ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第三十八話 外すこと叶わぬ仮面

 物質的充足、快適な生活環境の享受、使い切れぬほどに潤沢な富と財……これらのことは文明社会の成熟度を示す尺度であり、同時に、社会の上層階級に属する人々の人生と生活の必須の構成要素である。

 

 王族、貴族、高級官僚、富裕商人、投資家……彼ら上層階級は「持てる者」である。しかも、圧倒的なまでに「持てる者」である。下層階級は生産性の低い労働で汗水垂らして終日動き回り、その見返りとして僅少(きんしょう)な報酬を得て、辛うじて糊口(ここう)をしのぐ。その一方で、上層階級は(ぜい)を凝らした豪邸に住まい、数多くの使用人を(はべ)らせて、立派な四頭立て四輪馬車を乗り回し、暖衣飽食(だんいほうしょく)を貪っている。

 

 下層階級、平民たちは嘆く。「ああ、俺たちにもルピーがあったら! そうすれば毎日極上ケモノ肉の焼肉とマックストリュフの付け合わせのご馳走を食べられるし、こんな擦り切れたボロのハイリアの服を着ることもないし、病気のお母さんを馬車に乗せてやることができるのに……きっと、金持ちには悩みや心配ごとなんてないんだろうなぁ……」

 

 否、否、それは誤解である、と上層階級は言うであろう。我々には我々なりの苦しみ、悲しみ、生き辛さがあるのだ、と。平民共には決して理解できないであろう、ある種の「高貴な悩み」が、我々を日々苦しめているのだと、彼らは言うであろう。

 

 資産家にして、その美文と鋭い現実認識によって名高かった作家モンテニは、その作品『仮面をつけた病人たち』において、その「高貴な悩み」について以下のように述べている。

 

「……神官たちは言う、(いつわ)るなかれ、と。偽りこそは健全なる魂を蝕み、光を(かげ)らせる悪であると。だが、どんな子どもでも心得ているこの格率を破らないことには、我々は宮廷社会や社交界において生存すらできない。己を偽らなければ、居場所はすぐに失われる。我々はまず道徳律と生存欲求との葛藤によって苦しみ、次に道徳律を真正面から破ってしまったという罪の意識に悶え、そしてさらに、これからも道徳律を無視し続けなければならないという現状を認識して、なお悩むのである……」

 

「……(中略)……我々は仮面を被っている。内には癒すこと叶わぬ精神の病を抱え、外には悪臭を放つ皮膚と脂肪を纏っている。我々は『社会的役割』と『社会的人格』によって造形と彩色がなされた仮面を被っている。平民たちが決してつけることのないこの仮面を、我々は内面の腐敗と矮小さを偽り隠すために、何より生存するために、常に着用しなければならない。決して外すこと叶わぬ仮面、肉と霊とに癒着した仮面。それは(こら)えようのない痒みをもたらす……」

 

「そう、我々の『高貴な悩み』とは痛さでも寒さでもなく、実に『痒み』である」

 

 続けてモンテニは、「この人格の偽装とそれによってもたらされる『痒み』という不快は、物質的窮乏以上に精神を(むしば)むものである」と述べている。

 

 モンテニの論説のやや悲観的な現状認識が妥当であるかどうかはさておき、偽装というものが上層階級全般に共通する「生の苦しみ」であったことは、各種の手記や日記、回想録から看取することができる。

 

 アッカレの地方領主の娘として生まれ、長じてからはその美貌で特に王宮に召し出され、女官として一生を送った女性リセは、手記において次のような嘆きを漏らしている。

 

「生まれ故郷のアッカレは貧しかった。自然は豊かだったが、海風は冷たく、土壌は痩せていて、農民たちは細腕を振るって田畑を耕していた。しかしそこには、真心と笑顔があった。人々の真の感情があった。宮廷は違う。ここで私が苦悶と恥辱のうちに学んだことは、いかにして自分をごまかすか、いかにして自分の本当の願いと望みを隠すか、そしていかにして『決して自分ではないが、そうであるように望まれている自分』を演出するか、ということだった。私の仮面は分厚く、重く、息苦しいものだった……」

 

 このように、上層階級にあって偽装と仮面は「忌まわしい必要不可欠事」として認知されていた。

 

 それをある意味で逆手に取った作品がある時代に登場し、一世を風靡したことがあった。

 

 作者不詳のその作品は『アンジュとカーフェイの結婚』という題名を持っていた。そのジャンルは「勇者冒険譚」に分類される。その内容は「異世界に紛れ込んだ勇者が、冒険の最中、様々なお面を駆使して難題を解決し、魔物を討伐し、人々に幸福と安寧をもたらし、巨悪を滅ぼす」というものであった。そのクライマックスでは、その題名のとおり、「引き裂かれた婚約者の二人、アンジュとカーフェイの結婚を勇者が仲立ちする」様子が描かれている。

 

