ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第二十四話 素肌

 ハイラルの悠久の歴史を叙述する際に採用されるスタイルは、実に様々である。

 

 その一つは、政治体制の変化を追うものである。つまり、何年何月に何某(なにがし)という王が即位し、何某(なにがし)という大臣の輔弼(ほひつ)を受けて、何々という政策を実施し、何年には自ら軍を興して親征し、何年何月に崩御した、ということを延々と記述していくスタイルである。こういった形式は王宮付きの歴史編纂官が好んだものだった。事実のみの記載であるから、価値判断という難しい問題から解放されるし、何より学者的な頭の冴えがなくとも歴史が書けるというのが強みだった。

 

 もうひとつは、各時代ごとの著名な人物に焦点を合わせた叙述スタイルである。例えば、農業改革に一役買った寒村出身の在野研究者、もしくは、夜光石の精錬の新技術を発明したゾーラ族の技術者、または、歌声でハイラル全土の生きとし生けるものを魅了し、魔物すら靡かせたリト族の歌姫、あるいは、容貌魁偉(かいい)で武錬抜群、胆力と知力に秀で、数々の戦場で無敵の凱歌を数知れず上げたゴロンの喧嘩屋など……これは、ハイラルの歴史は政治によって動かされるものではなく、人によって展開しているのだと信じる者が採用するスタイルである。いわゆる民衆派が好むスタイルだと言えよう。

 

 さらにひとつ、忘れてはならないのは、勇者と、姫巫女と、魔王との戦いを主軸に据えるスタイルである。神官団やシーカー族の賢者たちはこのスタイルを採った。彼らは営々脈々と各地の口伝や修道院の図書館の奥深くに眠っている写本を見つけ出して、それらを合わせて校訂し、まさしく「伝説」とするべく日夜全身全霊で体力と知力を振り絞っていた。

 

 上記の例の他にも、歴史を見る上での視点、いわば「切り口」というものはそれこそ無数にある。経済、軍事、都市設計、建築、生活、学問、教育、法律、文化、他種族との交流……

 

 新しく切れ味の良い視点もあれば、古くて錆びついた切り口もある。しかし、切れ味が良すぎるために却って結論が極端過激なものになってしまう場合もあるし、古くともその断面を丹念に観察して、彼なりの歴史を綴ることで一級の研究となることもある。

 

 いずれにせよ、歴史学者たちが目指していることはただ一つで、それはある一つの問いに対する答えを見いだすことである。

 

 その問いとは、すなわち「ハイラルの歴史の原動力は一体何か?」ということである。

 

 政治史家は、それは歴代の王とその政策というだろう。民衆派の歴史学者は、それは特別な力を持った特別な人間というだろう。「伝説」を信じ、考究する神官やシーカー族の賢者は、それは勇者と姫巫女と魔王だというだろう。

 

 だが、この汲めども尽きぬハイラルの歴史という大海を漕ぎ渡る上では、これらの見解を以てしてもまだまだ貧弱に過ぎる。せいぜいが大海の波打ち際で水遊びをするのが関の山である。まだまだ、ハイラルの歴史は研究途上なのだ。

 

 逆に言えば、歴史学者には伝統や学派にとらわれず、独自の観点から、次々と新しい歴史叙述を行う自由があるということになる。(こと)に、この滅んだ大地においてその自由は、あたかも天空を翔ける猛禽類のようにのびのびとした融通無碍(ゆうづうむげ)なものである。

 

 そういった自由から生み出されてきた、ある一つの新しい歴史観がある。

 

 その研究者は、大厄災以前のハイラル王国における教育水準について興味を持ち、その一環として、民衆の読書量について調査した。彼は各地の廃墟をめぐり、カカリコ村やゾーラの里、ハテノ村やリトの村を丹念に訪ね歩いて蔵書を見せてもらい、昔の民衆が特にどういうジャンルの本を好んでいたかということを探り出した。

 

 数年間に渡る地道で困難な研究の末に判明したことは、まず第一に、民衆たちの読書量は概算すると一週間に一冊のペースで、年間で約五十冊だったことである。城下町に住む都市住民だけではなく、日々野良仕事に追われ、日没頃には疲労しきっている農民たちも、かなりの量の本を一年間に読んでいたことになる。ハイラル王国における識字率の高さをこの事実によって窺い知ることができよう。

