ゼルダの外伝 バナナ・リパブリック   作:ほいれんで・くー

9 / 54
第九話 疾風のように

 その魔物は、ブヒブヒと様子を窺っていた。

 

 その頭部には、豚のような平たい鼻、豚のような大きな耳、尽きることなき欲望で赤くギラつく両眼があった。長い手の先には三本の爪が伸びており、短い筋張った足の先には豚の(ひづめ)があった。皮膚は白銀に輝き、怨念めいた紫の模様が全身を覆っていた。

 

 魔物は、白銀ボコブリンであった。その額には短い「三本の」角があった。真ん中の角は途中でポッキリと折れていた。

 

 ボコブリンはハイラルに跋扈する魔物の中でも、最も一般的で最も数の多い種である。平原、森林、山谷、廃墟、水辺……ありとあらゆるところに、ボコブリンは大抵三匹から四匹、大きいものだと十匹前後からなる拠点を構える。

 

 その性質は凶暴、無軌道、そして貪婪(どんらん)である。ボコブリンは雑食性で、何でも食べる。何でも、である。彼らが馬車を襲ったならば、人は頭から爪先に至るまで食われ、馬は生皮を剥がれ肉を削がれ骨髄を啜られ、積荷は奪われ燃され食われ、馬車そのものも車輪から(ほろ)に至るまで面白半分に破壊され、そして食われてしまう。その悪食(あくじき)のせいで、ボコブリンの体は常に耐え難いほどの悪臭を発している。夏の強い日差しを浴びて一気に腐敗した生ゴミのような、そんな悪臭である。それこそが魔物の臭いであると言えなくもない。

 

 ボコブリンには知能がない。というより、欲望を制御する理性がない。ボコブリンはイノシシと見れば飛びかかり、シカと見れば飛びかかり、敵と見れば、たとえガンバリバッタがイワロックに挑むくらいの実力差が離れていても、躊躇なく飛びかかる。彼らは手傷を負っても逃げず、死ぬまで戦い続ける。唯一、ガンバリバチだけは苦手でロクに抵抗もせず逃げ出すが、他に怖いものは彼らにはない。

 

 だから、ボコブリンは魔物の中ではかなり弱い。剣、槍、弓、盾など武器の一通りを扱い、火を起こして肉をこんがりと焼くほど器用ではあるが、それでも彼らには理性がない。理性がないから戦術もない。戦術がないから、遥かに力で劣る人間に、知恵と策略によってあっさりと殺される。

 

 王国のある近衛騎士の家は、幼年期の終わりに一種の通過儀礼(イニシエーション)として、ボコブリンの拠点を襲撃し壊滅させることを慣習としていた。血の滲むような鍛錬を積んでいるとはいえ、年端もゆかぬ子どもにボコブリンは手もなくやられるのである。たとえ武器を持ったボコブリンが百匹集まったとしても、連携し戦術を駆使する兵士十人の一個分隊には到底敵わない。

 

 ある時、ゲルドキャニオン周辺で、ある噂が広まった。いわく、三本角の白銀ボコブリンには気をつけろ。やつは強く、タフで、何より知恵が回る、と。

 

「何を馬鹿なことを。ボコブリンに知恵などあるわけないじゃないか」

「三本角のボコブリンだって? そんなやつがいるわけないだろ。どうやったら一本を三本と見間違えるんだ」

「おおかた襲われてパニックになった素人が見た幻覚だろうよ、よくある話さ」

 

 護衛を生業とする練達の戦士ほど、この噂を信じなかった。馬鹿馬鹿しい、たかがボコブリンじゃないか。やつらよりもチュチュのほうが音もなく突然現れる分だけ危険なくらいさ……

 

 豊富な経験は得てして先入観となるものである。実際のところ、噂は本当だった。先ごろゲルドキャニオン本道において、イーガ団のバナナ輸送馬車を襲撃し焼き払った魔物こそ、噂の三本角の白銀ボコブリンだったのであり、その後に相次いだ馬車襲撃事件の犯人であった。

 

 三本角は、自分がいつこの世に発生したのか覚えていなかった。気がついたら、彼は切り立った崖の上で、沈みゆく赤い月を見ていた。赤い月は美しく、優しく、そしてとても悲しそうに見えた。なぜ悲しそうなのだろう、あんなに綺麗なのに。夜が明けて、太陽が昇って沈み、また夜が来た。彼は赤い月をまた見られると思った。美しく優しい月を、彼はまた見られると思った。だが、それは来なかった。彼が見たのは、欠けて不完全に冷たく光る、白い月だった。

