ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第四十一話 乱戦

 ダンスは歴史を動かすことができるのか。このことに関して、手がかりを与えてくれる伝承が残されている。

 

 それは、他種族と比較して文字と書物という記録媒体をさほど重視しないゴロン族の中にあって、一万年以上前の太古の昔より今日に至るまで伝えられている。

 

 伝承はゴロンの族長とハイリア人の少年について語っている。ゴロン族はデスマウンテンに住み、岩を食し、岩をくり抜いて住居とし、バクダン花を栽培して生活していた。彼らの生活は穏やかで平和だった。しかし、彼らはハイラル王国とはやや疎遠の仲であった。中でもゴロンの族長ダルニアはハイリア人に対して嫌悪感とまではいかないまでも、多少の不信感を持っていた。それは当時、ハイリア人が内戦に次ぐ内戦を繰り返しており、同族間での殺し合いで大地を血で汚していたからであった。「キョーダイ同士で殺し合いをするやつらなんで信用できないゴロ」というわけであった。

 

 ゴロン族の外交方針は「平和主義」という言葉ではっきり規定されるほどのものではなかった。それでも、とにかく族長ダルニアは戦争に明け暮れるハイリア人に対して、たとえそれが王家の使いであっても冷淡な態度をとっていた。彼は他種族の戦争に加担することを避けていた。無論これには、黒き砂漠の民によって彼らの食糧供給地であるドドンゴの洞窟が封鎖され、一族が食糧難に喘いでいる現状に彼が苛立っていたことも関係していただろう。

 

 ともあれ、巨岩の如く頑なな態度をとり続けるダルニアのもとに、ある日、一人の少年が王家の使者として訪ねてきた。緑の帽子と緑の服を着た少年は、優しい春の日差しのような柔らかな金髪をしていた。その青い目は可愛らしくも(りん)としたものであった。彼は青い燐光を放つ妖精と共にあった。その所作は、その年齢の子どもらしくどこか落ち着きのないものではあったが、それでも礼を失することはなかった。

 

 少年は誇り高きゴロンの族長ダルニアと対面し、要求を伝えた。当初、ダルニアが態度を改めることはなかった。むしろ「子どもを使者として寄越すとはハイラル王家はゴロン族を愚弄しているのか」と怒ったという。

 

 このままでは交渉どころではなかった。しかし少年は、弁明するでも逃げ帰るでもなく、おもむろにその懐から白く小さなオカリナを取り出した。少年は族長の前でオカリナの演奏を始めた。その音楽は軽快で、緑の生命力に溢れつつもしかし幾分かの寂しさを感じさせる、森の民の歌であったと伝えられている。

 

 音楽を聞いたダルニアは、自然と踊り出していた。彼は手を振り足を振り、全身を激しく揺り動かし、しかめ面だった顔を歓喜で満たした。少年の演奏に合わせて彼は満身でリズムを刻んだ。少年が連れていた妖精も二人のまわりをくるくると舞い踊り、美しい鱗粉を振りまいた。

 

 演奏もダンスも、そう長かったとは思えない。せいぜい半時間にも満たなかっただろう。それでも、その短い演奏の間に族長ダルニアの中で熱いビートが波打ち始めていた。やがて演奏が終わった時には、彼の冷え固まった溶岩のようなわだかまりは溶けて消えていた。

 

 かくしてダルニアは少年に心を開いた。また彼は、少年がドドンゴの洞窟を解放した後には、その勇気と豪胆とゴロン族への献身を讃えて少年を「キョーダイ」とまで呼んだ。さらには、その後に生まれた自分の息子に少年と同じ名前までつけたと伝えられている。その後のゴロン族がハイリア人に対して友好的な態度をとるようになったのは言うまでもないだろう。

 

 この伝承が象徴するように、ダンスこそは、種族の文化の精髄にして精華である。それは千軍万馬の大軍よりも、あるいは山のように積み上げられた色とりどりのルピーよりも強い力であり、財宝だった。

 

 実際、ハイラルに住まうすべての種族が、何らかの形でこのダンスという力と財宝を有している。例えばゾーラ族の王家の婚礼は、水中舞踊によって執り行われるのが伝統となっている。王女は自らの白いウロコを編み込んだゾーラの鎧を婚約者に贈り、婚約者はそれを着用する。結婚する二人は神父に誓約をしてから水中に入り、手を取り合いながら水中で優雅にダンスをし、最後には大きな滝を共に登る。滝登りは「これから二人を待ち受ける大きな困難すらも共に乗り越える」ということの象徴である。婚礼は再度の水中舞踊によって締めくくられる。

 

 またリト族は、元来詩歌(しいか)管弦(かんげん)に長けた種族であるが、彼らもまたダンスをする。戦士が一人前として認められる儀式の一環として、彼らは緊密な編隊を組み、そして編隊のままで空中を際どくも美しい軌跡を描いて飛行する。彼らはこれを単に「ダンス」と呼んでいるが、また他にも「ダンス」がある。それは求婚の作法に関するもので、男性女性を問わず求婚者はそれぞれの家に伝えられている舞いを空中にて披露する。あるハイリア人の著述家によれば、それは「王宮で催される舞踏会よりも素朴で、質素であるが、天空を駆ける種族としての誇りと生命力に溢れ、なにより愛情に満ちている」ものであるという。

 

 ゲルド族は(うたげ)の席にて、主催者自らが(つるぎ)の舞を披露することを最高のもてなしとしている。百年前のゲルドの英傑ウルボザは特にこの道に長じていたと伝えられている。また、シーカー族にも収穫の豊穣を祈念する伝統舞踊が存在する。開放的な木組みの舞台が特別に用意され、その上で若い娘が仮面をつけて、囃子(はやし)を供として荘重な舞いを披露する。

 

 このように、ハイリア人に限らずあらゆる種族がダンスという文化を有している。ゾーラ族においては婚礼の一様式であり、リト族においては通過儀礼であったりと、それぞれの種族のダンスはその内容と形式において違いはあるが、ダンスが各種族の伝統と同一性を保つ上での文化的コードという役目を果たしていることは共通している。

 

 では、魔物はどうであろうか? あの凶悪、蒙昧(もうあく)猛悪(もうあく)の権化、貪婪(どんらん)で醜怪な魔の一族は、我々のようなダンスという文化を有するのであろうか?

