結局いつもと変わらず夜はろくに眠れなかった。
別に休まず寝ずでも死にはしないが、そうは言っても体は倦怠感を覚え始める。心はいつになくしんどく、どうにか休めないかと敷布団の上でモゾモゾしていたところ、気づけば初夏を思わせる太陽が頂点から燦々と照り付けていた。
だがまぁ、常に異常という矛盾点から考えてみれば、むしろこの状態は通常と言えるだろう。
なので俺は、魔法の森のそのまた向こうの地へ歩みを進めていた。
無縁塚、と呼ばれるその土地へ。
以前少し話に聞いたその土地は、この幻想郷でも極めて危険だと言う。
忘れ去られた者の辿り着く地。
死にゆく者の最期の景色。
はたまた、幻想郷の入り口というのだろうか。
目的という目的はなかった。
強いてあげれば、俺はそこへ流されなかった理由を知ってみたい。行ったとて分かる事ではないし、そもそも俺がここに来た理由はヴィネア───か、その協力者───に連れてこられたからであるけれど。
元来、幻想郷に辿り着いた者の末路を知りたかった。
もしかしたら、ヴィネアもそこへ──。
しばらく歩くと、ザクザクと季節に合わない落ち葉踏む音しか聞こえなくなったので、魔法の森に入った事をその時認識した。
だいぶぼうっとしたまま歩いていたらしい。そう短い距離ではないはずだが、日に日に時間が刹那的に過ぎていく感覚がしてならない。
歳をとるとそんなもんと口々に聞いた事はあるが、俺も歳だと言う事だろうか。
見た目は青年だが、重ねた人生は数百年だものな。
魔法の森も、時々迷いそうになりながらも、基本は一本道だろうと信じて進めば、案外分かりやすく道は続いていたもので、いつの間にかその出口はその目前に迫っていた。
麗らかな陽の光が当たっているその小道は妙に人気がなかった。思えば、耳に入るのは微かな鳥の声と葉が風に揺れる音だけだった。
森を抜ければ、次第に足元には花が増え始めていたことに気づく。
「綺麗だな」
思わず独り言を呟く。
ポツポツと咲いている花は細い一本道を進むにつれて増えていく。
ずっと足元ばかり映していた視線を上げてみれば、無縁塚はもう目と鼻の先にあった。
不自然に何かを囲うように生えた木々は、随分と立派なもので、その先に目的地がある事くらい想像に容易かった。
なんだかあっという間だったなぁと思った反面、足はしっかり疲労していた。
さながら入り口を模した木々の間をすり抜けていけば、一層拓けた地へ出た。
「着いた……」
想像とは少し違った。
もっと地獄絵図が待っているものかと思ったが、思いの外周りは緑に囲まれているし、時期もあってかまぁまぁ彩に溢れていた。最近まで咲いていたのだろうか、紫色の桜のような花弁が地面に敷き詰められていた。
とはいえ、殺風景といえばそれはそうだった。
無縁塚といえば、弔われることなく仏となった者を埋葬する土地だ。
まさかとは思うが、この点々と不自然に置かれた石が墓だと言うまいな。だが、やけに人工的に感じた。
自然が織りなす色彩美も、息を呑むほどの静寂も、どこか気味悪く感じてしまったのはやはりここが杜撰な墓地だというところだろうか。
あまり、長居して心地よい者ではなかった。
「誰もいないんだな」
話に聞けば、ここは霊夢が張った結界のその端に違いという。つまりは幻想郷の端とも言える。
先にも言った通り、ここにはうっかり人が迷い込むこともあってか、妖怪が跋扈するとも聞いていた。
餌の方から飛び込んでくるのだから、こんな絶好の狩場はない。
だから、ある程度覚悟を持ってここまで来たわけだが、時間もあってか本当に人気の一つもなかった。
止まっていても何も無いなと思い、あまり広くないのは把握できたので、少し周りを散策してみることにした。
しばらく歩いてみたが景色は大して変わらなかった。不規則に、人工的な、粗雑な墓が置かれているばかりで、何か得られそうなものはなかった。
「拍子抜けだけど……帰るか…」
少し残念な気持ちがないと言えば嘘になる。
元来出不精の俺だが、異変を通してなんだかんだ幻想郷の各地は巡っている。つもりだ。
今思い当たる限りでは、自己の存在を計るにはこれくらいしかなかった。
無縁塚は最後のアイデアだった。
踵を返して、入り口に向かおうとしたところ、灰褐色の髪色が視界に入った。
「ん?」
「ん……おや、見たことない奴だ」
俺より幾分小さい女の子は、頭部に大きな丸い耳を携え、器用に動かしていた。
自分より幾分小さな少女は両手にダウジングを握っていた。
「初めまして。宝探しか」
「おぉ、ご丁寧にどうも。まぁそんなところ」
こんなところまで来て収穫ゼロ、よりは良いだろうと思って自分にしては珍しく声をかけた。
相手はさほどこちらに興味を示しておらず、会話に妙な間が生まれるのは避けられなかった。
これほど対人が苦手だったとは。いつもは皆んなに救われていたんだな。
少女は見るからに妖怪だが、彼女もやはり人間を探しに来たのだろうか。
「ここって、やっぱ、迷い込むのか」
「ん?何が」
「人。君もそれを探しに来たんじゃ?」
「あー、迷い込むけど、私は違うねぇ」
彼女は宝探しの手を止めて、立ち上がった。
「レア度ゼロだし」
「つまり頻繁にいるもんなんだな」
こちらを一瞥もしなかった彼女と初めて目が合う。
