まごうことなく敵の脳天に直撃した。

 

「ふぎゅっ!」

 

 悲鳴と共に、軽い金属音がした。どうやら敵は手刀を受けた衝撃で刀を取り落としたようだった。

 

 うめき声を上げて、敵は地面にへたりこんだ。

 

「ぐぅ……ううう……」

 

 突然、その場を光が照らした。それまで厚い雲に隠されていた月が、唐突に下界に姿を見せたのだった。

 

 バナーヌと襲撃者が月光で照らし出された。バナーヌは右手に首刈り刀を持ち、油断なく構え、敵に近づこうとした。

 

 滅多にないことだが、彼女は驚愕の声を発した。

 

「あっ!」

 

 頭を抑えて地面に膝をついている敵対者は、長い黒髪をしていた。露出度の高い臙脂色(えんじいろ)の忍びスーツを着ており、剥き出しになっている腕は健康的な褐色をしていた。腰に下げている大きな袋は、おそらく爆弾袋だろう。

 

 そしてその顔には、涙目の逆さ紋様の仮面があった。落ちている刀は、ピカピカの新品の首刈り刀だった。

 

 味方だ。バナーヌは愕然とした。今まで彼女が戦ってきた敵は、なんと仲間であるイーガ団員だったのだ。

 

 なんてこった。バナーヌは内心でひとりごちた。どうして早いうちに気づくことができなかったのだろう。眠気のせいか?

 

 だが、同士討ちの原因究明は後回しにすべきだった。今は一刻も早く誤解を解かねばならなかった。バナーヌは、静かな口調で目の前の仲間に話しかけた。

 

「お前は、イーガ団か」

 

 相手は、電撃に打たれたように小さな体を震わせた。そして、仮面のついた顔をバナーヌへ向けると、やや舌足らずな、少女に特有の可愛らしい声で、毅然として返答した。

 

「そう。私はイーガ団。あなたたち、シーカー族の宿敵よ」

 

 なに? シーカー族? この私が? バナーヌは混乱した。混乱しつつも、とにかくこちらの身分を明かさなければならない。彼女は口を開いた。

 

「待て、私はシーカー族ではない……」

 

 しかし、少女はバナーヌの言葉を最後まで聞かなかった。なにやら決意を秘めた、力のこもった声を出して、少女は祈りを始めた。

 

「魔王様、亡きお母様、尊敬するお父様、そして、バナナの神様に総長コーガ様! どうやら私が勝利することはできないようです。ですが、このまま敵に捕縛され虜囚(りょしゅう)の辱めを受けるわけには参りません。役立たずの娘の最後のご奉公を、どうかご照覧あれ!」

 

 そう唱えると、少女は仮面を脱ぎ捨てた。幼い顔があらわになった。その顔は、美しさと可愛らしさを奇跡的に両立させていた。秘めたる覚悟を不敵な笑みに変えて、少女は一心にバナーヌを見つめていた。

 

 仮面の下の顔のあまりのあどけなさに、バナーヌは一瞬呆気にとられた。その瞬間を少女はついた。少女は腰の爆弾袋から出ている朱色の紐を思いきり引っぱると、前方へ勢い良く飛び出した。少女は、バナーヌの腰にしっかりと両腕を回してしがみついた。

 

 興奮の色を隠さずに、そして切なそうに、少女は叫んだ。

 

「さあ、覚悟しなさい! イーガ団幹部ハッパの一人娘テッポが、ここに見事な『ダンコー・クニ』を(つかまつ)るわ! さあ、とくと味わいなさい!」

 

 バナーヌは戦慄した。

 

「なにっ!?」

 

 まさか「ダンコー・クニ」とは! ダンコー・クニはイーガ団流戦闘術「オ・クノテ」の中でも最終手段とされている、いわば禁じ手である。術者は大量の爆薬を身につけ、それに点火してから対戦者に組み付き、もろとも自爆する。要するに、人間爆弾戦法である。術者は当然のことながら、戦果と引き換えに死亡する。

