……あると思います。
綱憲が義鎮の寝室に呼ばれたのと同刻。
大友家の同盟国である出雲にも比較的早い段階で門司の敗報は伝えられた。
「存外大友軍は使えぬな。六国を持ちながらなんというていたらくか」
月山富田城本丸館でこの報告を聞いた義久は毒づいていた。
大友家に義久は毛利の足止めを期待していたのだが、この状況ではもうあてにできず、むしろ南の憂いを除いた元就が出雲に大挙して軍を進めてくる可能性すらある。
「豊後はもうよい、久兼。因伯方面で動きはないか?」
「……は。山名佑豊が毛利方につき、因幡尾高城を攻撃。戦況の不利を悟った立原久綱は米子城へ退きました」
尾高城は山陰道と美作からの街道を抑える要衝にして月山富田城を守る藩屏の一つであった。
「おのれ毛利め。中央集権さえ成れば、叩き潰せてやるものを」
義久は口ではそう言うものの、背中に氷柱を差し入れられたような心地を味わっていた。久綱が移った米子城。ここが尼子にとっては東の最終防衛線でこれを抜かれれば月山富田城への敵軍の到達を許してしまう。
「久兼。立原久綱及び山中鹿之介を月山富田城に呼び戻せ。米子城には川副久盛を当てる」
晴久死後、元就の工作もあってか尼子の地方における統制力は弱まっていた。そのため晴久時代には美作方面軍を率いていた川副久盛が現在では遊軍となり、石見の本城常光は毛利に降った。
「……やはり、中央集権政策は時期に合わなかった、か。……あ」
そんな事態となってしまえば、主君に忠実であろうとする久兼と言えど思う所はあったようで、意図せず漏らしてしまった。
「よもや久兼。お前までもが綱憲が正しいとのたまうつもりか?」
久兼は失言をしたと肝を冷やした。
最近の義久は中央集権の停滞や諸豪族の寝返りで気が立っていることが多く、特に中央集権の是非については縁談の時の綱憲の言葉を思い出させるのか、家中では禁句に等しい状況になっていた。
「殿のお考えを完全に否定はいたしません。中央集権は完遂させねばならないことではあります。しかし、いささか性急に過ぎたのは事実にございます」
並みの武将ならばつとめて弁解するだろう。しかし、久兼は違った。むしろ口にした以上、言い切るべきだと判断したのだ。
「とはいえ、中央集権を今更止めるわけにはいかぬ。もう行き着くところまで来てしまったからな。もはや、集権化を抑える方が時期に合わぬ」
「ええ、ですから今までとは逆に抑えつけるのではなく、迎える形で事を進めた方が良いかと。幸いこれほどの合戦です。功を称えるという形で中央に取り込めば反発はありますまい」
久兼は真摯に義久へ自らの構想を述べた。
それが功を奏したのか義久は渋々苛立ちを収めた。
「わかっておるならば、よい。ともあれこれよりは守りを固める必要がある。人前で風紀を乱すことを言うではない。分かったら下がれ。……お前の方策、実に良き考えだと感じた。この難の間に色々考えてみることにする」
「はっ、有難きことにございまする」
一礼して久兼は義久の前を辞した。
宇山久兼。
教養があり穏やかな良吏だが時折自制が効かず、我が強く出ることがあるのが欠点である。
なまじ悪意がないために彼の言葉は義久にとっては重く響いてくる。
「誰も彼もが塩谷綱憲を褒めそやす。裏切りの家の薄汚い血を引くあの小僧をな……」
気づけば、義久は強く拳を握りしめていた。
自分とて、尼子の後継としてふさわしくあるために研鑽を重ねてきた。だが、その研鑽を綱憲は容易く乗り越えて来る。そして、それを向こうは別段誇りにすることはない。
(何故に間違った血の持ち主にあれだけの才幹が宿るのだッ! おかしいではないか……! その才幹が俺にあれば、こうも余は思い悩むこともなかったというのに……! )
後世、尼子義久は悪役として描かれるようになる。事実として彼は私怨から塩谷綱憲を豊後へ追い出しているため擁護はできない。
しかし、その私怨の生じた理由は決して義久の狭量のみに起因するものではなかった。
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あれから二ヶ月後。義鎮様による幕府への交渉が成功し、大友毛利両家は誓約書を交わして和睦を結ぶことと相成った。
その後、和睦祝いの宴が開かれたが誓約書交換の使者としてやってきた元就の嫡男・毛利隆元と義鎮様が和やかに歓談しているほかはそれぞれの家中で固まって飲んでいる。この場にいる誰もが和睦が長続きしないことを悟っていた。