 

 魔物たちもそれを有している。ある研究者は魔物の生態を研究するため、ハイラル各地のボコブリンやリザルフォスの小拠点に潜入し、魔物の一日の行動を事細かに観察した。その調査の結果、「ボコブリンには明確にダンスと呼び得る行動様式があることが判明した」という。

 

 ボコブリンは狩りで獲物を得たあと、それを焚き火に掛けてワイルドに直火焼きをする。魔物たちはその収穫を祝うかのように火を囲んで一斉に踊り出すとその研究者は言う。また、川辺に棲むリザルフォスたちは漁を行う前と後で仲間と一緒に奇声を上げつつダンスのように身体を上下させ、気力を湧きたたせ、喜びの感情を露わにするともいう。

 

 このように見てみると、我々の種族であれ、または魔物であれ、あらゆる生命体は何らかの形でダンスをするものである、とまとめることができるかもしれない。

 

 だが惜しいかな、他種族はいざ知らず、ハイリア人のダンスの文化は今やこの大地と同じく滅亡の危機に瀕している。少なくとも、王宮の大広間で毎月催されていた舞踏会という伝統は、とうの昔に歴史の地層に埋もれてしまっている。かつての村々や集落でのカーニバルには、職業的なダンサーの一団が欠かせないものであった。村人たち自身もカーニバルにおいては時間を忘れて一日中踊り明かしたものだった。それも今では見る影もない。ダンスどころか、そもそもカーニバルそのものも祝われなくなってしまった。僅かにウオトリー村には大漁祈願と大漁感謝のダンスが存在するが、それも現在では後継者不足に喘いでいると伝えられている。

 

 ダンスとは、動作を用いて、その身体に秘められた生命力を表現する形式である。そうであるならば、ハイリア人からダンスが消え果ている今の状況とはまさしく、このハイラルから生命力が失われつつあることの証明ではないだろうか?

 

 もし、このハイラルに救いの導き手が降臨して、王城を取り囲むあの赤黒い怨念の密雲を払ったとしても、ハイリア人にダンスが戻ってくるまでは真に我々が復興を果たしたとは言えないのかもしれない。恐怖もなく、憂いもなく、焦燥感もなく、あたかもかの族長ダルニアが無邪気に少年の奏でる森の民の歌に身を任せたように、人々が歓喜の表情を顔に浮かべて、愛する者と手を取り合って踊り狂う。そういう光景を見ることができて初めて、我々は救われたのだと、我々は再生を果たしたのだと、胸を張って言うことができるのかもしれない。

 

 そして逆に、魔物が焼きケモノ肉を前にして踊り狂っている限り、また、厄災と魔王に忠誠を誓っている者たちが、そう、人々を恐怖と猜疑の渦に叩き落し、大地の恵みを不当にも収奪する者たちが、今はこの世の栄華を極めたと言わんばかりに、山盛りに盛り上げたツルギバナナを前にして踊り狂っている限り、このハイラルに真の平和と生命の歓びは絶対に戻ってこない。

 

 二つのダンスのうち、どちらかが必ず滅びる。その時はきっと近いうちにやってくるだろう。

 

 そして今、アラフラ平原にて、一人の若い女が邪悪なダンスのまさに最初のステップを踏みつつあった。

 

 ダンスが歴史を動かすことはないかもしれない。だが、少なくとも戦場は動かし得る。彼女はそう信じているかのようである。

 

 

☆☆☆

 

 

 モモンジの身体へ、無数の冷たい雨粒が刺さるように降り注いでいた。草原の冷涼な風はもはや寒風といってもよかった。油性の顔料で紋様を描いた彼女の肌に、寒風は容赦なく吹きつけた。

 

 だが、そのようなことは彼女にとっては些事(さじ)であった。彼女は精神を集中させていた。

 

 今、彼女は高原の馬宿のすぐ近くの草むらに身を隠していた。ここからは見えないが、彼女から少し距離を置いた左右にはテッポとバナーヌが伏せているはずだった。二人ともモモンジが踊り出して、奥義「ムシ・ゴウロ」が発動されるのを待っていた。

 

 モモンジは、顔に装着した重い「オド・ルワの亡骸」を再度(かぶ)り直した。ギザギザに刻まれた口の部分から彼女の白い息が漏れていた。気温は相当下がっているようだった。

 

 決戦の前だというのに、彼女は奇妙に落ち着いた気持ちになっていた。彼女はその心の奥底で、あるイメージを見つめていた。それが彼女に安心感をもたらしていた。

 

 それは、彼女の亡き父のイメージだった。厳しくも優しく、無口でぶっきらぼうだが、愛情に溢れていた父、全身にびっしりと刺青をした密林仮面剣法の先代にしてたった一人の師匠、たった一人の肉親、大好きだった父のイメージ……今回の作戦のためには父のイメージではなく、ガンバリバチのイメージを思い浮かべなければならなかった。モモンジはそれを分かっていたが、彼女の脳裏に浮かぶのは父のことばかりだった。

 

 ふと、モモンジはある出来事を思い出した。それは彼女がまだ幼児を脱したばかりの頃、ようやく木刀が持てるようになった頃のことだった。彼女が父から剣の稽古をつけてもらうようになってからほどなくして、その出来事は起こった。

 

 その日モモンジは、「ひたすら樹海の樹々を木刀で叩いて回れ」と父から言われた。彼女は持ち前の明るさと元気の良さを発揮して、忠実にそれに取り組んだ。密林仮面剣法の要諦(ようてい)は変幻自在の太刀筋にある。それは迷路のように入り組んだ樹海を走り回りつつ、剣をあたかも腕の延長のようにして木々を叩いて回ることで鍛えられる。そのように彼女は父から言われた。

 

 彼女が森の中を走り回っている間、父の姿は見えなかった。だが、父はどこかに隠れて彼女の様子を窺っているようだった。それはいつものことだった。彼女が川に落ちそうになればどこからともなく父は現れて拾い上げ、リザルフォスが彼女の目の前に現れれば、父はどこかから出てきて瞬時に斬り倒す。父は言葉数の少ない人であったが、その行動によって娘に対する愛情の深さを表現する人であった。 

 

 猿のような、あるいは極楽鳥のような、そんな奇声を発しつつ、モモンジは折れよとばかりに木刀を樹の肌に叩きつけて回っていた。半時間ほどして、彼女はようやく疲れてきた。それでも隠れている父から「やめ」の声はかからなかった。彼女は愚直に稽古を続けた。

