その背中は罪を背負い、手は血に染まっていた。   作:黒樹

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初めての看護

 

 

「……大丈夫?」

 

何回同じ事を訊いたのだろう。夜になって異変に気付いたいのりはすぐさま集を呼び、ベッドの上に倒れた音葉を運ばせた。目は覚ましたもののその前は酷い魘されようだった事を考えるとかなり普通じゃないことは明らかだ。

翌日まで様子を見た結果、学校は無理という音葉の自己主張と、これまで何度もあったという集の発言からいのりはずっとベッドの隣を離れることはなくなった。心配、しているのだと思う。いや、心配だ。あまり感情表現の豊かではないいのりでも行動がそう物語っていた。

 

「春香には……」

「言わないで。お願いだから」

「でも……」

「毎回同じでしょう。こんな事で心配は掛けたくないの。お前ならわかるでしょ」

 

一度だけ、春香に心配されてメディカルチェックを受けさせられた事もある。その時はかなり心配を掛けさせた。真名の事もあり桜満春香はアポカリプスに非常に過敏だ。きっとバレて仕舞えば、根を詰めることになりかねない。傷つけることに直結する。それは二人の共通認識だ。

 

「じゃあ、僕は学校に行くから……何か食べたいものはある?」

「急に優しくなってどういうつもりかしら。私に気があるの?」

「冗談言う余裕があるなら大丈夫だよね。あと、一応否定しておくけど男にそんな気起こさないよ」

「おまえの好きな人は祭だから?」

「同性は対象外だって言ってんの!」

 

裏工作に裏工作を重ねて祭の恋を応援すること約二年程。実に長かった。と、音葉は記憶している。集がかなりの鈍感で骨を折ったのは祭ではなく音葉だった。……結局のところまだくっついてはいないが。

怒った風に扉を開けて、閉める時には静かに閉める。病人に対してとことん優しいのが集だ。扉を閉める時にはからかわれた時の興奮は無くして平常心を保つことに徹した。何より慣れた遣り取りだから。そして、音葉が弱っている姿を誰にも見せたくないのは理解しているから。無理をしているから。長年の付き合いは伊達じゃない。

 

「……大丈夫?」

 

いのりはそれ以外に掛ける言葉を知らない。何度だって問い掛ける。目に見えて弱っている音葉の様子に言葉と行動が裏腹なのを理解していた。

 

「……平気、と言いたいところだけどちょっとキツイかも」

「何かできること…ない?」

「……」

 

いのりの手が見えた。弱っている時こそ病人は少し心細さを思い出すものだった。無言で音葉はいのりの手を掴む。その手の力は弱々しく握り返さないとすぐに離れてしまうほどに。

 

「……いのりに触れていると不思議と落ち着く。歌を唄ってくれないかしら。眠れるような…そういう歌を」

「…わかった」

 

斯くしていのりは歌い始める。

この場にそぐわない鎮魂歌を。

しかし、それは……鎮めるには十分だった。

苦しみから和らいだ音葉の表情を見ていのりは僅かに頰を緩める。

歌は、染み渡る。

 

 

 

 

 

❇︎

 

 

 

 

「……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさいっ」

 

魘されていたのはいつからだろう。いのりが気付いた時にはもう額に脂汗を滲ませ、譫言を……謝罪を口にしていた。音葉は目覚めていないというのに、状況は悪化するばかり。一時は容態は安定していたものの急激な変化に彼女は戸惑う。

 

「……音葉?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

呼び掛けても返事はなく、涙を流しながら赦しを乞う。

これ以上、何をすればいいのだろうか。

手を握る、額を拭く、呼び掛ける。

そのどれもが効果を成さない。

困り果てた挙句、思い出したのはひとつだけ。

汗を拭いた額に自分の額を合わせた。

 

「…大丈夫。独りじゃない」

 

