ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第二十五話 埋もれよ眠り

 朝は意地悪だ。昔のハイリア人はそう思っていた。

 

 朝は、柔らかな優しい笑顔を浮かべつつ、逃れられぬ(かいな)を振るって人間を今日の生命の戦いへと駆り立てる。時には爽やかな息吹を送り、時には黒雲を纏って陰鬱な雨を注ぐ。老いも若きも、男も女も、健やかな人にも病める人にも、ゴロン族にもゾーラ族にもリト族にもゲルド族にも、朝は平等に訪れる。

 

 紺色の空がだんだん白んできて、朝は、はにかみながら薔薇色の笑顔を浮かべる。そうしておきながら、人間にあれこれと意地悪く命令する。

 

 ほら、起きて、履物(はきもの)を履きなさい。水を一杯、口に含みなさい。顔を洗ったら、さあ、(かま)を手に取って。畑に出なさい、厩舎(きゅうしゃ)へ行きなさい、かまどへ行きなさい。今日も一日頑張るのですよ!

 

 大厄災以前のハイラルの大地、なかんずく城下町のごとき都市部において、朝は、慢性的な疲労に苛まれ常に物憂げな表情を浮かべている下級労働者にとって、なんとも説明のしようもない、嫌な時間だった。

 

 労働者たちは全身の筋肉を酷使して重い石材を運び、塵芥(じんかい)にまみれつつ腰をかがめて溝を掃除し、続々と街道を上ってくる輸送馬車に取り付いては荷卸しを続ける。地方から出稼ぎにやってきた彼らには、一緒に住む家族はいない。家族は故郷にいる。父や兄弟の帰りを、家族は一日千秋の思いで待っている。

 

 彼らがわずかながらでも安息を得られるのは、食事の時と、寝る時だけだ。

 

 疲れ切った体に塩味の濃い野菜スープ、小麦パン、たまに一切れの干し肉、それに安いリンゴ酒……城下町が恵まれた食糧事情のもとにあるといっても、労働者に過ぎない彼らが日々金を掛けずに食べられる食事はこんなものだった。それに彼らは、少しでも節約して家族へルピーを送ってやらなければならない。

 

 そして、彼らは眠る。泥のように夢も見ずに、ただ彼らは眠る。向学心の強い者は、疲労を学究心と負けん気でごまかして、冷たい月明りの下で読書をする。ランプは使わない。燃料代がもったいないからだ。そんな者でも二時間が限度で、あとは眠ってしまう。

 

 死んだように彼らは眠る。いや、誰も気づいていないだけで、本当に彼らはその時だけは死んでいるのかもしれない。

 

 また、朝が来る。空気はヒンヤリとして澄んでいる。被っている毛布が擦れる音の他は何も聞こえない。突然、静寂を突き破ってコッコの鳴き声が響き渡る。ハイラル城の礼拝堂の鐘が鳴る。牛乳配達の荷車が石畳をゴロゴロと鳴らしながら下の通りを走っていく。商店が鎧戸を開け、新聞配達の少年が頬を赤くして走り回る。

 

 さあ、今日も仕事だぞ。ボロの作業着を着て、タライの水でうがいと洗顔をすると、もう身支度はおしまいだ。彼らはボソボソの固い乾燥したパンをかじりつつ、今日も仕事場へ向かう。

 

 ああ、このような朝があと何年続くのだろうか。故郷の妻や子たちに会えるのはいつの日だろうか……?

 

 物憂げな彼らにも、朝は微笑んでいる。そして、その表情とは裏腹に、力強い(かいな)を容赦なく振るうのだ。さあ、戦いの始まりですよ、と。

 

 だが彼らも、ついに思い知っただろう。その憂鬱な朝こそが、望んでも望みえぬほど貴重なものであったことを、彼らは思い知ったに違いない。変わり映えなく毎日訪れる朝こそ、世界が光に満ち、生命に満ち、希望に満ちていた証拠であったことを、彼らは知ったはずである。

 

 大厄災以降の朝は、以前と少し変わった。まず、朝を享受できる人間が、ちょっとばかり減った。

 

 そして人々はついに、意地悪ではない、朝が本来持つ優しさに気づき始めたようだった。特に旅人や冒険者、わけても戦闘者は、朝が振りまく温かみを実感していた。

 

 前日、彼は魔物との血生臭い激戦を辛くも制した。彼は怪我をした(うで)に包帯を巻いて、そこら中に散らばる血痕と肉片と残骸の中で、正体もなく眠る。

 

 ふと瞼に光を覚えて、彼はそっと目を開ける。眼前に広がるのは、黄金の輝きを纏った美しい朝の空である。

 

 爽やかな朝の息吹を浴びて、彼の野性はブルブルと躍動する。

 

 昨日は生き残った。そうさ、今日も生き残ってやる!

