第五十三話 これからも使い倒してやるからな
人々はなぜこれほどまでに伝説に惹かれるのであろうか。王国が滅亡し、文明が崩壊し、社会が荒廃したこの大厄災後のハイラル世界においてなお、人々は伝説を捨て去ってはいない。どんなに辺鄙な田舎においても、家々の書棚には薬草事典や家庭用医学事典と並んで、必ずハイラルの伝説について述べられた書物が少なくとも一冊は収められている。夜、暖炉の前に腰をかけて、親は子にゆっくりと伝説を読み聞かせる。子はさらにその子へと伝説を語り継ぐ。次第に書物は古び、表紙が破れページが欠け、もはや書物としての体裁を保てなくなるが、伝説そのものは決して滅びない。伝説は人々の心の中で常に新しいものとして存在し続ける。
いや、聞き、語り継ぐだけではない。人々は実際に伝説をその目で直接確かめようとすらする。彼らは安全な故郷を離れ、魔物が跋扈する平原を抜け、
そして、出発した時から大事に背負ってきたツルハシやシャベルを取り出して、地面を掘り始めるのだ。美しく澄み渡って、どこか崇高な色さえも湛えていた彼らの目は、今や脂ぎった欲望で怪しく光っている。彼らは汗水を垂らして道具を振るい続ける。
彼らは宝を探しているのだ。
彼らは愚かであるといえるだろうか。一概にそうともいえない。
なるほど伝説は豊かな精神的遺産である。伝説は実に様々な人々の物語を伝えており、生きた知と経験を教えてくれる。知恵、力、勇気の
しかし、それだけではない。伝説には確かに、より実利的な面での重要性がある。人々が伝説に惹かれるのは、それによって
人々が伝説をそのように見做してしまうのも不思議ではない。なぜなら、ハイラルの伝説とは様々な人々の物語であるのと同時に、様々な
これらの
伝説が語り継ぐ勇者たちは、その全員が勇気に溢れ、剣技に秀でた者たちであったが、それ以上に
勇者たちはその時代においてその役目を終えると、いずこへともなく消えていった。宝もまた、勇者と共にどこかへ消え去った。だが、それは確かに存在したのであり、やはり今もこの広いハイラル世界のどこかに存在しているに違いない。いつの頃からかは分からないが、そのように考え、その考えを証明するために精力的に活動する者たちが出現した。いわゆるトレジャーハンターの誕生である。
彼らは宝探しに命を懸けており、実際に命を落とすこともしばしばであったが、やはり何らかの成果をあげた。彼らは決して勇者の宝を見つけることはできなかったが、その副産物として数多くの財宝やルピーを獲得した。
初めは人々から「正業に就かない社会不適合者」「所詮は山師の変種」と見なされていたトレジャーハンターは、次第にれっきとした職業のひとつとして認識されるようになっていた。のみならず、トレジャーハンターは人々の憧れともなり、話題の的ともなっていった。一度の探検で莫大な富を得たトレジャーハンターは、闘技場の花形選手に劣らぬ名声を博するのが常であった。
いわば彼らトレジャーハンターは、勇者なき時代の勇者であった。彼らが得たものは紛い物の宝であったかもしれないが、彼らが宝を得ようとして敢行した探検は、勇者のそれに見劣りのしない偉業であった。少なくとも、同時代の人々はそう見ていた。
しかし、最初はどれだけ純粋な気持ちから始められたものでも、時代が経つにつれて不純さを増し、輝きを失うというのが歴史の法則であろう。トレジャーハンターもこの法則から逃れることはできなかった。
時代が進むと、個として活動していたトレジャーハンターたちは集団を形成するようになった。彼らは企業として、会社としてトレジャーハントを行うようになったのである。当初は不安定な生活を保障するための組合としての色彩が強かったが、そのうち彼らは投資を募り、人とモノと金を集めるようになった。そうすることでより大規模なトレジャーハントをすることが可能であると、彼らが気付いたからであった。
こうして数多くのトレジャーハント会社が設立された。そのほとんどは成果をあげることもなく倒産した。ごく少数の会社だけが高い収益をあげることができたが、往々にしてその経営手法は非道徳的で反社会的なものであった。詐欺と横領は日常茶飯事であり、社員の奴隷労働は常態化していた。
トレジャーハント会社は利益のために遺跡を破壊することも厭わなかったが、その所業は歴史学者や考古学者たちによって激しく糾弾された。法による規制がたびたび行われた。それでもなお百年以上にわたって企業としてのトレジャーハントは存続し、その悪名を轟かせ続けたのである。
トレジャーハント会社全盛期の代表的人物の名としては、やはりバツタキカが挙げられるだろう。
バツタキカは城下町で靴職人の息子として生まれた。彼の家は決して経済的に恵まれているとは言えず、両親はバツタキカの利発さ、頭の良さをよく承知していながらも、彼を学校へ通わせることができなかった。稼ぎ手であった父親が流行り病によって死去してからは、一家はより一層の窮乏生活に甘んじなければならなかった。彼は母と弟妹たちを養うために懸命に働いた。
しかし一向に経済状況は好転しなかった。彼の自伝によると、この貧乏によって彼は「コツコツと仕事をしているだけでは運命は拓けない」という確信を得るに至ったという。
