ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

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第四十六話 バナナまみれの大攻城戦

 優秀な同盟者を得ることは繁栄の必須条件である。ハイラル王国もその例外ではなかった。

 

 大地の熱き血潮が噴き出す灼熱のオルディン地方、その中心部に、ハイラルの空を割るようにして、黒煙を噴き上げるデスマウンテンが屹立(きつりつ)している。特別の備えを持たぬハイリア人ならば数分とて生を長らえること叶わぬその過酷な地に、この広大無辺のハイラルにおいても他に類を見ない特殊な種族が住んでいる。

 

 それは火山と岩石の民、ゴロン族である。

 

 彼らの体は岩石のように硬い。それでいて彼らは若鳥のようにしなやかな筋肉をも持っている。その皮膚は火も熱も通さず、業物(わざもの)刀槍(とうそう)も、鋭く速い弓矢も傷一つつけることはできない。彼らは岩を食し、溶岩をスープとする。我々からすると奇妙そのものに見える食生活であるが、彼らはそれによって栄養と滋養を得て、頑健な肉体を養っている。彼らの肉体は無双の怪力を発揮する。また、彼らは手先が器用で、大型の大砲や鉄路、トロッコなどを開発する。彼らは知能も高く、それを活かして繊細な技術が要求される坑道建設や資源の採掘を行っている。

 

 もしゴロン族が好戦的な性格で、全ハイラルに覇を唱えんと侵略の軍勢を興したならば、無敵を誇るハイリア人の騎士たちもおそらく苦戦は免れぬところであっただろう。しかしハイリア人にとって幸いなことに、そのようなことはハイラルの一万年以上の長きにわたる歴史において、一度たりともなかった。

 

 というのは、ゴロン族は総じて至極善良な性格をしているからである。彼らは大人しく、人が良く、なによりのんびりとしている。そんな彼らが侵略の軍勢を興すなどというのは、おそらくデスマウンテンが山体を完全に崩壊させるような大爆発を起こして地上から消滅する時まで、決して起こらないだろう。

 

 もちろん、ゴロン族も戦いはする。しかしその戦いは、生存権を賭けた血みどろの闘争というものではない。ましてや、敵対者の富や財を収奪せんとするものでは決してない。彼らの戦いは多分に遊戯的な性格を有しており、それ以上に、名誉を重んずるものである。

 

 例えば、ゴロン族は「スモウ」という運動競技を好む。地面より一段高く設けられた円形の「ドヒョー」と呼ばれるステージの上で、ゴロン族は一対一の素手での格闘を行う。「スモウ」のルールは単純である。ドヒョーから先に落ちた者が敗者となる。太古の昔より、ゴロン族は己の肉体を唯一の武器とするこの純粋な肉体勝負を好んだと言われている。

 

 伝説によれば、かの勇者もこのスモウをとったという。勇者がデスマウンテンに乗り込んだ時のことであるが、ゴロン族は勇者に「スモウ十番勝負」を挑んだ。勇者は対戦者のゴロン族のことごとくを投げ飛ばして見事に勝利し、ゴロン族の聖地への入場を許可されたという。その時のゴロン族の言葉として「ただのニンゲンのくせしてオラたちを負かすなんて、なんかズルでもしたんじゃないかゴロ」というものが残されている。ゴロン族は名誉を尊ぶゆえ、勇者とはいえただの人間にあっけなく敗北したことを悔しく思い、負け惜しみを言ったのであろう。

 

 無論、ゴロン族にも戦士と呼ばれる者が存在する。戦士たちは巨大な体を持つゴロン族たちの中にあってもひと際優れた体格を持っている。戦士たちは日々鍛錬に励んでいる。鍛え上げられた武技と、人間が扱うには重すぎ大きすぎ大雑把すぎる岩砕きという大剣を駆使して、戦士たちはどんなに堅固な防御で身を固める敵であっても、その正面から粉砕する。

 

 戦士たちの任務はゴロンシティと鉱山を脅かす魔物たちを駆除することである。その姿勢は多分に専守防衛的と言える。彼らは敵が来れば攻撃し撃砕(げきさい)するが、敵を探し出し追い詰めて絶滅させるということはしない。

 

 ゴロンの戦士たちは、戦士同士でスモウをとるが、また武技と大剣を用いる模擬試合をも好む。いずれの場合も名誉に(かな)った戦い方が称賛され、汚い戦法をとる者は嘲られる。百年前のかのゴロンの英傑ダルケルは、スモウでも模擬試合でも常勝不敗であった。彼はどんな時でも名誉と礼を重んじる最高の戦士であったと伝えられている。今でも彼の勇姿はゴロンシティを囲む岩壁に彫られた巨大なレリーフに見ることができる。

 

 このように、ゴロン族は限りなく戦争に向いた種族でありながら、まったく戦争を好まなかった。そんな彼らではあったが、歴史書を仔細(しさい)に当たってみると、彼らが戦争へ参加した記録が確認できる。それは、もちろん彼ら自身が軍勢を興したのではなかった。ハイラル王国からの援軍要請を受けて彼らは参陣したのであった。だが、彼らのような種族からするとこれはもはや歴史上の一大事件と言っても良かった。

 

 その事件のあらましは、以下のとおりである。

 

 ある王の御世のこと、ハイラル王国に一大危機が出来(しゅったい)した。例によって魔物が軍勢を興したのであった。魔物の軍勢は、白銀のウロコに覆われた年老いたリザルフォスに率いられていた。魔物たちは、中央ハイラル北西部にある終焉の谷から突如湧いて出た。彼らはたちまちその西側に位置するハイラル丘陵と、北側に位置するマリッタの丘を制圧した。村々は焼かれ、作物は奪われ、人間たちは成す術もなく逃げ惑うばかりであった。

