ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第四話 ディペンデンス

 カルサー谷は静かな殺気に満ちている。鳥や獣、虫といった生き物はおろか、砂漠ではおなじみのリザルフォスといった魔物さえまったくいない。たまに岩と岩の間にひっそりと生えている草花が、わずかに生の気配を感じさせるにすぎない。

 

 しかし、この谷に入った者は、常に何かに見られているような、奇妙な違和感を感じることだろう。それは、崖の上に点々と意味ありげに鎮座している、カエルを(かたど)った石像のせいかもしれない。あるいは、崖と崖の間に張り巡らされている鳴子(なるこ)に、明らかな人為の痕跡を感じるからかもしれない。時折吹き抜ける風に、鳴子はカラカラと音を立てる。その音響は狭い谷底内で増幅し、えも言われぬハーモニーとなって谷を行く者の耳を貫く。

 

 かつて、ハイラル王国のある騎士はこう言った。「当地(とうち)は死地なり、我らすでに死せり」

 

 勢力盛んなりし時代のハイラル王国が満を持して送り込んだ第一次イーガ団討伐軍にとって、この言葉は現実のものとなった。鎧兜に身を包んだ重装備の騎士たちは砂地に足を取られ、その進軍は遅々として進まず、業を煮やした大将は、投石器や弓矢で武装した機動力の高い軽歩兵を先行させた。

 

 だが、軍が二分されたその隙をイーガ団は見逃さなかった。崖上から次々と投げ込まれる大量の岩石によって軽歩兵はあっという間に血煙と化し、防御円陣を組んだ騎士たちの頭上には爆薬樽が降り注がれた。王国軍は四分五裂となって、算を乱して壊走した。そこへイーガ団精鋭部隊による追撃が容赦なく加えられた。結果は言うまでもなかった。討伐軍の大将は討ち死にし、何とかゲルドの街北方の出撃拠点に逃げ帰ることができたのは、全体の四割に満たなかったという。

 

 その後、ハイラル王国は幾度も討伐軍を送り込んだ。そのどれも、結果は第一次の時と似たりよったりだった。それでも、一度はあと一息というところまで行ったこともあった。第八次討伐軍は特別に訓練された山岳部隊をうまく活用したことで、谷の三分の二を制圧し、イーガ団にも大損害を与え、もう一日もすれば谷の奥に到達するという地点まで進軍した。

 

 さしものイーガ団も今度ばかりはアジトを捨てて脱出することを検討したが、ここで奇跡が、つまり討伐軍にとっては悪夢が起こった。討伐軍の出撃拠点を、突如として超巨大な白いモルドラジークが襲ったのであった。そのモルドラジークの大きさは通常種の五倍はあったと伝えられているが、とにかくこの異常事態を受けて、討伐軍は進撃を断念して引き返さざるを得なかった。

 

 この戦いの後、ハイラル王国は大規模な軍勢を起こすことはなかった。折り悪くゾーラ川大氾濫が起きたことで、ただでさえ逼迫していた財政は完全に破綻し、貴族たちはここぞとばかりに国王への批判を強め、父や息子を失った民は怨嗟の声を上げ、神官たちは砂漠には女神の祝福が及ばないと嘆いた。王国は噴出する内政的課題の解決に忙殺され、もはやイーガ団に関わっているどころではなかった。

 

 そんな血と涙と栄光の地を、バナーヌは駆けていた。

 

 

☆☆☆

 

 

 走る、走る、歩く。走る、走る、歩く。単調な繰り返しだった。スタミナ(がんばり)が切れないよう、短いインターバルを挟みながら、バナーヌはひたすら足を進めた。足音をまったく立てないのが、彼女が訓練されたイーガ団であることを示していた。

 

 ハイラル王国が膨大な戦費と多大な人命を投入し、ついに攻略し得なかったカルサー谷という地を、バナーヌは数時間で駆け抜けようとしていた。順調そのものだ。この(ぶん)なら、当初の予定通り、日没頃にゲルド砂漠に出ることができるだろう。彼女はそう思った。