彼が十八歳になった頃、城下町において新しくトレジャーハント会社が設立された。会社は主にフィローネ地方の密林での探索を事業目的としており、成果に応じた分だけのボーナスを支払うことを謳って社員を募集していた。バツタキカは応募し、採用された。彼は荷物運び人として、トレジャーハンターとしてのキャリアを始めた。彼の同期は五十人いたが、彼の自伝によれば「自分以外の全員が入社一ヶ月後に姿を消した」という。
「……業務内容は過酷で、危険に満ちていた。私たちは背骨が曲がるほど重い荷物を担いで延々と歩いていかねばならなかった。私たちが運んでいたのは、主に食糧だった。それは会社の主力である精鋭のトレジャーハンターたちが道中で飲み食いするためのものであった。肉、パン、乾燥野菜、果物、酒などを私たちは担いだ。私たちは決してそれらを口にすることはできなかった。重労働に喘ぐ私たちに食事として提供されたのは、薄い粥と、ほとんど塩の塊のようになっている干し肉の一欠片だけであった。私たちはトレジャーハンターではなく、ただの奴隷にすぎなかった……(中略)……朝になると、必ず誰か一人が姿を消していた。夜の間に脱走したのである。その者が残していった荷物は、他の誰かが余計に背負わなければならなかった」
そんな仕事に彼は五年間も耐えた。ある時、探検隊は密林に埋もれた遺跡で数万ルピーもの財宝を発見した。探検隊は大いなる収穫を得て中央ハイラルへの帰途に就いたが、バツタキカはその一部を盗んで脱走をした。「それは今後の人生を賭けた博打だった」と彼は言う。
そして、彼はその博打に勝った。数年の潜伏生活を送った後、彼は盗んだルピーを元手にして自分だけのトレジャーハント会社を設立した。彼の会社は大成功を収めた。その経営手法はしばしば「過酷にして悪質」と告発されたが、彼によると「トレジャーハンターというものはただ窮乏によって鍛えられるものであり」「すべては従業員を一人前のトレジャーハンターにする上で必要なもの」であった。自前で養成した優秀な従業員を使って、彼は次々と利益をあげていった。
バツタキカは伝説を好んで読んだという。彼によれば「それが宝の在処を明確に教えてくれた」からであり、「また、勇者といえども所詮は宝の魅力に憑りつかれた一人のトレジャーハンターに過ぎないと教えてくれる」からであった。
ある時、彼はひとつの伝説に目を付けた。それは「キタノ湾での埋蔵金」に関するものであった。ハテール海のキタノ湾には数億ルピーにもなる古代の勇者の埋蔵金があり、今もそれは手つかずのまま残されているという。彼は、さすがに数億というのは誇張であるとしても、少なくとも数千万ルピーはあるだろうと推測した。一度の探検でそれだけの金額を稼いだ業者は存在しなかった。「金額以上に、その事実が魅力的だった。会社の主であるとはいえ、私もまたトレジャーハンターの一人であった」と彼は言う。
バツタキカは一年をかけて準備をし、意気揚々とキタノ湾での探検に乗り出した。折しもハテール海では百年に一度の暴風が予想されており、海に出るのは自殺行為であると言われていたが、彼は探検を強行した。結果として、彼の所有するサルベージ船の四割が沈没した。死者が出なかったのは不幸中の幸いといえた。
ここで終わっていれば、バツタキカは損失を出しただけで済んだかもしれなかった。しかし彼は諦めなかった。彼は更なる投資を募った。一年後に再度サルベージ船団を用意して、彼は二度目の探検を敢行した。
どのような神々の計らいによるものであるか分からないが、この時もまた百年に一度の暴風が予想されていた。彼は「百年に一度の事態が二年連続で起こるわけがない」と判断し、船団を出発させた。
船団は一応の成果をあげた。それらしい岩礁を発見したのである。彼らはさっそく調査とサルベージに取り掛かった。作業は難航したが、ついに彼らは宝箱と思しきものを捉えた。だが、その日の午後になって強い風が吹き始めた。時間が経つにつれて風は勢いを増した。直ちに船団を退避させるべきであったが、彼はサルベージを続行させた。勇者の埋蔵金を手に入れるのはもはや目前であった。
結局、船団は壊滅した。九割の船が沈没し、多数の溺死者を出した。生きて帰ったバツタキカは猛烈な非難に見舞われ、やがて当局によって逮捕された。判決が下され、彼はアッカレ地方沖のチクルン島監獄で終身刑に服することとなった。彼はそこで自伝を書き、その十年後に死去した。
自伝において彼は言う。「私は従業員を奴隷扱いしたことはただの一度もない。私は彼らを最初から最後までトレジャーハンターとして扱った。キタノ湾においても、私は彼らのトレジャーハンターとしての意志を尊重した。彼らの全員が『あえて嵐の危険を冒すべきだ』と主張していた。私への『利益のために従業員の命を危険に晒した』という非難は不当である。また、私が守銭奴であるという批判も不当である。確かに私はルピーを求めたが、それは私が豊かになるためではなかった。私は、私なりの方法で伝説の真実性を証明したかっただけである。埋蔵されたルピーこそかつての勇者の活躍をあからさまに証明するものであると私は信じていたし、今も信じている……」
バツタキカの会社は滅び、彼もまた死んだ。しかし、彼の意志だけは形を変えつつも未だに生き残っている。大厄災後のこの荒廃した世界において、トレジャーハンターたちは遺跡を巡り、廃墟を漁って宝を探し求めている。彼らは欲望に身も心も焼かれており、焼かれることで生きる実感を得ている。