 勇者はお面を被る。しかし、それは己と他者を偽って安全と利益を確保するためではない。勇者は、彼が信じる正義と果たすべき使命のために、「肉体と能力すら変貌させる魔性のお面」を被る。勇者は仮面を被って、無私の精神のもとに冒険を続ける。時には醜悪な「デクナッツ」という半人半植物の種族になり、時にはゴロン族にもゾーラ族にもなり、勇者は誰からも「本当は何者であるか」を知られることなく、一人黙々と戦い続ける。勇者は戦い抜いて、世界に平和をもたらす。

 

 従来、この『アンジュとカーフェイの結婚』が巷間(こうかん)で人気を博した理由について、それを「その完成度の高さや『異世界』という内容の斬新さ」に求める見解が大勢を占めていた。あるいは「恋愛描写の清純さと華麗さ」に理由を求める見解もあった。

 

 しかし、これまで議論してきたように、これらの見解には「お面(仮面)」という言葉・要素がその当時の社会でどのような意味を持ち、どのような扱われ方をしてきたかという、社会史的・文化史的考察をまったく欠いていると指摘できよう。

 

 己を苦しめ、収まりのつかない「痒み」をもたらす仮面を、勇者は自由自在に操っている。読者は、特に上層階級の読者は、それが創作であり現実はそうはいかないということを重々承知しておりながらも、そこに「しあわせのお面の形」を見出したことであろう。創作物の効果は、受け手に精神的浄化(カタルシス)をもたらすことにこそある。

 

 百年前の大厄災に、あの無慈悲な破壊と殺戮に、何らかの善きものを見出そうなどというのは、それだけで身震いのするほどおぞましいものであるが、あえてそれを推し進めて考えるならば、大厄災は上層階級を苦しめ続けていた「偽装」と「仮面」をこの世から根こそぎ消し去ったと言えるかもしれない。それは、少なくとも悪いことではなかっただろう。滅びを迎えつつある天地で、人々は「痒み」を覚えることなく、自由に人と交際し、自由に己をさらけ出すことができている。

 

 だが、否、否、それは誤解である、と横槍を入れる者たちがいるだろう。その者たちは臙脂色(えんじいろ)の忍びスーツを身に纏っている。彼らは暗殺のための凶器を持っている。彼らは闇から闇へと飛び回り、「逆さ涙目の白い仮面」を被っている。

 

 彼らは偽装する。彼等は仮面を被っている。己のために、組織のために、魔王のために、あるいは平和を脅かすために、利益を独占するために、彼らは仮面を被っている。

 

 なにより、ツルギバナナを(むさぼ)り食うために、彼らは仮面を必要としている。

 

 

☆☆☆

 

 

 (きら)めく星々は、次第に空から退場しつつあった。どうやら夜が明けたようであった。しかし、薔薇色をした朝日の輝きは、日の出直後に空へと忍び寄ってきた灰色の厚い雲によって意地悪く阻まれて、下界にまで及んでいなかった。

 

 それでもアラフラ平原は、朝特有のあの平穏に包まれていた。つい先ほどまでそこが魔物の叫喚と馬の悲鳴と、爆音と矢叫(やたけ)びによって満たされ、混沌の坩堝(るつぼ)と化していた場所とは到底思えないほどだった。

 

 早朝に草原を駆け抜ける涼やかな風が、テッポの長く(つや)やかなぬばたまの黒髪を撫でていた。彼女は未だに目を回している僚友のモモンジに、気遣うように話しかけた。

 

「どう、モモンジ? 少しは落ち着いた?」

 

 モモンジは、やや目尻の垂れた大きな目をしばたたかせた。彼女はふらつきながら、存外はっきりした声で答えた。

 

「は、はい、テッポ殿! ちょっとまだ鼻の奥に刺激臭が残ってる感じはしますけど、まあ何とか、意識はだいぶはっきりしてきた感じがします!」

 

 テッポはジロリとモモンジの顔を見やった。彼女は言った。

 

「し、刺激臭って、なんたる言いぐさ……あのね、マックスドリアンはとってもいい香りでしょ?」

 

 モモンジは、しまったというような顔をした。彼女はしどろもどろに答えた。

 

「ああ、あの、はい、そうですよね! あの、あれですよね、マックスドリアンの香りは、一種独特な(おもむき)のある香りですよね!」

 

 そんな二人をバナーヌは何も言わず、ただ静かに佇んで見ていた。

 

 戦闘後、立ったまま眠っていたモモンジの鼻先に、バナーヌは真っ二つに切ったマックスドリアンを差し出した。その「生ものが腐ったような」強烈なにおいを直に嗅がされたモモンジは、奇声を上げた後、またもや意識を失いかけた。だが、今度ばかりは彼女は自力で立ち直ったのだった。

 

 テッポとモモンジは無邪気にお喋りを続けていた。

 

「『一種独特な趣のある香り』ですって……? なんか、含みのある言い方ね。あのね、バナナは言うに及ばず、マックスドリアンは最高の果物なのよ! マックスドリアンは滋養強壮で栄養満点、味も香りも最高級、果物の王様なんだから! もう、なんでみんなしてこんなに、マックスドリアンを嫌がるのかしら……」

 

 モモンジは慌てたように答えた。

 

「べ、別に、私はマックスドリアンが嫌なわけじゃないですよ、テッポ殿! むしろ好き、いや大好きなくらいですよ!」

 

