東方弔意伝   作:そるとん

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空は暗くなっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼんやりとした意識が叩き起こされると同時に、俺は項垂れていた頭を上げた。

 

 目の前にパチュリーはいなかった。

 

 俺の視界に映ったのは、仄かに薄暗い部屋と、窓の向こうに見える藍色と橙が混ざった空だけであった。

 

 俺はこのグラデーションが好きだった。

 

 明るく世を照らす天体が、ゆっくり山の影に隠れ、微かな暖色は徐々に光を増し、熱を帯びて、遥か先へ先へと、自らの命の証を届けていく。

 

 それに、この時間はやけに空が高く見える。

 

 グラデーションが、我々の頭上に大きく広がる空を強調して見せる。

 

 眩い天体が隠れるこの一瞬、俺はこの空の先にある、宇宙の色が見えるような気がして、いっとう好きな時間だった。

 

 

 空を眺めてみたくて、窓際へ歩を寄せる。

 しかし、俺の足は窓際へ進もうとしなかった。

 動けなかった。

 

 

 幾度となく見た白昼夢。

 俺の前には、何か大きな見えない壁があるかのように、この先の景色を見させてはくれなさそうである。

 

 何か一線引かれているような感覚で、足を踏み出そうにも、思うようにいかなかった。

 

 

「今までは、こんな事なかったのに……」

 

 

 静かな部屋で、俺の声だけが反響した。

 

 

 突然、ドアが乱暴に開かれる音がした。

 こんな事も初めてであった。この足音、この態度、胸の奥に仕舞い込んだつもりが、脳はしっかり覚えていたようで、思わず身構える。

 

 

「あー、くそ、頭いてぇ」

 

 

 開かれた扉から現れたのは荒みきった男であった。

 口調と呂律から男は素面では無い事が伺えた。

 ドタドタとわざとらしく足を引き摺って、粗暴な態度の男は窓際の座布団へと腰を下ろす。

 

 何やら不機嫌なようで、しきりに舌打ちとため息を繰り返しては、ぶつくさと誰に当てたのだか分からない文句を言い続ける。

 突然その男は大きな声をあげる。

 

 

「おい!!」

 

 

 俺はこの声が嫌いだった。

 形容し難い、細胞の内にまで刻まれているようで、本能的に避けたくなる。

 汚い感情がこれでもかと込められたこの一言が、大嫌いであった。

 

 自分でも、頭が熱くなるのが分かった。

 心底憎んだ相手が目の前でのうのうと言を発している事が非常に気に食わなかった。

 しばらく間を置いてから、俺が呼ばれている可能性に気づいた。

 

 幼い頃の記憶、といってもつい最近で、俺もそんな子供じゃなかった。

 それでも、トラウマのような存在を目の当たりに、声は震えそうになった。

 絞り出すように、声を発する。

 

 

「……な、」

 

 なんだ、と素っ気ない返事をする直前、俺と男の間に割って現れたのは、どこかあどけなさが残る少年であった。

 

 後ろ姿しか見ておらず、その表情は伺えなかった。ボサボサとした黒髪の少年であった。

 

 

「おせぇよ、酒は買ったか?」

「…………」

 

 

 少年は何も喋らなかった。

 乱暴な言葉は容赦なく少年へと向けられるが、少年はピクリとも動かなかった。

 一言も返事をしなかった。

 

 

「おい、聞こえてるか?」

「…………」

「おい!!」

 

 

 また一際大きな声を上げる。

 大の男が1人ではしゃいでるようで、何とも滑稽であった。

 それでも尚、少年は何も反応を示さなかった。

 

 その態度が気に食わなかったのか、バン、と大きい音を立てて目の前にあった机を叩くと、勢いよく立ち上がった。

 

 少年と比べると、背丈は2倍ほど違うように見えた。

 

 

「なんだてめぇ、口も利けなくなったか、えぇ?!」

 

 

 今にも殴りかかりそうな程、語気鋭く少年に申し付けると、なんの躊躇いもなく少年の前に立ち、その胸ぐらを右手で掴んだ。

 近寄られても少年は動じず、似たような経験が過去にもあったのか、少年の服は伸び切ってヨレヨレであった。

 

 