 

 昂然(こうぜん)と、彼は胸を張る。そんな人間の姿を見て、朝は微笑んでいる。朝はもう、その(かいな)を意地悪く振るうことはない。

 

 

☆☆☆

 

 

 夜明け直後の、早朝だった。イーガ団フィローネ支部の新米団員である少女テッポは、その幼いながらも端正な顔を真っ赤にしていた。彼女は、ワナワナと震える人差し指を視線の先の人物に向け、声の限り叫んだ。

 

「なんでお外で裸になってるのよ! このヘンタイィイイッ!?」

 

 近くの疎林から鳥たちが一斉に飛び立った。テッポの得意とする爆弾(バクダン)が爆発したとしても、これほどまでに鳥を驚かせることはないだろう。

 

 一方、テッポにヘンタイ呼ばわりされたバナーヌは、なんら表情を変えなかった。きめの細かな輝く白い肌を外気に晒しつつ、彼女は下着一枚の姿のままでテッポを見つめていた。彼女の親友のノチが見れば、その顔にやや不可解そうな色があるのを認めたであろうが、そんなことは出会って間もないテッポには分からなかった。

 

 なぜ、水浴びを咎められなければならないのか。必要なことだからやっているだけなのに。バナーヌはそう思った。

 

 身体を清潔に保つことは、とりもなおさず、健康状態を維持・改善し、戦闘力の低下を防止することにつながる。これはイーガ団の教義においてもしっかりと述べられている。イーガ団員たる者は、平時においては常にその身を清潔に保つべきである。戦時においては、戦場の不衛生に甘んじるべし……そんな感じである。

 

 それなのに、テッポは怒っている。それがバナーヌには不思議でならなかった。水浴びをするのだったら、裸になるしかないではないか。服を着たまま水浴びをすることなんて不可能だ。それなのに、なぜヘンタイ呼ばわりされなければならないのか?

 

 テッポの声が響いた。怒ったような声だった。

 

「ちょっと、何ぼんやりしてるのよ! 早く服を着なさいよ!」

 

 いつの間にか、テッポがバナーヌの目の前に来ていた。テッポは腕を組んで、長身のバナーヌを見上げていた。その顔はまだ赤かった。テッポはチラチラと視線を走らせて、バナーヌの身体を観察していた。白くて美しい、引き締まっていながらも肉付きの良い身体へ、テッポの視線が降り注いだ。テッポの口からは時々、「うわっ……」とか「すごっ……」という小さな声が漏れていた。

 

 ややあって、テッポは言った。

 

「ほら、早く服を着なさい!」

 

 バナーヌは、静かに訊いた。

 

「どうして?」

 

 敵の気配はおろか人の気配とてここにはないのだから、今すぐ服を着る必要はない。バナーヌはそう思った。男に裸を見られるのは絶対に嫌だが、このテッポに見られるのならば何も問題はない。

 

 問いかけられたテッポは、呆れたような顔をした。

 

「どっ、どうしてって、あなたねぇ……」

 

 なぜかテッポは沈黙してしまった。しかし、その視線は未だに泳ぎ続けていた。

 

 右手を顎の下に添えて、しばらくバナーヌは考えた。大きな胸が右腕で圧迫されて柔らかく形を変えた。

 

 そして、バナーヌはハッと得心した。テッポは新人で幼く、おまけに今回が初陣だ。だから、水浴びの意義を充分理解してないのだろう。

 

 ならば、ここは先達(せんだち)として指導をしてやらねばならない。

 

 バナーヌは、腰に手をやった。大きな白い乳房が完全に露わになった。それを見て、テッポはますます顔を赤くした。

 

 彼女なりに真心を込めて、バナーヌはテッポに語り掛けた。

 

「テッポ」

 

 テッポは戸惑ったように答えた。

 

「な、なによ!」

 

 バナーヌは言った。

 

