ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第四章 桃髪の密林仮面剣法伝承者
第三十二話 騎士リンクのメモラビリア


 バナーヌとテッポが輸送馬車に辿り着き、そして新たな作戦を開始した、その夜のことであった。

 

 平原外れの馬宿は、相変わらずの(ひな)びた雰囲気に包まれていた。干し草と馬糞の臭いが漂っていた。台所には薄いスープの皿と粥の鍋があった。馬やロバのどこか寂しげな鳴き声が聞こえてきた。ジリジリと燈心(とうしん)が焦げて、薄暗い照明を放っていた。とろ火に熱されて、薬缶(やかん)がカタカタと鳴っていた。

 

 人々は、思い思いの夜を過ごしていた。店員たちはそろそろ片付けをして一日の業務を終えようとしていた。用心棒のウドーは寝台に横になっていて、なにやら分厚い本を熱心に読み耽っていた。バナナの行商人は、つい数分前に「星座を観察してくる」と言って、馬宿の外へ行ってしまった。

 

 そんな中、サクラダ工務店デザイナー兼社長兼棟梁たるサクラダは、テーブルを前にして椅子に浅く座り、一人呻吟(しんぎん)していた。

 

「あーでもない、こーでもない……ああ、もう! アタマに来るワ、こんな仕事! 辞めてやろうかしらっ! アーッ!」

 

 サクラダは奇声を上げるとテーブルを両手で叩いた。その衝撃を受けて数枚の紙片がふわりと舞い上がった。それは、彼が描き散らした建築設計の新コンセプトのメモだった。

 

「アラッ、いけないワ! 大事なメモが……」

 

 床に落ちたメモをサクラダは一枚一枚拾い上げた。その間も、彼のブツブツとした独り言は止まらなかった。

 

 しかし宿の人々は、そんな奇怪な光景にはとっくに慣れてしまっていた。どうやら、大工やデザイナーというものは変わった生き物らしい。ちょっとした挨拶と言って変な踊りを始めるし、仕事となれば何時間でも、それこそ朝から夜までぶっ続けで机に向かうことができるようだ。邪魔をせず食事と水を与えておけば、時々叫ぶ以外は無害らしい……店員たちはサクラダをそっとしておいた。

 

 メモを拾い椅子に戻ったサクラダは、なおもブツブツと呟いていた。彼は手に持っているメモを眺めた。それには、多種多様な球体ばかりが描かれていた。

 

「天体論的に球形が最上最高の理想形であるのは間違いないのヨ……でも何故かしら? 何故、このハイラル各地に残っている建物や遺構は球形を追求していないのかしら……? ゾーラ族たちは建築と彫刻と夜光石の装飾を見事に調和させていたケド、球形の建築物はまったくなかったし、カカリコ村の建築はアタシたちの設計思想とは根本的に異なっていたから興味深かったけど、やっぱり球形の建物なんてなかったし……インパさんの屋敷には素晴らしい光る玉があったけど、触ろうとしたら怒られちゃって調べることはできなかった……おまけにあのパーヤとかいう娘には本気で怖がられるし、そもそも『建築にはこの宝玉はまったく関係ない』とインパさん本人からきっぱりと言われちゃったし……昔の人が建築で球形を追求しなかったのは、やっぱり建造の工数と費用との兼ね合いが問題だったのかしら……? アアアッ、ダメダメッ! そんな俗っぽい理由付けをするなんて! 仮説がチープ!」

 

 そこへ、エノキダがのっそりとした動きで茶を盆に載せて運んできた。茶はヒンヤリハーブのハーブティーであった。エノキダはサクラダに声をかけた。

 

「社長。随分とお悩みのようですが。これを飲んで一息入れてはどうでしょう」

 

 サクラダはエノキダへ顔を向けた。心なしかその目は落ち窪んでいた。目の下にはうっすらとクマまでできていた。サクラダは答えた。

 

「あら、エノキダ。気が利くじゃない、ありがと。そうネ、あまり(こん)を詰めても駄目ネ。アイデアというものは農作物と一緒。無理に育てようとしても却って枯らしてしまう。じっくりと様子を見ながら探求していきましょう」

 

 サクラダはカップを手に取り、ハーブティーを一口飲んだ。その途端、彼の顔に不快そうな表情が露骨に浮かんだ。彼は声を上げた。

 

「なにこれマッズ……熱いのにヒンヤリしてて舌が馬鹿になりそうだし……ていうか何? あっ何これ!? えっ何なのこれ!? 頭がキーンとする! 氷菓子を一気食いした時みたいに頭がキーンとする! でも熱い! でも冷たい! そして熱い!」

 

 そうやって大騒ぎをするサクラダに、寝台で寝ていたカツラダが夢の中から抗議をした。

 

