ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第三十九話 作戦名「オド・ルワの饗宴」

 幸せな光景を想像しよう。それはたとえば仲の良い家族が食卓を囲み、睦まじく夕餉(ゆうげ)をとる光景である。父と息子が協力し、狩猟で上ケモノ肉の塊を一つ、二つ手に入れる。母と娘はそれに岩塩をまぶし、新鮮なハイラル草をそえ、丁寧にといだハイラル米をも加えて調理する。その間に祖父母の二人は、ハテノ村で綺麗に桃色に染められた織物をテーブルに掛けたり、一輪挿しにしのび草を生けたりする。家族全員で料理を分かち合う光景は幸せの原風景だ。

 

 あるいはまた、満天の星空の下、夜風に吹かれながら、見ず知らずの旅人たちが共に料理鍋を囲む光景は、幸せなものとはいえないだろうか。めいめいが食糧袋から材料を取り出して分け合い、協力して火を起こす。彼らは水を汲み、肉を切り、調味料を合わせる。料理ができあがる。誰かが入れたヨロイダケのせいで、それはカチコチな料理になっている。湯気とかぐわしさが立ち昇っている。彼らは汁を啜り、歓談する。君は、あなたは、お前は、いったい何処(どこ)から来て、何処(どこ)へ向かうのか? 遠くに、赤く黒いデスマウンテンの噴煙が夜空にたなびいている。料理鍋を囲みながら、彼らは互いに互いを知っていく。この世を孤独にさすらうのが、自分一人だけでは決してないこと彼らは知っていく。

 

 囲むこと、それは確かに幸せを想起させる。だがこの言葉はもう一つ、その反対側の(きょく)を指し示してもいる。

 

 囲むこと、それは、包囲戦である。あらゆる戦の残酷さの極致、戦術的巧緻の極致、そして、戦争が有する劇的なるものの極致が、「包囲し殲滅する」という戦闘形態に体現されている。

 

 悠久の歴史を紡ぐハイラルにおいて、この包囲戦は規模の大小を問わず、それこそ無数に行われてきた。包囲戦は無数の命を奪い、無数の栄光と無数の悲劇を生み出してきた。

 

 史書や兵書を紐解く時、我々は驚く。かくも多くの死が包囲戦によって(もたら)されたことを、我々はにわかに信じることができない。

 

 包囲、それは容易なことではない。なぜならば、包囲こそは軍略をこととする者にとっての夢であり、かつ悪夢だからである。徹底した現実主義者である軍略家を、まるで夢見がちな乙女のように悩ませるこの「包囲」という夢、この乳の如き甘美な夢を現実において再現することがどれほど困難であるか、また、この泥濘のような悪夢から覚めることがどれほど困難であるか、いまさら言うまでもないだろう。

 

 包囲、それは戦いの究極にして基本でもある。どれほど幼い子どもたちであっても、戦いの素人たちであっても、いや、知恵無き魔物であるボコブリンたちであっても、「敵対者を包囲することが勝利を確実にする」ことを知っている。

 

 たとえば、子どもたちである。そう、大厄災後の子どもたちはかつてより大人しくなった。今の子どもたちの遊びといえば追いかけっこやかくれんぼ、あるいはごっこ遊びに過ぎない。料理をする子どももいれば、旅人に武器を見せるようせがむ子どももいるが、しかし今の子どもたちは決して「喧嘩」をしない。かつての子どもたちは、しょっちゅう「喧嘩」をしていた。その喧嘩とは、ぽかぽかと殴り合うような可愛らしい喧嘩ではなく、徒党を組み、列を組んで対峙し、集団で一斉に行う「喧嘩」であった。

 

 百年前のハイラルの子どもは、「喧嘩」となればその地区の餓鬼大将のもとに男児女児を問わずに参集した。子どもたちは会議をし、作戦方針を決定した。それに基づいて、子どもたちは敵対的なグループに対してよく抗争を仕掛けたものだった。彼らは決戦の地を定めると対峙し、石を投げ合い、時には木の枝で殴り合いをした。大人の行う合戦となんら変わりない、命を賭けた真剣勝負がそこでは行われていた。

 

 かつて、若くして近衛騎士に取り立てられた男がいた。城下町南の出身である彼は、その名をニーオンといった。ニーオンは魔物の拠点を覆滅する軍功をいくつも打ち建てた。彼は巷間(こうかん)に「(いま)セバスン」の綽名(あだな)で知られたほどの剛の者であった。ニーオンは自身の回想録において以下のように述べている。

 

「私はいわゆる餓鬼大将だった。私は他の貧民街の子どもたちを集めて『ボンバーズ』という名のグループを作っていた。ボンバーズはバクダン屋の資材置き場を集会所にしていた。私たちのグループは、暇さえあれば隣接地域に喧嘩を仕掛けたものだった。私の体格は優れており、近所に住む天文学者からの耳学問のおかげで、だいたいの喧嘩において勝利を収めるほどの知恵もあった。大人も子どもも私のことを『怪物』と呼んでいた」

 

「その日、私は仲間たちと共に決戦の地へ赴いた。たしか、それはマズラ橋近くのハイリア川の河原だったと記憶している。そこを喧嘩の場所として、私たちは相手のグループと対峙した。喧嘩の理由についてだが、それはたしかロマーニ平原の『りんごの森』の占有権を争ってのことだったと記憶している。その頃、団員手帳には毎月のように『りんごの森』に関する案件が書き込まれていた。大人と同じように私たち子どもにも利害関係があり、それを巡って交渉があった。交渉が決裂すれば、武力衝突になった」

 