「お前も水浴びをしろ」

 

 直後、二度目の大きな叫び声が、またもや森の鳥たちを驚かせた。

 

「するわけないでしょこのヘンタイぃいいい!!」

 

 ポカポカと両手で、テッポはバナーヌを叩いた。バナーヌにはやはり、テッポの言葉の意味が分からなかった。

 

 

☆☆☆

 

 

 数分後、落ち着きを取り戻したテッポは、バナーヌに言った。

 

「良い? 野外で水浴びするのは自殺行為なのよ? 悪い病気が水から伝わってくるし、蚊は飛んでくるし、ヒルにだって刺されるわ。体を清めるのなら、ちゃんとお湯を沸かして、安全な屋内で……」

 

 バナーヌはどこか不満そうな顔をして答えた。

 

「それは密林での話だろう」

 

 テッポが怒ったように言った。

 

「それだけじゃないの! 女の子がお外で、はっ、(はだか)になるなんて、あなたいったいどんな教育を受けてきたのよ!」

 

 バナーヌは至極当然というように答えた。

 

「外でも水浴びをしろと指導された」

 

 テッポは頭を抱えた。

 

「ああああ! もう! 良いからさっさと服を着て! ああ、なんだか私のほうが恥ずかしくなってきたわ……」

 

 結局、テッポがあまりにもしつこく「服を着て」と言い続けたので、バナーヌはしぶしぶと水浴びを打ち切った。彼女としてはもう少し楽しみたかったところだが、こうなっては仕方なかった。彼女は服を着ることにした。

 

 その際、せっかくだからと特技の早着替えをバナーヌは披露した。テッポは声を上げた。

 

「えっ、えっ!? あなたさっきまで裸だったのに、えっ!? もう完全装備? なんで、どうやったの?」

 

 バナーヌは言った。

 

「なんとなくだ」

 

 信じられないものを見たような顔をしているテッポを後目(しりめ)に、バナーヌは腰のポーチを開いて、一房のツルギバナナを取り出した。

 

 黄金に輝くその果実を見て、テッポは目を輝かせた。

 

「あっ、バナナ……!」

 

 バナーヌはテッポへ頷いた。

 

「朝食にしよう」

 

 テッポは言った。

 

「待って、その前に私も顔を洗うわ」

 

 二人はそれから、廃墟の陰の地面に座り込んで食事を始めた。

 

 前日、バナーヌは急いで平原外れの馬宿を出てきたために、食べ物といってもゴンクから購入したバナナしか持っていなかった。

 

「バナナがあれば充分だろう」

 

 だが、テッポは色々と持っているようだった。

 

「待って! ふっふっふ……こんなこともあろうかと、準備おさおさ怠りないわ!」

 

 大切な食事の時間を前にして、テッポの気分は上がっているようだった。テッポはいそいそとポーチを開いた。彼女は笑みを浮かべつつ、自慢するように中身をバナーヌに見せた。テッポは言った。

 

「ハイラル米の(ほしいい)でしょ、乾燥マックスサザエでしょ、ガンバリバチのハチミツアメでしょ、焼きトリ肉でしょ……」

 

 バナーヌは感心した。

 

「多いな」

 

 テッポは顔を輝かせた。

 

「お父様が持たせてくれたの。ねぇ、あなたのバナナと交換しない? 好きなのを選んで良いから」

 

 その時テッポのポーチから、何か大きなものがごろりと転がり出てきた。赤子の頭ほどもあるそれは、ゴツゴツとした棘を持っていて、黄緑色(きみどりいろ)をしていた。

 

 バナーヌは、なぜか嫌な予感がした。一抹の不安を覚えつつ、彼女はテッポに尋ねた。

 

「それは?」

 

 テッポは言った。

 

「あっ、これこれ!」

 

 テッポは両手でそれを拾い上げると、満面の笑みを浮かべて、バナーヌの目の前に持ち上げた。テッポは喜びに満ちた声を発した。

 

「見なさい! これこそフィローネ特産、マックスドリアンよ! 滋養強壮に優れた、天然の万能薬なの! 私はこれが大好物で……」

 

 言葉が終わる前に、バナーヌはマックスドリアンをがしっと鷲掴みにすると、力いっぱい放り投げた。

 

「ふんっ」

 

 綺麗な弧を描いて、哀れなドリアンは勢いよく彼方へと飛んでいった。やがて、投げられた果実は疎林の向こうへ落ちていった。

 