 

 さらに半時間が経った頃には、もうモモンジは疲労困憊していた。そんな状態だったからだろうか、幼いとはいえ普段ならば絶対にやらないようなミスを彼女は犯してしまった。

 

 彼女は、ヤシの実ほどに大きい、特大のガンバリバチの巣がぶら下がっている樹を叩いてしまった。

 

 ボトリ、という嫌な音がした時には、モモンジの眼前に怒り狂ったハチの大群が殺到していた。ガンバリバチの毒と針はボコブリンすらも葬り去る威力がある。即座に逃げ出さなければ、幼い彼女の命は危うかった。モモンジの眼前に黄と黒の毒々しい体色のハチが迫った。ハチたちは鈍い音を立てて羽ばたいていた。ハチたちはわきわきと脚を動かしていた。複眼が輝き、鋭い針が光っていた。

 

 しかし、彼女の足は動かなかった。目の前で起きた突発的に起こった事態にうまく対処できないのは、彼女の持って生まれた性質だった。

 

 あと数瞬もすれば、モモンジはガンバリバチに真っ黒にたかられてしまっただろう。だがその時、何か大きな影がサッと彼女の傍らへ降ってきた。その影は、(かし)の木よりも固く(たくま)しい両腕でモモンジを抱きかかえた。影はモモンジと共に一目散にその場から駆け出した。

 

 モモンジは叫んだ。

 

「お父さんっ!」

 

 父は短く言った。

 

「喋るな、舌を噛むぞ」

 

 モモンジと父はしばらく走った。だが、父はこのままでは逃げ切れないと悟ったようだった。父は朽ちかけた大樹の根元に出来た穴にモモンジを押し込むと、その前に立ちはだかった。そして父は、小刀を振り回してガンバリバチを撃退し始めた。

 

 物の数分で父とハチとの戦いは終わった。だが、モモンジにはその短い時間が永遠のように感じられた。父の「もう出てきて良いぞ」という言葉を聞いて、彼女は恐る恐る外へ這い出てきた。

 

 彼女が見たのは、ボコボコに腫れあがった父の顔面だった。

 

 モモンジの両目から涙が溢れ出した。彼女は父に抱きついて泣いた。

 

「お父さん、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 そんな娘の背中を優しく撫でながら、父はなんということはないように言った。

 

「これでガンバリバチの恐ろしさが分かっただろう。密林で警戒すべき敵はリザルフォスやエレキースだけではない。ハチに限らず、毒虫やヒルも脅威となり得る。帰ったら図鑑を開いて復習をしておくように」

 

 そして、滅多にないことに、その腫れあがった顔に微笑を浮かべて言った。

 

「無事で良かった」

 

 あの時の父の表情と言葉を思い出したモモンジの意識は今、草原に戻った。彼女の精神の内奥で、抱くべきイメージが音を立てて固まった。モモンジは叫んだ。

 

「よし、いける!」

 

 モモンジは立ち上がった。その右手には抜刀した風斬り刀があった。しかし左手は脱力して、ぶらりとさげられていた。彼女は気合いの声を上げた。

 

「はぁああっ!」

 

 気合いを入れつつ、彼女は両足を上下させる。出来の悪い操り人形が、不慣れな操り手によって踊らされるように、モモンジは奇妙でいびつなステップを刻み始めた。彼女は奇怪な叫び声を発した。

 

「イヤンホィッ!! イヤンホィッ!!」

 

 次に彼女は刀を持っている右手と何も持っていない左手を振り上げた。彼女は上体を大きく後方へと逸らし、全身を小刻みに揺らし始めた。彼女の豊満な胸がふるふると震えた。だが、彼女はもはやそれを気にしていなかった。

 

 そしてモモンジは、歌うような嘆くような、曰く形容しがたい、まるで密林の闇の中から魑魅魍魎(ちみもうりょう)が呼びかけるような声を、アラフラ平原全体に響くような大音量で叫び出した。

 

「ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!!」

 

 ここに至って、魔物たちも異変に気付いたようだった。魔物たちは一斉にその頭の上に「?」マークを浮かべたような顔をして、モモンジのほうを窺っていた。中には、はやくもそれが敵だと気付いて、武器を取りに駆け出していく者もいた。

 

 でも、もう遅いわ! モモンジは内心ほくそ笑んだ。奥義は発動した! さあ、喰らいなさい! 彼女はなおも叫び続けた。

 

「ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!!」

 

 モモンジの背後から、ガンバリバチの大群がどこからともなく一斉に出現した。ハチたちは魔物の群れへ向かって突進を始めた。

 

 それと同時に、彼女の両脇から先鋭なシルエットが二つ、音もなく飛び出した。

 

 左側の小さな影は涙目の逆さ紋様が刻まれた白い仮面を被っており、その手には首刈り刀を持っていた。それはテッポだった。テッポが叫んだ。

 

「行くわ、モモンジ! 『オド・ルワの饗宴(きょうえん)』の始まりよ!」

 

 モモンジは口にガンバリバチのハチミツアメを放り込んだ。失われつつあった彼女のスタミナ(がんばり)が即座に回復した。彼女はアメを舐めながら叫んだ。

 

「もごもご……ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!!」

 

 モモンジによって、続々とガンバリバチの大群が召喚された。ハチミツアメが無くなり、そのスタミナ(がんばり)が尽きるまでモモンジは奥義「ムシ・ゴウロ」を続けなければならなかった。それが完全なる勝利へと至るための大前提であった。

 

 でも、やっぱり……モモンジは思った。やっぱりこれ、すごく恥ずかしいなぁ……

 

 

☆☆☆

 

 

 戦闘が始まった。 

 

 テッポと同時にマックストカゲの疾走の如く駆け出したバナーヌは、首刈り刀を正面に突き出しつつ魔物の群れの只中(ただなか)に突入した。彼女はさっと一瞥して状況を確認した。

 

 周囲の魔物たちは大混乱に陥っていた。魔物たちは地面に置いた武器も手に取らず、そこここに放し飼いにしている馬たちに跨ることもなかった。魔物たちは逃げ惑っていた。中には、一体何が起こっているのか判断もつかないままに、ぼんやりと成り行きを眺めているものもいた。

