それから何年か過ぎて俺は元服した。
名は
他の一門は現当主晴久様から尼子家の通字である「久」の字を賜り名に加えていたが俺はやはり「久」の字を用いることを許されなかった。
だが、代わりに鹿之助の叔父の久綱様から「綱」の字をもらうことができた。潜在的な敵対要素として扱い、警戒してくる主君の名を貰うよりもこちらの方がずっと嬉しかった。
名字が塩冶から塩谷に変わっているのは、塩冶の名は出雲では強過ぎたからだ。祖父のことがなくても塩冶は出雲の名家であり、それを俺が名乗るのはぶっちゃけ謀反しますと言っているようなもので危うい。
残りの「憲」の字は俺が未来にいた時の名前「
ちなみに俺が未来から来てこの時代の結末を知っていることは誰にも伝えていない。
そんなことを言っても誰にも信じてもらえないだろうし、そもそも尼子家中ですでに俺は胡散臭い存在である。ついに気が触れたと見做されて首を刎ねられる可能性すらあった。
だが、それでも俺は尼子家中での居場所はある。
鹿之助と久綱様である。
この二人とはあの事件から関係を深めていき、いつしか俺の後見人と親友になっていた。
久綱様は没落した俺の家に援助して子供なので大した働きができない俺を養ってくれた。
鹿之助は下女すらもいない子供だけで住むには大き過ぎる俺の家に入り浸って一緒に遊んだり、飯を食ってくれたりして俺が抱えていた拭いきれない孤独感を慰めてくれた。
だから身分的には腐っても一門の末席である俺の方が上位だが、俺と関わるリスクを厭わずに力になってくれる久綱様と鹿之助には頭が上がらない。
「綱憲様。元服おめでとうございます」
鹿之助が俺の前に跪き、祝辞を述べる。
本当に畏れ多いことだ。
山中鹿之助は前世の知識では尼子家が滅びても再興軍という形で忠義を尽くすが、最期まで再興は成らずに果てた。きっとその在り方は女の子になっても世界が違っても変わらないだろう。
そして俺はその忠誠の一端を今、受けている。
それは嬉しくもあるが、単純に喜ぶ気にはなれなかった。
端的に言ってしまえば不安なのだ。
俺にそれだけの値打ちがあるのか、果たして俺はその忠誠に報いてやれるのかと。
前世が古代の名将とかならまだしも、俺はしがない一高校生に過ぎなかった。贔屓目で見たとしても今の俺はそれに値しないだろう。
「ああ、ありがとう。鹿之助」
そんな葛藤を覆い隠すように俺はそれに笑顔で答えるしかなかった。
その後、俺は晴久様に呼ばれて月山富田城の一室で対面していた。
晴久様は現行の尼子の当主で、祖父と父を直接粛清した人物だ。その繋がりか俺を最も嫌う人物でもある。
「熊之丞よ。お前のことは嫌いだが、それでも言わねばなるまい。おめでとう」
晴久様はものすごく嫌なのか苦味走った表情を浮かべている。だったら呼ばなきゃいいのにと思うが、これも儀礼の一つであるからおろそかにはできない。
「もったいなきお言葉」
儀礼的に俺もそんなことを口にする。俺も晴久様は嫌いだ、立場上口には出せないが。
「そつがない。まあそれぐらい出来ねばここまで生きては来られまいか。して、此度お前を呼び出したのは心無い祝辞の為ではない。次の戦、お前の初陣について知らせるためよ」
「と、言いますと?」
「山吹城の
「それは、難儀なことになりましたな」
刺賀長信は尼子家と石見銀山を共同経営していた勢力だった。石見銀山は尼子家の大事な財政基盤であり、それを守るための城である山吹城は毛利家との係争地点になっている。
要は山吹城を奪われることは石見銀山を奪われることと同義なのだ。もしこのまま毛利家に石見銀山を奪われた場合尼子は財政基盤を失い、一気に凋落してしまうだろう。
「事態の深刻さは分かったな、熊之丞。お前には此度の山吹城攻めの先鋒をやって貰う」
「俺が、先鋒ですか」
「ああ、そうだ。受けてくれるな?」
元服してすぐの若造に先鋒を任せる。
いかにも悪意、というか殺意に満ちていた。晴久様は余程俺を殺したいらしい。
とはいえ、これを否と言ってしまえばこの場で首と胴体が泣き別れになる可能性は否めない。
晴久様は去年中央集権のために事実上独立していた新宮党の尼子国久様とその息子誠久様を粛清した。その結果、今では尼子に仇なす可能性がある一門は「裏切りの家」出身の俺ただ一人。ゆえに機会さえあれば、晴久様は俺を殺したくてしょうがないであろうことは想像に難くない。
「はっ、承りました」