 テッポは、バナーヌの突然の暴挙に激怒した。

 

「ああっ、私のマックスドリアンが!? あなたなんてことするのよ!」

 

 鋭い怒声を浴びせられたバナーヌは、顔色一つ変えることなく、断固とした口調で言った。

 

「バナナ以外は認めない」

 

 これにはテッポも反論できなかった。

 

「くっ……!」

 

 イーガ団員として、尊ぶべき果物は何を()いてもまずはツルギバナナである。マックスドリアンなどという嵩張(かさば)るものを入れる空間があるならば、そこには代わりにバナナを詰め込むというのが模範的な団員である。

 

 バナーヌはドリアンを掴んだ手の匂いを嗅いでいた。教義云々はさておき、彼女のドリアンに対する苛烈な態度には、彼女の嗜好も少なからず関係しているようだった。彼女はバナナ以外の果物も普通に食べる。だが、ドリアンは許せないようだった。

 

 そんなバナーヌの様子を見て、悔し紛れか、テッポは前髪をかきあげると、ふふんと鼻を鳴らした。

 

「……まあ別にいいわ。ドリアンはまだあるし。ねえ、そろそろ食べ始めない?」

 

 バナーヌは頷いた。

 

「うん」

 

 バナーヌは、ガンバリバチのハチミツアメとバナナを交換した。朝から脂っこいものや塩味の濃いものを食べるのは、彼女の食習慣に反するからだった。

 

 一方、テッポはドリアンを食べようとした。だが、彼女は先ほどのバナーヌの態度を鑑みて、「ここであえてドリアンを食べるのは彼女に喧嘩を売るようなもの」と考え直した。テッポは焼きトリ肉とバナナで朝食を済ませることにした。

 

 食後、二人はそろってバナナの神に跪き、祈りを捧げた。律儀にもテッポは言葉を口に出してお祈りをした。

 

「我は心を尽くしてバナナに感謝し、汝のくすしき御業(みわざ)をことごとく()べ伝えん。いと高きバナナよ、汝によりて我は喜びかつ楽しみ、汝の名をほめ歌わん。我が敵は退(しりぞ)くとき、つまずき倒れて汝の香りの前に滅び去りぬ……」

 

 

☆☆☆

 

 

 二人は簡単な食事を終え、そして厳かな祈りを終えた。

 

 二人が立ち上がろうとした、その時だった。突然、鳥の鳴き声のような、奇妙な音が聞こえてきた。一回、間をおいてもう一回、間を置かずもう一回、音は響いた。「ピョロー、ピョロピョロ、ピョロー、ピョロピョロ……」 独特の抑揚を持った、どこか語り掛けてくるような音だった。

 

 テッポは訝しんだ。細い眉を寄せて、やや俯きながら彼女は独り言ちた。

 

「何かしら、あれ。どこかで聞いたことがあるような……」

 

 テッポが考えている間に、バナーヌはいち早く反応していた。彼女は立ち上がると、音へとさらなる注意を向けた。再度響いてくるそれを聞いて、彼女は確信を得たように軽く頷いた。彼女は忍びスーツの胸元を少し開いて、胸の谷間から一本の小さな金属製の笛を取り出した。笛にはバナナの刻印が施されていた。

 

 テッポは笛を見て、ようやく理解したようだった。

 

「あっ、それって」

 

 バナーヌは言った。

 

「静かに」

 

 バナーヌは桃色の唇に笛に当てて、これまた独特なリズムを持って笛を吹き始めた。「ピョッピョッピョ、ピョッピョッピョ……」 短く、それでいて四方に響くように力強く、彼女は信号を返した。

 

 それは、イーガ団の野外通信システムの一つだった。単独、もしくは少人数で長期間独立行動をするイーガ団員であっても、例えば増援や補給の要請、もしくは緊急連絡の際には仲間と通信をする必要がある。そのためには五色米(ごしきまい)を用いた暗号や、黄色に着色された狼煙(のろし)や、さらには伝書鳩を用いる。笛もそのひとつである。笛を使った通信は、その秘匿性と利便性の良さから、団員たちに愛用されていた。

 

 リズムごとに通信の意味するところが決められている。先ほど向こうから響いてきたものは「汝は近くにありや」という信号であった。バナーヌはそれに「了解」を返した。

 

