『自分は何者であるか。』
平凡かつ安穏と生きてきた者達からすれば、考えたことも無い問いであろう。
考えるまでもない事であるからだ。
果たしてそうか。
恐らく、この問いに答えられるものはいない。
正解などない。
故に、問いと言うには不十分。
勿論、個々人で答えを持ち得るのだろう。
ある時は宗教的な観点から。
ある時は生物学的に。
ある時は歴史的に。
いずれにおいても、俺は胸張って人間であると言えない。
俺の見識は、彼女の疑問に答えるには甚だ浅すぎた。
「自分でも、分からなくなってきた」
ただこの一言を呟く事しか出来なかった。
ふむ……と溜息混じりに反応を示す。
「いつの間にか、君たちは俺の名前を呼べなくなって」
久しく俺の名前は誰にも呼ばれていない。
「俺の知らないところで、私は活動を続けていたようで」
随分と話が噛み合わなくなってきた事は自覚していた。
「私の一面が、無意識のうちに表面へ現れるようになった」
俺の知らない、私が。
「今話してるのは誰?」
「え?俺だけど……」
「……そう、少し怖くなってきたわ」
パチュリーはわざとらしく身震いしてみせると、小悪魔は彼女にブランケットをかけた。浮かない顔は真に彼女の心情を表していたと思う。
俺は、彼女の質問の意図が理解できなかった。
「貴方、自分のこれまでの言動に何か違和感はない?」
「ある。その自覚は、勿論ある」
ここまで周りとの会話に齟齬が生まれていれば嫌でも理解してしまう。
「思えば、ずっと前からその予兆はあったと思う」
「例えば?」
「ここ最近は無くなったけど、何かこう….力を使うたびにフラッシュバックのような、でも、ただの記憶じゃなくて、実体がある」
そんな世界に飛ばされる。そう付け加える。
パチュリーと小悪魔は黙って聞いていた。
「ずっと夕方……もう陽が沈んでいるくらいの時間帯で、場所は俺が元いた家」
時間帯も相まって、妙な薄気味悪さがあった。
「家具はちゃんと揃ってて、生活感はある……けれど、人気はなくて、あ、でも、外の、その、スーパーのアナウンスとか車の音、会話の声は聞こえてくる」
ただ、家の中だけが閑散としていた。
「例えるなら、白昼夢みたいな、でも、限りなく悪夢に近い、フラッシュバック」
ここまで話し切って、ふと息が荒いことに気付く。一息で会話しようとして息切れをした。会話が下手だ。随分と慣れたと思ったが。
パチュリーは落ち着いて質問を続ける、
「力を使った後に起こるの?」
「力を使った感触があってから、そのすぐ後」
「……?夢、よね?たちまち貴方は倒れるのかしら」
「いや、それが……」
一番最初、『覆す能力』を使った時のことを思い出す。
まさしく、この紅魔館だった。
「意識が戻るのと、霊夢の声が聞こえるのが同時くらいだった気がする。目の前には、尻餅をついたレミリアがいた」
「完全に制御を失ってたわけね」
「あ、でも、初めて使った時はまだ、ギリギリ……自分が何をしているかも、霊夢の声も届いていた」
確か、悪夢を見始めたのはその後くらいからだった記憶だ。
「初めて使った割には、随分と体に馴染んだし、何故か使い方も分かった。自分が人間の姿をしていない事も知っていたし、解除も簡単だった」
「違和感が増えたのはその後から?」
「うん、次第に」
体が不調と共に何かを訴え始めたのは、紅魔館の異変以来だ。
悪夢を見るようになり、髪色が抜け落ち、些細なことでも出血が増えた。
あの時に、何か大事なブレーキが壊れてしまったような気がするのだ。
「聞くの遅れたけど、貴方は過去について一通り思い出してるわよね」
「確か、語ったはずだ」
今回、俺の記憶を裏付けるだけの材料をパチュリーは集めてくれて、改めて俺の認識に間違いがなかったことを再確認したに過ぎない。
「まだ、一つ、検討し忘れていることがある事に気づいた?」
「……何か、あるのか?」
パチュリーは知っていたはずだ。文献を漁れど、俺が以前語った過去が分かる程度の資料しかないことを。
正直、あのDV家族連中については、曖昧な供述なのは否定できず、今回ここで判然としたのは大きな収穫である。
そこでハッと息を呑む。
では、なぜパチュリーは改めてまた調査をしようと試みたのか。
これがまさしく疑問点ではないか?彼女の言う検討不足が関係しているのかも知れない。
しまった。少し考えれば分かることだった。
彼女は最初からヴィネアの事など調べてなかった。
「自分自身の存在の検討はしたのかしら」
「……うまく引き出せたわけか」
「えぇ、それはもう」
パチュリーは微かに口角を上げた。
彼女にとって一番不信なのはヴィネアではない。俺であったのだ。
俺を尋問するにあたって、持ち出した文献はただの話のネタに過ぎなかった。
「さて、本当の貴方はどっち?」
「どっち……って?」
「俺?それとも私?」
単刀直入に聞くものだから、混乱してきた。
何の話だ。
「本当に、白昼夢の中で貴方1人だったのかしら」
「……俺によく似た少年が、もう1人」
「その子に見覚えは?」
素直に答えた。
「俺だ」
「ふぅん……他に人は?」
「いなかった」
人はいない。
これは真実である。
しかし、パチュリーは変わらず猜疑する。
「人以外なら居たのかしら」