 

 次に、どのようなジャンルの本が好まれたかということが調べられた。研究者は仮説として、生活の役に立つ実用書、例えば農業書とか、技術書とか、作法指南書や手紙の例文集、他には宗教儀式に必要な伝説集や教理問答書などが好まれたのではないかと推測した。

 

 しかし、研究の結果判明したのは、ある意味で意外な事実だった。

 

 民衆たちが好んだものは、騎士物語だったのである。ある城下町の本屋の記録を見ると、一ヶ月の売上のうち、騎士物語関連の書籍が全体の六割を占めていた。地方のウオトリー村では、本と言えば医学書と騎士物語しかなく、漁師たちは挙って騎士物語の新刊を買い集めたという。「本屋開くにゃ騎士物語、ゾーラもゴロンもみんな読む」と()れ歌に歌われたともいう。

 

 それにしても、一見したところ民衆の生活とはまったく関係のない騎士物語が、なぜこれほどまで彼らの心情とマッチしたのだろうか?

 

 ある物語の例を挙げよう。それは、大厄災以前の王国で最も人気のあった騎士物語シリーズで、タイトルは『勇猛果敢なる騎士セバスンの物語』といった。

 

 この物語の舞台は、ハイラル王国がこの世に誕生する前の時代である。人々はスカイロフトと呼ばれる天空の島々で、大きな鳥を馬のように駆って暮らしていた。彼らは雲の下の地上のことを一切知らなかった。

 

 恵まれない生い立ちの主人公セバスンは、憧れの騎士学校に苦学の末に入校するが、意地悪な同輩たちから食堂の大樽運びや便所掃除などの過酷な使い走りをさせられる。その上、彼の体はいくら鍛えても貧弱なままで、勉強もうまくいかない。彼はついに落ちこぼれ一歩手前になってしまう。

 

 そこで、勇者が現れる。勇者は手ずから調合した霊薬をセバスンに与え、彼に活力と勇気を吹き込んだ。セバスンは奮起して、今までの倍以上のトレーニングを重ねて強靭な肉体と天空無双の怪力を手に入れる。彼はイジメっ子に復讐するが、恨みは持たない。彼は勇者に憧れを抱くが、崇拝することはない。セバスンは心身ともに健全な成長を重ねていく。

 

 いよいよ下界へ降り立つや、セバスンはハイラル王国の最初の騎士となって、数々の難敵を打ち破る。彼は魔族の残党をカボチャ投げで殲滅し、巨大生物を剣一本で単独で討伐し、他種族との紛争を無血鎮圧する。こうした偉業を重ね続け、彼はついにハイラル王国の大将軍となる。

 

 この『騎士セバスンの物語』は大ヒットし、重版を重ねた。どの本屋の記録にも必ずこの書名が出てくる。また、何種類ものバリエーションが書かれた。たとえば『騎士セバスンの優雅なる恋』、『騎士セバスンとデスマウンテンの大怪物』、『騎士セバスンの砂漠横断記』、『騎士セバスンの剣術十番勝負』など、そういったバリエーションを数え上げれば優に百作品を超える。

 

 物語が「ウケた」要素としては、数々の魅力的な女性とセバスンとのラブロマンスや、セバスンと勇者との熱き友情、あるいは篤き忠誠心などがあろう。だが、何よりこれが民衆の心をとらえて放さなかったのは、この物語が「立身出世」の物語だったからではないかと、その研究者は言う。

 

 当時のハイラル社会の状況を想像してみよう。長きに渡る平和によって環境は安定している。大規模な社会変動は起こらず、時間が経つにつれて階級は一層強固に固定され、階級間の移動は滅多なことでは起こらないようになった。農民として生まれたら一生農民のままであり、下級官吏の家に生まれたら生涯下級官吏に甘んじなければならない。下からの人材登用という目的を持っている国家試験制度も、莫大な教育費用を湯水のごとく投入できる富裕市民階級の子弟しか、実質的には利用できない。

 

 そんな鬱屈した、閉塞感に満たされた暗い日々を送っている民衆にとって、「立身出世」の『騎士セバスンの物語』がどれだけのインパクトを与えたのか、容易に想像できるのではないか? そう研究者は言う。 

 

 大半の読者は、食い入るように物語を読み続けながらも「所詮は拵えごとだ、現実はこうはいかねぇ」と思っていただろう。だがそれ以上に読者たちは、様々な困難を打ち破り、美人と出会い、勇者と友になり、姫君から信任され、名声を得て人々から崇められるようになるセバスンの姿に、自己を投影し、セバスンと一心同体となって、共に最底辺から最上級へと駆け上る、そういう涙の出るほどの高揚感と感動を味わっていたのではないだろうか?