 

 しかし、彼女にはひとつ、不快なことがあった。それは、汗だった。走っては歩き、走っては歩きを繰り返していると、すぐに彼女の体は温まり、汗が噴き出してきた。イーガ団員の装備する標準E型(いーがた)忍びスーツと忍びタイツは、静かさアップの基本的効果に加え、防寒、耐火、耐電機能がそれなりに備わっており、全状況に対応可能なまさに万能ともいえる優れモノであるが、その代償として通気性がとても悪かった。

 

 おまけにバナーヌは、やや筋肉質ではあるが、他の女団員と比較して非常に女性的な体つきをしていた。端的に言えば、彼女はグラマーだった。イーガ団の掟として、対峙する相手に性別を悟らせてはいけないというものがある。ゆえに彼女はきつくさらしを巻いて胸の大きさをごまかし、その上から忍びスーツを着ていたが、これがまた暑さに拍車をかけた。ああ、汗は胸にたまるし、熱気はこもるし。バナーヌが日中の暑さよりも夜間の寒さを選んだのはこんなところにも理由があった。

 

 バナーヌは汗疹(あせも)になるのを防ぐため、少し立ち止まって汗を拭くことにした。彼女はポーチから手拭いを取り出して、スーツの胸元を少しはだけさせようとした。

 

 その時だった。突然、轟音を立てて崖の上から巨岩が降ってきた。岩は三つあった。三つの岩はバナーヌの至近距離に落下した。落下の衝撃で、彼女の体全体が宙に浮かび上がった。濛々(もうもう)と砂埃が舞い上がり、視界が閉ざされた。

 

 バナーヌは狼狽した。いったいなにがどうなっているのか、彼女にはまるで見当がつかなかった。こんなことは今までになかったことだ。まさかこんなにアジトに近い場所で、敵の襲撃か? もしくは魔物の攻撃か? それとも時々夜空に見かける流れ星が、自分のすぐそばに落下したのか? 数瞬の間だったが、彼女の脳内には様々な考えが去来した。

 

 だが、バナーヌは非常によく訓練されたイーガ団員であった。彼女はすぐに平静さを取り戻すと、側転とバック宙を繰り返して転がってくる巨岩を回避し、首刈り刀を抜いて構え、辺りを見回した。弓矢にもすぐに手を伸ばせる体勢を、彼女はとった。

 

 ゴロゴロと三つの巨岩が転がっていった。パラパラと崖上から土埃が落ちてきた。砂埃が徐々に収まってきた。

 

 何かが動く気配がした。崖の上だ! バナーヌはすぐに二連弓に矢を(つが)え、その方向へ素早く狙いをつけた。

 

 彼女が矢を放つ寸前、崖の上から男の声がした。

 

「あっ、いけねぇ! おい、待て! 撃つな! 俺は仲間だ、仲間だよ!」

 

 どこかで聞いたことのあるような声だった。だが、正体が分からないのに「仲間だよ!」の言葉だけで気を緩める馬鹿はいない。バナーヌは弓の狙いをつけたまま、油断することなく問いかけた。

 

「合言葉。『食わぬバナナの』」

 

 声は答えた。

 

「『皮算用(かわざんよう)』! 皮算用だよ! 頼むから弓で狙うのはやめてくれ! 今、そっちに降りる!」

 

 崖から影が降ってきた。大きな影だった。巨岩と同じくらいの音と砂埃を立てて、その男は着地した。男は言った。

 

「よう、パシリのバナーヌ。俺だよ」

 

 バナーヌは冷たく言った。

 

「イワゾーか」

 

 バナーヌは弓を構えたままだった。男は慌てて口を開いた。

 

「あっ、待て! なぜまだこっちを狙い続けてる!? やめろ、やめてくれ! 悪かった、俺が悪かったよ!」

 

 男は、バナーヌが相撲大会で投げ飛ばした、あのイワゾーだった。意外な犯人の出現に、バナーヌはもしやあの時の意趣返しとして岩を落とされたのかと思ったが、イワゾーの釈明によれば事情は次の通りだった。

