「ねえねえ、聞いた?あの噂」
「うん、つぎのトーナメントで優勝したら、織斑くんたちと付き合えるんでしょ?」
「織斑くんに男らしく守ってもらいたいなぁ…」
「私はクロニクル君に頭を撫でてもらいたい!」
「デュノア君の笑顔を近くで見守りたい…」
ラウラとの一件から1日が過ぎた。朝のホームルームが終わり、教室の喧騒の中から何やら聞き捨てならない話が聞こえてきていた。昨夜、箒が一夏に優勝したら付き合ってくれと告白まがいのことをしていたのは知っていたが、何故か尾ひれがついた話になっている。箒の方を見てみると、頭を抱えている姿になんとなく同情してしまった。
だから日を跨いでからは勧誘が来なくなったのか、と妙に納得したエレンであったが同時に問題でもある。エレンは未だにパートナーがいないのだ。一夏とシャルル以外で組むとなると、いつものメンバーになるのだが、セシリアと鈴はISの修復のために辞退、残りの箒と簪は既にお互いでペアになってしまっていた。本音にも聞いてみたのだが、彼女は不参加らしい。
いっそのこと出ないという手もあったのだが、おかしな噂が出てしまっている以上トーナメントは放置はできない。どうしたものかと頭を悩ませていると、銀の髪を靡かせるラウラがこちらに向かって来ていることに気づいた。
「エレン・クロニクル。貴方に話がある」
「どうかしましたか?ラウラ・ボーデヴィッヒ」
「昨日、貴方はあの後、責任を取ってくれると……そういった」
些か語彙が足りてないが、確かにそう言った。しかしその言い方はマズイとツーと冷や汗が伝う。同時に、こちらの会話が聞こえていた周りの生徒達がざわめき始めていた。けれども真剣なラウラにそんな指摘をするのも気が引けたエレンは、とりあえず平静を装って話を進めることにする。
「ええと、まあ、いいましたね。それがどうかしたのですか?」
「その……今度のトーナメント、私とペアを組んでくれないだろうか?」
「理由を聞いても?」
「私は……その、なんというか。友達が、まだいないのだ……」
「そ、それは……」
しゅん、とした様子で顔を伏せたラウラのそんな言葉に流石のエレンも返答に困ってしまった。転校初日から生徒に高圧的な態度を取り続けていたラウラは言うまでもなく孤立しており、それは自己責任とも言える。しかし、昨日までのラウラなら気にしないような事柄であっただろう。その小さな変化は尊いものであるとエレンは知っている。
「……そう、ですね。丁度良かった。実は変な噂が流れているせいで俺もペアがいなかったんです。よろしくお願いしますね、ラウラ・ボーデヴィッヒ」
「ラウラでいい。その代わり、私もエレンと呼ばせてもらっていいだろうか?」
「ええ、わかりました。頑張りましょうね、ラウラ」
少し驚いたように、しかし喜色を感じさせるぎこちない笑顔を浮かべたラウラが小さく頷く。クラスのそこらで現役軍人であるラウラと卓越した戦闘技術を持つことを認知されているエレンのタッグ結成に呪詛の言葉が聞こえてきたが、知らないふりを突き通すのだった。
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「あのー……簪?」
ちゅるちゅるちゅる。
「かんちゃんはね〜、ただいまげきおこ!なんだよ〜」
時刻は昼食時。いつものように簪、本音と食堂で合流した時から、簪は随分とご機嫌ななめであった。昨日の夜まで普通だったことを考えると原因はやはり、朝の一件だろう。とりあえず、弁明をしようと口を開こうとした刹那、背後に気配を感じて振り返った。
「エレン。隣、いいだろうか」
最悪のタイミングであった。簪から向けられる視線が最早痛い。しかしながら自ら距離を縮めようとしているラウラの努力を無下にはできず、結局は隣に座らせた。
