快晴の5月。
梅雨が近づいている時期にしては珍しくカラッと晴れたので、少し散歩してみようだなんて思ってしまったが為に、
「珍しいな、霊夢が来るなんて」
「え、あ、えぇ……」
ずっと噂をしていた彼に茶を淹れて貰うことになるなんて考えもしていなかった。
一瞬でもあんなことを考えてしまったものだから、変に意識してしまってダメだ。そもそも私が晴れてるから散歩ってのも怪しい。気を紛らわせる為なのでは……?
「どうぞ」
「あ、ありがとう……」
「で、何の用なんだ?」
「え?用なんてないわよ」
「あっ、え?そうなのか」
「用がなくちゃ来ちゃダメなのかしら」
「いやいや!そんなことはないよ、好きに居てくれ」
まぁ彼がそう言うのも仕方がないのかもしれない。半ば駆け込み寺のような存在になっていたこの甘味屋は、異変が起きると誰かしらが助けを求めに此処に来るそうだ。以前は人も沢山来ていたそうだが、今ではすっかり寄り付かなくなってしまった。
彼の優しさ極まれりね。
とはいえ、あまりにも寛容だと思った。少しは自分の身を気遣って欲しい。
「そうだ、怪我とかしていないか?前来てくれた時は助かったよ。ありがとう」
「礼を言うのはこっちよ。手を煩わせて悪かったわね」
「勝手に行動したことだよ」
「……そう、でもありがとう」
こうして、改めて顔を合わせて話をするのは久し振りな気がした。
いや、久しぶりなのだろう。
こうして、落ち着いて話せるのは、いつぶりなのか。
私に冷たい緑茶を出すと、彼は私の前の席に着いた。
「萃香の様子はどうだ?おとなしいか?」
「えぇ、今も人ん家で日向を浴びながら酒も浴びてるわ」
「まさか霊夢のとこに居候するとは…悪かった」
「全くよ。変なの押し付けてくれちゃって」
「悪かったって。魔理沙とかはそれでも普通に来るのか?」
「ビックリするくらい溶け込んでるわ」
「まぁ、流石幻想郷ってとこか」
事実、伊吹萃香が来たからといって弊害が何かあるわけではないのだ。特に何事もなく日常が訪れて、騒がしいやつだって訪れる。本当に何もない平和が毎日のように訪れる。
「あぁ、この前咲夜も来たわよ」
「えっ、そうなのか?何か用あるのか…」
「それどういうことよ」
「いや、なんか、用あるんかなって」
「何もフォローできてないわよ……暇な時とか買い物帰りにアイツよく茶だけ貰ってくわよ」
「そうなのか!良い休息地点なんかね」
「どいつもこいつも……」
「どいつもこいつも茶だけもらいに来るんか」
特に何もないみたいで安心したよ。と彼は言い、また席を立った。
どこか他人事みたいな物言いが少しだけ引っかかった。
しかし彼の表情は変わらず、黙々とカウンターの下で作業をしていた。
しばらくすると、彼は小皿を片手にまた席へと戻ってきた。
「これ暇つぶしで作ったんだ、いちごモナカ。ハズレ入り」
「へぇ…器用ねぇ、ハズレって?」
「一個だけ辛い」
「うぇ……折角だしいただくわ」
一口サイズほどの小さなモナカを目の前に出された。全部で5個。とりあえず一番右のモナカを摘んで口の中に放り込んだ。
……んぐふっ。
口に入れて2回ほど咀嚼しただけなのに、舌にピリッと痛みが走る。次第に喉も熱くなり顔が熱った。
「んっ…ごほっ、あんた、これ何入れたのよ……」
「唐辛子」
「馬鹿じゃない、ごほっ、の」
「流石霊夢!よく当たるなぁ」
「ふ、ふざけっ…ごほっ!」
「え、うそ、そんなに辛かったのか。ごめんごめん」
滲む視界の隅でワタワタとしている癖に何故か笑っている彼がチラつく。
まさかこれほどまでとは。私だって思ってたわよ。辛いって言ってもそこまでだろうと。加減を知らないのか、はたまた味覚音痴なのか。
はい。と言って出された水をぐいっと飲み干した。
「はぁ……殺す気なのかと思ったわ」