 

 なぜだ! 三本角は憤った。彼は怒りに身を任せて喚き散らし、白い月が夜空から消えるまで腕を振り回して猛り狂った。それから毎晩、彼は赤い月を待った。多くの生き物を殺し、食らい、命を奪いながら、彼は待った。

 

 それでも、赤い月はいつまで経っても来なかった。ビクリと身を震わせて、三本角は唐突に理解した。()()()()()()()()()。赤い月が悲しそうに見えたのは、これから死ぬことを知っていたからだ。

 

 彼は死が怖くなった。自分もいつか赤い月のように消えてなくなってしまう。死とは、消滅だ。消えるのは嫌だ、嫌だ! 自分が今まで食らった命のように、(クソ)となって(ちり)になり、いつしか風となって地上から消えてなくなる、そんなのは嫌だ……!

 

 死への恐怖は、三本角にそれを回避することを必死で考えさせた。そして、彼は思考という習慣と、知恵という武器を身に着けた。戦い、殺し、食らう度に、彼の頭脳は急速に成長していった。武器を改良することを彼は覚えた、馬に乗ることを覚えた、仲間を集めることを覚えた、仲間を指揮することを覚えた、敵を罠に()めることを覚えた……

 

 三本角は知恵を使うことの楽しさを知った。彼は頭を使って仲間を増やし、武器を蓄え、馬を乗りこなし、拠点を拡大した。

 

 ある日、三本角は谷底に面白そうなものを見つけた。たしか、あれは馬車とかいうモノだ。武器を持ったニンゲンもいる。強そうだ。もう、ここらのボコブリンやリザルフォスは自分には(かな)わない。正直、最近は飽きが来ていた。新しい獲物を見て、彼は急に自分の知恵を試したくなった。気づいたときには彼は馬に跨り、仲間に岩を運ばせ、炎の矢を準備させていた。

 

 襲撃は、面白いように上手くいった。岩を落としてニンゲンが慌てふためくのを見るのは楽しかった。大事そうに運んでいたものを燃やしてやるとスカッとした。怒り狂って追いかけてくるニンゲンを馬でぶっちぎるのは胸がすくようだった……

 

 以来、三本角はニンゲンの襲撃に熱中した。思っていたよりもニンゲンは、弱い。魔物よりも弱い。頭が悪く、怖がりで、力は貧弱だ。でも、斬りつけたり殴りつけたりすると面白いくらいに痛がって、見ていて飽きない。ニンゲン狩りは、楽しい。

 

 知恵あるものに特有の傲慢さが、いつしか彼に宿っていた。襲えば必ず成功する、腹は膨れる、たっぷりと楽しめる。俺以外のモノは、全部俺のオモチャだ。

 

 そんな三本角にある日、ついに大鉄槌が振り下ろされた。いつものように彼が仲間を集めて、意気揚々と馬車を襲撃すると、その馬車は突然大爆発を起こした。火だるまになって仲間たちは吹っ飛んだ。今まで経験したことのない事態に、三本角の頭の中は真っ白になった。その間に矢玉と岩石が頭上に降り注いだ。残った仲間たちは血飛沫を上げた。何とか逃げ出した先には、赤い髪と褐色の肌をした、強そうなニンゲンたちでできた壁があった。彼は槍で突かれ、刀で散々に切り苛まれた。

 

 どうやって逃げ出せたのか、それすら彼は思い出せなかった。真ん中の角はいつの間にか折れていた。すべての仲間を失い、三本角はたった一人で、寂しく谷間を彷徨(さまよ)った。営々と築き上げてきた自慢の拠点はニンゲンたちに焼き払われた。三本角はすべてを失った。

 

 ところが、である。彼が今日も失意のままに崖上をうろついていると、谷底が何やら騒がしかった。そっと彼は顔を出して様子を窺った。すると、あの時彼を罠に嵌めた赤い髪と褐色の肌をしたニンゲンたちが、落石の前で大騒ぎをしているのが見えた。馬車がたくさんあった。

 

 これは、好機(チャンス)だ。自分からすべてを奪ったニンゲンに思い知らせてやる好機だ。だがやつらは強い。知恵を働かさなければ! まずは様子を窺うのだ!

