4月6日の21時30分。
約30分前に初回の予習の講義を終えた柊は、自室に戻り1日の疲れを一気に感じていた。
初めての教官、出航から4時間で同時に起こった2つのトラブル、トドメに1時間の予習講義。最後のは自発的に行ったものだが、その前の2つがかなり負担になっている。
「あ゛ー……これが2週間か…慣れるが先か、終わるのが先か…」
今回の実習は太平洋の領海を航海するもの。戦闘訓練や救助訓練などは行われず、学生の親睦を深め、基礎的な航海のイロハを実際に体験しながら学ぶことになっている。
しかし、非常時に備え、艦には掃海具、スキッパー、ガスボンベなど最低限度の装備は積み込まれている。
「トラブルがなければ何の問題もないんだが、まだ右も左も分からない学生30人と船を一気に管理するのはシロイルカの頃じゃ考えられんなぁ…」
ホワイトドルフィン、言いにくいのでシロイルカとも言われるこの組織に所属していた柊。階級も高く仕事の量は同年代より多かったもののここまでの負担を感じたことはなかった。
艦内では学生が主導して生活する。教官は実習の時間内に最小限の補助と教育を施すのが仕事。だが、それ以外の時間でも安全に生活できるよう気を配らなくてはいけない。
「ふぅ…」
深呼吸をして気持ちを入れ替える。
棚に仕舞い込んである生徒に関する情報のファイルを取り出し、1ページ目から丁寧に目を通していく。入学前にすでに見ているものの、確認のため何度も見返している。
「………」
柊が探すのは生徒の身辺に関する情報。『海の理』に近い人間はいないであって欲しいと思うが何度も確認してしまう。
「岬明乃……知名もえか……」
幼少期、海上安全整備局に勤めていた両親を海難事故で失った。両親の素性は調べたがごくごく普通の一家。階級は高かったものの、発言力は組織を動かすほどではなかった。
だが、彼女の親友、知名もえかの両親はやや疑いの目を向けなくてはならない。すでに殉職しているため、派閥が不明。海の理かその周辺に所属していた可能性は捨てきれない。
思考が加速し始めたところで部屋のドアを叩く音がして柊は現実に戻った。
「教官、夜遅くにすみません」
「構わんさ。どうせ、この後は資料を読みふけっているだけだからな」
片手で開いていたファイルを閉じ、岬を部屋の中に入れる。教官室には作業用の机、ベッド、本棚など最小限のものが揃えられている。
「すまないが椅子がないんだ。ベッド……嫌なぁこの椅子に座ってくれれば」
「あっ! ベッドで大丈夫です!」
「そうか、なら座ってくれ。紅茶、コーヒー、緑茶、ハーブティー、どれが良い?」
「ハーブティーでお願いします」
棚の中に置かれたハーブティーの入れ物を取り出す。
「夜だからベルガモットにしようか。安眠作用がある。緊張しっぱなしの今日にはうってつけだ」
「教官、ハーブにも詳しいんですか?」
「んー、詳しいってのは少し違う。必要だから覚えただけだな」
深夜、古庄教官に作ったのもハーブティー。ハーブにはリラックス効果などがあり、薬などを使わず軽度の不眠症などの治療ができるため重宝している。現場で働いていた頃は、新人や大きな出動の後、面接時や面談時など使うことが多々あった。
「ああ、ブルーマーメイドやホワイトドルフィンはそんなところじゃないからな? 俺が個人的に覚えただけで」
「でも、必要だったってことですよね?」
「んー、まあ。上官の中には心理学とか学んでいる人もいるぞ。だから、組織のレベルが高く保たれているんだ」
「教官が覚えたのは何ですか?」
「俺? んー、医学、薬学、航海術、海戦術、情報工学、機械工学、電子工学、心理学、哲学、宗教学。とかかな。本当はもっとあるけど」
「人間じゃない……」
「やめろ。地味に傷つく」
お茶をカップに注ぎ、岬に手渡す。レモンとオレンジの中間のような柑橘系の香りが空間を包む。
「良い匂い」
「ベルガモットは柑橘系同士の交配種で香料としても利用されるものだからな。アールグレイに使われてたりするな…」
「すみません、よくわかりません」
ちなみに、ベルガモットは柑橘系の交配種で良い匂いがするので食べられるかと思いきや苦味が強く食用には適しさない。バニラとかと同じ、匂いは良いけど味が悪い系。