 かつてハイラル王国が健在だった時代は、この通信方法とて決して安全ではなかった。訓練された王国の諜報員やシーカー族の戦士たちは、イーガ団の通信符丁を解読することができた。大厄災以降のこの大地においては、この笛の音の意味を知る者はシーカー族しかいない。しかも、彼らは積極的にカカリコ村から出てはこないため、イーガ団員たちは心安く笛の通信を行うことができた。

 

 バナーヌが信号を返してから十数秒後に、また信号が返ってきた。「ピョロヒーピョロ、ピョロヒーピョロ……」 それは「狼煙(のろし)を上げよ」という意味であった。バナーヌはテッポの方へ振り返ると、声をかけた。

 

「狼煙の準備を」

 

 テッポは軽く頷いた。

 

「もうできてるわ」

 

 いつの間にかテッポは、装備の入ったポーチから発射筒を取り出していて、地面に垂直に立つようにそれを設置していた。発射筒は竹製のしっかりした造りのものであった。

 

 テッポは慣れた手つきで、サラサラとした粉状の発射薬を筒先から流し込んだ。続けて、彼女は黄色の紙に覆われた狼煙玉(のろしだま)を筒に押し込んだ。彼女は周囲を確認すると、発射筒各部をチェックした。最後に彼女は、火打ち石で導火線に火をつけた。

 

 テッポは発射筒から一歩下がった。

 

「離れて」

 

 バナーヌは、少し感心した。昨晩の爆弾攻撃にしても、この狼煙の打ち上げにしても、このくらいの年齢の子どもにしては随分と火薬の取り扱いに慣れている。バナーヌはそう思った。彼女自身も、火器の取り扱いについては訓練生時代に仕込まれたものだったが、手早くそれができるようになるまでかなり苦労をした覚えがある。

 

 バナーヌは言った。

 

「慣れてるな」

 

 バナーヌの言葉から素直な賞賛の念を感じ取ったのか、テッポは微笑んだ。

 

「お父様仕込みの技ですもの。そこらの団員には絶対に負けないわ」

 

 やがて、導火線を辿る火花が筒の下に達した。ポンッという軽い発射音が鳴った。音を立てて狼煙玉が打ち上げられた。風はなかった。ほぼ垂直に飛んだ玉は、空中で破裂した。目にも鮮やかな黄色い煙が花開いた。

 

 ややあって、「了解」を意味する信号が響いてきた。バナーヌとテッポは、やってくるであろう仲間を待ち受けることにした。

 

 あっ、とテッポが声を上げた。

 

「そういえば、シーカー族を警戒しなくて良かったのかしら。もし近くに(ひそ)んでいたらどうしよう……?」

 

 不安そうに言うテッポへ、バナーヌは短く言った。

 

「大丈夫だろう」

 

 バナーヌとしては、もうこの近くにシーカー族が存在すると思えなかった。その判断に確証はない。彼女の長年の経験と勘によるものである。昨晩、轟音を立てて爆弾合戦をした時にも、シーカー族は介入してこなかった。二人が寝ている時にも襲撃はなかった。だから大丈夫だろう。敵はこの近くにいない。

 

 テッポはまだ不安そうな顔をしていたが、バナーヌが断言するのを聞いて幾分か落ち着いたようだった。誰にも聞こえないようにテッポは呟いた。

 

泰然(たいぜん)としてるというか、マイペースというか……それともただの変人なのかしら……?」

 

 未だにテッポは、この金髪碧眼の仲間をどこか測りかねていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 およそ十分が経った。バナーヌたちのもとへ姿を現したのは、露出の多い忍びスーツを着た一人の下っ端イーガ団員だった。柔らかな朝の日差しを受けて、白い仮面がキラリと光を反射した。

 

 念のために廃屋の陰へ身を隠して様子を窺っていたテッポが、声をかける。

 

「雷鳴!」

 

 男がそれに答えた。

 

「スイートスポット!」

 

 なんてひどい合言葉だとバナーヌは思った。フィローネ支部特有の組織文化というものなのだろうか。そんな彼女の思いを余所(よそ)に、テッポはやってきた団員の前へと姿を現して口を開いた。

 

「グンゼ! あなただったのね!」

 

 グンゼと呼ばれた団員は、仮面で表情が隠れているためはっきりとは分からないが、声に幾分か安堵の調子を滲ませて言った。

 

