ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第二十八話 少女の変容

 この世の中には、ある種の刺激に対してまったく無反応である人間もいれば、その反対に、過剰なまでの反応を示す人間もいる。

 

 端的な例としては痛みがある。痛みに強い人間、あるいはその反対に痛みに弱い人間を、我々は必ず二人か三人は知っている。ナイフで指先を切っても顔色一つ変えない母がいれば、痛風に呻吟する父がいるし、崖から落ちて血塗れになってもヘラヘラと笑う幼馴染がいれば、箪笥の角に小指をぶつけて悶える手習いの師匠もいる。普通に生きていれば、人間の苦痛に耐える力には個人差があるということに、大抵の人は自然と気がつく。

 

 この困難な時代にあって、一般的に、痛みに強い人間は尊敬され一目置かれる傾向がある。痛みだけではない。寒風や酷暑、飢えと渇き、怪我と疾病、別離と喪失、ありとあらゆる「不快」に対して、それを耐え忍び、何ということはないと痩せ我慢をし、それに対する感覚器官をこの世に生まれたその当初から持ち合わせていないような顔をする、そういう人間が「まるで勇者のようだ」と褒め称えられるのだ。

 

 だがかつての時代、大厄災の以前には、ある種の「不快」に対して、耐え忍んだり無関心を装ったりすることを、逆にこの上なく不名誉であると見なす人々がいた。

 

 その「不快」とはすなわち、侮りであった。その人々とはすなわち、王国騎士であった。彼ら王国騎士は、毎日火の出るような練磨を続け、戦場にあってはあらゆる艱難辛苦(かんなんしんく)に雄々しく耐えた。市民社会にあっては、彼らは至極自制的に、道徳的模範として見劣りのしないように、身を厳しく律していた。

 

 そんな彼らも、ただ唯一、侮りに対してだけは、さながらデスマウンテンの火山噴火のように憤怒の感情を爆発させた。彼らは自らを侮った者に対して決して容赦をしなかった。

 

 彼らの複雑な精神構造を幾分か簡略化して示すならば、以下のようになる。

 

「ハイラル王国騎士たる我は、ハイラル王国の不朽の名誉を護り、栄えさせねばならぬ使命を負っている。ゆえに、騎士たる我に対する侮蔑は騎士団への侮蔑となる。騎士団への侮蔑は騎士団長への侮蔑である。騎士団長への侮蔑は国軍への侮蔑であり、国軍への侮蔑とは畢竟(ひっきょう)、国王と王国への侮蔑である」

 

 騎士たちは、自分たちへ向けられた侮蔑には、たとえそれがどんなに些細なものであっても決して許しはしなかった。城下町の酒場で品のない者が酒で舌を滑らせ、王国と姫君を馬鹿にしようものなら、たとえば「姫の眉には毛虫が二匹」などと言おうものなら、その場で静かに飲んでいた騎士は(にわ)かに立ち上がり、鍛え上げた鉄拳を酔っ払いのならず者の頬にめり込ませたものだった。

 

 新聞記者や講談師も気をつけなければならなかった。記事や講談に少しでも騎士を侮辱するニュアンスがあったならば、彼らはいち早くそれを察知して、必ず何らかの報復を行ったからである。事実のみを伝えるならば何も問題はなかったのだが、読者や聴衆はいつでも過激な喧嘩腰の内容を好むものであったから、記者たちはバランスをとるのに並大抵ではない苦労をすることになった。

 

 このように騎士たちにとって、侮蔑に対して何もやり返さずに沈黙を守ることは最大級の恥とされた。二つの例を上げよう。一つは、騎士と猿の話である。ある王国騎士は森で狩猟をしていたところ、大きなオスの白猿と遭遇した。白猿は熟れ過ぎた桃のように真っ赤になった尻を騎士に向けて叩き、森中に響き渡る良い音を立てた。おまけに白猿は顔を騎士へ向けて、いわゆる「あかんべぇ」の仕草をした。

 

「なんと、()しからぬ奴よ!」 騎士は激昂した。たとえ野生動物であっても、騎士は決して容赦はしない。彼は白猿を追いかけ、森の奥へ奥へと進んでいった。騎士は白猿に矢を射掛け、木に体当たりをし、剣を振り回して怒鳴りつけたが、白猿は嘲るのをやめなかった。いつしか騎士は、日の光も届かない、暗い深い森の中にいた。それでも騎士はなおも森の奥へと突き進んでいった。あの猿め、目にモノを見せてくれる……

 

 騎士は結局、帰ってこなかった。彼は森に飲まれたのだと人は言ったが、これはむしろ森ではなく彼自身の怒りという情念に飲まれたとでも言うべきだろう。

 

 二つ目は、騎士と逃げる花の話である。ある騎士がハイラル軍演習場へ向かっていた時のことである。騎士の耳に、ふと奇妙な笑い声が聞こえた。カラカラ、コロコロという、子どものような笑い声だった。声がするほうへ彼が目をやると、一本の黄色い花が崖に生えていた。

 