「和睦を申し入れてくれたこと、毛利家中はともかくとして俺自身はありがたく思っている。内政屋だからかどうも戦に馴染めなくてな。こんな時代だが、人死には少ない方がいいに決まっている」
だが、そんな空気の中でもこの毛利隆元という男はにこやかに笑えている。……なんというか図太い性格をしてるなこいつ。あんまりそんなイメージはなかったのだが……。
俺が聞いた隆元の評判はいわゆる徳人というやつだ。
徳人という人種は能力はピンキリだが、信望があり人間関係を円滑にする。君主の独裁権が浸透する小勢力ならまだしも大勢力はこの手のやつがいないと上手く回らない。
吉川元春の武、小早川隆景の智謀、そしてそれを有機的に活用する毛利隆元の徳。
この三つが損なわれない限り、おそらく毛利家の脅威は絶えることはなく、出雲のことを考えればここで隆元を暗殺してしまうのも選択肢の一つである。
門司の戦いの後、毛利の尼子に対する圧力は確実に増した。石見の本城常光は降伏し、出雲の南半分の国人も内通したため、今や毛利軍は月山富田城周辺まで軍を進められるようになっている。
このままだと、もう尼子家は年を越せないだろう。仮に越せたとしてもそれは月山富田城に籠城しているからであって、挽回の機会は訪れない。
「綱憲。何を剣呑な雰囲気を漂わせてやがる。やらかせば南無三だ。分かるだろ?」
思案していると吉弘どのに小声で窘められた。流石は後世に大友家臣の代表格になるだけはある。隠したつもりでも容易く気づかれてしまった。
「やりませんよ、何も。俺が出雲にいた頃ならまだしも義鎮様の義弟になってまだやるべきことではない。闇討ちなんて後先がない者がやることです」
「流石、一度主に斬りかかっただけはある。説得力が段違いだ。まあ、やらないならそれでいい」
「あんなのはただの昏君です。それこそ殺した方が出雲のためになる。あれと同列に語るのは隆元どのに失礼です」
「そうかい。それにしてもお前さん、豊後に来てから生き生きしているな。悪いことではないのだろうが」
この辺りで話題が途切れて会話が終わる。
それからは波乱もなく宴が終わり、隆元は出雲の戦線への復路をたどった。
………………と、俺は思っていた。久綱様の忍びが俺のところに来てその死を伝えるまでは。
「そうか。だいぶ思い切ったことをしたな」
報告を聞いた今の俺はひどく苦い表情をしているだろう。
それもそのはず、事のあらましがだいたい分かってしまったのだ。
毛利隆元は出雲へ向かう途上で死ぬ。
これが史実だ。だが、その死因は杳として知れない。
聞いたところによれば、隆元は備後の国人和知氏のもとを訪れて死んだという。
だが、この報が久綱様の忍びが知っているということが問題なのだ。なにせ久綱様の忍びはお世辞にも優秀とはいえず、嫡男の死なんて隠して然るべきことを知れるほどではない。
そして、今の時点で隆元を殺して益となり、大したリスクにならないのは後先がない尼子方しかいない。
「性格からして久綱様達はありえない。殺ったのは義久か」
呟くと同時に忍びが頷く。決定的な瞬間だった。
「はい。義久様は伸張する毛利の調略に強い危機感を抱き、どうにかして劣勢を覆す、まではいかなくとも態勢を整える時間を欲していました。あらかじめ鉢屋衆を和知の料理人の中に入れ、隆元を毒殺させたのです」
宴の時にも考えたことだが、隆元を始末するのは悪くない選択だ。尤も、すでに後がないという条件ありきだが。
隆元はその人格から毛利家の信用の体現者だった。彼がいるから毛利家は商人から軍資金を調達できるというのは西国では有名な話だ。だから、いなくなれば一気に毛利家の信用は無くなり、商人はおろか国人からの信用も無くして毛利家は足踏みを余儀なくされるだろう。
しかし、その反面として毛利家の不倶戴天の敵となり、回復してなおかつ本気になった毛利軍を相手にすることになる。
「わかった。もう良い。下がっていいぞ」
忍びが下げさせたのち、俺は頭を抱えた。
完全に尼子は滅びの引き金を引いた。あとは弾が当たるまで待つのみだ。もはや、どうにもならない。
「兵庫、頼む……! 俺はまだ居場所を作れていないが、せめて鹿之介だけは。お前らが居なくなってしまったら居場所なんてあったって意味がない……!」
ふと窓から空を見上げれば、満月が煌々と輝いている。
誰も欠けることがないように。
俺はただ、そう祈り続けることしか出来なかった。
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「隆元どのが死んだ、と?」