「で、どうしたんだ?」
「えっと、朝の教官の話、続きなんですけど……お父さんってどんなものでしょうか」
「これはまた哲学的な問題だな」
お父さんとは何か。家庭によって差が出る回答が無限に存在する問題。だが、普通の艦長であれば『自分の父親とのギャップ』で悩むであろうが、岬の場合は少し違う。
「教官もご存知の通り、私は幼い頃に両親を失っています。だから、父親という存在を近くで感じた経験が他のみんなより圧倒的に少ないんです」
「そうだな…じゃあ、質問していこう岬の父親はどんな人物だったか覚えているか?」
「そうですね。まず、優しかったのを覚えています。階級が高かったのもあって仕事も忙しかったみたいですが、休日はよく遊び相手をしてくれました」
「ほうほう…海上安全整備局の人間である以上、海洋大を出ている可能性が高い。勉強も出来たし、少なくとも水泳は出来たのか」
海上安全整備局は、行政省庁職員と同等のレベルとされている。しかし、国防や外交の必要性などから倍率や給料が高めになっている。
「すげえな…俺じゃ勝てる気がしない」
「教官の方がすごいと思いますよ? 医大を飛び級で出てて、ホワイトドルフィンでもトップの方にいたんですから」
「いや。立派な父親をしながら働いてたんだから俺より上だよ。俺は陸に戻ったらカップ麺生活だし、研究始めるとカロリーメ◯ト生活だったからな。嫁さんもいないし」
しゅん(´・ω・`)とした顔をする柊。
「彼女さんもいないんですか?」
「彼女か…まあ、いたことはあったがな…今はいないな」
しょぼんとした顔と変わって暗い顔になる柊。
「そうですか…すみませんなんか…変なこと聞いちゃって」
「いや? 別に、暗い過去ではあるけどあの頃がなければ俺はここにいないだろうからな。まあ、何はともあれ、岬は父親のこと覚えているだろ? 怒るとか、教えるとかはしなくてもいい。ただ、精神的な大黒柱となってくれるだけで艦長としては極めて優秀なんだよ。艦長は船の脳であり、心臓であり、心の中心でもある。そのことを覚えておくといいぞ」
「はい! ありがとうございます」
「そろそろ消灯時間だな」
柊の机に置かれた懐中時計は22時指そうとしている。
晴風の消灯時間は(形式上)22時、これは教官のさじ加減によるが柊は甘めの教官なので消灯時間後に出歩いても何も言わない。ただし、起床時間の6時には起床しないといけない。
「岬の部屋は個室だからちょっと孤独かもしれないが、寝れないなら艦橋に顔を出したり、他の部屋に行ったりしても大丈夫だから」
岬はグッとハーブティーを飲み干し、ぺこりと一礼。自分の部屋へと足早に歩いて行った。
再び、部屋に静寂が訪れる。
「お前のこと話せないな…俺も思い出すだけで辛くなっちまう…」
懐中時計に手をかけ裏にある写真を眺める。
普通に使う限りは裏が見えないような仕掛けになった特殊な時計。裏にある写真には、今より少しだけ若い柊と柊に抱きついた笑顔の女性。
「俺の生徒たちには俺たちみたいな思い、させられないな…」
パチンと時計を閉じ、制服の内ポケットにしまう。
思い立ったらまず行動、一通のメールを送信する。
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To:宗谷真雪
資料開示のお願い
宗谷校長
柊です。
海上安全整備局情報開示制度に基づき、以下の情報開示を要求いたします。
一、武蔵に搭載された新型AIについての資料
二、武蔵艦長 知名もえかについての調査資料・提出資料
三、岬明乃・知名もえか両名の両親が殉職した際の出動に関する書類一式
よろしくお願いいたします。
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このメールからこの航海実習の歯車が大きく歪み始めることは、誰も知らない。
たとえ、人知を超えた、天才で、あったと、しても。
更新遅れまして、すみません。
はいふり 劇場版おめでとうございます!
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