「辛くても美味しく食べれる程度にしたかったけどな……改善の余地があるな!」
「もう甘いやつだけ作りなさいよ…」
「俺が食ったときは美味かったんだけどな」
「……これと同じやつ?」
「うん、全く同じ。なんならさっき食った」
「バカ舌」
呆れた顔で彼を見つめているのが自分でも分かった。しかし、なぜか頬が緩んでいる事も分かっていた。
彼の笑う顔を久々に見たからなのだろうか。ここのところ、ずっとやつれた顔をしていたのだから。変わらずお気楽なような彼を見て少し安心したのか。
いや、そんなこと別にどうだっていいな。
彼が人並み程度にでも幸せそうなら、それで良いと思った。
私の目には何が見えていたのだろう。
窓から差し込む暖かい日差しが彼を照らしているように、暖かい彼の未来をきっと見ていたと思う。
彼がいつまでも笑っている、暖かい未来が。
「アンタ」
「うん?」
「初めてここに来た時のこと覚えてる?」
「そりゃまだ一年とちょっと前くらいだしな。最初に霊夢に会ったんだ」
「めちゃくちゃビビられたけどね」
「人に慣れてなかったんだ。今では全然!」
「そう、成長ね」
冬の早朝だった。まだ月も沈んでいない朝方に、白く照らされた幻想郷をぼーっと眺める少年を見つけたのだ。
朝に見回りをしていると、微弱ながらも気を感じたから、そこに行ってみれば、居たのは記憶も力もなくした少年。
「そりゃ一年以上こんな環境にいたら少しは変わるよ。霊夢は全く変わってないのか?」
「……背が伸びたわ」
「成長期かぁ」
「魔理沙は前より異変解決に積極的になったし」
「そ、そうなのか。祭り事好きそうだったけど」
「咲夜は、去年知り合ったばっかだけど、愉快になったわね」
「どういうことだよ……あぁ、でも、年相応って感じになったかなぁ」
「そうね……───」
とても一年弱の内に起こったとは思えない出来事を振り返り、話すことにした。
そういえば、正月とか彼と過ごさなかったな。何をしていたのだろう。少なくとも魔理沙は神社に来たし、咲夜も挨拶しに来たわね。レミリアを連れて。フランは妖精たちと遊んでいる風景を正月に限らず目撃する。たまに、アリスが開いてる人形劇みたいなのも見てたりするわね。
そんな、何気ない日常を彼に話してみる。
嬉々として私の話を聞く彼の顔を見ると、少し苦しくなった。
その前だって、台風が終わった後に、天魔の鷹揚とやらも人里の子供達と遊んでいるのを見かける。精神年齢が低いのよあの辺。射命丸も性懲りも無く新聞をばら撒いているし。思えば、彼の名前を里に知らしめたのもあの新聞だな。
3月にまで降り続けた雪が止むと、春の陽気に連れられたのか、冥界の奴らも人里に出てきた。妖夢はかなりの頻度で買い物をしているところを目撃する。幽々子は逆にあまり見ない。よく里の甘味屋で菓子を頬張ってるか。たまに見かけると。そうね。
そういえば冬が長引いてから紫を見なくなった。冬眠は明けていると思うが、また自堕落な生活を送っているのかもしれない。蘭はよく見かけるもの。こき使われているのか。
「あっ、いやでも冬眠の前に一度顔を見せたわアイツ。しばらく消えるから〜って」
「そうだったのか。あんまり最近見てないから心配してたんだ」
「心配されるほどヤワじゃないわよ。腐っても大妖怪よ」
幻想郷の管理人と言われるだけはある。
……そういえば、こいつはそんな紫ともやり合っていなかったっけ。まだ同等の力とは言えない癖に、善戦していた。むしろあそこまで紫を追い詰めたのも末恐ろしい。
そんな大妖怪相手に"心配"とは。
コイツは相変わらずである。
未だ楽しそうに話に相槌を打つ彼の声を聞いて、酷く寂しくなった。
そうね。
「幻想郷は変わったわ」
「……うん。なんだか賑やかになったよ」
「馬鹿は相変わらずうるさいし、新たにバカは加わるし、祭り事も絶えずあれば異変だってしょっちゅう起こる」