 

 代官からの急報を受けた王国は直ちに討伐軍を派遣した。マリッタの丘周辺は重要な穀倉地帯であったため、王国はそれを失うわけにはいかなかった。またその付近に位置するマリッタ交易所は、タバンタ、ヘブラの産物や、リト族からの輸入品を扱う重要な経済拠点であった。また、マリッタの丘は王城と城下町からは比較的近距離に位置していた。いわば、王国は喉元に匕首(あいくち)を突き付けられた形となったのであり、彼らが素早い反応を見せたのも当然であった。

 

 討伐軍の騎士たちは歩卒を率いて急行軍し、敵が体勢を整える前に鎧袖一触(がいしゅういっしょく)蹴散らしてしまおうと気負いこんだ。マリッタの丘は緩やかな丘陵地帯であり、馬の行動は容易で、騎士たちの得意とする乗馬突撃が最大限の効果を発揮し得る土地であった。

 

 伝説の厄災ならばいざ知らず、単なる魔物の群れならば簡単に片付くであろう……そのように考えていた騎士たちの前に立ちはだかったのは、なんとも信じがたいことに、城塞(じょうさい)だった。

 

 マリッタの丘に城塞が、妖気を纏って傲然(ごうぜん)(そび)え立っていた。その城は、(ほり)こそないものの、巨大な石垣と城壁を有していた。城壁には射撃用の胸壁まで設けられていた。その城は、無数の見張り塔を備えた正真正銘の城であった。魔物たちは手に手に武器を持ち、かがり火を煌々(こうこう)と燃やし、醜怪な意匠の軍旗を掲げていた。魔物の戦意は極めて高いようだった。

 

 かの地には城塞はおろか、廃城すらなかったはずである。ならば、あれは明らかに魔物が建てたものに違いない。それならばいつの間に、またどうやって、魔物たちはあのような城を建てることができたのだろうか? この短時間にあれだけの戦闘用建造物を用意するなど、知能低劣な魔物どもに可能なことなのだろうか? 騎士たちは議論をしたが、結論は出なかった。

 

 ともあれ、騎士たちはこの前代未聞の事態に(おく)することなく突っ込んでいった。歩卒たちは城壁へ向かって突撃し、城壁を()じ登った。魔物たちは矢玉を降り注ぎ、時には交易所から奪った爆弾矢すら撃ち下ろして、兵たちをまったく寄せ付けなかった。無念の屍が地面を覆い尽くした。そのような壮絶な状況の中、騎士たちも、城には必ずあるはずの城門を探して周囲を走り回った。城門さえ打ち破れば落城したも同然であるから、騎士たちがそうしたのは戦術常識としては当然だった。

 

 だが、騎士たちは愕然とした。城門がない! 巧妙に隠蔽されているのかと、矢玉が届く範囲にまで騎士たちは馬を進めて確認した。だが、城門はどこにも見当たらなかった。

 

 第一回目のハイリア王国軍による総攻撃は、結局、死傷者多数を出して失敗した。生き残りの騎士と兵たちは城から響いてくる魔物たちの凱歌を聞いた。彼らは屈辱と怒りに打ち震え、涙を流した。

 

 総攻撃失敗の報を受けて、王国は対応に本腰を入れることにした。しかしここに至って、ある事実が王国を苦しめることになった。それは、ハイラル王国軍に本格的な攻城戦の経験がまったくないということであった。王国は王権の象徴とも言えるハイラル城を始め、アッカレ地方の一大軍事拠点であるアッカレ砦など、各地に無数の城塞を有していた。だが、それらはもっぱら魔物の襲撃を防ぐためのものであり、人間同士の戦争に用いられたことはなかった。

 

 過去数百年の歴史においても、大がかりな攻城戦が行われたことはなかった。つまり当時のハイラル王国軍は、籠城側として攻め寄せる敵と戦う経験は多かれど、攻城側として城に籠る敵と戦う経験にまったく欠けていたのであった。特に、このような大規模な要塞と戦うという経験が、王国軍には明確に不足していた。

 

 攻城戦に必要な軍勢の適正規模、必要資材の調達と集積、攻撃陣地の選定と構築などといった問題から、より細かな戦術、戦法に至るまで、何もかもが彼らにとって未知であった。

 

 大臣と将軍たちは国王臨席のもと、連日連夜にわたって対策会議を開いた。しかし、その間に事態はまた動いた。

 

 なんと、魔物たちの城が移動し始めたのであった。伝令は、地響きを立て、無数の巨大な岩塊が列を成して行進するという、悪夢そのものの光景を伝えてきた。その報告を受けた将軍は「戦時における誤報は軍法により処罰する!」と叫んだ。しかしそれは事実であった。

 

 その城はマリッタの丘から移動し、終焉の谷に入り、ヒメガミ川西岸にまで達した。川を越えれば、そこは城下町近くの採石場であった。「魔物の軍勢、さらに王城に接近!」の報が知れ渡るや、住民たちはパニックを起こした。地方へ避難する者が続出し、街道は混雑を極めた。

 

 魔物の軍勢の長である老白銀リザルフォスは、まさに(いくさ)の天才だった。彼は移動城塞という驚天動地の戦法を考案し、それを実行したのであった。

 

 それは、ごく単純な方法を用いていた。魔物たちは城の素材して、イワロックとイシロックを用いたのであった。当時の終焉の谷には多数のイワロックが生息していた。王国はこれらをあえて刺激することを避けていたのだが、魔物はそれを有効活用した。魔物たちはイワロックが城壁となるように、また無数のイシロックが胸壁や塔となるように、それらを調教したのだった。ひとつの戦いが終われば、魔物たちはまたイワロックとイシロックを歩かせ、次の目的地でまた城塞として組み立てた。