「社長うるさいッスよー……近所迷惑ッスよー……村長のクサヨシさんにまた怒られるッスよー……」

 

 部下からの諫言(かんげん)が却ってサクラダの(かん)(さわ)ったようだった。サクラダは言った。

 

「何ヨ! カツラダのくせに生意気ヨ! ていうかエノキダ! アナタなんてものアタシに飲ませてくれてるのヨ!」

 

 エノキダはあまり表情も変えずに答えた。

 

「いえ、社長のためになると思ったので」

 

 サクラダの周辺は漫談のように騒がしかった。

 

 そこへ、小さな影が近づいてきた。影がサクラダたちに言った。

 

「そのハーブティーはお気に召さなかったようですな。わしが特に茶葉を選んでお出ししたのじゃが……」

 

 そう言ってサクラダの近くの椅子に腰掛けたのは、馬宿の老店員トーテツだった。老人は小さな目をしょぼしょぼとさせて、サクラダとエノキダを交互に見つめていた。

 

 サクラダは、毒気を抜かれたようだった。「オホン」と咳払いを一つすると、棟梁兼会社経営者としての風格たっぷりに、彼はトーテツに向かって語りかけた。

 

「アラごめんなさい、トーテツ、さんだったかしら? そうよネ。少し考えを纏めるのに手間取っていて、それで苛ついちゃって、部下にもお茶にも当たっちゃったというワケなのヨ。決してアナタの御厚意を無下(むげ)にしたワケではないのヨ」

 

 老人はホッホッホッと笑った。

 

「いえ、いえ。お気遣いは結構ですじゃ。この老人、生まれてこの方(うん)十年、やることなすことすべて中途半端でしてな。茶の一つも満足に淹れられないのはよう承知しておりますわい」

 

 サクラダはハーブティーをまた口に含んだ。彼は、今度は騒ぎ立てるようなことはしなかった。彼は言った。

 

「アラ、ご老人。年配の方に意見するようですけど、やることなすこと中途半端なんて言うのはあまり良くないことヨ。人はそれぞれ何らかの才能や適性を授かってこの世に生まれてくるものだワ。それを見つけ出すのに苦労する人もいるし、才能をわがものとするのにとても長い時間が必要な人もいるけど、でもいずれ人は才能を開花させるものヨ。だからアナタも何か才能がおありでしょ? やることなすこと中途半端というのはあり得ないはずだワ」

 

 老人は、サクラダの些か無遠慮な言葉にもまったく気分を害した様子もなく、ニコニコと微笑みながら答えた。

 

「いやまったく、若い方というのは素晴らしい。特にあなたのような、理想に燃えている若い方というのは素晴らしいものです。わしなぞ、持つべき理想も、燃やすべき情熱も、磨くべき才能もないまま、この大地で細々と生を長らえてきただけですじゃ。できることと言ったら昔話くらいなものでして……」

 

 昔話、と聞いたサクラダがピクリと眉を動かした。彼は隣に立つエノキダに視線を送った。

 

「……そういえば、ここら一帯の古老のお話は収集してなかったわネ……エノキダ、メモの準備をなさい!」

 

 エノキダは答えた。

 

「合点!」

 

 いそいそと、エノキダは筆記具を背嚢(はいのう)から取り出した。サクラダはトーテツへ身を乗り出すと、抑えきれぬ好奇心を顔面いっぱいに表しながら、ずいと頭を近づけて言った。

 

「申し訳ないけどトーテツさん、アナタ、少しお時間よろしいかしら? アタシ、昔話を聞きたいの」

 

 迫力のあるサクラダの顔にもまったく怖じず、トーテツは平然と答えた。

 

「ホッホッ……この老人、時間だけなら死ぬまでの分だけ有り余っておりますからのう。いくらでもお話できますじゃ」

 

 サクラダは得たりとばかりに表情を緩めた。その隣にエノキダが座り、メモを取る体勢を整えた。サクラダは老人に言った。

 

「じゃあここらへんの有名な建築物……そうね、デグドの吊り橋とか、あの闘技場跡地とか、そこらへんの昔話をお願いできるかしら? ア、そうそう、ちゃんとお礼はしますから」

 

 トーテツはサクラダにそう言われて、しばらくふーむと唸って天井を見つめていた。二回か三回、その真っ白なあごひげを指先で弄んだ後、彼は「それでは」と言って居ずまいを正した。

 

「博識なサクラダさんならば大抵のことはもうご存知でしょうから、デグドの吊り橋とか闘技場の由来について今更お話はしますまい。少し建築から話題は逸れますが、吊り橋に纏わる昔話をわしのおじいちゃんから聞いております。それを今からお話ししましょうか……」