 騎士は花を見つめた。すると、またもや笑い声がした。笑い声は、その花から発されていた。「なんと、()しからぬ花よ!」 騎士は人を笑う花を手折ろうと、崖に手をかけた。肉体を鍛え上げていた彼はすいすいと崖を登り、黄色い花に手をかけた。その瞬間、なんと花はふっと姿を消し、さらに崖の高い場所に姿を現した。

 

「おのれ、騎士たる我を侮るか!」 騎士はさらに登っていき、再度花に手を掛けた。また花は姿を消してさらに頭上に姿を現した。騎士はさらに登った……こんなことが何度か繰り返された。騎士のスタミナ(がんばり)は、とっくの昔に尽きていた。騎士は無様に落下し、街道にその重い身体を叩きつけた。幸い騎士は一命は取り留め、騎士団の病院に収容された。だが、彼を待っていたのは騎士団長からの叱責の言葉だった。

 

「なにゆえ汝は辱めを受けたまま生きて還ったか。恥辱に塗れた生を生きるよりは、むしろ死を選ぶべし」

 

 後世の我々がこの話を聞けば、おそらく大抵の人はその理不尽さを笑うか、それとも怒りを抱くかのどちらかであろう。だが、ここで我々自身が「侮り」に対してどれほどの耐性を持っているのかを自問してみれば、果たしてどうであろうか。

 

 我々は猿や花を追い掛けた騎士を笑うことなどできるのだろうか。恥辱に耐えて悶々と座を温めていることなどできないのではないだろうか。どんなに些細な侮りであっても、我々はそれを実に詳細に記憶しているのではないだろうか。

 

 実に、知的認識能力を持つ生命体にとって、一番の刺激物となり得るものは「侮り」に他ならない。それは、魔物にとっても同じである。観察すれば分かることであるが、知能の低いボコブリンですら恥辱に対しては敏感であるし、それを(そそ)ごうとして必死の行動を見せることがある。

 

 こうも考えられる。厄災ガノンがあれほどの怨念と瘴気を撒き散らしているのは、実は人間がガノンを嘲った結果なのではないかと考えられる。一万年前に完封した方法を以てすれば、ガノンなぞゾーラ川の氾濫以下の脅威でしかないと、神獣やガーディアンがあれば、ガノンなぞただの野獣に過ぎないと、我々人間は白い歯を見せてガノンを嘲った。それをガノンは恨みに思っているのではないか。

 

 ガノンは人間共の侮りを耐え難く思い、あれだけの大厄災となり果てたのではないか……?

 

 残念ながら、それを確かめる術は存在しない。

 

 

☆☆☆

 

 

 時間はやや遡る。バナーヌとテッポがハイリア湖へ向けて走り出した、その日の昼のことだった。

 

 ポカポカとした穏やかな陽気だった。澄んだ空気の中で鳥のさえずりが響いていた。馬やロバの長閑(のどか)な鳴き声がしていた。平原外れの馬宿は、平和そのものだった。

 

 馬宿の中、その寝台の一つに、サクラダ工務店の社員であるカツラダが、ぐったりと力なく横たわっていた。その両目からは涙が流れた跡があった。

 

 すぅ、すぅという安らかな寝息がカツラダから漏れるのを聞いて、寝台の側で様子を見ていた棟梁サクラダと社員エノキダは、安心したようにため息をついた。サクラダは言った。

 

「ホント、手間のかかるコだワ。いい加減マモノエキスくらい慣れてほしいものなのに」

 

 その言葉にエノキダが異を唱えた。

 

「いえ、問題は別でしょう。社長がいちいち口移しをするのが原因かと」

 

 エノキダの言葉に、サクラダは心外だというような顔をした。

 

「あらヤダ。エノキダがそんなこと言うなんて。良い? 私は棟梁、カツラダは社員。社員を守るのは棟梁の仕事。だから、社員が薬を飲むのを嫌がるなら、棟梁のアタシにはなんとしてでも薬を飲ませるという義務があるのヨ。口移しはその方法の一つに過ぎないわ」

 

 エノキダはこれ以上反論しないことにした。彼は微妙に言葉を濁した。

 

「それはまあ、そうでしょうが」

 

 そう話しながら、二人は外へ出た。柔らかな日の光に二人とも目を細めた。散歩をするには絶好の日和だった。

 

 サクラダがエノキダに目配せをした。

 

「少し歩きましょう」

 

 エノキダはのっそりと頷いた。

 

「はい」

 

 二人は馬宿の周りをぐるりと歩いた。その後は少し足を伸ばして、二人は闘技場跡地を望めるところまで行った。そこは小さな森だった。

 

 サクラダが、木に巻き付いた蔓草(つるくさ)をもてあそんだ。彼は言った。

 

「まあ、なんだかんだでカツラダの回復は早いワネ。若いって素晴らしいことだワ」

 

 エノキダは軽く頷いた。

 

「あの分ならもう二日で完全に復活するでしょう」

 

 そこへひどく陽気な、独特な(ふし)のついた歌声が聞こえてきた。二人が木々の奥へ目をやると、そこにはバナナの行商人がいた。行商人は臙脂色(えんじいろ)をした敷物に黄色いバナナを並べて、盛んに口上を述べ立てていた。