 

 いまだ召喚される数が少ないため、三十匹にも及ぶ魔物たちすべてを覆い尽くすほどにはガンバリバチは戦場に出ていなかった。だが、それも時間の問題だろう。バナーヌはそう思った。

 

 すでに、ハチにたかられて腰を抜かした赤ボコブリンの二匹が、針によって刺されるがままになっているのがバナーヌの視界に入った。数分もしないうちにあれらの生命は断たれるだろう。以前読んだ本では、ガンバリバチの毒はボコブリンに対して、どういう仕組かは分からないが即効性があるとのことだった……彼女は走りつつ軽く頷いた。

 

 仲間が凄惨な目に遭っているのを呆然と眺めている三匹の赤ボコブリンがいた。そこへ、ぬばたまの黒髪の美しいテッポが、ナミバトに襲い掛かるシマオタカのような勢いで突進し、通り抜けざまに一匹の首へ鋭く斬りつけた。テッポの殺気のこもった声が響いた。

 

「そこっ!」

 

 悲鳴を上げて魔物は倒れた。しかしテッポは、立ち止まってトドメを刺すようなことはしなかった。テッポはそのまま駆け抜けて、別の赤ボコブリンの群れへと迫っていった。残った二匹はやっと気付いたようにテッポの方へ顔を向けたが、次の瞬間襲い掛かってきた別のハチの群れに追われて、醜悪な叫び声を発しつつ逃げ惑い始めた。

 

 よし、作戦通りにやってくれている。手近な一匹の青ボコブリンを無造作に斬り捨てながら、バナーヌはそう思った。

 

 モモンジが奥義「ムシ・ゴウロ」でガンバリバチを召喚し、その混乱に乗じてバナーヌとテッポが全速力で敵に突入する。バナーヌは(あらかじ)め、攻撃目標を分担しておいた。

 

 テッポは体格が小さく膂力(りょりょく)も弱い。ゆえに彼女の攻撃目標は赤ボコブリンに限定する。数日前に初陣を迎え、いまだ実戦経験では不足しているテッポだが、これまでの旅路で赤ボコブリン程度ならば苦も無く倒せる技量にまでは成長している。そのようにバナーヌは見ていた。なにしろテッポは幹部の父から徹底的な英才教育を受けた身であるし、生まれついての才能にも非常に恵まれている。たとえ悪天候で爆弾が使えなくとも、テッポは首刈り刀で敵を倒すことができるだろう。

 

 それでも三十匹に及ぶ敵勢のうち、赤ボコブリンはおよそ三分の二を占めている。ガンバリバチの援護があるとはいえ、足を止めていたら即座に敵に囲まれてしまう。バナーヌはテッポに、一撃離脱に徹するように指示しておいた。一撃を加えて即座にその場から離脱し、一匹ずつ確実に赤ボコブリンを始末する。それを繰り返して数を減らす。それがテッポの使命だった。

 

 一方のバナーヌは、五匹の青ボコブリン、五匹の黒ボコブリン、そして一匹の白銀ボコブリンを担当することになった。テッポが雑魚の赤ボコブリンの数を減らしてくれている間に、バナーヌもまたテッポと同じく一撃離脱に徹して、なるべくその場に留まらないように立ち回りながら、赤ボコブリンより遥かに体力と攻撃力で優越する敵十一匹と戦う。難しい戦闘になりそうだった。それでも彼女は怯まなかった。どうにかなる。彼女はそう思った。これまでもどうにかなると思ってやってきたし、それでどうにかならなかったことはなかった。

 

「ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!! ヨッセハーイ!!」

 

 バナーヌの後方からモモンジの声が聞こえてきた。どうやら、まだまだガンバリバチの数は増えそうだった。すでに馬宿周辺には、雨音を掻き消すくらいのハチの羽音が充満していた。

 

 そのハチの一群が馬宿の内部へ侵入していくのを、バナーヌは見た。おそらく内部では魔物たちと同じく、ジューザたちが恐慌状態に陥っているだろう。これも作戦通りだった。

 

 バナーヌは甘い考えを持っていなかった。彼女は、「いくらマックスサザエのように閉じこもっている連中でも外で大々的に戦闘が起こったならば加勢に来るだろう」などという楽観的な予想は立てていなかった。連中の(ケツ)を蹴り上げるには、何か物理的な手段と圧力が必要だと彼女は考えた。ガンバリバチならば、その点においてまさに適任であった。ガンバリバチを送り込んで、それで連中の(ケツ)を刺す。馬宿内から出てこないならば、馬宿内にいられないようにしてやれば良いのだ。

 

 それでもなお出てこないならば、それでも良いとバナーヌは思っていた。元々、彼女たちは加勢を計算に入れないで作戦を立てた。もちろん、連中が加勢に出てくるのならば戦闘は多少楽になる。だが、出てこなくても自分たちが魔物を殲滅するのには変わりない……彼女は表情をさらに引き締めた。

 

 そう、今は勝つこと、殲滅することが重要だ! 一匹残らず魔物は皆殺しにしなければならない!

 

 バナーヌがかく考えて、走り回り、敵を斬り伏せているうちに、いつの間にか彼女の目の前には兵士の剣と盾を持った黒ボコブリンがいた。魔物は逃げることなくガンバリバチに立ち向かっていた。魔物は盾でハチの突進を防ぎ、剣をまるで子どものチャンバラごっこのように振り回して、必死になって天敵(ガンバリバチ)の猛撃を凌いでいた。

 

 バナーヌは短く掛け声を発した。

 

「ふっ!」

 

 バナーヌは魔物の背後をとると首刈り刀を振るい、首筋へふいうちを喰らわせた。研ぎ澄まされた殺意による一撃は容易に敵の太い頸椎(けいつい)を切断した。魔物は声もなく地面にくずおれた。

 

 次の瞬間、鍛え抜かれた彼女の戦闘技術と天性のセンスが、自然と彼女の身を屈ませた。彼女の頭上を何かが飛び越えていった。魔物の叫びが聞こえた。

 

「ブギィイイッ!」

 

 それは別の黒ボコブリンだった。その手には何も持っていなかった。魔物は素手だった。魔物は仲間の背後にニンゲンが近寄るのを見つけて、ガンバリバチに襲われる危険も顧みずに徒手空拳で飛び掛かってきたのだった。

