第十話 豊後の義姉
空は快晴。風は西南西に抜け、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
外海にしては穏やかな波間をゆらゆらと船は漂っていた。
俺は今、海路で豊後へと向かっている。
豊後。
現代の大分県に相当する国で、現在は大友家の本拠地になっている。
「大友宗麟、いや、今は
大友義鎮の噂は山陰にあってもよく聞こえてくる。
曰く、非常に派手な振る舞いが多い南蛮狂い。曰く、あまりにキリスト教にのめり込むあまり、自領の寺社を打ち壊している。
このようにあまり良いものではないが、出雲大社が力を持っている山陰で聞いた噂であるから多少の脚色はあると見たほうがいいだろう。
「九州は本州以上の長きにわたって血で血で洗う戦乱の時代が続いております。聞いたところによれば、姫武将ですら助命を許されずに首を刎ねられるようです」
隣で下調べをしていたらしい勝久が震えている。
中国は中国で権謀術数が渦巻くおっかない土地だったが、九州は別のベクトルでおっかなかった。
「まあ、賽は投げられたんだ。もう引き返すことなんてできはしない」
だが、だからといって臆している暇はない。
兵庫と約束をしたんだ。屍山血河の修羅の土地だろうと、為すべきことは為さねばならない。
「それは南蛮の偉人の言葉でしたね。ゆりうす・しいさあでしたっけ。浪漫なる帝国の皇帝だったと聞きます」
「ははは、違うぞ孫四郎。正しくはユリウス・カエサルまたはジュリアス・シーザーだ。変な具合に混ざっている。あと、あいつは皇帝にはなってはいない。皇帝になったのは奴の後継者だ」
勝久にツッコミを入れつつ、訂正する。
やっぱり戦国時代の人間には横文字は難しいか。だが、行き先が大友家である以上、ある程度慣れてもらわないと困る。
以前の鉢屋衆の襲撃から俺は勝久にある程度の教育を施していた。俺が守るといってもどうしても伸ばせる手の範囲は限られているため、助けられない時もあるからだ。自衛はできるに越したことはない。
「そういえば、船に乗る前に耳寄りな噂を聞いたのですが、聞きたいですか?」
南蛮の話が嫌なのか、勝久は話題を変えてきた。
「ああ、東海道の方で今川が織田の奇襲を受けて負けたのだろう? かなりの大事件だからな、俺の耳にも届いている」
今、噂になっているその戦いは俺の聞く限りでは史実における桶狭間の戦いだ。
織田信長がこの戦いを乗り越えて乱世に本格的に名乗りをあげるようになる。もっとも、この世界では信長ではなく信奈になっているみたいだが。
「流石はお館様です。すでにご存知でしたか。ならば、その戦において大きな功績を立てたのは相良良晴なる未来人であることも知ってますよね」
……今、さりげなく重大なことを聞いた気がする。
相良良晴? 未来人?
嘘だろ? まさかあいつこっち来てるの? いや、なまじ俺という前例がいるからそうであってもおかしくはないけれども。
「なあ、孫四郎。そいつは本当に未来人か?」
だが、この時代は現代と違って迷信とかが未だに強く信じられている。ならば、少し先を読めばそれで未来人認定されることもあるだろう。そうそうタイムスリップなんてあるわけはない。
「はい。何やら法螺貝の音が鳴る板や学らんなる不可思議な着物も所持していると聞いています。当世の妖術師とも一線を画しているため信じざるを得ませんでした」
しかし、勝久は迷いもせず頷いた。
おそらく法螺貝の音が鳴る板はスマホで学らんは学校の制服だろう。
こうまで証拠が揃えば疑いようがない。間違いなく良晴だった。
「マジか……」
向こうが尾張でこっちは豊後。互いに距離が離れているため再び顔を合わせることは多分ない。
それでも、この乱世に同じ境遇の知己がいると分かったことはいくぶんか気休めになった。
**********
船で博多に着いてからは陸路を使って豊後へ向かった。
「これは驚いた。まるで世界の縮図だな」
豊後の中心地、府内は空前の活況を呈していた。
日本人は元より明、朝鮮、西洋さらにはカンボジア辺りの商人が街を闊歩している。
市街の建築も多様で中国風のものから西洋の石造りの建築まであった。
「姫は新しいものが好きだからな。宣教師のザビエルどのが来て以来、南蛮との貿易が活発になったのさ」
吉弘どのは案内をしながら説明してくれている。
見た目がかなりの老け顔で、初めは四十後半ぐらいかと思っていたが、その実は三十代前半の話しやすい大人だった。
「さて、まずは大友館だな。こいつは府内の中心にある。んで、これから姫の義弟になるお前さんの家でもある」
案内されてたどり着いたのは、和洋折衷の巨大な宮殿だった。
外部は和式だが、内部は完全な南蛮式だった。
若干違うが、ベルサイユ宮殿とかあの辺りの中を想像すると分かりやすい。
南蛮様式自体は未来の生活様式のおかげでさほど抵抗感はない。しかし、あまりに豪奢過ぎてお世辞にも住みたいと思える空間ではなかった。
その中の一室。
なんかホテルのフードバイキングでもやってそうな広間に俺は通されて待たされること数分。
およそ十七年ぶりに聞く管弦楽団の演奏が流れると同時に、扉は開かれた。
「遠路はるばるお疲れ〜! 君が私の弟になるんだねー」
開かれた扉から現れたのは、美少女だった。
色白で華奢な体をマントに包み、栗色の豪奢な髪をなびかせている。
服装はこの時代の日ノ本には珍しいワンピースだが、問題なく着こなせている。
