ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第三十七話 モモンジ、見参!

 モモンジは、猛り狂う騎馬ボコブリンを一刀のもとに斬り捨てた。今また新手の敵を迎えて、彼女は戦意を全身に充溢(じゅういつ)させた。彼女はいかなる技を用いても醜敵(しゅうてき)を殲滅せんと決意していた。より正確に言うなら、「全力で、敵をぜんぶやっつけてやる!」と彼女は思っていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 俗に言う。「戦争と闘争こそは新しい技術を生み出し、発展させ、深化(しんか)させ、またさらに新たなる技術を生み出すものである」

 

 この言葉は、確かに一面においては正しい。今更言うまでもなく、一万年以上の太古の昔、厄災ガノンに対抗するべくハイリア人はシーカー族と手を相携え、勇者と姫巫女の助けとするべく、自動戦闘機械の大群を生み出した。それのみならず、彼らは巨大決戦兵器たる四神獣を建造した。それらは、当時の最新の研究成果と最高の技術を結集した、いわば壮大なる智の結晶であった。

 

 今では呪いと恐怖の対象となり果ててしまったが、単眼多脚の歩行型ガーディアンや、単眼三翼の飛行型ガーディアンも、ガノンという脅威なくしては決して生まれることはなかったであろう。それは疑いようもなく、戦争という状況が技術革新を促進させた、ハイラルにおける最も顕著な例である。

 

 しかし、それならば技術というものは、戦争という差し迫った状況下でなければ、革新も進歩も起こらないものなのだろうか?

 

 答えは、否である。なぜならば、平時においても技術というものは、そのペース自体は戦時と比較してまことに緩やかであるにしても、着実に向上し、新たな成果を生み出し、次世代へより洗練された形で受け継がれていくものだからである。

 

 むしろ、平時における技術の発展は、戦時のそれよりも穏当で、健全で、成長可能性に満ちているといって良い。差し迫った状況では、費やされる知能も資金も時間も、ある一局面に対してのみ、すなわち戦闘に関するもののみに集中される。だがそれは人間で例えるならば、腕の筋肉や大胸筋のみが鍛えられているようなものであり、肉体全体はいびつな形となってしまうのと同じである。

 

 かつてのハイラル王国は、この単純な事実を見落としていた。あまりにも強大な自動戦闘機械を目の当たりにし、その膨大な戦果に圧倒されてしまった時の支配者たちは、古代シーカー族のカラクリ技術を却って「あまりに卑小なものとして」捉えてしまった。

 

 戦争によって兵器開発技術は進歩したが、それは喫緊(きっきん)の課題に対応するべく産み出された、いわば「鬼っ子」のようなものだった。本来ならば、より人々の生活を豊かに、便利にするためのカラクリ技術は、平和な時代を迎えてますます発展することは間違いなかった。しかし、ハイラル王国はこの鬼っ子を恐れ過ぎてしまった。

 

 その結果が、古代シーカー族の迫害と、カラクリ技術の放棄であった。技術発展の道は閉ざされた。人々はその後一万年の長きに渡って、ほぼ同じ形態の生活を続けざるを得なくなった。

 

 この歴史的事実を指して、歴史家の中には以下のように論説を垂れる者もいる。すなわち「ハイリア人は他種族と比較して保守的である。新技術に対してあまりに鈍感で、さらに言うなら、軽蔑する傾向すらある」

 

 この言葉の正当性を裏付けるかのようないくつかの発言が、百年前の大厄災当時の軍関係者たちによってなされている。ある騎士は以下のように日記に書いている。

 

「……太古の遺物など、何ほどの事やあらん! 言い伝えは言い伝えに過ぎぬ! 我らが信ずるのは弓馬と剣の腕、そして王国への忠誠心だけである。カラクリ技術など、戦場においていかなる役に立つものか? あのシーカー族とかいう影深き一族の手慰みなどに、我ら騎士の(はがね)の肉体と鍛錬とが、遅れを取るわけはない!」

 

 また、当時のハイラル王国軍参謀本部次長は手記において以下のように述べている。

 

「……今日、三体目の神獣が発掘された。それはなんとも異様で、そして巨大であった。確かに復活しつつある厄災に対して、神獣は有効に働くかもしれない。だが、シーカー族の技術者によれば、この神獣を一日稼働させるのに必要な費用(ルピー)は、歩兵一個連隊が一週間に消費するそれにほぼ匹敵するという。それならば王国は、神獣など使わずに、歩兵を増やすべきではないのか? 私だけではない、参謀本部においても神獣は『シーカー族のカラクリオモチャ』と呼ばれている。カラクリには忠誠心がない。それに、熱く(たぎ)る名誉心もない。……我が軍は決してカラクリ共に遅れを取るまい。国王陛下と姫殿下がシーカー族の甘い言葉を聞き入れずに、迷妄から覚めて下さることを祈るばかりだ……」

 

 このように、旧来の軍事体系と技術に属する軍人たちは、概して新技術というものに否定的な態度であった。

 

 それでは、一般人たちはどうだったのか。どうやら彼らはそれを珍しがり面白がりはしたが、進んで取り入れようとはしなかったらしい。「シーカー族に任せておけば良いだろう」というような言葉が、当時の城下町の住人の日記には散見される。