 

 サクラダは期待に喉をゴクリと鳴らした。エノキダも、ペンを持つ手に知らず知らずのうちに力が入った。

 

「そう、あれは百年以上前の話ですが……」

 

 老人トーテツは、ポツリポツリと話し始めた。

 

 

☆☆☆

 

 

 今となっては想像をすることすら困難になってしまったが、百年以上前、つまり大厄災に見舞われる前のハイラル王国において、魔物は一般人にとって縁遠い存在だった。

 

 各地に駐屯しているハイラル王国軍は定期的に討伐作戦を実施して魔物が拠点を構えるのを許さなかった。精鋭で鳴らす王国騎士たちは名声と誉れを得ようと挙って魔物退治に赴いた。そのため辺境はいざ知らず、中央ハイラルにおいて魔物はほぼ駆逐されていた。一般人はその影すら目にすることなく生活することができた。

 

 人々は安全に街道を行き来し、商売に精励し、平和裡にそれぞれの生業(なりわい)に勤しむことができた。そういう時代だった。まことに羨むべき時代だった。

 

 そんなわけだから、あの時のあの事件が現在のここら一帯に与えた衝撃の強さは、本当に計り知れないものがあった。

 

 なんと、デグドの吊り橋を魔物の群れが占領したのである。

 

 最初の犠牲者はチーズの卸売業者だった。ゲルド地方へ商品を運ぼうと朝靄(あさもや)をついて出発した彼は、まったく無警戒のままにデグドの吊り橋に差しかかり、そして馬車ごと犠牲になってしまった。

 

 そこにいたのは、モリブリンやボコブリンといった辺境では馴染みの魔物だった。加えて、異様な影がそこに蠢いていた。

 

 それは、身の丈五メートルを軽く超す単眼の巨人の魔物、ヒノックスだった……

 

 突然、トーテツの話に割り込む声があった。

 

「ちょっと待った!」

 

 サクラダが言った。

 

「なにヨ、ウドーさん。話を(さえぎ)るなんて無作法よ!」

 

 寝台で横になったまま、用心棒のウドーが眼鏡を光らせてサクラダたちの方へ顔を向けていた。ウドーは言った。

 

「ヒノックスっていう魔物には単独で行動する習性があって、しかも縄張り意識が強いから、他の魔物とは徒党を組まないとモノの本で読んだことがあるぞ。だからその話は辻褄が合わない」

 

 サクラダは溜息をついた。

 

「なにも、そんな枝葉末節に(こだわ)らなくても良いじゃない! それにヒノックスが魔物たちのリーダーになるのだって、別にあり得ない話じゃないワ。たまたまそういう個体がいたのかもしれないし……」

 

 話の腰を折られても老人は意に介さないようだった。老人は言った。

 

「はいはい、話を続けますぞ」

 

 ヒノックスとその一党は、こともあろうにデグドの吊り橋のど真ん中に拠点を構え、通行人や輸送馬車を片っ端から襲い始めた。先に述べたチーズ業者だけでなく、ゲルド地方へと宝石の行商へ向かうゴロン族や、逆に中央ハイラルにヴォーイハントをしに行くゲルド族など、その日だけで合計八人の人間が犠牲になった。

 

 魔物出現の報は直ちにハイラル王国軍に伝えられた。早馬(はやうま)がコモロ駐屯地へと走り、討伐の要請がなされた。駐屯地司令官は単独行動を好むはずのヒノックスが魔物の群れを率いているという話には半信半疑だったが、その一方で彼はデグドの吊り橋の軍事的経済的重要性について重々承知していたため、とりあえず彼は歩兵一個中隊を現地へ派遣することにした。

 

 だが、派遣された中隊の隊長の足取りは重かった。

 

 行軍の最中にも続報が頻々(ひんぴん)と中隊長に伝えられた。交通規制をかけたため犠牲者はその後出ていない、中央ハイラルとゲルド地方との物流は完全に停止している、魔物は何やら建物を建て始めた様子である、吊り橋の下の湖ならば通れるだろうと船を出した者がいたが、上からの落石攻撃で沈められた……

 

 馬上の中隊長は、これだけ事の重大さを告げる情報を耳にしておきながら、今ひとつ真剣な心持ちになれずにいた。平和が長く続いたハイラル王国軍特有の慢心というのも一つの原因ではあったが、より大きな要因は、彼の出自にあった。

 

 中隊長は貴族出身だった。彼の家は、三代前までは王城に許可なしで出入りできるほどの、それなりに家格の高い羽振りの良い貴族だった。だが二代前、つまりそれは彼の祖父にあたる人物なのだが、それが大失敗をした。

 