「……(中略)……戦いは昼前から始まった。相手の数は私たちよりも遥かに多かった。私たちは序盤から苦戦を強いられた。石つぶては絶え間なく飛んできた。相手は数の多さを生かしてこちらの側背面に回り込もうとしてきた。私は包囲されないように采配を振るうのに必死だった。何も知らない子どもでも、『包囲されたならば一巻の終わり』ということはよく知っていた」

 

「結局、あともう少しで完全に包囲される、というところになって、私が先頭に立って血路を拓いた。私たちは脱出し、惨めな袋叩きを逃れることができた。『りんごの森』を巡っての喧嘩はその後も何回か起こったが、この時ほど苦戦したことはなかった」

 

「……(中略)……運命というのは不思議なもので、この時の喧嘩を遠くから観戦していた(かた)がいた。その(かた)はこのハイラルの大地で最も高貴にして古き血を受け継がれる方であった。その頃はまだその方は離宮におられた。その方が数人の近侍(きんじ)をお供として遠乗りにお出かけになられていたところ、私たちの戦いを目撃されたそうである」

 

「その方は供の者に、『子どもながらあの戦いぶりは天晴れである。戦術の巧みさもさることながら、冷静沈着に包囲を突破するその胆力が気に入った。是非近衛騎士に召し抱えて、父上の喜びとしたい』と仰せになった。そのようなわけで、喧嘩から数週間が経って、貧民街の私のもとへ濃紺の制服を着た近衛騎士がやって来た……」

 

「……(中略)……後年、王子殿下の率いる軍が、不運にもキタッカレ高原で魔物の群れに包囲されたことがあった。誉れ高きことに、この私が突破部隊の先鋒として抜擢された。その時、殿下は『かつての餓鬼大将の勇姿をまた余に見せてくれ』と、親しく私にお声をかけられた。私が感奮(かんぷん)したのは言うまでもない。幸い、私たちの軍は一人も損なうことなく包囲から脱出することができた。私の生涯で包囲という悪夢を振り払ったのはこれと、あの幼少期の戦いの二回だけである……」

 

 包囲を戦いの理想形とするのはハイリア人に限った話ではない。例えばゲルド族は、一対一の戦いを名誉とし、そのための武技の鍛錬を日夜欠かさないが、その実、彼女たちの戦闘教義はスナザラシを用いた高速機動と迂回・包囲を基本としている。ハイリア人の(ヴォーイ)たちに広く信じられているゲルド族の「モルドラジーク単騎狩り」も、実のところは滅多に行われるものではない。モルドラジークの狩猟は通常、陽動、包囲、待ち伏せ等のそれぞれの役割を担った複数のチームが協力することによって行われる。「ヴォーイハント」がたった一人だけのゲルド族で行われるのは、我々にとって幸運だったと言えるかもしれない。

 

 否、上述の如き例を引かずとも、我々ハイリア人には、それこそその霊魂の奥底にまで浸透した、ある勝利の記憶がある。そう、包囲し、殲滅し、完全に勝利したというあの記憶である。その記憶はすでに色褪せており、錆びついており、朽ちる寸前になっているが、それは確かに我々の精神性を何かしらの意味で規定している。

 

 その記憶とは、一万年前に行われたという、厄災ガノンの封印である。

 

 伝説によれば厄災を封じたのは、退魔の剣に選ばれし剣士と、封印の力を受け継ぐ姫巫女との二人であった。厄災、剣士、姫巫女の三者によりハイラルの歴史は展開し、また繰り返され、闘争の輪廻は永遠のように続いた。

 

 一万年前の賢人たちはどう思ったのだろうか。古代シーカー族はどのような意図を持っていたのだろうか。彼の意図と考えは歴史の地層奥深くに、もはや掘り起こせないほどに埋没している。それゆえ、それを正確に知ることなど到底不可能である。

 

 だが結局何が起こったのかを見れば、彼らの意図はある程度推察できる。彼らは望んだのだ。厄災を完全に封印し、永劫にわたる闘争の輪廻を断ち切ることを、彼らは望んだのである。

 

 そして、それを可能にする力と技術が彼らにはあった。後にハイラル王と王家をも震撼させ、そして猜疑(さいぎ)させたほどの、高度に洗練され緻密に体系化されたカラクリ技術がそれである。人工的に風と火を起こし、水を汲み上げ、地盤を掘り進め、馬もロバもなしに荷を運ぶ……そのようなことに用いられていたカラクリ技術を、彼ら古代シーカー族は戦闘目的へと転用した。

 

 かくして生み出されたのは、大地を埋め尽くすほどの多脚単眼自走兵器の群れであり、空を覆い尽くすほどの三翼単眼飛行兵器の群れであり、王城を金甌(きんおう)無欠の殺戮陣とした自動砲台群であった。

 

 彼らのカラクリ技術の極めつけは、超巨大、超質量、超火力の「神獣」と呼ばれる四体の決戦兵器であった。神獣から放たれる青白い光の奔流は、たとえ遠く離れていても厄災の致命部を正確に射抜くほどであった。

 

 剣士と姫巫女、そしてこれらすべてのカラクリ兵器が、一万年前に厄災を完全に包囲した。小型の自走兵器は勇者と姫巫女を守るべく盾となって攻撃を防ぎ、あるいは死体に集るクロアリのように群がり寄って攻撃を加えた。四神獣は咆哮と共に青白い光線を放ち続けた。

 

 どのような戦いだったのだろうか? それは一方的だったのだろうか? それとも、それだけの鉄桶(てっとう)の陣容を以てしてもなお、厄災は容易ならざる敵だったのであろうか? それは分からない。

 

 しかし、その後一万年という山も海も形を変えるほどの長き時に渡って、怨念と憎悪の権化たる厄災は復活しなかった。その事実を見れば、古代シーカー族は立派にその歴史的使命を果たしたのだと言ってよいかもしれない。

 

