一年経って、ようやく終結。
考えるより先に、身体が動いていた。
今こうして、至って冷静に思考が働く訳だが、全身に張り巡らされた神経──運動神経と言ったか──と、切り離されたような。
思考が追いつかない速さで自分の筋肉は動いていく。
いや、筋肉だけではないようだ。
視界も極めて覚醒している。高密度で射出された蝶を象った弾幕の僅かな隙間を縫って、少女との距離を詰めていく。
その際に、妙に弾幕が遅く見える。瞳孔が開く感覚とはこういうものなのだろうか。
眩い弾幕を只管避けた先に、少女の影を見た。
──見つけた。
もう力は枯渇しかけているというのに、腕の力は抜けないし、まだいける、まだやれると俺の身体は激っていく。
ここで行動を止めてはいけない。
前述した通り、力はもう少ない。
大量の弾幕が出せずとも、ほんの隙間、相手の影さえ掴めば、
殺れる。
「ハァッ!!!!」
鋭く尖った、黒い弾幕を最高速度で放つ。
避ける暇も与えない程速く。
少女が俺を目視した時には、もう遅かった。
慌てて右手をこちらに向けると、俺の弾幕を相殺するだけの気を発した。
が、疲労もあり僅かに力不足。
しかしながら、流石はラスボス。起動を微妙にズラされ、弾幕は少女の右腕の外側を掠めていくだけであった。
一筋縄では行かないか……。
そうと分かれば追撃である。
カウンターのスピードに乗じる事にしよう。
….…幸い、俺の放った弾幕はまだ目視できる。
お手軽に背後に回れるから、この能力は有用である。
「覆せッ!」
そう叫ぶと、俺の視界はほんの一瞬暗転する。
と、次に視界が開けた時には、
もう既に、俺は少女の背後を移っていた。
「なっ……!」
「異変、終わらせてもらうぞ」
お互い背中合わせの状態から、上体を捻って空中で体制を変える。
すかさず右手を、ほぼゼロ距離の位置で右手を構えると、
残りの力を振り絞った。
「ッ…!!ぁぁぁぁあああッッ!!!」
「ぐぅぅッ!!!!!!」
斜め下に向かって残りの余った気を有りったけぶつける。
どうやら俺も限界のようで、激しい激痛が瞬間的に走る。
が、身体は止まらなかった。
頭もズキズキと痛む。さっきまで澄み切っていた視界も徐々にボヤけ始めてきた。
戦闘慣れしておらず、碌に力なんぞを使ってこなかった故に、ちょっと無理をしただけで全身から血が流れる。
下手糞のくせに、能力なんかを使うから、もう意識はハッキリしない。
ともあれ、これで終いだ。
これで春は戻ってくるはずだ。
全員の手当てをしたら、こっそり一人で帰ることに……
「ガッ…!!ハッ……!!」
胃が一瞬熱くなったかと思えば、妙な吐き気に襲われた。嗚咽と同時に何かを吐き出してみれば喉の奥が焼けるように熱く、苦い。
思わず、口を覆った右手を見てみる。
血だった。
ここで、唐突に思考が、感覚が、筋肉が緩んだ。
「ァ…ハァッ……!!」
吐き出すような呼吸を最後に、
俺は遥か下の石畳へと引っ張られた。
斜め下へと自由落下し、勢いよく打ち付けられた身体は一度弾んでから、再び全身を打ちつけながら滑り、やがて止まった。
そうして、また再び。
死が俺を手招きだした。
暗転していく視界。
自分の生命活動が微弱になっていく感覚がしていたのに、未だに心臓はより熱く脈打っていた。
──。
───。
何故。
この状況に於いて胸が騒ついてるんだ…?
冥界迄の道すがら、ずっと続いていた胸騒ぎ。
起こった原因は大体想像ついていた。
恐らくこの木で、或いは少女だった。
一度死を経験した俺だ。元の場所へ還ろうと無意識に思っていたのだろう。
だから、ここに足を踏み入れると途端に止んだんだ。
それだと言うのに。
卑怯ではあるが、相手の疲労時を狙って、極力最速で終わらせた筈だ。
なのに……!
薄れゆく視界を何とか晴らそうと、閉じかけた目蓋をもう一度広げてみる。
案の定であった。
春はまだ集結を辞めていなかった。
主人が死して尚、言うことを聞かず、桜を咲かそうと魂を犠牲にしていく。
足らない脳で考え抜いた解決策をやり遂げたのに、
「どう、して……」
たった四文字絞り出すのにやっとだった。
頭上を通過していく魂から、目の前で伏せている桃髪の少女に目をやる。
「ぇ……お、おい…!」
思わぬ光景にそう叫んだ。胸が数瞬痛む。
が、お構いなしに身体を引き摺って少女に近寄る。
見間違いなどではなかった。
元から透き通る様な白肌ではあったが、今は冗談抜きで本当に透けている。
その証拠に、彼女の心身は儚く散っていく様だった。
なにふり構わず問いかける。
「おい…!どうしたんだよ…!なんで終わんねぇんだ…!!」
「漸く……思い出したの…」
「……なにが、だ」
「桜が咲かなかった理由」
虚な少女の目は、幼き日を映し出していた。
「貴方も見たのでしょう?自害の時を……」
「あぁ……やっぱりアンタだったのか…」
「死を操れた私は、自らを桜の木の下に埋めて、もう二度と桜が咲かない様に……。
もう誰も、木の下で死なぬ様に…」
「自分を咲かない呪いの媒体にしたのかよ…!