 

 ところで、勇者の物語は、立身出世ではない。勇者の物語は、いわば神話である。勇者は女神に愛されたかのように、生まれながらに強大な力を持ち、どんな困難も怖れない勇気を持っている。勇者は誰よりも孤独で、富や名声を求めず、自己をなげうって魔王に立ち向かい、報われることなく世界を救う。姫とは堅い絆で結ばれているが、時には永遠の離別の悲しみにすら耐えなければならない。

 

 どちらが大衆的なウケが良いかは一目瞭然だろう、とその研究者は言う。とてもではないが、一般人では勇者にはなれない。だが、「セバスン」にはなれるかもしれない。たとえ物語の上での話でも、この辛い日常を忘れ、彼のように社会を縦横無尽に駆け巡ってみたい……

 

 この研究結果から見えてくることが二つある。ひとつは、勇者は尊敬と崇拝の対象ではあっても、娯楽の対象にはならなかったということである。もうひとつは、昔のハイリア人の「立身出世」志向が、後代に生きる我々の想像よりもかなり高いものであったということである。

 

 この民衆の心的な傾向性を、時の為政者たちがどのように評価していたのかは、また今後の研究を俟つほかない。今、少なくとも言えることは、ハイラル王国が大厄災によって滅んだことで、同時に民衆たちの立身出世志向も粉砕されたということである。

 

 偉くなってあいつらを見返してやりたい! だが、「偉くなる」とはどういうことか? それに、「あいつら」とは誰のことか? そもそも、この小さな村で偉くなることができるのか? 誰かを見返してやる必要があるのか?

 

 金持ちになって、富を見せつけてやりたい! だが、そのルピーで買える貴重なものなど、この荒野に残っているのか? そもそも、ルピーで得られる贅沢とは何か?

 

 気品と教養を身につけ、洗練された立ち居振る舞いをし、社交界で数多の女性たちを虜にしたい! だが、その女性たちはどこにいる? それに、社交場のダンスホールなど、とうの昔に崩れ落ちて廃墟になっているではないか?

 

 だが、時代錯誤な願望を抱く者は、いつの時でも必ず生まれてくるものだ。荒れ野にあって、(はた)から見れば夢物語そのものの「立身出世」を目指す者が、やはりこのハイラルの大地に今もいる。

 

 また、一個の独特な社会と組織と文化を持つ集団にも、立身出世という幻影はしつこく付き纏っている。

 

 武技を練り、胆力を蓄える。敵を屠り、任務を華々しくこなす。目上の者に媚びへつらい、目下の者を手足のごとくこき使う。隠忍自重の数十年を送る。「一寸先は闇」という恐怖と不安を圧し殺し、忍耐に忍耐を重ねて、やっと組織の上層へ至ることができる。

 

 社会のアウトサイダーであったイーガ団が、民衆の中心にあった立身出世願望を今日最も強く保持しているのは、皮肉なことであるかもしれない。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナーヌとテッポが宿場町跡地で壮絶な同士討ちを繰り広げていた、その夜のことであった。

 

 月は、せっかく放った光を幾重もの雲に遮られていた。下界は漆黒の闇に包まれていた。さわさわと鳴る夜の風が、湿った地面を乱雑に撫でていた。遠くからキースの群れのザワザワという声が聞こえてきた。時たま、サンゾクオオカミの遠吠えも聞こえてきた。

 

 そこは、平原外れの馬宿だった。馬宿の中で、若い男の大きな声が響いた。

 

「じょっ、冗談じゃないっスよ! そんなヤバそうなやつ絶対に飲みたくないッスよ!」

 