 だが、いかにも我々は愚かであった。それは遺物を再び大地から掘り起こし、戦力化しようと試みたことではない。あるいは、神獣を討伐の(かなめ)の一つとし、ハイラルの英傑をその繰り手としたことでもない。

 

 包囲され、完膚無きまでに叩きのめされた厄災ガノンが必ず抱くであろう、溶岩より熱く煮えたぎった憎悪と、永久氷塊のように冷え固まった殺意、加えて、真正に純粋なる屈辱感……それらに想像力を馳せなかったゆえに、我々は愚かだったのである。

 

 百年前に復活した厄災ガノンは、今度は逆に我々を包囲した。我々と我々の王国は、怨念によって乗っ取られ、その色と力を纏った古代遺物たちによって包囲され、殲滅された。それは逃れることのできない(おり)であり、無慈悲なる処刑場であった。王国は滅び、人は死んだ。かくして厄災ガノンは存分に屈辱を(そそ)いだのであった。

 

 奇跡によるのか、それとも単なる僥倖であるのか、あるいは祈りによるものか。厄災ガノンは、まるで何らかの力によって囚われているように、いまだに王城から離れない。

 

 それでも、厄災にとってはそれで充分である。未だにハイラル全土は厄災の包囲下にある。瘴気と怨念と、魔物と遺物であるガーディアンと、そして何より、破滅の運命に、ハイラルは包囲されている。

 

 この包囲を突破する者は未だ、深い眠りに落ちたままである。彼は、ある台地の祠で、魂すらも溶かしたように眠っている。

 

 その目覚めはおそらく、近い。だが、目覚めの使者はいまだに彼を訪れない。

 

 

☆☆☆

 

 

 腹ばいになって草むらに身を隠していたバナーヌが、独り言のように呟いた。

 

「……雲が濃くなってきたな」

 

 それを、彼女のすぐ(かたわら)にいた、ぬばたまの黒髪のテッポが受けた。

 

「ええ、そうね……雨になるかもしれないわ……」

 

 二人は空を見上げていた。フィローネ地方の草原地帯、アラフラ平原は、早朝を迎えていた。麗しき薔薇色の夜明けの太陽を覆い隠していた鼠色の空は、いよいよその険悪さを増しつつあった。それまでは遠慮がちに、一滴、二滴と(しずく)をこぼしているに過ぎなかった黒雲は、風を受けて次第に渦を巻き始めた。のみならず雲は濃さを増して、いまや一人前の雨雲へと成長を遂げつつあるようだった。

 

 遠く右手方向に見える、鏡面のように澄んだ水面を持つハラヤ池も、折からの風を受けて白く波立っていた。早馬のように吹き抜ける風に草原は音を立てた。バナーヌとテッポが先ほど出てきた、今は重傷のヒコロクとそれを護るモモンジがいる疎林は、その(こずえ)をゆらゆらとロウソクの火のように揺らしていた。

 

 この分だと、かなり強い雨になるかもしれない。テッポはそのいたいけな顔をやや不快そうに歪めた。腰の爆弾袋を()(さす)りながら、彼女は言葉を漏らした。

 

「忌々しいことだけど、雨だと爆弾は使えなくなる。ただでさえこちらは数的に劣勢なのに、そのうえ火力面でも劣勢になったら、包囲しているボコブリンたちを一匹残らず皆殺しにするのは相当難しくなると思うわ。ねえバナーヌ、もうすこし馬宿のほうを見てみましょう」

 

 バナーヌは軽く頷いた。

 

「うん」

 

 バナーヌとテッポは、馬宿方面の偵察を再開した。

 

 高原の馬宿はアラフラ平原の南東にあった。そこは、かつて王国の軍馬徴用官の居館があった場所であった。さらにその前の時代においては、そこは遊牧民たちのキャンプ地であった。馬宿の両側面は小高い丘で守られていた。馬宿の背後には、馬神湖とイバーラ高地へと通じる道が走っていた。

 

 そして馬宿の前面には、魔物の大群がいた。本来ならばその場所は、長旅に疲れた旅人とその愛馬をあたたかく迎え入れ、料理鍋と飼葉桶(かいばおけ)でもてなす場所であった。馬宿は包囲されていた。

 

 (うまや)には一頭も馬がいなかった。乳を得るために飼育されているシロヤギも、その姿はどこにも見えなかった。どうやら、家畜たちはここからは見えない馬神湖方面へと逃がしてあるようだった。

 

 バナーヌはその(きら)めくサファイア色の双眼を働かせて、素早く敵を数えた。

 

「……赤ボコブリンが十八匹、いや十九匹。青ボコブリンが五匹、黒ボコブリンが五匹……」

 

 テッポが声を上げた。

 

「合計、二十九匹ね。あっ、見て! 今、あそこの木箱の影から白銀ボコブリンが出てきた!」

 

 バナーヌは無感情な声で訂正した。

 

「……合計三十匹」

 

 バナーヌは内心、数えるたびに数を増していく魔物たちにうんざりしていた。だが、それを(じか)に表情や声音へ出す彼女ではなかった。

 

 魔物たちは(くつろ)いでいた。魔物たちは自分たちの馬をそこここに放し飼いにしていた。彼らはトゲボコこん棒やトゲボコ槍、兵士の剣や盾、弓などといった武器を地面に置いていた。魔物たちは焚き火を囲んでいた。あるものは手足を乱雑に振り回して踊りをし、あるものは居眠りをしていた。また、あるものは丘上にある黒い祠をぼんやりと眺めていた。

 

 テッポが「ちっ」とひとつ舌打ちをしてから言った。

 

「ああ……! うちの支部の人間が十人でもいれば、あんなだらけきった連中はものの数分で皆殺しにできるのに!」

 

 その毒づき方はいかにも堂に入ったものだった。育ちの良い者であっても悪態のつき方は他の人間とさほど変わらないようだと、バナーヌは何とはなしに思った。

 

 偵察においては、敵の所在、数、配置、兵器など確認しなければならないことが多々ある。彼女たちにはもう一つ、重要なことがあった。敵の指揮官の所在はどこか? 敵を率いている、例のボコブリンマスクのシーカー族は?