 

 その勇敢な仲間思いの黒ボコブリンはバナーヌに攻撃を(かわさ)されると、勢い余って地面に突っ込んだ。魔物は豚鼻を地面にめり込ませた。しかし、魔物はすぐに両腕に力を入れて跳ね起きた。魔物は、仲間の仇を討とうとその獰猛に赤く光る目を周囲に走らせた。

 

 魔物は右を向いた。ニンゲンはいなかった。魔物は左を向いた。ガンバリバチの群れがいた。

 

 瞬時に、魔物はガンバリバチにたかられた。数秒も経たずして、魔物の体に無数の毒針が刺突され、大量の毒液が注入された。魔物の意識は朦朧となった。

 

 ふらつく魔物の首筋が、背後から断たれた。今度もまた、バナーヌがふいうちでそれを仕留めたのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 雨のアラフラ平原には突風が吹くようになっていた。その強い風の中で、半裸になったモモンジは踊り続けていた。モモンジの奇声が響くたびに、ガンバリバチの大群が召喚された。羽音を立ててハチたちは飛び、飛ぶたびにボコブリンの悲鳴が響いた。テッポの短い掛け声が聞こえた。剣戟(けんげき)が閃いた。馬が嘶いていた。

 

 まだ、作戦開始から僅かに十分も経過していなかった。だが敵は、その数を急速に減らしつつあった。バナーヌとテッポは縦横無尽に敵陣内を走り回っていた。彼女たちは必殺の一撃を加えては離脱し、また接敵し、一撃を加えていった。テッポは既に十二匹の赤ボコブリンを仕留めていた。バナーヌは三匹の青ボコブリンと、三匹の黒ボコブリンを倒していた。これで彼女たちは半数以上の敵を仕留めたことになった。だが、敵はまだまだ残っていた。

 

 全身を虫に刺されて地面に倒れた青ボコブリンに、バナーヌは走り抜けざまに介錯の一撃を放った。彼女はそこで、敵の新たな動きに気が付いた。

 

 敵の首魁(リーダー)と思われる白銀ボコブリンが、金切り声を上げて仲間に呼びかけていた。どうやらそれは、混乱を収拾しようとしているようだった。その白銀ボコブリンは、どこで手に入れたのか、群青(ぐんじょう)(つか)と金の装飾が美しい「王家の剣」を持っていた。魔物はまた、世が世なら騎士の軍馬になるであろう、立派な馬格の黒い馬の手綱を引いていた。どうやら魔物は、それに騎乗して仲間の指揮を()ろうとするようだった。

 

 バナーヌは一瞬、考えた。このまま当初の作戦通りに一撃離脱で戦い続けるか、それともここで足を止めて白銀ボコブリンに戦いを挑むべきか……?

 

 一瞬でバナーヌは状況を確認した。彼女はまず、音と声を聞こうとした。そういえば、モモンジの「ヨッセハーイ!!」が聞こえて来ない。バナーヌはモモンジのほうを見た。すると、モモンジはその桃色の(まげ)を力なく垂れさせて(うつむ)き、ぜえぜえと肩で息をしていた。どうやら奥義「ムシ・ゴウロ」はこれで終了のようだった。奥義を発動させた後は順次戦闘に突入するよう、バナーヌはモモンジに指示しておいた。だが、あの様子では回復するのにもう数分はかかるだろう。バナーヌはそう思った。

 

 バナーヌはさらに、周囲の光景を見わたした。ハチに追われて馬宿の柵の中へ逃げ込んだ赤ボコブリンたちが、テッポに追撃されていた。しかし、その魔物どもの周囲には、もうガンバリバチの姿がほとんど見えなかった。今は戦闘時に特有のあの昂奮(こうふん)が、ただでさえ乏しい判断力を鈍らせているのだろうが、ほどなくして魔物たちも天敵が姿を消したことに気が付くだろう。

 

 そして彼女は、白銀ボコブリンを見た。魔物は今にも馬に跨ろうと(あぶみ)に足をかけていた。その周囲には生き残った一匹の青ボコブリンと2匹の黒ボコブリンがいた。彼らは自分たちの首魁(リーダー)と同じように馬に乗ろうと駆け出していた。

 

 戦闘の局面は変わった。バナーヌはそう結論した。そして、彼女は決断した。作戦を第二段階へ移行させる時だ。

 

 彼女は迷うことなくポーチから二振りの赤く輝くロッドを取り出した。それはメテオロッドとファイアロッドであった。ロッドにはいまだに充分に魔力がこめられていた。この作戦をやり切るだけの魔力があった。

 

 彼女は短い掛け声を発した。

 

「ふっ!」

 

 右手に持ったメテオロッドを、バナーヌは勢い良く振った。振られたロッドの先端から、鋼鉄をも()くほどの火球が発射された。高熱の火球は三発同時に出た。各々の火球は転々とボールのように跳ねながら草原の草花を燃やしつつ突進した。火球は、白銀ボコブリンが今まさに騎乗し終えたその馬に直撃した。

 

 甲高い馬の嘶きが周囲に響いた。突然襲い掛かった炎と高熱に馬は驚き、醜悪な白銀の騎乗者を振り落とすと、一目散に駆け出していった。落馬した白銀ボコブリンは叫び声を上げた。

 

「ぶぎぃいいいっ!?」

 

 脆くも落馬した白銀ボコブリンに、バナーヌはさらに六発の火球を放った。これで倒せるとは彼女は思っていなかった。だが、少なくとも牽制にはなるだろう。彼女はそう考えた。白銀ボコブリンが炎にまかれてもがいているその間に、彼女は別の馬に乗ろうとしている連中に対処しなければならなかった。

 

 メテオロッドは一時的に魔力を使い果たし、リチャージ時間に入った。バナーヌはその代わりとして、今度はファイアロッドを取り出した。彼女は青ボコブリンと黒ボコブリンの乗ろうとしている馬を狙った。刀を振るうように、彼女は三回、ファイアロッドを力強く振った。ファイアロッドはメテオロッドよりも火力投射量で劣るが、放たれる火球になんらの問題もなかった。ボコブリンたちが自分たちの馬に行きつくより前に、連続で放たれた合計三発の火球が各々の目標に到達した。

 