 

 相撲大会でバナーヌに投げ飛ばされ、コーガ様を下敷きにして気絶した後、目を覚ましたイワゾーを待っていたのはきついお仕置きだった。「いくら相手があの変人バナーヌとは言え、大男で怪力自慢たるお前がああも無様な敗北を喫するのは許せぬ。罰として一ヶ月のバナナ禁止と、単独でのカルサー谷の落石設備の補修点検を命ずる」 そのように幹部に言われたとのことだった。

 

 大のバナナ好きでバナナジャンキーであったイワゾーにとって(もっとも、バナナ好きかつバナナジャンキーであることは全団員に共通のことである)、一ヶ月のバナナ禁止令は実に落胆することだった。まだ四日目だが、すでに彼の脳内はバナナのことでいっぱいで、取るものも手につかなかった。手は震え、頭に靄がかかり、目はチカチカし、口の中にはいつの間にかヨダレがたまる……

 

 そんな上の空の状態で落石設備を点検していたら、下に人影が見えた気がした。

 

「てっきり敵だと思って、岩を落としちまったんだ。いや、冷静に考えたら、砂漠からの侵入者だったら見張り員から連絡があるはずだし、俺だって馬鹿じゃねえ、普段だったらすぐにアジトからの仲間だと気づけたはずなんだ。やっぱりバナナがな、バナナがどうしても頭にチラついて離れねえんだよ……」

 

 バナーヌは納得した。イワゾーの言葉に嘘はなさそうだった。バナナが食べられない辛さはよく知っている。しかし、それだからといってうっかりミスで危うく殺されそうになったのを簡単に許すわけにはいかない。バナーヌは無口で無表情だが、無感情ではない。彼女は言った。

 

「もう少しで死ぬところだった」

 

 バナーヌが顎をしゃくると、イワゾーは即座に土下座した。

 

「悪かったよ、悪かったよ! ほら、この通り頭を下げる! な、許してくれ! な、な、ほれこの通り、な! 頼むから、上には報告しないでくれ! これ以上罰としてバナナ抜きなんかされたら、俺死んじまうよぉおお!!」

 

 大きすぎる体を懸命に折り畳み、必死になって頭を下げ続けるイワゾーを見ているうちに、バナーヌの怒りは薄れてきた。ここらで手打ちにするとしよう。彼女は言った。

 

「二百ルピーとバナナ二十本で許してやる」

 

 イワゾーが「バナナだけはどうしても勘弁」といったので、彼女は結局五百ルピーで許してやることにした。

 

 

☆☆☆

 

 

 古代シーカー族のことわざに曰く、禍福(かふく)(あざな)える縄のごとし、と。だが、バナーヌとしてはそうは思えなかった。良いことはだいたい連続して起こるものだし、悪いことは良いこと以上に連続して起こるものだという考えを彼女は持っていた。

 

 今回の件にしてもそうだった。納得のできない謹慎を三日間、景品のバナナの没収、どう考えても一人の手には余る任務、しょぼい装備、そしてイワゾーのうっかり落石事故……悪いことが連続しているではないか。

 

 だから、カルサー谷を抜けた後も、砂漠で何か悪いことが起こるのではないかと、バナーヌは危惧していた。ゲルド族の哨戒部隊に見つかるようなヘマはしないが、砂嵐に見舞われたり、エレキースの大群に遭遇したり、リザルフォスに囲まれたり、そういう不幸が襲ってくるのではないか……彼女は油断なく身構えていた。

 

 だが、彼女の案に相違して、そういうことにはまったくならなかった。道中、三、四匹のリザルフォスと遭遇してそれらをあっさりと倒し、強化リザルブーメランを一つ分捕ったくらいしか目立った出来事はなく、彼女は実にあっさりと砂漠を抜けてしまった。

 

 バナーヌは、拍子抜けした。なんだか運命に自分の哲学を笑われた気がして、彼女は少しだけ腹が立った。本当なら、不幸な目に遭わなかったことを喜ぶべきなのに……

 