 

 シューッという、導火線に火が走る音が聞こえた。

 

 内心では慌てていたが、バナーヌは冷静な声で、優しく諭すように言った。

 

「無益だ。離せ」

 

 少女は叫んだ。

 

「離すもんですか、絶対に!」

 

 腰にしがみついている少女を、バナーヌは改めて見た。少女はギュッと目をつぶっていた。その体は震えていた。少女は、数秒後にやって来るであろう死を待ち受けているようだった。

 

 すると、少女はなぜかスンスンと鼻を鳴らした。しがみついて密着した際にバナーヌのポーチに顔が近づき、その中身が発する匂いが少女の嗅覚を刺激したようだった。少女は透き通った声で言った。

 

「ああ、バナナのいい香りがするわ……バナナの神様、ありがとうございます。最期はバナナの香りに送られて、私はあなたのもとへ()くのですね……」

 

 いつ爆発するか分からない恐怖に、バナーヌは無表情の顔をやや引き攣らせながら、ここぞとばかりに少女を説得した。

 

「術を解け。バナナをやるから」

 

 少女は、鼻で笑った。

 

「ふっ、モノで釣ろうと言うなら無駄よ。あなたはここで私諸共(もろとも)木っ端微塵に吹っ飛ぶのよ」

 

 そんなつまらない死に方はごめんだった。バナーヌは必死になって言葉を繋いだ。

 

「このままでは同士討ちになる。やめろ」

 

 少女は、どこか間の抜けた声を上げた。

 

「はぁ? 同士討ちって……? じゃあ、あなたもイーガ団だって言うの? 名前は?」

 

 バナーヌは答えた。

 

「バナーヌ」

 

 少女はその名を聞いて、驚いたような顔をした。

 

「えっ、バナーヌ!?」

 

 少女は、改めて自分がしがみついている女性の顔をまじまじと見た。サファイア色の怜悧そうな瞳が少女を見つめていた。長くつややかなまつ毛が生えていた。黄金に輝く見事なポニーテールが闇の中で輝いていた。ツルギバナナのような、美しいポニーテールだった。

 

 少女は、見る間に狼狽し始めた。

 

「し、しまったぁっ!!」

 

 そして、少女はパッとバナーヌから離れると、腰の爆弾袋を帯革(たいかく)から外そうと格闘し始めた。しかし、焦った手付きでは何もかもうまくいかない。

 

 少女は慌てた声を出した。

 

「あれ、あれあれ!? おかしい、外れないわっ!?」

 

 ガチャガチャと金具は音を立てるが、爆弾袋は一向に外れる気配がなかった。

 

 見かねたバナーヌが強い口調で少女に言った。

 

「帯革を切って、それごと遠くに捨てろ!」

 

 少女が泣きそうな声で答えた。

 

「ああっ! 帯革を切るにしても、もう時間が……! ダメ、ホントに……あ、ああっ!」

 

 時間が来た。しかし爆発と閃光は起きなかった。

 

 その代わりに、「ボン」という軽い音がした。それと共に、白い煙がシューッと爆弾袋から漏れ出てきた。

 

 少女は唖然としていた。バナーヌも信じられないという心地で、少女と爆弾袋を見比べていた。

 

「ふ、不発? そんな馬鹿な、お父様お手製の爆弾が不発だなんて……?」

 

 バナーヌが言った。

 

「どうやら、そのようだな」

 

 べたりと、少女は脱力して地面にへたり込んだ。少女は今度こそ落ち着いて一つ一つ金具を外すと、爆弾袋の中身を改め始めた。

 

 バナーヌが注意を促した。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

 少女は答えなかった。少女はなおも袋の中をゴソゴソと探った。そして、何かを見つけたようだった。

 

「これは、手紙……? お父様の字だわ……『自爆攻撃は禁ずる。たとえ捕虜となって辛酸を舐めることとなっても、生き延びよ。父はお前を……』」

 