「テッポ殿! ああ、良かった、無事だったんですな!」

 

 バナーヌもそっと物陰から出てきて、男と対面した。グンゼは驚いたような声を上げた。

 

「あっ! お前さんはパシリのバナーヌ! お前さんまでいたのか! さてはさっきの通信もお前さんがやったんだな。テッポ殿は笛を吹くのが下手だから、『あれ、こんなに綺麗に笛が吹けたっけ、少しおかしいな』と思ってたんですよ」

 

 思わずバナーヌは言った。

 

「ちょっと待て」

 

 バナーヌは内心げんなりした。「パシリ」とは我ながら嫌な異名を奉られたものだと思っていたが、それがフィローネ支部にまで広まっているとは。こんな下っ端にまでパシリとして認知されているというのは、功名心が薄い彼女にとっても少しばかりほろ苦いものとして感じられた。

 

 テッポが話に割り込んだ。

 

「笛の話はどうでも良いでしょ! それより、みんなはどうなったの? サンベは怒ってない?」

 

 グンゼは頷いた。

 

「ああ、今から話をして差し上げます。バナーヌ、お前さんにも説明してあげますよ。襲撃を受けた状況と、その後何が起こったのかも……」

 

 グンゼは順を追って話を始めた。

 

 フィローネ支部はここの所、まったくもって「いいとこなし」な状況であった。前回のバナナ輸送はまことに不本意な結果に終わったし、それに(みずうみ)研究所の襲撃も、当初計画していた博士の拉致に失敗したうえ、資料も奪取できなかった。

 

 一連の失態で、フィローネ支部の面目は丸潰れになった。幹部たちはその埋め合わせに躍起になっていた。特に、研究所襲撃部隊を率いていた中級幹部のサンベは名誉を挽回しようと必死になっていた。彼は、今回の輸送部隊の指揮官になることを熱望した。

 

 幹部会において、サンベを任命することの是非について議論された。否定的な意見が多く出た。曰く、サンベは熱意だけの男で、傲慢で、しかも逆境に弱い。能力的には低くないが、かと言って高くもなく、せいぜい魔物の討伐くらいにしか使えない男だ。そんなサンベに、重要な輸送任務の指揮官をやらせるのには不安が残る。前回の任務失敗についての裁定が下っていない現在ではなおさらだ。聞けば、総長コーガ様は、「今回の輸送作戦の首尾如何によっては、フィローネ支部の独立性をも再考しなければならない」と仰せになっているそうだ。いわば、本作戦は我が支部の浮沈が掛かっていると言っても過言ではない。サンベは用いないほうが賢明だろう……

 

 だが、支部長の鶴の一声で、サンベが輸送指揮官として起用されることになった。

 

「一度失敗した者は、汚名を返上するために次は死力を尽くすものだ」

 

 サンベは涙を流して支部長に感謝したという。テッポの父である幹部ハッパはそれとなく支部長を諫めたが、支部長は一度決めたことを考えを翻さなかった。

 

 時間が差し迫っていた。輸送部隊は早速出発することになった。三台の四頭立て四輪の大型輸送馬車に、合計一万本のツルギバナナが積載された。指揮官はサンベ、馭者は三名、護衛部隊は五名、合計九名の部隊が編成された。

 

 初陣のテッポを除けば、護衛部隊の他の四名は手練れ揃いで、たとえ魔物の集団に出くわしたとしても容易に蹴散らすことができるだろう。それは幹部たちの苦心の采配だった。

 

 出発した翌日、季節外れの大雨に見舞われて路面の状況は悪化したが、何とかそれを乗り越えた。彼らがフィローネ樹海入口を通過してハイリア湖南岸方面に到達したのは昨日の昼過ぎだった。ここらはボコブリンが拠点を築いているため、彼らは警戒態勢を取りつつ進んだ。しかし襲撃はなかった。このまま何事もなく、ハイリア大橋に進入できるものと思われた。

 

 油断したのか、それとも張り詰めた気持ちから解放されるためか、ここでサンベは暢気(のんき)なことを言い始めた。

 

「お前ら! 警戒を怠るなよ! 俺は夜に備えて少し仮眠をとる!」

 

 馬車の中で高鼾(たかいびき)をかき始めた指揮官に呆れながら、部隊は夕刻にハイリア大橋に差し掛かった。

 

