視界は暗いまま。
どこか遠くで少女が叫ぶ声が聞こえる。
良くない。良くないな。
こうしてまた誰かが嘆いている。時代は変わらない。発展を遂げるのは表面上の文明だけ。
世の不条理は、いつの時代だって───
「起きろ!!」
「っ……!?」
線の細い大声でハッと目が覚めた。突然目に入った暖かなオレンジの灯りが視界の隅でチカチカと瞬く。
目の前には、血相を変えたパチュリーがいた。
「おっ……起きた?貴方はどっ、けほ、どっち?」
「え、お、お?どうした、パチュリー大丈夫か?」
彼女らしくなく、息を切らして妙に焦っていた。先の大声もパチュリーなのか。普段寡黙なだけに、突然声を上げればそりゃあ喉を痛めるだろうに。
俺は状況が上手く判断できなかったが、彼女の様子から只事ではないのは理解できた。
彼女の問いに答えられていないが、何やら安堵したような表情を浮かべた。
「その調子じゃ大丈夫そうね……」
「お、おう。ご迷惑おかけしました……」
肩をがっちりと掴んでいたパチュリーの手はすっと離され、身動きが取れるようになる。いつの間にやら壁際にまで移動していたようだった。パチュリーの後ろで小悪魔が術式を解除して、同じく安堵の表情を浮かべていた。
「あ、あの、俺は何を」
ふらふらと立ち上がっていたパチュリーに声をかける。若干貧血気味の彼女は体術に慣れていない。それどころかちょっとの運動でも具合を悪くする。
目つきがいつも以上に悪かったのはそれが原因だろう。
「ついさっきまでの会話、覚えてる?」
「えと、あ……」
胃液が競り上がってくるような感覚に一瞬襲われる。
パチュリーは先の席にそっと腰掛け、小悪魔は近くの脚立に寄りかかった。2人とも、疲弊していた。
「俺の正体について、尋問を」
「尋問……まぁ、そうか。そうね」
彼女が一体どこまで知っていたのか定かではないが、巧みな話術と、裏付ける証拠に、ほんの少しの仮説。伊達に長く生きている訳ではないのだ。俺は、自身で押さえていた記憶を引きずり出されたのだったか。
「そして、その後……?」
「貴方が思っているようなことは、幸い起きなかったわ」
俺は最悪のケースとして、2人を手にかける事を想像した。
だが、確かに俺は汚れていないし、部屋も特段壊れている様子は見受けられない。
「直前まで、抗ってたのかしら」
「抗うって……あ、どうだろ」
パチュリーと話をしていて、徐々に思い出す。
俺は彼女と話している途中、気づけばあの家に居た。
あの家の中で意識がハッキリとして、しばらくは呆然と立っていたか。
「貴方が突然黙ったかと思ったら、ただものじゃない雰囲気がしたのよ」
「た、ただものじゃないって……」
「確実に人ではない何かよ」
あれは俺の夢の世界。
そう、結論づけていたはずだったが。
「多分、貴方その頃、過去の記憶を見てたんじゃない?」
「……なんでそんな事を」
「あれは夢でも、妄想でも何でもないわ」
「紛れもない事実だってか」
「なんだ、知ってるんじゃないの」
パチュリーは至って淡々としていた。
俺は壁にもたれかかったままでいた。どこにも力が入らなかった。
「貴方が、霊夢と咲夜のお誘いを断ったことに繋がるのかしら?」
「それは知らない方が良かったと思うぞ」
「ふふふ」
「本当に」
まさか、咲夜の為だけにここまで動いていたのか?呪術について調べるついでというのも些か疑義が残る。俺は知る由もないが。理由はどうであれ、やはり言い逃れは出来そうになかった。
「去年の冬辺りには、もう違和感があったよ」
○○○
朝起きて、俺は姿見の前に立つ。
回復が遅くなっていく。髪は以前として白いままで、肌の色も不気味なくらい白くなってきた。
じっと鏡に映る自分と目を合わせて見れば、真紅の瞳がこちらを見つめる。
まるで自分ではない、何かに見つめられているようで。
気味の悪い視線のように感じて、思わず目を背ける。
「俺は誰なんだ」
誰に向けるでもない独り言が思わず零れる。
服を着て、ごく自然に、今一度鏡面を見た。
