その背中は罪を背負い、手は血に染まっていた。   作:黒樹

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タイトル変えました。


そして、始まる。

 

 

 

「僕、ちょっとトイレに行ってくる」

 

唐突な集の提案により春夏の職場セフィラゲノミクスに見学に来て、春夏が離れた途端、集はそう言ってこの場を離れようとした。本当に唐突な事で春夏の職場に興味を示さなかった集が見学をしたいなんて言い出すのは稀な事で、春夏も喜んで引き受けた件だったが、案内の途中で呼び出された春夏は今や別の場所で、集と音葉は二人きりの状態だった。いのりは春夏と相談して生徒会長の家に預けて来ていた。

 

「……そっちはトイレじゃないけど」

 

さっき通った場所にトイレはある。集は反対方向に向かおうとして、音葉の指摘に下手な苦笑いを返した。

 

「そ、そうだっけ?」

「……おまえ本気なの?」

「な、何が?」

 

トイレに行くだけ。それなのに音葉の視線は冷たかった。

両者の中で、駆け引きが行われる。

集はここ最近で葬儀社の仲間入りを果たした。もちろん家族には伝えていないし、バレるような行動も謹んでいるつもりだ。帰りは遅くなることもあれど上手く誤魔化しているつもりだった。今回の計画はヴォイドゲノムを奪うこと。春夏が研究員なのをいいことに最重要区画付近まで集は単身乗り込んだ。

音葉は集の行動の全てを把握していた。ツグミから連絡を受けていたのだ。音にぃのところのもやしっ子が葬儀社に入ったという知らせを受けたのは半年程前、もちろん春夏には極力心配させないように、態度に表さないように注意していた。春夏には筒抜けで今回の事も計画も未然に防ぐ事が出来ながら教えていない。こうして忠告だけに留めるつもりだった。

 

「少なくとも、職を失うわよ。テロリストを招き入れたんだもの。もし運が悪ければ……春夏は慰みものにされて殺されるかもしれない」

「……そこまでわかってるなら、音葉なら絶対に春夏を守れる。僕は信頼してるんだ」

「信用の間違いでしょ」

 

いつかはこうなると心の何処かで思っていたのかもしれない。

あの日も。4人がいた。中心だった。

 

「最初の罪を消す為に、罪を重ねるつもり?」

「贖罪とは言えないんだろうね」

「……前を向いた事は褒めるけど、その方法は許せないわ」

「でも、やらなくちゃいけないんだ」

 

集は覚悟を決めた。揺らぐロウソクの火のような覚悟を。

これから先、迷って転んで、後悔するような事もあるかもしれない。

その背中を止める事は音葉にはできなかった。

 

「おまえの選択がどんな結果を生んだのか、目を逸らす事は許さない。これが最後の警告」

 

片足を突っ込めばたちまち底無し沼に引きずり込まれる。気づけば両足嵌っていて抜け出せず、世界に殺されていく。まだ集の覚悟は足りないのだと、音葉は見抜いていた。そして、この日から集は家に帰ってくる事はなくなった。

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

 

「あ、あのね……とても、すごく大事な話があるの」

 

元気どころか生気も失くしたような深刻な顔で春夏は目を逸らしたまま顔を合わせようとしない。あの後は施設の電源が落ちてヴォイドゲノムが盗み出されて見学に来ていた一般人1人が失踪、容疑者兼被害者として集が疑われた挙句、集はテロリストに連れて行かれたという推測とテロリストの仲間ではないかという推測により春夏と音葉は監禁と取り調べを余儀なくされた。特に春夏に至っては集を招き入れた本人なので厳しい取り調べのもと、セフィラゲノミクスを解雇され職を失うまでになってしまった。

ここ数日、集の失踪と裏切り、職を失うなどのショックから音葉に泣きながら本心を吐露して甘える事に至っている春夏を抱き締めながら音葉はわざとふざけた笑みを見せる。

 

「妊娠しました?」

「……してるって言ったら? 私を棄てる?」

 

弱気で声も穏やかじゃない。いつもなら冗談混じりの言葉に反応するどころか「バカ」なんて言って甘えてくるはずがこんな弱った姿を見せられると、音葉の持つ嗜虐心と愛欲が擽られたが思い留まる。

 

「そんなことないですよ。別に同情だけで付き合っているわけじゃないし」

「……そうよね。あなたはそんな子だった」

 

回答に満足したらしい。幾らか気分は晴れているようで。

 