 

「さあさあ買った、さあ買った、バナちゃんの因縁聞かそうか! 生まれは南国フィローネで、親子諸共もぎ取られ、箱に詰められ牛に乗り、ゆらり揺られて道千里、着いたところが平原外れ! さあさあいくらで売ったろか!」

 

 それを見たサクラダは、何かを思いついたようだった。彼は顎に手をやって考えた。彼は言った。

 

「ちょうど良いワ。カツラダのお見舞いに、バナナを何本か買おうかしら」

 

 エノキダは賛同した。

 

「良いですね。カツラダもきっと喜ぶでしょう」

 

 二人は行商人に近付こうとした。その時だった。突然二人の背後に音もなく、ひとつの人影がぬっと現れた。二人はそれに気づいていなかった。

 

 まるで亡霊が霧のかかった(ふち)から呼ぶような声で、その人影はサクラダとエノキダに話しかけた。

 

「あのー……」

 

 不意を突かれた二人は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

「キャッ!?」

「なんだ!?」

 

 それでも、二人はすぐに混乱から立ち直った。大工はみんな、豪胆な性格をしているものである。サクラダは体の向きを変えて、声をかけてきた人物を真っ直ぐ見つめた。それは男だった。まだ若い男だった。男は色黒の肌をしていた。男はボロボロのシャツにヨレヨレのズボンを身につけていた。擦り切れたサンダルを男は履いていた。男の表情には生気がなく、目つきにはまったく力がなかった。

 

 男はサクラダの無遠慮な視線にもめげずに、言った。

 

「すみません、何か食べ物を……」

 

 意外な申し出に、サクラダとエノキダは首を傾げた。サクラダが言った。

 

「なんですって? 食べ物?」

 

 エノキダが尋ねた。

 

「腹が減っているのか?」

 

 二人の言葉に、男は何度も頷いた。この世の終わりのような深刻な表情の割に、男の要求は至極単純だった。サクラダは呆気にとられた。

 

「まあ、その程度なら良いワよ、別に……」

 

 サクラダは身銭を切って行商人からバナナを買った。サクラダは買ったバナナを男に与えた。男は猛然とそれを(むさぼ)り食った。男は息もつかずに十本を腹に収めると、先ほどとは打って変わった爽やかな笑顔を浮かべた。そして、これまた爽やかな声で男は言った。

 

「二人ともどうもありがとう! おかげで飢死寸前から救われたさー! 俺はガノレー。ほうぼうを歩き回ってお宝探しをしている、トレジャーハンターの端くれさー!」

 

 エノキダは腕を組み、ガノレーと名乗る男を静かに見つめていた。だが、エノキダが口を開く様子はなかった。代わりに、サクラダがガノレーに質問をすることにした。

 

「ところでガノレーさん。そのお国言葉を聞くに、どうやらアナタはウオトリー村出身だとアタシは思うんだけど、そのウオトリー村の人が、どうしてこんな辺鄙な場所で行き倒れ寸前になってたのかしら?」

 

 それを聞いたガノレーは、俯いてしまった。しばらく耳に痛い沈黙があたりを包んだ。数十秒間にわたって地面を見つめた後、ガノレーはおもむろに言葉を発した。

 

「俺は……俺は……」

 

 サクラダはその言葉の先を促した。

 

「俺は? どうしたのかしら?」

 

 ガノレーは叫んだ。

 

「俺は、泳げないんさー!!」

 

 その大きな声のせいで、鳥たちがバサバサと羽音を立てて飛び去った。

 

 サクラダは詳しく事情を尋ねた。ガノレーは話した。サクラダが推測したとおり、彼は漁村として有名なウオトリー村出身であった。だが、ウオトリー村出身であるにもかかわらず、彼はまったく泳ぐことができない。漁師の一家に生まれながら、彼は漁師として生計を立てることができなかった。

 

 ガノレーは憤懣のこもった口調で話し続けた。

 

「村にいた頃は、ゴミ拾いをしてなんとか生活してたさ……でも、みんな俺を馬鹿にしたさー! カナヅチだの、穀潰(ごくつぶ)しだの、イシロックだの……馬鹿にされ続けて、もう生活に嫌気がさしてきたさー! ついに俺はウオトリー村を離れて、トレジャーハンターになることにしたのさー!」

 

 しかし当然のことながら彼にはトレジャーハンターとしてのノウハウなどなかった。彼はたまに街道をゆく荷馬車の護衛をしたり、他のトレジャーハンターの荷物持ちをしたり、ちんけな廃墟を漁ったりして、なんとか露命をつないでいた。そういう話を彼はした。話を終えた彼は、肩で息をしていた。

 

 ガノレーを見かねて、エノキダが口を開いた。

 

「意地を張らずに故郷に帰ったらどうだ。そんなに無茶な生活を続けていたら、そのうち本当に死んでしまうぞ」

 

 エノキダの心はガノレーに通じなかった。ガノレーは顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「いやさー! 俺の先祖は王国海軍の提督だったさー! 軍人は名誉を尊ぶものさー! 俺もトレジャーハンターとして成功して、金持ちになって、村に凱旋して、今まで馬鹿にしてきた奴らに目にものを見せてやるさー! その目途が立つまでは絶対に村に帰らないさー!」