だが、彼らはトレジャーハントという行為そのものが呪われているということを知らない。そうであろう、そもそも王国は百年前、遺物という宝を掘り出してしまったために滅亡したのではなかったか? 国を挙げてのトレジャーハントは、いったいどういう結果を招いたのか? しかし、これほどまでに端的な呪いの証明を、彼らは決して受け入れようとしない。
彼らは愚かであるといえるだろうか。それは、これから明らかになる。
☆☆☆
平原外れの馬宿は、かつてないほどの賑わいを見せていた。
ちょうど、宿場町跡地でバナーヌがイーガ団特殊工作員ウロとの死闘を制した頃であった。宿の外には夕方の風が吹いていた。涼しく、乾いた風が木々の梢を静かに揺らし、微かな葉擦れが鳴った。葉の間から、巨大な闘技場跡地の影が見えた。闘技場の建物には赤と黒の「怨念の沼」がべっとりと張り付いていた。もう百年以上も「怨念の沼」は闘技場を汚し続けているのだった。
室内には熱気が満ちていた。いつもならば必ず半分以上は空席となっているテーブルと椅子にぎっしりと客が座っており、客たちは盛んに会話を交わしていた。店員たちは忙しく立ち働き、料理と酒を給仕して回っていた。店員たちの顔は明るかった。このような場末の馬宿で勤務を始めて以来、彼らはようやく働き甲斐のようなものを得ることができたのであるから、それも当然であった。
彼らの表情が明るかったのには、それ以外にも理由があった。先日、店は完全なリノベーションを果たしていた。逗留者の中にハテール地方からやってきた工務店の社長と社員がおり、その二人が格安で仕事を請け負ってくれた。彼らの仕事ぶりは凄まじいものだった。通常ならば最低でも一ヶ月はかかる仕事を、彼らは人智を絶した猛スピードを発揮して一日でやりおおせてしまった。店内には新しい木材の香りが満ちていた。それが店員たちの鼻腔を満たし、彼らの気分を新鮮で豊かなものへと変えていた。
陽気な喧騒が馬宿を支配していた。客も店員も、全員がまったく暗さのない悦楽に浸っていた。
しかしながら、ゴンクは、その光景をどこか冷めた目で見ていた。彼はイーガ団員であり、この平原外れの馬宿の常駐連絡員であった。ゴンクは普段「ゴンロー」という変名を用いており、バナナの行商人として働いていた。バナナを売りながら情報を収集し、この近辺で活動するイーガ団員たちに必要な物資と資金を提供する。それが彼の任務であった。
面白くない、とゴンクは思った。彼はリンゴ酒の入った素焼きのジョッキを傾け、一口だけ飲んだ。微妙な強さの炭酸が彼の喉を焼いた。彼はさらに酒を飲みつつ、考えた。面白くない。この重要な時期に、どうしてこう面白くない状況が発生するのか? 店員たちも客たちも、みんな面白そうな顔をしている。それが彼の癇に障った。俺としては、まったく面白くない。もしかしたら、お前たちのせいで俺たちの計画が台無しになるかもしれないじゃないか。俺たちは目立つわけにはいかないのに。
人が多すぎるというその単純な事実が、どうしても気に食わない。ゴンクは自分の対面に座っている壮年の男へと目をやった。男は静かにそこに座っており、悠然とした態度で酒を飲んでいたが、やはりその目はゴンクと同じくどこか冷ややかなものだった。ゴンクは男に小声で声をかけた。
「グンゼ……いや、『シターク』よ。なんで今日に限ってこんなに客どもが多いのか、お前分かるか?」
シタークという変名を持つイーガ団員グンゼは、わずかに首を動かして「否」と示した。グンゼはゴンクに言った。
「いや、私には検討もつきませんな、ゴンローさん。私はここよりも更に田舎のフィローネの人間ですからね。いつもここで働いているお前さんに分からないのならば、私が分からないのも当然ではないですか」
「まあ、それもそうだな」
ゴンクはまた酒を飲んだ。ジョッキの酒はなくなった。それを見計らったように、店員が声をかけてきた。
「どうですか、ゴンローさん。リンゴ酒のおかわりは?」
こいつ、俺のことを見てやがったな、とゴンクは苦々しく思った。こっちが酒をいつ飲み干すか観察していたのだろう。だが俺は、見るのは好きだが見られるのは好きではない。彼はそう思った。それはイーガ団員としての基本的な心性だった。そのことをおくびにも出さず、ゴンクは愉快なバナナの行商人ゴンローとして返事をした。
「ああ、気が利いてるね。そんなら、もう一杯頼むよ!」
「はい! ただちにお持ちします」
ゴンクは店員が離れる前に、素早く口を挟んだ。
「ところで、今日はどうしてこんなに人が多いんだい? いったいこの連中は何者なんだい? 俺もここでバナナを売り始めてから長くなるが、この馬宿にこれだけ多くの人が集まるのは初めて見るよ」
店員は答えた。
「ああ、この人たちはトレジャーハンターですよ」
「トレジャーハンター?」
そう返事をしつつ、ゴンクは改めて客たちを眺めた。確かに、そう言われてみればそのような人相をしている。客たちには男もいれば女もいたが、全員が一筋縄ではいかない雰囲気を持っていた。正業らしい正業に従事しない、山師じみた、一種のはぐれモノたち、そういう連中に特有の、どこか小汚い空気感があった。