 中隊長の祖父は、ツルギバナナの先物取引に手を出した。その結果、全財産を失った上に莫大な借金まで背負うことになった。

 

 かつて違法とされたバナナの取り扱いは、その時代では規制緩和されて合法となっていたが、それにしても印象は良くなかった。貴族ともあろうものが投機事業に手を出し、しかも「魔王の果実」たるバナナのために破産したとあっては、もはや宮廷社会に居場所はなかった。彼の家はみるみるうちに没落した。

 

 傾いた身代(しんだい)を何とか立て直そうと、中隊長の父親は先代に似ぬ堅実さを発揮して、子どもの教育に力を入れた。特に父親は、長男には大きな期待をかけて多大な学費を投じた。反面、父親は次男以下の子どもを早々に家から追い出して、自活の道を得るように促した。中隊長は次男であった。

 

 早い話が、単なる口減らしであった。アッカレ地方の寒村の貧乏農民ならいざ知らず、三代前までは国王に親しく声を掛けられ、王女殿下には自作のピアノ曲を直接披露することもできた名門貴族が、食うに事欠いて子どもを口減らしとして家から追い出したのであった。情けない話であった。

 

 そんな過去が泥のように纏わりついているおかげで、中隊長は何事にもやる気を覚えることがなかった。どうせ仕事に励んだところで没落貴族の次男坊だ、金脈も人脈もない以上、どんなに頑張っても連隊長にはなれないだろうし、社交界に復帰するなんて夢物語だろう。それにどうやら、自分は駐屯地司令官にどこか嫌われているようだし……彼は吊り橋に向かう間、そんなことばかりを考えていた。

 

 頑張ったところで社会の上層へ行けるはずがないのだから、何事につけても彼の力が入らないのは当然と言えば当然だった。だが、そんな無気力さで乗り切れるほど事態は甘くなかった。

 

 デグドの吊り橋に到着した中隊長は、異様な光景を目の当たりにした。

 

 いつの間に建てたのか、浮島のそれぞれに不格好な(やぐら)がいくつも林立していた。そこに弓矢を手にしたボコブリンの群れが屯していた。

 

 橋の上は長い槍を持ったモリブリンたちが闊歩(かっぽ)していた。どうやらボコブリンが狙撃、モリブリンが接近戦というように、役割分担をしているようだった。

 

 だが、そんなことは些細なことであった。中隊長を(おび)えさせたのは、魔物たちの長、ヒノックスだった。

 

 なんと、そのヒノックスは二匹いたのである。

 

 突然、トーテツの話に割り込む声があった。

 

「ちょっと待った!」

 

 サクラダが言った。

 

「なにヨ、ウドーさん。またもや話を遮ってくれちゃって!」

 

 先ほどと姿勢を変えず、寝台で横になったままのウドーが眼鏡を光らせて言った。

 

「さっきも言ったがヒノックスっていうのは単独で行動する習性があって、しかも縄張り意識が強いから、他の個体と一緒に行動する事はあり得ない。ヒノックスがコンビを組むなんてことはなおさらあり得ない。その話はやっぱり辻褄が合わないぞ……」

 

 トーテツはウドーを適当にいなした。

 

「はいはい、話を続けますぞ」

 

 二匹のヒノックスは湖の真ん中の一番大きな浮島で、大きな腹を(さら)け出して仲良く並んで高鼾(たかいびき)をかいていた。なんとも仲の良さそうな二匹だった。その手足はエルム丘陵産の木材よりも太く、身の丈は城下町の城壁に匹敵するほどで、体色はいずれも炭のような黒色だった。

 

 中隊長は、怖気づいた。どう考えても歩兵一個中隊でどうにかなる話ではなかった。あの数、あの陣容を相手に戦うのは、まるで城攻めをするかのようだ。装備はないし、兵士たちの士気も低いし、何より自分自身に戦術的な才能がまったくない……

 

 彼は戦う前から負けたような気分がしていた。しかし、ここで自棄(やけ)になってはいけなかった。少し時間が経つと、彼は冷静さを幾分か取り戻した。彼は、その唯一得意とするところの作文力と言い訳を駆使することにした。彼はコモロ駐屯地へ「現有戦力での討伐作戦実施は不可能である」旨を報告した。

 

 駐屯地司令官からは、すぐに返事が戻ってきた。部下に当てた書状ながらその文面は非常に丁重だった。その丁重さが司令官なりの罵倒であることを中隊長は知っていた。しかし、罵倒よりも彼を困惑させたのは、末尾付近に添えられた奇妙な一文だった。

 