 

 ある騎士はこの移動城塞に「リザルの動く城」と名付けた。

 

 このままでは、魔物たちはいずれヒメガミ川を渡河し、王国の心臓部へと到達するに違いないと思われた。イワロックとイシロックを組み合わせれば、橋を架けることは容易であった。王国側は魔物を阻止するため、再度攻撃を開始した。しかし、第二回、第三回の攻城戦も成果はまったくなかった。無数の屍が残され、魔物は前進を続けた。切り札として、王国は当時の最新兵器である大砲すら使用した。だが、砲弾はイワロックの体にごくわずかな凹みを残すだけで、まったく効果はなかった。それどころか、魔物たちは大砲に触発されたようにイワロックの新たな運用法を編み出し、一部を投石攻撃に転用するようになった。王国軍の損害はなおさら増えた。

 

 万策尽きた王国は、ここで起死回生の一手を打った。王国はデスマウンテンに使者を送り、ゴロン族に協力を求めたのであった。ハイラルにおいて、最も岩石に精通しているのはゴロン族である。岩石の魔物たるイワロックにも必ずや有効な手立てを講ずるに違いない。そのように王は考えたのであった。

 

 その当時のゴロン族の族長の名は、ダルマーニ五世といった。ダルマーニ五世は高潔な性格で、人情に篤かった。なにより、彼は優れた戦士だった。彼は王国の要請を受けるや、直ちに部隊を編成し、装備を整え、一路終焉の谷へと向かった。彼らはその時に初めて本格的な軍勢を興したのであるが、彼らは立派に軍隊を運用することができた。彼らは無事に戦地に到着した。

 

 そして、「リザルの動く城」にあっけなく最期の時が訪れた。ダルマーニ五世が率いるゴロン族は、彼らが鉱山採掘でいつもやっているように、まずは坑道を掘った。坑道を敵の城の地下にまで到達させると、彼らは大量の火薬樽を設置した。坑道作戦を進めるのと並行して、ゴロン族は長い距離を苦労して運んできた三門の新型砲を放列に敷いた。彼らは敵に向かって盛んに砲撃を浴びせかけた。イワロックの投石攻撃の射程の遥か彼方(かなた)から撃ち出される砲弾の雨は、イシロックでできた胸壁と塔を次々と撃砕した。そのたびに、それを見守るハイラル兵たちが歓声を上げた。その間もゴロン族たちは黙々と坑道を掘り進めた。

 

 季節外れの暴風雨で坑道が水没したり、一門の大砲が自爆したりといったアクシデントには見舞われたが、三週間後にはすべての準備が終わった。一斉に点火された地下の火薬樽は、大爆発と共に地上のイワロックたちを粉砕した。魔物の城塞は崩壊した。それと同時に、ハイラル王国軍の騎士と兵士たちが突撃を敢行した。イワロックの弱点はいまや剥き出しになっていた。弱点は次々に打ち砕かれ、イワロックは爆散して無数の鉱石を撒き散らした。戦闘はわずか半日で終了した。魔物は全滅した。魔物の軍勢の長である老リザルフォスは、ダルマーニ五世が自らの岩砕きで討ち取った。

 

 ある兵士は言った。「ついにリザルの動かない城になったな」 それを成し遂げたのは、明らかにゴロン族たちだった。

 

 ダルマーニ五世はゴロン族にあっては珍しく、戦術戦略の研究を日課としていた。彼は毎日丹念に戦史に当たった。そして彼は「ゴロン族が戦争状態に巻き込まれた際、最も有効に戦うことができるのは攻城戦である」と予め確信を得ていた。それが今回の勝因であった。

 

 このエピソードが示すように、攻城戦には入念な準備と、専門的な技術と、なにより膨大な資源と兵員が必要となる。講談や物語において「リザルの動く城」は雲つくような超巨大要塞であるとしばしば描写される。実際のところは、それはアッカレ砦などとは比べるべくもない、魔物が百匹ほど収容できるだけの中規模なものだったらしい。そんな城塞を攻め落とすのですら、ハイラル王国軍はこれだけの犠牲を払ったのだった。

 

「リザルの動く城」との戦いの後、ハイラル王国において「ゴロン族侮りがたし」という観念が生まれた。それは、一種の尊敬の念でもあった。それまでゴロン族は、鉱山採掘のみに従事するぼんやりとした種族として、少しばかり軽侮されていた。だが、この戦いを境にして、ゴロン族は攻城戦のエキスパートと見なされるようになった。ゴロン族は一躍ハイラル王国の対等な同盟者として、その地位を向上させたのであった。

 

 (いくさ)(えにし)となって、ゴロン族とハイラル王国との政治的、経済的関係は一層密度を増した。「厄災復活の兆しあり」とされ、王国が各地に協力者を求めた際、ゴロン族は即座に協力を申し出た。その理由も淵源を辿ればこの戦いに行きつくのである。

 

 大厄災後の世界においては、王城と城下町は無念なことに殺人兵器の大軍に支配されてしまった。各地の砦は崩れ落ち、魔物たちが居座っている。いくらゴロン族といえども、もはや攻城戦を行うことは不可能であろう。

 

 だが、城を攻め落とすことはできなくとも、城に忍び込むことは可能なはずである。忍び込むには高度な技術と、細心の注意と、なにものをも怖れぬ豪胆さが必要になる。しかし、それはたった一人で事足りる。あの、影に生きて影に死ぬイーガ団は、かつてしばしば王城に潜入して、数え切れぬほどの悪事を働いたものであった。

 

 イーガ団のように狡猾で、ゴロン族のように高潔な勇者は、いったいどこで眠っているのだろうか? その勇者が囚われの姫君を救出するその瞬間を、我々は今も待ち望んでいる。

 

 