 テッポは顔を輝かせた。

 

「そう!? なーんだ、やっぱりモモンジもマックスドリアンが好きなんじゃない! 良かったわ。そうだ、この任務が終わったら、マックスドリアンパーティをしましょうよ! みんなでマックスドリアンを持ち寄って、料理鍋を囲んで……」

 

 テッポの口が邪悪な催しものについて話すのを聞いて、モモンジは変な声を上げた。

 

「うげっ、マックスドリアンパーティ!? そんなのパーティじゃなくて拷問……あっ、いや……へ、へへ、それは楽しそうですねテッポ殿!……はぁ」

 

 本来ならば、こんなところで会話に興じている場合ではない。バナーヌはそう思った。残敵がいないか確認し、置いて来た「バナナ・ゴーゴー」を呼び戻し、モモンジに状況説明を求め、速やかに次の行動に移らねばならない。

 

 だが、バナーヌはしばらくそのままにしておくことにした。

 

 戦闘とは、それがどんなに実力の劣る敵を相手にするものであっても、心身を著しく消耗させるものである。全力疾走のマラソンを終えた直後は、いきなり立ち止まるのではなく、しばらく歩き続けるのが良いとされている。そのようにして心身の興奮を冷却する必要がある。

 

 先ほどの戦いは、やはり激戦だった。バナーヌはそう思った。テッポにとっては初の対騎馬戦闘であったはずだし、初めて会ったこのモモンジも、その腰に下げた長刀を思う存分振り回して奮戦したであろう。僅かな時間であっても一息入れる必要はある。若い二人にはなおさらだ。 

 

 かまびすしい目の前の二人から視線を外して、バナーヌも思案を続けた。

 

 このアラフラ平原、戦闘前に予想したとおり、魔物が相当な勢力を張っているようだ。徒歩(かち)のボコブリンの数の多さもさることながら、騎馬ボコブリンたちの戦意の高さと戦闘技量は相当なものだった。しかも、今はあちこちで静かに草を食んでいる、騎乗者を失った馬たちも、その中には立派な馬具を装備しているものがある。馬具をつけた馬ということは、それはおそらく馬宿から魔物たちによって略奪された馬だろう。馬宿は無事だろうか? 馬宿に行けば簡単に代替馬が調達できるという話ではないようだ。

 

 どうやら状況は思った以上に厳しいらしい。バナーヌは考えた。ヒコロクとモモンジに合流し、輸送馬車を()くための馬を早々と調達し、遅くとも午前中までに車列に戻るつもりでいた。だが、もし馬宿近辺にまだ魔物が残っているのだとしたら、もう一つ戦闘をこなさないといけないかもしれない。その可能性は非常に高い……

 

 そこまで考えて、バナーヌははたと気づいた。そう、ヒコロクだ。どうして彼はここにいないのだろうか?

 

 バナーヌは視線をテッポとモモンジにやった。彼女が見ていない間に、なぜかテッポはモモンジに馬乗りになっていた。テッポはマックスドリアンを無理やりモモンジの口に押し付けていた。モモンジの大きな胸がテッポの細い身体に圧迫されて、柔らかくその膨らみの形を変えていた。テッポは大きな声を出していた。

 

「ほら、マックスドリアンを食べなさい! さっきの戦闘でお腹が空いたでしょう!? あなたの燃費の悪さは知ってるんだから! それにバナナとは違って、マックスドリアンが食べられないってことはないでしょう!? あなたのためなのよ! ほら、マックスドリアンを食べて!」

 

 モモンジは抵抗した。

 

「い、いえ、テッポ殿! けっこうです! 私、今は全然お腹減ってないですし! むしろ満腹ですし! あーあー! 近い、近いです! やめて、やめてください! 私、今は満腹ですから!」

 

 テッポは憤然として言った。

 

「嘘をおっしゃい! さっき、お腹鳴ってたじゃない! あっ! ほら今もお腹が鳴ったわ! 遠慮しないで食べるのよ! ほら! マックスドリアン! ほら……!」

 

 頃合いだろう。バナーヌは静かに、しかし威を込めて、じゃれ合う二人に声をかけた。

 

「そこまでだ、テッポ、モモンジ。次の行動に移る」

 

 ハッとして、二人はバナーヌに視線を向けた。テッポの顔は興奮して赤みを帯びていた。モモンジは目尻に涙を浮かべていた。二人はそそくさと起き上がると、どことなくバツが悪そうな顔をして、それでも姿勢良く背筋を伸ばした。

 

 そんな照れ隠しに頓着せず、バナーヌはモモンジに向かって話しかけた。

 

「私はバナーヌ。カルサー谷からの援軍」

 

 モモンジは頭を下げた。

 

「はじめまして! 私はフィローネ支部所属のモモンジです!」

 

 モモンジの桃色の(まげ)がふわりと揺れた。下っ端の団員として序列は同格であるはずだが、バナーヌの氷のような美しさを持つ容姿と、その身に纏う雰囲気を見て、モモンジはバナーヌを「敬意を払うべき相手」だと察したようだった。二人の力関係は、ここで確定した。