間違いなくこいつが大友義鎮だろう。
「如何にも。自分は塩谷綱憲。僭越ながら今日より貴女さまの弟と相成りまする」
とりあえず、平伏した。
場で考えれば南蛮の騎士風にやれれば良かったのだろうが、あいにく未来で過ごしたのはもうだいぶ前で覚えていない。
「君のことは聞いているよ、塩谷綱憲くん。山陰での活躍ぶりは聞いただけでもしびれちゃった。君がいればもう毛利元就なんか怖くないもんね! これからよろしくっ!」
やけに甘ったるい声が耳朶を打つ。だが、油断はしない。なぜか俺はこれが演技に過ぎないと直感していた。
「義鎮様。お言葉は有り難いのですが、いささか買い被りが過ぎまする。忍原はただ時節がちょうど良かったため。夜戦は自分よりかは山中鹿之介と横道兵庫介の功によるもので、降露坂はそれこそ貴女様が元就めの背後を突いてくれたからできたことにございまする」
なので、義鎮様の言に首を振り、謙っておく。
最近、俺の話となると良く武功が引き合いに出されるようになった。とはいえ、今言ったように俺の才覚というよりは周りの状況が良い方向に動いたことが多い。
「降露坂の時は、別に尼子を助けたわけじゃないよ。文のやりとりはなかったしね。ただ、毛利元就が長く背中を見せてたからそれを刺しに行っただけ。もっともあれだけ痛めつけられてたのに、私は
門司城は毛利と大友の係争地点になっている。尼子で例えるならば、山吹城がそれに近い。関門海峡を抑える要衝でこれを巡ってすでに三度抗争が行われていた。
「できればすぐにも君を毛利との戦いに参加させたいけど、今は豊後に慣れる方が先だよね。この館の南側の一画に君の部屋を用意したからそこを使って。孫四郎ちゃんもその隣の部屋に寝泊まりするといいよ」
「自分のみならず孫四郎への配慮まで……、ありがたく存じます」
再び俺は平伏するが、なにやら義鎮様は不満そうな目で俺を見ていた。はて、何かやらかしたか。
「こらっ! ちょっと堅いよ綱憲くん。これから姉弟になるんだからもっと肩の力抜いて行こうよ!」
どうやら義鎮様は俺が形式張った振る舞いしかしないのが気に食わないらしい。
とはいっても、尼子時代に完全に体に染み付いてるから矯正には時間がかかるだろう。
「……善処します」
また、平伏してしまった。仕方ない、諦めよう。
俺が思うに大友義鎮は表面上は賑やかな人だった。それこそあまりのハイテンションぶりに対面するのが辛くなってくるぐらいには。
だが、未だ裏の顔を知らないからなんとも言えない。
大友家は尼子家以上に歴史が古く、なおかつ中央集権化が積極的に図られていないため未だに諸豪族の力が強く、九州でも政争が起こりやすい部類の大名家である。
つまり何が言いたいかというと、この一言に限る。
豊後はかぶいてばかりの君主ではけして治めることが出来ない国だということだ。
********************
「うん、弟か……」
塩谷綱憲を下げさせたのち、義鎮は自室に戻って溜息をついていた。南蛮から買い入れた天蓋付きのベッドに倒れこむ。柔らかな羽毛布団は義鎮の女性らしい躰を包み込んでいる。
今の義鎮の衣装は綱憲と謁見した時と比べるとはるかに地味なものだ。自室に戻れば誰も義鎮を見るものはない。であるから自由奔放にして絢爛豪華な少女君主の偶像を作り上げる必要などなかった。
(同盟のためとはいえ、新しく弟を増やすことになるとはね……)
義鎮はもともとこの同盟には義久ほど積極的ではなかった。毛利を出雲と豊後で挟み、南北から圧力をかけることが出来るという利益こそあるが、最大のネックは別のところにあったのだ。
「正直なところ、弟は増やさなくても良かったのに……」
それは義姉弟の有無である。義鎮は望んでいなかったが、綱憲を追い出すことも同盟を組む動機の内にある義久は強く綱憲の豊後行きを望んだ。
この義久の押しは凄まじく、あまりに押すものだから
しかし、それだけならば対毛利のためには必要なことだと割り切ることができたため義鎮はまだこうも浮かない顔をすることはなかっただろう。
だが、義鎮は悪いことに吉弘鎮理から塩谷綱憲の背景を聞いてしまった。
(主君からの度重なる暗殺未遂、苛烈な戦、信頼する仲間からの別離……。こんなのあんまりだよ……)
塩谷綱憲は下手をすれば義鎮以上に過酷な半生を送っていたのだ。
それを知った義鎮は惑った。
(聞いてしまった以上、綱憲くんをもう見捨てられない。だってあまりにむごすぎる。さりとて、私の弟になってしまった以上、運命は彼にも襲いかかるわ……)
枕に顔を埋めて苦悩する。
義鎮は申し訳なさを感じていた。
なにせ自らの手で綱憲は仲間から引き離され、あまつさえ自らの運命に巻き込まれるのだから。綱憲の身になって考えれば、これほどまでに理不尽なことはないだろう。
「ああ、ほんとに私って最低だ……」
ああ、自己嫌悪を禁じえない。
血の繋がった弟は全て私の前から去っていった。
私は「弟殺し」の運命を背負っている。
だからきっと塩谷綱憲だっていつか私の前からいなくなる。
そして、私はまたそれを見ているばかりなのだろう。
原作とは時期が違うので、鹿之介もそうですが宗麟も意図的に描写を変えています。
自分が考えるに鹿之介は尼子が滅ぶ、宗麟は今山の戦いを超えないと原作のドMやかぼちゃ塗れ状態にはならなかったように思えるんです。なので、原作との差異については大目に見て下さい。