☆☆☆

 

 

 日が暮れた。空からはしとしとと陰気な雨が降り注いでいた。視界は悪く、すぐ近くで雄大に広がるハイリア湖も見ることができなかった。

 

 バナーヌたちの戦いはまだ終わらなかった。いや、本来的なことを言うならば、彼女たちの戦いは始まったばかりであった。確かにバナーヌは行方不明だったテッポを見つけ出した。彼女はテッポを輸送馬車の車列まで送り届けた。彼女はまた、輸送馬車に必要な輓馬(ばんば)を高原の馬宿から連れてきた。しかし、そういった仕事はアクシデントによって生じた混乱を収拾するためのものであり、「バナナ輸送」という本来の任務はまだ始まってすらいないのだった。

 

 次なる戦いを終えることで、ようやく馬車の車列はカルサー谷へ向かって動き始めるだろう。バナーヌたちは、イーガ団員の生命の源、なにものにも代えがたい財宝、黄金よりも貴重な黄金の果実、ツルギバナナ一万本を、一刻も早く届けなければならなかった。総長のコーガ様はここ最近は毎日のように「バナナがマズい!」と駄々をこねており、それを(なだ)めるウカミの言葉はそろそろネタ切れに近づいていた。

 

 バナーヌの次なる戦いの地は、一見したところ単なる小高い丘であった。全体が岩に覆われているバルーメ平原の例に漏れず、その丘も暗い灰色の硬い岩石でできていた。その有様を例えるならば、焼きすぎて表面に無数の亀裂が入ってしまった固パンのようであった。

 

 見ようによっては、その丘は(とりで)のようにも思われた。丘の頂上からは亀裂が、すなわち細い通路が迷路のように四方に走っていた。通路はあたかも塹壕のようであった。通路の両側は岩壁で、どこも人が二人肩を並べて歩くことができないほど狭かった。主要な通路の一本は、丘の脇を通っている街道に通じていた。そこにはサンベとヒエタがいた。もう一本の通路は南の平原側に通じていた。そこにはバナーヌたち三人がいた。

 

 いや、その丘は「砦に思える」というものではなかった。事実、その丘は砦であった。魔物たちがこの丘を砦にしていた。彼らは丘へせっせと資材を運び込み、障害物を構築し、盾を並べていた。彼らは逆茂木(さかもぎ)を植え、射撃台を設け、落とし穴まで用意していた。

 

 その丘に名前はなかった。だがこの無名の丘は、無名でありながら古くから知られていた。古代シーカー族の著した兵要地誌(へいようちし)においては「城塞建設に適したる丘」と記されていた。ハイラル王国も、ハイリア湖一帯の開発を本格化させた際に、それと同様の見解を示していた。

 

 小高い丘からは湖を一望のもとに監視することができた。丘によって街道を完全に管制下に置くことが可能であった。ハイリア湖防衛の任に当たる水軍の司令部を設置する場所として、また、ハイリア大橋を防衛する軍事施設を構築する場所として、その丘はまさに理想的であった。加えて、非常時には丘は南岸の住民たちの避難所にもなり得た。

 

 このようなわけで、幾度もこの丘に本格的な砦を建設することが議論されてきた。特に、ハイリア大橋竣工後はその防衛の必要性が声高に叫ばれたため、丘に砦を建設することが真剣に検討された。一時(いちじ)は設計図まで作成されたという。

 

 だが、ここでも浮上してきたのが物質的な問題であった。それはつまるところルピーの問題であった。それを解決できなかったために、結局、計画は立ち消えとなってしまった。そもそも王国がハイリア湖にハイリア大橋を建設したのは、フィローネ草原開発という大目的のためであった。原野のまま手つかずの状態にあるフィローネ草原を開拓し、広大な農地として新たな穀倉地帯を創出する。ハイリア大橋は、開拓に必要な資材を輸送するためのいわば動脈として、また、新たに生み出されるであろう穀倉地帯から中央ハイラルへ穀物を輸送するためのいわば静脈として、建設されたのだった。

 

 そしてハイラル王国の国庫は、ハイリア大橋を建設した時点で空になっていた。丘に砦を建設するためのルピーは、緑ルピーひとつ分も残っていなかった。もともと、フィローネ草原の開発計画は壮大に過ぎた。当局者の間でもそれを巡っては賛否両論が渦巻いていた。はたして莫大なルピーを投入したとして、それに見合うだけの成果が得られるか? 大方の意見は否定的であった。

 

 それに加えて、もはや国政における恒例行事という観もするゾーラ川の大氾濫がまたもや発生した。予算は治水事業に配分されることになり、フィローネ草原開拓計画は無期限中止となってしまった。そういうわけで、「ハイリア湖の城」という夢は日差しを浴びた朝露のように消え去ってしまった。

 

 もし丘の砦が完成していたならば、それはハイラル有数の難攻不落の要塞となったに違いない。バルーメ平原の岩盤は砦に良質な基礎を提供したであろう。丘は大軍を展開しづらい立地であるから、もし包囲されても、湖の水軍と連携すれば、数ヶ月でも数年でも籠城を継続することができたであろう。アッカレ砦のように砲台を整備すれば、より攻撃的な拠点としても活用できたであろう。大厄災の後も、この丘は城塞マニアたちの間で密かな人気を博していたが、それはこのような理由からであった。

 

 

☆☆☆

 

 

 この丘の砦は、長らく幻のままだった。その幻を、不完全ながらも実際に築き上げたのは、一匹の白銀ボコブリンだった。

 

 その魔物は、以前はフィローネ海にほど近いテホタ湿地一帯に勢力を張っていた。彼には十匹ほどの仲間がいた。彼の群れは大して規模が大きくなかったが、外敵らしい外敵はいなかったためそれで問題はなかった。彼らは毎日、湿地で獲れる魚をたっぷり食べていた。彼らはまことに安逸(あんいつ)な、満ち足りた暮らしを謳歌していた。