 夜の砂漠の冷たい風が彼女の頬をなでた。無数の星々とひときわ明るい月の光が、彼女の金色の髪を冷たく照らしていた。

 

 今、バナーヌはゲルド砂漠の入り口、ゲルドキャニオン馬宿付近、崖上の祠の近くにいた。もう一時間もせずに夜明けだった。日が昇ったら馬宿にいる連絡員に会いにいこうと彼女は思った。さすがに夜中に若い女が一人で馬宿を訪ねるのは怪しすぎる。

 

 バナーヌは、ふと何となくかたわらの祠の黒い外壁をなでた。ヒンヤリとしていて気持ち良い。そういえば、この祠は、古代シーカー族が勇者の試練のために建立したものであるという。涙目の紋様が刻まれた台座があることからもそのことがうかがえた。

 

 いつかの座学の際、教官は言った。

 

「愚かにも魔王様に逆らう憎き勇者のための施設など完全に破壊して然るべきなのであるが、祠は謎の素材でできていて、どれだけ岩をぶつけても凹まず、どれだけ火薬を積んでも燃えず、どれほどの手練(てだれ)が刀で斬りつけても傷一つつかず、結局放置するほかない。ただ、長い年月の間、一度でも祠が開いたという話は聞いたことはなく、おそらく建てたは良いが内部の燃料なり何なりのエネルギーが切れて機能を停止しているのではないか……」

 

 教官は得意げに自説を披露(ひろう)していたが、バナーヌとしては、そんなことはどうでも良かった。座学は厳しい戦闘訓練の後に行われていたので、疲労困憊の子どもたちはいつも座ったまま意識を夢の世界に旅立たせていた。バナーヌもその例に漏れなかった。彼女はみんなに混ざって、貴重な睡眠を(むさぼ)ったものだった。

 

 戦闘訓練の場合は、サボったり怠けたりしたら死を覚悟しなければならないほどの折檻が加えられた。だが座学の場合は、教官は本の虫で目が悪く、話すのは好きだったがさほど教育熱心というわけではなかったので、子どもたちは心置きなく眠ることができたのだった。祠の話は、珍しくバナーヌが起きていて、かつこれまた珍しく、真面目に話を聞いていたから覚えていたものだった。

 

 だから、バナーヌがここに来たのは祠に興味があったからではなかった。ここは高い崖の上にあって馬宿からは視界が切れ、本道から道は通じているが急勾配のため、一般人はあまり寄り付かなかった。つまり、休憩場所として絶好の場であった。だから彼女はここに来たのだった。それに、この時間帯ならばなおさら人は来ないだろうと彼女には思われた。

 

 バナーヌはポーチを開いて、清潔な布で丁寧に包まれた食物を取り出した。中身は焼きトリ肉とビリビリフルーツだった。別れ際にノチが持たせてくれたものだった。バナーヌは一口一口を味わって食べた。誰も一緒ではない、ただ一人の食事なのだから特技の早食いでパッと食べてしまっても良いのだが、友達の心尽くしの食べ物をそんなふうに食べてしまうのは彼女には躊躇(ためら)われた。

 

 革袋の水筒の水を飲み干して食事を終えたバナーヌは、少し横になって食休みをした。そして、彼女はおもむろに立ち上がると、忍びスーツを脱ぎ始めた。

 

 別に彼女に露出癖があるわけではない。実は、彼女がこの祠に来たのには、もう一つ理由があった。それは、ここには湧き水が水たまりを作っているからであった。彼女の体は汗ばんでいた。質実剛健を旨とするイーガ団員(その割にコーガ様はあまりに贅沢三昧が過ぎるが)として教育を受けてはいても、バナーヌは一人の女性であった。彼女はできることならば一日に一回は何らかの形で入浴したいのだった。

 

 バナーヌは標準E型忍びスーツを脱いだ。次に彼女は忍びタイツを脱いだ。彼女はさらしと下着だけの姿になった。それも彼女は脱ぎ去った。星明かりに、彼女の筋肉質だが豊満な白い肢体がわずかに照らされた。