 

 目を凝らして魔物の群れを観察していたテッポが、やや安心したような声で言った。

 

「モモンジが言ってた、ボコブリンマスクの謎のシーカー族、あれは今のところ、どこにもいないわね」

 

 バナーヌが頷いた。

 

「そうだな」

 

 彼女らが怖れていたのは、ヒコロクに重傷を負わせた、あの謎の敵の存在だった。いかなる理由かは知らないが、やつは一時的に姿を消しているようだ。それが再び舞い戻ってきて魔物たちを指揮するようになったとしたら……? そうなれば包囲を解くのは著しく困難になるだろう。バナーヌはそう思った。

 

 だが、今はいない。どうやら、いない。また戻ってこないとも限らないが、しかしアラフラ平原に到着した直後の戦闘にも介入して来なかったところを見ると、その可能性は低いだろう。

 

 何とか、これで戦いの目途は立ったとバナーヌは思った。後は馬宿の宿長、ジューザと連絡が取れれば良いのだが……彼女は馬宿を見た。こちらの攻撃に呼応して馬宿内部から彼らが出撃し、敵を逆に包囲する形に持っていくことができれば、こちらは損害を負うことなく、ほぼ一方的に魔物を殲滅できるはずだ。彼女はそう考えた。

 

 予め用意しておいた通信文を、バナーヌはひときわ出来の良い矢に結び付けた。この矢ならばよく飛ぶはずであった。そんな彼女を見て、テッポがやや眉をひそめて言った。

 

「バナーヌ。確かに戦術常識から言えば挟撃が最良の形なのは間違いないわ。でも、はたしてジューザがそれに応じるかしら。私は怪しいと思うわ。お父様がよく言ってたのよ。『ジューザは戦いを好まず、馬とルピーにしか関心のない男だ』って……たとえ仲間が危機にあるとしても、ジューザが出撃するとは思えない」

 

 モモンジは疎林で語っていた。昨日、盛んに出戦(しゅっせん)を主張したヒコロクに対して、ジューザの態度は最初から最後まで消極的だったと、彼女は言った。「包囲されるのはいつものことで、あえて戦いを挑まずとも、魔物は一週間経てば勝手に帰っていく」と彼は言っていたという。今、現在も、馬宿は入口に木箱や大盾をおいて、あたかもマックスサザエが(ふた)を閉じたように、ひっそりと静まりかえっていた。

 

 通信文には、早期決戦の必要性についても記載してあった。これ以上時間をかけるわけにはいかない、代替馬を早急に手に入れなければならない、重傷のヒコロクは一刻も早く馬宿で休み医者に診てもらう必要がある、これらの目的のためにはどうしても魔物を一匹残らず殲滅する必要がある、こちらの攻撃に呼応して出撃せよ。了解したならば赤の狼煙(のろし)を、拒否するならば白の狼煙を上げるべし……そんなふうに通信文には書かれていた。

 

 バナーヌは単なる下っ端である。ゆえに彼女は専門的な戦術論を体系的に学んだことも、人数を率いて戦闘を指導したこともなかった。しかし、彼女のそれまでの豊富な経験とその天性の勘の良さは、彼女にあることを告げていた。「解囲作戦というものは、包囲された側と解囲する側の両方が息を合わせなければ、必ず失敗する」 そのようなことは戦術論の教科書に必ず書かれている。教えられずとも、彼女はすでにそれを知っていた。

 

 そのことを(わきま)えず、また、ヒコロクの生命の危機にも心を動かさずに、ジューザが頑なに戦いを避け続けるならば……? テッポはそのことを危惧していた。

 

 バナーヌは軽く首を横に左右に振って、テッポの懸念を否定した。彼女は言った。

 

「やってみなければ分からない。それに……」

 

 バナーヌは矢文(やぶみ)を弓につがえた。彼女は、馬宿の入口を塞ぐ大盾に狙いをつけ、大仰角を取ってキリキリと引き絞った。

 

 テッポが言った。

 

「それに……何かしら?」

 

 次の瞬間、バナーヌの弓から音を立てて矢文が勢い良く空中へ飛び出した。矢文は狙った場所へまっしぐらに飛翔した。バナーヌは言った。

 

「やつが出て来ないならば、他にやりようはある」

 

 矢文は(あやま)たず、音を立てて大盾に深々と突き刺さった。その音は大きかった。すぐに馬宿の中から浅黒い腕が伸びてきて矢文を引っこ抜いた。矢文を掴んだ腕は、また暗闇の中へと戻っていった。

 

 

☆☆☆

 

 

 雨はいよいよ激しくなっていた。この分では、今日一日は終わりまでずっと雨になるだろう。バナーヌはそう思った。物事の良し悪しはそれぞれの人の立場によって異なるが、この雨が恵みの雨となるかそれとも天罰となるか、それは魔王とバナナの神のみぞ知ることだ。バナーヌは空を見上げた。雨が目に落ちてきたので、彼女はすぐに顔を背けた。

 

 葉を叩き、地面を打つ雨音に混ざって、テッポの声が鋭く疎林に響いた。

 

「まったく! ジューザって男は本当に同じイーガ団員なのかしら! 薄々予想はしていたけど、こうまでも薄情な人間だとは思わなかった!」

 

 テッポの幼いながらも可憐な声には、いかにも憤懣せんやるかたなしといった調子が込められていた。モモンジが、力のない声でそれに答えた。

 