 

 だが、ここで心に留めておかねばならないことは、ハイリア人たちが「新技術」に対しては保守的な態度を取っていたとしても、やや矛盾するようだが、「技術そのもの」に対しては非常に真摯に取り組んでいたということである。農耕、灌漑(かんがい)、採掘、造船、建築、都市設計などに関する技術は、百年前の段階で非常に高度な水準にまで到達していた。

 

 では、剣の技術はどうであったのか。他の技術と同様に、ハイリア人が最も誇りとし最も身につけたいと渇望した技術である「剣術」もまた、長き時に渡って多種多様な進歩を遂げていた。

 

 ハイリア人は、伝説に語られる勇者のその鮮やかな戦いぶりに、常に羨望の眼差しを向けていた。「剣を持つ者は勇者のごとく、弓を持つ者は勇者のごとく、馬を駆る者は勇者のごとくあらねばならない」と彼らは信じていた。

 

 ハイラル王国における剣術は、戦時ではなく、逆に平時にあって長足の進歩を遂げた好例だろう。

 

 かつてはどんな小さな村にも必ず礼拝堂と剣術の道場が存在した。各地には独自の剣術の流派があり、無数の剣術自慢たちが日々鍛錬を重ねていた。剣術家たちは時には山奥に分け入って魔物と一対一の勝負をし、時には他の道場へ出向いて他流試合をし、時には闘技場へ足を向けて、王国一の剣術家としての名声を得ようと躍起になった。

 

 平和な時代であればこそ、彼らは広大なハイラルを自由に障害なく修行遍歴(へんれき)することが可能であった。また、平和な時代であればこそ、彼らは純粋に剣という技術を醸成する時間的・資金的余裕を確保することができた。

 

 貴族たちは有名な剣士を抱えることを一種のステータスとしていた。王国も、直属軍に登用するなどして在野の剣士たちの野望を叶えようとした。「この剣士はまさに勇者の再来である」という言葉は、剣術家にとって最大の名誉であった。

 

 一つのエピソードを紹介しよう。ハイリア人たちが(たの)みとし、文化の精髄とまで称揚していたこの剣術が、得体の知れない闖入者(ちんにゅうしゃ)によって、なんとも無惨にも打ち破られたという話が残されている。

 

 それは、城下町の道場で起こった出来事だった。

 

 その道場は、ハイラル王国一の伝統と、規模と、門下生の数を誇っていた。その道場は闘技場での優勝者を幾人も輩出していた。道場主は代々、王国軍の剣術指南役として登用されていた。

 

 ある日、道場の門を叩くものがいた。応対に出た門下生は、その者の姿を見て仰天した。

 

 その者は、異様な風体をしていた。背はゴロン族のように高く、筋肉はゲルド族よりも分厚かった。その腕は膝の下まで優に届き、脚はガンバリバッタのように細長かった。その全身には、びっしりと複雑な紋様の刺青が施されていた。

 

 なにより目を惹いたのが、その者が顔につけている仮面だった。仮面は茶色だった。裂けた口と怒った目が彫刻されていた。髪を模した三つの飾りには毒々しい色彩が施されていた。

 

 その者は、奇妙にくぐもった声で言った。

 

「道場主に、教えを賜りたい」

 

 その言葉には、どこかフィローネの密林地方特有の訛りが感じられた。

 

 あまりにも異質な雰囲気に怯えつつ、門下生は尋ねた。

 

「して、貴殿の御流派は?」

 

 その者は答えて言った。

 

「我は太古より連綿と受け継がれし密林仮面剣法『オド・ルワ』、その正統後継者なり」

 

 老齢の道場主は日頃から、「もし三日後に月が落ちてきてハイラルが滅びるという事態になっても、何も案ずることはない。わしが真っ二つに叩き斬ってみせるわい!」と豪語していた。しかし彼は、密林仮面剣法『オド・ルワ』の後継者を名乗るこの者の異様な風体と、その満身から放たれる異常な迫力に怖れをなした。彼は三人の代役を立てることにした。いずれも王国剣術指南役に(あずか)る腕利きであった。

 

 だが、代役たちは次々と倒された。その道場破りは、「イヤンホィッ!」とか「アアンホィッ!」とかいう、耳障りで奇怪な叫び声を上げて長大な剣を振るった。道場破りは踊るようにして、立て続けに代役達を打ちのめしてしまった。

 

 このままでは道場の沽券(こけん)に関わると、最後には門下生全員が一斉に飛び掛かった。だが、道場破りは身体を軸にして大剣をグルグルと回転させると、ものの数秒で彼らを全滅させてしまった。

 

 これを見た道場主は、掛け軸の裏に隠された秘密の小部屋に逃げ込んだ。彼は頭を抱えてブルブルと身を震わせ、「わしには無理じゃあ、無理なんじゃあ!!」と泣き叫んだ。

 

 道場破りはその姿を見てひとしきり哄笑(こうしょう)したあと、道場が一番の宝物としていた、王室から下賜された「王家の大剣」を一刀のもとに両断して何処(いずこ)へともなく去っていった。

 

 その後も、奇妙な噂がハイラル全土を駆け巡った。仮面の怪人が各地の道場を荒らしまわり、腕利きたちを倒し、そして必ず道場伝来の業物(わざもの)を破壊して去っていくという噂だった。