 

 サクラダが呆れたように言った。

 

「いや、現実を見ましょうヨ? アナタ、死ぬワよ?」

 

 その後もサクラダとエノキダは、ガノレーにあれやこれやと帰るよう説得した。だが、ガノレーは「恥を雪ぐ」だの「見返してやる」だのと言うばかりだった。結局、ガノレーは何処(いずこ)かへ去っていってしまった。

 

 去っていく後ろ姿を見送りながら、エノキダがサクラダに低い声で言った。

 

「あの男、大丈夫でしょうか」

 

 サクラダは、もうガノレーへの興味を無くしているようだった。

 

「さあ? トレジャーハンター未満に甘んじる人生も、結局は本人が望んだ人生でしょう。アタシたちの出る幕じゃないわね。どうすることもできないワ。それよりも……」

 

 サクラダは、視線を闘技場跡地へとやった。その壁面には、黒と赤の「怨念の沼」がへばりついていた。サクラダは言った。

 

「ああいう行き場を失った憤りを彼が変な方向で爆発させないか、それが心配だワ。なんか、変な事件とか起こすんじゃないかしら、彼」

 

 木立の中を、一陣の風が吹き抜けた。二人はバナナの包みを抱えて、カツラダの寝台へと帰っていった。

 

 

☆☆☆

 

 

 時刻は夕刻になった。その場所は、ハイリア湖付近の街道だった。オレンジ色の残照が、草原の草花をぼんやりと照らし出していた。

 

 街道は、魔物の死体で(あふ)れていた。バナーヌとテッポが地雷で仕留めたのは、青リザルフォスが二匹に、緑リザルフォスが四匹だった。魔物の醜悪な隊列は、脆くも壊滅したかのように思われた。しかし、まだ敵は残っていた。

 

「グギュルルル……」

 

 テッポが緊張した面持ちで言った。

 

「バナーヌ! こいつは……!」

 

 バナーヌは答えた。

 

「分かってる」

 

 二人の目の前に現れたのは、白銀リザルフォスだった。魔物は粉々になった輿(こし)の上で堂々と屹立していた。地雷が爆発した時、輿(こし)は爆風の直撃を受けた。だが、輿は破壊されなかった。輿は爆風に乗って天高く飛び、そして今になって無事に地上へ帰ってきたというわけだった。

 

 落ちてきた輿の下敷きになった荷物持ちの緑リザルフォスは、もはやピクリとも動かなかった。それとは対照的に、白銀リザルフォスは、その目を殺気で爛々と赤く燃やしていた。夕陽を鋭く反射する三又リザルブーメランを魔物は力強く握っていた。

 

 バナーヌは、内心舌打ちした。運の良い魔物だ! あの爆発ならば魔物の中で最上位の強さを誇る白銀種であっても、木端微塵にできたはずだった。

 

 首刈り刀を構えて白銀リザルフォスと対峙しつつ、バナーヌはなおも考えた。しかし、白銀リザルフォスが生き残ったのは予想外だったとはいえ、状況は依然としてこちらに有利だ。こちらには自分とテッポの二人がいるし、爆弾という強力な武器もある。それに対して、相手は最強の白銀種とはいえ一匹だ。こちらが数の力を生かして挟めば、問題なく倒せるはずだ。彼女は短く言った。

 

「テッポ」

 

 バナーヌは空いている手の指先で、背後にいるテッポへ信号を送った。それは、「ヤツの背後にまわれ」という意味だった。テッポは答えた。

 

「了解」

 

 後ろのテッポが音もなく動き始めたのがバナーヌには分かった。テッポは全速力をもって走った。彼女は白銀リザルフォスの左側から回り込もうとした。

 

 魔物が叫んだ。

 

「ギャッギャッ!」

 

 白銀リザルフォスはテッポの動きと意図に気づいたようだった。魔物はテッポの迂回を阻止しようと、体を動かそうとした。

 

「こっちだ」

 

 次の瞬間、二本の矢が鋭い金属音を立てて、白銀リザルフォスの背鎧(せよろい)に突き刺さっていた。

 

 バナーヌが二連弓を構えていた。矢は、彼女が牽制のために放ったものだった。白銀リザルフォスは怒りの叫びを上げた。

 

「グギャオォオオ!!」

 

 魔物は地団駄を踏んだ。魔物は乱雑に鎧から矢を引き抜いて、それを地面に叩き付けた。

 

 このできごとの間に、テッポは魔物の背後へと、あともう少しのところまで迫っていた。あともう少し! テッポの心臓は早鐘をついていた。背後を取ったら、距離に注意をしないと。それでその後は、バナーヌと連携してコイツを囲んで叩くだけ。爆弾の使用に注意しないと。距離を間違えたら爆風にバナーヌを巻き込んでしまう……テッポは高速で頭脳を働かせていた。

 

 すると、その時だった。バナーヌと睨み合っていた白銀リザルフォスが、急にテッポの方へと顔を向けた。そして、その長い喉から何か白い液体状のものを大量に、あたかも大きな水鉄砲のように勢いよく、テッポへとふりかけた。