どうしてこれまで気付かなかったのか、ゴンクは自分で自分のことを疑問に思った。クソ、俺も随分と安逸に暮らし過ぎたらしい。彼はトレジャーハンターたちの服装を素早く観察した。連中はその腰にロープ、
俺も焼きが回りつつあるのかもしれない、とゴンクは思った。以前の俺ならば、一目見ただけで連中がトレジャーハンターであることを見抜けたはずだ。お手軽な仕事ばかりしていると、精神までお手軽になってしまうらしい。
「そうそう、そういえば」という店員の声に、ゴンクの意識は現実へと引き戻された。「なんだい?」とゴンクが答えると、店員は言った。
「なんでも、彼らは今日ここで重要な会合を開くとのことです。これまでに類を見ない、まったく新しい仕事をやるのだとかなんとか。そろそろ始まるはずですよ」
ちょうど店員の言葉が終わるか終わらないかの頃に、宿の中へ誰かが入ってきた。思わず、ゴンクの目はそれに吸い寄せられた。
入ってきたのは一人の女だった。
女の背は高く、燃え盛る炎のような髪の毛をしていた。女は美しい顔立ちをしていた。顔からは知性と落ち着きが感じられた。着ているものがまた、女の美を引き立たせていた。女は上質な素材の真っ黒な服を着ており、肩から小さな革のバッグをさげていた。バッグの細い革紐が女の大きな胸を一段と強調していた。
大した美人だな、とゴンクは思った。いや「大した」という言葉は適切ではない。より正確に言うなら、「ものすごい」美人だ。きっとここらの人間ではあるまい、とゴンクは思った。こんな辺鄙な地に美人などいるわけがないのだ。ここら一帯では人間よりもシカの方がよっぽど美しい。
しかし、どこか変だ。ゴンクの直感がそう告げていた。この黒い服の女は美しいが、どこか美しすぎる。不自然なまでに美しい。ゴンクは、今や室内の中央に立って客たち全員の視線を集めている女の全身を、改めて眺めた。素晴らしく均整の取れた体つきだった。
どうも、俺たちと同類のような感じがする。ゴンクはそう思った。あのカルサー谷のパシリであるバナーヌ、あの女と似ている気がする。
ゴンクはグンゼの方へ視線を投げかけた。グンゼは微妙に頷いた。どうやらグンゼも何らかの違和感を覚えているようだった。彼らは黙って黒い服の女を見ていた。
突然、女がゴンクの方へ目を向けて、そしてまた目を背けた。ゴンクは身震いした。視線が向けられたのはほんの一瞬だったが、それには明らかにあるメッセージが込められていた。「黙っていろ」と女の目は言っていた。目は緑色だった。迫力のある緑色だった。
この女はきっと、裏社会の人間だろう。ゴンクは確信した。そうであるなら、やはりこれから女が何を言い、何をするのか、よく見ておかねばならない。ゴンクは気を引き締めた。
やがて、自分に充分な注目が集まったのを確認したのか、黒い服の女はおもむろに口を開いた。
「はじめまして、トレジャーハンターの皆さん。私の名前はロッキョーと申します。あなた方のマネージャーを務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いします……」
綺麗な声が柔和な顔から発せられた。女は優雅に頭をさげて一礼した。トレジャーハンターたちは盛んに拍手をした。
ロッキョーか。おそらくは偽名だろうとゴンクは思った。ロッキョーという名には、ハイリア人にいそうでいない響きがある。女は話し続けた。
「今日ここにお越しいただいた皆様は全員が優秀なトレジャーハンターであるとお聞きしています。この荒廃しきったハイラルの大地において、魔物の脅威すらも意に介さずただひたすらお宝を探し求めるトレジャーハンターたちは、まさしく勇者なき時代の勇者たちと言っても過言ではありません」
お世辞のような黒い服の女の言葉に、トレジャーハンターたちはただでさえ酒によって緩みがちだった表情を更にだらしないものにした。女はやや語調を改めて、また言葉を続けた。
「しかしながら、今回の仕事は多大なる困難が予想されます。そう、これまでとはまったく異なる類の困難です。おそらく個としてのトレジャーハンターでは、この仕事を完遂することは不可能でしょう。それをあえて乗り越えるために、こうして皆様にお集まりいただいたのです」
女はいったん言葉を切ると、トレジャーハンターたちをゆっくりと眺めた。どこか値踏みをするような視線だった。少なくとも、ゴンクにはそう感じられた。この連中はアホそうだから気付いてなさそうだが、どうも女の方は言葉ほどにはこの連中を買っていないようだぞ。彼はまた酒を飲んだ。彼の喉はいつの間にか砂漠のように渇いていた。
また、黒い服の女は口を開いた。
「かつての伝説的トレジャーハンター、バツタキカのことはもちろん皆様ご存じでしょう。あなた方にとって偉大な先人の一人である彼、バツタキカはたった一人でトレジャーハント会社を興し、大成功を収めました。最盛期の彼の資産はハイラル王のそれを凌いだと言われています。それだけの富を得るのは、決して個としてのトレジャーハンターでは不可能だったでしょう。私たちも、彼に倣わなければなりません。今こそ旧態依然たる個々別々のトレジャーハントから脱却して、集団として纏まるべき時です。それによって初めて私たちは、トレジャーハントの新たなる地平へと到達することができるのです」
女は締めくくるように言った。
「そう、『企業としてのトレジャーハント』が、今はじまるのです!」