 

 バナーヌはすぐに言葉を続けた。

 

「詳しい状況が知りたい。ヒコロクはどこ?」

 

 その名前を聞いて、モモンジは「はうっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。彼女はありありと動揺の様子を示した。

 

「しまった、ヒコロク先輩! まだ林の中にいるんだった! 早く戻らないと!」

 

 テッポが訝しげな顔をして首を傾げた。彼女は周囲をきょろきょろと見わたした後に言った。

 

「そういえば、ヒコロクがいないわね。何かあったの?」

 

 その言葉を受けてモモンジは、彼方(かなた)の疎林を指さした。彼女は言った。

 

「実はヒコロク先輩、負傷してて……本人は『命に別状はない』とか言ってたんですけど、明らかに重傷で……テッポ殿の爆音が聞こえたので、私だけが押っ取り刀で駆け付けたんです。早く戻らないと……!」

 

 テッポは息を呑んだ。

 

「そんな、大変じゃない! 早く行って手当てしてあげないと! モモンジ、状況説明は向こうで聞くわ。早く行きましょう……」

 

 そこでバナーヌが口を挟んだ。

 

「待て、『バナナ・ゴーゴー』を呼ぶ」

 

 テッポは唸った。

 

「むぅ……まあ、確かにそのほうが良いわね。バナーヌ、笛をお願い」

 

 バナナ・ゴーゴーは戦闘の前にアラフラ平原入口の安全な場所に置いて来たが、流石にこれ以上放っておくわけにはいかなかった。ヒコロクの怪我は気になるが、これ以上馬を失うようなことがあってもならなかった。バナーヌは忍びスーツの胸元を少し開くと、胸の谷間から一本の小さな笛を取り出した。彼女は独特な調子をつけて、それを吹いた。音が響いた。

 

 その時、空からポツリと、一しずくの雨粒が、彼女の長い睫毛(まつげ)に落ちてきた。

 

 テッポも手を(かざ)していた。その顔は曇っていた。テッポは言った。

 

「ああ、今日は雨模様なのかしら……嫌だなぁ。お父様と私の二人で作った特製の爆弾でも、雨だと不発率が高まるのよね……」

 

 雨は本降りになるのでもなく、しかし弱まるのでもなく、陰気にポツポツと大地に水滴を落としていた。

 

 モモンジは遠くに見える疎林になおも目をやっていた。

 

「ヒコロク先輩、大丈夫かな……あの時は結構元気そうだったけど、あの人けっこうやせ我慢する性格だから……奥さんもそれを心配してたし……」

 

 呟くようなモモンジの言葉に、テッポが相槌を打った。

 

「そうね。お父様もそれを心配していたわ。『ヒコロクは(つら)さや弱さを()いて隠す癖がある』って……奥さんのためにも、はやく何とかしてあげなくちゃ……」

 

 ふと、モモンジは自分の身に纏う忍びスーツに目をやった。彼女は驚いたように言った。

 

「ああっ!? 私の忍びスーツと仮面、返り血で真っ赤になってる! 新調したばかりなのに……」

 

 テッポが呆れたように、しかし慰めるようにモモンジに言った。

 

「ええ……? あなた、今になってそれに気づいたの……? 馬の首を正面から切断したんだから、当然返り血は浴びるわよ。そんなに気落ちしないで、今度一緒に洗濯してあげるから……」

 

 その時、(いなな)きと共に、元気よく三人に向かって一直線に走ってくる馬の影が見えた。バナーヌの笛の音は、しっかりと馬に届いていたようだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 薄暗い疎林の中、そのほぼ中央の、少し窪んでいて草むらで隠されている地面に、ヒコロクは仰向けになって静かに横になっていた。彼の右手には首刈り刀があり、顔には白い仮面があった。彼の胴体には、包帯替わりのさらしが乱雑に巻かれていた。さらしには痛々しいほどに真っ赤な染みが浮き出ていた。

 

 真っ先に、テッポがヒコロクに声をかけた。

 

「ヒコロク! 大丈夫!?」

 

 ヒコロクは一瞬、上体を起こして刀を構えようとしたが、傷の痛みに仮面の下で顔をしかめた。そして、声の主がテッポであることに気づくと、彼は脱力するようにまた横になった。彼は言った。

 

「ああ、やっぱりあの時の爆音はテッポ殿だったんですな。無事で良かった、ハイリア湖で、一人で敵を追っていっちまった時はどうなることかと思ったが……モモンジ、お前も良くやったな……」

 

 モモンジは涙ぐんでいた。彼女は言った。

 

「ヒコロク先輩、本当にごめんなさい……さっきは強がっていただけだったんですね……こんなに弱って……」

 

 テッポが二人の会話を(さえぎ)った。

 

「喋っちゃ駄目よ! そのままじっとしてて! 今、手当てをしてあげるから……」

 

 三人はヒコロクの周りに集まった。テッポは頭の方に、モモンジは足元についた。バナーヌはヒコロクの(かたわ)らに膝をついた。バナーヌは、ヒコロクの負傷の程度を鋭く観察した。その衰弱の具合と、さらしに(にじ)み出ている血液の多さから、彼が相当な重傷を負っていることが窺えた。

