東方弔意伝   作:そるとん

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信じるということ

 

 

 

 

 

 

 

 

「お札が割れてる…………」

 

 

 博麗神社の境内に植え付けられた、一際立派な木に貼られたお札を、八雲紫はそっと撫でる。

 博麗神社周辺の木々に等間隔に設置されているお札は、もう随分と古く、そろそろ木と同化しそうな色合いになっていた。

 しかしその効果は侮れない。いかんせん、この幻想郷を、幻想郷たらしめている“博麗大結界”そのものである。

 幻想郷が外の世界から観測されず、低級な妖怪や人間の出入りを不可能としているのは他でもないこのお札だ。

 

 明治初期、遥か先代の博麗の巫女が張った結界は未だ衰えることはなく、幾分技術革新の進んだ現代においてもその回路の仔細は不明。

 その血筋もあって、特に、稀代の天才とまで謳われた彼女の結界。

 

 それが今この時。

 お札が真ん中から縦に裂けていた。

 

 

「この前まで何もなかったのに」

 

 

 譫語のように呟いてしまうのは、この出来事に、八雲紫とあっても少々驚きを隠せなかったからだ。

 元より、幻想郷のバランサーとしての立ち位置にある博麗の巫女だが、それは今も昔も変わらない。このお札も例外ではない。

 

 確かに、幻想郷の存在を外界から包み隠し、不用意に人間が迷い込むことのないよう、力の小さな者は自然と弾かれるようになっている。その一方で、大妖怪クラスの存在や、それこそ大きな力を持つ神のような種族は案外素通りできる。

 

 八雲紫はてっきり、夏前に起こった異変の時に、無理やり神社ごと越してきた洩矢御一行のせいで結界に異常が生じたものなのだと思っていた。

 しかしこの様は異常だ。

 たとえ数十年ものの一品だったとしても、縦から裂ける有様など見たことがなかった。

 人為的に、手ずから裂いたとも考えにくい。切り口があまりにも綺麗である。長い間木に張り付けられていたお札───言ってしまえば紙───のみを、綺麗に縦に裂くには技術がいる。意図的にやったにしてはあまりにも悪趣味だ。

 

 

「蘭、どう思う?」

「ここの他にも数点、同じようなお札が。異常といえば異常ですね」

「そう、よね……」

 

 

 己が式神の八雲蘭は淡々と語る。

 

 

「何か、覚えはある?」

 

 

 至って冷静な蘭の態度が気になり、思わずそう聞いた。

 紫も、決して全く見当がつかないわけではなかった。蘭も、自身と同じ答えを出すのではないかという期待もあった。

 案の定、予想は当たる。

 

 

「えぇ、微かに残る"気"からもなんとなく……」

「例の、悪魔かしら」

「はい。同じ力です」

 

 

 例の悪魔。

 いつしか、名前を呼べなくなってしまった。彼の気力を、雰囲気を、存在を、紫も蘭も認知出来ていた。たった数年前の冬。何故か遥か遠い昔のように感じてならない、在りし日の冬に、彼の存在はしっかり確認できていた。輪郭を帯びて、確かにそこにいたはずで、脳みそも、その先にある無意識的なエリアでも、その存在を覚えている。

 けれど、名前だけがどうしても出てこない。微かにフッと浮かんでは、口からそれが音として出ていかない。

 グシオンと名乗る悪魔がいつの間にか幻想郷に根付いていた。この悪魔の存在がチラつくたびに、かつてここで生きていた少年は一体どこへと行ってしまったのかと、記憶が紐づけるように思い起こさせてくる。

 

 全く、厄介なものを送ってきたものだ。

 

 

「ヴィネア…………」

 

 

 貴女がそこまでして成し遂げたかったことは何?

 旧友に思いを馳せた。

 彼女の忘れ形見が、自分たちの記憶からも居なくなりつつある。

 そのことが、果てしなく、悲しい。

 

 

「ゆ、紫様?」

「……修復して、帰りましょ」

 

 

 割れたお札をそっと撫で、静かにため息をついた。

 

……………………………。

 

 きっともう。

 時間はないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 

 

「幻想郷にどうやって入ったか?」

「うん。そう」

 

 

 初夏の風が山肌を撫でる。今頃、ドンぱちと麓から山道にかけて盛り上がっているところ、山頂に佇む神社だけはシンとしていた。穏やかに、木が揺れる音をBGMに、さほど楽しくもない事務仕事を諏訪子は淡々と続けていた。

 

 そこに来訪があったのはつい先程のこと。

 異変とあって、ただでさえ賑わいでいる妖怪の山を陽が傾く前に単身で、かつ無傷で登り切った男というのが、今目の前に座っている“自称”悪魔。

 境内には早苗と神奈子がいるというのに2人はこの男に気付いてもいないようだった。

 

 相対して、そこまで強大な力は見受けられない。しかし、今いる部屋の敷居を跨ぐまで、男の存在に諏訪子は気づけなかった。

 気配の隠し方、近づき方、落ち着き様。

 どれを取っても、この男が単に首を突っ込んで来ただけでないのは確かだ。

 

 簡単に名乗ると、諏訪子の目の前に座り、徐に話し始める。

 

 こちらの正体、目的、手段。

 敵対的には思えなかった。依然と態度は変わらず、敵意は一度として見せなかった。

 油断ならなかった。

 

 諏訪子も努めて、調子を崩さず話を続ける。

 

 明らかに雰囲気が変わったのは、先の質問からだった。

 

 

“幻想郷にはどうやって来たんだ?”