 

 しかし、何の理由によるものか、ある日突然、その怪人の噂はぷっつりと途絶えてしまった。

 

 ハイリア人は、自分たちの剣技がいまだに発展途上にあることを思い知らされた。以後、各道場はますます他流試合に励むようになり、ますます剣術は進歩を重ねた。

 

 だが、その剣術の歴史も百年ほど前に一人の若き金髪碧眼の天才剣士が出現したことによって、終焉を迎えることになった。

 

 

☆☆☆

 

 

 殺気に満ちたアラフラ平原に、一陣の風が吹き抜けた。草原が潮騒のような音を立てた。疎林の木々がざわめきを発した。

 

 空がだんだんと白んできていた。どうやら夜明けが近いようだった。

 

 フィローネ支部所属のイーガ団員、密林仮面剣法「オド・ルワ」正統後継者モモンジは、先ほど一撃で斬り捨てた黒ボコブリンの死体へ一瞬、目をやった。胴を水平に真っ二つにされた魔物は、離れ離れになった上半身と下半身を別々に動かしてしばらくもがいていた。だが、それらはそのうち動きをやめ、黒ずんで風化していった。

 

 モモンジは、内心独り言ちた。よし、剣の冴えは絶好調! ヒコロク先輩に貰った焼肉のおかげだ! 彼女はまた、思った。それに、テッポ殿が見ている……ここで私が頑張るところをお見せして、お褒めのお言葉を貰うんだ!

 

 彼女は長く繊細な造りをした大太刀(おおたち)「風斬り刀」を脇構えにすると、遠くから駆け寄ってくる新手の騎馬ボコブリンに対して、高らかに名乗りを上げた。

 

「さぁ、魔物共! 密林仮面剣法『オド・ルワ』の正統継承者、モモンジが相手をつかまつるわ!」

 

 駆け寄って来たのは、騎乗した青色のボコブリン二匹だった。魔物は前後に組んでまっしぐらに進んできた。先頭の一匹は黒の単色の馬に跨っていて、トゲボコ槍を手にしていた。

 

 テッポが励ますように、幼くも鋭い声をモモンジにかけてきた。

 

「モモンジ、気を付けて!」

 

 モモンジは、力強く答えた。

 

「ご安心ください、テッポ殿! モモンジの手並みをそこから見ていて下さい!」

 

 テッポは頷くと、言った。

 

「分かったわ、モモンジ! 思う存分戦って! 私は援護に徹するから!」

 

 ボコブリンはあっという間にモモンジの間合いに侵入してきた。魔物は槍を振り回し、よだれを飛ばして、醜悪な叫び声を上げていた。

 

 長い槍が、モモンジの右側頭部へ向かって唸り声を上げて旋回した。魔物は叫んだ。

 

「ぶぎぃいいっ!」

 

 モモンジは声を発した。

 

「遅い!」

 

 彼女は軽く首を傾げて槍を回避した。そして、彼女はそのまま斜め前方へと跳躍した。彼女は通り抜けざまに魔物へ鋭い一閃を放った。

 

 青ボコブリンの首は、次の瞬間()ね飛んでいた。何が起こったのか分からないというような表情を、空中の首は浮かべていた。

 

 だが、モモンジにその死を見届けている(いとま)はなかった。この一瞬の攻防の間に、先ほどの魔物の後ろについていた別の一匹がモモンジの後方に回り込んでいた。魔物は弓を手にし矢をつがえ、猛然としてまだら色の馬を駆けさせた。

 

 魔物は必中の確信を得たのか、モモンジの背中に狙いを合わせると、必殺の一矢を放った。

 

 だが、モモンジは叫んだ。

 

「見えてるのよ!」

 

 モモンジはあたかも後ろにも目がついているかのように、正確に飛来する矢を認識していた。彼女は振り向きざまに刀を払うと、それを弾き飛ばした。

 

 魔物は、一瞬驚きに打たれたようだった。この敵は手ごわいと見るや、魔物はすぐに馬首を返した。今度は、魔物は彼女の周囲をぐるぐると回り始め、また弓を引き絞った。しっかりと風斬り刀の射程外になるように、魔物は距離を保っていた。

 

 これは、騎馬ボコブリンの常套戦術であった。この戦術は、逃げ回るイノシシやシカを集団で追い回し捕殺するという狩りの技術から派生していた。騎馬を得意とする魔物たちは、みなこの戦術を心得ていた。敵が剣を振るってもそれは届かない。敵が弓を引こうと足を止めるならば、それを狙い撃つことができる。単純だが効果的な戦術だった。

 

 しかし、モモンジは動じなかった。彼女は刀を上段に構えると、彼女の周囲を駆けまわる魔物に向かって、常に正面を見せ続けた。涙目の逆さ紋様が刻まれた仮面の下で、彼女は呼吸を整えて、精神を集中させていた。

 

 ついに、魔物の弓から矢が放たれた。皮鎧(レザー・アーマー)ならば容易に貫通する威力を持つそれを、モモンジは刀を振り下ろすことで簡単に叩き落した。

 