 

 バナーヌはポーチから薬と予備の白いさらしを取り出した。彼女はその青い瞳をヒコロクにじっと向けて言った。

 

「一度、包帯を取るぞ」

 

 ヒコロクはかすかに頷いた。彼は言った。

 

「ああ、そうしてくれ。何とか応急処置はしたんだが、さっきからどうにも痛みが増しててな……それはそうと、アンタは誰だい?」

 

 バナーヌは言った。

 

「後にしろ。テッポ、体を起こせ。そっとだ」

 

 ヒコロクの包帯が取り除かれた。その間、ヒコロクは苦悶の声一つ漏らさなかった。バナーヌは密かに感心した。カルサー谷の者たちは、フィローネ支部の人間を「軟弱だ」とか「愚か者だ」とか言って馬鹿にするが、この男はなかなかの剛の者だ……

 

 その次の瞬間、三人は呻き声を漏らした。

 

「これは……」

「うっ……」

「ヒコロク先輩……」

 

 三人の目に飛び込んできたヒコロクの傷口は、予想よりも酷いものだった。腹の右上から左下にかけて、(へそ)の上を経由して、腹筋を横断するように鋭い斬り傷が走っていた。その深さは、小指の先がすっぽりと入りそうなほどだった。幸いなことに、傷は内臓まで達していないようだった。それでも、出血量は多かった。

 

 バナーヌは、即座に決断した。彼女は言った。

 

「縫う」

 

 テッポとモモンジが驚きの声を上げた。

 

「えっ!?」

「マジですか!?」

 

 その間にもバナーヌは針と糸をポーチから取り出していた。彼女は消毒用の蒸留酒で針と手を清めた。彼女は言った。

 

「テッポ、モモンジ。お前たちも手を消毒しろ」

 

 ヒコロクはそれをじっと見ていた。やがて、彼は観念したように言った。

 

「まあ、そうなるよな。ここは縫うしかない。そうしないと出血が止まらんだろう。滅茶苦茶痛そうだが、ひと思いにやってくれ」

 

 バナーヌは無言で頷いた。彼女からは自信が感じられた。針穴に糸を通す手つきも手慣れていた。

 

 緊迫した空気に耐えかねたように、モモンジが口を開いた。

 

「バナーヌ先輩、すごいなぁ。こういうのに慣れてるんですね」

 

 ポツリと、風に呟くようにバナーヌは答えた。

 

「いや、傷を縫うのは初めてだ」

 

 テッポとモモンジが驚き呆れたような声を上げた。

 

「ええっ!?」

 

 声こそ出さないが、ヒコロクも仮面の下で表情を引き攣らせた。マジかよ、大丈夫かな。彼の心は不安感で満ちた。

 

 そんなヒコロクを安心させるように、バナーヌは冷静そのものの声音で言った。いつもより言葉が多かった。

 

「任せろ。カルサー谷のバナナ工芸展ではいつも入賞している。針仕事は得意なほうだ。傷を縫うのもお手の物だろう、たぶん」

 

 他に方法はなかった。この際、手先が器用で度胸も据わっているバナーヌが適任なのは間違いなかった。グズグズすればするほどヒコロクの血液と体力は(うしな)われていくことになる。

 

 テッポはヒコロクの傷口の周りを拭きつつ、諦めたように言った。

 

「バナナ工芸って……まあバナーヌなら何とかしてくれるでしょう、たぶん……」

 

 バナーヌは言った。

 

「麻酔はない。相当痛みがあるだろう。テッポ、お前はヒコロクの両腕を押さえろ。モモンジは両足だ」

 

 ヒコロクも、覚悟を決めたようだった。

 

「俺も覚悟を決めたよ。やってくれ。いずれにせよ、この仮面を被ったからには、俺たちは怖れ知らずの不屈の戦士になるしかないんだ。でも、まあ、できるかぎりお手柔らかにお願いするよ……」

 

 幸い、降り続いていた小雨はいったん()んでいた。

 

 それから数十分にわたって、疎林の中にチクチクという針と糸の動く静かな音が満ちた。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナーヌはひたいを拭った。彼女は手を洗った。疲れを吐き出すように溜息を一つ吐くと、彼女はポーチからバナナを取り出し、丁寧に皮を剥いてから黙々と食べ始めた。心身共に消耗した時は、やはりバナナを食すに限る。彼女はそう思った。

 

 テッポもモモンジも、脱力したように姿勢を崩して座っていた。一方で、ヒコロクは体力を使い果たしたのか、安らかな寝息を立てていた。

 

 縫合処置は成功した。バナーヌが本来的に有している器用さと、ヒコロクの忍耐強さによって、施術は何らの障害もなくスムーズに遂行された。

 

 バナーヌは傷を縫い合わせて、蒸留酒を使って殺菌をした。彼女は、携行していた薬を厚く傷口に塗布して、丁寧に包帯を施した。出血は未だに続いていたが、その量は目に見えて少なくなった。これで命の心配はないはずだ。

 