なんとなくこうしたかった。理由はいのり自身にもわからない。けれど、微かに譫言は小さくなり苦痛に歪めていた表情はどこか和らいだようだった。

根本的な解決には至っていない。だけど、どうしようもない。そんな時に思い出したのはとても親切にしてくれたクラスメイトの顔だ。いのりはすぐさま思いついたままに携帯端末を手にする。買い与えられた自分の端末には今眠っている病人の連絡先と住人達の連絡先、と一人だけクラスメイトの連絡先を交換していた。校条祭という文字を見つけて確認するとタップ。授業とか休み時間とかそういう遠慮は完全に忘れていた。

 

『初めて連絡くれたね、いのりさん』

 

お互いにとって幸か不幸か出られる状況だったらしく、2.3回のコールの後に通話口から声が聞こえた。いのりは数秒フリーズして通話口の相手の名前を思い出した。

 

「……祭、どうしたらいい?」

『どうしたの? 音葉君に何かあった?』

 

何気ない会話から音葉の欠席は集に訊いていた結果、いのりの焦った様子もない声のトーンに対応できた。これがもし春香や他の人間であれば理解はできなかっだろう。事情も何も知らない人にとって早急過ぎるいのりの話し方は対応に困るものだった。

 

「うなされてる」

『うーん、熱は測った? 汗とかは?』

「……わからない。べったりしてる」

『病院とかには当然行ってないんだよね……』

「…連れて行った方がいいの?」

『でも、いつものことだから……治るとは思うんだけど。念のために出来る限りの看護はしておいた方がいいとは思う』

「…何をすればいい?」

『取り敢えず、熱を測って…起きられるなら汗を拭いてあげて…できれば着替えさせることができたらベストなんだけど。いっぱい汗をかかせて悪いものを追い払うには…裸で抱き着くとか? ほら、人の肌で温めるのが一番いいっていうし、抱き締められると安心するでしょ!』

 

いったい誰に言い訳をしているのか祭は早口になって妙に興奮しているように思う。理由はいのりには見当もつかなかったが聞きたいことは聞けたので通話を切った。電波の向こうで祭が焦るのもお構いなく、やることは決まったとばかりに用意をする。

静かな部屋にコール音が鳴る。端末が着信を報せたのを確認するといのりは掛けてきた相手の登録名を見た。それは先程、頼った相手の祭だったので応答しようと端末を操作する。

 

「……切れた」

 

しかし、電話の掛け方を教えて貰いながら出方を知らない彼女は着信拒否のボタンを押した。電波の向こうで祭が切られたことに傷つくのをいざ知らず、端末を放り投げる。

洗面器を用意して、タオルを一枚浸して、絞って……。最後に準備ができたところで音葉を起こす。

 

「起きて。音葉」

「……真名?」

 

誰かと間違えているようだった。意識ははっきりしない、目が虚で焦点も合っていない。誰かの名前を呼んで縋るように抱き着く音葉に複雑な感情を抱きながら、いのりは背中を撫でる。

 

「汗が拭けないから…離れて」

「もう二度と手放さない。もう二度と繰り返さない…やだ」

 

ぎゅっと抱擁が激しくなった。会話が成り立っているようで成り立っていない。そんな追い込まれた状態の音葉に対していのりは軽く抱き締め返してみる。

 

「…どこにも行かないから、離れて」

「……」

 

今度は簡単に剥がせた。

パジャマのボタンを外して服を脱がせる。

華奢な躰つきなのにどこか力強い身体。

その肌を洗面器にて水に浸しよく絞ったタオルで拭いていく。

 

「つぎ」

 

ベッドに音葉を押し倒して下半身も脱がせる。いのりには無い何かが顔を出したが硬直は数秒で解けた。一度、風呂場で目にしている上に事態は急務であることから平然とスルーする。興味が湧かなかったわけでは無いがそれどころではなかった。

 

『そう、優しくよ優しく! そこは女の子と同じようにデリケートなんだから』

 

何やら音葉の下半身を見て熱を発する幽霊がいるがいのりには見えないし聞こえない。少し暑くなった気はしたが気のせいだと看病に徹した。

拭き終わるのに5分くらい。

しっかりと全身を余すところなく拭いた後で疲れ切った彼女は服を着せる面倒さに気づいた。でも、祭に教わった通りなら裸で……肌を合わせれば効率はいいらしい。とにかく理論的なことはわからない。それでも結果、よくなるということが理解できたいのりは適当に片付けて服を脱いだ。それに看病に少し疲れたというのもある。恥ずかしいものの見られていないという状況に正常な判断をどこか失っているいのりは同じ布団に入り、音葉を抱き締める。