 

 妙に生温かく、妙に生臭いその液体を浴びて、テッポは地面に倒れ込んだ。テッポは悲鳴をあげた。

 

「きゃあああっ!! なによこれぇ!!」

 

 バナーヌは叫んだ。

 

「テッポ!」

 

 思わずバナーヌはテッポの方へ駆け寄ろうとした。だが、彼女はそれを思いとどまった。今は、目の前の魔物を倒すことを優先しなければならない! テッポを助けようとすれば、大きな隙を生んでしまう。

 

 またもやバナーヌは矢を放った。これ以上白銀リザルフォスがテッポに対して妙なことをしないよう、牽制するためだった。

 

「ゲゲッ!!」

 

 しかし、白銀リザルフォスは動じなかった。魔物は最小限の動きで飛んできた二本の矢を(かわ)すと、それを手で捕まえて、バナーヌに見せつけるかのようにして音を立てて両手でへし折った。

 

 内心、バナーヌは舌打ちした。こいつ、戦い慣れしている!

 

 白銀リザルフォスは得意げな表情を浮かべた。その口角の端が上に引き攣っていた。魔物はへし折った矢をバナーヌへと投げつけると、醜悪な鳴き声を喉から発した。

 

「グッヘッヘ……」

 

 バナーヌは言った。

 

「魔物が笑うか」

 

 魔物が、人間を挑発していた。お前など大したことはない、時間の無駄だ、さっさとかかってこいと、魔物が言っていた。しかし、バナーヌはまったく動じなかった。彼女はその性格からして「侮り」に対して鈍感なほうであった。それに、長年の経験と勘が、ここで挑発に乗って迂闊に近づけば手痛い反撃に遭うことを予告していた。

 

 それに今は、もっと大切なことがあった。それは、向こう側にいるテッポの状況を把握することだった。バナーヌは、普段あまり上げることのない大きな声を出して、テッポに呼びかけた。

 

「テッポ! 無事か!?」

 

 返ってきた言葉は、困惑と焦りに満ちていた。

 

「バナーヌ!? こいつの水鉄砲、なんか変よ! すごくネバネバしてて、体にへばり付いて取れないの! なんていうか、その、とにかくすごくネバネバしてて粘着質なの! う、動けない!」

 

 二人は知る由もなかったが、この白銀リザルフォスがコポンガ島の主となれた理由の一つに、彼の特技があった。リザルフォスは通常、まあまあの威力の水鉄砲を放つ特技を有しているのだが、この白銀リザルフォスはその水鉄砲で、相手の動きを封じるための、天然の粘着液を発射することができたのだった。

 

 テッポはまんまとその技を食らってしまった。綺麗なぬばたまの黒髪に白く濁った液体がかかり、戦闘服から露出した玉のような褐色の肌にも粘着液がねっとりとこびりついていた。テッポが振り払おうと身動きするたびに、液体はさらに粘度を高めて、彼女の細く幼い体の動きを封じるのだった。

 

 テッポは、この液体の威力に恐怖した。もし、これがバナーヌにも当たったら……! 彼女は叫んだ。

 

「バナーヌ、気をつけて! こいつの水鉄砲、当たったら身動きできなくな……ひぅっ!!」

 

 テッポは、警告の声を中断せざるを得なかった。彼女の柔らかな頬に、何やら異様な感触のモノが張り付いたからだった。

 

「グッヘッヘッヘヒャアッ!!」

 

 それは、白銀リザルフォスの舌だった。長い舌を伸ばして、白銀リザルフォスはテッポの端正ながらも幼い顔面を丹念に舐め回し始めた。テッポは情けない悲鳴を上げた。

 

「ひっ!」

 

 ベロベロと顔の至るところをテッポは舐め回された。その口の中にまで魔物の舌は侵入しようとしてきた。想像を絶するおぞましさだった。だが、テッポは対抗する術を持たなかった。彼女は叫ぶだけだった。

 

「うわっ、このっ、やめ、やめなさいよっ! この変態! やだ、最低! 気持ち悪い、やめて! やめなさいったら!」

 

 次第に彼女は元気を失っていった。彼女は、すすり泣きのような声を漏らした。

 

「うぅ…… やめて、やめてよぉ……!」

 

 魔物がテッポを舐め回していたのは、ほんの数秒であった。その間に、バナーヌは憤怒していた。

 

「ぶっ殺す」

 

 バナーヌは一声叫ぶと、首刈り刀を手にして、白銀リザルフォスの懐へと一気に接近した。

 

 だが、それこそが白銀リザルフォスの狙いだった。バナーヌが背後から接近してきたところを狙って、魔物は振り返りざまに三又ブーメランを見事なアンダースローで放ってきた。

 

 その距離は、わずかに一メートルだった。だが、類稀な身体能力と豊富な実戦経験を持つバナーヌは、間近に飛来するブーメランを間一髪で回避することができた。

 