 バナーヌは内心、新たに見出した自分の才能に驚いていた。

 

 工芸品の作成や針仕事は、もともとノチから教わって始めたものだった。最初、バナーヌはただの暇つぶしとしてそれをやるつもりだった。だが、ノチは意気込んで「私の技術のすべてをバナーヌに教えてあげる! バナーヌには見込みがあるもん!」と言った。ノチはその言葉に違わず、バナーヌに非常に熱心な指導をした。あの時のノチはちょっと怖かった。バナーヌは少しだけ身震いをした。

 

 最初、バナーヌはノチのものと比べると(つたな)く大雑把でとても作品とは言えないような何かばかり作っていた。だがそのうち、彼女は熟達した。ノチのものとも遜色のないものを、彼女は作り上げることができるようになった。

 

 工芸展で入賞した時、ノチは満面の笑みを浮かべてバナーヌを祝福してくれた。

 

「やっぱり私が見込んだとおりだったね! それにしても、バナーヌは本当になんでもこなしちゃうなぁ……」

 

 そういうわけだから、バナーヌは針を使うということに関していっさい不安はなかった。だがそれにしても人命がかかった状況で、これほど上首尾に傷口の縫合ができるとは彼女自身思ってもみなかったことだった。

 

 二本目のバナナを食べ終えた後、バナーヌは二人に声をかけた。

 

「所詮は、素人の応急処置だ。専門家による治療が必要だ」

 

 テッポは頷いた。バナーヌに倣って、その手にはバナナを持っていた。彼女は言った。

 

「私もそう思うわ。バナーヌが手際よく傷を縫ってくれたからひとまず安心したけど、ヒコロクの消耗は依然として激しい。それに、天候も安定していない。このままだと体が冷えてしまうわ。一刻も早く馬宿で本格的な治療を施さないといけない」

 

 そう言ってから、テッポはモモンジのほうへ顔を向けた。

 

「それにしても、ヒコロクほどの練達の団員が魔物ごときに不覚を取ったなんて信じられないわ。モモンジ、いったいどうしてこんなことになったの?」

 

 モモンジは俯いていた。彼女は言葉を濁した。

 

「あ、あの、えーっと、そのですね……」

 

 バナーヌもモモンジに言った。

 

「状況を説明してくれ」

 

 二人から視線を注がれて、モモンジは顔を上げた。彼女はしばらく、何をどう筋道を立てて話すべきか思案しているようだった。やがて、彼女は静かに話し始めた。

 

「……ヒコロク先輩が傷を負ったのは、私のせいなんです。あの、ちょっと長くなりますけど、順を追ってお話ししますね……」

 

 

☆☆☆

 

 

 ハイリア湖南岸、ハイリア大橋の入口付近で、輸送馬車はシーカー族と魔物の襲撃を受けた。襲撃によって輸送馬車を()く馬に被害が生じた。テッポは行方不明になった。指揮官サンベはグンゼにテッポの捜索を命じた。またサンベは、代替馬を調達するべくヒコロクとモモンジをアラフラ平原の「高原の馬宿」へと派遣した。

 

 高原の馬宿はイーガ団フィローネ支部が所有する馬を預かっている。高原の馬宿の宿長(やどちょう)は、馬宿協会に潜入しているイーガ団員のジューザである。話一つで用件は済むだろう。二人はそう思っていた。

 

 ヒコロクもモモンジも道は知悉(ちしつ)していた。その上、二人の戦闘技量は高かった。よほどの強敵に遭遇しない限りは、二人は何の障害もなく迅速に馬を連れて戻ることができたはずだった。

 

「アラフラ平原に到着した頃には、昼過ぎになっていました。ここに来る途中、森オクタの射撃に悩まされたので、それで少し時間を食ってしまったんです」

 

 宿長のジューザは事情を聞くと、ひとしきりサンベの指揮の拙劣(せつれつ)さを口汚く罵った。それから、ジューザは威勢よく店員たちに声をかけた。店員たちはイーガ団員ではなかったが、ジューザ自身が選びだした「その手のことに向いている」連中であった。彼は店員たちに、馬を六頭厩舎(きゅうしゃ)から引き出すように命じた。

 

「そこで『ちょっと飯を食って休憩してから出発しようぜ』とヒコロク先輩が言いました。私もお腹が空いてましたから、テーブルの前に座りました。いざ食事となったその時に、店員さんが飛び込んで来たんです。『騎馬ボコブリンの大群が攻めてくるぞ!』って店員さんが言うんです……」

 

 魔物来襲の知らせを聞いて、モモンジは誰よりも早く外へ飛び出した。空きっ腹を抱えていたが、そんなことを言っていられる状況ではない。彼女は状況を確認した。アラフラ平原の西側、ハラヤ池方面から、(おびただ)しい数の騎馬ボコブリンと徒歩(かち)のボコブリンが馬宿へ接近してくるのが見えた。

 