「……それでね、話なんだけど」

「クビになったって話?」

「……えっ、知ってたの?」

「あれだけお酒を飲んで、酔って、集みたいに棄てられるんじゃないかーって不安になってエッチせがんで、全部忘れようとしてるのは伝わって来ましたから」

 

酒に溺れて、性に溺れて、最初は見逃したものの吐くまで飲む勢いだったので無理やり奪って音葉自身が処理したお酒の味はかなり苦くて衝撃的だった記憶がある。供奉院のお嬢様は嗜んでいるというものだから、イケると思ったのだが……。正常な思考は停止していたように思う。

 

「……ごめん。私変なことしなかった? 嫌われることとか。引かれることとか」

「可愛かったですよー。あれくらい寄り掛かってくれた方が信頼されてるって感じがして私は好きですけど」

 

口説き落としているつもりはないのだが(むしろ手遅れ)春夏の顔は耳まで真っ赤になった。枕に顔を埋めて顔を隠す、こんないちゃつきを集が見せられていたらかなり精神にきていただろう。

これ以上は春夏自身も泥沼だったのか、話題を変える。

もちろん、この先のことだ。

 

「それで新しく仕事を探さなきゃなんだけど……貯金もそんなにないの」

「あ、それなら安心して」

 

何処からともなく通帳を取り出す音葉。大人の面目なさそうな表情で縮こまっている春夏は一度突き返すも断固として音葉は譲らなかった。

 

「いいから。春夏が私のものなら、私もおまえのものだもの」

「でも……」

「春夏が嫌いにならない限り、私はおまえに添い遂げたいの」

 

口説いてはいない。むしろ口説いた後なのでなんと表現すればいいものだろうか。集が見たら確実に頭悩ます問題提起となるという事は確実だった。

冷めやらない熱を保ったまま気恥ずかしそうに春夏は通帳を受け取る。開く。……絶句した。

 

「…………」

「どうしたの?」

「……まさか変な仕事してないよね」

 

春夏は自分の目を疑った。音葉が差し出した通帳は貯金額が大幅に学生のそれを超えていたのだ。今までに春夏自身が稼いだお金も大幅に超えている。

 

「具体的には?」

「風俗とか、ホストとか、キャバ嬢とか!」

「ホストはともかく他は無理ですから、生理的にも性別的にも」

「も、もし風俗とかキャバ嬢になるんだったら……か、代わりに私が!」

「その時間全額賭けてでも春夏を買うわ」

 

そんな仕事をされては困る。言い訳をするつもりもないが集も困るだろう。おそらく2人揃って土下座してでも止める。音葉は嫉妬で。集は義母への負い目で。特に独占欲の強い音葉はかなり本気だった。

 

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

 

春夏を利用した。そんな負い目から集は家出してテロリストなのかレジスタンスなのか微妙な立ち位置の葬儀社で寝泊りを繰り返す。授業に必要なものは学校に揃っているし、学校も休んではいない。カモフラージュの為に学校は普通に通っている。変わらない日常に非日常をプラスした感想は「やってしまったな」という罪悪感と後戻り出来ない後悔、前進した自覚のない達成感。

 

「これで良かったのかな……」

 

言い訳はないけれど。それでもやはり、音葉にぶん殴られても仕方ないと思う。同時に義母に手を出した音葉をぶん殴りたいまではあるがこれでチャラにならないだろうか。

 

「集、ここに居たのか」

 

廃墟ビルの屋上。夜風が吹くその場所に葬儀社のリーダー、集を勧誘した恙神涯が姿を現した。

 

「トリトン」

「その呼び方はやめろと言っているだろう」

 

星空を眺める集の隣の手摺に手を置いた。同じく星を眺めるフリをして、あまり興味のない星空にどこか焦点を合わせて会話に集中する。考えているのは過去のことだった。

 

「お前からこの作戦を聞いた時は驚いたよ。まさか桜満春夏を利用するとはな。良かったのか? こんな事してただじゃ済まないだろう」

「無関係さえ証明できれば、でしょ。それに音葉だって頭が回るし……でも絶対、あとで音葉にぶん殴られるのは覚悟しとかないといけないけど」

「あいつは今、どうしてるんだ?」

「……あぁ、うん。春夏と付き合ってる……うん」

「…………はっ!?」

 

普段はクールを装う涯の表情筋がぶっ壊れた。やっとこのクール野郎の顔を変えられて満足したが、内容もあまり喜ばしいものではなかった。集も苦笑いだ。

 