 バナーヌは一瞬、驚きの念に打たれた。リザルフォスという魔物はブーメランを多用するが、これほどまでに完璧なフォームで投擲し、これほどまでに完全にコントロールすることができるリザルフォスなど、彼女はこれまで見たことがなかった。奇怪な水鉄砲といい、このブーメラン捌きといい、やはりこの白銀リザルフォスは容易い相手ではない。改めて彼女はそう感じた。

 

 勢いもそのままに、バナーヌは白銀リザルフォスの喉元へ潜り込もうとした。リザルフォスには数多くの長所がある。他の魔物と比較して体格が大きく、動きは俊敏である。リザルフォスは環境に即座に適応することができ、擬態(カモフラ)能力もある。それだけではない。リザルフォスは鎧で身を守っており、生命力にも優れている。では、その短所は何か? それは、敵が懐に飛び込んだ時には、ほとんどなす術がないということである。その体の大きさがあだとなるのだ。

 

 リザルフォスと戦う時は、とにかく距離を詰めて、その喉元を切り裂くべし! イーガ団の戦闘教義にもそう書かれている。バナーヌはそれに従った。

 

 数秒、数瞬の攻防が繰り広げられた。バナーヌは、白銀リザルフォスの懐に飛び込むと、半月を描くようにして、その喉元へ向かって首刈り刀を振った。

 

「ふんっ!」

 

 しかし、敵もさるものだった。魔物は短く鳴き声をあげた。

 

「ギョッ!」

 

 魔物は、バナーヌのその動きを予想していたようだった。白銀リザルフォスは後方へと大ジャンプをすることでそれを避けた。その上、魔物は後ろへと下がりながら、今度はバナーヌに向けて例の水鉄砲を放ってきた。

 

 バナーヌはそれを冷静に避けた。彼女の隣の地面に、ビチャビチャと音を立てて白濁した液体が着弾した。

 

 彼女は、ふっと頭を下げた。その直後、鋭い風切り音と共に三又ブーメランがバナーヌの頭上を飛び去っていった。もし避けなければ、彼女の首はそっくりそのまま地面に落ちていたことだろう。

 

 目を上げて、バナーヌは魔物を見た。白銀リザルフォスは、返ってきた三又ブーメランを得意げにキャッチした。魔物は、今度は何を企んでいるのか、背鎧の下から何かを取り出そうとした。バナーヌは牽制で矢を放った。しかし、それも軽いサイドステップで(かわ)されてしまった。

 

 魔物は鳴き声を上げた。

 

「ギョギョギョ!! ギョギョギョ!!」

 

 魔物が取り出したものは、あまりにも巨大なブーメランだった。夕陽を受けて鈍く輝くそれは、確かにブーメランの形をしていたが、その作りはあまりにもぶ厚く頑丈で、立派過ぎた。とても人の手で扱えるとは思えないものだった。

 

 そう、人の手ならばきっと扱えない。だが、扱う者が魔物であるならば、そのビッグブーメランは、さながら冬の雪山の吹雪の如き威力を発揮するのだった。

 

 白銀リザルフォスは、大きく振りかぶって三又ブーメランを投げたあと、さらにビッグブーメランを両手で抱えて、全身を使ってそれを空中へと放り投げた。

 

 身動きの取れないテッポは、叫ぶしかなかった。

 

「バナーヌ! ()けて!」

 

 バナーヌに、二つの鋼鉄の殺意が飛来した。彼女は短く掛け声を発した。

 

「ふっ!」

 

 バナーヌは軽くしゃがんで高速で飛んでくる三又リザルブーメランを避けた。次に彼女は大きく垂直に跳んで、重々しい音を立てて飛んでくるビッグブーメランをやり過ごした。

 

 そして、彼女のほうも行動を起こした。彼女はポーチから疾風のブーメランを取り出すと、それを無造作に放り投げた。彼女は何らかの考えに基づいて、予め決めておいたポイントへとそれを投げたようだったが、そこは白銀リザルフォスにも、白銀リザルフォスが投げた武器からも、遠く離れたところだった。

 

 テッポは叫んだ。

 

「どこに投げてるの!?」

 

 しかも、なんということであろうか、バナーヌはポーチからバナナを取り出し、ムシャムシャという音も立てずに、大量に早食いを始めた。

 

「ギョッ!?」

 

 奇怪な行動に白銀リザルフォスは首をかしげた。

 

 テッポも見かねたように言った。

 

「バナーヌ! 何こんな時にバナナ食べてるのよ! 次が来るわ、避けて!」

 

 しかし、バナーヌは動かなかった。バナナをもう一本食べ終わった後、彼女は目を閉じた。手に印を結んで、彼女はじっとそこに佇んでいた。

 

 バナーヌの背後に大小二つのブーメランが迫った。しかし、なおもバナーヌは動かなかった。

 

 テッポが悲痛な声で言った。

 

「バナーヌ!」

 

 次の瞬間、三又ブーメランがバナーヌの首を、ビッグブーメランがバナーヌの胴体を真っ二つにした。白銀リザルフォスは快哉の叫びをあげた。

 

「ギャオオオオオオ!!!!」

 

 テッポは絶望の悲鳴を上げた。

 

「バナーヌ!!」

 

 テッポの頭脳は、混乱の渦中にあった。まさか、強かったバナーヌがこんなにあっさりやられちゃうなんて……! あんなに無残に首と胴体を両断されて……えっ、両断……?