「『あいつらまた来やがったか』とジューザが言いました。ここ最近は魔物の襲撃の頻度が増しているとのことで、その分だけ対処には慣れているとジューザは言います。それで、どうするのかとヒコロク先輩が尋ねたら、ジューザは『籠城する』って言うんです……私たちは反対しました。確かに、大軍を相手にするなら、籠城するのが一番安全で確実ではあります。ジューザの話によれば、『魔物たちは五、六日間馬宿を囲むが、そのうち食糧が尽きるし、それに飽きが来るから、自然と包囲は解ける』とのことです。でも、こちらとしては一日だって時間は惜しいです。籠城なんて、そんな悠長なことは言っていられません。私たちは出撃を主張しました」

 

 半ば口論のような議論が続いた。結局ジューザは折れた。だが、その折れ方は中途半端なものであった。ヒコロクとモモンジの二人が出撃し、馬宿側は守備を固めるという、なんとも曖昧な作戦になってしまった。

 

 この作戦は、しかしなかなか上手くいった。二人は馬宿の近くで戦い、ジューザと店員たちによる支援射撃を受けることができた。モモンジが前面に立って風斬り刀を振るい、ヒコロクは首刈り刀と弓矢で以て彼女を援護した。魔物たちは彼女らを攻めあぐねた。次第にその数を減っていった。日没頃には、魔物たちは平原東の疎林の方向へ退却しつつあった。追撃をかけるべきだった。

 

 二人は頃合いを見て馬宿に戻り、またジューザと話し合った。

 

「ここでまた意見が割れたんです。ジューザは『深追いするな』って言うんです。『奴ら、近頃妙に知恵をつけてきているから、退却はもしかしたら罠かもしれない』と……でもヒコロク先輩は、『ここで完全に叩いておかないと、帰り道にまた襲われるかもしれない』と主張するんです。私としては、その……恥ずかしいことにその時お腹が空いてて、頭が回らなくて……わぁっ!? すみませんすみません! でも何も食べずに半日も戦い続けるなんて初めてだったんですよ……」

 

 すでに日は完全に暮れて、平原を夜闇が包んでいた。ヒコロクは戦闘続行を決意した。イーガ団員ならば夜戦は得意とするところであり、むしろ昼間よりも有利ですらある。それに、敵の実力はそれまでの戦闘で把握していた。それほど強くはない。万が一、魔物たちが一計を案じているとしても、それを踏み破るだけの実力がこちらにはある。彼はそのように判断した。

 

 例によって馬宿の守りをジューザたちに任せると、二人は魔物たちを追って再度出撃した。

 

「戦闘の合間にハイラル草の山菜おにぎりを二つ食べただけだったので、その時の私は本当にお腹が空いていて、目が回っていて……でも、任務ですから文句も言えないですし……ヒコロク先輩はバナナを食べたから元気いっぱいでしたけど」

 

 疎林の近くで、二人は敵集団と遭遇した。

 

「そこで、奇妙な敵と遭ったんです」

 

 その敵は、明らかにボコブリンではなかった。

 

 それは、明らかに人間だった。その人間は馬に跨り、魔物たちを率いるように集団の先頭に位置していた。

 

 魔物たちはその人間によく従っていた。魔物たちは後方に控えていた。

 

「ボコブリンの……なんていうんでしょう、あれ……マスクっていうものでしょうか。その人間はそのマスクを被っていて、でも服装はシーカー族の忍び装束なんです。腰には長い刀を差していて……あれは、野太刀(のだち)ですね」

 

 ヒコロクは冷静に状況を分析した。突如、自分たちの目の前に現れたこのシーカー族は、おそらく、昨日湖南岸で輸送車列を襲った一味に違いない。こいつは、忌々しいことに自分たち二人を密かに追跡してアラフラ平原に来たのだろう。こいつは、こちらが代替馬を用意しようとしているのを見るや、それを妨害しようとした。こいつはそのためにボコブリンマスクを被って魔物に偽装し、奴らをこちらへ(けしか)けたのだろう……そんなふうに彼は考えた。

 

「『一旦、距離を取れ』とヒコロク先輩は言いました。『得体の知れない奴だから、もうちょっと出方(でかた)を窺うべきだ』とヒコロク先輩は言うんです。でも……ああ、私ってなんて馬鹿なんだろう!……私、空腹のせいもあったと思うんですけど、元から頭に血がのぼりやすい性質みたいで……その時の私は、相手がシーカー族っていうだけで頭の中が戦うことでいっぱいになっちゃったんです。私は風斬り刀を抜いて、ヒコロク先輩の制止も聞かずに、一直線にそのシーカー族に斬りかかりました……」

 

 シーカー族は、なぜか動かなかった。魔物に下知(げち)するでもなく、馬首を廻らすでもなく、シーカー族はモモンジが接近してくるのをただ見ていた。不格好で無表情なボコブリンマスクは、ピクリとも動かなかった。

 

「『これは行ける!』と私は思って、間合いに飛び込むとすぐに横薙ぎに一閃しました。そしたら、そのシーカー族は私の攻撃を受け止めたんです。いつの間にか、敵は大きな造りの野太刀を抜いていて、それで私の刀を防いでいるんです」

 

 必殺必倒(ひっとう)の攻撃を防御された。モモンジのその一瞬の心の動揺を()くように、敵は野太刀を振るって彼女を()ね飛ばした。

 