 若い男は大騒ぎをしていた。全身に包帯が巻かれて寝台に横たわっている彼は、青い印半纏を着ていた。それはサクラダ工務店新人社員である、カツラダだった。彼は動かせる範囲で腕を振り回し、懸命になって拒否の態度を示していた。

 

 彼の上司であるサクラダと、先輩であるエノキダが、難しい顔をしてベッドの前に立っていた。サクラダは言った。

 

「むぅ、カツラダの分際(ぶんざい)で、意外と強情だワ……」

 

 エノキダが諭すように言った。

 

「カツラダ。お前も知ってるだろう、魔物エキスの効果は。今度のやつは『飲めば必ず怪我にも効く』と、宿長も確約してくれたじゃないか」

 

 エノキダの手には、コップがあった。コップには濃い紫色をした液体がなみなみと注がれていた。液体からは、心なしか変なにおいが漂ってくるようだった。それは腐ったイノシシの内臓のようなにおいだった。

 

 寝台の上のカツラダは、なおも叫ぶように抗弁した。

 

「改良型が届いたとか何とか言ってたみたいですけど、そんな明らかにヤバそうなのは飲みたくないッス! ヤダヤダヤダッス!」

 

 サクラダが優しく言った。

 

「宿長の話では、『骨折、挫傷(ざしょう)、打撲、切り傷、下痢、自律神経失調症、何にでも効く新薬』らしいワ。そんな貴重なものをタダで提供してもらったのヨ? ここでアナタが飲まないのはサクラダ工務店の恥よ、恥! さぁ、もう観念して。飲みなさい」

 

 カツラダは涙目で、社長を精一杯睨んだ。

 

「イヤっす!」

 

 その返答を聞いたサクラダは、なぜかニヤリと口元を歪めた。

 

「そう、どうしてもイヤなのね?」

 

 カツラダはなおも言った。

 

「社長の命令といえど、イヤなもんはイヤっす!」

 

 サクラダはひとつ溜め息をつくと、次に獰猛な笑顔を浮かべた。獲物を前にした捕食者のように、彼の瞳は爛々(らんらん)と輝いていた。彼は言った。

 

「では仕方がないワね。強硬手段よ。エノキダ、それを寄越しなさい」

 

 エノキダは頷いた。

 

「はい」

 

 サクラダはエノキダからコップを受け取ると、中身の液体を口内に流し込んだ。彼は口の中に液体を溜めた。そして、素早い動きで寝台の上に飛び乗ってカツラダのマウントを取ると、彼は有無を言わさぬスピードで、カツラダの口へ自分の口を押し当てた。

 

 最低なキスだった。

 

「ぶちゅーー!!」

 

 カツラダは暴れた。

 

「もががっ!?」

 

 カツラダは暴れたが、数秒後にはおとなしくなった。

 

「むぐ、むぐぐ! むぐぉおお……ごくっ、ごくっ……」

 

 一方、サクラダは至極満足そうだった。最低なキスを終えた彼は満足そうに言った。

 

「やったワ! 大成功よ! あ、吐いたらもう一回やるから、吐いちゃダメよカツラダ。頑張って」

 

 カツラダは涙目だった。彼は吐きそうになるのを必死にこらえた。

 

「うぇええええ……ごく……」

 

 隣でその様子を見ていたエノキダは、思わず目を(そむ)けた。なんともおぞましい。そして、恐ろしい。これぞ社長の百八ある必殺技の一つ、口移しである。

 

 そして、エノキダはさらに残酷なことを苦しんでいる後輩に言わなければならなかった。彼は言った。

 

「カツラダ。宿長が言うには、『怪我を治すには最低でもコップ三杯は飲まないといけない』そうだ。次も用意してある。さあ、飲め」

 

 エノキダの言葉を聞いて、サクラダが舌なめずりをした。

 

「あら! じゃもう一回口移ししてあげるワ! さあ力を抜いて……」

 

 馬宿中に、再度カツラダの悲痛な叫びが響いた。

 

「もうやめてくれっスぅうううう!!」

 

 

☆☆☆

 

 

 残酷な口移しが行われていた、その同時刻のことであった。

 

「なんだか騒がしいですね。庶民の分際で私の気を煩わせるつもりでしょうか」

「ええ、ええ、まったく、貴重なお時間を頂いてこうしてお会いしているというのに。まったくあの叫び声は無粋ですね、ええ」

 