 

 

 男の本題はこれか。声のトーンが少し下がる。故に直感で理解した。

 

 

「どうって……普通に?」

「え、普通に入ってこられるの?」

「うん」

「神社ごと?」

「それは、まぁ、神の力」

 

 

 驚くくらい拍子抜けする会話だった。

 至って男は真剣だった。

 

 

「神様って……あ、いや神様じゃなくても」

「うん?」

「あの、緑色の髪の子も、元は人間だよな」

「よく気付いたね」

「そう?割と人っぽいけど」

「そうじゃなくて」

 

 

 男はきょとんとする。

 

 

「すでに人でないことに」

 

 

 諏訪子は手元の書類を淡々と処理しながら言ってのける。

 男も、特に驚いた様子を見せなかった。ただ、当然のように、

 

 

「うん、分かるよ」

 

 

 とだけ言った。

 絶え間のない会話は一拍置いて、スタートを切り出したのは男の方だった。

 

 

「で、話の続きだけど」

「うん、神も現人神も、なんだっけ?」

「成る可くしてなったのか?」

 

「それとも、産まれた時から神なのか?」

 

 

 純粋な疑問のようには思えなかった。興味本位から出た質問というには、あまりにもコアな質問だ。諏訪子は、そんな事を聞いてどうする、なんて言葉も出なかった。男は今、自分の中でのみ抱える矛盾のような、悩みのような、そんな想いを整理したいのだと、強くそう感じた。

 目の前の彼のことなどさっぱり知らないが、切実に“私達”の存在を知ろうとしている。

 

 

「神も、現人神も、成る可くして成ると思ってるよ」

「どうして、そう思う」

「……人に信じられて、神は産まれるんだ」

 

「他ならぬ、人々の想いが、我々を産むんだ」

 

 

 良くも悪くも、という台詞は仕舞い込んだ。最も、良く捉えるかどうかは男次第だった。

 

 

「そうか、」

 

 

 浮かない表情だった。

 悪い意味を悟ったのかもしれない。諏訪子は皮肉に笑う。

 

 

「君が、今の答えにどう感じたか。おおよそ顔を見たら分かるけど、何もなりたくなかった訳でもないさ」

「年端もいかない少女が、矢面に立たされることになっても?」

「その子の選んだ道さ」

「……随分と、覚悟が決まっているんだな」

 

 

 どこか諦めたような目をしていた。伏せられたまつ毛と前髪は、男の顔を覆い隠すようで、諏訪子は思わず顔を上げた。想像以上に思うところがあったのかもしれない、諏訪子が考えた以上に男は思い悩んでいた可能性を考慮していなかった。

 それと今回とがどう関係しているかは定かではないが、諏訪子は何か言葉を紡ごうと口を開こうとした。

 ゆっくりと、言葉を発したのは男の方だった。

 

 

「人は、ポリス的だから、きっと何かに縋ろうとする気持ちは本能みたいなものだと思ってる」

 

 

 突然のことで諏訪子は思わず声が出なかった。

 男は、所詮は持論なんだけど、と笑って前置きをすると、

 

 

「その気持ちは至ってエゴで、合理性に欠ける事の方が多い」

 

「けれど、自然として、本能的に、集団を作って、社会を形成して」

 

 

 諏訪子は、若い青年と話している気になれなかった。

 

 

「自分に課せられた重責ごと、誰かに寄り掛かって生きている」

 

「────────────。」

 

 

 他人事とは思えなかった。私のことを言っているのか、諏訪子はそんな事を思ってしまう。

 

 諏訪子は、遥か昔の話を思い出してしまった。

 諏訪子と、八坂神奈子が“生きていた”時代の話。

 手も足も出ない大きな敵を前に、民は、人は、どんな顔をしていたか──────。

 

 

 ちょっと?と不意に聞き慣れない声がした。

 

 

「っ……ご、ごめん」

「ごめん、ダラダラと取り留めのない事を」

 

 

 敵前──かどうかは定かではないが──で、考え事に耽ってしまったのは迂闊だった。男が真に敵対するつもりで来なかった事が幸いした。

 困ったように笑みを浮かべて、男は一言謝ると、

 

 

「今日は話をしてみたかっただけなんだ」

 

 

 そう言って、徐に立ち上がる。

 

 

「もう帰るのか?異変も解決せずに」

「俺の出る幕じゃないよ」

 

 

 誰かを思い浮かべるように、優しく笑った。

 そこまで言って、男は初めて、確かに、その顔に翳りを見せた。

 

 

「私も、神に祈れば違ったかな」

 

 

 諏訪子は、ずっと目の前に座っていた男と、同じ人物とは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────

──────

 

 

 

 

 

 

 

 見たところ、珍しい色の巫女装束の子は、霊夢と同じくらいの歳か。

 妖怪の山を下りながら、先程のことに想いを焚べる。

 

 

「現人神……」

 

 

 人でありながら、神と同等の力を有する者。その力を手にするに至った理由は。

 前線に向かうのが、彼女たちである理由は。

 

 視界の隅で、弾幕が瞬く。

 激しい閃光と共に、遅れて爆発音がする。

 

 

「神といえど、」

 

 

 人と変わらぬ強度と生命力。

 少女たちには、どうしても越えられない“脆さ”がある。

 

 人々からの信頼、故の重責、有り余る力の大きさ。これからまだ成長を続けた先に幸福はあるのか。

 人が、人として生きる未来があったなら。

 彼女達が、穏やかな季節の中で生きていける世界があったなら。

 

 

 信仰心はいつか誰かを殺す。

 遥か昔、私の母が"そう"なったように。

 

 

「私は、私の信ずるままに生きるよ」

 

 

 他者を滅ぼす下らんエゴイズムには、

 

 

「今日はいい話が出来た」

 

 

 映えある未来の土台になってもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








最終章突入です。
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