 炎を浴びて、馬たちは悲鳴を上げて逃げ去った。青ボコブリンはその時、逃げる馬に()ね飛ばされて宙を舞い、地面に落ちた。魔物はそのまま動かなくなってしまった。どうやら魔物は、すでにガンバリバチのせいで相当体力を消耗していたようだった。黒ボコブリンたちは逃げた馬を追いかけようとしたが、続けて飛んできた六発の火球によって行く手を阻まれた。それはメテオロッドから放たれた火球であった。リチャージは完了していた。

 

 バナーヌは、ここでさらに敵の混乱を助長するために、別の場所に立っていた他の馬たちにも火球をぶつけた。馬たちはおめき狂って敵陣を駆けまわった。馬たちは力尽きて地面に横たわっている黒ボコブリンや、瀕死の青ボコブリン、それにようやく正気を取り戻して武器を手にし始めた赤ボコブリンたちを、体当たりしては踏みつけ、()ね飛ばし、馬蹄(ばてい)で踏みにじった。

 

 単純な火攻よりも、こうして馬を利用するほうが効果的だろうと、バナーヌは戦闘前に予測していた。いくら魔力で作られた火球とはいえ、この雨の中では効果は半減するだろう。ただ単に敵の群れに向かって火球を撃つだけでは、花火ほどの威力にもならない。しかし、そこに馬を介在させればどうなるか? 火球によって奔馬(ほんば)(けしか)けることができればどうなるか?

 

 たった一頭の奔馬(ほんば)のせいで、戦場が大きく掻き乱され全軍の勝敗に影響した事例は、このハイラルの歴史上に無数にあった。ならば、それを再現してやれば良い。彼女はそう考えた。だが、馬を狂奔させるにしても、弓矢では悪くすれば即死させてしまうし、疾風のブーメランでは射程でやや劣る上に素早い攻撃ができない。

 

 最適なのは、やはりメテオロッドとファイアロッドだった。それにこの際、折からの雨が味方した。雨は火球の威力を馬が死なない程度まで、相当に減衰してくれた。

 

 バナーヌはなおも二本のロッドを振るい続けた。彼女は馬を狂わせ続けた。馬は魔物を()ね飛ばし続けた。

 

 やがて、ロッドは二本とも煙すら出さなくなった。どうやら魔力を使い果たしたようだった。次の瞬間、繊細なガラス細工を石造りの固い床に落としたような音を立てて、二本のロッドは粉々に砕け散った。

 

 だが、ロッドによって再度敵を混乱状態に陥れることに成功した。バナーヌは、最後の仕上げに取りかかることにした。白銀ボコブリンは、どうやらひと際あの黒い馬に執着心があるようだった。魔物は逃げ惑う「愛馬」を追いかけて右往左往していた。彼女はこの隙を利用して、残った二匹の黒ボコブリンを仕留めることにした。

 

 ザザザと音を立てて草むらを掻き分け、バナーヌは全速力で突進した。白銀ボコブリンの側近を務める二匹の黒ボコブリンは、接近してくる金髪のメスのニンゲンに早くも気付いたようだった。一匹は騎士の槍を持っており、もう一匹はただのボコこん棒を持っていた。魔物たちは威嚇するように声を上げた。

 

「ブギィイイッ!」

「ブゴゴゴッ! ゴアアアッ!」

 

 鳴き声だけは立派だったが、二匹は連携が取れておらず、動きに精彩を欠いていた。バナーヌはまず、ボコこん棒を持った一匹に近づくと、正面から首刈り刀で鋭い一撃を加えた。魔物はボコこん棒でそれを防いだが、即座に振るわれた二撃目を凌ぐことはできず、あっさりと右腕を斬り落とされた。魔物は悲鳴を上げた。

 

「ブギィッ!?」

 

 だが、バナーヌはそれにトドメを加えなかった。その代わりに、彼女はすぐ膝を曲げて地面にしゃがみ込んだ。

 

 直後、彼女の頭上を鋼鉄製の騎士の槍が通過していった。隣にいたもう一匹の黒ボコブリンが、槍を旋回させたのだった。バナーヌによって(かわ)されたその槍の穂先は、さきほど右腕を失った黒ボコブリンに直撃した。槍は魔物の右頬から左頬にかけて貫通し、頭骨を砕き、衝撃で頸椎(けいつい)を粉砕しながら、左側方へ向けてぶっ飛ばした。

 

 同士討ちであった。無論、バナーヌはそれを意図していた。黒ボコブリンは戦い慣れしており、仲間が一対一で戦う際には必ず敵の背後を取って挟撃しようとしてくる。それを彼女は予期していた。彼女はちょうど良いタイミングで屈み、敵の同士討ちを誘った。それは奏功した。仲間を殺してしまった黒ボコブリンは叫んだ。

 

「ブガァッ!!」

 

 地団駄を踏んで、騎士の槍を持った黒ボコブリンは悔しがった。だがそれは、仲間を誤殺してしまったことに対してではなかった。魔物は、敵を仕留め損なったことに対して怒っているだけだった。

 

 そして、その隙を見逃すほどバナーヌは甘くなかった。彼女は軽やかな身のこなしで三回、後方宙返りを繰り返した。そうやって彼女は距離をとった。次に彼女は腰のポーチから疾風のブーメランを取り出した。彼女はそれを、黒ボコブリンの手元に向かって放った。戦場に吹く血なまぐさい風とは違う、清らかな乙女の息吹のような風が吹いた。清浄さと春の嵐のような激しさを持った突風を纏って、疾風のブーメランは目にも止まらぬ回転を続けながら敵の手元へと突進した。

 

「ブギィ、ブギギッ!? ブゴアァッ!?」

 

 疾風のブーメランはあやまたず黒ボコブリンに到達した。疾風のブーメランはその風の力で魔物の手から無理やり騎士の槍を引き剥がした。騎士の槍は宙を舞った。ブーメランの風が直撃して目を回している魔物を後目(しりめ)に、バナーヌは戻ってきた疾風のブーメランをしっかりとキャッチした。キャッチすると同時に、彼女はいまだ空中にある騎士の槍に向かって跳んだ。

 

 次の瞬間、魔物は間抜けな声を上げていた。

 

「ブゴ……ブゲッ!?」

 

 黒ボコブリンは脳天から会陰部(えいんぶ)にかけて、縦に槍で貫かれていた。空中で槍を掴んだバナーヌが、その落下の勢いのままに魔物に必殺の一撃を加えたのだった。

 

