長編に入りました故、長めにお送りします。
勘を頼りに動いてみれば、私は冥界に辿り着いた。
着いた場所が場所なだけに、私は自分の勘を疑わざるを得なかったけれども、自分の勘が決して間違っていないことは確かだった。
その証拠として、今私が降り立っている冥界の入り口はほんのり暖かいのだ。それこそ、ここに春がある事の証拠である。
冥界と聞いて、どういったイメージを持つだろうか。決してポジティブなイメージを持つ事はないだろう。オカルト趣味の人間は除いて、ほとんどの人がそう感じるだろう。
大凡そのイメージで良い。暗く、私達がいつもいる世界と比べると幾らか気温が下がる。まぁ、それもそうだ。冥界、言わば『死の世界』。
生きとし生ける者は必ず死を迎える。そうして死後、最終的に帰結する場所がここ、冥界である。
そんな場所が、この真冬にーーと言っても、あちら側にまだ雪が降っているだけだがーーほんのり暖かいのだ。
その感覚は微々たるものとして、
ここに春がある確たる証拠であるのだ。
「やっかいな所に来たわね……」
霊夢がそう言うのも、如何せん彼女は此処の住民とは面識がない。それもそのはず、冥界に来たことは今回が初めてだし、それ以前にまず冥界に来る用事もない。わざわざ此方から死の世界に赴くなんて不吉な話である。異変解決という名目が無ければ訪れる事はなかった。
冥界には誰がいるのだろうとか、そんな話ではない。
まず場所すら認知が難しいものだ。
途中から深い森に入っていった上にその一番奥にほんの少し入口が垣間見えるだけなのだ。
生きている者が誤って足を踏み入れられぬように。
そうして、いざ着いてみれば吐き気を催すくらいの妖気だ。否、霊気だろうか。
頭が痛くなるほどの霊気に顔を顰めていると、髪に、ふと何かが当たった感覚がした。
本当に微かな感触だ。
「ん…何よこれ……桜の花びら?」
何か当たったであろう場所を手で探れば、髪の毛ではない触感を掌が感じる。
まだ視界に入らないそれを丁寧に摘んで目の前に持って来れば、それはピンク色の花弁だった。
紛う事なき桜の花びらである。
「当たりね……」
私はそう呟くと顔を上げる。まだ顔も知らない冥界の奥底にいる黒幕を睨みつけるように。
眼前には奇妙なくらい長い階段と、その両端に等間隔で置かれた灯篭があるばかりである。階段一段一段毎に置かれている灯篭が、光一つ差し込まない冥界で鮮やかに燃えている。
こうして見てみれば、チラホラ桜が舞っているのが分かる。一番奥に春がある事は少し考えれば分かる。
陽の差し込まない冥界は真夜中のようで、夥しい数の灯火が百鬼夜行の様に思えた。
それでも、その中で舞う桜は酷く美しいものだった。
灯篭の灯りを受けて微かに発光しながら儚く散るその姿はどこか風流で、
是非とも取り返したいものだと、霊夢に確固たる信念を持たせるには充分な風景であった。
今から何人とやりあうのかしら。
そんな物騒な事を考えていても、霊夢の表情には余裕が現れていた。
とっとと終わらせよう。
霊夢はそうポソリと呟くと、目の前に聳える長い長い階段を、
悠々と飛んで超えていった
……その前に。
聞き馴染みのある声が背後からしたものだから、霊夢は徐にその動きを止めた。
「とうちゃーーーーーく!!!…どこだここ!!」
「魔理沙…アンタも来たのね」
「あったり前だぜ!にしても寒いな!!」
「あの雪の中全力で来たんでしょ。帽子真っ白よ」
「お、ここの方がちょっとあったかいな!」
不気味なくらい静かな冥界に一際明るい声が響く。灯篭の様ではなく、強く眩しい一等星の様な元気な声だ。
冥界に響き渡る元気な声の持ち主は、魔法の森に住むちょっとおかしな人間『霧雨 魔理沙』だ。
コイツはどんなに寒くても暑くてもこのテンションだから凄いものである。寒い時はまだしも、暑い時にまで来られると大変暑苦しい。いや、でも確か去年の夏はバテていたっけ。
そんなどうでもいい事を考えつつ、霊夢は魔理沙に話しかけた。
「魔理沙も異変解決?」
「いやぁ、あんまり暇だったからな!それに私を導くかの如くコイツが落ちてきた!」
「あら、桜の花びら」
「こんなん見つけたら探すしかないよなぁ!春!!」
「うん、ここで正解よ」
よっしゃ!と魔理沙は大袈裟にガッツポーズをしてみせる。