 そして、下ろされるのと同時に、風斬り刀から目に見えない(やいば)が飛び出した。神速の如き勢いで、その刃は敵対者へ向かって飛んでいった。

 

 これこそ、イーガ団において特に剣術に優れる者のみが放つことができる「真空刃(しんくうば)」であった。それは紛れもない大技であった。

 

 真空刃はあやまたず、魔物の弓手を斬り落とした。

 

「ぶぎぃいいっ!」

 

 激痛におめき叫んで、青ボコブリンは脆くも落馬した。そこに、小さな黒い影が駆け寄った。それはテッポだった。テッポが首刈り刀を手にして、腕を失って地面でじたばたと暴れる魔物に向かい、勢いをつけて跳躍していた。テッポは叫んだ。

 

「トドメよ!」

 

 肉を(つらぬ)き刺し通す音と、首刈り刀の繊細な(やいば)が骨を斬り折る鈍い音がした。次の瞬間、青ボコブリンの首は無念の色を浮かべて地面を転がった。

 

 鮮やかな手並みを見せられて、モモンジは感嘆の念を思わず言葉にしてこぼした。

 

「おおっ! テッポ殿、お見事です!」

 

 モモンジからの称賛の言葉を聞いても、テッポは動きを止めなかった。彼女はそのまま前転して身を屈め、モモンジへ緊迫感に満ちた声をかけた。

 

「まだよ! モモンジ、あれを見て! 前方より黒ボコブリンが三騎、接近してくる!」

 

 その言葉を聞き終えるのを待つまでもなく、モモンジも新たなる敵を認識した。内心、彼女は毒づいた。まったく、アラフラ平原の魔物たちは際限がないな!

 

 しかもその新手は、今までとは少し違った様子を見せていた。三騎は三角形の陣形を組んでいた。その手綱捌きには迷いがなく、各々の間隔はまったく乱れることがなかった。しかも、一般的な騎馬ボコブリンが裸馬に跨っているのに対して、新手の魔物たちは立派な(くら)(あぶみ)といった馬具の整った馬に乗っていた。おそらく、馬は馬宿から略奪されたものであった。なんだか、向こうだけズルいなぁ。モモンジはそう思った。

 

 テッポは警戒感を露わにして、鋭い声でモモンジに注意を促した。

 

「モモンジ、奴ら、今までとはちょっと違うみたい! 注意して! 私も援護する!」

 

 確かに、これは強敵だ! モモンジは気を引き締めた。彼女は(つか)を握っている手の、その小指に力を込めた。

 

 でも、これはチャンスかも? モモンジは心のどこかでそう思ってもいた。いかにも強敵っぽいあいつらを首尾よく、カッコよく倒したら、テッポ殿の私に対する評価は「ゾーラの滝登り」のように上がるのでは? その評価はテッポ殿のお父上である幹部のハッパ殿のお耳にも伝わって、そして、ゆくゆくは、全イーガ団が流派「オド・ルワ」を模範とするようになるのでは……?

 

 埒もないことを考えるモモンジを余所(よそ)に、ぐんぐんと速度を上げて三匹の魔物たちは殺到してきた。魔物たちは、テッポには目もくれていなかった。モモンジの持つ風斬り刀の輝きが、彼らの目を惹いているようだった。あるいは、彼女の桃色の(まげ)も目立っていたのかもしれない。

 

 いけない、変なことを考えちゃった! モモンジは再度気を引き締めた。今は、この強そうな魔物たちを倒すべき時だ! そうだ、この程度の敵ならば何とかなる! 彼女は叫んだ。

 

「行くわ!」

 

 モモンジに、敵を迎え撃つ考えはなかった。彼女は先手必勝とばかりに敵に向かって飛び出した。彼女は刀を肩に担ぎ、地を這うようにして、マックストカゲもかくやと言わんばかりの速度で地面を疾駆した。「策や知恵より気合と根性」「迷ったならば攻勢に出よ」「思考は後で、身体を先に」 精神に染み付いた流派『オド・ルワ』の教えの数々が、些か軽率ともいえる突進行動へと彼女を促した。

 

 魔物の叫びが彼女の耳に聞こえた。

 

「ぶぎぃいいっ!」

 

 先頭の黒ボコブリンが、鈍いきらめきを放つ騎士の剣を振り回していた。魔物の掛け声には気迫がこもっていた。敵を前にして興奮しているのかな? モモンジはそう思った。だが、その半秒後に彼女は本当の意味を悟った。

 

 魔物がさらに叫んだ。

 

「ぶぎっ! ぶぎぎぃっ!」

 

 その声を聞いた後方の二匹が、拍車をかけて一気に速度を上げ、前方へぐんと進み出た。二匹の魔物はモモンジの左右へと包み込むように回り込むと、同時に矢をつがえて弓を引き絞った。

 

 それを見たモモンジは、その口から内心の動揺を漏らした。

 

「あっ、これはマズいかも……」

 

 つまり、この魔物の三騎は囮戦術を使ったのであった。最も戦意に溢れる先頭の黒ボコブリンが体当たりの勢いで敵と激突し、敵がそれに対処するスキを衝いて、左右の騎射に優れるボコブリンが敵を射殺する。魔物にしては手の込んだ作戦だった。

 