「貴官の報告に基づいて議論をした結果、司令部では少数精鋭による夜間襲撃が有効であると判断した。それにつき、司令部はコモロ駐屯地司令官の名において、王国近衛騎士団に対し、特に大型魔族討伐に秀でたる技量を有する騎士の派遣を要請した。要請は受諾され、現在、選抜されたる近衛騎士がデグドの吊り橋へ急行中である。以後、貴官の中隊は、かの近衛騎士への支援・援護に徹するべし」

 

 おかしな話だと中隊長は思った。彼のイメージとしては、近衛騎士は濃紺のベレー帽に金の縁取りの制服を着た、色白で美形のお人形さんのような連中に過ぎなかった。日々、おままごとのような訓練と婦女子のようなお茶会ばかりしている奴ら、そんな軟弱な奴らがわざわざこんなところまで足を運んできて、しかもありがたいことにヒノックス討伐まで引き受けてくれるとは? そんなことがあり得るのか? 彼には到底考えられないことであった。

 

 じりじりとしている内に、早くも二日が経ってしまった。通行止めされている一般人たちから「役立たず!」だの「グズ!」だの「税金どろぼー!」だのと呼ばれ続けて、中隊長の堪忍袋の緒はそろそろ切れそうになっていた。

 

 だが、その日の午前、(くだん)の近衛騎士は現れた。

 

 精悍(せいかん)な栗毛の馬に跨り、朝の爽やかな風にマントを翻して颯爽と到着したその騎士は、なんと未だ幼さを顔に残した、少年期を脱した直後らしき男の子だった。

 

 普通ならば、「子どもを寄越された!」と落胆する事態であった。しかし、中隊長が最初にその騎士を見て感じたのは、軽蔑でも失望でもなく、ただその美への純粋な感嘆の念だった。

 

 その少年騎士は、美しかった。

 

 少年騎士は、刈り入れを待つタバンタ小麦の畑の波を思わせる金髪だった。金髪はキラキラと陽光を受けて輝いていた。その目は、雲ひとつない快晴の夏空を想起させる、どこまでも透き通った青色だった。その顔立ちはあどけなさを残していて、ともすれば女子に間違われそうなほどに可憐だった。少年騎士はハイリア人特有の長い耳に、王国軍ならば禁止されているはずのピアスをつけていた。それが彼をより印象を深くしていた。

 

 少年騎士は寡黙だった。彼は無表情ながら中隊長にただ一言、自身の名前を告げた。 

 

「私の名はリンクです」

 

 衝撃から立ち直った中隊長は、しどろもどろになりながら名乗り返した。そして彼は、部下に用意させておいた食事の席に少年騎士を招待しようとした。だが、少年騎士は言葉少なに、しかし決して礼を失さずにそれを断った。少年騎士は連れてきたただ一人の従者を伴って、中隊の陣容の確認と敵陣の偵察へ向かった。

 

 中隊長は慌てて後を追った。「まずはお食事を」と声をかけても、騎士リンクは沈黙していた。彼は止まらなかった。無口の中でも相当の無口らしい。それともただの恥ずかしがり屋なのか。これでは仕事にならんぞ……中隊長は内心毒づいた。

 

 騎士リンクは、小柄だった。同年代の男子と比較しても、彼の身長はやや低めであった。しかし、彼の体幹のぶれぬ足運びと音を立てぬ俊敏な歩行は、その小柄な肉体に計り知れないほどの戦闘技量が秘められていることを暗示していた。

 

 騎士リンクはあっちに顔を出しこっちに顔を出し、あたかも好奇心旺盛な子犬のように中隊の陣立てを見て回った。その表情は真面目そのものだった。そして、中隊側で見るべきものがなくなると、彼はそのままの勢いで今度は魔物が蔓延(はびこ)るデグドの吊り橋へと足を向けた。

 

 中隊長は狼狽した。彼は呼び止めるべく声をあげようとした。だが、それは騎士の従者に止められた。

 

「大丈夫、まだ斬り込みはしませんよ。単なる偵察です。それに、天地がひっくり返ったって、魔物どもがあの人を傷つけることなんて不可能ですから」

 

 その従者もまた、中隊長をして美しいと思わせる容貌をしていた。従者は騎士リンクよりもやや年上であるようだった。従者もまた、長い金色の髪の毛だった。金髪はポニーテールになるように纏め上げられていた。その目は深海のような青さだった。従者の顔立ちは少年らしい元気さに溢れていた。従者は少女のようにきめの細かい肌をしていた。

 

 寡黙で表情を変えない騎士リンクに対して、その従者は明るくおしゃべりな性格だった。従者は中隊長に話した。その話によれば、今回騎士リンクが派遣されてきたのは命令によるものではなく、本人たっての希望であったという。

 