っておい、それ……」
「桜が咲く……即ち、私の消滅を意味するわ…」
仄かに、彼女の目尻には雫が浮かび、黒目を滲ませていた。
どうにか言おうにも、急に喉が痞えて上手く喋れなくなる。そんな俺を見て彼女は気遣う様に言葉を続ける。
「なんて事はないわ……漸く、魂が解放されるの……。
もう長生きしすぎたのよ……桜が咲く頃に、死ねたなら本望だわ…」
「じゃあ…なんで……」
やっとのことで発生できたのは又しても疑問だった。そんな愚問をしている暇はないのに。
それでも、涙を零す理由を聞きたかった。
「そんな…悲しい顔したまま死んでも……未練は残るぞ…」
こんな時ばっかり、上手く言葉が出なかった。
どんな言葉をかけるか知らなかった。
俺の下手な心配に、彼女は微笑を交えて返答した。
「ずっと…父様が愛した桜を見たかったのだけれど……自業自得ね……。
命を粗末にした罰だわ。私が桜を見るために、私が犠牲になるのだもの。皮肉だわ…」
その語気に力はなかった。
その様子を見て、ふと昔の事を思い出す。永らく忘れていた、祖母の死際を垣間見た。
そういや、婆ちゃんも泣いてたっけ。
母親も、父親も、
普段目が合えば喧嘩ばかりしていたのに、
最期の最期で泣きやがるんだ。
みんな仲良く、涙を流して、
安らかに。
「なんだ、この記憶……」
不愉快だった。嫌な事を思い出して気を発する、いつも俺がやっている時の、そんな感覚。
脳の奥底から引っ張られたようで、酷く不愉快なのに、
俺の顔が嫌悪に滲むことはなかった。
寧ろ……。
「なんで…貴方が泣くのよ……」
「…は…?泣いて……なんで…」
少女に言われて気づく。
俺の目からポタポタと垂れる雫は間違いなく涙であった。地面をポツポツと濡らしていく。
あぁ、酷く惨めだ。
結局何も覚えちゃいない。
死の淵に立たされて漸く思い出した。
あの暗い家庭が死ぬ程苦痛だった。
何も出来ずに涙を堪える自分が惨めだった。
それよりも、
何よりも、
喧嘩した後の、寂しそうに丸まった父の背中が死ぬ程悲しかった。
疲れて帰って、報われる事なく涙する母親が苦しいくらいに悲しかった。
そんな家族を俺は守りたかったんだ。
ずっと。ずっとだ。
ただ我慢だけして、いつか来る幸せを願って。
でも俺は何も出来ずに、みんな死んでいった。
父と母は、ソファに並んで腰掛けて、亡くなっていた。
誰も報われていない、誰も救われなかった世界で一人、静かな部屋で嗚咽を吐くのが、
酷く惨めだった。
だから、もう何も出来ないのは辞めにしよう。
何時かの時に誓った事を、反復するように、自己暗示するように、
決意を固めるべく、言い放った。
「もう、誰も……
俺の前で死なせない……」
強く握りしめた拳。掌には爪が食い込んで僅かに血が滴っている。
掌だけにとどまらず、無理が祟った故身体中ボロボロである。
だが諦めるわけにはいかない。
目の前で、涙を流しながら今にも命が失われようとしている。
誰も、悲しいまま終わらせる訳にはいかない。
「貴方ッ…何を…!!」
「あの桜が…原因なんだな…
そこで見てろ……今すぐ助ける……」
「今更遅いわ…!」
「もう決めた事だ!あの桜ぐらい消してやるよ!
そうして、全部丸く収まったら…!!
みんなで花見でもしよう」
「っ…!!」
「幻想郷の桜は綺麗だぜ!」
そう、無理に笑って見せる。
笑顔は、誰かを安心させるのに一番有効的だと婆ちゃんが言ってた。
自分が何かを成し得ようとする時にも、勇気が湧いて良いらしい。
本当だ。笑ってみて初めてそう思えた。
あの時にも、笑顔があれば。
ふとそんな風に思ってしまった。
もう少女は何も言わなかった。眠ってしまったか。相当疲れていたのだからな。仕方がない事だ。
その間俺は、一歩ずつ巨大な妖怪桜に近づく。
もう一度。
もう一度だけ。
"俺"の力を。
歯を食いしばって能力を発動する。
そっくりそのまま、春は返してもらうぜ。
それに。
覆すだけじゃ足りない。丸ごと消し去ってやる。
彼女の呪いも心残りも全部、
「拒絶するッ!!!!!!」
木に触れている右手が赤黒く輝き始める。
途端、激しく桜は散り始めた。気を保つのにやっとの俺は気に留める事は出来なかった。
集結していた魂がけたたましく雄叫びを上げる。
桜と共に天に登っていく。
その光景は、薄暗い冥界を白く照らすのであった。
長い夢を見ていた。
長閑な山奥で、降り注ぐ日光に当たり、みんなが笑って暮らしている。
そんな夢を。
そこに、
彼等がいてくれたら、と。
孤独な悪魔は人知れず、
涙を零していた。