「狼煙、真っ白でしたね……ああ……」

 

 そんな二人に対して、バナーヌとヒコロクは沈黙していた。バナーヌは沈思黙考していた。ヒコロクは深く眠っていた。

 

 矢文を撃ち込んでから数十分後に、バナーヌとテッポは疎林に戻った。今、バナーヌは腕を組んで瞑目していた。テッポは俯いていたが、その表情には怒りの色が浮かべられていた。モモンジは、いまだ昏々(こんこん)と眠り続けているヒコロクのために、膝枕をしてやっていた。モモンジは困惑したような顔をしていた。その桃色の(まげ)は力なく垂れ下がっていた。

 

 あの後、雨の空に打ちあげられた狼煙(のろし)は、無情なまでの白色だった。ジューザはそれによって明確に出撃を拒絶することを示したのだった。

 

 テッポは首刈り刀の手入れをしながら、なおも不満をぶちまけた。

 

「ジューザにも馬宿の長としての立場があるから、『万が一出撃して失敗したら馬宿を失うかもしれない』と危惧するのはまだ理解できるわ。でも、傷ついたヒコロクのために立ち上がらないというのはどういうことよ! ヒコロクは仲間じゃない! 仲間の命がどうなっても良いのかしら! はやく医者に診せないといけないって、あれだけ矢文(やぶみ)にも書いたのに!」

 

 モモンジもテッポと同じく、自身の得物である風斬り刀を点検していた。払暁の戦闘で刀身が傷みはしなかったか、彼女は確認していた。彼女はヒコロクの頭を膝枕に乗せたまま、刀の手入れをしていた。「膝枕をする」と言い出したのはモモンジ本人だった。疎林の地面は落ち葉が積もっており、湿っていて冷たい。重傷のヒコロクを地面に寝かせたままだと身体が冷えて、さらに体力を消耗してしまう。せめて膝枕でもしてあげて、少しでも体温を保たせないと……そのようなことをモモンジは言っていた。

 

 そんなモモンジが、「あっ」と声を上げて、なにかを思い出したかのように答えた。

 

「あの、テッポ殿……そういえば話しそびれてしまってそのままになっていたのですが……私が見たところ、昨日のジューザはどことなく苛立っているような、それでいて何かを怖れているような、そんな様子でした」

 

 テッポがふんっと鼻を鳴らした。彼女は言った。

 

「えっ、なんですって? ジューザが何かを怖れている? それは魔物を怖れているんでしょうよ! それに決まっているわ! なにせ、この期に及んでもまったく馬宿から出ようとしないくらいですものね!」

 

 自分の発言がテッポの怒りの炎に油を注いでしまったのを見て、モモンジは大急ぎで言葉を続けた。

 

「い、いえ! あの、そうではなくてですね……なんだか『そろそろソエの婆さんが帰ってくる』とか、『また馬宿を燃やされたら今度こそソエの婆さんに殺される』とか、そんなことをジューザは言ってたんです。その、ソエの婆さんっていうのが誰かは分かりませんが……」

 

 新たに出て来た謎の人物の名前に、テッポはふわりと黒髪を揺らして小首を傾げた。テッポは言った。

 

「ソエの婆さん? ソエ、ソエか……うーん、その名前には心当たりがないわ……」

 

 だが、そのソエの婆さんなる人物について憶測を巡らせても、ジューザが出撃しないことは変りなかった。

 

 もう頃合いだろう、とバナーヌは思った。彼女は常と変わらぬ澄んだ声で二人に話しかけた。

 

「作戦を立てよう。私、テッポ、モモンジ、この三人だけで敵を殲滅する」

 

 テッポはハッと我に返ったような表情をした。モモンジもバナーヌの声を聞いて、思わず居ずまいを正した。その時、膝枕からヒコロクの頭が落ちそうになった。モモンジは慌てて彼の頭を押さえた。

 

 しばらく沈黙があたりに満ちた。最初にそれを破ったのはモモンジだった。彼女は元気良く手を上げて言った。

 

「はいはいはい! モモンジ、意見を具申します」

 

 テッポが言った。

 

「モモンジ、どうぞ」

 

 モモンジは言った。

 

「さすがに三十匹もの数の魔物は私でも手に余ります。だけど、今はバナーヌ先輩にテッポ殿の二人がいるから大丈夫です! ここは正面攻撃をかけて、一気に敵を撃砕するべきだと思います!」

 

 

 テッポが、何か信じられないことを聞いたような声を出した。

 

「ええっ?」

 

 それを気にせず、なおもモモンジは話し続けた。

 

「攻撃の先鋒(せんぽう)は是非、このモモンジにお任せ下さい! 真っ先駆けて突撃して、私はこの風斬り刀を力の限り振り回します! 万が一、この刀が折れてしまったら、その次は敵からトゲボコ槍でも奪い取って、それを振り回します! 敵の武器がなくなったら徒手空拳で戦います! 腕も脚も()えて動かなくなってしまったら、歯と爪を使います! そんな感じで暴れれば、私だけでも敵の半分は倒せるでしょうか。でも、私も死にたくはないので、バナーヌ先輩とテッポ殿には私が死なないように援護をお願いします……」

 

 モモンジは滔々(とうとう)と不可能事を述べ立てた。彼女の話はさらに続きそうだった。テッポがそれを()めた。

 

「ちょ、ちょっとモモンジ、待ってちょうだい、ていうか落ち着いて」

 

 モモンジは首を傾げた。勇壮にして無謀極まりない作戦を語っている間に興奮したのか、その可愛らしい顔はやや薄紅(うすべに)色に上気していた。彼女は言った。

 

「何ですか、テッポ殿? 私はこれが最良の作戦だと思いますけど……」

 