 魔物たちは、自らの三騎を「黒い三連星」と自称していた。彼らがこの戦法で殺し切れなかった敵はこれまで存在しなかった。

 

 テッポが甲高い声で叫んだ。

 

「モモンジ!」

 

 モモンジにはその声がどこか遠く感じられた。絶体絶命であった。あと数秒も経てば、モモンジは正面の騎馬の(ひづめ)によって踏み殺されるか、あるいは剣によって首筋を断たれるか、それとも左右からの矢に両脇腹を射抜かれるかだった。

 

 しかし、この程度の敵に(おく)れを取るようなモモンジではなかった。彼女は、一万年以上の長きにわたって密林の奥深くで連綿と受け継がれてきた、密林仮面剣法「オド・ルワ」の正統なる後継者であった。戦闘時に特有の脳髄すら沸騰しそうなほどの興奮と、全身を燃え上がらせるような膨大な熱量を覚えながらも、彼女はこの状況における最適解を自然と導き出すことができた。

 

 モモンジは、それまで肩に担いでいた風斬り刀を、今度は右手だけでしっかりと握った。彼女は一切の予備動作なしに、裂帛(れっぱく)の気合いの叫びと共にそれを振り回し始めた。

 

「でやぁあああっ!」

 

 彼女の体を軸として、鋼鉄リザルシールドをも難なく切り裂く長大な風斬り刀が回転を始めた。彼女は一つめの回転を終え、二つめの回転を終えた。その間には、瞬き一回ほどの時しか経っていなかった。三つめの回転の時に、風斬り刀の(やいば)は、正面から驀進(ばくしん)してくる魔物に到達した。

 

 二匹の蛇が絡まり合ったような造りの、冷厳(れいげん)な輝きを放つ(やいば)は、まず馬の首のぶ厚い皮膚を切り裂き、次にしなやかな筋肉を切り裂き、その次には(かし)の木よりも固い骨を切り裂いて、最後には血管と神経を切断した。馬は悲鳴すら上げずに絶命した。

 

 刃は、魔物にも届いた。魔物が妙な声を上げた。

 

「ぶぎっ!? ぶこへっ……」

 

 刃は馬の首だけでなく、魔物の首をも、あたかもヒンヤリメロンをサクリと叩き切るように()ね飛ばした。

 

 ほぼ同時に、馬の長い首とボコブリンの短い首が宙を舞った。生命を失った馬が崩れ落ちかけた。だらりと下がった首の断面から、血液が奔流となって噴水のように噴き上がった。

 

 それがモモンジの仮面に盛大に降りかかった。彼女の視界はゼロになってしまった。狼狽して彼女は声を上げた。

 

「わわわっ!?」

 

 首と騎乗者を失った馬の肉体は勢いのままになおも動くことを止めなかった。馬は惰性で進み続けた。モモンジは目が見えない中、それを間一髪のところで避けた。直後に、左右からの矢が飛来した。それすらモモンジは、視界を失ったまま風斬り刀を回転させ続けて叩き落とした。

 

 追い詰められたモモンジが放ったこの大技こそ、流派「オド・ルワ」の奥義、「大回転斬り」であった。昔、遥か昔、城下町の道場で多数の門弟に囲まれた際、たった一人だけの継承者はこの大技を用いて、鎧袖一触とばかりに敵を一瞬で葬り去った。大回転斬りは流派の精髄の一つであった。

 

 この技は、ただの剣ならば発動することができなかった。用いるべき剣は身に余るほどの大剣で、かつ斬れ味が鋭く、そして重みのあるものでなければならなかった。そういう剣でなければ、大回転斬りは威力を発揮しなかった。鍛え抜かれた筋肉が生み出す遠心力と、刀身そのものが持つ性能を合わせることによって、強大な敵対者を正面から粉砕する。それが大回転斬りが奥義とされるゆえんである。

 

 テッポは一瞬鳶色の大きな瞳を輝かせて、モモンジが繰り広げるその光景に見とれていた。彼女は叫んでいた。

 

「モモンジ、すごいわ!」

 

 だが、その次には彼女はまた表情を引き締めた。まだ弓矢を持つ二匹の魔物は健在だ!

 

 大回転斬りは、奥義であるがゆえにやはり消耗を強いるものだった。技を終えた後、モモンジは地面に膝をついて荒い息を吐いていた。そのモモンジに、テッポは叫んだ。

 

「モモンジ! まだ来るわ! はやく動いて! 囲まれる!」

 

 仲間の一人がやられても、敵は(いささ)かも戦意を阻喪(そそう)していなかった。むしろ、魔物たちはその目を憎悪で溶岩のように赤くし、鼻息をますます荒くしていた。魔物たちは明らかに激昂していた。

 

 二匹の魔物はモモンジを取り囲み、片方は時計回りに、もう片方は反時計回りに馬を走らせて、彼女を弓で狙い始めた。

 

 対してモモンジは、その場から動かなかった。いや、彼女は動けなかった。無我夢中で発動した大回転斬り、そのせいでスタミナ(がんばり)が尽きている。しまったなぁ。彼女はそう思った。正統後継者とはいえど、まだモモンジは若かった。その技は完成されていたが、彼女の肉体はいまだに発展途上にあった。

 

