東方弔意伝   作:そるとん

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夜中のお茶会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに招かれた紅魔館にて、俺は極めて呑気な時間を過ごしていた。記憶の中では、つい直近まで異変続きで忙しなく、時間に追われ、命を懸け合うような日々を送っていたものであるから、一日ずっと穏やかに過ごせていることが妙に気に掛かり落ち着かなかった。というのも内心の話。

 実際、椅子に腰掛け咲夜が淹れた温かい紅茶に舌鼓を打っていれば、腹の底からホッとするような安息が体を包む。骨身が軋むほどの日々が遠い昔のように感じる。

 

 

「相変わらず、美味しいね」

「どうも。私は貴方の淹れた紅茶が忘れられないけど」

「いつでも淹れるよ」

「言質取ったから」

 

 

 他愛のない、お互いの呟きに呟きで返答するような会話を重ねて咲夜も椅子に着く。

 紅茶だけが置かれたマホガニー材のテーブルを挟んで、2人相対する。形容し難い空間であるが、何物にも変えの利かない時間であった。

 

 

「それで、どうして俺を招いたんだ?」

「用がなくちゃダメかしら」

「……いや、そんなことないさ」

「別に、この時間が欲しかっただけよ」

 

 

 咲夜は淡々と言葉を返す。微かな笑みを口元に浮かべながら。

 いつの日かの夜を思い出した。今より幾分気難しそうな彼女が、ふと頭を過ぎった。

 自分としては少しの時間だったかのように感じたが、思いの外ボーッと咲夜を見つめていたようで、彼女はどこか居心地が悪そうに、困った顔をしてこちらを見つめる。

 

 

「な、なに、そんなジッと見て」

「あ、いやごめん、丸くなったなぁと思って」

「何、太ったって言いたいの?」

「ここの住民そんなカロリー気にしてんの?」

 

 

 もちろん体重とか摂取カロリーの話などしていない。まさしく今のやりとりに俺の言わんとしている事が現れていた。

 

 

「よく笑うようになった」

「え、そうかしら」

「うん。随分柔らかくなったよ。印象がね」

 

 

 軽口も言えるようになった。

 以前のような、寂しそうな笑顔をしない。ノスタルジアに心を侵されているかのような、そんな表情を今はすっかり見ない。

 幸せそうに、笑うようになった。

 

 

「……まぁ、誰かさんのおかげかも」

「俺だったら良いなぁ」

「ホンットにこいつは……」

 

 

 ふい、と目を背けて気恥ずかしさを隠すような表情をして見せた。いわゆる照れ隠しとでも思っておこう。色白の彼女のことだから、恥ずかしくなると顔が顕著に赤くなる。比較的クールで表情の動かない彼女ではあるが意外と分かりやすく、可愛らしさを覚える。

 

 

 

 

 

 

 が、先ほどまでとは少し様子が違った。

 

 逸らした視線をすぐこちらに戻すと、やはり耳が少し赤くなってはいたものの怪訝そうな表情を浮かべていた。

 次に彼女が口にする言葉を聞けば、何か変わりそうな予感がしたが、妙な緊張感の中で俺は言葉を発せなかった。なんとか絞り出せたのは喉から漏れたような掠れた吐息だけで、彼女の凛とした声にすぐ掻き消された。

 

 

「私が誘った理由、何となく分かってるんでしょう」

「っ…………」

 

 

 長い沈黙であったように感じた。

 

 なんて返すのが正解なのか生憎と知らなかった。ジョークのような返答も今は求められていないようで、かと言って頭に浮かんだ事を口に出すのは憚られた。

 当たり障りない言葉を考えている時間が惜しかった。酷く苦しい時間だった。

 未だ掠れた息しか吐けないまま、何とか音として発した言葉は偽りであった。

 偽りとも言えない、苦し紛れのような呟き。

 

 

「……一緒の時間を過ごしたかったからだと思ったよ」

「間違いではないけどね」

 

 

 つまらない返答でさえも彼女は笑顔のまま受け止めていた。当たらずとも遠からず。そんな返答であることは重々承知だった。

 

 そもそも、当たりは知っているのだ。

 

 思えば彼女は、霊夢より早く、あからさまであったのに。

 いつまでも臆病な俺は、踏ん切りのつかないままこの日を向かえてしまったのだろう。

 それだと言うのに、妙な雰囲気に当てられて、気障な言葉ばかり並べる。

 あぁ、こんなことなら、俺を見つけないで欲しかった。

 

 

「貴方と、一番最初にお茶した日のことが忘れられないわ」

「……もう1年くらい前だね」

「それでも、鮮明に」

 

 

 あの日も、今日のように、何とも形容し難い夜だった。

 しかし、何にも変えられない時間だった。

 

 

「幻想郷に来たばかり、もっと言えば幼い時から吸血鬼の従者だったような気でさえするの」

 

「物心ついた時にはこのお屋敷にいて、家族と呼べる存在もいて」

 

「決して飢えていた訳ではないの。お嬢様は優しかったから。美鈴も、パチュリー様も」

 

「貴方と出会った後、妹様の優しさにも触れた」

 

「愛はあったの。確かに、ここに」

 

 

 