 しばらく少女は手紙を読み耽っていた。少女は読み終えると丁寧にそれを折り畳み、懐にしまった。少女は肩を震わせて、時折目元をそっと拭っていた。

 

 バナーヌは、その光景を静かに見守っていた。どうやら一件落着したようだった。

 

 バナーヌはポーチからバナナを二本取り出して、少女に一本を差し出した。彼女は言った。

 

「食え」

 

 少女は呆気にとられたような顔をした。

 

「えっ……? あ、これ、バナナ……ありがとう……」

 

 おずおずとした手つきで少女がバナナを受け取っている間に、バナーヌは一本を食べてしまった。さらに彼女はポーチへと手を伸ばした。

 

 しばらく控えめな咀嚼音が、廃墟の中で静かに響いた。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナナを食べ終えた少女は、バナーヌに頭を下げた。少女は真摯な声に心からの謝罪の気持ちを込めて、バナーヌに言った。

 

「間違ってあなたを攻撃したこと、本当に申し訳ないと思っています。謝罪します」

 

 深々と頭を下げているその少女、テッポを数秒見つめたあと、バナーヌはどこかそっけなく答えた。

 

「もういいよ。気にしてない」

 

 夜空の雲は晴れて、やわらかな月明かりがあたりを照らしていた。時折吹く夜風は冷たく、戦闘で興奮した体の熱をほど良い具合に下げた。

 

 バナーヌは改めて少女を見た。その少女、テッポは美しいが、まだあどけない顔をしていた。吊り目がちの目つきは鋭く、生来の気の強さが感じられた。歳はノチよりも三歳は下だろうか。やはり、まだ子どもだ。

 

 長い黒髪は(まげ)にされていなかった。髪は腰まで伸びていた。前髪は切り揃えられていて、それによって強調された広いひたいが知性と意志の強さを感じさせた。

 

 テッポはフィローネ支部の団員に特有の露出の多い忍びスーツを着ていた。健康的な褐色の肌が、淡い月光を浴びて輝いていた。

 

 その体格はまだ成長途上の貧弱さで、そのほっそりとした手足では重い爆弾を投げるのにも相当の苦労がありそうだった。先程の戦闘で、甲高いかけ声と共に投擲していたことからも、それが察せられた。

 

 じっとバナーヌに見つめられて恥ずかしくなったのか、テッポは少し顔を赤らめた。

 

「な、なによ、そんなに見つめて……」

 

 バナーヌはぷいっと顔をそむけた。そして、強いて話題を切り替えるように言った。

 

「なんでもない。それより」

 

 テッポは答えた。

 

「それより?」

 

 バナーヌは尋ねた。

 

「どうして、私を攻撃した?」

 

 問いを予期していたのだろうか、テッポはすぐに答えた。

 

「説明するわ」

 

 二人は地面に座った。なぜ同士討ちに至ったのかについて、テッポが真剣な面持ちをして語った。

 

「夕刻、輸送馬車がハイリア大橋にそろそろ差しかかるあたりで、何者かから襲撃を受けたのよ。敵は数人いたわ。クナイを四方八方から投げつけられて、馬が二頭怪我をした。でも敵はなぜか、すぐにその場から離脱していったの。輸送担当者のサンベの言うことも聞かないで、私は単独で敵を追いかけた……」

 

 聞いているバナーヌのサファイアの瞳はとろりと淀んで、どこか眠そうだった。戦闘の緊張が解けたことで、また眠気が彼女のもとへ戻ってきたのだった。それでも彼女は、静かにテッポの話に相槌を打った。

 

「無謀だな」

 

 テッポは図星をつかれ、ギクッとしたようだった。

 

「うっ、確かに無謀だったわ……敵はハイリア大橋を渡ったあたりで見失っちゃったし、日は完全に暮れるしで、途方に暮れたの。このまま戻ったらサンベには叱られるだろうし、もしお父様に知られたら失望されるかもって思って。だから、このまま敵を追いかけて、何か少しでも良いから情報とか手がかりとか手に入れようと思ったの」

 