 

 三本角はブヒブヒと鼻を鳴らした。

 

 狙うのは、あの大きくて立派な金色の馬車だ。

 

 

☆☆☆

 

 

「わ、わかったゴロぉ……」

「これは、ピリ辛薬……」

 

 上手くいった、とバナーヌは内心ホッとした。彼女は構えていた二連弓を背中に戻した。目の前には、悶絶して転げ回り、そして気絶した三人のゴロン族がいた。

 

 どんなに防御を固めていても、目だけは隠しきれぬ弱点である。伝承の数々は、憎き勇者が魔物の目を執拗に狙って勝利したことを伝えている。ブ厚く固い皮膚を持つ敵と戦う時は、目を狙え! それは彼女が小さい頃に戦闘訓練で叩き込まれた鉄則だった。

 

 無駄に暑苦しい三人のゴロン族が意味不明なことを叫びながら立ち向かってきた時、バナーヌは冷静にこの鉄則を思い出して、それを実行する手段を素早く考え出した。ちょうど「大成功」しすぎて、使うには少し辛すぎるピリ辛薬がポーチの中に二瓶あった。

 

「できた」

「ちょっと味見させて! あはは、なにコレからーい! あははゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」

「ちょっ」

 

 アジトでの昼食のあと、薬の調合を手伝ってくれたノチが、炎のような辛さに激しくむせた光景がバナーヌの脳裏に浮んだ。

 

 これを投げて、弓で射抜いて破壊し、中身をぶち撒けてやれば良い。バナーヌの作戦は見事成功した。だが、もちろんそれだけで事態が収束したわけではなかった。

 

 三兄弟の後ろに控えて、はたして勝敗やいかにと成り行きを見守っていたゲルド族の女兵士たちが、怒り狂って口々に喚いていた。

 

「おのれ、よくもアニキたちを()ってくれたな!」

「目を狙うなど悪辣な! 恥を知れ!」

「殺せ! 殺せ!」

「ぶっ殺せ!」

「卑怯千万なイーガ団をぶち殺せ!」

 

 隊長の女が月光のナイフをバナーヌに向け、断固とした口調で命令を下した。

 

「三兄弟の仇を討て! 前進!」

 

 兵士たちが答えた。

 

「おう!」

「おう!」

「おう!」

 

 精鋭ゲルドの鉄壁のごとき隊列がバナーヌへ地響きを立てて迫った。ギラつく槍の穂先、鈍く輝く剣と盾、狙い済ました弓と矢……歩調を崩さず整然と、まるで一個の生き物のように、ゲルド族の隊列はゆっくりと確実に歩を進めてきた。どこにも逃げ場はなかった。

 

 普通ならば、降伏して命乞いをするか、一か八か背を向けて逃走を図るか、それとも破れかぶれの正面突破か、いずれかを選ばねばならない状況であった。そしてそのいずれも結果は同じ、死であった。

 

 しかし、バナーヌは慌てなかった。彼女は相変わらず表情をひとつも変えずに、迫り来る隊列をさっと眺めて観察すると、素早くポーチから何かを取り出して隊列へ力一杯投げた。

 

「むっ!」

 

 前列の女兵士が高速で飛来するものを槍で叩き落とした。ガランと金属音を立てて地面に落ちたのは、砂漠ではおなじみの魔物であるリザルフォスが好んで扱う武器、強化リザルブーメランだった。

 

 隊列から嘲笑が湧き起こった。

 

「なんだ、これくらい!」

「手詰まりか、イーガ団!」

「たかがブーメランで私達を止められると思ったか!」

 

 兵士たちは思った。万策尽きて武器を投げつける。魔物がよくやる行動だ。仮面で表情は見えないが、確かにやつは追い詰められている。弓矢で射殺すのはつまらない。じわじわとなぶり殺しにしてくれる……興奮した戦闘者に特有の、残忍な敵愾心(てきがいしん)が隊列全体を満たしていた。

 

 だが、バナーヌは強化リザルブーメランが叩き落とされるや否や、別のポーチに手を伸ばし、中から白い「く」の字形のモノを取り出していた。彼女は片手でその端を持ち、隊列の右端へとじっと狙いをつけて構えた。彼女は何やら軌道を計算しているようだった。

 

 隊列からまたもや大きな笑い声が起こった。それは狭い谷底で反響し、野蛮なハーモニーを奏でた。

 

「やつめ、またブーメランだぞ!」

「何度も同じ手を! 馬鹿なのか!」

「馬鹿の一つ覚えだ!」

 

 嘲笑を浴びせられても、バナーヌには一切反応する様子がなかった。やがて、彼女の手からスルリとブーメランが放たれた。それは高速で回転し、隊列へ向かって綺麗な軌跡を描いて飛翔した。

 

 先ほどと同じように叩き落としてやろうと思っていた女兵士たちは、しかし、次の瞬間驚愕した。

 

 風だ、風が吹いてくる!