 テッポはふぅと一つ溜息を()いた。そして、懇々(こんこん)と教え諭すように、彼女はモモンジに語り始めた。

 

「良いこと、モモンジ? あなたの考えた作戦は本当に敢闘(かんとう)精神に満ち溢れたものだと、私も思うわ。一般のイーガ団員の心構えとしては確かに理想的だと思う。でもね、私たちが立てないといけないのは『作戦』なの。ここにいる三人が傷を負うことなく、かつ敵を殲滅して、馬宿の包囲を解くための具体的な戦いの筋道、それが作戦なの。それを組み立てないといけないのよ。モモンジの言っていることは作戦ではないわ。あなたが言っているのは『自分の得意とする戦い』、あるいは『自分がそうしたい戦い方』なだけ。それは作戦ではないわ……」

 

 テッポは言葉を区切ると、また口を開いた。

 

「そうね、仮に、あなたが真っ先に突撃するとしましょう。すると、あなたは真っ先に敵に囲まれることになる。そうなると私たち三人は分断されてしまうでしょう。分断されてしまったら、そのあとは数の暴力で押されてしまう。私たちは敗北するしかない。あなたが敵を皆殺しにするより、明らかにこっちのほうが皆殺しにされる可能性が高いと思うんだけど、どうかしら?」

 

 モモンジはテッポの話を聞いているうちにだんだん項垂(うなだ)れてきた。彼女は元気のない声で答えた。

 

「うう……はい、テッポ殿、よく分かりました……うう……」

 

 どうやら、モモンジは自分の知恵の回らなさにガッカリしたようだった。こんなことならただ一言「おバカ!」と叱ったほうが良かったかもしれない、と内心テッポは後悔した。それをグッと心の奥底へ押し込むと、彼女は今度は自身の考える作戦について語り始めた。

 

「ジューザにはまったく期待できない。フィローネ支部に援軍を呼ぶ時間もない。どうしてもこの三人で、戦力差一対十の殲滅戦をやらないといけない。それなら、そうね……やっぱり、奇襲攻撃しかないんじゃないかしら。『()(もっ)て衆を制するには、夜戦と、待ち伏せ攻撃と、奇襲の三つしかない』とかつてお父様から教わったわ」

 

 バナーヌは頷いた。

 

「うん」

 

 そもそもイーガ団の戦闘教義では「寡を以て衆を制す」ことは不可能であり、もし少数で多数の敵と対峙した場合は戦いを避け、増援を要請し、有利な地形に引きずり込むべきことを説いている。だが今回の場合、逃げて増援を要請することは論外であった。テッポの言うとおり、奇襲攻撃しか選択肢はないようにバナーヌには思われた。

 

 テッポが話を進めた。彼女は話しながら考えを深めているようだった。

 

「やはりここは奇襲しかないでしょう。でも、戦いの場は平地で、視界が開けている。この雨だから、隠れて接近すれば第一撃には成功するでしょう。でも、その後はただの正面対決になってしまう。つまり、問題なのは第一撃以降の展開よ。こちらとしては何とかして第一撃目の奇襲から乱戦に持ち込んで、こちらの数が少ないことを魔物に悟らせないまま戦いを進めないといけない……」

 

 うーんとテッポが唸った。乱戦。それは相手を混乱状態に陥れることで成立する。しかし魔物が混乱することと言えば……? テッポは言った。

 

「知能低劣で凶暴なボコブリンたちは、強敵に(あい)(たい)しても、どんなに重い傷を負っても、決して最後まで(ひる)むことはない。でも火攻(かこう)だったら……? そう、火攻なら効果がきっとあるわ。火攻といえば……爆弾の連続投射による爆風と炎の壁……いえ、それは、無理ね。この雨じゃ爆弾は不発になるでしょう。ああ、雨が恨めしいわ……うーん……でも、他に火攻の手段は……?」

 

 テッポは(うつむ)き、じっと考え込んだ。

 

 その横で、バナーヌはポーチをゴソゴソと(さぐ)ると、何か光り輝く大振りな棒状のものを取り出した。彼女は言った。

 

「実は、こんなものがある」

 

 テッポは目を輝かせて言った。

 

「えっ、なになに!?」

 

 そう言うと、テッポはバナーヌが手にしているものに視線を移した。そして絶叫した。

 

「わきゃあっ!? それ、メテオロッドじゃない! やめて! 私にそれを近づけないで! 火気厳禁、わたし火気厳禁なの! わたし、爆弾娘(ボンバーガール)だから!」

 

 バナーヌは即座にメテオロッドを引っ込めた。珍しいことに、彼女はかすかにバツの悪そうな顔をしていた。申し訳なさそうに彼女は言った。

 

「ごめん、軽率だった」

 

 いつの間にか、テッポはバナーヌから三メートルは距離を取っていた。安全を確認すると、彼女はおずおずとした様子で、また元いた場所に戻った。乱れた呼吸を整えつつ、テッポは言った。

 

「ハァ、ハァ……ふぅ……ごめんなさい、取り乱したわ。私たち爆弾使いにとってはファイアロッドもメテオロッドも非常に危険なの。ほら、知ってる? 二十年前にあった事件よ。アッカレ地方にあった旧ハイラル王国軍の弾薬庫が大爆発した事件があったでしょ。あれは、冒険者が(あか)りの代わりにメテオロッドを使ったのが原因らしいわ……メテオロッドの火なら雨にも雪にも風にも負けない、だから良い灯りになるって、そう考えたんでしょうね……」

 

 そこまで話してから、テッポはようやくバナーヌがメテオロッドを取り出した理由について理解したようだった。彼女は言った。

 