 そこは馬宿から少し離れた街道の上だった。そこに、四輪の四頭立て馬車が止まっていた。変わった意匠の彫刻が施された、白く豪華な馬車だった。その車輪は大きく頑丈で、車軸は太かった。白い馬たちは精悍で、よく調教されているようだった。馬車の持ち主が、実用性と芸術性の両方を重んじる性格をしていることが窺えた。

 

 馬車のキャビンの中は、薄暗かった。夜光石のランプが灯されていて、淡い緑色の光が放散されていた。車内にいるその二人の人物は、互いの顔を見ようとしてもその輪郭だけをようやく捉えられるに過ぎなかった。

 

 一方の座席には、恰幅の良い男が座っていた。男の年頃は中年か、もしくはそれより少し若いかもしれなかった。男の肌は日焼けしていて、浅黒かった。その髪はくすんだ金髪だった。男は豊かな口髭を蓄えていた。釣り上がった眉と鋭い眼光からは、ただならぬ迫力が感じられた。この男がつまらない労働に従事するような人物だとは到底思われなかった。

 

 男の対面の座席には、奇妙に小さいシルエットが座っていた。その小さな男は、醜悪な容姿だった。彼は人間のものとは思われぬ灰色の肌をしていた。おむすびのような三角形の頭に、ひとかたまりの白髪が張り付いていた。下側の二本の前歯が口外に飛び出していて、それが男の姿の奇怪さを一層増していた。

 

 金髪の男は、上質な赤ワインがたっぷりと注がれたクリスタルのワイングラスを、ゆっくりと、誇示するように口元へ傾けた。金髪の男は、それを味わったのか味わわなかったのか、すぐに口を開いた。

 

「で、チミの報告を聞こうではありませんか。目的のものは入手できたのですか」

 

 灰色の男は、待っていましたとばかりに、急き込んで答えた。

 

「そう、そう! これを見てください! このサファイアの首飾り! やはり私の仮説は正しかったんですよ! デグドの吊り橋上の怪物は確かにいたんです! これをどうぞ。とくとご覧になってください」

 

 灰色の男は、金髪の男にサファイアの首飾りを手渡した。そして彼は、あれこれとそれまでの経緯について、不明瞭な言葉遣いで、かつ早口で(まく)し立てた。何を言っているのか今ひとつ理解のできない話だった。灰色の男の話し方には、人に理解させる気があまり見受けられなかった。

 

 金髪の男は、灰色の男の話をまったく聞いていなかった。どうやら彼は、灰色の男の話を雑音かなにかのように感じているようだった。彼は不機嫌そうな顔をしていた。彼はサファイアの首飾りをちょっと持ち上げて、夜光石のランプで宝石を照らした。それをしばらく見つめた後、彼は飽きたかのように放り投げて、言った。

 

「つまらないですねぇ」

 

 灰色の男は、投げ捨てられらサファイアの首飾りを慌ててキャッチした。

 

「わわっ! 何をするんですか、ご無体(むたい)な!」

 

 金髪の男は、それを冷たい視線で眺めていた。彼は低い声で言った。

 

「チミぃ、私が依頼したことを覚えていますか?」

 

 灰色の男が、なぜそのようなことを今更というような顔をして答えた。

 

「それは、もちろん。ハギさん、あなたは『何か面白いものを持ってきて下さい。そうすれば資金援助をします』とおっしゃいました。だからこれを持ってきたんですよ」

 

 灰色の男からハギと呼ばれた金髪の男は、もう一杯グラスへ赤ワインを注ぐと、ちょっとだけ口に含んだ。彼はまた言った。

 

「気安く人の名前を呼ばないで下さい。それにしてもチミ、ちゃんと私の依頼を覚えているではないですか。ではなぜ、こんなつまらないものをそんなにも得意げにここへ持ってきたのですか?」

 

 灰色の男は、困惑の表情を浮かべた。彼は言った。

 

「えっ、これが面白くない? かつて英傑ですら手を焼いた、吊り橋上の怪物が持っていたサファイアの首飾りですよ? 値をつけるなら一万ルピーは下らない逸品ですよ」

 