 

 その状況が変わったのは、この一年以内のことであった。ある日、唐突にその白銀ボコブリンの縄張りに、侵入者が現れた。容貌魁偉(ようぼうかいい)な半人半獣のその侵入者は、彼が今までに見たことも想像したこともない強力な大剣と弓を持っていた。半人半獣の魔物は、己以外にはなにものも存在せぬとばかり、悠然と彼と彼の群れの縄張り内を闊歩(かっぽ)し始めた。

 

 その白銀ボコブリンは、一般的なボコブリンと比べて知恵があった。彼は考えた。他の群れに舐められないために、侵入者には戦いを挑むべきだ。しかし、自分たちの実力では、あの半人半獣の魔物には天地がひっくり返ったって勝てっこないだろう。ならば、ここは思いきって遠くに引っ越すべきだ。彼はそう判断した。彼は仲間を引き連れ、新天地を求めて放浪の旅に出た。

 

 旅の途中、彼はアラフラ平原を縄張りにする大きな群れから勧誘された。だが彼はそれを断った。小さくても、彼は群れのリーダーで居続けたかった。彼はやがて樹海を抜けてバルーメ平原に辿り着いた。そして、彼は小高い丘に拠点としての価値を認めた。それは魔物としては驚異的な頭脳であると言えた。彼は仲間と共に、ここを新たな縄張りとすることにした。

 

 彼と彼の群れが丘で暮らしているうちに、いろいろなことが起こった。リザルフォスの仲間が加わったり、近くにあったニンゲンの大きな建物が謎の大爆発を起こしたりした。赤い髪と褐色の肌の強そうなニンゲンのメスたちが大挙してやってきたり、それをやり過ごしたりした。概ね平和な日々だった。

 

 変わったことが起こったのは、その日の昼前のことだった。その日、彼らは(タコツボ)(こも)ったニンゲンのオスに向かって、からかい半分に矢を射掛けた。その後に、妙にひょろっとした一匹のボコブリンがどこかからやってきたのだった。

 

 その来訪者はなぜか白い服を着ていた。腰には長い刀をさげていた。そして、その顔は破滅的なまでにブサイクだった。あまりの怪しさに、彼は何度も鼻をフゴフゴと鳴らして確かめた。だが、微かにニンゲンのメスの匂いがするだけで、他に怪しい点はなかった。

 

 その来訪者は身振り手振りで伝えた。

 

「敵がここに攻め込もうとしている。備えなければならない」

 

 奇妙な迫力に気圧されて、彼は仲間たちを集めて防衛の準備に取り掛かった。必要な資材はいくらでも手に入った。このあいだ爆発したニンゲンの大きな建物から持ってくるだけで良かった。その建物が以前は「(みずうみ)研究所」と呼ばれていたとは、彼は知る由もなかった。

 

 日が暮れる前に準備は終わった。来訪者は色々と彼にアドバイスをしてくれた。アドバイスは依然として身振り手振りによるものだったが、彼はそれを理解することができた。来訪者は、彼だけではとても思いつかないような素晴らしい罠をたくさん考案した。彼は、たとえあの自分たちを追い出した半人半獣の魔物でも、この拠点に足を踏み入れたら生きては帰れないだろうと思った。ただ、美味しそうなバナナをたくさん罠に使うのには、彼は首を傾げた。来訪者は「きっとバナナが効果を発揮する」と言ったが、なぜバナナが罠になるのか、彼には理解できなかった。

 

 雨が降っていた。昼はあんなに晴れていたのに、空は彼らを裏切った。彼はそう思った。彼は雨が嫌いだった。ここに来るまでに、彼は仲間とともにずいぶんと冷たい雨に打たれたものだった。

 

 それでも、今の彼にはそれ以上に大きな楽しみがあった。

 

 鈴の音を転がしたような、可愛らしくも凛々しい女性の声がした。

 

「あーあ、どうしてこんなことに……」

 

 そう、最近手に入れたこの「オモチャ」で遊べば、陰鬱な気分も少しは和らぐというものだ。彼はそう思った。彼がそう思っている間にも、女性の声は続いた。

 

「里のみんなは、今頃何をしているのかなぁ……」

 

 その丘の頂上、彼の寝床があるところに、一つの木製の檻が置かれていた。檻の中には赤い影があった。彼はそれに近づいて、フゴフゴと舐めまわすように匂いを嗅いだ。

 

 檻の中の赤い影は悲鳴を上げた。

 

「うっ、うわっ! や、やめてください! 匂いを嗅がないで! (けが)らわしい!」

 

 このオモチャは、ニンゲンの言葉を話している。彼はじっくりとそれを観察した。このオモチャは、ニンゲンのメスのように胸が膨らんでいる。しかし、ニンゲンではない。肌が赤かったり白かったりして、頭と手足にはヒレがある。なにより、少し魚っぽいにおいがする。オモチャはなおも言葉を漏らした。

 

「うう……もう何日も水浴びをしてないわ……はやくゾーラの里に帰りたい……」

 

 彼は手を伸ばして、その鋭い爪でオモチャを()っついてみた。こうしてやると、このオモチャは必ず悲鳴を上げる。それがとても面白い。

 

 予想通り、オモチャは悲痛な叫び声を上げた。

 

「いっ、痛いっ!! やめてっ、やめてくださいっ!!」

 

 声による反抗を意にも介さず、彼はブヒブヒと愉悦の声を上げながらオモチャを(つつ)き続けた。オモチャは叫んだ。

 