 それに加えて、技を終えたその時になって、彼女は自分の視界がゼロになっていることに改めて気が付いた。彼女は混乱した。真っ赤で、何も見えない。それに、ひどく生臭い。鉄の味と匂いがする。すごく息苦しい。テッポ殿の叫び声も聞こえる。周囲からは馬がドドドと駆け回る騒音もする。

 

 あれ、なんだっけ? 何をしてたんだっけ? 彼女は混乱し続けた。そうだ、敵が突っ込んできて、大回転斬りを喰らわせて……そうだ、馬の首ごと敵を斬った。そのあとは、なぜか目が見えなくなって……

 

 混乱が頂点に達したモモンジは、叫んだ。

 

「見えない、見えない! 何も見えない! まっかっかで何も見えないわ!」

 

 一度に大量の情報が脳内神経になだれ込み、それに興奮が加わったことで、彼女の思考は活動を停止してしまった。ヒコロクが言うところの状況判断力の欠如とは、つまりこれだった。

 

 それでも身を助けるのが技術であり剣術であった。己の魂に染みつき、一部と化したある種の習慣(ハビトゥス)である技術、それが自身の容れ物である肉体を守るべく、自動的に運動を開始した。

 

 魔物が叫んだ。

 

「ぶぎゃああっ!」

 

 二匹のボコブリンは、同時に矢を放った。その刹那、モモンジは力を振り絞って、あたかも古代のバネのように空中に飛び上がった。彼女は身を(ひね)り、回転し、命中寸前だった二本の矢を紙一重で回避した。

 

 そして、その跳躍が頂点に達した時、彼女は気配を感じる方向へ向かって、刀を振り下ろした。空を斬り裂いて、不可視の刃が時計回りに走っていたボコブリンへ突進した。

 

 馬の悲鳴が響いた。真空刃は騎乗者には当たらず、馬の腹を深く切り裂いたのだった。馬は棒立ちになって、背中の主を振り落とした。ボコブリンは弓を放り出して落馬した。

 

 テッポはそれを見逃さなかった。彼女はすかさず三発の小型爆弾を爆弾袋から取り出した。彼女は導火線に点火すると、落ちた衝撃と痛みに耐えかねて地面でもがく魔物に向かって、冷静に狙いをつけて放り投げた。

 

 テッポは短く叫んだ。

 

「食らえ!」

 

 閃光と、爆音と、爆風が起こった。爆弾の直撃を受けた黒ボコブリンは即死した。これで残るのは一匹だ! テッポはもう一方の敵を見た。

 

 反時計回りをしていた黒ボコブリンは、さすがに不利であることを悟ったようだった。魔物は馬にひとつ鞭を当てると、全速力で逃げ出し始めた。テッポはそれを追おうとした。しかし距離もあれば速度の差もあった。追いつけない! でもここで逃がすわけにもいかない! どうしよう!? テッポは(ほぞ)を噛んだ。

 

 一方モモンジは、まだ混乱の渦中にあった。さきほどの跳躍も回避も真空刃も、彼女の意志によってなされたものではなかった。血の滲むような日々の練磨、幼い頃から積み重ねてきた鍛錬の数々、優しくも厳しい、師であった父からの教え……そういったものが彼女を突き動かしたに過ぎなかった。

 

 ある意味で、武芸者にとって最も理想的な境地、つまり無念無想の境地、それに近い状態にモモンジはあった。

 

 それゆえ、その次の行動も、モモンジが考えて起こしたものではなかった。彼女は真っ赤になっていて見えない視界をぐるりと回転させると、聴覚が教え導く方向へ向かって、半ば無意識に、再度、真空刃を放った。

 

 魔物が声を上げた。

 

「ぶごっ!?」

 

 真空の刃は、逃走する騎馬ボコブリンの背中に命中した。もんどりうって魔物は落馬した。しかし、その傷は浅かった。魔物には受け身を取る余裕があった。

 

 即座にボコブリンは立ち上がった。魔物は思った。今度はもう、逃げるような真似はしない、仲間の仇を討ってやるぞ! 怖れを敵愾心が凌駕した。魔物は弓を引き絞ると、刀を正眼に構えたまま動かないモモンジに向かって、殺意に満ちた目で以て正確に狙いをつけた。

 

 テッポは悲鳴に近い叫びを上げた。

 

「モモンジ、伏せて!」

 

 その時、びゅんっと音を立ててどこかから飛来した二本の矢が、黒ボコブリンの後頭部と頸椎(けいつい)に突き刺さった。それとほぼ同時に、魔物の弓から最後の力を振り絞った一矢が放たれていた。

 

 魔物の矢は、モモンジの心臓目掛けて突進した。それを彼女は、軽く刀を振るうことで払った。これも、一種の無念無想がなした技であった。

 

 だが、払われた矢はまだ勢いを失っていなかった。どういう神々の計らいによるものか、矢は払われたことで狙いが逸れて上方へ向きを変えた。矢はモモンジの仮面のひたい部分にぶち当たった。矢は貫通しなかった。鈍い音を立てて、矢は虚空へと弾き飛ばされていった。

 

 仮面が装甲の役目を果たしたおかげで、モモンジは僅かな傷すら負わなかった。だが、その命中の衝撃は彼女の脳を大きく揺さぶった。

 