 

「なっ、なんだ!? なんだこの風は!?」

「構わん、叩き落とせ!」

 

 白いブーメランは隊列の端へと到達した。それは叩き落とされる寸前になって、突如としてまばゆく光り輝き始め、竜巻のごとき突風を身に纏った。

 

 女兵士たちは叫んだ。

 

「わぁっ!」

「や、槍が!」

「剣が、剣が!」

 

 吹き上がる土埃と共に、次々と女兵士たちの手から槍と剣、盾と弓矢が無理やり引き剥がされ、軽々と宙へ舞った。疾風と共に無数の武器は高く高く飛んで行き、やがてバラバラと広範囲に落下した。

 

 変わらぬ勢いで戻ってきたブーメランをしっかりと右手でキャッチしたバナーヌは、短く会心の呟きを漏らした。

 

「よし」

 

 切迫した状況下で、かつ、このような大勢を相手にして使うのは初めてだったが、上手くいって本当に良かった。彼女はそう思った。持っていくか出発前に迷ったが、飛び道具は多いに越したことはないと、ポーチの狭いスペースを犠牲にして持ってきたのだ。

 

 パワーブレスレット、アイアンブーツと同じく、これも例の「不思議アイテム」であった。バナーヌはそれを「疾風(しっぷう)のブーメラン」と呼んでいた。それは彼女が以前、パシリの途中、とある地方の深い森で、真っ赤な(ケツ)をした白い大猿から死闘の末に奪い取ったものだった。

 

 ゲルドの女兵士たちは狼狽し、口々に叫んだ。

 

「武器が、武器が!」

「おのれ! 何も見えない!」

「ちょっと! あたしの足を踏まないでよ!」

「落ち着け! 隊列を組み直せ!」

 

 鉄の隊列は今や大混乱を起こしていた。視界も、疾風のブーメランが起こした砂煙で完全に遮られていた。好機だった。

 

 それは後ろへと逃げる好機ではない。先へと突破する好機である。バナーヌはなんとしてでもゲルドキャニオンを抜け、吊り橋を渡り、平原外れの馬宿へ行かねばならない。万難を排して、生命の源、ツルギバナナ一万本をアジトへ運ばなければならないのだ。

 

 バナーヌは決然として、音も立てず前方へ飛び出した。倒れんばかりの前傾姿勢を彼女はとった。その右手には首刈り刀を持っていた。ふさふさと金髪のポニーテールが揺れた。あっという間に、彼女はいまだ混乱の渦中にある隊列へ突入し、人影を避け、跳躍するように駆け抜けた。ヒケシトカゲのように素早い動きだった。

 

 視界が晴れた。隊列を抜けた。このまま全速力でこの場を離脱しよう。落石は撤去した。馬車の通行には支障ない。ゴロン族やゲルド族というハプニングはあったが、手早く無傷で切り抜けられたのは大きい……うん、良いぞ。

 

 弛緩にも似た安堵の感情がバナーヌの脳内を支配しようとした瞬間、彼女をこれまで幾度も窮地から救ってきたある直感が、全身の神経へと電流と信号を送った。彼女の両足は急ブレーキを掛けて踏ん張り、首刈り刀を構えている右手は、意志と無関係にひとりでに動いて顔面を守った。

 

「どりゃあああっ!!」

 

 突如、首刈り刀を衝撃が伝わってきた。強い日差しを受けて残忍にギラリと輝く、ひときわ斬れ味の良さそうな厚みのある半月刀が、首刈り刀の細身の刀身と、ギリギリと音を立てて噛み合っていた。

 

「ふんっ! まさか隊列を突破するとはな! 敵ながらあっぱれと褒めてやる!」

 

 バナーヌはそれを即座に振り払うと、間髪を入れず目の前の新たな敵へ首刈り刀を横薙ぎに振るった。しかし、こともなげに防がれてしまった。

 

「隊長としてお前を逃がすわけにいかん! とっととその首を寄越せ!」

 

 堂々たる覇気を満身から放ちながらバナーヌの前に立ちはだかったのは、ゲルドの隊長、チークだった。優れた戦士としての資質と直感が、バナーヌの突破行動を彼女に予測させたのだった。

 

 仮面を挟んで、視線が絡み合った。これは、簡単には終わらないだろう。バナーヌの頬に、滅多にかかない冷や汗がひとすじ流れた。




 風が吹いておる……

※加筆修正しました。(2023/05/06/土)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。