「なんだその目はぁ!てめぇも俺を馬鹿にしてんのか、あぁ!?」

「…………」

「なんとか言えやクソガキ!」

 

 

 流石に止めないと不味い、と思った。

 しかし、足は床と接着されたのかと思うほどに重い。

 目の前に引かれた一線が超えられない。

 

 何とか声を出してみようにも、喉は震えて上手く大声が出ない。

 目の前で少年が危険な目に遭っているというのに、自分はどれ程情けないことか。

 この男さえ。

 

 こいつさえ消せれば。

 

 ふと、足が軽くなる気がした。

 同時に、頭からは次第に血の気が引いていく。

 サーッと、脳みそが冷えていく感触が確かにあった。

 

 やけに長い沈黙の数秒間を経て、口を開いたのは少年だった。

 

 

「哀れだな」

「…………あ?何つったお前」

 

 

 とても少年の声とは思えないほどに冷ややかな声であった。

 愕然とした表情をした男は、またしても大声を発しながら逆上する。

 

 

「ガキが偉そうな口利いてんじゃねぇ!」

「ッ……!」

 

 

 身の丈が倍ほど違う子供を強く突き飛ばす。勿論、少年は受け身の取りようもなく、すぐ後方にあったテーブルの角に後頭部をぶつけた。

 

 強い衝撃と、柔い児童の骨であるから、テーブルの角と、少年の後頭部からは血が枝垂れていた。

 

 それを確認していてか否か、男はお見舞いにと尻餅をついた少年の胸部に蹴りを入れた。

 

 

「ッハ……!」

「はん、舐めた事言ってんじゃねぇぞ」

 

 

 男は、口ぶりこそ変わらず粗暴であったが、出血を確認してから、その挙動に落ち着きはなかった。

 しきりに舌打ちをし、「めんどくせぇなぁ……」とまた文句を繰り返す。

 

 しばらくウロウロとし、結果、男は何もせず元いた座布団へ腰を下ろした。

 

 

 男はこちらに見向きもせず、窓の向こうを眺めていた。

 

 

「…………」

「….なんだよ、これ」

 

 

 少年は俺の足元で蹲ったまま、肩で息をしていた。

 血は止まらず、液体と固体の間のような血痕がテーブルから滴っていた。

 少年の後頭部からの出血は止まらない。

 

 

「……何したって言うんだよ」

 

 

 俺は独りごちる。

 虚な目をした少年を見下ろして、そう呟くしかなかった。

 未だ踏み出せない。

 けれど、先よりも筋肉が収縮していく感覚がある。

 熱を帯びて、あと少しであると言うのに。

 

 

「この子が何をしたんだよ」

 

 

 しかして、思考は少年に注いでいた。

 

 少年、或いは、かつての俺に。

 

 いつしか少年へ向けた心配は、俺の心底に仕舞い込んだ憎悪の吐露に変わっていた。

 

 

「真面目に生きてもロクな言葉一つかけられず」

 

「必死に努力しても何も報われることはなく」

 

「血を滲ませて耐えればただのサンドバッグ」

 

 

 ゆっくり、足は線の向こうへ踏み出そうとしている。

 

 

「稼いだ金は借金と酒に消えて」

 

「塞がった心はストレスの受け皿にされて」

 

「大きな声で吐き出される罵詈雑言は容赦なく」

 

 

 食いしばった歯はギリギリと音を立てている。

 足元で倒れていた少年も、血を滴らせて起き上がっていた。

 ゆらりとした挙動は、正気ではないことを表していた。

 

 

「汚い世界だ」

 

 

 俺の足は、枷が繋がれているかのように重い。何かに制止されているようだが、何振り構っていられなかった。

 この眼に写る、薄汚い存在を消すまで満足できなかった。

 

 

「生きてる価値もないクズが」

 

 

 その言葉を口にすると、男はピクリと反応した。

 なぜか、俺の声が聞こえたようだ。

 

 

「あぁ!?んだと、てめぇ!」

 

 

 相変わらず知性のカケラもない発言を繰り返す。猿でももう少しマシなレスポンス出来るというのに、さながらこの男は如何なる存在であるか。

 少なくとも脳みそがツルツルであることに間違いはない。

 

 頭から出血していることなどお構いなく、また俺に殴りかかってくるかのようにこちらへ向かってくる。

 