 

「熱い……あっ」

 

そういえば体温を測っていなかったことを思い出して、体温計を手元に手繰り寄せた。音葉の脇に差し込むこと数分、ピピッと音が鳴る。測定終了の合図にいのりは体温計を見た。温度は35.2℃。

 

「……わかんない」

 

次に自分の体温を測って差があまり無いことに気づいた。理屈や何もかもがいのりには全てがわからなかった。なんで裸で抱き合うと具合は良くなるのか。

しかし、理由はどうあれ音葉の症状はいのりが肌を合わせたことにより急激に良くなった。幸運な事にいのりにはアポカリプスウイルスを抑制する力がある。そんな事はつゆ知らず。結果的に和らいだ音葉の表情に満足したいのりは同じく眠りに落ちた。

 

彼女は、アダムとイヴの夢を見る。

アダムと同じ夢を共有する。

音葉が見た夢をそのまま、見たままに。

 

 

 

 

 

ガチャ。という玄関のドアを開ける音でいのりは目を覚ました。ぞろぞろと廊下を進む音が次第に大きくなり意識は少しずつ覚醒していく。複数人いるようで会話からすると男が三人、女が一人。いのりはぼーっとする頭でなんとなく数を数えて、その気配がこの部屋に向かっている事に気付いた。

 

「音葉君、だいじょー…ぶ…?」

 

最初に入ってきたのは祭だった。まずは一番無難な人間からということだろう。一番病人に対して気遣いが出来る人間は誰かと訊かれれば保健委員の彼女しかいない。

それに続いて、颯太、谷尋、集と騒々しい男が扉を潜る。騒々しいと評価するなら颯太のことだが人が何人も集まればそれは変わらない。よって一番配慮が出来る人間は祭だ。彼女がまず驚いたのは同衾しているいのりと音葉の仲の進行具合だ、望めるなら添い寝するくらい集と仲良くなりたい彼女にとってただ遅れている事実に心はダメージを受けた。

 

「えっ、ええー!?」

「ちょっ、颯太君、大きな声は……」

「ん。うるさい……」

 

同衾という羨ましい限りの状況に颯太は奇声を上げた。転校してきた謎の美少女が音葉と同衾するほどの仲というものが心底羨ましかったのだろう。いのりは顔だけを布団から出して抗議の声を上げたが音葉から離れる事はしなかった。

 

「いやいやいや、なんで!?」

「最初に音葉と一緒に寝てからたまにね。いくら春香が引き剥がそうとしても無駄だったから」

 

家庭内の妙な三角形の図を脳裏に浮かべながら集は諦念の息を吐いた。

彼の苦悩は尽きない。住人が増えた事により一層過酷になっていた。

 

「それで音葉君は?」

 

今だに抗議を続ける颯太を空気のように扱い、祭は眠っている彼の心配をした。周知の事実だが祭と音葉はかなり仲が良かったのだ。なお、彼女にとっては女友達のような意味合いが強いのは本人には知られていないが。

 

「……今はだいぶへーき」

 

見た感じ。伝わる熱。おでこを合わせて体温を測る術を覚えたいのりはそうやって答えて見せた。もちろんのこと野次馬にはその姿がいちゃついてるカップルにしか見えない。

 

「ん、あれ?」

 

ただ、その姿に違和感を覚えた。

祭には別の姿が映っていた。

羨望する颯太には見えておらず。

隅で傍観する谷尋にも見えてはいない。

辛うじて、集も気づいていないようだった。

 

「ちょっと皆は少し部屋の外に出てて欲しいんだけど……」

「そうだな。このバカうるさいし」

「おまえらは羨ましくないのかよ!」

「……はは」

 