「えーと、彼女は最近転校してきたラウラ・ボーデヴィッヒさんです」
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ。よろしく頼む。布仏本音と……」
「…更識簪です。よろしく…」
「わぁ〜。らうち〜、名前覚えてくれてたんだ〜!」
「うむ。昨夜、我が優秀な副官から友達を作る為に助言を貰ってな。とりあえず、クラスメートの名前と顔は全員一致させてきたのだ」
ラウラはどうやら本格的に友達作りに励むらしい。息巻く彼女の姿は年相応の幼さを感じさせて、エレンは少しだけホッとした。
「……エレンって、意外とおせっかいやきだよね。今もおじいちゃんみたいな顔してたし…」
「お、おじいちゃんですか……」
内心ショックを受けたが、どうやらラウラの様子を見て簪も朝の一件についてなんとなく変な風に誤解されていることに気づいてくれたのだろう。ラウラはよく言えば純朴、有り体に言えば些か世間知らずなのは見ての通りであるし、そらは察せられないほど簪は鈍くはない。
「まあ、それも悪くはないですかね」
ともあれ、ラウラの交友関係は順調な滑り出しなのではないだろうか。楽しそうに話す三人の少女の姿を見ていると、不思議とそんな呟きが漏れた。
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「そういえば、気になっていたんですが」
ふと、アルファート・カスタムに身を包んだエレンは思い出したように向かってくる少女へと声をかけた。
「なん……だっ!!」
対する彼女は言葉とともに、黒いISーーーシュバルツェア・レーゲンの腕部のプラズマブレードを展開。予備のパーツで組み上げたばかりだからか、いつもよりほんの僅か出力が低くなっているブレードに内心舌打ちを漏らしつつ、エレンへ踊るように斬りかかる。
「話したくなかったらいいんですが、ラウラのアドヴァンスドとしての規格は何なのかなぁ、と」
片手に物理ブレード、もうは他方の手に腕部装着型の実体シールド、さらにはサブマシンガンを持ったエレンが器用に受け流してゆく。ラウラがAICを発動させる素振りをエレンの運命の瞳は逃さない。すぐさまサブマシンガンの弾を乱射してラウラの気を散らす。
「くっ……!!私達の、施設は!企業で言うところの、ハイブリッド型によるPSの作成を目指していたのだ!よって、私も例に漏れずにハイブリッド型の調整……だっ ッ!!」
近距離ではあまりに分が悪い。ラウラも境界の瞳を利用してそのスペックを飛躍的に上昇させているが、エレンはそれさえも軽々と凌いでいく。運命の瞳という強力な特性もあるが、それ以上に戦闘経験の差が圧倒的に違うことを悟ったラウラは、無理やり近距離でレールガンを放つことを選択する。
「やはりそうですか。しかし、ドイツに逃げた企業の研究員は中々に優秀だったみたいですねぇ。ハイブリッド型で俺と打ち合えるなんて……なかなかいなかったですから」
レールガンの砲身を盾で殴りつけるように跳ね上げる。そのまま身体を一回転させつつ斬撃を叩き込む。ラウラがプラズマブレードで辛うじて防いだところに、サブマシンガンが弾丸をばら撒いた。
「時間制限付きだが……失敗したと言われた私の境界の瞳も、捨てたものじゃないだろう!?」
しかしラウラは怯まない。弾丸を受けつつも一気に前に出る。明らかにセオリーから外れた攻撃にエレンが面食らったのはほんの一瞬。エレンは撃ち切ったサブマシンガンを捨てると同時にシールドをパージ。代わりに物理ブレードをコールしてラウラを迎え撃つ。
「境界の瞳、ですか……。なんだか、運命の瞳よりキラキラしてて、キレイですね」
エレン達の運命の瞳は一見してただの瞳であるが、ラウラの境界の瞳は粒子が煌めいてるような美しさがある。境界の瞳はナノマシンが未完成であったのと、安定性に難があるが故の煌めきなのだが。