 

 もう一度、テッポはバナーヌが死んだ場所を見た。そこには人間の首も胴も、血痕すらもなかった。そこには、今までなかったはずの青リザルフォスの残骸が散乱していた。

 

「あっ!」

 

 そう叫んで、テッポはバナーヌが先ほど白いブーメランを投げた先を見た。そこには、バナーヌを殺した後に飛んでいったはずの三又リザルブーメランとビッグブーメランが、何かの気流に捕らえられたかのように、いつまで経っても地面に落ちずに空中でぐるぐると飛んでいた。

 

 テッポは声を漏らした。

 

「まさか!」

 

 今度は、彼女は白銀リザルフォスを見た。ちょうど、彼女と魔物の目が合った。

 

「ギャオ……」

 

 ひとしきり勝利の雄叫びを上げたあと、白銀リザルフォスはテッポににじり寄って来た。今度こそ魔物は、テッポの幼く柔らかい肉を心ゆくまで堪能するつもりらしかった。魔物は大きな口を開けた。牙が光っていた。

 

 その背後に、いつの間にかバナーヌが立っていた。彼女は言った。

 

「食らえ」

 

 バナーヌは首刈り刀を横薙ぎに払った。白銀リザルフォスの両足は、中ほどから真っ二つに切断された。直後、その巨大な体躯は地面へと墜落した。

 

「ギャオオォォッ!?」

 

 突然の激痛に襲われた白銀リザルフォスは、声も枯れ果てんばかりの大絶叫を上げた。それでも、生意気な敵対者にせめて一矢報いんとして、彼は両腕を使って立ち上がろうとした。

 

 バナーヌは、いつの間にか彼女の手のうちに戻ってきていた疾風のブーメランを、もう一度投げた。三又リザルブーメランとビッグブーメランが滞留している空間に疾風のブーメランは再度速やかに到達すると、風の檻からそれらを解き放って、持ち主の元へと返してやった。

 

 バナーヌが死刑宣告のように感情を込めない声で言った。

 

「トドメだ」

 

 魔物の喉から声が漏れた。

 

「ゲッ」

 

 白銀リザルフォスは目を大きく見開いた。ヒュルヒュルという風切り音と共に帰ってきた三又リザルブーメランは、白銀リザルフォスの両腕を切り裂いた。同時に帰ってきたビッグブーメランが、その太い胴体の腰を見事に切り裂いた。

 

 白銀リザルフォスの胴体から、青黒い血液が噴水のように噴き上がった。

 

「グェエエエッ!!」

 

 断末魔の叫びの後、魔物はばったりと地面に倒れた。バナーヌがつま先で魔物の顔を蹴飛ばした。長い舌を口から伸ばしたままぐったりと、白銀リザルフォスはピクリとも動かなくなった。

 

 短く感情を込めない声で、バナーヌは言った。

 

「戦闘終了」

 

 テッポは、呆然とそれを見ていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 テッポは興奮していた。彼女は捲し立てるように言った。

 

「さっきの戦闘、一体なんだったのよ! バナナ食べたり、変な道具を使ったり、いきなりヤツの背後にいたり……お願い、説明して!」

 

 テッポに張り付いた粘着液を水筒の水で丁寧に洗いながら、バナーヌはぽつりぽつりと質問に答え始めた。

 

 粘着液を放ってテッポの動きを封じ、こちらの数の上での有利を奪ったところからも見ても、白銀リザルフォスが戦闘慣れしているのは明らかだった。それゆえ、長期戦になるとこちらに損害が出かねないとバナーヌは判断した。

 

 ゆえに、奇策を用いた上で、早めに決着へ持って行く必要があった。そうバナーヌは言った。テッポは感心したように言った。

 

「それで『変わり身』と、瞬間移動術の『ゾタエ・オチノリ』を使ったのね。じゃあ、バナナを食べたのはなんで?」

 

 平然としてバナーヌは答えた。

 

「油断を誘うためだ」

 

 本当かなぁ、とテッポは思った。本当はただ、バナナを食べたかっただけなんじゃ……その時、液体を拭うバナーヌの手拭いが、テッポのなだらかな胸の膨らみの先端に当たった。テッポは変な声をあげてしまった。

 

「きゃあっ! ちょっ、そこは良いから! そこは自分でやるわ!」

 

 恥ずかしさをごまかすように、テッポはまた質問した。

 

「それから、あの白いブーメランはなんなの?」

 

 バナーヌは短く答えた。

 

「不思議アイテムだ」

 

 バナーヌは多くを語らなかった。それはどうやら、風を操るブーメランのようだった。あれだけの気流を操作できるアイテムなんて……テッポはそんなアイテムの話をこれまで聞いたことがなかった。

 

 今度は、テッポの膝の間へバナーヌの手が伸びた。バナーヌは言った。

 

「ここを拭けば、もう終わり」

 

 テッポは変な声をあげてしまった。

 