 同年輩の者の従者をすることに思うところはないのか、という中隊長の問いに対して、彼は、近衛騎士団の中で最強の男の従者になったまでです、と答えた。そして従者は、いかがですか、とポーチから何か細長いものを取り出した。それはバナナだった。丸々と実ったツルギバナナが一本、うやうやしく中隊長に差し出されていた。

 

 中隊長は思わず身震いをした。バナナなど、食えるか! バナナこそ、彼を現在のこの苦境に追い落とした遠因であった。彼はバナナを断った。バナナはクソッタレな爺さんの(かたき)だ。それに、魔物が好んで食べているという噂もあるし……食えるか! 彼はそう思った。

 

 バナナを断られた従者は、それなら失礼して、と言ってその場で無遠慮にバナナを食べ始めた。既に高くなった日の光を浴びて、従者のポニーテールの金髪が、あたかもツルギバナナのように光り輝いた。

 

 そうこうしているうちに、騎士リンクは戻ってきた。そして、少し従者と相談することがあると言ってその場を離れていった。

 

 中隊長のもとに、部隊の古参兵がやって来た。あの「子ども騎士」は信用できるのですかと、古参兵は胡散臭そうな顔をして尋ねた。それについては俺のほうが知りたいと中隊長は言いたかったが、何とかそれを我慢した。

 

 十数分ほどして、騎士リンクと従者は戻ってきた。そしてなんとも驚くべきことに、騎士リンクは「直ちに単独で攻撃を開始する」と中隊長に告げた。

 

 突然、トーテツの話に割り込む声があった。

 

「ちょっと待った!」

 

 サクラダがげんなりとしたように言った。

 

「……いい加減反応するのもアレだけど、なにかご意見かしら、ウドーさん?」

 

 先ほどと姿勢を変えず、寝台で横になったままのウドーが眼鏡を光らせて言った。

 

「さっきから聞いてればおかしな話ばかりだ。ヒノックスだの、超美形の少年騎士だの、美形の従者だの、バナナだの、それに単独攻撃だの……特に単独攻撃ってのがおかしい。戦闘のプロである近衛騎士がそんな無謀な作戦をとるわけがないだろう。頭の悪い三文小説じゃあるまいし。そんな話はあり得ない……」

 

 トーテツは適当にウドーをいなした。

 

「はいはい、話を続けますぞ」

 

 攻撃の意図を中隊長に伝えるや否や、騎士リンクは弓も矢も盾も持たず、ただその手に(いささ)か古臭い、青く光り輝く刃の長剣をしっかりと持って、まっしぐらに吊り橋へ向かって突入していった。

 

 あっと中隊長は叫んだ。静止する(いとも)などなかった。騎士リンクはしなやかな肉体を大型の肉食動物のように跳躍させて、一目散に敵陣めがけて駆けていった。

 

 中隊長も、中隊の兵士たちも、周りで成り行きやいかにと見守っていた通行人たちも、その無謀な行動に驚き、そして呆れた。しかし、あの可愛らしい騎士がやがて魔物に打ち倒され斬り刻まれて、湖に死体を投げ込まれるであろうことを想像すると、皆一様に顔色を蒼白にした。ただ一人、騎士リンクの従者たる若者は、平然とした様子でバナナを食べていた。

 

 中隊長はなるべく前方に出て、騎士リンクの行方を目で追った。一直線に吊り橋へと走っていった騎士リンクはほどなくして、吊り橋の上を歩いているモリブリンにその存在を気づかれたようだった。

 

 モリブリンは槍を振りかぶった。それに対して騎士リンクは減速することもなく、そのままの勢いで魔物へ突き進んでいった。

 

 ああ、数秒後にあの美しい童顔は挽き肉になるのか……そのように想像した中隊長は、しかし次の瞬間、目を見開いた。

 

 騎士リンクは、一刀のもとにモリブリンの首を()ねた。それはビリビリヤンマが羽虫を仕留めるが如き、目にも留まらぬ早業(はやわざ)であった。

 

 それから展開された光景は、見守る彼らにとってまさに信じがたいものだった。

 

 浮島に建てられた(やぐら)から騎士リンクに向かって驟雨(しゅうう)のように矢が降り注いだ。だが、彼は矢を払いもせず、あたかも玉遊びでもしているかのように軽やかなステップを踏んで避け続けた。そして、彼は一匹ずつ順番に、吊り橋上のモリブリンを倒していった。彼はその身に一つの傷も負っていなかった。どうやら呼吸一つ乱していないようだった。

 

 やがて騎士リンクは、中央の一番大きな浮島に辿り着いた。しかしそこにいるのは、魔物の長である二匹の黒ヒノックスであった。中隊長は息を呑んだ。これまでは奇跡的に怪我もせずに戦ってきた少年騎士であるが、はたして彼だけで二匹の巨大魔物に勝てるのだろうか……?