歓声と共に拍手が響いた。だが、一人のトレジャーハンターは不機嫌そうな顔をして黙っていた。それは女のトレジャーハンターだった。彼女は黒い服の女が現れてから、ずっと不機嫌そうだった。彼女の髪は灰色だった。彼女の険しい表情は、それまで彼女が味わってきた辛酸の数々を端的に示しているようだった。
女のトレジャーハンターは言った。
「大した演説だねぇ。でも、アタイはこんな訳の分からないどこぞの馬の骨たちと一緒に仕事をするつもりはないよ。素性の知れない奴らに背中を任せるわけにはいかないからね。それまでは仲の良いふりをしておいて、いざお宝を見つけたその瞬間に背中をグサッとやられるなんてことになったらたまらないしね」
彼女の隣に座っていた若い男のトレジャーハンターが慌てたように言った。
「ちょ、ちょっと、トンミ姐さん! 言い過ぎっすよ!」
トンミという名の女トレジャーハンターは「うるさいニルヴァー、黙りな!」と言った。
それを見ていた黒い服の女は、にっこりとした笑みを浮かべた。ゴンクは、その笑みに底知れぬ迫力のようなものを感じた。女はまた口を開いた。
「今回はおひとりにつき三千ルピーの参加報酬をお支払いします。参加していただくだけで三千ルピーです。これに、発掘したお宝の価値に応じて追加の報酬が支払われます。危険手当も加算されます。万が一怪我を負った場合は、入院費と治療費も支給されます」
それを聞いたトンミの目が怪しく輝いた。彼女は叫ぶように言った。
「なんだって!? 三千ルピー!?」
黒い服の女はにこやかな顔のまま答えた。
「はい、そのとおりです」
どよめきがトレジャーハンターたちの間に波のように広がっていった。トンミは半信半疑という顔をして黒い服の女に言った。
「どうも話が美味しすぎるねぇ……怪しいよ。いったいその報酬は誰が払うんだい? 私たちをここに呼んだ、あのキルトンとかいう気色の悪いやつかい? でもアイツにそんなにルピーがあるようには思えないけどね」
黒い服の女は笑みを崩さずに答えた。
「魔物研究家のキルトン氏はたしかに今回の事業の出資者の一人です。ですが、さらに資金力に優れた方が他におられます。その方が共同出資者となっています。これでもなお疑問が解消されないのでしたら、今この場で半金を前払いいたしますが……」
そう言うなり、黒い服の女は肩からさげているバッグに手を伸ばし、中からひとつの白い袋を取り出した。袋はずっしりとしていて重そうだった。袋にはルピーのマークが染められていた。女は袋をトンミに向かって差し出そうとした。
トンミは「待ちな!」と言い、手を前へかざしてそれを制した。トンミはさらに言葉を続けた。
「ふん、舐められたもんだね。アタイだってトレジャーハンターの一人だ。誇りがある。半金なんかいらないよ。アンタ方の意図までは分からないが、そこまで大量のルピーをかけてこの仕事をやろうっていうならアタイだって覚悟を決めるさ。可能性に賭けるっていうのは、トレジャーハンターの専売特許だからね。おい、ニルヴァー」
隣に座っている仲間にトンミは声をかけた。仲間のニルヴァーは答えた。
「なんすか、姐さん?」
トンミは顎で黒い服の女が持っている袋を示した。
「あの半金はお前が受け取っておきな」
ニルヴァーは「ええっ!?」と大きな声をあげた。「俺だって姐さんと同じくトレジャーハンターっすよ! 誇りがある! 姐さんが受け取らないって言うなら俺だって……」
仲間に抵抗されて、トンミは物凄い顔をした。彼女は叫んだ。
「黙れ、この万年半人前の小僧が! アタイが受け取れっていうならアンタは何も言わずにさっと受けとりゃいいんだよ……!」
なかなか、トレジャーハンターというのも一概に愚かではないようだなと、ゴンクは思った。あのトンミとかいう女はしっかりとリスクの管理をしているようだ。他のトレジャーハンターたちはどこか間の抜けた顔をしているが、トンミだけは危機的状況に陥ってもしれっと脱出しそうな雰囲気がある。案外、「背中からグサッと」やるのは彼女の方なのかもしれない。それにしてはどこか人の良さそうな感じもするが。
ゴンクがそんなことを酒を飲みつつ考えているうちに、場はいつしかそれぞれの自己紹介へと移っていた。トンミがまず口を開いた。
「アタイはトンミ。トレジャーハンター歴十五年。十歳の頃から年がら年中お宝を探してる。で、こいつはアタイの弟分のニルヴァー。こいつの自己紹介は聞く価値なし。半人前だから。次のやつ、さっさと自己紹介しな」
「そ、そんな……ひどいっすよ姐さん……」
トンミとニルヴァーの隣のテーブルには、二人組の男たちが座っていた。二人の顔はよく似ていた。特に、その鋭い眼差しと鋭角な両の眉はほぼ同一と言って良かった。二人のうち、顎髭を長く伸ばした男が口を開いた。
「俺の名はドミダク。トレジャーハンターさ。この稼業を始めてもう十年以上になる。今回のヤマには期待してるぜ、ロッキョーさんよ。で、コイツは弟のブリセン」
顎髭の短い男がドミダクの言葉を受けて名乗った。
「ブリセンだ。兄さんと一緒にトレジャーハンターをやってる。俺たちの目的はあの伝説の大盗賊ラムダが残した秘宝を見つけることで……」
「おい、弟よ! 話し過ぎだぞ!」
兄に窘められて、弟のブリセンはカタツムリのように体を縮めた。