「あ、そうか! メテオロッドの火球なら、たとえ豪雨や雷雨の最中でも絶対に消えない。それに、一度ロッドを振れば三発は火球が出るし、連射もできる。爆弾の代わりにこれで火攻ができるわね。でもバナーヌ、あなたはいったいどこで、いつそんなものを手に入れたの?」

 

 バナーヌは言葉少なく答えた。

 

「ここに来るまでに、ちょっと」

 

 バナーヌは多くを語らなかった。特段、大したことではない。なかなか腕の立つウィズローブ二体と戦い、勝利して奪い取っただけのことだ。あれから数日しか経っていないが、思えば遠くに来たものだ……彼女はそう思った。

 

 彼女のポーチにはメテオロッドの他にファイアロッドもあった。それに頼ることができるだろうか。だが、彼女は言った。

 

「ロッドはそれほど長持ちしない。これだけに頼って戦いを組み立てるわけにはいかない」

 

 なにしろ敵は三十匹もいる。それだけの数の敵を混乱させるには、休みなく火球を撃ち続けなければならない。そうなると、あっという間にロッドに込められた魔力は尽きるだろう。あとはボコこん棒以下の、ただの繊細な棒が二本できあがるだけだ。バナーヌにはそのことが目に見えていた。

 

 それに、彼女はメテオロッドに別の役割を期待していた。だが、バナーヌはあえてそのことについてテッポとモモンジには話さないでおいた。言えばきっと反対されるだろう。彼女はそう考えた。

 

 またバナーヌにはロッドの他に「不思議アイテム」がある。それを使わない手はない。この場合、使えそうなものは疾風のブーメランだろう。ゲルドキャニオンでの戦闘で、疾風のブーメランは敵の武器を剥ぎ取るのに大いに役立った。今回の戦いでも大いに役立つはずだ。だが、いくら疾風のブーメランであっても、敵をずっと混乱させ続けることはできないだろう……彼女は静かに言った。

 

「あと一手、何かが必要だ」

 

 バナーヌはそう言ってから、視線をモモンジの方へ向けた。それまでモモンジは静かに話を聞いていた。だが、彼女はここに来て何故か体をもじもじとさせていた。彼女の視線は泳いでいた。

 

 モモンジは何か、策を考えているな。バナーヌは直感した。彼女はモモンジに声をかけた。

 

「モモンジ、策があるのか」

 

 モモンジは変な声を上げた。

 

「えひゃいっ!? あ、はい! そうですとも! あ、違う! いいえ! 私は別に何も、何も考えていません……」

 

 モモンジの返答は支離滅裂だった。しかし、その心中に何か期することがあるのはその態度からして明白であった。

 

 すると、意外なところから声が上がった。それは、モモンジの柔らかな膝枕の上から発せられていた。声の主はヒコロクだった。

 

「おい、モモンジ。さっきから話を聞いていたが、お前には『アレ』があるじゃないか。とっておきの『アレ』がよ。なんで躊躇してるんだ。ほら、テッポ殿とバナーヌに教えてやれ」

 

 モモンジは再度驚いた。彼女はヒコロクが起きていたことに全く気付いていなかった。そして彼女は、ヒコロクに膝枕をしているのが急に恥ずかしくなってきた。今更止めるわけにもいかなかったので、彼女は我慢した。彼女は言った。

 

「ヒコロク先輩……起きてたんですね……お加減はいかがですか……?」

 

 ヒコロクは叱るような声を出した。

 

「バカ、そんなこと言ってる場合か。はやく『アレ』について話すんだよ。お前が『アレ』をぶちかませば、勝利は間違いないさ。それに……」

 

 ヒコロクはわざとらしく頭をぐりぐりと動かして、モモンジの若い柔らかな膝の感触を楽しんだ。彼は、わざとらしいふざけた声で言った。

 

「うちの女房のそれにゃ数等落ちるが、お前も将来有望な脚をしてるぜ。お前の膝枕、結構居心地よかった。ちょっとは回復したよ。少なくともお前たち三人がこれから戦いに出ている最中に、『哀れなヒコロクはひっそりと寂しく命を落としてました』なんて事態にはなるまい。ありがとよ」

 

 モモンジは涙ぐんだ。

 

「うう、ヒコロク先輩……」

 

 のんきなやり取りだった。それを見ていたバナーヌは「なんというか、モモンジはよく気を付けておかないと悪い男に騙されそうだな」と思った。

 

 テッポが口を開いた。

 

「それでモモンジ、その『アレ』ってなんなの?」

 

 モモンジは、すぐに答えなかった。彼女は二、三度、口を開いたり閉じたりを繰り返した。やがて、彼女は言葉を発した。

 

「……はい、テッポ殿。その『アレ』はですね、私の流派『密林仮面剣法オド・ルワ』の奥義の一つでして…………でもそれ、やるとなるとすごく恥ずかしいんですよね……まずは、これを顔に被るんです」 

 

 モモンジはポーチから何かを取り出した。それは仮面だった。その仮面は、イーガ団の逆さ涙目の紋様が刻まれた白い仮面ではなかった。それとは別の、凝った意匠の仮面だった。モモンジはそれを顔に装着した。

 

 その仮面は、異形そのものだった。テッポが息を呑んだ。

 

「うわ……その仮面、すごい迫力ね……」

 

 モモンジは「アレ」について説明を始めた。

 

 その数分後、テッポの表情は戦意に燃えていた。テッポは言った。

 

「良いわ、これなら完全勝利間違いなしね!」

 

 バナーヌもその青い瞳に闘志を宿らせていた。彼女は静かに、だが決然とした口調で言った。

 

「作戦開始は一時間後。軽く食事にしよう」

 

 モモンジが遠慮がちに口を開いた。

 

「せっかくですから、なんかこう、作戦名が欲しいですね」

 