 そこで、何者かから襲撃を受けた。

 

「敵襲!」

「左から来るぞ!」

「馬を守れ!」

 

 敵の数ははっきりとは分からなかった。おそらく三人は超えないだろう。とにかく敵は突然高台から奇襲してきて、クナイをバラバラと馬車と馬に投げつけてきた。敵襲の声にサンベは狼狽(ろうばい)し、ろくに指揮も取れなかった。だが護衛部隊は各々独自の判断で反撃に出た。

 

 ここまで話して、グンゼはテッポの方に顔を向け、にやりと笑った。

 

「テッポ殿が爆弾を使おうとしたのでギョッとしましたよ。馬車を吹っ飛ばす気かってね」

 

 テッポの顔がぼっと赤くなった。とんでもないミスを犯しかけたことを穿(ほじく)り返されたためだった。

 

「うっ……確かに軽率だったわ……グンゼが止めてくれなかったら大変なことになってたと思う……」

 

 バナーヌの冷たい視線に耐えるテッポを後目(しりめ)に、グンゼは話を続けた。敵は一当たりした後、なぜかすぐに退いていった。あくまで敵を倒そうと追跡を開始したテッポに、仲間たちは「深追いはやめろ!」と叫んだ。仲間たちはテッポを連れ戻そうと走り出した。

 

 だが、ここで意外な敵の増援が現れた。

 

 それはボコブリンたちだった。魔物たちの数は多かった。その上、戦意が旺盛で、車列左側の高台から大量の矢を射掛けてきた。彼らは飛んでくる無数の矢を払い、あるいは矢をこちらからも射掛けた。彼らが敵を何とか追い払った時には、だいぶ時間が経っていた。とっくの昔に陽は落ちていた。

 

「あのボコブリンたちは、おそらくシーカー族たちが(けしか)けたんでしょうな。出てくるタイミングがあまりに良すぎました」

 

 彼らは損害を集計した。人的被害は、テッポが行方不明の他は特になかった。だが、馬車の一台が前部車輪を損傷して行動不能になった。十二頭の馬のうち、三頭が負傷して動けなくなった。

 

 サンベは動揺した。

 

「おい、マズいぞ……おい、どうすんだよ、おい、おい……」

 

 車輪に関しては、一晩かけて修理すればどうにか馬車を動かせることが分かった。

 

 問題は馬だった。グンゼは、「直ちにフィローネ支部へ連絡して代替馬を要請すべきだ」と意見具申した。サンベは言下にそれを否定した。どうやら失態を知られたくないという自己保身が働いたようだった。結局、その晩は更なる敵襲を警戒しつつ、馬車の修理と馬の治療に専念することになった。

 

 グンゼは溜息をつきつつ言った。

 

「私たちは戦闘の後で疲労しているうえに食事もとってないのに、指揮官どのは昼間に仮眠をしていたからかえらい元気で、『あれをしろ、これをしろ』と横から口を出してくるので、まったくこちらとしては閉口しましたよ。結局、昨晩は一睡もできませんでした。まあ、任務ですから仕方ありませんけどね。で、作業も一段落したところで翌日の行動について決めたんですが……」

 

 サンベは、朝になったらグンゼを平原外れの馬宿に派遣することにした。テッポを捜索しつつ馬宿に向かい、そこの連絡員に遅延を報告するよう、サンベはグンゼに命じた。サンベは、他の団員には代替馬を調達するよう命じた。

 

 これが、夜明けの三時間前のことだった。

 

 グンゼはここまで話して、一息ついた。水筒の水を一口飲むと、彼はまた口を開いた。

 

「私はテッポ殿の安否が気にかかっていたので、夜明け前にさっそく出発しました。当たりをつけて笛をヒョロヒョロ吹きながらね。指揮官殿は『くれぐれもよろしく頼むぞ』と言ってましたよ。テッポ殿を失ったら、幹部のハッパ殿に殺されると思ってるんでしょうね。私もここでこうしてお会いできるまでハラハラしておりました」

 

 テッポはグンゼの思いやりに感激したようだった。彼女は深く頭を下げた。

 

「ありがとうグンゼ。それからごめんなさい。私の軽率な行動のために部隊の統制を乱したこと、深く反省しています」

 

 グンゼはハハハと笑った。

 