「ご、ごめんよ兄さん。うっかり話し過ぎた……すまん、みんな。俺たち兄弟が伝説の大盗賊ラムダの秘宝を探しているっていう話は忘れてくれ……」
兄がまた叫んだ。
「おい、話し過ぎだぞ!」
「ご、ごめんよ兄さん……」
こいつらはダメそうだな、とゴンクは思った。バカすぎる。トンミとその弟分であるニルヴァーのコンビとは違って、この兄弟コンビはリスクの管理がなっちゃいない。兄の方が弟よりも分別があるというような顔つきをしているし、口ぶりも達者だが、おそらく危機に直面した時は兄の方が先にやられるだろう。弟を助けようとするからだ。ゴンクは酒を飲んだ。ジョッキの中のリンゴ酒は炭酸が抜けており、ぬるくなっていた。
最後に残ったのは、浅黒い肌の瘦せた男だった。男は一人だった。男はそれまで静かに、というよりも人目を忍ぶようにひっそりと椅子に座って酒を飲んでいた。その目はおどおどとしていて、落ち着きがなかった。
ついに順番が回ってくると、男は覚悟を決めたように勢い良く立ち上がり、捲し立てるように言った。
「お、俺はガノレー! ウオトリー村出身さー! トレジャーハントの経験はあまりないけど、俺には海で鍛え上げた肉体がある! それに、俺の先祖はハイラル王国海軍の提督だったさー! 俺には勇気があるし、どんなに大胆なことでも平気でこなすたんりょ……
こいつはダメだな、とゴンクは即座に判断した。立っているガノレーの足は緊張で小刻みに震えていた。たぶん、現場に行くことすらできずに死ぬタイプだ。ガノレーの体は枯れ木のように細かった。なにが「鍛え上げた肉体がある」だ。薪の代用にもなりゃしないほどに貧弱な体つきではないか。栄養不良なのがはっきりと見て取れる。半分浮浪者みたいなものだ。ウオトリー村の出身と言っているが、本当に海に出て漁をしていたのだろうか? それすらも怪しいものだ。ゴンクはグンゼに目をやった。グンゼは目を伏せた。どうやら彼とまったく同じ意見であるようだった。
他のトレジャーハンターたちも、ガノレーを見て声をあげ始めた。
「おい、なんだよコイツは。誰がこんなやつを連れてきたんだ! アタイはこんなやつとは仕事しないよ!」
「姐さん、言い過ぎっすよ! 確かに見るからに未経験っぽいですけど、荷物運びくらいはできるかもしれないじゃないっすか!」
「俺もこんなやつと一緒に仕事するのはごめんだね! おい、ガノレーとかいうやつ! お前、剣くらいは扱えるんだろうな! 魔物に出くわしたらどうするんだ!」
「俺も兄さんと同じ意見だ。伝説の大盗賊ラムダとまでは流石に言わないが、せめて人並みに戦えるやつじゃないと話にならない……」
「おい! 伝説の大盗賊ラムダの話はするなって言ってるだろ!」
「ご、ごめんよ兄さん……」
「とにかく、このガノレーっていうのがどうしても一緒に行くっていうのなら、アタイはこの仕事から抜けるよ! 何が『企業としてのトレジャーハント』だい、馬鹿馬鹿しい」
無数の非難を浴びつつも、しばらくガノレーは黙って耐え忍んでいるようだった。だが突然、ガノレーは猛然とキレた。辛抱強く穏やかだが、怒る時は爆発的に怒る。それがウオトリー村の人間の特徴であった。ガノレーは叫んだ。
「言わせておけば、おのれらいい気になりやがってさー! 俺を舐めるなさー! 俺はちゃんと戦えるし、酒だってお前らの三倍は飲めるさー! おい、店員さん! 酒を持ってくるさー! 俺の実力を見せてやる!」
ガノレーは店員に大ジョッキで蒸留酒を持って来させると、一息でそれを飲み干してしまった。彼はそれを二回も繰り返した。トレジャーハンターたちは目を瞠った。実際のところ、どれだけ酒が飲めるかはトレジャーハンターとしての資質になんら関係しない。それでも、ガノレーは大した飲みっぷりだった。煽られたかのように、他のトレジャーハンターたちも酒を飲み始めた。
喧騒は爆発寸前にまで大きくなった。酔っぱらったトレジャーハンターたちは喚き、叫び、泣いていた。そしてなおも酒を飲み続けた。馬宿全体が揺れていた。もはや誰が何を言っているのか分からなかった。黒い服の女はその光景を静かに眺めていた。ゴンクもグンゼも呆れ果てた心地で眼前に広がる醜態を見ていた。
突如として、甲高い声が室内に響いた。
「ああもう、うるさいワ! 死ぬほどうるさい! うるさーい!」
トレジャーハンターたちは一時的に狂騒から醒めた。
そこにはサクラダ工務店社長兼棟梁にしてデザイナーであるサクラダが立っていた。サクラダの禿げあがった頭部は茹でたオクタのように真っ赤になっていた。
サクラダは憤怒していた。憤怒の色を隠さずに彼は言った。
「安眠妨害ヨ、安眠妨害! かつての王国では安眠妨害罪は死刑だったってこと、アナタたち知らないノ!? アタシたち、今日はずっとこの馬宿の改修工事のために働いたからものすごく疲れてるのヨ! 夜くらいは安眠させてちょうだい! バカ騒ぎなら
そんなサクラダに対して、トンミが冷ややかな口調で言った。
「アンタ、誰なのさ?」
虚を突かれたような表情をサクラダは浮かべた。彼は言った。
「えっ? 知らないの? ハイラル一の工務店であるサクラダ工務店、その社長にして棟梁にして主任デザイナー、建築学研究者であるこのサクラダをご存じない?」
トンミが冷たく答えた。
「知らないねぇ」