だから、俺はこのように答えるしかなかった。
********************
それから二週間後、晴久様は二万五千もの兵を率いて石見の山吹城に進軍した。
山吹城は急峻な山の上にあるため力押しは難しく、兵糧攻めか城主に有利な条件を示して帰順させでもしない限り落とせない難城であった。
今回の戦いではどうやら兵糧攻めを採用したようで、尼子軍は山吹城を包囲した。
だが、毛利家もこれを黙って見ているはずもなく、
そう考えを巡らせていると、晴久様にまた呼び出された。
「今、宍戸軍によって糧道が寸断されつつある。熊之丞よ。これはわかるな?」
「早急に追い払わなくてはならないでしょうね」
「というわけだ。お前に二千五百の兵を預ける。これで隆家を追い払ってこい」
ニヤッと笑みを浮かべて晴久様は言う。ついに合法的に俺を始末できると思ったのだろうか、やけにご機嫌である。
七千に対して二千五百は少ない。少ないが、まだやりようがありそうな数ではある。
「承知しましたが、一つだけ。残りの二万二千五百は如何するおつもりでしょうか?」
「そうだな……。一万二千五百が引き続き山吹城の包囲。残りの一万は不測の事態に対する備えに回している。ゆえに宍戸軍にあまり兵は割けぬのよ」
話の後半こそ申し訳なさそうに言っているが、目が笑ってしまっている。どうやら俺がやられることは晴久様の中では織り込み済みらしい。
「そうですか。ありがとうございます。では、俺は支度のために陣に戻りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、もう行っていいぞ。お前の武運は一応、祈っといてやる」
けらけらと笑う晴久様を尻目に俺は帰陣した。
********************
「綱憲様。殿はなんと?」
帰陣すると鹿之助が出迎えてくれた。
「二千五百で七千を追い払え、と言ってきた」
「なんと非道いことを……!!」
言われたままのことを伝えると鹿之助が憤慨する。俺もまあ今回は結構な無茶振りだなぁと思う。
「七難八苦ってやつだな。俺はそんなこと願ってもいねえのに」
ちなみに、この世界では鹿之助はまだ七難八苦を願ってはいない。多分尼子が滅び、再興を決意する時に願うのだろう。
「それで綱憲様。何か算段はあるのでしょうか?」
「今のところはないな」
俺の知恵の源泉は未来の知識だ。だが、織田家や徳川家ならまだしも地方の大名家に転生してしまった場合は余程マニアックなところまで知っていない限りは有り難みが薄い。
今回の場合もまさしくそのパターンでこの戦が未来まで伝わっているものかわからず、未来知識を使えないので一から策を考えなきゃならない。
ただ、そうなると俺はただの小僧に過ぎず、ついにその日はなんの策も思いつかないまま過ごしてしまった。
翌日の夕方。晴久様に率いる予定である二千五百の兵のもとに案内された。
「これがお前に率いてもらう兵だ。皆、選び抜かれた精強揃いだぞ!」
そう晴久様は言うが、んなわけがない。むしろ選び抜かれた弱兵ばかりである。
試しに胴丸を着せたまま二キロぐらい走らせたところ半数がぜえぜえと息を切らしていた。
これでは平野で同数の兵と正面から戦っても間違いなくやられる。敵が地の利を得た大軍ならますます勝ち目がない。
俺は晴久様から見えないようにして頭を抱えた。
だが、諦めてたまるか。
必ず生き残ってやる。できれば大功を挙げてあのいけ好かないこの糞当主に目に物をみせてやりたい。
こちとら今まで散々暗殺や粛清に怯えながら生きて来たんだ。偶にはそんな場面がなければ、正直割に合わなさすぎる。
運がいいことにそれを成す算段もたった今思いついてくれた。
この作戦がこいつらのような弱兵でも、俺のようなペーペーの大将でも遂行できるものかいささか不安ではあるが、それでもやらねばどうにもならない。
俺は固い意志を抱いて、戦場に赴いた。
********************
戦場に向けて進軍を開始してから八時間ほど。
俺率いる軍は俺と鹿之助の二手に分かれて一ノ渡と二ノ渡の崖上に布陣していた。
この行軍は弱兵を意図的に揃えられた俺の軍ではいささか厳しく当初の予定より二時間遅れたが、強引に布陣させた。
こんな悪所に布陣している理由は他でもない。
宍戸隆家の不意を衝くためである。
悲しいことにこの軍はそうでないと使い物にならないのだ。