まぁ、多分来るだろうと考えてはいたがここまで早いとは。相当飛ばしてきたに違いない。まぁ、そうでなければあんなに帽子が雪まみれにはならないだろう。
まだあちこちに雪のついたテンションの高い彼女に目を据えていると、魔理沙の後ろからまた1人冥界に入ってくる者が視界に入った。
異変であろうとその歩みは崩れず、冥界であろうとその澄まし顔は崩れない。
そんな銀髪の少女。
「咲夜。貴方も来たのね」
「えぇ、流石に燃料も切れちゃいそうだし」
「異変解決初参戦だな!」
「そうなるわね」
紅霧異変解決からすぐの時には、その変わらない表情とサッパリとした性格もあってかとっつき辛かった。宴会に来こそすれど、主人の側を離れずにいた。
ただ最近は少し雰囲気が柔らかくなったと霊夢は思う。現にこうして私達と笑顔で話している。人里でもよく見るようになった。
紅魔館の完全で瀟洒なメイドという肩書きを持ちこそすれど、同年代の霊夢達と話をしていれば、その表情には年相応の少女っぽさが出てくる。
それでもやっぱり、彼女の柔らかな微笑みの中には何処か凛とした雰囲気が漂っていた。
「……?」
「ん?どうしたんだ霊夢」
「咲夜はさっきから誰を探してるのかしら?」
「んえっ…?」
「……え?何その反n
「別に誰も探してないわよ。断じて。私は異変解決だけを考えているの。集中してるの。魔理沙も集中していきましょう?」
あ、あぁ…うん……」
ふと落ち着きのない咲夜に霊夢が気になって聞いてみればこの反応である。
咲夜らしからぬ気の抜けた反応に魔理沙が突っ込みを入れてみれば凄い勢いで捲し立てられる始末。「ふーん…?」と少し訝しむような反応を、霊夢は心の中で漏らす。
肩書きにちょっと変化を加えるべきではと霊夢は思った。
前から思っていたけれど、咲夜は完全ではないみたいだ。それはほんのり確信に近づくのであった。紅霧異変の時はその人間離れした強さに本当に人間か疑いかけたが、どこか抜けたところを見るとやはり人間なんだなと少し微笑ましくなるのである。
とはいえ、こんな所にいつまでも居るわけにはいかない。
「そろそろ行くわよ?」
「あぁ!いつでもいいぜ!」
「同じく。早く終わらせましょ」
霊夢が一声かけると、魔理沙は勢いそのまま、咲夜は落ち着きを取り戻し片手にナイフを4本ずつ持った。
初っ端出鼻を挫かれたとはいえ、3人いればだいぶ楽である。
改めてその長ったらしい階段を、
霊夢達は軽々と飛んで超えて行くので……
「春ですよぉーーーーー!!!!」
「「「…………」」」
そう簡単にもいかないみたいだ。仕切り直しても尚出鼻を挫かれた。
この声は良く知っている。
立春の日に聞こえてくるその声が冥界で聞こえた。
春を告げる妖精など幻想郷に1人である。
そして春に興奮状態になって暴れ散らす妖精も幻想郷に多分たった1人である。
確かに、春を一番に喜ぶ彼女は、相手にとって敵である霊夢達を邪魔するには丁度いい。それもそのはず、いつも大人しい彼女は春になると軽く半狂乱になる。春になった喜びを弾幕として表現するのだ。
とは言っても、幻想郷に蔓延る妖精どもにちょっと毛が生えたような強さである。
「…行く手間が省けるわね」
その言葉を皮切りに、たった1人で挑んでくる『春告精』を、3人で迎え撃つのであった。
***
雪が舞い落ちるスピードは桜が舞い落ちるスピードよりも遅いらしい。
元いた世界で悴んだ手を必死に温めては雪かきをしていた記憶が呼び起こされる。その時に、よくこんな事を思っていたものだ。傘を差しても意味はないんじゃないのかと。歩くスピードの方が雪よりも早いのだから、普通に歩いていれば体の前はビショビショになるのだ。
そんなどうでもいい事を。
傘を差しているわけでもないのに。
そうして、今でさえ、
最初から傘なんて差しちゃいない。
フワリと落ちているはずの雪は猛スピードで顔に吹き付けている。以前はこんなに早く飛べなかったはずなのに、どうして雪は容赦なくぶつかってくるのだろうか。
理由は明確だ。ここに来た時から掛かっていたリミッターの様なものが外れかけている。
「早く、早く」と願う程にスピードは増していく。
桜の香りはもう感じない。
ただ春は確実に近づいている。それは間違いない、断言出来る。
ズキズキと痛む程に激しくなった胸騒ぎがその証拠だ。