「……どういう事だ」
「例えばそうね、遺体とか」
俺の発言を一言一句聞き逃す気はないらしい。
『人は』。彼女はそこに引っかかった。
どこまで分かっているのだ。
自分の記憶が覗かれたようで居心地の悪さを覚える。
言わないままでは逃してくれなさそうなので、ここも正直に語った。
「遺体が、2つ」
「貴方が両親と語った日本人夫妻かしら」
「その通りだ」
先の公文書に記載されていた通り。
あの2人である。
「死因は?」
「え……分からない。自殺じゃないのか」
「……なるほどね」
独り言ちるように呟いた。ふと空気が冷え込むような気配がして、身震いする。
パチュリーの目が鋭くなった。
獲物が姿を現したと言わんばかりに、彼女の目は、何かのタイミングと、俺の動向を伺っている。
どうやら俺はぬけぬけと姿を見せてしまっていたらしい。
パチュリーは2枚の紙をパサリと机に広げる。A3サイズのその紙もまた、どこか役場の資料のような見目をしていた。
『見つけた資料は2つだけ。』
ブラフであったことがようやく理解出来た。
彼女がそんな周知の事実について、改めて話を持ちかけてくる筈がなかった。
「…………これは」
「死亡届。貴方の両親が死んだ際のね」
死亡者の指名欄には見覚えのある2人の名前が記載されていた。
間違いなく、あの2人のものだった。
パチュリーは、俺に2人の名前を確認させると、白い人差し指で視線を用紙の右半分側に誘導させる。
彼女の指が差していたのは『死亡の原因』と書かれた欄である。
「多発性外傷と頚椎圧迫」
「そう、書いてあるな」
「えぇ、書いてあるわね。おかしいことはない?」
「えと……まずどういう….」
「いわゆる、"滅多刺し"と"絞殺"よ」
ふと、彼女の口から出た言葉を聞くや否や、全身に不快な倦怠感を覚えた。
吐き気が込み上げてくるようだった。
身に覚えがないのに、頭の中を弄られている、そんな感覚に陥った。
「自殺……なのか?」
「そうでしょうね。疑問点はそこよね」
彼女は目を伏せたまま、再び淡々と話す。
「まずそもそも自殺で滅多刺しは考えられないわね。どんなに人生に絶望して、死を懇願した人間でも、自殺の手段で自分の体に刃物を複数回刺す方法は考えないわ」
俺はその見解に頷くしかなかった。
無意識に、唇を硬く結んでいた。
「そして頚椎圧迫……まぁ絞首ね。これならまぁ自殺としては考えられる方法ね。でも、遺体はソファで2人寄り添い座るように残されていたらしいわ。これがなんとも不可解ね」
それもごもっともである。
「直接的な死因が首吊りにしても、明らかに誰か動かしてないとこの体勢にはならないわ」
誰がどう見ても、"殺された"と考えておかしくない現場である。
パチュリーは、最後に一枚の紙切れを出して見せた。
新聞の切り抜きであった。
『〜〜県の民家で男女の変死体』
大見出しにはそう書いてあった。
記事内容に目を通す。
全部十数箇所の刺し傷。直接的な死因は窒息死。首を絞めた後で全身に刃渡り18センチの刃物を複数回振り下ろした。両名の遺体の損害は著しい。顔はそのまま。身元は直ぐに判明。
自分でも、この記事をどんな顔で見ていたか分からない。
ただ、やはり頭はどうにも働いていなかった。
「ま、そりゃそうよね。警察も殺人の容疑で捜査を進めたけれど足取りが掴めなかったらしいわ。数年前に家を出て行った夫婦の娘は勿論知らない。祖母……ヴィネアも老衰で数日前に他界。あったのは、明らかに誰かの手が加わった死体だけ」
貴方すら見つけられず。彼女は苦笑混じりにそう付け加えた。
今現在でも夫婦変死体殺人事件の捜査は続いているらしい。まだ一年と少ししか経っていない。しかし、犯人像すら浮かばないまま、捜査は難航中。
「ここまでして見つからないなら、やっぱり……」
「思い当たる節はないかしら」
自殺なのでは。言い切る前に遮られる。
心臓が一際跳ねるのを感じた。
息苦しさを覚えた。
言葉を紡ぐのに必死だった。
「本当に、何もわからないんだ。何も」
譫言のように俺は呟いた。
何も。何も。
何かが記憶に引っかかる感覚がある。しかし、何も思い出せない。
妙に気持ちの悪い感覚だけが全身に纏わりついて、集中力を掻き乱す。
過去は思い出したはずであったのに。
けれども、たしかに。
何か腑に落ちない記憶であったのも事実であった。
ヴィネアの行動が理解できないでいた。考えずに、結果自分の救済を試みて、呪いを自身の息子に……。
救済?
彼女は何から救われようとした?
何が救済なのだ。
何がヴィネアを救うに足るのか。
徐々に、曖昧なまま、誤解を訂正しないままで決着させていた証明が崩れ落ちていくのを感じていた。
なぜ夫婦は自殺した。
なぜ夫婦は寄り添っていた。
なぜ俺は自殺した。
なぜ俺はここにいる。
なぜ俺は生きている。
なぜヴィネアは死んだのか。
音を立てて、確信が消えていく。
スッと、頭に溜まった血の気が引いていくのが分かった。
全身が冷たくなっていくのを感じていた。
再び、思考は極めて冷静に動く。
誤答は明白である。
論証不足が仇となった。それだけのこと。
では、何の立証が不足していた?
不足していた点は上記に述べた通りである。
『自分は何者であるか。』