「信じ難きことなれば、我が言を疑うのも道理でしょう。しかし、事実にございまする」
出雲・白鹿城を包囲中の元就のもとへ訃報が届いたのは綱憲が聞く二日前であった。
その報を初めて聞いた時は元就は信じられなかった。しかし、数日して隆元からの定時連絡が途絶えたことで漸く信じた。
隆元の死の影響は大きく、その死を知った一部の国人衆や商人は非協力的になったため兵站が麻痺。そして、その隙を尼子軍が突いたため、毛利軍はかなりの被害を受けた。
だが、それでも元就は退かなかった。
元就、元春は能く尼子家の攻勢を抑え、兵站を回復させると、 尼子義久を終生の仇と定めて猛然と攻撃を開始。家臣団もそれに従った。
その勢いは凄まじく、白鹿城は容易く落ちた。立ち昇る煙と城を舐めるように広がる業火はさながら元就らの怒りを体現したかのようだった。
「これで、白鹿は落ちた。ここまで事が進めば月山富田にも手が届く。だが、義久よ。ただでは滅ぼさぬ。我が智謀の限りを尽くして、そなたを苦しめ締め上げてやろう。決して楽に死ねるとは思わぬことだ」
燃える城を眺めながら呟く元就の目は憎しみと必ず尼子を滅ぼすという執念に染まっている。
だが、まだ隆元の死の悲しみを怒りに転じているだけまだいい方で、それに反して小早川隆景は起き上がれず、居城である備後三原城に引きこもっていた。
「……うう、あに、じゃ……」
隆元が死んでからというもの、隆景は自室にこもり、隆元といる夢を見ては起き、隆元が死んだという事実に涙を流し、泣き疲れてまた夢を見る。この悪循環に囚われていた。
小早川隆景は繊細な姫武将である。時折姉を彷彿とさせる剽悍さを発揮することこそあれど、それは家族ありきのものに過ぎない。
ゆえにこのように家族を失ってしまえば、ただのか弱い少女に逆戻りしてしまうのであった。
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白鹿城に始まる毛利軍の攻勢は苛烈を極めた。白鹿城を皮切りに新山城、米子城と尼子方の支城を次々と陥落させ、ついに尼子方は月山富田一城までに追い詰められていた。
「こうまで来ると壮観だな。むしろ笑えてくる」
隅櫓から月山富田城を囲む三万五千の毛利軍を眺めて兵庫は笑みをこぼしている。今にも襲いかかりたくて仕方ないといった風情だった。
「笑っているばかりではいられませんよ、兵庫介。これだけの軍がいる以上、補給は困難になります」
「左様。突き崩す、は流石に望めないが、綻びを作らなければならぬ」
生来の生真面目さによるものだろう。兵庫とは対照的に鹿之介と立原久綱は渋面を作っていた。
「だから義久の野郎に夜襲をした方がいい、って俺たちは何回も言ってるのにな。ちっとも聞こうとしやがらねえ」
「重臣は皆、籠城戦を望んでおるからな、致し方なかろう」
「重臣どもは分かってねえよ。今更この城一つ守ったって意味がない。一刻も早く奪られた城を回復して勢力を挽回した方がいい。時間をかければかけるほど、雲石の豪族が向こうに馴染んじまうからな」
「そうよな、兵庫介。お主は考えなしだが、時に核心を衝く」
兵庫の言に久綱は頷きを返す。
その気性、活躍の傾向から兵庫を蛮勇の徒と見る将はかなりいる。だが、例外も少なからずいて久綱もその一派に属していた。
(熊之丞が出雲から離れてから、いつもこやつは何かを考えているように思う。それもこの守城戦の先を。別れる際、熊之丞といくばくか言葉を交わしたようだが……、それをわしらには教えてくれなんだ)
だからこそ、久綱は今の兵庫の動きに違和感を覚えていた。
戦局に相対する時、おおよそ綱憲は智に傾き、鹿之介は勇に傾く。元来兵庫も勇に傾くきらいがあった。しかし、今の兵庫は智と勇の均衡が取れている。
(まあ、理由を教えてもらわずとも良いか。熊之丞の入れ知恵にしろ、兵庫介の成長であるにしろ今の兵庫介の存在には助けられているからな)
満足そうに久綱は兵庫を見やる。だが、久綱はまだ知らない。
綱憲が兵庫に託したものがどれだけ巨大なものだったかを。そして、それは兵庫を変質させるに足るものであるということを。
(しばらくは笑いは禁止だ。そんな余裕もねえ。無理やり笑っても虚しいだけだからな。次に笑うのは、あいつと鹿を再会させた時。それまで取っておく)
読んでいただきありがとうございます。
ついに出雲勢の再登場。ただ、隆元に食われた模様。