未だにこの胸騒ぎの具体的な原因は分からないが、抽象的な理由なら分かる。
確実にこの異変が関わっている事だけは確かだ。
何かが俺を引き寄せている。そんな気がした。
けれどそれは間違いなく嫌な予感であった。
'紅霧異変以来"の嫌な予感だ。
紅霧異変と言えば…そうか。
ーーー生死に関する、嫌な予感だ。
幻想郷の雪はまだ止まない。
***
半狂乱の暴走状態とはいえ、妖精は所詮妖精に過ぎなかった。1人でも余裕だと言うのに、3人でかかったものだから一瞬であった。今思えば少し悪い事をした。異変解決の暁には思う存分、宴会ではしゃいで貰おう。
その後暫くは何もなかった。階段を登りきった後は至って平坦であった。もう一番奥も近いのか周りには既に桜の木がこれまた等間隔に植えられていた。それは見事に全て咲いていた。極めて静かな道のりを、3人の少女の話し声だけが通り過ぎていく。その間にも着々と奥へ進んでいく。
桜吹雪は勢いを増していた。
視界が霞むくらいの桜吹雪の中、ふと、咲夜が動きを止めた。
それに合わせて他2人も動きを止める。
魔理沙は止まった理由が分からず首を傾げていたが、霊夢には咲夜が止まった理由が何となく分かっていた。
「……何か来るわね」
「えぇ、厄介そうな奴が」
咲夜と霊夢はふと、微かな霊気を感じ取ると少し周囲を警戒し始めた。魔理沙にはイマイチまだ届いてないみたいで「?」みたいな表情を浮かべている。それほど微かな『霊気』。
魔理沙も長いこと幻想郷に暮らしていれば微かでさえも『妖気』を感じ取るのは容易い事だが、
今回の異変の舞台は冥界だ。
冥界に棲まう者のうち、妖の類は極めて少なく、ほとんどが幽霊、及び霊魂である。
つまるところ、いつも弾幕ごっこなり、遊んだりで慣れ親しんだ空間とは別物である。
幸い幽霊はどこか一箇所に集まっているみたいで、それは霊夢達が微かな霊気を感じ取れた事の要因の1つでもある。
一番奥に黒幕がいるとするならば。
歩みを進めるごとに霊気は強まる。
勿論、たった今匂った微かな霊気も例外じゃない。
歩みを進めれば、その気は濃くなる。
「近いわね」
「準備して、魔理沙」
「おうよ!流石の私も感じたぜ!」
3人既に地上へ降り臨戦態勢も保っている。
余裕綽々な態度も構わないが、今から来る相手にはそうも行かなそうだ。
少なくとも、一筋縄では。
微弱な霊気でも、そこにはハッキリとした敵意があった。きっちりと筋の通った、正義すら感じるそんな敵意が。その敵意は今や大きなものだった。最初に感じたところから中々に歩みを進めて、漸くその霊気を近くに感じたのだ。
侮れないのは確かだろう。
敵襲に身構えていると、どこからともなく冥界に一陣の風が吹く。
舞い落ちる桜は乱れ、行く手を阻むかのように桜はこれから向かう先を隠す。
ーーーーー。
そんな風すら斬り裂いて。
1つの鋭い閃きが桜の障壁を2つに割った。
聞こえたのはヒュオッと風を切る軽やかな音だけ。
二つに裂けた桜吹雪の間から、それは現れた。
少し明るい緑を基調とした服に身を包み、物騒にも腰には2本の刀を携えている。
その佇まいは隙がなく、凛としていて、
深い、深い、敵意があった。
「ここから先は通しませんよ」
臆する事もなく、良く通る声で高らかに、
その銀髪を風で揺らした小柄な少女は、
3人に宣戦布告するのであった。
***
空中に寒気蔓延る寒空の中、シオンは真っ白な息を狭い感覚で吐き続けていた。
途切れ途切れの吐息はどうにか心臓を落ち着かせようと必死である。
それでも、高鳴る鼓動と騒つく胸は治らない。
雪で濡れ、僅かにぼやける視界で何とか捉えた景色は、薄暗く、嫌な気が漂っていた。
深い深い森に入っていき、辿り着いたそこはどこか不気味であった。
息は未だ震え、おまけに膝も小刻みに笑い出した。
武者震いか。
はたまた、
恐れているのか。
生憎、鋭い勘は持ち合わせていないし、ここに春があるという確証もない。
ただ、誘われるかの如くここに辿り着いた。
何者かが俺を呼んでいるかのように。
足は震えているにも関わらず、
まだ息も整っていないにも関わらず、
不思議と足は動いた。
無意識にも、薄暗い先の景色に歩を進めていた。
幻想郷の雪はまだ止まない。
けれど、
足を踏み入れた『そこ』は、
長い長い階段の向こうから、
桜が舞い散っていたのだった。