 金髪の男、ハギは、心底呆れたように溜息をついた。そして、あたかも物分りの悪い使用人を主人が訓戒するような口調で、ねちっこく話し始めた。

 

「はぁー……分かっていませんね。所詮はチミも一匹の庶民ということですか。私のような上流階級の考えは庶民は理解できないのでしょうか。良いですか? 私のように何もかもを手に入れてしまった人間にとって、サファイアの首飾りなんてどうってことはないシロモノなんですよ。英傑がどうだの、魔物がどうだの、そんな物語にも興味はありません。あなたの発想と私の発想はあたかもトンボと妖精。まるで釣り合いが取れてないんですよ……」

 

 ハギはそこまで言うと、いったん言葉を切った。そして、ワインを一口飲んだ後、刑を宣告するように言った。

 

「これでは、資金援助なんてできませんね」

 

 話を聞いた灰色の男は、いささか動揺したようだった。おずおずと、彼は言葉を発した。

 

「そ、そんな……このサファイアの首飾りは貴重な歴史的遺物ですし、何より伝説の吊り橋上の怪物の存在を実証するものなのに……」

 

 ふんっ、とハギは馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「自分にとって大事とか貴重とか思えるものが、必ずしも他人にとってはそうではない。それどころかゴミや汚物に過ぎないこともあるという単純な社会常識が、チミには欠けているようですね。これまで一体、どんな教育を受けてきたんですか」

 

 灰色の男は深刻そうな顔をしてハギの言葉を聞いていた。だが灰色の男は、そのような罵倒混じりの難詰を容易く聞き流せる図太い神経を持っているようであった。灰色の男はめげずに答えた。

 

「では、あなたが面白いと思うものはなんですか? 次こそそれを持ってきてお目にかけますから、どうか資金援助のことだけは打ち切らないでいただきたいのです……マモノショップ開店は私の夢、私の悲願ですから……」

 

 グラスの中のワインをぐるぐると回しながら、ハギはしばし考えにふけるようだった。

 

「ふむ……」

 

 痛いほどの沈黙がキャビンに満ちた。数分してから、ハギは口を開いた。

 

「……私はね、庶民共から成金と言われています。少年時代は貧乏で、その日のパンにも事欠く毎日でした。その後は、己の才覚と剛腕だけで財を築き上げ、人を顎で使えるまでに自身を高く、(たっと)く持ち上げてきました。一夜にして財を得た山師に対するような、『成金』などという呼び名はあまり好きではないですが、私が今まで送ってきた立身出世的な成功譚に満ちた人生は、我ながら気に入ってます」

 

 ゴクリと喉を動かして、ハギはワインを一口飲んだ。彼は言った。

 

「ルピーを得てから、私はありとあらゆる贅沢をしました。食べ物や酒は常に最高級のものを追求しました。身を飾るものは最上の素材と最高の技術で作られたものだけにしました。しかし、そんな贅沢は一年も経たずに飽きるものです」

 

 ハギは窓の外へ目をやった。車外は暗闇で、何も見えなかった。

 

「物質的な贅沢に()んだ時、私はふと、今まで見てきたモノを思い出しました。私はいろいろな人々を見てきました。はしたルピーのために父を売る息子、商売のために娘を売る母、若者の生き血を啜る老人、自尊心が昂じて破滅する若き天才、幸運だけで生きている大馬鹿者……面白かったですよ。大厄災前の王国には劇場というものがあったそうですが、そこで上演されるどんな演目よりも面白いであろう人間劇を、私は見てきました。ある日、私は、面白さとはつまりそういうものだと気づいたんです。私は、物質的なものから一段階上がって、ついに精神的な楽しみを見出すことができたんです」

 

 そう言いつつも、ハギの顔はどこか不満そうだった。彼はまったく楽しくないというような顔をしていた。灰色の男は、そんなハギを見つめていた。何をハギが言わんとしているのか、灰色の男もその時には分かり始めていた。

 

 ハギは言った。

 

「だからね、チミ。私が面白いと思うものは演劇なんです。人が死んだり傷ついたり、裏切ったり裏切られたり、殺し合ったりする、そういう最高級の演劇なんですよ。命のやり取り、その生命力の迸り。そういったものを私は見たいんです。サファイアの首飾りなんてつまらないものです。すべてを手に入れた私にとって、楽しみがそれだけしかない……そんな悲しみがチミに分かりますか?」