「元から賑やかではあったか」
「知らん吸血鬼が来たかと思えば騒がしい奴らだし、天魔なんて仰々しい肩書きして臆病だったし、おどろおどろしい雰囲気醸し出しといてただのお花見好きだったし!」
「案外あっけないよなぁみんな」
「鬼がワラワラ這い出てきたと思ったら…ただの寂しがりだったし……」
「居場所ができたじゃないか」
みんな。
同じように時が進んでいる。
「みんな変わっていったわ」
「時間が経つからだよ」
なんで、そんなに他人事みたいに。
なんでそんなに、自分だけ違う世界で生きているように言うのだろう。
「アンタは、何も変わらないのね」
「え、えー、さっき少しは成長したって…」
「変わらないわ」
「……手厳しいな、まだまだってことか」
「違う、アンタは最初から、何も……」
彼だけが、幻想郷の賑わいにいなかった。話していてその事に気づく。
胸が熱く、苦しくなるのが分かった。
私達が同じ時を過ごしている間、彼は何をしていたのだろうか。
何を見て、何を学び、どんな価値観を抱いていたのだろう。
なんて。
最初から分かっていたのだ。最初から、親身になったところで無駄であることくらい分かっていた。最初から、私達と同じ風景など見ていなかったのだ。
「最初から、アンタはずっと、遠い何かを見据えたような目をしているわ」
「それはただ俺の目が……」
「異変に向かう時も、お酒の席にいる時も、私達と話をしている時も。まるで、違う世界で生きてるみたいに……」
「霊夢……」
幽々子の言う通りなのかもしれない。ずっと彼は何を見ていたのか。───遠い遠い先にある「死」を見据えていた。───信じたくもない話だと、その時は気にしなかったが、恐らく正答だったのだろう。
人間でないことなど最初から分かっていた。会った時から、同じ生き方など出来ないことくらい分かっていた。それでも、彼は良い人だから、この世界にいる誰よりも澄んだ心を持っていたから。価値観も、生き方も、時間も、過去も、これからも、共にすることなど何もないことなどずっと分かっていた。
それでも。
「それでも、アンタには生きようとして欲しいの」
自分でも何を言っているのか分からなくなった。本心から出た言葉であることだけは確かだった。熱くなる目頭にグッと力を込めて、想いが溢れ出るのを堪えた。心の中に留めておいた、息苦しいまでの寂しさが溢れないように。
真っ直ぐに気持ちをぶつけられた彼は、困ったような笑顔を浮かべた。相変わらず、目は合わなかった。
「嫌でも生き続けるんだよ、俺は。」
自分の暗い気持ちを誤魔化す時だけ、向き合って笑う癖が彼にはあった。
視線はすぐに私が持つ茶碗に移った。口元だけは依然として変わらず微笑んでいた。
「でも、もう俺は霊夢と同じように生きていけないよ。萃香の言う、化け物とやらにもうなってるんだよ。きっと」
優しい口調で語られた彼の心は、諦観しているように感じ取れた。
なんでそんなことを言うのか。
そんなことはない。
そんな、悲しそうな顔をしないで欲しい。
私はまだ諦めきれていないと言うのに。
「ねぇ」
私の隣で、同じ景色を見て、同じ時を過ごして、ただ笑っていて欲しい。
ただそれだけで、私は満足なのに。
「私と一緒に生きよう」
これはエゴかな。
エゴだろう。自分勝手で、わがままな提案だ。彼を苦しませたくないだけの、ただの願望。
でも、なによりも本心だった。
なによりも、諦められなかった。
「呪いとか、使命感とか、誰かを失う怖さも苦しさも、私が拭い取るから」
誰よりも、彼に苦しい思いをして欲しくないと、その一心だった。
「私が死んだ時、霊夢は幸せに生きたんだなってアンタが思えるくらい、幸せに生きるからさ」
誰よりも彼が報われて欲しい。
その一心だった。
「私とずっと一緒に生きてよ」
お願いだから。神様。