 

 彼女は手拭いを水に浸し、体を拭いていった。気温は低かったが、そこは祠が壁になっているおかげで風は当たらなかった。彼女は気になっていた胸の谷間を入念に拭き、腰のあたりを拭き、その他色々な部分を拭いた。彼女は砂埃で汚れた顔を洗った。

 

 一連の作業が終わると、バナーヌは水たまりに仰向けに横たわって全身を浸した。無論、彼女は首刈り刀を手放さなかった。髪が濡れるが、どうせもうじき日の出だ。軽く拭いておけば勝手に乾くだろう。彼女はそう思った。全身がひんやりとして、夜通し駆けてきた体の熱が急速に冷めていくのが彼女には分かった。

 

 彼女は目を閉じて、この快い感触をじっくりと楽しんだ。小さな水たまりと、小さな手拭いしかないが、これはこれで良いものだ。アジトでの週に四回の入浴(前の総長までは毎日入浴できたのだが、コーガ様の代になってからは経費削減として減らされた)は、時間も短いし窮屈でとても楽しめるものではない。初めてオルディン地方にパシリとして派遣された時、この世に温泉というものがあることを知ったが、結局入らずじまいだった。それから、へブラ地方にはサウナという蒸し風呂があるらしい。なんでも蒸気で満たされた浴室で体を熱して汗をかき、岩塩を肌に擦り付け、その後氷の浮かぶ湖にダイブして汗を流すのだとか。どう考えても拷問の一種だとしか思えない……

 

 色々と、とりとめのない考えをめぐらせているうちに、バナーヌの意識は眠りの世界へと落ちつつあった。頭の片隅ではこのまま寝ては風邪をひくかもしれないと彼女は思っていた。だが、まどろみがどうしようもなく気持ちよくて、彼女はどうしても起き上がることができなかった。

 

 だが、それもそこまでだった。突然、彼女の頭上で何かが動く気配がした。何か声もしたようだった。パラパラと土くれと石ころが落ちてきた。

 

 そして、その次の瞬間だった。

 

「うおおおっ!!」

 

 崖上から、何かが絶叫しながら落ちてきた。それは盛大な水しぶきを立てて、水たまりに落下した。落ちたところは、バナーヌの至近距離だった。一連の出来事は瞬く間に起こったため、ウトウトとしていたバナーヌとしてはただ咄嗟(とっさ)上体(じょうたい)を起こして、首刈り刀を構えることしかできなかった。

 

 苦しげな声が響いた。それは男の声だった。

 

「ごぼごぼ、がぼごぼ、がはっ! ぺっ、ぺっ! あー、畜生(チクショウ)、死ぬかと思ったぜって……? えっ?」

 

 水たまりから立ち上がったのは、歳を取った男だった。バナーヌは即座に足払いをかけて男を水たまりに顔面から叩きつけた。それと同時に、彼女は男の右手をとって捻り上げ、背中に全体重をかけてのしかかり、首元に首刈り刀をかけた。それはイーガ団流格闘術「ジョ・ノクチ」のひとつ、「アツ・セイ」であった。彼女はこれだけの動きに、わずかにゴーゴーガエルが一回ジャンプするだけの時間しかかけなかった。

 

 男は苦痛で叫んだ。

 

「がはっ、ぐほっ! おぇっ! いて、いてててっ!! なんだなんだ、なにがいったい、なんだこれっ!? いてててっ!!」

 

 全裸のバナーヌが冷たく言った。

 

「黙れ」

 

 バナーヌの声には殺気が込められていた。男はさきほどまでとは別種の悲鳴を上げた。

 

「ひっ!? 黙る、黙るから! 右手だけははなしてくれ、いたすぎる!」

 

 バナーヌはまた冷たく言った。

 

「黙れ」

 

 男は答えた。

 

「はい」

 