「やめて! やめっ……あっ、もしかして、こちらの言葉が難しすぎて意味が伝わってないのかしら? それなら、じゃあ……ほ~ら、やめまちょうねぇ~、いたがってまちゅよ~、こわがってまちゅよ~、ただちにやめまちょうねぇ~……はぁ、とっとと地獄に堕ちてください……」

 

 だが彼は()めなかった。彼は(つつ)き続けた。

 

 彼はひとしきり遊んだ。最初は身を(よじ)って精一杯の抵抗を見せていたオモチャも、最後になるとへたり込んで動かなくなり、なにやらブツブツと呟くだけになった。

 

「……ああ、そもそも相手は魔物なんだから、こちらの言葉が通じるわけがなかったわ……それにしても、シド王子のご命令とはいえ、まさかこんなことになるなんて……たしか、果実栽培用の新型魚粉肥料に関する資料だったかしら……ていうかハイリア人って魚を肥料にするの……? 魚は食べ物でしょう常識的に考えて……せっかく届けに来たのに、(みずうみ)研究所は跡形もなくなってるし、挙句の果てにはボコブリンに捕まるし……こんなことになるのだったら、部屋にこもって議事録の整理でもしておくのだったわ……」

 

 その時だった。突如として、あの訪問者がそこに姿を現した。闇から突然飛び出てきたような、何の脈絡もない登場の仕方だった。白銀ボコブリンは驚いた。だが彼は、その次に訪問者が身振り手振りで伝えた内容を目にして、ニタリとした獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。

 

 敵が来た。侵入者だ。街道側から二人、平原側から三人来るらしい。オモチャで遊ぶのはまた後だ。今夜はもっと面白いことが待っている。今度こそ、絶対に侵入者に負けたりしない。必ず皆殺しにしてやる。

 

 白銀ボコブリンは得物(えもの)の竜骨ボコこん棒を手に取ると、バタバタと乱雑な足音を立ててその場を離れていった。後には檻に入ったオモチャだけが残された。

 

 

☆☆☆

 

 

 バナーヌ、テッポ、モモンジの三人はたっぷり三時間ほどの睡眠をとった。彼女たちはすっかり元気を取り戻していた。気力は充溢し、思考は冴え渡っていた。手に持つ武器は羽毛のように軽く感じられた。彼女たちの若き肉体は一切の音を立てず、しなやかに動き始めた。

 

 その時は日没の直後だった。だが、彼女たちが没する太陽へ惜別の情を述べることはできなかった。すでに黒雲が空を覆っていたからであった。

 

 薄暮奇襲(はくぼきしゅう)、それは隠密をこととするイーガ団員にとって、基礎的な戦術常識であった。暗殺する際も、隊列を襲撃する際も、建物に侵入する際も、イーガ団員は払暁(ふつぎょう)薄暮(はくぼ)かのいずれかの時間帯を念頭に置くものであった。人間でも魔物でも、太陽が支配する昼の世界と、月と星が支配する夜の世界が切り替わる時には、どうしようもなく精神が緩むものである。そのことをイーガ団員たちは知っていた。

 

 テッポが言った。

 

「でも、城攻めにも、はたして薄暮奇襲が通用するかしら」

 

 モモンジが疑問の声を発した。

 

「えっ? 城攻め? どういうことですか、テッポ殿? 城なんてどこにもないじゃないですか」

 

 テッポが呆れたような声を上げた。

 

「もうっ、モモンジったら! さっきの説明をちゃんと聞いてた? この丘は城みたいなものなのよ! ねっ、バナーヌ?」

 

 バナーヌは頷いた。

 

「うん」

 

 偵察の結果から、この丘に魔物たちが手を加えて、ある程度の防御能力を付与していることが彼女たちには分かっていた。無論、彼女たちは中に入って直接それを確かめたわけではなかった。だが、魔物たちがせっせと丘へ物を運び、忙しく立ち働いて工事をしている様子は、外からでも見て取ることができた。

 

 テッポがそれまでの復習とでも言うようにモモンジを諭した。

 

「城とか要塞っていうものはね、攻め込む側に行動の自由を与えないように設計されているの。だから、私たちがあの切れ目のような細い通路に入るってことは、敵が意図する戦いを強要されて、その一方でこちらの意図はことごとく妨害されるってことなのよ」

 

 モモンジがポンと手を打った。彼女は言った。

 

「あー! だから通路には極力入らないで、壁登りで本丸(ほんまる)直撃をしようと言ってたんですね! でも、今は……」

 

 暗い夜空に浮かぶ雲から、際限もなく雨粒が落ちていた。雨は強くはなかったが、弱くもなかった。雨音が足音を掻き消し、気配を殺すという点では幸運ではあると言えたが、しかし別の点では不運であると言えた。

 

 天を仰いでモモンジが呟いた。

 

「うーん、テッポ殿のカンテンボーキが的中しましたね……雨が降ってるから、壁登りは無理そうです」

 

 そう言うなりモモンジは、目の前のほぼ垂直に近い岩壁に手をかけて、登攀(とうはん)を試みた。モモンジはほんの少しだけ上に行くことができた。だが、それから彼女はズルズルと下に落ちてしまった。

 

 モモンジは、ブルブルと犬のように首を振った。臙脂色(えんじいろ)の頭巾から雨水が飛び散った。彼女は言った。

 

「やっぱりダメですね、これじゃ壁は登れません。残念です……」

 

 長い黒髪を軽くかき上げつつ、テッポが言った。

 

「そうね……雨でなかったなら、この壁を三人で()じ登って、それで一気に丘の頂上に突入して、そこから順々に魔物共を皆殺しにできたんだけど……」

 

 バナーヌが短くテッポに尋ねた。

 

「テッポ、爆弾は使える?」

 

 いかにも残念そうな声音で、テッポはそれに答えた。

 