 この日に限って、彼女は饒舌だった。

 淡々としているものの、咲夜の口から紡がれる言葉はどこか優しく、柔らかい。

 幼い子供に、絵本を読み聞かせるような声に、どこか記憶の奥をくすぐられる様な感じがした。

 彼女の面影が、誰かと重なるようだった。

 

 

「でも」

 

「それでも、」

 

 

 ふと、悲しい顔を彼女は浮かべた。

 不意に胸がズキリと痛んだ。

 

 

「元いた世界を想い浮かべる時があるの」

 

「私が生まれた、ここより少しつまらない世界」

 

「空を飛ぶのは鳥や機械だけ。幻想郷の数倍くらい多くの人が歩いていて」

 

「暑いくらい騒がしくて、鬱陶しいくらいに生を感じる」

 

「そんな、"つまらない"現実」

 

 

 それについては同意見だった。

 今思えば、外の喧騒が煩わしくて、静まり返った家の中が心地よかったのかもしれない。外に出ようとしなかった理由を少し思い出した。

 考えてみれば、咲夜はその喧騒を知らない少女。言わんとしていることは、理解出来ないとまでは言えなかった。

 

 

「その現実に、私がいたなら」

 

「こことは違う世界に生きる人と、共に生きていたのなら」

「…………そんな良いものじゃないと思うよ」

 

 

 

 しかし、賛同しかねた。

 

 

 人という存在は驚くほどに脆弱である。

 浅ましく、小賢しく、意地汚く、愚か。無様なくらい欲望に囚われ、惨めなくらい心は儚い。誰かに縋り、何かに祈り、遍くを呪う。

 酷く弱い。

 

 だからこそ、守らなければならない存在。

 

 そうだと言うのに。

 

 人というものを、自分を、知れば知るほど、嫌気が差してしまう。

 他でもない、人である自分を、自分が否定している。

 

 無茶苦茶なのは分かっているが、自分という人の存在が希薄になっていくにつれて、人ではない自分が露見し始める。

 

 

 彼女が、その現実を思い知らされてしまうことを受け入れたくなかった。

 切望に近い否定だった。

 

 

 しかし、彼女は話すのをやめなかった。

 

 

 

「家族や友達、隣人とか学校の先生とか」

 

「優しい人、可愛い子、頭の良い人、裕福な人」

 

「一方で、狡い人や、醜い人、稚拙な人に貧しい人」

 

「嫌いな人に」

 

 

 

 喉に息がつまる感覚がした。

 

 

 

「…………好きな人」

 

 

 取り止めのない話であったのに、意図して紡がれた様な彼女の言葉に心臓が跳ねる。

 

 

「そういうの全部含めて、その世界で生きる私はどうだったのかなって思うの」

 

 

 変わらず綺麗なままでいて欲しいと思った。

 恐らく叶わないことではあるけれど。

 

 

 それは彼女も承知の上だった。

 

 

「無い物ねだりであったのに、それをくれたのは他でもない貴方」

「ッ……いや、そんなことはっ……!」

 

 

 漸く口を開けたと思ったのも虚しく。別に謙虚であることを伝えようとしたわけではない。これ以上言われると、それこそ霊夢と同じ様になる。今のままでは居られなくなる。

 

 

 何とか彼女の考えの先を行く想いを、止めようとしたが、うまく言葉が出なかった。

 彼女の言うことに、何一つとして反論できなかった。

 生意気な返答をするので精一杯である。

 

 

「自分のことは、どこまでも見下しているんでしょうね」

「ただの事実さ」

 

「かく言う私も、貴方の自己犠牲精神にはほとほと呆れてるわ」

「付き合う人はよく考えないとな」

 

「ほんと、」

 

「本当にその通りよ」

「……なら、なんで俺を」

 

 

 ケアレスミスだ。

 そこまで言ってハッとした。まるで自分が彼女に選ばれているかのような口振りではないか。知らないフリをし続けていたかったが、思わぬところで露呈する。

 

 

 彼女は、追及するでもなく、ただ、自分の想いを述べるだけであった。

 

 

 

「考えた上で、貴方なの」

 

 

 ただ、それだけのこと。

 

 

「知り得なかった、人の温もりを、全身を使って貴方は伝えてくれたの」

 

 

 そんなつもりはなかった。ただ、元いた世界の自分に、彼女がどこか似ていただけだった。

 一番何を欲しているのか、何に飢えていたのか。それが分かってしまったから、体が動いた。

 それだけのことなのに。

 彼女は、彼女たちは、どうして。

 

 

「貴方が見下す全てを含めて」

 

 

 あぁ、こんなことなら。

 

 

「愛しているの」

 

 

 出会いたくなかった。

 

 

 

 皮肉な俺は、減らず口しか効けなかった。

 

 

「賢い判断とは、言えな、」

 

 

 

 

 

 そんな言葉は彼女も飽き飽きしていたようで、言葉なしに彼女は顔を近づけた。

 

 

 

 

 あぁ。

 

 

 

 

 

 

 今日はやけに、声を遮られる。

 

 

 

「──────っ」

「っ……最後まで人の話を、」

「私」

 

 

 

 柔らかく、果実のような甘い口づけ。

 唇が離れてもなお、その感触は残る。

 

 

 

 眩暈がするほど長い一瞬。

 彼女は俺にトドメを刺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方と一緒に死んでいきたいわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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