『目を背けるなよ』
「っ……!」
ヒュッ、と息を呑んだ。
声を発した感覚はないのに、ハッキリと俺の声で聞こえたその音は、端的に言えば恐怖だった。
その場で跪き、両手で自分の首を包む。
俺の筋肉は弛緩していた。しかし喉仏が震える感覚が確かにあった。
気持ちが悪かった。
俺はすぐにトイレに駆け込んだ。
吐くものも無く、嗚咽だけが口から出てくる。無理をして、この取り留めのない吐き気を追い出そうと必死だった。
俺の体は見た目以上に脆い。しばらくすれば、喉の奥が傷つき、血痰が出てくる。幼い頃から酷かった鼻血も伴った。
俺が、次第に俺でなくなる。
その準備をしているみたいで、気が気でなかった。
俺が、徐々に死んでいく。
ハッキリとした意識の中、蝕まれていく。
「お前は……誰だ……ッ!!」
息も絶え絶えになりながら、俺はそう吐き捨てるしか発散できなかった。
血が混じった水面には、やはり俺が映っていた。
同時期くらい。
その頃から悪夢の頻度が増えていった。
かなり、長い夢だ。
(また、この家)
見覚えのある白い壁。窓の外は決まって夕暮れだった。
思えば、あちらにいた時から、まともに陽の光など見ていなかった。
暖かいから。人の声が聞こえるから。眩しいくらいの青空が、俺には眩しすぎた。
徐々に人気がなくなるこの時間が好きだったから、夢でも見るのか。
『黄昏時』。
この時間なら、俺は深く息を吸えた。
(今日は、静かな日か)
この夢にはパターンがあった。
今日みたいに、何も起こらず、ただ静かな時間が流れる。しかし、時々聞こえる足音と鼾はどうにも慣れず、音がする度心臓を跳ねさせては、しばし落ち着かない。
あともう一つは、思い出したくもない記憶だ。こんなに最悪のアルバムはないなと感じる。不思議と、対象は俺ではないようである。そう言う時は、動こうにも体は言うことを聞かない。
(早く、覚めてくれないものか)
そうすると、俺は夢の中ですら目を閉じて、深い眠りにつこうとする。
そうすれば、幻想郷で朝を迎えるのだ。
すっかり慣れた自室に、寝心地の良いベッド上で目を覚ます。
(今日も、まだ俺だ)
ぼやけた視界に映ったのは、先の家とは違う天井だった。
いつか、このままあの夢の中で朝を迎えるんじゃないかと思うと、時々怖くて眠れなくなる。
自分の意思で手を動かして、呼吸をして、体を起こす。一連の動作を経て、ようやく意識が蘇る。
しかし、寝起きは決して良くない。
この夢を見た次の日の朝は、疲弊が凄まじい。悪夢を見たからか?にしては、体の筋肉にまで作用する理由は、分からなかった。
いつか来る死に怯えながら、俺は毎日目を覚ましていた。
○○○
「なるほどね、漠然と何かに支配されていく感覚があった、と」
「なんでこうなったのかも分からんし、そもそも何が原因かも知らん。ただの鬱病かもな」
パチュリーに一から話してみて、医師にかかれば治る案件だったかもなんて事を思う。永琳に見て貰えば良かった。メンタルヘルスを理解しているかは分からないが。
「まぁ、回りくどいが"何か"っても、大体見当は付くんだ」
「さっき体験したものね」
「あぁ、俺がいつも見る夢は決まって記憶が残らない。タチが悪い事にな」
夢の中で何をみたのかは、朝起きるとすっかり忘れている。ただ、月日が経つにつれて断片的に覚えている事が増えた。こうも気づくのに時間がかかった要因でもある。
パチュリーはまだ手札があるようで、その表情から何か知っている事が伺えた。
「俺を内側から喰い破ってるのは、他でもない俺だ」
「えぇ、そうでしょうね」
「ただ、どんな俺だったのか分からないんだ。というよりは、」
「思い出せないのね」
パチュリーは俺の言葉を遮ると、最初に見せた、分厚い古文書を見せてきた。
「この本……」
「ヴィネアのページはここで終わり。でもね、」
パチュリーはもう一枚、紙を捲った。
「家の焼け跡から1人の少年を目撃した旨記載されてるわ」
「これって……!」