 

「どこまでも短絡的だな」

 

 

 あぁ、なんとも。

 

 

 愚かであるよ。

 

 

 

 

 明らかに、枷が外れる感覚がした。

 

 

 視線を足下に向ければ、俺は敷かれた見えない一線を越えていた。

 

 

 次に視線をあげると、目の前に男がいた。

 

 

「もう一度言ってみろ!!」

 

 

 先と同じく、またもや右手を俺の胸ぐら目掛けて伸ばしていた。

 俺は素早く男の右手首を掴むと、間髪入れず鳩尾に一撃加えた。

 

 ぐふっと呼吸が詰まるような声を確認すると、男は情けなく体を屈ませ首を垂れる。

 無防備になった頭部を右手で鷲掴みにすると、軽々しく壁に数回打ち付けた。

 

 とはいえ、頭蓋骨。簡単には傷はつけられず、5、6回ほど打ち付けたところで、割れた骨の音に加えてズチャリと液体が混ざる音が聞こえてくる。

 打ち付けた白い壁は凹んでいて、生々しい赤色がベッタリと着いていた。男の頭部から糸を引いている。

 

 

「なんだ、中身は詰まってるんだな」

 

 

 あんまり軽いからやはりスカスカかと思ったが、血は通っていたらしい。

 こいつも立派な人間であった。

 

 そうか。

 この男が如何なる存在か。

 

 

「紛れもない、人間だったね」

 

 

 愚かで惨めで汚く、生かしておく価値のない、"人間"。

 

 男はその存在に恥じぬよう、虫の息になりながらも罵倒を続ける。

 

 

「お前なんて……いなけりゃ良かったんだ…いくらかけたと思ってる……あのババアの連れ子じゃなけりゃあ……」

 

 

 つくづく、哀れな男だなと思った。

 

 

 右手で軽く、男を窓際まで投げ飛ばすと、ガラス窓に血を着けて、男はまた力無く倒れる。

 さながら飽きられた人形玩具のようで、これまた無様であった。

 

 この男には早く死んでもらおう。

 と、思ったが、それはあまりにもつまらなかった。

 たまたま近くのテーブルに置かれていた鋏を握り、男に詰め寄った。

 

 男は意識が朦朧としているのか、状況が判断出来ていないようで、まだブツクサと小言を並べている。

 

 ここで一つ、目を覚まさせてあげるとしよう。

 

 

 人間と私とでは、力の強さも体の強度も違うらしく、鋏は簡単に皮膚と筋肉を貫く。

 

 手始めに右腕だ。

 その暴力に汚れきった、右腕を。

 

 

「アァァァァァッ!!!」

 

 

 劈くような男の悲鳴が家中に響いた。

 

 

「うるさいな」

 

 

 最初に声帯を潰しておくべきだった。

 喉を貫いてもすぐには死なない。少しミスをしたか。

 男は何度も叫ぶものだから、流石に癪になって、のたうち回る男の顎下を左手で持ち上げ、体を抑えてから、酒焼けして膨れ掠れた喉仏を一突きする。

 

 流石に血管が集まるところであるから、出血量は多い。次第に空気が漏れるように、かひゅうと音を鳴らし始める。

 

 

「上手く、息が吸えないな?」

 

 

 男の目は虚としてきていた。

 私の手はまだ動こうとして聞かなかった。

 

 既に瀕死の男を座布団に横たわらせると、私は馬乗りになった。

 男の瞳はユラユラとしており焦点が合わない。が、こちらを見ているようだ。

 

 

 その後、私は幾度となく、男の体を鋏で突き刺した。

 

 胸を。

 腹を。

 腕を。

 指先を。

 目を。

 口を。

 鼻を。

 掌を。

 

 何度も。何度も。何度も。

 

 

 その度、血は跳ね返り、私を汚していく。

 

 致命傷になるところを避けて刺した。彼が死に至るには、呼吸が上手くできないか、致死量の血が出るかのどちらかだ、

 

 恐らくもう死ぬ。

 酸素が脳まで行き渡らないようで、思考が追いつかなくなったのか、嗚咽すら聞こえない。

 はたまた、血が足りなくなったのか、全身は青く壊死しかけていた。

 

 