 テッポが手をポンと叩いた。

 

「それもそうね……じゃあモモンジ、あなたの奥義にちなんで、作戦名は『オド・ルワの饗宴(きょうえん)』にしましょう!」

 

 

☆☆☆

 

 

 高原の馬宿の中は、一切の照明を落としていた。室内は薄暗く、物音一つなかった。店員たちは寝台で寝たり、矢を削ったり、弓に(つる)を張ったりしていた。

 

 宿長のジューザはテーブルの前に腰かけていた。彼は一人で考えに(ふけ)っていた。彼の手には、先ほどの外から撃ち込まれた矢文(やぶみ)があった。

 

 彼もまた、一個のイーガ団員であった。できることなら、仲間は救いたい。彼はそう思っていた。だが、彼の冷徹な利害計算能力は、仲間一人の命よりも馬宿のほうをより重く見ていた。仲間を見捨てようが、それによって不名誉を(こうむ)ろうが、馬宿を失うよりははるかにマシだ。彼はテーブルを指でこつこつと叩いた。

 

 ここ最近、ジューザは馬宿協会から疑いの目で見られるようになっていた。ソエの婆さんが密告(チンコロ)したに違いない。彼はそう考えていた。ソエの婆さんは、馬宿協会の本部に「ジューザは素性(すじょう)定かならぬ客に特別に便宜を図っており、『利用客に公正で平等なサービスを提供する』という協会の理念をないがしろにしている……」とかなんとか、そういう手紙を送ったのだろう。

 

 あの婆さんは遊牧民の血を引いているらしい。若い頃は女だてらに魔物を討伐して回っていたそうだ。油断のできない婆さんだ。なんでそんな婆さんが俺の馬宿にいるんだ。ジューザは内心で毒づいた。

 

 さすがに、彼がイーガ団員であるいうことはまだバレてはいないようだった。だが、それが露見するのも案外近いのかもしれない。ジューザは苦々しく思った。ソエの婆さんは腰痛が悪化したために、今はオルディン地方の温泉へ息子たちと湯治に出かけている。運が良かった。もしこんな時に婆さんがいたら、きっと俺は宿長不適格者として馬宿から追い出されただろう。それはイーガ団フィローネ支部のメンツを潰すことだ。そして俺のキャリアも終了する。

 

 ここは何としてでも「事なかれ主義」を貫かねばならない。下手に戦いを挑んで馬宿に損害を出すわけにはいかないのだ。つけ入れられる隙を生んではならない……可哀そうだが、あのはりきり屋のヒコロクと、剣術馬鹿のモモンジは見捨てよう。

 

 そこまで彼が考えた、その時だった。彼の聴覚はその時、何か異様な音を聞き取った。その音は馬宿の外と、馬宿の入口あたりで響いていた。

 

 彼はそれとほぼ同時に、外から響いてくる魔物たちの叫び声を聞いた。どことなく、悲鳴のような叫び声だった。

 

 また、入口付近から音がした。ぶーんぶーんという、どこかで聞いたことのあるような、ゾワゾワと肌を泡立たせるような不快な音だった。

 

 彼はちょっとだけ考えた。そして、彼はすぐに気が付いた。これは羽音だ!

 

 ジューザは勢い良く椅子から立ち上がった。彼は近くにいる店員に鋭く声をかけた。

 

「おい! なんだこの羽音は! おい、お前、ちょっと外を見てこい!」

 

 店員は答えた。

 

「へいっ!」

 

 店員はおっかなびっくりという風に歩いていった。店員は、入口を塞いでいる大盾から顔を覗かせた。そして「あっ!」と一声叫ぶと、店員は後ろに倒れた。

 

 次の瞬間、馬宿の中へ何か無数の小さなものが一丸(いちがん)となって侵入してきた。それは瞬く間に馬宿内部の狭い空間に充満した。

 

 ブンッと飛んできた何かが、ジューザの二の腕を刺した。彼は焼け火箸(ひばし)を押し付けられたような熱い感触を覚えた。

 

 これは、間違いない……! 怖れの混ざった声で、ジューザは叫んだ。

 

「なんでガンバリバチがこんなにいるんだっ!?」

 

 馬宿の内部を、ガンバリバチの大群が所狭しと乱舞していた。虫たちは(いかり)り狂っていた。

 

 静穏に包まれていた高原の馬宿は、瞬時にして阿鼻叫喚(あびきょうかん)の巷と化した。




 今回の話を書くためにブレワイを起動して色々なことを確認しに行きました。
 雨の中で火薬樽は爆発するのか、しないのか。雨の中で火薬樽にメテオロッドで火球をぶつけても爆発するのか、しないのか。雨の中でバクダン矢は爆発するのか。
 いずれも「確か爆発しなかったはず」と覚えていたのですが、しかしこういうところでのディティールが甘いと完成度が低くなってしまいます。私はバイクに乗り、火薬樽のある各地を巡り、雨を待ち、降らないから他の地域へワープをし、タバンタヘラジカを狩り、ライネルとバトルし、イワロック先輩からお金を引き出し、新婚旅行中の若奥様に焼きリンゴを押し売りし、コログを探し回っていました。当初の目的はすっかり忘れられました。
 結局、一番検証に適していたのはサイハテノ島でした。あそこは定期的に雷雨が来ます。そこで判明したのは、やはり雨の中では火薬樽は投げても爆発せず、また雨の中で火薬樽に火球を放っても爆発しない、という事実でした。
 ここで火薬樽が爆発するのなら、テッポが火のついていない爆弾をバラまき、それにバナーヌが火球をぶつけて爆発させる、なんて作戦が考えられるのですが、原作でそれができないなら、やはり『バナナ』においてもできません。

※加筆修正しました。(2023/05/12/金)
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