 喉元に突きつけられているモノが冷たい刃物だということに気づいたのであろうか、騒いでいた男は途端に大人しくなった。バナーヌは言った。

 

「質問に答えろ。名は?」

 

 男はうわずった声で答えた。

 

「ピ、ピルエだ」

 

 バナーヌは言った。

 

「職業は?」

 

 ピルエは答えた。

 

「う、馬宿の店員だ。下のゲルドキャニオン馬宿で働いている」

 

 そこまで聞くとバナーヌは、制圧されて痛みに悶えるこの男のことを思い出すことができた。ピルエという老年に差し掛かった男が、ゲルドキャニオンの馬宿で働いているのを確かに彼女は知っていた。男はちょっと悪そうな雰囲気を漂わせていて、行商人や旅人にやたらとキノコについて尋ねていた。一般人のふりをして馬宿を利用したバナーヌにも、男は職務そっちのけで「なぁ、姉ちゃん、ゴーゴーダケを持ってないか? ゴーゴーガエルじゃねえ、ゴーゴーダケだ。なんだ、持ってねぇのか……」と、勝手に質問し勝手に落胆し勝手に去っていった。

 

 バナーヌはまた言った。

 

「ここで何をしていた?」

 

 ピルエと名乗る男は言い淀んだ。

 

「そ、それは……」

 

 バナーヌはその右手を更に強く捻り上げた。

 

「言え」

 

 男は悲鳴を上げた。

 

「いでででで! いう、言う! ゴーゴーダケ、ゴーゴーダケを探していたんだ!」

 

 痛みと恐怖でピルエは勝手に話し始めた。小さい頃からゴーゴーダケが好きだったこと。ゴーゴーダケから得られるスピード感がたまらないこと。嫌なことがあった時はゴーゴーダケをやけ食いすると気分が晴れたこと。次第に食べる量が増えてきたこと。給料の大半はゴーゴーダケの購入に費やしたし、それでも足りないので休み時間などに暇を見つけては自生しているゴーゴーダケを探していたこと……

 

 ピルエは話し続けた。

 

「だけどなぁ、こないだ配属された新人が妙に生真面目なやつで、協会本部に俺のことを密告(チンコロ)しやがったんだ。俺が職務怠慢のゴーゴーダケジャンキーだってな。おかげで給料は減らされるし、昼間は監視が厳しくなって、職場から抜け出すこともできなくなっちまった。仕方ねぇからみんなが寝静まった夜中にコッソリ抜け出してゴーゴーダケを探してたんだ。そしたら崖から足を滑らせてこの有様さ」

 

 話を聞いているうちに、だんだんバナーヌは疲れてきてしまった。悪いことには悪いことが続く。やはり自分の哲学は正しかったのだ。ゴーゴーダケジャンキーの爺さんのおかげでつかの間の休息を台無しにされるなど、歩行型ガーディアン襲来並の不幸だ。幸か不幸かこちらの姿は見られてないようだが、もし裸を見られていたら飛行型ガーディアン飛来級の不幸だった……

 

 背中の上の存在がわずかに殺気を緩めたのを感じたのだろうか、ピルエが話しかけてきた。

 

「ところで姉ちゃん」

 

 バナーヌは答えた。

 

「何?」

 

 ピルエは言った。

 

「でっかくて良いおっぱいしてんな、へへ」

 

 バナーヌは渾身の力でピルエを殴り倒した。やっぱり裸を見られていた。気絶したピルエを後目(しりめ)に、バナーヌは手早く体を拭いた。彼女は下着を履くとさらしを胸に巻き、スーツとタイツを着た。彼女は装備を身に着けると、髪を編み直し、忘れ物がないか確認した。そのあと、彼女はもう一度ピルエの側に寄って、脇腹に蹴りを一発くれてやった。

 

 任務を終えたら、バナナをやけ食いしてやる。

 

 昇りかけた赤い太陽に、バナーヌは固く誓った。




 私はゴーゴーガエル派です。

※加筆修正を行いました。(2022/05/25/水)
※さらに加筆修正をしました。(2023/05/06/土)
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