晴風が出航する数時間前、さらには入学式の前。校長室に一人の男性教員が呼び出されていた。
部屋には校長––––宗谷真雪と男性教員––––柊蓮。横須賀女子海洋学校のトップとホワイトドルフィンの精鋭という何とも奇妙な組み合わせである。
「お久しぶりです。宗谷先生」
「柊一等監督官、久しぶりね。まずは座ってちょうだい」
入るとすぐに席に通され、両者が腰を下ろす。 先に話を切り出したのは宗谷真雪の方だ。
「ホワイトドルフィンで最速の昇進スピードだと聞いているわ。やるじゃない」
「自分でも驚いています。とは言っても7年なので、真霜ほどではありませんが」
「真霜が昇進してるのは宗谷派だからというのもあるわ」
ブルーマーメイド及び海上安全整備局には派閥が存在する。その中でも最も強大な影響力を誇るのが初代ブルーマーメイド船長、来島の巴御前、現安全監督室室長などを有する宗谷派。この派閥は優秀な人材も多く、昇進の信頼性などから昇進のスピードは他の派閥に属する人間より早い。
ホワイトドルフィンでも同様に派閥が存在するが、柊は誰の派閥にも属さない。そのような人間が7年で一等監督官に登りつめるというのは異例中の異例である。
「派閥……ですか」
「派閥は貴方にとっては嫌いな言葉かもしれない。けど、私や真霜は派閥を守り、派閥に守られているのよ」
「いえ、過去の話ですから。それよりまずは呼ばれた理由をお聞きしても?」
「そうね。これを見てちょうだい」
宗谷が封筒を差し出す。封筒には『日本海洋技術研究機構 船舶の新型中枢機関の実験について』と書かれている。
中には分厚い論文と実験の概要、上層部の認可証などが同封されている。
「海技研はなかなか面白い研究をしているようですね」
「ええ。最初は高度すぎていまいち理解できなかったけど、読んでいくうちに分かってきたわ」
「確かに相当高度な研究です。工学に精通していないと分からないところもありますね。これを今度の実習で実験すると言うわけですか」
実験とは、入学式後からの実習で武蔵に新型中枢機関を乗せて実際の航海でデータを収集すると言うもの。中枢機関は艦橋の多くの機能を自動化させるので教員は乗艦せず、授業もその機関に搭載されたAIが行う。世界的に見ても初の試みとなっている。
「この情報は一応、古庄教官に伝えているのだけど、念のため貴方にも伝えておこうと思ってね」
「確かに、これは問題なく実験が終了するとは思えませんね」
柊はAI否定派の人間で、中枢機能のコンピューター管理にも否定的である。この中枢機関は海技研のスーパーコンピューターでメンテされ、インターネットで現場のパソコンに飛ばされる。
海技研のセキュリティーは最先端であるが、ハッキングされる可能性もある。そもそもシステムに欠陥があれば船がどうなるのか予想もつかない。
「システムの設計にミスはありません。でも、こんな精密な計画に穴がないわけがないんですよ。見た所、問題が発生した時のマニュアルは作られていないようですし、これを上層部はよく許可しましたね」
「何を考えているのか見当がつかないの。 まるで何かと競っているような…急かされているような…」
「別の組織が関わっていると思います。例えば、”海の理”とか」
「”海の理”。本当にあそこが関わっているとなれば、生徒の安全確保が厳しくなるわね」
海の理とは、海上での優位がブルーマーメイド一強であることに反発する人間で構成された組織。男性の多い組織ではあるが女性も少なからずおり、高い科学力を有している。実際に犯罪は起こさないため警察は手を出すことができないが、間接的に陥れるような行為は多く確認されている。
「あそこの多くはお堅い男性、人魚になり損ねた女性。そして––––」
「洗脳された若い学生たち。ね」
海の理で最も恐ろしいのは、洗脳の技術だ。真逆の思想だった人間を自分たちの味方にするなんてお手の物、成績優秀な生徒が一晩で熱狂的な思想家になることだ海のってある。
事実、ホワイトドルフィンでは最大の派閥が海の理で、ブルーマーメイドとは協力姿勢を演じているもののいつ手のひらを返すか分からない。
「身辺調査が行われているので学生は今のところ安全ですが、海の理が関わっているとすれば武蔵の生徒は非常に危険ですね」
「ええ、彼らのハッキングと洗脳の能力を発揮すれば武蔵の生徒を洗脳して思うがままにすることも安易にできる」
「晴風はお任せください。ですが、流石に全艦艇の安全は保証できかねます」
「いえ、無理は言いません。最大限の努力はしていただきますが……」
「分かりました。では、少し準備がありますので失礼します」
封筒を宗谷に返し、部屋を出る。
「詮索は良くない、もう少し慎重にしたまえ––––君」
部屋の外の影に向かい低い、高圧的な声で呟いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「教官! 教官! 教官ッ!!」
教官室で荷物を出していたところに慌てた様子の納沙が部屋に飛び込んできた。
「どうした?」
「き……機関が…停止…しました」
「ん?」
「航海長…が方角を間違えていた…ことがわかりまして……」