「な、ななななにをいうか!!普通、こんな瞳は気持ち悪いものだろうっ!!」
「生憎と、生まれ方からして普通じゃないんです」
「むぅ!屁理屈をおおおぉ!!」
感情の揺れに伴い、ラウラの動きは精彩を欠いて行く。焦ったさからラウラがワイヤーブレードを纏めて射出するが、エレンは瞬時加速を用いて一気に通り抜ける。同時に物理ブレードがラウラのシュバルツェア・レーゲンを切り裂くと同時に、シールドエネルギーが0となった。
「はい、お疲れ様でした。機体の方はどうでしたか?」
二人が試合を行っていたのはラウラが予備のパーツで組み上げたシュバルツェア・レーゲンの動作確認と改めてお互いの実力を計り合う目的があってだった。本来なら一夏達と訓練を行っている時間帯であるのだが、トーナメント景品の関係上、全員が敵だと思った方が正しい。なので、トーナメント期間は各自で訓練を行うことになっていた。
「うむ、機体の方は問題なさそうだ。少しパワーが落ちてるが……許容範囲内だろう。それよりもだな……その、どうだった?今の戦いは?」
少し期待するようにラウラがこちらを見上げてくる。エレンは「うーん」と一度間を置いてから、タッグを組むにあたって戦闘中に感じたことを伝えることにした。
「先ず、AICの発動が遅い。あの速度でも学生程度なら捉えられるでしょうがそれでも一度見た相手には対策されかねません。今のままだとトーナメントでは近接戦でむやみやたらと連発するの危険ですね。次ですが、攻撃は何故正面からのワンパターンだけなのですか?どこかの世界一の影響を受けすぎです。ブレードで注意を惹きつけてワイヤーブレードでの全方位攻撃とか色々やりようはあるでしょう?で、最後にこれが一番の課題ですが、感情を抑えなさすぎです。戦闘中に照れたり、怒ったりしてる余裕なんてありますか?あんな単調な攻撃、一夏でも避けれます」
「む。むううぅ……」
何か言いたげなラウラだったが、思い当たる節があるのかその言葉を飲み込んだ。しょぼーんと肩を沈ませたラウラの綺麗なプラチナブロンドに優しく手を置いた。
「ラウラは、今まで自分よりも格上の相手と戦ったことがあまりないでしょう?なまじ操縦技術が高いせいで、細かい戦略を用いなくても勝ててきたんでしょう。これからそういう戦い方も教えてあげますから、一緒に頑張りましょう」
「うむ!!頑張るぞ、私は!」
キョトンとしたラウラはエレンを見上げると、途端に嬉しそうに笑顔を浮かべる。犬だったら尻尾をブンブン振っていそうなほどの喜びようには思わず苦笑いをもらしてしまった。
「さて、今日はそろそろ切り上げましょう。この時期はアリーナを長く使えませんしね。ラウラ、このまま食事がてら作戦会議でもしませんか?」
「おお、なんだか楽しそうだな、それは!ところで昼間いた簪と本音も来るのか?」
すっかり意気投合した様子で何よりであったが、エレンは苦笑いと共に首を横に振った。
「いえ、どうやら今回のトーナメント、本気で勝ちたいらしくて。暫くライバルである俺達には会わないそうですよ。部屋も、お姉さんの方に泊まるらしいですし」
簪に限って、あの妙な噂を信じているわけではないだろう。彼女のISーーー打鉄弐式の、公式の場における初のお披露目ともなるのだ。負けず嫌いな彼女なことだし、きっと華々しく活躍して、倉持技研の研究者達に一泡吹かせてやろうなどと考えているに違いない。
「ならば仕方ないな。……それにしてもエレンは、簪と仲が良いのだな」
「え?そう、ですかね?」
「簪のことを話してる時のエレンは……なんだ、その。ちょっと羨ましいと思うぐらいには、いい笑顔を浮かべているぞ?」
「そ、そんなことないと思いますがっ!!」