 

 再び、その場に沈黙が舞い降りた。話を聞いた灰色の男は、最初は静かに俯いていたが、やがて肩を小刻みに震わせ始めると、最後はケタケタと笑い声を上げた。

 

「キャキャキャッ! いや、面白い! あなたは実に面白い! 人間としておよそ望ましい限りの状態にあるあなたが、なんとも魔物的な欲求を抱いているなんて! ああ、ああ、なんとも、キャキャキャッ! あなたこそ本当の魔物かもしれませんね! 魔物以上に魔物的だ!」

 

 ハギは眉を顰めた。甲高い笑い声が彼の神経に障ったようだった。だが、声を荒らげることなく、ハギは灰色の男に言った。

 

「それで、チミはそういうものを用意できそうですか」

 

 灰色の男は、ニッコリと醜怪な笑みを浮かべた。

 

「おまかせください。そういうことなら、この平原外れにはうってつけのものがございます。そう、かつての庶民共の立身出世の晴れ舞台が……」

 

 灰色の男は、ある方角へと視線を向けた。その先には、闇に包まれた闘技場跡地があった。

 

 

☆☆☆

 

 

 ポカポカとした、柔らかな暖かみを彼女は頬に感じた。瞼の裏が、薄い紅色に染まっていった。爽やかに澄んだ空気が、鼻腔の奥へとやって来た。小鳥たちの(さえず)りが、耳に心地良かった。

 

 朝が来た。気持ちの良い夜明けだった。薔薇色の指をした曙の女神がはにかみ屋の太陽を引き連れて、この広漠としたハイラルの大地へと姿を見せたのだった。

 

 バナーヌは、目を覚ました。彼女はその日最初の声を発した。

 

「……夜明けか」

 

 彼女は横になったまま、意識が完全に覚醒するのを待った。久しぶりに纏まった睡眠をとったことで、彼女の体からはほぼ完全に疲労感が抜けていた。

 

 ふと、彼女は横を見た。そこには、前夜同士討ちを繰り広げた相手である、テッポが横になっていた。少女はすやすやと、安らかな寝息を立てていた。

 

「すぅ……すぅ……むにゃ……」

 

 その両目はピッタリと閉じられていた。たっぷりとした、(うるし)のような黒髪が広がっていた。朝の日差しに照らされた褐色の肌が、健康的な輝きを放っていた。

 

 昨晩、夜明けになったら起こせと言っておいたはずなのに。しかし、バナーヌは怒る気になれなかった。こうして明るいところで見てみると、ますますテッポは子どもだった。その華奢な手足と、忍びスーツの隙間から覗いている腹部の丸まり具合を見ても、強くそう思われた。

 

 子どもというものは、よく眠るものだ。バナーヌはそう思った。それに、昨晩は初めての対人戦闘だったという。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていたのだろう。

 

 バナーヌは、短く言った。

 

「……よし」

 

 彼女はテッポをまだ寝かせておくことにした。やるべきことを思いついたバナーヌは、そっと立ち上がった。足音も立てずに廃屋から外へ出ると、彼女は宿場町跡地の中央にある、破壊された噴水へと歩いた。

 

 崩れた噴水には、朽ちたガーディアンがのしかかっていた。このような状態になるまで、いったいどのようなドラマが展開されたのだろうか。しかしバナーヌはそのようなことに思いを馳せることはなかった。彼女はただ手を伸ばして、噴水に水が残っているか確かめた。

 

「水は……あるな」

 

 噴水の跡には、ボウフラも湧いていない綺麗で新鮮な水がたっぷりと溜まっていた。そうであるならば、彼女のやることは決まっていた。彼女は洗顔とうがいを始めた。

 

 バナーヌはうがいをしたあと、バシャバシャと音を立てて顔を洗った。以前、ノチから「乱暴に顔を洗うのは、くすみとシワのもとだよ」と言われたことがある。だが、バナーヌはこの洗い方が好きだった。洗い終えると、彼女は手拭いで顔を拭いた。

 

 ふと、バナーヌは思いついた。

 

「体も拭くか」

 