誰も不審がる様子はなく退室していく。颯太の襟首を掴んで谷尋が撤収するその背後を集がついていく。今から夕食の準備に取り掛かるのだろう。

遠ざかっていく足音を確認して、さてと祭はベッドの方に向き直った。心の準備はしてある。いのりに対して感じた違和感を口に出した。

 

「……ねぇ、いのりさん。服は?」

「…そこ」

 

一箇所に集められた女性用衣服とパジャマを指差す。首から肩、腕にかけて白い肌のラインが布を一切纏っていない。確かに女性服にはそういう仕様の服も存在するが祭の違和感はそれだった。

 

「本当、颯太君よく気づかなかったなぁ……」

 

颯太が喚き散らしていたせいで誰も気づかなかったのは祭には幸運なことだった。まさか、自分が助言したことが実行されているなんて思いもよらなかったのだから。

 

「ほら、いのりさん。服を着て」

 

ベッドから這い出すいのりは一糸纏わぬ姿を晒す。毛布が幾らか剥がれた事により音葉の裸体も上半身までは祭に見えた。服を着用しようとのそのそ起き上がったいのりがちょうど下着をつけようとした時、その背後で人影が起き上がった。

 

「ふぁ〜。……え?」

「……良かった。大丈夫?」

 

寝惚け眼を擦っていた音葉の意識は着替え中のいのりへ。寝起きの無防備な精神に突然、裸体など映れば意識はたちまち覚醒を促され、同時に疑問が浮かんだ。

その裸体の彼女といえば、安心した様子で(されど無表情)音葉に視線を浴びせていた。

バッと立ち上がって顎に手を当て、

 

「ちょ、ちょ、ちょっと前隠して音葉君!」

 

祭に言われて頭から下を見下ろした。少し肌寒いなと思っていたが、全裸だとは気づかなかった。慌てて状況を整理するに至る。

祭は顔を手で隠しながら目を逸らしている。朧げな記憶が浮かんできた。

 

「……ありがと。いのり、気持ちよく眠れたわ」

「…また、する?」

「お願いだから二人とも言動に気をつけて!」

 

極端に感謝を伝えたつもりだが、祭からは注意をくらってしまった。

そんな風に騒いでいれば誰かが不審に思うのは道理で。誰かが様子を見に来るのは必然だった。

完全完璧に体調を取り戻した、音葉の耳には忍び寄る足音が聞こえた。

扉の前で、一人の男の気配を察知した。

 

「おーい。入るぞー」

 

いのりは裸。音葉も裸。

こんな状況で、颯太の投入。

 

「ちょっ、待って颯太君!」

 

祭は慌てて声を掛けるもドアノブは回る。ガチャと扉が開く。この距離では誰も止められなかった。しかし、咄嗟の判断で音葉は毛布を引っ掴むといのりに被せて押し倒し、颯太が顔を出した頃には、

 

「どっ!?」

 

枕が、颯太の視界を覆った。

音葉が咄嗟に投げたのである。

直撃してもただの枕に殺傷能力はない。

枕が落ちる頃には、更なる追撃が待っている。

 

「えっ、なんではだ–––」

 

言い終わる前に目潰しが颯太の双眼を突き刺した。

 

「ぎゃあああぁぁぁ!!」

 

悶絶し床を転がる颯太を更に追撃、蹴飛ばして廊下に出す。事情が事情なだけに祭も止めることはしなかった。恨むなら颯太のラッキースケベセンサーの感度だろう。

 

「おまっ、俺に何の恨みがあるんだよ!?」

「私の裸体を見たからには生かしてはおかないわ」

「おまえ男だろう!」

「プライバシーというのは守る為にあるのよ」

「少なくともおまえ、着替えを見られたくらいで怒るような奴じゃなかっただろ!」

 

男子とは下劣な生き物だ。いのりが裸で毛布に包まっていることを知れば良からぬ妄想をすることは確実。特に颯太は危険度大、音葉の警戒理由である。彼自身も容姿こそあれだが男性には変わりないのだから。

 

「次は集と谷尋ね」

「待って。音葉君、服。服!」

 

この後、勘付いて来なかった二人も颯太を止めなかったことを理由に制裁された。

 

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