「ひゃうっ!? ちょっ、ちょっと! やめて! はず、恥ずかしいじゃない! 自分でできるから! もう!」

 

 テッポはまた顔を赤らめた。彼女は、甲斐甲斐しく自分の体を清めてくれているバナーヌの横顔を見つめた。戦闘の後だというのに、バナーヌは汗一筋も流していなかった。その氷のような美貌は無表情で、長いまつげに守られたサファイア色の両目は不思議なほどに綺麗に澄んでいた。ふわりと、金髪のポニーテールが風に揺れていた。

 

 テッポは、なんとなく口にしていた。

 

「綺麗ね……」

 

 バナーヌは答えた。

 

「何が?」

 

 バナーヌの返答に、テッポは慌ててごまかしの言葉を返した。

 

「な、なんでもないわよ! それより、ほら、もう動けるようになったわ! ありがとう! それで、あともう一つやらないといけないことがあるわね……」

 

 そう言うと、テッポは右手に首刈り刀を持ち、左手にヒンヤリメロンほどのサイズの爆弾を持って、胴体を切り裂かれて瀕死の状態になっている白銀リザルフォスのもとへと近寄っていった。

 

 テッポは恨みの感情のこもった低い声で言った。

 

「こいつ……よくも私を……」

 

 テッポは、血塗れの白銀リザルフォスを見下ろしていた。だんだん先ほどの恐怖と屈辱を思い出してきたのだろうか、テッポの頬は上気して赤く染まった。彼女の目は潤んでいた。

 

 白銀リザルフォスが、力なく声を上げた。

 

「グ、グェエエエ……」

 

 その声を聞いて、テッポはビクリと肩を震わせた。だが、次の瞬間には彼女は白銀リザルフォスを睨みつけていた。彼女は言った。

 

「さっきは、よくも私を舐め回してくれたわね……魔物の分際で、よくも私を辱めてくれたわね……」

 

 テッポの体が小刻みに揺れていた。溢れ出る怒りの情動が彼女の全身を動かしていた。しかし、その目には涙がいっぱいに浮かんでいた。

 

 僅かに声へ怪訝な調子を含ませて、バナーヌが言った。

 

「何をする気だ」

 

 テッポは、白銀リザルフォスの頭を思い切り蹴り飛ばすと、爆弾を持った左手を振りかぶって言った。

 

「こうするのよっ!」

 

 リザルフォスの胴体にぱっくりと口を開けている裂傷に、テッポは爆弾を押し込もうとした。魔物が悲鳴をあげた。

 

「グェッ!!」

 

 しかし、バナーヌは腕を掴んでそれを止めた。バナーヌはテッポに、諭すように言った。

 

「もういい。こいつは(じき)に死ぬ」

 

 テッポは答えた。

 

「……うん。うん」

 

 しばらく、(すす)り泣くような声があたりに小さく響いた。バナーヌは、優しくそっとテッポの背中を撫でてやった。

 

 涙を拭うと、テッポは白銀リザルフォスへ視線を向け、そしてまた視線をそらした。テッポは言った。

 

「行きましょう、バナーヌ」

 

 だが、バナーヌは首を左右に振った。彼女は言った。

 

「いや、ダメだ。最後まで確認しろ」

 

 昼までは赤ボコブリンたちの死にも心を揺るがせ、一般人たちをも助けようという優しい心を持っていたのに、恐怖と屈辱を受けただけで、幼い少女が傷口に爆弾を押し込むような残虐な真似ができるようになるのか? バナーヌは、一瞬そんなことを考えた。

 

 だが、バナーヌはその考えを打ち切った。この時代と、この時代を生きる方法、そして所属し忠誠を誓う組織、それらによって、人の生き方は否応なしに変わるものだ。テッポの態度は、イーガ団員としては至極まっとうだ。テッポは非の打ち所のない、将来有望な、理想的なイーガ団員だ。そう、イーガ団員としては……では、人間としては? バナーヌには、その答えは出せなかった。

 

 ほどなくして、白銀リザルフォスの目から光が消えた。その体は黒ずんで風化し始めた。

 

 テッポが、溜息をついた。

 

「……終わったわね……さあ、行きましょ」

 

 バナーヌは軽く首肯した。

 

「ああ」

 

 二人は静かにそこから立ち去ると、ハイリア湖へ向けて歩を進めた。

 

 街道には、リザルフォスたちの夢の跡が広がっていた。日は、すでに地平線の下へ姿を消していた。




 今回もかなりの難産でした。もっとバナーヌとテッポとが連携を取り合って白銀リザルフォスを翻弄するような戦いを描きたかったのですが、最終的にこのような形になりました。
 ガノレー君は前から出したいと思っていたキャラです。明らかに死への一直線を辿っているのに不思議と死なない彼は、いつも平原外れの馬宿付近でボコブリンに襲われています。ブレスオブザワイルドの楽しみの一つとしてランダムエンカウントの旅人たちがいますが、ガノレー君はその中でも特に私のお気に入りです。

※リザルフォスのブーメランの投擲について修正しました。(2018/08/05/日)
※加筆修正しました。(2023/05/08/月)
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