無礼な返答に対して、サクラダは深く長い溜息をついた。そして、口を開いた。
「そんなら、今この場で『サクラダ工務店』と『サクラダ』という名前を覚えなさい。ほら、教えてあげるからよく見てなさい。いくワヨ」
そう言い終えるなり、サクラダは奇妙な節回しの歌と共に手足を動かして踊り始めた。
「新築 減築 解体 外構〜
家の 事なら なんでも ございっ♪」
「その名も サクラダ
DADADA サクラダ工務店〜」
「さくらだっ DADADA さくらだっ♪」
「フワフワ」
「シャキーン!」
サクラダは踊り終えた。その場にいる全員が呆然としてその踊りを見ていた。黒い服の女もサクラダを見ていた。トンミが「ええ……?」と言葉を漏らした。ゴンクもまったく同じ気持ちだった。
サクラダは満足したようだった。彼は言った。
「はい、これで覚えたでしょ? じゃあ、おやすみ」
彼はベッドに戻って横になると、数秒も経たないうちにいびきを立て始めた。大きないびきだった。森の猛獣のようないびきだった。
もし、あの男がトレジャーハンターになるなら、とゴンクは思った。おそらく伝説的な存在になるのではないか。なんというか、そういう凄みがある。
沈黙の中で、サクラダのいびきだけが響いていた。黒い服の女が涼しげな声で言った。
「それでは、今日はこのあたりでお開きということで……明日は皆様のご活躍を期待しております。それでは、おやすみなさい」
トレジャーハンターたちの宴は、ほどなくして散会となった。
☆☆☆
完全に日が沈んだその後になっても、しばらく戦闘は継続した。魔物たちは実にしぶとく戦った。個々バラバラの魔物の寄せ集めにしては異様なまでの戦意の高さだった。もしかすると積み荷から発せられる芳醇な香りが、魔物たちを強く刺激していたのかもしれなかった。
だが、流石にバナーヌたちはれっきとしたイーガ団であった。彼女たちは集団で戦い、戦線を張るということを知っていた。彼女たちは戦線を維持し続け、魔物たちを的確に撃破していった。
やがて、魔物たちは深まりつつある夜の闇を嫌ったのか、車列から離れて退却していった。バナーヌたちは即座に車列の損害状況を確認した。奇跡的なことであったが、馬にも車両にも被害はなかった。ただ時間だけが失われた。なによりも貴重で、取り返しのつかない時間が失われたという事実は、輸送指揮官サンベの神経を逆撫でした。
サンベは苛立ち紛れにバナーヌに言った。
「おい、カルサー谷のバナナ女! 何をぼさっとしてるんだ! さっさと魔物の掃討へ行ってこい! 連中はまだこのあたりに隠れているだろ! ほっといたらまた襲撃されるぞ!」
続けて彼は、バナーヌの隣にいたモモンジにも声をかけた。
「それからモモンジ! お前もバナナ女と一緒に掃討に行ってこい! 一匹たりとも討ち漏らすなよ!」
バナーヌとモモンジは「了解」と答え、すでに夜闇に包まれた空間の中へ歩み出ていった。命令には絶対服従である。それに、この状況においては「否や」というわけにもいかない。何かとあっては的の外れた指揮しかできないサンベではあるが、ここで掃討戦を命じるのは道理に適っていた。
そういえば、これまで輸送を妨害していたのは特殊工作員のウロであったことを報告し忘れた。バナーヌはそう思った。戻って報告するべきか? いや、ここはそのまま掃討をした方が良いだろう。それに、あの無能極まるサンベにその事実を告げたところで、どうにもならない気がする。しばらくは胸の内に秘めておこう。彼女はそう決めた。
二人は油断なく闇の中を歩いていった。バナーヌは首刈り刀を手に持っており、モモンジは鞘に収められた風斬り刀の柄に手をやっていた。いつ敵が出てきても即座に対処できる構えだった。
草むらの中では、虫たちがうるさいまでの鳴き声をあげていた。星明りが大地を薄く照らしていた。白い光の中で時折虫たちが飛び立ち、いずこへともなく消えていった。金属質な地虫の唸り声が聞こえた。どこかの森ではシカたちが鳴き交わしていた。
バナーヌとモモンジは闇の中で十体近くの魔物を仕留めた。いずれも先ほどの戦闘で傷を負っていた魔物たちは、地面に身を横たえて体力の回復に努めていた。そのような無防備な敵を倒すのに何らの支障もなかった。そもそも、夜はバナーヌたちイーガ団の世界である。太陽から見捨てられたこの時間、この世界において、イーガ団に勝てる者は存在しなかった。
もう、この近辺に敵らしい敵は存在しないだろう。バナーヌはそう判断した。しかし、念のためにもう少しだけ辺りを見て回る必要がある。どうやらモモンジも同じ考えのようだった。モモンジはバナーヌに対して口を開いた。
「あらかた片付いたようですね、バナーヌ先輩。もう心配しなくても良いでしょう。それにしても、指揮官殿もこの数日で多少は学習したようですね」
バナーヌは頷いた。
「うん」
モモンジが言っているのは、おそらくテッポに関することだった。テッポは夕方の戦闘において単身でイワロックを撃破し、その後も魔物の群れを相手に奮戦した。彼女はまったく負傷しなかったが、疲労が著しかったために今は馬車で休んでいる。おそらく、眠っているだろう。バナーヌは思った。あの、ゾーラ族の女性フララットが捕らえられている檻のすぐそばで、テッポはその小さな体を丸めて眠っているに違いない。