遥か昔西洋で作られたその手記のような文献には、勿論写真なんてない時代であるから、ヴィネアが住んでいたとされる家屋の、その焼け跡が描かれていた。
たった1ページ。
ヴィネアの情報が記されたすぐ後ろのページには、その少年の情報が載っていた。
「たった1ページ。ヴィネアを殺しきれなかった理由がここに書いてある」
屋敷は数時間炎上していた。
柱は燃え、屋根は崩れ、次第に庭の草木に渡って燃え広がる。
火を放った連中の手で鎮火され、後には家の素材が転がっている焼け野原だけが残った。
そこで、ヴィネアの情報は終わるはずだった。
「焼けた屋敷跡、崩れた煉瓦の中佇んでいたのは、身の丈160センチほどの少年。炎上中の建物に近付くものは勿論いない。最初から建物の中にいたとしか考えられない」
なるほど。それで。
「これはね、イかれた狂信者の妄信を綴った手記じゃないのよ。かつての西洋で実際に行われていた傍若無人の限り。決して創作なんかじゃない」
それは痛いほど理解している。
パチュリーだって例外ではないのかもしれない。
これが史実だってことは、悲しいけれどよく分かっている。
「このページはね、現場に落ちていた資料を元に書いたみたい。このページだけ」
それ以外は、魔女を炙り出す際に行われた裁判の記録であったり、口に出すのも憚られる行為の数々の仔細が記されていた。
曖昧な表記がされているページはここだけ。
「その現場に居合わせた奴が書いたんじゃないって事か」
「そう。それが何を意味しているか分かる?」
「回りくどいな」
パチュリーはあくまで、俺に答えさせたいらしい。
俺の記憶と、史実との間で齟齬がないか未だ探し出そうとしているようだ。
「俺が殺したんだろう。その場にいた、人間全員」
キッパリと言い切った。
「その通り。後から駆けつけた教団の人間が、その場に落ちていた手記一つ拾い上げて、この文章を書いた」
「事実かどうかも」
「分からないわね。実際、時代が進むにつれてヴィネアに関する話は信憑性を失っていったわ」
それこそ、かつてその時代の、その周辺では一種の伝説というべきか、忌むべき神話と言うべきか、事実だと信頼する奴は極めて少なかっただろう。
今となっては、まぁ言うまでもない。
「ヴィネアはこの魔術の魔の字も知らないような時代においても、脅威とされていたみたい。屋敷も大きいだけに、教団の連中に数十人程戦闘要員も連れてったそうね」
「……それを、1人で?」
「身の丈は倍ほど違うわね。これが事実かどうかはさておいて、本物の悪魔と言われても当然よね」
興味を持つ人は少なからずいたのよ。
パチュリーは控えめに呟いた。
「その少年の名を"グシオン"」
「……そうか」
「薄れゆく意識の最中、少年がポツリと呟いたらしいわ」
つくづく。
人間は他人を貶めたくて仕方がない連中ばかりらしい。
「ヴィネアと同じく、ソロモンの悪魔から取ったみたいだけど、自分から名乗るなんてね」
「名乗った覚えはないけれどね」
そりゃあそうだろう。
グシオンなんて言葉は今初めて聞いた。ましてや、悪魔の名前。知るわけがない。
俺の名前はずっと────
「…………あれ」
「多分、同じこと考えてるわね」
そうだ。危ない。忘れるところだった。
「意識がなかった間、俺は何をされた」
今度こそは覚えている。
何故か、覚えている。頭が酷く痛むが、何かに飲み込まれる夢を確かに見た。
パチュリーがさっきから言っている「私」に違いない。
ついさっき目覚める瞬間、その記憶がなかったことと、またしても発言が曖昧になっていること。何よりも、"自分の名前"がついぞ思い出せなくなったことと無関係とは思えなかった。
「貴方の呪いに触れたわ」
「呪い……ヴィネアの?」
「そう、意識を失った後、次第に只ならない魔力が溢れ出てきたのよ」
パチュリーはスッと立ち上がり、俺に近付く。
「目を凝らさずとも分かったわ。出所はここ」
そう言うと、人差し指をトンと俺の胸に当てた。
「悪魔でも弱点は一緒みたい。心臓に杭の形をした呪いが埋め込まれてた。時間の経過とともに徐々に抜けていたのよ」