 テッポは水筒の水をゴクリと一口飲んだ。一方、バナーヌはコックリコックリと首を上げ下げしていた。テッポは言った。

 

「宿場町跡地に来た時、廃墟の一室から光が漏れるのが見えた。私、あの時はやっぱり頭に血が上ってどうかしてたと思うんだけど、それを敵だと思ったのよ。それで、そこに近づいて、上から爆弾を放り込んだ。それでそこから、今に至るわけ」

 

 バナーヌは、話を聞いて思い当たるところがあった。たしか、廃墟で小休止をとると決めた時、彼女はなんとなくメテオロッドを灯りにして周囲を確かめたのだった。普段ならば自分から光を発する真似はしないのだが、眠気と疲労で注意力が散漫になっていたのか、そんなことをしてしまった。悪いことには悪いことが重なるらしい。

 

 ガクリ、とバナーヌの姿勢が崩れた。どうやら考えている間に半分寝ていたようだった。

 

 テッポが心配そうに訊いてきた。

 

「ちょっと、大丈夫? 本当は怪我をしてるんじゃない……?」

 

 バナーヌはなんとかして答えた。

 

「そんなことはない。それより」

 

 テッポが答えた。

 

「それより、何?」

 

 バナーヌは、一語を発するのですら面倒だった。それでも彼女は言った。

 

「あのクナイはなんだ?」

 

 テッポはやや考えたが、ああ、あれかと思い至ったようだった。

 

「馬車が襲撃された時に何個か拾っておいたのよ。それを有効活用しようと思っただけ。全然効果はなかったみたいだけど」

 

 バナーヌが、ぽつりと言った。

 

無様(ぶざま)な戦いだった」

 

 みるみるうちに、テッポの褐色の肌に血がのぼっていくのが分かった。テッポは大きな声でバナーヌに反駁した。彼女はちょっと涙目だった。

 

「そ、それはしかたないじゃない! 対人戦で殺し合いなんて初めてだったんだもん! 初陣(ういじん)よ! 初陣! こっちとしても初めての相手があなたみたいな変人でガッカリよ! おまけに同士討ち! せっかくの初めてだったのに!」

 

 バナーヌが短く、感情の見えない口調で言った。

 

「おい、ちょっと」

 

 気分を害したのだろうか? テッポは(おのの)いた。彼女はやや震えた声で答えた。

 

「な、何よ、怒ったの……? ちょっと言い過ぎたかもしれないけど、でも、私だってもっとかっこいい初陣にしたかったっていうか……その……大事な初めてだったし……」

 

 その言葉を聞いているのか聞いていないのか、バナーヌは力なく壁にもたれ掛かると、目を閉じて言った。

 

「すまん。夜明けになったら起こしてくれ」

 

 唐突な申し出にテッポは声をあげた。

 

「ええっ!?」

 

 バナーヌはすぐに安らかな寝息を立て始めた。まったく無警戒な顔をして、彼女は完全に寝入っていた。

 

 テッポは呆れたように言った。

 

「ええ……? お父様の言ったとおり、バナーヌってものすごい変人なのね……それにしても、はぁ」

 

 これからどうしようと、テッポは一人頭を抱えた。




 褐色黒髪ロング前髪パッツン真面目空回り系ロリ忍者、推参!(なお、当初はですわキャラまでつける予定だったが、収拾つかないので断念した模様)
「人生で最も貴重な瞬間、それは決断の時である」と、あるアニメンタリーの冒頭で言いますが、私がそれに付け加えるならば、それはやはりすべてにおける「初めて」だと言いたいです。
 特に可憐な少女や少年が「初めて」に心躍らせ、頬を紅潮させている様は、実に小説の対象としてふさわしいでしょう。そうでしょう、ね?
 ブレスオブザワイルドも「初めて」の連続でしたが、やはりインパクトのある「初めて」は「はじまりのイワロック」先輩ではないでしょうか。皆様はどうでしょう。

※加筆修正しました。(2023/05/07/日)
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