 モモンジの口から声が漏れた。

 

「あうっ!?」

 

 突然の脳震盪(のうしんとう)、過度な興奮、緊張、大技を連発したことによる気力の消耗……それらが複合したために、モモンジの意識は闇の世界へと落ちていってしまった。

 

 自分の最後の足掻きが不成功に終わったのを見ると、魔物は力なく大地に崩れ落ちた。魔物は死んで、その死体は次第に黒ずんで風化していった。

 

 死んだ魔物の背後に、誰かがいた。その誰かはツルギバナナのような金髪のポニーテールに、氷のように怜悧(れいり)そうな青い双眼を有していた。誰かは忍びスーツを身に纏っていた。先鋭なシルエットだった。

 

 テッポが、半ば抗議するような声を上げた。

 

「バナーヌ、遅いわよ!」

 

 その誰かであるバナーヌは、いつもとなんら変わらない涼やかな声で答えた。

 

「すまん、遅れた」

 

 そんな二人のやり取りを余所(よそ)に、モモンジはただその場に佇立(ちょりつ)するだけだった。なかなか彼女の意識は戻ってこないようだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 テッポとモモンジの二人が戦っている最中、バナーヌは何をしていたのか。

 

 当然、彼女は無為のままに、ぼんやりと様子を見守っていたわけではなかった。彼女は彼女で、別の敵と戦っていた。

 

 バナーヌはテッポに突進する黒ボコブリンに矢を浴びせた後、すぐに助けようと動き始めた。しかし、臙脂色(えんじいろ)の忍びスーツを身に纏い、白い仮面を被り、風斬り刀を携えた人物が、魔物に飛び掛かって一刀のもとに仕留めたのを見ると、彼女はテッポへ駆け寄るのをやめた。

 

 あれはテッポが話していた、モモンジとかいう女団員だろう。彼女に任せておけば、テッポはきっと安全だ。彼女はそう思った。

 

 それにいつの間にか、彼女は周りを十匹ほどの徒歩のボコブリンに囲まれていた。

 

 アラフラ平原は馬が豊富であるとはいえ、魔物のすべてがそれを乗りこなせるわけではなかった。馬に乗れない不器用な魔物は、徒歩(かち)立ちとなって戦いに参加するしかなかった。ちょうど百年前のハイラル王国軍の騎兵連隊が、五百騎の騎士と千五百人の歩兵で構成されていたように、アラフラ平原の魔物たちも騎馬ボコブリンと徒歩(かち)ボコブリンとに分かれていた。

 

 バナーヌは、ボコこん棒やボコ槍、ボコ弓などで武装した赤や青の徒歩の魔物たちを、時には首刈り刀を振るい、時には疾風のブーメランを使って、一匹ずつ確実に仕留めていった。

 

 その様は、見る人が見れば一幕の上質な演劇のように思われたであろう。それほどまでに、バナーヌの戦闘技術は洗練されていた。

 

 それでも、彼女がすべての魔物を仕留めるのには時間がかかった。彼女が怪我を恐れずに強攻すればもっと時間を短縮できただろうが、彼女はこのようなつまらない敵に対して余計な傷を負うわけにはいかないと考えていた。

 

 バナーヌはちらりと向こうを見やった。テッポたちに、手強そうな黒の騎馬ボコブリン三騎が突っ込んで来ていた。彼女は、早くテッポたちの援護に向かいたいと思った。だが、徒歩(かち)ボコブリンたちは妙に戦意が旺盛だった。魔物たちは死ぬまで彼女に立ち向かってきた。きっちり殺し切らないといけない敵というのは、なまじ技量のある敵より厄介なものである。彼女は少しばかり手を焼いた。

 

 ようやく最後に残った青ボコブリンの首を()ね飛ばしてから、バナーヌはテッポたちのほうを見た。その時、棒立ちになっているモモンジに向かって、黒ボコブリンが弓を引いているのが見えた。

 

 バナーヌは、慌てず二連弓に矢をつがえ、よく引いてから放った。あっさりと矢は魔物に命中した。

 

 今、彼女の目の前では、テッポがモモンジの腰をゆすぶっていた。身長が足りないテッポは、モモンジの肩にまで手が届かないのだった。テッポはモモンジに声をかけていた。

 

「モモンジ、モモンジ、しっかりして! ねえ、意識が飛んでるの? もう敵はいないわ! はやくこっちの世界に戻ってらっしゃい!」

 

 だが、モモンジは沈黙したままだった。バナーヌは小さく声を漏らした。

 

「ふむ……」

 

 改めてバナーヌは、フィローネ支部随一の剣術使いと言われている女団員、モモンジを見つめた。

 

 カルサー谷の本部では、風斬り刀を扱う者はみな筋骨隆々で肩幅の広い、堂々たる体躯を誇る者が多い。そういう体格でなければ長大で重い風斬り刀を振るうことができないからだ。それに対してこの女団員は、女性にしてはやや上背(うわぜい)があるほうかもしれないが、やはり小柄であった。

 

 だが、その体に搭載された筋肉は、忍びスーツ越しに分かるほどに力強く隆起していた。その忍びスーツは、南国仕様の露出度の高いものではなく、カルサー谷と同様の普通のものであった。