「いえ、無理ね。アラフラ平原の時と同じで、雨の時はどうしても爆弾の不発率が上がるのよ。それでも何発かは爆発するだろうから、いざとなったら不発覚悟で爆弾を何発も投げれば良いのかもしれないけど……でも、考えてみたら通路のような狭いところで爆弾なんて自殺行為だから、元からあまり問題ではなかったのかもしれないわ……」

 

 しばし沈黙が三人の間を満たした。ややあって、バナーヌは意を決したように言った。

 

「通路に入る。手筈(てはず)通りに」

 

 テッポが短くそれに補足した。

 

「先頭がバナーヌ。殿(しんがり)がモモンジ。真ん中は私ね」

 

 モモンジが風斬り刀の鞘を撫でながら、少し不満そうな色を浮かべて言った。

 

「別に、バナーヌ先輩じゃなくても、私が先頭でも良いんですが……」

 

 テッポはモモンジをやんわりと(なだ)めた。

 

「いえ、モモンジ。決してあなたを軽んじて言うわけじゃないけど、あなたには状況判断力が欠けているわ。突発的な事態が起こった時に先頭の人間が適切な指示を出さないと、三人とも一気に全滅するなんてことになりかねない。ここはいつも冷静沈着なバナーヌが適任なのよ。それに、あなたの風斬り刀は細い通路では取り回しが利かないし」

 

 それを聞いたモモンジは、気を取り直したように力強く答えた。

 

「そうですね……じゃあ、私は背後から忍び寄ってくるかもしれない魔物をばさーっと斬りつけてやります!」

 

 テッポは頷いた。

 

「そうよ、その意気だわ」

 

 そんな二人を静かに見ていたバナーヌが、おもむろに口を開いた。

 

「準備は良いか」

 

 ふふっと、モモンジの口から声が漏れた。どこか場違いな笑いだった。テッポが怪訝な表情をして言った。

 

「なに、モモンジ? どうしたの?」

 

 モモンジがいかにも面白そうに答えた。

 

「ふふ……いえ、あの、えーっとですね……夜に、しかも雨の中、敵の城に忍び込むなんて、なんだか物語みたいだなぁって。まるで『囚われのお姫様を救出しに行く勇者』みたいじゃないですか」

 

 予想外なまでにふにゃふにゃとしたモモンジの返答に、テッポが呆れの感情も隠さずに言った。

 

「もう、戦いを前にしているのに、あなたは何を言ってるのよ! それに、物語というならなら『城で惰眠を貪ってるにっくき姫を暗殺しに行く』ってところでしょ」

 

 二人の他愛のない会話に、バナーヌも幾分毒気を抜かれた。彼女は言った。

 

「……案外、本当に姫がいるかも」

 

 バナーヌらしくもないその低い呟きを、しかしテッポはよく聞き取れなかった。

 

「えっ? バナーヌなんて言ったの?」

 

 バナーヌは静かに首を左右に振った。

 

「なんでもない、行くぞ」

 

 雨が止む気配は一向になかった。

 

 三人は縦一列となって、細い通路に侵入した。入口には何も仕掛けが施されていなかった。その平凡そのものの有様が、魔物側の静かな挑発であるかのように彼女たちには感じられた。

 

 侵入し始めて、およそ三分が経過した。敵に気取られることを避けるため、誰も一言も発さなかった。聞こえるのは陰気な雨音だけだった。

 

 魔物の襲撃もなかった。侵入に気付かれていないのだろうか? この雨ならばそれも当然ではあるが……しかし、バナーヌはそう考えつつも胸中のどこかでひりつくような切迫感を覚えていた。

 

 それは、戦闘時に特有のあの緊張感とは違っていた。これは、胸騒ぎだ。彼女はそう思った。第六感とも言うらしい。この胸騒ぎのおかげで、自分はいつも危機を回避してきた。敵はすでにこちらの存在を察知している。そういうものとして今後は行動しなければならない。彼女は気を引き締めた。

 

 さらに十分が経過した。相変わらず通路は狭いままだった。どこにどう繋がっているのか、三人には見当もつかなかった。実に嫌な感じだった。警戒態勢をとりながら三人は黙々と歩き続けた。

 

 やがて、彼女たちは最初の罠に遭遇した。それは単純な落とし穴だった。バナーヌはすぐにそれを見破った。モモンジが刀の鞘で軽く突くと落とし穴の蓋が落ちた。穴の底には鋭い木の杭が何本も植えられていた。

 

 この程度の罠に引っかかるほうがどうかしている。しかし、まだ序の口だ。バナーヌはそう思った。彼女たちはさらに先へ進んだ。

 

 次に三人が目にしたのは、宝箱だった。少しだけ開けた空間に宝箱がポツンと一個だけ、無害さを装って安置されていた。宝箱は木製の小さなものだった。

 

 あからさまに怪しい。バナーヌは警戒した。しかし、こういう時は、宝箱以外に気を付けなければならない。宝箱はいわば囮で、本命の罠は別にある。そういうことが多い。バナーヌは距離をとって注意深く観察した。ほどなくして、彼女は宝箱から細い線が伸びていることに気付いた。線は両側の壁へと繋がっていた。彼女は慎重に近寄って、罠を解除した。宝箱を開けた瞬間に線が切れて、両側の壁に巧妙に隠されていたトゲ付き鉄球が頭部を直撃する仕組みになっていた。彼女たちは無言のまま、さらに奥へと進み始めた。

 

 異変が起きたのは、その三分後のことだった。

 

 通路の真ん中に、唐突に、何の脈絡もなく、ツルギバナナが置いてあった。

 

「ウッホ」

 

 バナーヌが突然、サルのような声を上げた。澄んだ美しい声で発される「ウッホ」は、奇妙なまでに明瞭に通路に響き渡った。

 