それから彼女は、先までの無関心が嘘のように一度目を見開いてズイズイっと近寄ってきた。
「ん?んん??!」
「え、お、お、何?」
「なんだ、君もレア度ゼロの奴かと思ったよ」
それは俺を人間だと思っていたって事だろうか。
「なんで人じゃないと?」
「え?新聞で」
「射命丸こんなとこにまで営業来てんのか…」
随分と遠かったはずだが。まぁ、彼女のスピードなら一瞬か。
「その通り、少し用事でこっちまで。名前は……まぁ好きに呼んでくれ」
「私は"ナズーリン"。宝探しといえばそうだね」
ナズーリンと名乗る少女はやはりネズミの妖怪らしい。くるりと円を描いた尻尾の先には小さなネズミが入った籠がぶら下げられており、随分と特徴的だった。
「そうだね。確かに記事でその存在は認知している筈なのに、君の名が思い出せないな」
「大して興味もなかったんじゃないか?」
「それもそうだね。じゃあ悪魔さんとでも」
悪魔という認識はされているらしい。
「それにしても用事だなんて、君こそ食糧探しかい?」
「生憎人間は食えないんだ。まぁなんだ、自分探しというか……」
「随分としょうもない理由で動くんだね」
我ながらそれは思った。自分探しに墓地に来るなんてイキリたがりの大学生ですらしない。
相当人生に病んでいる奴としか思えない。
「ナズーリンも、こんなとこに宝なんてあるのか?」
「ここは博麗の巫女の結界が薄いこともあってね」
「霊夢の……?」
こんなところでも名前を聞くとは思わなかったが、考えてみれば彼女は有名人だった。
「そう、幻想郷と外の世界との境目さ。曖昧なもんだから、外の世界の物だって迷い込む」
「人だけじゃなかったんだな」
「また違う季節に来るといい。変な蒐集家が姿を現すことだろうよ」
「よ、妖怪か?」
「違いないね」
ケラケラと彼女は笑った。
変な蒐集家と聞くと限りなく事件の香りがするのだが。
「ま、お目当てのものが早く帰ると良いよ。長居するような場所じゃないしね」
「そうするよ、邪魔して悪かったね」
「君とはいつか相見えることになるかもだけど、勘弁してね」
「?……あぁ、善処する」
最後に意味深な事を呟いて、彼女はまたダウジングを両手に歩き始めた。
俺は西に傾き始めた日を見つめ、歩き始めた。
その音を聞いたのは、歩き出して案外すぐのことだった。
「……何か聞こえる」
本当に微かな音だったが、誰かの啜り泣きである事はすぐに分かった。
これが悪意を持つ者の悪戯でも良かった。
ここで、この声の正体を知らぬまま生きるよりマシだと思った。
幸いすぐに見つかった。
「っ……おかぁさ……だれ、か……」
少年1人、その場で途方もなく泣いていた。
もう涙すら枯れているのか、ただ行き場の無い不安に心を壊されない方法は声を出す事だけ。
俺は無意識に駆け寄っていた。
「君、大丈夫か?」
花びらの絨毯に横たわる彼にもう生気はなく、目の焦点は合わないばかりか、俺の呼びかけには辛うじて答えてくれた。
まだ息はあった。
「さ……むい……」
「体温が下がってるのか……待ってろすぐに何か……」
少年の体に目をやった。
ヨレヨレで薄汚く汚れたシャツの隙間から覗いた彼の胸部は恐ろしいくらいに骨張っていた。
俺は咄嗟に彼の手首を握った。
最初、人知れず掘り返された墓の骸を握ったのかと思った。
その一瞬で全てを悟った。
彼はもう助からない。
そう考えてしまってからは、俺の頭は妙に冴えていった。
いつしかの夕暮れと同じ。
花の香りが鼻腔をくすぐり、爽やかな風は俺の頬を撫でた。
「なんで、君はここに…?」
「…………」
「…なんでここに来てしまったんだろう」
俺の足はピクリとも動いてくれなかった。力が入らなかった。今すぐ動いて、食べられるものを持ってくれば、暖かいところへ連れて行けば、助かるかもしれなかったのに。
俺はこれから死を迎える生を目の前に、既に心が諦めてしまっていた。
無駄な足掻きだと言わんばかりに、摂理をただ受け入れようとしていた。
その代わり、自分でも驚いたが、脳と口だけは淡々と働いた。
もう意識も朦朧としている人間に、何を問いているのか。
「君を弔ってくれる誰かは、いないのか」
己の知的好奇心と図々しさとエゴイズムを心底憎んだのはこれで最後にしたい。
聞くだけ聞いて、静寂を確認したらば俺は自分のしていることに反吐が出そうになりながら一言、
「ごめん」
とだけ、呟いた。
もう日が暮れ始める。
瀕死とはまだ息がある彼を置いておくのは忍びなかった。
出来れば安らかに死を迎えてほしかった。幸い、ロケーションだけは最高だった。
だが、放っておけばそれも叶わない。妖怪がもうそろそろ活動を始める。
放っておけば死ぬが、放っておけるほど悪にはなりきれなかった。
(悪って……)
息遣いが静かになっていく彼を見つめていた。
(彼は悪魔に看取られる事なんか望んでいないだろうに)
自分では正義でも、誰かにとっては悪。
自己満足の正義に生きて、それがたまたま誰かにとっての優しさ足り得るなら、例え望んでいなくともそれは正解だったと言えるのだろう。
彼の望みはなんだろうか。
頼まれてもいないのに俺は側に駆け寄って、何もしないでただ呆然としていて。
正義とはなんなのだろうか。
「ただ…………」
徐ろに彼は口を開いた。
いや。
さっきの俺の言葉に答えようとしている…?