珍しく取り乱したエレンを見て、ラウラは笑みをもらす。それがますます恥ずかしく感じたエレンはただではやられまいと、ISを消して眼帯を付け直そうとしているラウラを呼び止めた。顔をぐっと近づけるとラウラが頬を赤らめたが、エレンは気にせずにラウラの黄金の瞳を見つめた。
「もう、隠してしまうのですか?とても綺麗なのに」
「〜〜〜ッッッ!!な、な!ずるいぞ、エレン!!」
顔を真っ赤にしたラウラはあまりの恥ずかしさからバッと顔を背けた。そのままいそいそと眼帯を付け直す。しかし、不意にくるりと顔だけをこちらに向けた。
「……ふ、二人きりの時だ」
「は?」
「だから!二人っきりの時だけだからなぁ!!まじまじと私の目を見ていいのは!」
「えっと、はい」
顔を真っ赤にしてプンスカしてるラウラは昨日までの彼女とはもはや別人に感じられたが、きっとこれが本来あるべき彼女の姿なのだろう。そう考えるとなんだか昨日までの彼女が無理に突っ張ってるけど根は善良な不良みたいに思えてきて、エレンはおもわず笑ってしまった。
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
「おかえりなさぁい、ア・ナ・タ!私にする?それとも私にする?それともワ・タ・シ?」
「帰ってください」
自室の扉を開けると、そこには裸体にエプロンという格好の楯無がいた。猫なで声で投げかけられた選択肢のない三択を切り捨てて第四の選択肢を選んだエレンは彼女の横を通り抜けてリビングへと移動する。
「も〜〜〜!!こんなに可愛いお姉さんが、こんな格好で部屋にいるのよ!?なんでそんな冷めたリアクションなのよ〜!」
「俺からしたら知り合いの姉が本格的に痴女として覚醒して、今後どう付き合っていこうか考えることの方が大事なんですよ。とりあえず、簪を呼んで貴女を回収してもらいましょうかーーー」
「わぁー!!ごめんなさいエレン君!服着る!!ちゃんと服着るからそれだけやめて!?簪ちゃんに頼まれた忘れ物取ったらすぐ帰るから!」
慌ててエプロンを脱ぐ楯無。その下は前からでは気付けなかったがスクール水着を着用しており、なんだか羞恥心があるのかないのかよくわからない組み合わせだな、とエレンは感じた。
それにしても、この人の悪戯癖はどうにかならないものかとエレンも頭を悩ませる。今は誰にも見られてなかったからいいが、もし目撃されてたら大スキャンダル間違いなしである。学園での生活もようやく落ち着いてきたのにそれをかき乱されるのは、護衛の任務にも差し支えてしまうので避けたかった。
「ここらで……釘を刺しておきますか」
楯無は負けず嫌いだ。それはもうなんとなくわかっている。今回の悪戯は失敗に終わった以上、機会を狙ってまた仕掛けてくるのは簡単に想像できる。ならばーーー。
考えをまとめたエレンはぶーたれながら着替えを持って簪側のベッドの方に向かい、仕切りを立てた楯無の元へと行く。楯無からの心象が最悪になろうとエレンにはどうでもいい。ただ、この無意味でリスキーな悪戯を根絶出来ればいいのだから。
「生徒会長。貴女が悪いんですよ」
「エ、エレン君!?あ、まだ着替え終わってーーー」
下着姿にワイシャツのみという格好の楯無の言葉を遮る。その華奢な腕を掴むと、簪のベッドの上に彼女を押し倒した。驚きで頭が追いついていない楯無の耳元で、エレンはそっと呟く。
「俺だって男です。生徒会長みたいな綺麗な人に誘惑されたら……ね?」
「なっ、えっ、ちょっ、だめよ!?だめったらだめ!だめなんだからねエレン君!?おねーさん……ひゃっ!」
楯無の頬を優しく撫でる。顔を真っ赤にして瞳を潤ませながらテンパる彼女を見て、アレ、これちょっとやりすぎっていうか本当にいけないやつではないだろうか?などという考えが頭を過る。さっさと終わらせようと決めたエレンは、耳元で優しい声色で命令を下す。