 彼女は、デグドの吊り橋の下で少しばかり水浴びをしていた。その後、彼女はウィズローブたちと死闘を繰り広げ、炎に焼かれ、煙に(いぶ)され、土に埋まった。その後も彼女は、休む間もなく街道を走ってここへ来た。夜、彼女はテッポの爆撃に遭って硝煙にまみれた。綺麗好きな彼女にとって、体の汚れは許容できる範囲をとっくに超えていた。

 

 バナーヌは、忍びスーツの上を脱いだ。さらしの巻かれた白い上半身が露わになった。すぐさま彼女は、そのさらしも脱ぎ去った。オルディンダチョウの卵もかくやといわんばかりの、白くて大きな胸部が外気に晒された。その両端は健康的に上向いていた。優しい朝の日差しを浴びて、彼女のキメの細かい白磁のような肌が輝いた。

 

 彼女は両手で水をすくい、バシャバシャと体にかけた。手拭いを水に浸すと、彼女はゴシゴシと体をこすった。彼女の大きな胸が揺れていた。彼女は、その割れた腹筋をなぞるように手拭いでこすった。今までの戦闘で酷使した両肩を労るように、彼女は拭いた。大きな胸がその時ばかりは少しわずらわしかった。バナーヌは丹念に体を清めていった。

 

 やがて、彼女は言った。

 

「よし」

 

 上半身は終わった。次は下半身だ。こういうのは一気にやってしまったほうが良い。彼女はそう思った。あまり時間をかけてしまうと、いくら鍛え上げているとはいえ、朝の冷たい大気のせいで風邪を引いてしまうかもしれない。

 

 バナーヌは特技の早着替えで、忍びタイツを半秒もかけずに脱いでしまった。もはや彼女が身に着けているのは、下着一枚だけだった。優美でしなやかな両脚が、素肌を晒していた。

 

 彼女は伸びをした。声が漏れた。

 

「くっ、ふっ、うぅ……」

 

 ストレッチは、やはり良いものだ。彼女の鍛え上げた筋肉がキリキリと音を立てて、そして弛緩した。独特の心地良さで彼女の心が満たされた。

 

 ストレッチが終わると、彼女は深呼吸をした。

 

「ふぅ……すぅ……」

 

 気分は爽快だった。生き返るようだった。さっさと下半身も綺麗にしてしまおうと彼女は思った。彼女は再度、手拭いを水に浸そうとした。

 

 突然、彼女の背後で叫び声が上がった。

 

「あぁーっ!?」

 

 続けて、ガチャリという金属音もした。何か硬いものを下に落としたような、そういう音だった。

 

「む……?」

 

 バナーヌは、ほぼ全裸の状態で、後ろへ振り向いた。

 

 そこには、テッポがいた。テッポの足元には首刈り刀が転がっていた。なぜかテッポの顔は茹でオクタのように真っ赤だった。彼女は大きな目をさらに大きく見開いていた。

 

 テッポは片方の手を口に当てていた。もう片方の手の指は、バナーヌへ向けられていた。信じられないという顔をして、テッポはバナーヌを見つめていた。

 

 言葉にならない言葉をテッポは口から漏らしていた。

 

「な、な、なっ……!?」

 

 何を驚いているのだろうか? 体を拭いているだけなのに。バナーヌは怪訝に思った。とりあえず彼女は、朝にはいつもノチにしているように、朝の挨拶をすることにした。

 

 彼女は片手を挙げて、軽く挨拶した。その胸が揺れた。

 

「おはよう、テッポ」

 

 テッポは渾身の叫びを放った。

 

「なんでお外で裸になってるのよっ!? このヘンタイィッ!」

 

 近くの森の鳥たちが、バサバサと音を立てて逃げ飛んでいった。




 今回はスカイウォードソードネタを出してみました。「セバスンは地上に降りたあと無敵の切込み隊長になってそう」というプレイ当時の私の家族との会話から今回のネタを思いつきました。
 そしてバナーヌはまた脱ぎました。三回目です。冷静に考えればそこはかつて宿場町だったわけですから、つまりバナーヌは人混みでごった返す宿場町のど真ん中でほぼ全裸になってるわけです。忍びとはいったい……? テッポは育ちが良いので驚いています。

※加筆修正しました。(2023/05/08/月)
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