「まあ初陣ですからね。死ななかっただけで上出来ですよ。それに、私たち上級者の監督が行き届いていなかったことも原因の一つです。こうして無事に合流できたことですし、これ以上は言いっこなしですよ。ところで……」

 

 言葉を切って、グンゼはバナーヌへ顔を向けた。

 

「パシリのバナーヌ。お前さんはどうしてこんなところにいるのですか」

 

 テッポも声を上げた。

 

「あっ、そうそう。それ、私も気になってたのよ。どうしてあなたはここに来たの?」

 

 バナーヌはポツリと答えた。

 

「馬車を迎えに行けとゴンクに頼まれた」

 

 グンゼは、ああ、と納得したような声を上げた。

 

「ということは、お前さんがカルサー谷のアジトからの援軍ですか。他に誰が来てるんですか?」

 

 バナーヌは答えた。

 

「私だけだ」

 

 テッポが目を見開いた。

 

「あなただけ!? 本部からはあなた一人しか来てないの!?」

 

 バナーヌは答えた。

 

「そうだ」

 

 ああ、とグンゼが頭痛を抑えるかのように、頭にそっと手をやった。

 

「なんと、一人だけとは……本部は本気でこの輸送を成功させる気があるのか……まあ良いでしょう。一人でも、いないよりはマシというものです」

 

 しばらく、沈黙があたりを包んだ。

 

 グンゼの言葉はバナーヌの実力をやや軽く見ている(ふし)があったが、そのようなことでバナーヌは怒らなかった。彼女には、他人からの評価など一向気にしないという美質があった。

 

 それよりも、輸送馬車が思ったよりも危機的な状況にあったことにバナーヌは内心驚いていた。ゴンクが「早く行け」と言った時は、正直なところ少し彼を怨んだものだったが、彼の予感は的中していたわけだ。

 

 テッポはその綺麗な鳶色の瞳で見つめつつ、グンゼに言った。

 

「グンゼ、私はこれから輸送馬車へ戻ろうと思うんだけど……」

 

 暗い予感を追い払おうとするのか、グンゼは努めて明るい声で答えた。

 

「おお、そうしてください。みんなもえらく心配していますからね。元気な顔を見せてやってください。それからバナーヌ、お前さんも馬車を迎えに行くんでしょう? じゃあ道中テッポ殿をお()りしてください。どうにも危なっかしいですからね」

 

 テッポは大きな声を発した。

 

「もう、グンゼったら!」

 

 グンゼは笑った。

 

「ハハハッ、じゃあ頼みましたよ。私は予定通り平原外れの馬宿へ向かって、ゴンクに連絡を入れてきます。可能だったら馬も何頭か連れてきますからね。二人とも、注意して行ってくださいね。魔物共もなぜかは知らないがどことなく興奮しているようですし……」

 

 それじゃ、とグンゼは片手を上げて軽く挨拶すると、一目散に街道を西へと駆けていった。

 

 バナーヌとテッポは、彼をしばらく見送った。そして、彼女たちは装備をもう一度点検すると、ハイリア湖へ向けて出発することにした。

 

 歩き出す前に、テッポが言った。

 

「ところでバナーヌ、あなたグンゼから『パシリの』って言われてたけど、それ、どういう意味なの?」

 

 バナーヌは短く答えた。

 

「きくな」

 

 日は、すでに中天に差しかかりつつあった。




「ただしドリアン、テメーはだめだ。」

 少し言い訳をします。バナナ約一万本に対して、大型四輪馬車三台ではたして事足りるのか? そう疑問に思われた方がきっといらっしゃると思います。その通りだと思います。おそらくですが、これっぽっちの馬車じゃ運べません。それもこれも私に数理計算的センスがないことが原因です。木製のコンテナにギュウギュウ詰めにして、馬車の車軸がたわむくらい積み込めばワンチャンいけなくもないか……? と軽く考えていたのです。
 ここは一つ、ゼルダ世界特有の「いっぱい物が持てるよ! いっぱい詰まってるよ!」理論で大目に見てください。読者の皆様の寛大なお心に縋るばかりです。
 ところで私はドリアンを食べたこともなければ実物を見たこともないのですが、どんな味と香りがするんでしょうね。相当臭うというのは聞いていますが……いつかお目に掛かりたいものです、ドリアン。

※加筆修正しました。(2023/05/08/月)
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