「目を瞑ってください」
「え、や、それ、は……」
「目を瞑ってください」
「だっ、だめよ!!こんな、こんなことーーー」
「目を瞑って、楯無」
「……ず、ずるいわ、そんなの」
顔を真っ赤にした楯無が、ゆっくりと目を閉じた。改めて間近で見ると、本当に綺麗な人だな、と思う。これでもう少しまともな性格だったならーーーなどと見当外れの方向へ逸れてゆく思考を打ち切ると、ゆっくりと顔を近づけてゆく。全てのネタバラシをするために、楯無の耳元へと。
そしてエレンが口を開こうとしたその時だった。
「お姉ちゃん、遅いよ……。何してーーー」
「エレン、いるか?少しシュバルツェア・レーゲンの武装についてーーー」
「あっ」
これは本格的にまずいやつだと思った時にはもう手遅れであった。
「エレン、お姉ちゃん……なに、してるの?」
「ち、違うんです簪!!これにはーーー」
「なに……してたの?」
ハイライトの消えた瞳で笑顔を浮かべる簪を見て、どうやらこちらの話が通じないことを悟ったエレンは、助けを求めてラウラの方へと視線を向ける。しかし彼女は金魚のように口をパクパクさせると、顔を真っ赤にして部屋を出て行ってしまった。
(こうなったら、生徒会長にーーー)
組み敷いてる形になってる楯無へと目線を移すが、彼女は固く目を瞑ったままだ。普段の彼女なら簪達の乱入に気づいてもおかしくないが、極度に緊張していた彼女はそんなことに気づけるはずもなく、エレンの言いつけ通り固く目を閉じたままだった。
「……正座」
「はい……」
今回ばかりはなにも言い返すことができないエレンは、言われるがままに正座する。そこで漸く何かおかしいことに気づいた楯無が目を開いた。
「エレン君……?ちょっと、焦らしすぎーーー簪ちゃん!?」
そして視界に入った愛する妹の姿に驚愕する。慌てて周りを見渡すその姿はまさしく浮気現場が見つかった不倫相手そのものでる。しかも相手が妹の想い人であるからとんでもない修羅場である。そんな姉の姿に絶対零度の視線を向けて、簪はただ一言、命じた。
「正座」
「……はい」
下着にTシャツという姿のまま、エレンの隣に正座する。逆らう気力が一切わかない程度には、今の簪の放つオーラは尋常ではなかった。
「……言い訳、聞いてあげる」
とりあえずではあるが、弁明の余地は貰えた。エレンは内心安堵の息を漏らしながら、ゆっくりと事の顛末を話して行くのだった。
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
「と、とりあえず……助かった」
数時間の釈明を終えたエレンは、漸く一人になった自室のベッドにだらしなく倒れこんだ。結局、簪は事の成り行きについての理解はしてくれたが、納得はしてくれなかった。楯無も流石にあれだけからかわれたのは初めてだったらしく、激しく復讐心を燃え滾らせていたので結果としては最悪だろう。今後、恐ろしい報復が待っていそうで今から憂鬱であった。
「まあ、確かに……自業自得、ですかね」
エレンとしてもやりすぎた感は否めない。なので今回は甘んじて罰を受ける気だったのだが、楯無にも非があることもあって、簪はそれを良しとしなかった。代わりに、トーナメントで優勝したら何か言うことを一つ聞くという妙な約束をさせられたが、姉と違って無茶なお願いをするとは思えない以上、幾分か気が楽だった。
「それにしても……生徒会長には、今度お詫びをしたほうが良さそうですね」
簪の意思を尊重する楯無が、トーナメント期間中に何かを仕掛けてくるとは思い難い。しかしそのあとはそれこそ何をしてくるかわからない怖さがある。なるべく早めに詫びを入れて、丸く収めるのが理想的ではあるがーーー。
「いや、でも……すんごい悔しそうな顔してたしなぁ」