 

 そう思っていた中隊長の肩を、誰かが激しく揺さぶった。はっとして彼が振り向くと、そこには例の古参兵がいた。古参兵は叫んだ。このままあの騎士殿を見殺しにするわけにはいきません、我々も突入して王国軍の兵士たる務めを果たさなければなりません、なにを躊躇しているんですか、隊長に誇りはないんですか……古参兵は語気激しく、中隊長に詰め寄った。

 

 見れば、他の中隊員も一様に鬼気迫る顔をして、中隊長を取り囲んでいた。ここに至って、やる気のない中隊長も腹を(くく)った。彼は腰に下げていた長剣を引き抜くと、緊張と恐怖で奇妙に裏返った声を上げ、突撃の号令をかけた。

 

 やめておいたほうがいいですよ、という従者の静止する声も聞かず、中隊長と中隊は地響きを立てて吊り橋と浮き島へ殺到した。正確な狙いのもとに飛来するボコブリンの矢に倒れる兵士も幾人かいたが、損害にかまわず中隊は遮二無二(しゃにむに)あちこちの(やぐら)へと突進し、()じ登り、ボコブリンを斬り殺して、櫓に火を放った。

 

 中隊長もまた、叫喚を上げて兵士と共に突撃した。もはやなりふり構ってはいられなかった。戦闘時に特有の、あの興奮が彼の全身を支配していた。彼のあらゆる感覚が遅鈍になり、また鋭敏になった。手近な櫓は既に炎上していたので、彼は遠くの櫓に目標を定めると、吊り橋の上を全速力で走り始めた。

 

 遠くに、騎士リンクの姿が見えた。二匹の巨人の攻撃は熾烈だった。だが、騎士リンクは避けて跳んでバック宙をして、あたかも元気の良すぎる大型犬と楽しげに遊ぶように、二匹の巨人魔物を軽くあしらっていた。

 

 その手並みは、芸術的なまでに見事だった。騎士リンクは繰り出された拳に飛び乗って腕を駆け上がると、ヒノックスの頭部に簡単に取り付き、その大きな黄色い血走った単眼に思い切り剣を突き立てた。

 

 ヒノックスは激痛に悲鳴を上げた。そんな仲間を見て、もう一方のヒノックスは怒りに燃えた。相方の魔物はこれまた芸のない力任せの正拳突きを放ったが、騎士リンクは軽やかに空中へ飛ぶと、今度は相方の肩へ飛び乗り、首筋を鋭い太刀筋で斬り裂いた。

 

 中隊長は、その光景をぼんやりと見ていた。彼は全力疾走しながら、がくがくとぶれる視界の中へ懸命にその光景を収めようと努力していた。彼は、今自分の見ているそれがどうにも現実離れし過ぎているように思った。あんなに強い人間がこの世にいるのか? あんなに小さいのに二匹のヒノックスを手玉に取れる人間がこの世にいるのか? 彼にはまったく信じられなかった。

 

 唐突に、中隊長の記憶はここで途切れた。

 

 トーテツの話に声が割り込んだ。

 

「ちょっと待った! せっかく良いところなのに場面暗転って、昔話的にそれってどうなんだ!?」

 

 ウドーの叫びに、サクラダも微かに頷いた。

 

「……アタシもまあ、そう思わなくもないわね」

 

 トーテツは言った。

 

「申し訳ありませんが、そういうお話なんです。まあ最後まで聞いてください」

 

 目が覚めてみると、中隊長は天幕の中で横になっていた。ボコブリンの狙撃を兜に食らったとのことだった。矢は貫通しなかったものの衝撃は強く、それで意識を失ったのだと部下が言った。

 

 だが、中隊長は最後まで話を聞かなかった。彼は天幕を飛び出した。彼の心の中には、ただ一つのことだけがあった。

 

 騎士リンクはどうなった!? 勝ったのか、それとも負けたのか!? 辺りを見回して、彼は思わず叫んだ。

 

 騎士リンクよ、汝は何処(いずこ)にありや! 