「……それは流石に想像していなかったな」

「音葉を見たらきっと同じくらいびっくりするよ。昔より女っぽくなっているから」

「昔はあいつ着せ替え人形だったからな。最初はあの人も注意するものの最後は結局、真名と一緒になってあいつを着せ替えてた。俺とお前は必死で逃げてたな」

「今じゃ、それが祟って学校では女王様って呼ばれてるんだよ。……男なのに。でもまぁ、僕なんかよりよっぽど男らしくて優しくて気立てが良くて春夏が惚れるのも無理はないってわかってるんだけどね」

「あいつと喧嘩した日には勝てたことなんて一度もなかったな」

「でも、今なら–––」

 

「勝てる気がする」と2人の声が重なった。

強くなる為にあれから涯は海外で軍事活動に参加した。

集はヴォイドゲノムを手に入れた。

着実に力を手にした、2人に死角はないと思った。

それさえ超える異能を手にした音葉を知らずに。

 

「けど、さ、どう責められたとしてもこれでいいと思ったんだ。僕がいないなら心置きなく春夏は弱音を音葉に伝える事ができるし。いちゃつくにも僕の目を気にしているだろうし……」

「お前もある意味で大人になったんだな……」

「あ、でも、いのりもいたな」

「いのり……? 誰だ、そいつは」

「最近は有名になったんだよ。知らない? この女の子」

 

集はお気に入りのダウンロードフォルダからとあるミュージックビデオを集は選択し、端末に表示した。半年程前に急遽、いのりの歌いたいという願いを無理矢理にも叶えた音葉が試行錯誤の末に絶対に辿られないアドレスでWebのトップアーティストまでに上り詰めた、桜色の少女の歌う姿。その中でも代表的なデビュー作を映した。

「egoist」の楪いのり。

集も、音葉も、世界中も注目するWebアーティストだ。

 

「こ、こいつのことを知っているのか集!」

「え、うん。そりゃあ同じ家に住んでいるし……」

「それはいつからだ!」

 

食い気味に集の肩を掴む涯の様子は明らかにおかしかった。

 

「えっと……音葉が連れて来たのは一年くらい前かな」

「あいつが……?」

「本当に最初はびっくりしたよ。姉さんに瓜二つで、ちょっと雰囲気は違うけど音葉にべったりで、なんていうか2人を見ているとあの時の姉さんと音葉を思い出したよ」

 

目の前で奪われたインターフェイス。まさか、それが、こんな近くにあったなんて。全力で追跡したがどうしても見つからなかった情報がこうして見つかったのは幸運なのかもしれない。そして、あのインターフェイスが本物なら、集の話が本当なら。あの場に現れ葬儀社に濡れ衣を着せたのは音葉だ。

顔も容姿も朧げで、あの日の作戦時に交わした言葉、声が鳴り響く。

最初は男性だと思っていたが、なるほど、情報を錯綜するには最高の手段だ。まさか自分の体質特技を利用して探すべき情報を操作してどっちに疑われても転ばない選択肢を取っている。犯人が男性にしても、女性にしても、混乱させるには有効な手段だ。

 

「楪いのりをここに連れてくることは可能か?」

「あ、いや、絶対ムリ」

 

集は断言した。涯は質問を変える。

 

「ここ一年、音葉の行動について何か不審な点はあるか? 夜はいないとか」

「さぁ? 夜は友達と遊ぶか、ノイズキャンセリングヘッドフォンをつけて出来るだけ気配を薄くするか早めに寝ているからね……」

 

集なりの2人への配慮が仇なした。集も青春真っ只中の苦学生。たとえ義母といえど意識するような現場の音などには常に敏感だ。特に情欲の話はあまり聞きたくない。……多少、どこまでいったのか気になりはするが。

 

「敵か、味方か、どちらにしても誰にも気付かれず敵陣深くまで潜り込む……神出鬼没性。イギリスの怪奇、切り裂きジャックのような少年兵がいた、って噂があったな……」

 

たった一時期だけ。ジャックザリッパーの再来と噂された。軍に派遣された少年兵がいた。戦闘能力は単体で国を滅ぼせるほどだと尾びれをつけて噂が蔓延していた。

 

「どうしたの涯?」

「いや、あいつに会うのが楽しみになっただけだ」

 

取り籠めるだけの条件を用意することが急務と、涯の目標に追加された瞬間だった。

 




着々と正ヒロインになってゆく桜満春夏さん。
最初は集を困らせたかっただけです。

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