「んんんん!?」
「進路を急いで…集合地点へ向け……速力を上げたところ……機関が止まりました」
柊の顔からサッと血の気が引いた。一気に呼吸が乱れ、心拍数が上がる。
「納沙!」
「はいッ!?」
「艦橋に行くぞ」
「はい!」
艦橋から艦内を走って来た納沙に構わず、柊は艦内をトップスピードで駆け抜ける。納沙は息を切らしながらゆっくり後を追う。
艦橋に着くと水平線を見つめながら虚ろな目をした宗谷ましろ、涙目で舵を強く握った知床凛。やることがなく手の空いた立石、西崎、内田、山下の姿があった。
「宗谷、報告」
「ハイ…方角ヲ間違エ4時間ニ渡リ航行…方向ヲ転換シ速力ヲ巡航18knカラ第3戦速マデ上ゲタトコロ…機関ガ停止……現在…機関科ガ修理ヲ行ッテイマス」
今にも泣きそうな声で機械的に報告を行う宗谷。相当こたえているらしい。
「私ハイツモコウナンダ。運ガ悪イ」
「機関科、修理までどのくらいかかりそうだ?」
伝声管と呼ばれる金属の管に向かい話す。伝声管の中を振動が伝わり機関科のいる機関室まで届く。
ちなみに、伝声管は理論上、声の振動を減衰させず届かせることができる優秀なものだ。つなぎ目があったり金属板が薄かったりすると減衰してしまうが、それでも200m程度は鮮明に声を届けることができる。
『こちら機関科、柳原麻侖! 損傷の確認は終わったところで、だいたい1時間弱で終わりそうでい!』
「了解した。損傷部の様子を撮影、艦内共有クラウドで共有してくれ」
『今撮影してアップロード中…………アップロード完了! 今から修復に入る』
「頼んだぞ」
教員専用のタブレット端末から艦内共有クラウドにアクセス、アップロードされた写真を一枚一枚確認する。
写っていたのは配管の部分。若干劣化しており、圧力に耐えかねて穴が空いたと思われる。しかも、複数箇所に渡って。最悪の場合、その部分が裂けて航行不能もあり得たかもしれない。
「んー、妙だな」
「何がですか?」
「晴風は出航前日に点検を行ったはずなんだ。その船が、こんな損傷するか? 劣化とは言ってもこの劣化は酸化の劣化じゃない。人為的に腐食させた時の劣化によく似ているんだ」
「では、乗員の誰かが意図的にこの船に危害を加えた、と思っているのですか?」
「いや、この船にそんなことできる人間はいないさ。それより、岬はどこだ」
1番艦橋にいるべき艦長––––岬明乃の姿が艦橋にない。
「艦長でしたら自室で荷物を下ろしているかと。我々も交代で荷物を明けていますので」
「そうか。状況も確認できたことだし、俺は自室に戻るぞ。予習授業の用意があるからな」
授業の言葉に背筋がゾクッとする艦橋の面々。今日の夜、当直の生徒以外は教室にて高校生の授業の予習が行われる。各自のペーパーテストから授業のスケジュールを立て、苦手教科の予習を行えるように準備を進めていた。
晴風の生徒は基本的に一般教養の成績が芳しくないので、誰しも嫌だと思っていた。
「あのぉ〜、予習の方はぜひお手柔らかにお願いします」
「ああ、全員、学校の授業が生易しく感じられるくらいにしてやろう」
「「「ヒィィ!!」」」
大きな爪痕を残して艦橋からあっという間に艦橋を後にする柊。
柊の姿が見えなくなると納沙、西崎、立石、内田、山下の5人が小声で世話話を始める。
「ちょっと、教官意地悪じゃないですか?」(納沙)
「そうそう。私たちの苦手そうな部分を徹底的に調べてて、出席しないといけない授業が苦手なのばっかりだったんだよ」(西崎)
「Oui!」(立石)
「得意教科は予習プリントだけでしたよ」(内田)
「えー」(山下)
学生にとって嫌なものといえば、『苦手教科の授業』だろう。自分の嫌いなものほどを強制されることは苦痛そのものだ。逆に好きな教科がスラスラ解けるのは楽しい。
「今夜の授業は数学・理科なので、艦橋からは艦長、西崎さん、内田さん、山下さんですね」(納沙)
「嫌だー! 最初っから授業なんて!」(西崎)
「Oui」(西崎)
「物理……」(内田)
「数学……」(山下)
「別に苦手が克服できるなら問題ないだろう。あの教官なら教えるのも上手だろうし、これを機に苦手を減らせるんじゃないか?」(宗谷)
いつの間にか元気に戻っていた宗谷が5人に追い討ちをかける。すると納沙が反撃と言わんばかりに
「そんなこと言って、副長は苦手な教科ないんですか?」
「んー、一般、専門含めて苦手という苦手な教科はないな」
「グハッ!」
反撃した納沙を一撃で粉砕した宗谷。しかも無自覚。何処かの誰かが言ったそうだ『無自覚の悪を邪悪というのだと』。
あまりのダメージに納沙はその場でうずくまってしまった。
「副長、トドメ刺したね」
「えぇ!? 私は言われた質問に答えただけだぞ!?」
「くーッ、無自覚なのか…!」
「な、何だ! 苦手がないのがそんなに不思議か?」
苦手がある生徒、西崎が苦手のない完璧超人宗谷に立ち向かう。
艦長が荷物をまとめ戻ってきたときには艦橋に何ともいえない壁ができていたとかいないとか。
更新遅れまして申し訳ありません。
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