 

 しかし、あの残酷なまでに強く美しい、あどけない少年騎士は、もはや何処(どこ)にもいなかった。

 

 部下は中隊長に言った。騎士リンクはヒノックス二匹を単独で難なく討伐した。彼は一匹を執拗に斬り刻んで、その目玉を(えぐ)り出して倒した。すると、もう一匹のほうは意気消沈して、戦意を喪失してしまった。おそらく、それは彼の計算の内だったのだろう。幼い顔の裏で、冷徹な戦術眼を働かせていたのではないか……部下はさらに話し続けた。言葉少なに中隊と中隊長へ礼を述べた後、騎士リンクは栗毛の馬に乗って、従者と(くつわ)を並べて、王城へ帰っていった……

 

 去りゆく馬上、午後の柔らかな黄色の日差しを浴びた彼は、神々しいまでに美しく、山百合(やまゆり)のように可憐だったという。

 

 中隊長は、その光景が見れなかったのを、心から残念に思った。

 

 その後、中隊長は作戦成功の功績を認められた。彼は昇進することになった。しかし、彼はそれを固辞した。そしてほどなくして軍を退役すると、彼は退職金で馬車を購入し、こじんまりとした運送業者として働き始めた。彼はそうして生き、そうして死んだ。

 

 

☆☆☆

 

 

「というのがまあ、わしのおじいちゃんの話なんじゃ。言うまでもないでしょうが、この中隊長こそわしのおじいちゃんその人でしてな……」

 

 老人トーテツはいかにも話し疲れたというように、水さしの水をコップで一杯飲んだ。そして、じゃあこれで、と言って彼はその場を去っていった。

 

 一方、サクラダは難しい顔をしていた。というよりも、どこか不満そうな顔をしていた。サクラダは言った。

 

「……なるほど。建築は全然関係なかったケド、まあ、興味深い話だったワ」

 

 エノキダが言った。

 

「どのあたりが興味深かったのですか」

 

 長時間メモを取っていたせいで、エノキダはすっかり手が疲労してしまった。彼は手をぶらぶらとさせていた。そんな彼を横目で見ながら、サクラダが言った。

 

「その騎士リンク、おそらくだけど百年前のハイリア人の英傑、その人ヨ。たぶんまだ無名の新人だった頃の話じゃない? 英傑について調べている研究者に教えたら涙を流して喜ぶ話じゃないかしら。貴重なお話ヨ。でも、建築は全然関係なかったケド」

 

 エノキダは頷いた。

 

「なるほど。あの大厄災の時にハテノ砦で奮戦してくださった、あの英傑様ですか。確かに、村の連中に話したら喜びそうですね」

 

 サクラダが言った。

 

「そう、その英傑様よ。まあ、お話と建築とは全然関係なかったケドね。ああ、ほんと、建築とは全然関係ない話だったワ。まあ面白くはあったわネ。建築全然関係ない話だったケド!」

 

 サクラダは、大きな欠伸(あくび)をした。すでに時刻は深夜を回っていた。そろそろ眠りにつかなければならなかった。

 

 ふと思い浮かんだことを、サクラダは口に出した。

 

「眠りか……」

 

 エノキダがその呟きを拾った。

 

「眠りが、どうかしましたか?」

 

 サクラダは、なんでもないというように手を振った。

 

「大したことじゃないワ。その英傑様は実は今でも生きていて、長き眠りの中で傷を癒やしている、という話をどこかで聞いたのよ。あんな長話を聞いた後だから、ちょっと連想しただけ。さぁ、エノキダももう寝なさい」

 

 エノキダは頷いた。

 

「はい」

 

 サクラダは寝台に身を横たえると、すぐに目を閉じて、心と体を意図的に弛緩させた。こうすれば安眠間違いなし。魔物エキスも飲んでいるから、悪夢の心配もない……サクラダの意識は次第に溶けていった。

 

 薄れゆく意識の片隅でサクラダは何かの会話を聴いたような気がした。だが彼は、あえて抵抗することなく、夢の世界へ落ちていった。

 

 会話は続いていた。

 

「おう、トーテツじいさん。夜中に悪いが、コイツに軽く食事を出してくれないか。俺の古い友達でね、シタークって名前なんだ」

「おや、バナナ売りのゴンローさん。どうでしたか、星座は見れましたか?」

「いや、微妙に曇ってて駄目だったよ。おい、シターク。ここの名物はがんばりハチミツクレープだぜ。それでも食べて、ちょっとバナナと馬車の話でもしようや……」




 三十二話目にして、ようやく原作主人公リンクさんの登場です(でもちょっとちっちゃい)。時期的には彼がマスターソードを抜いてからそれほど時間が経っていない頃を想定しています。『マスターワークス』には、リンクさんがマスターソードを抜いたのは十二歳から十三歳と書かれています。
 余りある魅力と色気と茶目っ気を持っているリンクさんですが、自分でいざ書くとなると、その魅力と色気が十分表現できているか不安になります。難しい課題ですが、しかしやりがいのある課題でもあります。死ぬぅ。
 ウドーの「ちょっと待った!」は、例の教育テレビのヒゲ◯いをイメージしていただければ幸いです。

※追記 ヒ◯じいは教育テレビではなくN◯K総合でした。謹んで訂正いたします。(2018/09/29/土 12:52)
※加筆修正しました。(2023/05/10/水)

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