「それが、ヴィネアの呪いか」
「そう。貴方の中にいる、もう1人の貴方。グシオンを抑える杭よ」
抜きかけていた杭をパチュリーが再び突き刺したタイミングで夢から覚めたらしい。あの響くような鈍痛はこれだったか。
確か、あの夢の中でも何か言っていた気がする。
そう考えると、段々と気持ち悪さを覚えてきた。内臓に異物が混ざっている感覚。
「貴方の黒い感情から生まれた存在を杭で打ちつけて、表立って残った人格は……」
「俺ってわけか」
「……貴方を人として生きさせ、人として周りに認識させ、人として死なせようと考えたみたい」
結果、俺の中の社会通念上悪き衝動は身を潜めることになった。
「人として生きていた証が貴方よ」
「どういうことだ?」
「いわゆる"俺"。人としてのグシオンとはまさしく貴方」
そうか。今は杭が刺さっている状態。悪どい心に深々と突き刺さっているわけだ。
「けれど、ヴィネアは一つ誤算をした」
「何なんだ?」
「想像以上に、貴方の衝動が大きかったの」
「それで呪いが解け始めた訳か」
内なる"拒絶"が、この呪いを阻んでいたらしい。
「貴方を人たらしめていた原因はまさしくこの呪い。それが解けてしまえば……」
「俺は忘れられるんだな」
パチュリーは静かに頷いた。
俺は思わず笑ってしまう。
「私も一応西洋で生きた魔女だからね、そこそこに分かるんだけど」
「うん?」
パチュリーは物憂げな顔をした。
「魔法とか、神とか、悪魔とか。人の信仰によって生きていられる存在は、人に忘れられたら死ぬのよ」
「今一度、俺の衝動が発現したならば、その時は悪魔として殺される訳ね」
どこまでも策士だ。
力を使おうが使わまいが、苦しみは続く。
「それが分かっていて、2人を遠ざけたのね」
「命はあれど、いずれ死ぬんだろう」
なら、特に2人には早急に忘れて欲しかった。
「貴方の目的が分からないわ。ずっと」
「ヴィネアを弔ってやりたいだけだよ」
弔意が人にのみ差し向けられた愛であるならば。
葬儀が遣る瀬無い気持ちの整理の為の時間であるならば。
記憶がその人を生かし続けるただ1つの媒体ならば。
「彼女は何も許されなかったというのか」
ただ1つでも良いのに。
「でも、人に固執することは辞めたよ」
「あら、どんな心境の変化?」
人は人によって弔われる。
人を殺すのは人だからだ。
「俺は別に人でなくても良いって、ただそう思い直しただけ。というか、時が経つにつれてもう不可能な気がしてきた」
「あら、気の持ちようじゃないの?そんなの」
「じゃあパチュリーは自分を人間だって言い切れるか?」
「そもそも願い下げね」
「なんだコイツ……」
そもそもの境界線すら煩わしくなったんだ。
「俺だって御免だね」
俺がそう呟いたのを最後に、ふとした静寂が流れたので、もう話は終わりだと悟った。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。色々と助かったよ」
「あら、泊まっていかないの?」
「寝れそうにないし、悪いからいいよ」
「そうなの……最後にもう一つ」
「ん?」
ドアノブに手をかけたあたりで、パチュリーは少しだけ声を張った。
「本当にそれだけ?」
「何が?」
「目的」
そう問いかけられて、ふと、確かにそれだけだったかと思い返してみた。
思い浮かぶのは、霊夢達だった。
「ただ、そうね……」
「うん?何かあるの、やっぱり」
「…………ただ、」
散々な発言をしておいて、こんな事都合が良いと思われるかもしれないが。
俺の本心なのだろう。
「彼女らには、いつまでも元気に生きて欲しいと思っているよ」
「それ、答えになってないわよ」
「ははは、そうか。そうだな、ごめん」
「はぁ、もういいわ、暗いから気をつけて…って必要ないわね」
「ありがとう、また来るよ」
俺はそれだけ伝え、パチュリーはまた何か調べ事か、本に向かって、右手だけをヒラヒラ振っていた。
キィと音を立てて、大きな木の扉は閉まった。