 二匹の強敵は死んだ。その死体は黒ずんで風化を始めた。これで残るは白銀ボコブリンだけだった。

 

 ふと、バナーヌの心が緩みそうになった。だが、彼女はそれを無理やり引き締めた。彼女は槍を抱えたまま、右側方へ向かって全身を投げた。

 

 魔物の叫喚が響いた。

 

「ゴアアッ!!」

 

 彼女の金髪のポニーテールの先端が斬られた。直後、蹄の音も荒々しく白銀ボコブリンが駆け抜けていった。その手には王家の剣があった。まさに間一髪のところでバナーヌは魔物の攻撃を避けたのだった。

 

 避けたそのままの勢いで前転して起き上がると、彼女はその前方に馬首を鋭く廻らせる白銀ボコブリンの姿を見た。その怨念と憎悪と殺意に煮え滾った赤い眼光で、魔物はバナーヌを睨みつけていた。

 

 すでに彼の「軍勢」は破滅していた。側近の黒ボコブリンは全滅していた。戦力の中堅を担う青ボコブリンは残骸を残してこの世から消え去っていた。兵卒の赤ボコブリンは散り散りになっていた。それでも、白銀ボコブリンにはまだ残っているものがあった。

 

 それは、強烈なまでの敵愾心だった。このニンゲンだけはぶち殺す! 魔物はそう決めていた。殺して皮を剥ぎ、毛を焼いて血を啜り、肉を喰らってやる!

 

 白銀ボコブリンは、皮が裂け肉が弾けるほどの勢いで馬に鞭をぶち当てた。馬は悲鳴を上げた。馬は騎乗者の殺気にあてられてその四本の脚を狂ったように動かした。あたかも空中を行くような猛スピードで、騎乗した白銀ボコブリンはバナーヌに向かって突撃を開始した。

 

 彼女にはもう、弓矢を構えている時間はなかった。メテオロッドもファイアロッドも、もうその手にはなかった。疾風のブーメランを投げたとしても、それが届くころには敵は王家の剣を彼女の首筋に振るっているだろう。

 

 とるべき手段はひとつしかなかった。バナーヌは腰を落とし、両手でしっかりと槍を持った。そして、彼女はやや上方へ向けて槍を構えた。そうして彼女は迎撃の構えをとった。彼女は馬を狙った。だが、彼女が狙うのは馬のひたいではなかった。そこは強固な頭蓋骨で守られているため、槍であっても有効打は与えられない。彼女は馬の下顎の直下、頸溝(けいこう)を狙った。そこは馬の急所である。

 

 彼女の澄んだサファイアの瞳に、燃えるような闘志が宿った。彼女は言った。

 

「来い」

 

 瞬時に両者の距離が詰まった。地面を踏みつける馬蹄(ばてい)の、乱雑なティンパニーの連打の如き轟音が響いた。馬上で王家の剣が鈍い輝きを放ち、ゆらめいた。ハチに刺されてボコボコに腫れあがった、白銀ボコブリンの醜い顔面が、怒りの形相を浮べていた。チラリと、魔物の口から鋭い牙が姿を覗かせた。

 

 一秒か、それとも三秒か。勝負は、あと二回も呼吸しない間に決着するであろう。

 

 その時だった。突如としてバナーヌの後方から、二人の人間の声が聞こえてきた。

 

「バナーヌ! 伏せて」

「バナーヌ先輩! 伏せてください!」

 

 それはテッポとモモンジだった。バナーヌは躊躇することなく二人の声に従った。それでも、彼女はただ従うのではなかった。彼女はこれから二人がやろうとしていることを予想した。伏せろということは、二人はたぶん自分の上を行くつもりなのだろう。ということは、とにかく体勢を低くしさえすれば良い。彼女は前方へスライディングすることにした。そうしながら彼女は、抱えている槍をそのまま馬に向け続けた。

 

 二つの影が連続して彼女の頭上を飛び越えていった。一つめの影はモモンジだった。モモンジは「オド・ルワの亡骸」を顔に装着したままだった。彼女はまた、上半身裸のままだった。彼女は空中で風斬り刀を縦に振るった。彼女は叫んだ。

 

「どりゃああっ!!」

 

 空中から放たれた真空刃はあやまたず、王家の剣を握った白銀ボコブリンの右腕を斬り飛ばした。

 

 その次の瞬間には、バナーヌの構えていた騎士の槍が、馬の頸溝(けいこう)を貫いていた。バナーヌはちょうど、馬の真下に滑り込む形になった。バナーヌの姿が消えた。

 

 それを見たテッポは、てっきりバナーヌが(ひづめ)に踏み潰されたと思った。彼女は絶望と怒りで、その綺麗な鳶色の瞳を濁らせた。テッポは憤然と言った。

 

「よくもっ!」

 

 テッポの言葉の直後、槍が貫通した馬が脱力した。テッポは、力の抜けた馬が首を下げたその瞬間を狙った。黒髪を振り乱しながら彼女は、首刈り刀を大きく振りかぶった。そして、満身の力を込めて、彼女は白銀ボコブリンの脳天に向かって刀を叩きつけた。彼女は殺意を爆発させたように叫んだ。

 

「思い知れぇえっ!!」

 

 魔物は悲鳴にもならない声を上げた。

 

「ぶごほっ」

 

 魔物の頭頂部に鋭利な刃が深々と突き刺さった。テッポの首刈り刀は魔物の頭蓋骨を貫通し、柔らかな内部にまで食い込んで脳組織を破壊した。白銀ボコブリンは眼と鼻から紫色の体液を噴出させた。

 

 ここ数日の連続戦闘に耐えてきたテッポの首刈り刀は、ここで本来の使用意図から大きく外れた使われ方をしたために、ついに折れてしまった。

 

 馬はその首元から噴水のように真っ赤な血を噴き出していた。その鞍壺(くらつぼ)から、白銀ボコブリンは冬の枯れ木から最後の木の葉がはらりと落ちるように、地面に落下した。

 

 二人の声がした。

 

「あ、(いた)っ!?」

「あっ、テッポ殿!?」

 

 テッポは着地に失敗して尻もちをついた。モモンジは上手く着地し、テッポに声をかけていた。テッポはすぐに起き上がると、叫ぶようにモモンジに言った。

 