 モモンジはすぐさま起き上がった。彼女はなおも斬りかかろうとした。

 

 だがその時、敵は意外な行動に出た。

 

「そのシーカー族は、私に向かってツルギバナナを投げて来たんです。それも何本もバラバラと……私たちイーガ団員がもれなく一種のバナナ中毒者(ジャンキー)だってことを、敵は知ってたんでしょうね。イーガ団員がバナナを見ると『ウホッ』って言って、ウホウホホイホイ釣られちゃうって、敵は知っていたようです。でも……」

 

 イーガ団員でありながら、モモンジはバナナが食べられない。それどころか、バナナは恐怖の象徴ですらあった。端的に言えば、見るだけで身がすくんでしまうほどであった。

 

 しかもなお悪いことに、勢いよく飛んできたツルギバナナの一本が、モモンジの仮面に真正面から直撃した。バナナはよく熟れていたようで、ぐちゃりと嫌な音を立てて果肉がべっとりと仮面に張り付いた。

 

「あの、恥ずかしい話なんですけど……バナナの匂いを嗅いだ時、私の気が遠くなりました。後で確認したら鼻血が出てました。足にも力が入らなくなって、その場に(うずくま)ってしまって……」

 

 敵はその機会に乗じて急速に間合いを詰めた。その場に根が生えたように動かないモモンジに向かって、鈍く輝く野太刀が振るわれた。

 

「それを、ヒコロク先輩が身を挺して助けてくれたんです」

 

 間一髪のタイミングでヒコロクは間合いに割り込み、首刈り刀を構えてモモンジの盾になった。しかし、敵の野太刀の一撃は重かった。彼は完全に攻撃を受け流すことができなかった。彼は地面に膝をついた。

 

 続けてさらなる斬撃が放たれた。ヒコロクは腹部を斬られてしまった。

 

 絶体絶命の状況であった。しかし……

 

「そのシーカー族は、私たちにトドメを刺さずに、馬首を廻らせて彼方(かなた)へと去っていったんです。本当に不可解でした。シーカー族の族長のインパは人殺しが嫌いで、配下の戦士たちにも不殺を命じているとは風の噂で聞いたことがありますが、それにしても私たちを気絶させるでもなく、捕らえるでもなく……実に中途半端でした。まるで、私たちに傷を負わせることだけを目的としていたような、そういう気持ち悪さがありました……」

 

 シーカー族が去ると同時に、魔物たちは正気を取り戻したように二人へ一斉に襲い掛かった。

 

 ヒコロクは重傷にひるむことなく、直ちにモモンジに対して「疎林へと退却しろ」と言った。馬宿までは距離があった。疎林ならば騎馬ボコブリンは追ってこれない。ヒコロクはそう考えたのだった。モモンジはヒコロクに肩を貸した。二人は退却を始めた。時には敵を斬り払い、敵を斬り伏せ、時には馬ごと敵を両断し、二人はなんとか逃げることに成功した。

 

「ヒコロク先輩をこの疎林まで連れて来た後、私は馬宿方面の偵察に出ました。でも、森を出たらすぐに魔物に襲われました。でも、なんとかそれをやっつけて、私は馬宿の近くまで行きました。馬宿は魔物によって、がっちりと完全に包囲されていました。チュチュ一匹這い出る余裕もない有様でした。どうしようもなかったので、私は疎林に戻って先輩に報告しました。そしたら……」

 

 話に聞き入っていたテッポが、ここでようやく口を開いた。

 

「私たちの戦闘騒音が聞こえて、駆け付けてくれたってわけね。説明をありがとう、モモンジ。状況は理解したわ」

 

 ポーチを探ると、テッポは油紙に包まれた焼き上トリ肉を取り出した。彼女は優しく言った。

 

「これをお食べなさい、モモンジ。お腹が空いてるでしょ?」

 

 モモンジは目を輝かせた。

 

「テッポ殿、ありがとうございます! いただきます!」

 

 美味しそうな音を立ててトリ肉を頬張るモモンジを余所(よそ)にして、テッポはバナーヌに話しかけた。

 

「どうする、バナーヌ? 私が思うに、やることは一つしかないと思うんだけど」

 

 バナーヌは腕組みをして目をつむり、静かに話を聞いていた。彼女は、ゆっくりと頷いた。

 

「包囲を解こう」

 

 美しく澄んだ声で紡がれたその言葉には、固い決意が秘められていた。それを聞いたテッポは、そのあどけない顔に不敵な笑みを浮かべた。




 ブレスオブザワイルドに限らず、ゼルダシリーズにおいて、感染症対策はどの程度まで進歩しているのでしょうか? その点、今回書いていてなかなかに悩ましいところでした。そもそも菌の概念があるのか……?
 アラフラ平原は実際にプレイするとごくこじんまりとしたフィールドだということが分かりますが、『バナナ』においてはちょっと拡大しております。ここに限らず、『バナナ』では道を長くしたりあるいは短くしたりなどして、距離と時間の観念を調節しようとしております。

※加筆修正しました。(2023/05/11/木)
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