 

 そして、その胸も隆起していた。やわらかそうに胸は隆起していた。とてもふっくらとしていた。オルディンダチョウの卵とまでは言わないが、カエンバトのような鳩胸(はとむね)であった。

 

 バナーヌは、内心呆れた。この様子ではこのモモンジ、普通の下着を着用しているようだ。イーガ団員は外見から性別を判断されてはならないというのに。彼女はそう思った。バナーヌなどは、そのために胸にさらしをきつく巻いて誤魔化しているというのに、なぜこのモモンジは胸が盛り上がるままに任せているのだろうか。

 

 しかしバナーヌ自身、ここ数日の間に自分の性別を一般人に知られることが多々あった。そのことを思って、彼女はそれ以上の追及を打ち切った。

 

 バナーヌはモモンジの仮面を見た。それは、馬の返り血で真っ赤に染まっていた。ひたいの部分には(みぞ)のような矢の命中(こん)があった。それにしても、随分と派手に返り血を浴びたものだ。バナーヌは、傍らの地面を見た。そこには、首を失った馬の死骸が横たわっていた。モモンジが殺した馬だった。太い馬の首を刀で切断するとは、テッポの話の通り、このモモンジの剣技は並々ならぬものらしい。バナーヌは感心した。

 

 返り血に染まった仮面からさらに推測できることは、どうやらモモンジが視界ゼロの状況で戦ったのであろうということだった。これだけでも尋常なことではなかった。

 

 以上の情報を総合してバナーヌはモモンジを、少し規律に緩いところがあるが、高い戦闘能力を持つ優秀な団員であると判断した。

 

 そんなことを考えているバナーヌをおいて、テッポはなおもモモンジに声をかけ続けていた。

 

「起きて、モモンジ、起きて! ねえ、さっさと起きなさいったら!」

 

 テッポはモモンジをゆすぶっていた。だんだん、バナーヌはじれったくなってきた。さっさと起きないものだろうか。彼女はモモンジに近寄った。彼女は彼女なりのやり方でモモンジを起こすことにした。それに、血まみれのまま微動だにせず、沈黙を保ち続けているというのは、なんだか不気味だった。バナーヌは言った。

 

「私が起こす」

 

 バナーヌはモモンジの仮面を剥ぎ取った。モモンジがふやけた声を出した。

 

「……むにゃ……」

 

 仮面の下から出てきたのは、可憐な少女の寝顔だった。モモンジは安らかな寝息を立てていた。

 

 テッポが呆れたように言った。

 

「ね、寝てたのね……あんな激戦の後に寝るなんて、いったいどういう精神の構造をしてるのかしら……?」

 

 バナーヌも同感だった。これはちょっと、気合いを入れてやらねばなるまい。戦場で寝るなど言語道断だ。

 

 彼女はポーチから一本のバナナを取り出して、モモンジの鼻先へそっと差し出そうとした。こうすれば、イーガ団員ならば必ず飛び起きるはずだ。バナナを前にしたら、イーガ団員は死体になっていても飛び起きる。

 

 テッポが、それを見てバナーヌに釘を刺した。

 

「あっ、バナーヌ! モモンジにバナナはダメよ!」

 

 バナーヌは、ここに来るまでにテッポと交わした会話を思い出した。そうだ、モモンジにバナナは厳禁だった。彼女は考えを変えた。彼女はテッポに言った。

 

「そうだった。ならテッポ、アレをくれ」

 

 一瞬、テッポは考えるようだった。

 

「アレ?……そう、分かったわ!」

 

 了解すると、テッポはポーチから「アレ」を取り出して、小刀で器用に半分に割った。バナーヌはそれを、再度モモンジに差し伸べた。

 

 モモンジの小さな、それでいてすっと筋の通った形の良い鼻が、それの香りに誘われてひくひくと動いた。

 

 その次の瞬間だった。

 

「イヤンホィッ!?」

 

 モモンジは、何とも形容しかねる奇声を上げてそのまま後ろへとひっくり返った。

 

 テッポはいかにも残念そうな声を漏らした。

 

「えー……なによ、その反応は……たぐいまれなほどに良い香りをしてるでしょ、マックスドリアンはさぁ……」




Wikipedia、「ドリアン」の記事より
「……可食部は甘い香りとともに、玉ねぎの腐敗臭または都市ガスのような強烈な匂いを放つ。ドリアンの香り成分として分かっているだけでも、エステル、アルコール、アルデヒドに属する26種類の揮発成分、および8種類の硫黄化合物が存在する」
 玉ねぎの腐敗臭とは……これは強烈でしょう。さらに記事によると、ドリアンの本場のタイでも近年は「Mon Thong(モントーン)というにおいを抑えた改良品種が作られ流通している」のだそうです。日本人が臭わない納豆を作るのと一緒でしょう。
 ブレワイのマックスドリアンのにおいが現実のドリアンと同じなのか、それとも違うのかは分かりませんが、この作品では「玉ねぎの腐敗臭」ということにしておきます。
 今回はようやくモモンジの活躍をお見せすることができました。スピーディかつ緊迫した戦闘描写はやはり難しく、神経を使うものですね。

※加筆修正しました。(2023/05/11/木)
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