あの姉妹はとても負けず嫌いなのだ。お詫びをしたところで、あの姉が引くとは思えない。ましてや大好きな妹の前であのような醜態を晒されたのだ。最早、衝突は避けられない運命であるようにも感じられた。
先々のことを考えていると憂鬱な気分が纏わりついてくる。そんな時は早めに寝るに限る、と内心で決めたエレンは携帯端末でクロエに日課となる業務連絡を送ると、そのまま眠りにつくのだった。
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
「……はぁ」
エレンと楯無の痴態を目にしてから、これで何度目のため息だろうか。数えるのも億劫になるぐらいため息を漏らした簪だが、その陰鬱とした気分は一向に晴れそうもない。その原因の一助となってしまった楯無は自室ながら非常に気まずく、この時ばかりは気を利かせて友人の部屋に暫くのあいだ移ってくれているルームメイトが戻っきてくれないかと自分勝手な願いを抱いていた。
「……はぁぁ」
もちろんそんな我がままな願いが聞き届けられることはなく、愛しい妹の重い溜息が再び漏れる。楯無もふと、先ほどの出来事を思い出してしまい顔がカーッと熱くなっていくのを感じ、枕に顔を埋めてそれを隠した。
更識楯無は、悪戯が大好きだ。女子しか居なかったIS学園に入学してきた二人の男子は、悪戯を仕掛けるには絶好の相手であり、隙あらばなにか仕掛けようと考えていた。そうしてちょうどいい機会が回ってきて、悪戯を仕掛けてみたものの、その結果は逆に自分がいいように弄ばられるという思ってもみない結果に終わってしまった。
(うぅ……まさかあんな手痛い反撃を受けるなんて。というか、エレン君。なんだか、凄い場慣れしているような感じだったし……も、もしかして、そういうことも経験済み…?ほっぺを撫でてるのも、とても上手で……その、なんだかちょっとだけ、気持ちよかったような気がするし……)
そもそも、あの時のエレンの言い分は本当だったのだろうか。仕返しと釘をさすのが目的?本当に、やましい気持ちは一欠片もなかった?もし、あのまま簪とラウラが来なかったら。有り得たかもしれないその先の光景を妄想した楯無は、声にならない悲鳴をあげた。
「……お姉ちゃん?」
すぐ近くから、妹の声が聞こえた。妄想に浸りすぎていたのか、まったく気づかなかったことに驚愕しつつ慌てて顔をあげた楯無の瞳に映ったのは、ハイライトの消えた瞳をこちらに向けている簪の姿であった。身体のうちに残っていた熱と余韻が吹き飛んでいくのを確かに感じた。
「……お姉ちゃん、今何を考えてたの?」
抑揚の感じられない、冷たい声。さっきまでは熱かった身体が、今度は寒い。だから楯無は、簪から目を逸らしてしまった。
「な、何って……それは、その……」
適当に出まかせでも言えばいいかと思ったが、簪の底冷えするような視線はそれを見透かしてしまうような気がして、楯無は言葉に詰まった。簪は、黙ったままこちらを見つめていたが、やがて言葉を続ける。
「お姉ちゃん、今、頭の中でエレンと何をしてたの?」
ーーーバレてる。背筋が凍るような思いで、楯無は息を呑んだ。何か言い訳をしようにも、喉がカラカラに乾いてうまく言葉を発せる自信がないし、何より、今の簪には何もかも見透かされてしまっているような気がした。
沈黙を保たざるを得ない楯無から、簪は視線を外した。そのまま自分で用意した布団まで戻ると、楯無に背を向けるようにして横になる。楯無がホッと一息ついたのもつかの間。簪が小さく呟いたのが聞こえた。
「エレンは私だけのヒーローなんだから。お姉ちゃんには、分けてあげない」
チクリと胸を刺すような痛みを感じた楯無だったが、結局最後まで答えることが出来ず、逃げるように目を瞑って意識を闇に沈めた。