「私は平気! それよりバナーヌ、バナーヌはどうなったの!?」

 

 モモンジもはっとしたように言った。

 

「そうだ、バナーヌ先輩!」

 

 二人はバナーヌに駆け寄った。バナーヌはいまだに地面に横たわっていた。テッポが声をかけた。

 

「バナーヌ! 大丈夫!? 怪我してない!?」

 

 モモンジもテッポに続いて声を発した。

 

「バナーヌ先輩! お怪我はないですか!?」

 

 だが、二人が声を掛けてもバナーヌは動かなかった。

 

 二人は最悪の事態を予想した。まさか、いやそんな、バナーヌが魔物ごときにやられるなんて……? テッポとモモンジの表情が凍り付きかけた。

 

 だが、バナーヌはあっさりと起き上がった。彼女は声を漏らした。

 

「ふう」

 

 テッポとモモンジが歓喜の声を上げた。テッポが言った。

 

「バナーヌ! ああ、良かった……ねえ、本当に怪我してない?」

 

 バナーヌは頷いた。

 

「大丈夫」

 

 モモンジが口をとがらせて言った。

 

「バナーヌ先輩! もう、なんであんな無茶をしたんですか!?」

 

 バナーヌは頭を下げた。

 

「すまん」

 

 なんという魔王の意志か、それともバナナの神の配剤か? それとも単に彼女の運が良かったのか? 馬の四本の脚と四つの蹄は、奇跡的にすべてバナーヌの体を()れて、彼女の両脇数センチの地面に足跡を残しただけだった。バナーヌは傷一つ負っていなかった。

 

 バナーヌとしては、二人の意図を察したあの時、ここで退くわけにはいかないと思った。馬の突進力をなんとかして潰さない限り、モモンジはどうにかなるとしてもテッポは大怪我をすると、彼女は瞬間的に計算したのだった。だから彼女は無茶をした。そして、やはりなんとかなったのであった。

 

 テッポとモモンジはバナーヌの体を撫で(さす)っていた。二人は、彼女が本当に負傷していないのか疑っているようだった。テッポがまたバナーヌに言った。

 

「本当に? 本当に怪我してない? 本当に?」

 

 モモンジが言った。

 

「あー、この分なら大丈夫っぽいですね! いやぁ、それにしてもバナーヌ先輩って、割と不死身なんですね!」

 

 ついでとばかりに、モモンジはバナーヌの胸まで触ろうとした。バナーヌはそれを軽くたしなめた。

 

 バナーヌがよく見ると、テッポの目尻に涙が浮かんでいた。それを見てバナーヌは、ふっと微笑んだ。

 

「もう、大丈夫」

 

 テッポとモモンジが驚いたように声を上げた。

 

「あっ! バナーヌ、もしかして今、ちょっとだけ笑った?」

「確かに、バナーヌ先輩、今ちょっとだけニッコリとしたような……」

 

 だが、バナーヌはそれに答えなかった。彼女の視線は、ある方向へ向けられていた。その顔は、いつもの氷のような無表情に戻っていた。

 

 彼女は無言で首刈り刀を抜くと、冷静な声音で二人に言った。

 

「まだ生きている」

 

 モモンジが声を上げた。

 

「えっ!?」

 

 テッポも言った。

 

「えっ!? あっ! あいつ、まだ生きてるの!?」

 

 魔物の弱々しい声がした。

 

「……フ、フゴ……」

 

 三人の視線の先には、あの白銀ボコブリンがいた。その脳天には折れた首刈り刀が突き刺さっていた。眼と鼻からはべっとりと、粘性の高い体液を流していた。口からはゴボゴボと体液の泡が出ていた。魔物は、今にも折れてしまいそうな枯れた(あし)のようになっていた。

 

 魔物は右に左によろめきつつ、モモンジの真空刃に斬り落とされた自分の右腕を拾った。魔物は、右腕が握り締められていた王家の剣をもぎ取ると、左手に持ち替えた。

 

 モモンジが静かに声を発した。

 

「テッポ殿、バナーヌ先輩、私が奴の介錯(かいしゃく)をします」

 

 二人は頷いた。テッポが言った。

 

「モモンジ、お願い」

 

 モモンジは風斬り刀を下段に構えると、()り足で魔物に近づいた。彼女は大上段に刀を振り上げた。

 

 白銀ボコブリンの眼に、もう光はなかった。意識すらハッキリしていないようだった。モモンジは、魔物とはいえ哀れな気持ちになった。「そういう感傷を捨てない限り、剣術家としては大成しないぞ」と父から言われていたことを彼女は思い出した。それでも、やはり魔物は哀れだった。

 

 一刀で首を刎ねよう。これ以上の痛みは与えないように……モモンジは刀を振り下ろした。

 

 高原の馬宿を巡る戦いは、魔物の全滅という形で決着した。三人はしばらく、戦いの後の場を眺めた。

 

 ややあって、向こうから男の声が聞こえてきた。

 

「……おーい、おーい……」

 

 誰だろうか? バナーヌの疑問に答えるようにテッポが言った。

 

「あれはジューザよ、バナーヌ。あなたが戦っている間に、ジューザたちも馬宿から出撃して私と一緒に戦ってくれたの」

 

 バナーヌは頷いた。

 

「そうか」

 

 突然、モモンジが奇声を上げた。彼女は慌てていた。

 

「はうっ!? どうしよう、このままだと私、ジューザたちに裸を見られちゃう……」

 

 テッポも慌てた。

 

「ああ、大変! バナーヌ、なにか着るもの出して、着るもの! モモンジに何か着せないと!」

 

 バナーヌはポーチを探り、そして中身を出して言った。

 

「すまん、これしかない……」

 

 結局、モモンジはバナーヌの持っていた予備のさらしを胸に巻くことになった。なんとか胸を隠すことができたが、胸の肉が少しだけ、さらしの上下からはみ出ていた。モモンジは半泣きだった。




 ようやくアラフラ平原編が実質的に決着しました。長きにわたったモモンジのデビュー戦もこれにて一応終結です。
 それにしても今回は前半を書いている最中、頭の中でオドルワさんの奇声が鳴り止みませんでした。

※加筆修正しました。(2023/05/14/日)
※タイトルを「乱戦、死の舞踏」から「乱戦」に変更しました。(2023/05/14/日)
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