サンベがテッポに対して掃討戦を命じなかったのは、おそらくは幹部の娘をこれ以上の危険に晒してはならないという打算と保身の考えに基づいたものであろうが、しかしその一方で彼は彼なりに戦力のローテーションということを考慮してもいるようだった。仕事をさせることだけが指揮官の能力ではない。仕事をさせないというのも指揮官には必要な能力である。
モモンジはさらに言った。
「今回はバナーヌ先輩のおかげで助かりましたよ。あの、不思議アイテムでしたっけ? あれがなかったらきっと馬車は大変なことになってました」
バナーヌは答えた。
「うん」
モモンジが言っているのは、疾風のブーメランのことだった。バナーヌは腰の武器ポーチを撫でた。これのおかげで、先ほどは危ういところを免れることができた。
あの時、車列を攻めあぐねた魔物たちは、何を思ったのか弓矢を持ち出してきた。そして、あろうことか炎の矢をつがえ、それを雨のように車列へ向かって降り注がせた。馬車の
そこへ、ウロとの戦闘を終えたバナーヌが戻ってきたのだった。彼女は状況を見てとると疾風のブーメランを放ち、すぐさまその強烈な風の力で火を消してしまった。結果としては、幌が少し焦げただけで済んだ。このようなことは損害のうちにも入らなかった。だがバナーヌとその不思議アイテムがなかったら、車列が脆くも壊滅していたのは疑いようもなかった。
モモンジが言った。
「すごいお宝ですよねぇ……思えば、アラフラ平原での戦いでもバナーヌ先輩はそれを使いこなしていましたね。いったいどこで手に入れたんですか?」
バナーヌはごく短く答えた。
「森で手に入れた」
それでモモンジは納得したようだった。
「なるほど、森で、ですか。たしかに、森にはいろんなものがありますからね」
モモンジはそれだけ言うと、また口を閉じた。彼女は密林仮面剣法の正統伝承者として、森というものが本来的に有する神秘性を信じているようだった。そう、平原や山や湖には何もないかもしれないが、森にならばなんでもあるだろう。不思議なブーメランが森の奥深くに眠っていたとしても、何もおかしくはない。彼女はそう思っているようだった。
モモンジがそれ以上詳しく訊かなかったことを、バナーヌはありがたく思った。善良な性格をしているモモンジに対してならば、友人のノチを相手にする時と同じとまでは言えないにしてもけっこう打ち解けて会話することができるだろうが、やはり話というものは苦手だ。
二人はさらに闇の中を進んでいった。まだ数体の魔物の生き残りがいた。彼女たちは手早く着実に、敵の命を奪っていった。やがて、本当に敵がいなくなったことを確認すると、モモンジはバナーヌに明るい声をかけてきた。
「これでおしまいですね! 馬車に帰って休みましょう」
バナーヌは答えた。
「そうしよう」
モモンジの声には多少の疲労感が滲んでいた。自分の声も、ちょっと疲れた感じかもしれない。バナーヌは思った。今日は本当にいろいろなことがあった。マラソンマンとかいう変なやつ、隠密のウロとの戦闘、それに馬車の炎上……そのいずれも、なんとか切り抜けることができた。
それができたのは、自分が特に優れた能力を持っているからではないだろう。馬車に向かいつつ、バナーヌはそう考えた。今日なんとかなったのは、自分に不思議アイテムがあったからだ。これまでもそうだった。過去にも、バナーヌは幾たびか絶体絶命の危機に陥ったことがあった。その時も、それまでの任務でいつの間にか手に入れていた数々の不思議アイテムが、彼女の命を救ってくれたのだった。
間違いなく、自分の持っているものは「お宝」だろう。だが、自分は決してトレジャーハンターではない。バナーヌは思った。トレジャーハンターは宝を求める。しかし、自分は宝を求めたことなど一度もない。そう、これまでにただの一度も、「お宝が欲しい」などと念願したことはないのだ。
ふと、バナーヌの脳内に、ある考えが閃いた。もしかすると、それこそが宝を得る上で重要なのかもしれない。宝を手に入れるには、逆説的なようだが、宝を求めてはならないのだ。いや、むしろ……彼女の考えはとりとめもなく広がっていった。むしろ宝の方が、そういう人間を持ち主として求めているのではないか? 宝のほうが、
馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことは、バナーヌにはできなかった。今、彼女が持っている不思議アイテムはすべて、まるで向こうのほうがこちらを選んだかのような経緯で所有することになったものである。パワーブレスレットも、疾風のブーメランも、ヘビーブーツも……
伝説に語り継がれる勇者たちも、あるいは自分と同じだったのではないか? バナーヌはこれまでに読んできた本の内容を思い出した。勇者たちは、宝を欲したから迷宮へ入ったのではない。
それなら私の不思議アイテムもきっと、私の協力者なのだろう。バナーヌは武器ポーチを優しく撫でた。
いつもありがとう。これからも使い倒してやるからな。
そんなことを考えているうちに、バナーヌとモモンジは車列へと戻っていた。馬たちが草を食み、どこかから汲まれてきた水を桶から飲んでいた。
二人はサンベに報告を終えると、最後尾の小さな馬車の中へと入っていった。
今回から新章スタートです。はたして第一部は無事に終わるのか!?
※加筆修正しました。(2023/05/25/木)