 バナーヌの背中に遮られて前方の状況が把握できないテッポは、小声でバナーヌに問いかけた。

 

「……ねぇ、バナーヌ? どうかしたの?……」

 

 モモンジも異常な事態に気付いて、小声で前にいる二人に話しかけた。

 

「……バナーヌ先輩、どうしたんですか? テッポ殿、何かあったんですか?……」

 

 そんなテッポとモモンジの声も聞かず、バナーヌは普段の氷のような凛々しさもどこへやら、ひょこひょことおどけたような足取りで、前方のバナナへ近づいていった。

 

 バナーヌは屈みこんでバナナを手に取った。彼女はその透き通るようなサファイアの瞳をキラキラと輝かせていた。()めつ(すが)めつして彼女はバナナを見た。うん、これは素晴らしいバナナだ。よく肥えていて、長くて、太くて、行儀よく五本が連なっている。美しいツルギバナナが、丸々一房もある……

 

 さっそく一本食べてみよう。彼女はそう思った。その瞬間、彼女の視界の端に、またしても黄色いものが見えた。彼女は声を上げた。

 

「ウッホ」

 

 通路の先、曲がり角の直前に、バナナがもう一房、雨に打たれて濡れていた。

 

 仕方がない、これを食べるのは後回しだ。可哀そうにあそこで冷たい雨に濡れているバナナを救出してあげなくてはならない。一刻も早く……バナーヌは手にしていたバナナをポーチにそっとしまった。

 

 バナーヌの後ろにいる二人は、なおも状況が掴めなかった。バナーヌの突然の奇行に、二人は戸惑うばかりだった。テッポが言った。

 

「……ちょっと、バナーヌ! 何があったの? 返事くらいしてよ!……」

 

 モモンジも声を上げた。

 

「……バナーヌ先輩? どうしたんですかバナーヌ先輩? うーん、聞こえてないみたい……」

 

 そんな二人の声も聞かず、バナーヌは普段の満月のような冷たさもどこへやら、ノチが見たら泣いて悲しむような足取りで、ふたつめのバナナへと近づいていった。彼女は声を上げた。

 

「ウッホ」

 

 そんなことが五回も続いた。バナーヌはバナナに導かれるままに、くねくねとした通路を進み続けた。テッポとモモンジはそれに付いていかざるを得なかった。

 

「ウッホ」

 

 これで六回目であった。通路は上り坂となっていた。坂の上には木箱が積み上げられていて、坂の中ほどにバナナが置いてあった。バナーヌは相変わらずサルのような声を上げると、奇妙な足取りでバナナへ向かった。

 

 テッポとモモンジは状況に慣れつつあった。気が緩んだ二人は雑談を始めた。モモンジが言った。

 

「テッポ殿、バナーヌ先輩は大丈夫なんですか? なんていうかこう、ちょっと普通じゃない感じですけど」

 

 テッポが答えた。

 

「あー、あれはね、カルサー谷出身のイーガ団員なら普通のことなのよ……私たちフィローネ支部の人間はバナナなんて見慣れてるから平気なんだけど、バナナに常に飢えてるカルサー谷の団員は、地面にバナナが落ちてたりしたら例外なく『ウッホ』ってなっちゃうらしいわ」

 

 モモンジは首を傾げた。

 

「例外なく、ですか? じゃあ、総長様は? 総長様も『ウッホ』ってなるんですか?」

 

 テッポも首を傾げた。

 

「うーん……総長様も『ウッホ』ってなるのかなぁ……総長様はどうか知らないけど、前に一度だけ、お父様が『ウッホ』ってなったのを私は見たことがあるわ」

 

 モモンジは言った。

 

「それじゃあ、テッポ殿は? テッポ殿もカルサー谷出身ですよね?」

 

 テッポは答えた。

 

「そうね、私の出身地はカルサー谷よ。でも私は『ウッホ』とはならないわね……フィローネに来てからたくさんバナナを食べたからかしら? バナナを見てもそんなに『ウッホ』って感じにはならないわね。マックスドリアンならいざ知らず……」

 

 緊張感の抜けた会話を二人は続けていた。そんな二人の前で、バナーヌは今や六個目のバナナをポーチに収めようと、それを持ち上げた。

 

 そのバナナには、一本の線が繋がっていた。ブツッという、嫌に耳に残る音を立てて線が切れた。

 

 音を聞いて、バナーヌはハッとなった。彼女は声を上げた。

 

「むっ!?」

 

 次の瞬間、バキバキッと破壊音がして、坂の上に積み上げられていた木箱の山が粉砕された。三人は同時に叫んだ。

 

「あっ」

「ああっ!」

「あああっ!」

 

 その奥から姿を現したのは、巨大な丸い岩石だった。岩石は木箱を破壊しつつ、通路の幅いっぱいに猛スピードで転がり落ちてきた。

 

 もう一回も瞬きもしない間に、岩石は三人を圧し潰すだろう。

 

 避ける場所は、どこにもなかった。




 イーガ団員はバナナに弱い。これは定説です。
 今回舞台となっているバルーメ平原の丘ですが、ここは原作だと湖の塔が立っているところです。話を書くに当たって何回も実地調査をしました。何度見ても「素晴らしい立地だなぁ」と思います。アッカレ砦もそうであるように、シーカータワーは防衛の要地に設置されていることが多いのかもしれません。
 原作における丘は実際のところ、今回書いたように広くもなければ迷路でもありません(まあ、入り組んではいるのですが……)。しかし、ところどころに防御用の盾や逆茂木が備え付けてあって、砦としての雰囲気は抜群です。ここはひとつ、小説的な脚色ということでご勘弁を願います。

※加筆修正しました。(2023/05/19/金)
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