「うん、ただ…?」
耳を彼の口元に持っていった。
彼は微かに、震えた声で呟いた。
「あい、されたか…った……」
愛されたかった。
彼が一番飢えていたのは、愛だった。
見た目少年の彼がだ。
「お母さんは……?」
少年は最初母親を求めていたはずだ。
「君の母親は…!?なぜ母を求めたんだ!」
理解ができなかった。
「母親なら君を助けられたのか!」
だってこんなにも、痩せこけているのに。
「君が求めるものはどこへ行ってしまったんだ」
残酷な質問をしている事は、十分に理解していた。
ただ、彼はこんなにも母を求めているのに。
母は彼がこんな姿になっても迎えに来なかった。
彼の元に、愛が訪うことはなかった。
「残酷なのはどっちさ……」
俺は、つくづくその分かりきった現実に打ちひしがれていた。
「せめてもの、慈愛だと思って欲しい」
俺はそっと彼の胸元に手を置いた。
緩やかに、静かに、平穏なまま。彼の意識を蝕み続ける数多の苦しみを拒絶する。
彼の涙は次第に引いていく。
彼の呼吸は次第に落ち着いていく。
安穏に包まれて、初夏の風を浴びながら、花の香りを感じながら。
「安らかに眠ってくれ」
少年の人生はゆっくりと幕を閉じた。
───
──────
「驚いた。霖之助以外にそんな事する奴がいたとは」
「やぁ、ナズーリン」
「また変人が増えたようだね……」
日はすっかり暮れてしまっていた。
ナズーリンもどうやら帰路についていたみたいで、帰り際また出会した。
「悪魔さんと言ったな。訂正するよ」
「へぇ、なんで呼ぶんだ」
「埋葬者とでも呼んでやろうか」
「良いなそれ」
「気にいるなよ」
俺は西陽に当てられた、なんの変哲もないように見える石の前で、ただ膝をついていた。
「見てたのか?」
「跪いて土いじりしてれば、大概何してるか分かるよ。私が来た時にあの少年はいたしね」
「助けないのか?」
「私にメリットはないしね。そもそも、彼はあそこで生きながら食われるか、死んだ後食われるかのどっちかさ」
やはり、そういうものだったか。
「まぁ、君みたいに埋葬する奴もいるけどね」
「霖之助さん、とやらか」
「変な蒐集家さ」
少年をこの手で殺したと言っても過言ではなかった。
拒絶の能力で、彼の運命を拒絶してやっても良かった。
ただ、生きた後、俺は彼が満ちるだけの愛を与えてやれる自信はなかった。それどころか、彼を利用してやろうという気概すらゼロではない。
出会って数分だが、俺は既に彼の周囲の人間が嫌いだ。
「せめて、力があるんだから、火葬くらいはと」
「まぁ、それで君が満足なら良いけど」
「満足……」
到底出来そうにはなかった。
「ねぇ」
「ん?」
「正義って何なのだろうね」
「はぁ?急になんなのさ」
俺は膝についた土を払って立ち上がる。
ナズーリンはやはり頭にハテナを浮かべていた。
「俺も、君と…出来れば君の周りの存在とも」
「…………」
「戦いたくはないね」
俺は、ついぞ"俺"のままで命を1つ亡くした。
俺とて、望まない運命だった。
だがこれ以外に正解は見つけられなかった。妙に安らかだった少年の顔が記憶に張り付いてしまった。
正義とは。悪とは。
人とは。悪魔とは。
答えのない問いが只管に頭を駆け巡っている。
果てしない先を見据えながら、俺も帰路を辿る事にした。