おそるおそる崖下の宍戸軍を見やる。
俺たちが布陣していることに気づいていないのか、暢気に飯の煮炊きをしていた。予定通り六時間ではこうはならなかっただろう。不幸中の幸いといったところか。
ここまで状況がお膳立てされているならば、充分だ。俺は兵たちの方に振り返り、命じた。
「皆の者!石を落とせぇぇ!!」
「「おおおおおおお!!」」
俺が号令すると兵たちが崖下の宍戸軍に向かって巨石を落としていく。兵の練度が低く、個の力が劣っていても落とされた巨石の威力に変化はなく宍戸軍を潰していく。
「なっ、上からだと⁉︎しくじったか!」
崖下で宍戸隆家が歯噛みしているのだろう。一際豪華な具足を着ている男が周りの兵に向かって叫び散らしている。
しかし、予想すらしていないところから攻められて動揺しているのか、兵の統制ができていない。
よかった。ならば勝ち筋はある。
俺は安堵し、采配を再度振った。
すると狼煙が上がり、向かい側の山上からそれを見た鹿之助率いる別働隊が一ノ谷の戦いの時の源義経のごとく駆け下りていく。
鹿之助に乗せられたのか弱いはずの兵たちも喊声を挙げながら駆け下っていた。
流石は後世に山陰の麒麟児と讃えられるだけのことはある。俺と同様に此度の戦が初陣であるにも関わらず敵兵を次々に蹴散らしていく姿はあの時のようにひどく鮮やかだった。
「……って、ぼけっと見てる場合じゃないな。俺たちも突っ込むぞ」
俺の隊もまた逆落としをかける。
兵の勢いは鹿之助の時と比べると控えめだが、混乱している宍戸軍を相手するには十分。問題なく敵軍を突き崩していく。
「これ以上、先には進ませぬ!」
崖を降り切ったところで、いかにも精強そうな武士が俺の進路を遮るが止まらない。
「知ったことかあ!」
俺は馬の背に立ち、ためらいもなく得手としている居合斬りでその武士を斬り捨てる。この頃には既によくある未来からの転生ものと違って俺はとっくに人を殺すことに抵抗を覚えないようになっていた。
実のところ、未来の倫理観は未だ俺に根付いてはいるが、この乱世特有の敵対するものに対しての容赦のなさも苛烈な幼年期のうちに身に付いている。
そう割りきらねば、今まで生きてはこれなかった。
「む?」
谷底で繰り広げられる敵味方入り乱れた斬り合いの中で、鹿之助が得物である十文字槍を振るい敵の副将を討ち取るのを視認する。
「すごいじゃないか、鹿之助」
「綱憲様こそ。もし綱憲様の策がなければ、私がこの者と同じ末路を辿っていたことでしょう」
鹿之助が謙遜して言うが、あの策は鹿之助が史実に近しい実力を持ってることを前提として組んだ策だ。なので鹿之助がいなければそもそも成立しない。
まぁこれを素直に言ってしまえば、鹿之助の性格上謙遜合戦になるのは目に見えるので話題を変える。
「兵たちもよく働いているな」
彼らの働きは正直予想外だ。敵が慌てふためいていて動きが鈍いとはいえ、あれだけ弱かったはずなのに今では一人二、三殺を平然とやってのけている。
「彼らは今まで散々弱兵と蔑まれてきたのです。今のこの状況は彼らが待ちに待った汚名返上の好機。ここで奮起しない者はいないでしょう」
「にしてもお前も嬉しそうじゃないか」
「当たり前です。この戦で綱憲様の力を殿に示すことができたのです。仕えし主の活躍を喜ばないわけにはいきませんよ」
言葉通り、いかにも当然のように鹿之助は語る。逆にこっちが面映くなってきた。
しかし、力を示すか。
鹿之助は嬉しそうだが、晴久様からすればどう思うのだろう。
やはり不安に感じるのだろうか?警戒心を抱かせることになるかもしれない。
「武勲はともあれ、生き残れてよかったよ。これがまぎれもない俺の本心だ」
「綱憲様。まだ戦は終わっていません。慢心は死に直結しますよ」
「そうだが、あまり心配はしていない。鹿之助、お前が必ず助けてくれると信じているからな」
「もう、そんなことばかり言って……。そこまで信じていただけるならこの鹿之助、全力を以って殿の背中を守らせていただきます」
結果的に高所からの挟撃を食らうことになった宍戸軍は数百の被害を出して毛利の本陣に辛くも撤退した。それに対し攻勢をかけた俺たち尼子軍の被害は二百を少し超える程度。
まぎれもない、俺たちの大勝だった。
読んでくださりありがとうございました。
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