 これで良い。

 こうして世界はまた少し綺麗になる。

 素敵な明日を見るために、いらぬ芽は摘んでおくのだ。

 

 

 しかし。

 私の心は満たされなかった。

 

 

「あ…………え、あ……?」

「まだ死ぬなよ」

 

 

 不意に私は男に手を翳すと、ヴィネアの能力を使った。

 元来、全ての事象を覆せる強力な技。

 人間の治癒くらいどうとでもなる。

 

 いやはや、便利である。

 

 

「良い力だよなぁ」

「…………んだと…?」

「私の為にあるようなものだな」

 

 

 前言撤回だ。

 死すら生ぬるい。

 

 

「何回でも、お前を殺せる」

 

 

 塞がりきった傷を確認して、今一度、同じように傷をつけた。

 流れ出た大量の血が男の体内に戻ったばかりであるが、また同じくらいの出血を再現してみよう。

 さっきより意識はハッキリとしているのだから、恐怖も先より強い。

 

 人語とは思えない叫び声を上げて、また同じ傷を、痛みを植え付けられる。

 

 浴びた血の温もりの分だけ、自分が満たされていく感覚が確かにあった。

 

 

 

 

 

 

 

───

──────

 

 

 

 

 

 

 

 結局、5回ほどしただろうか。

 

 

「あっ」

 

 

 男は涙を流しながら死んでいた。

 

 目に光は宿っておらず、唇は真っ青になっていた。

 呼吸は完全に止まっており、脈はなく、瞳孔は開いていた。

 途中趣向を変えて、悲鳴を絞首で抑えてみようとしたものだから、首には絞痕が残ってしまった。

 

「まぁ、仕方ないか」

 

 

 私は頭にのぼった血が、さぁと引いていくのを実感した。空いた窓から吹き込む風を一心に感じた。

 

 

「涼しいな」

 

 

 死体に馬乗りになったまま、私はそう呟く。

 あっ、そういえば、と冷静になってようやく思い出す。

 

 

「少年は……」

 

 

 私が先程まで佇んでいた付近に視線をやったが、そこには誰もいなかった。

 まぁ、言わずもがなであろう。

 

 私は自分の後頭部を抑えてみた。

 手に何かが纏わりつく、不快な感触と少しの痛みを感じた。

 

 

「血が出てる」

 

 

 触った手を見てみれば、ベッタリと血が付着した。

 で、あるならば。

 

 

「……やっぱり。この男」

 

 

 散々私を虐げ続けていた張本人であった。

 そうだ。私はこのタイミングで、何かタガが外れてしまったんだ。

 心臓の奥に打ち付けられた杭のような突っかかりが、緩んだ気がした。すると私の感情は滔々と溢れ出し、軽々しく一線を越えてみせた。

 

 眼前にあった棚をチラリと見てみれば、ガラス張りの戸に、白い髪に返り血を浴びた、見た目は先に見た少年にそっくりの男が写っていた。

 

 紛れもない、私の記憶だった。

 

 不意に、情勢のか細い声が聞こえた。

 

 

「人殺し……」

 

 

 その声の方を向けば、これまた瀕死の女が絞り出した声のようであった。

 男の妻である。こいつもまた、俺を虐げた張本人である。どうやら既に虫の息であるらしいが。

 

 これも、私がやった。

 

 男より先に、同じ目に合わせた。

 こちらは死亡させる前に傷害行為を終えたから、まだ生きている状況だったが、まさかここまで生きるとは。

 

 女もまた、目は虚としていた。

 

 

「安心して、一緒にいさせてやるから」

 

 

 私はそういうと、馬乗りになっていた死体を持ち上げ、女の横に座らせる。

 

 

 仲良く肩を並べて同じソファに座る様は、ついぞ死体に成り果てるまで見る事が叶わなかった光景であった。

 

 欲に溺れ、罪に苛まれ、人に言えない秘め事ばかりに染まってしまったこの世界では。

 …………到底。

 

 

「お似合いのエンディングだな」

 

 

 誰にも助けを求められず、己の課題から目を背け続けた哀れな大人には相応しかった。

 ピッタリの最期ではないか。

 

 

「実に下らない」

 

 

 孤独な幕切れを迎えていくのだ。

 

 微かな息を漏らして、女は"悪魔"と私に言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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