山吹城を巡る戦いは膠着状態に陥っていた。
どちらも将兵の回復に努めているためか、戦意に乏しく小競り合いに終始していて、俺たちは十日間、毛利方は二十日間もの間さしたる動きはなかった。あってせいぜい仙ノ山の北麓で小競り合いがある程度だ。
もし、晴久様の本軍が来てくれれば戦況は一変するが一向にその報せはない。
兵力が互角になっているとはいえ、この山吹城は石見と銀山防衛における第一の要所なんだから万全を期して五千でもいいから軍を出して欲しいところだ。
「なあ、一応俺たちって先触れだよな? 本軍ではないよな?」
「先触れではありますが……、綱憲様の言う鉄砲玉である可能性もあります」
皮肉交じりに尋ねると、鹿之介は溜息を添えて返した。
「しっかし、一万なんて捨て駒に使う人数か? 千だったらわかるんだけどな」
これに兵庫は首を傾げるが、こうまで本軍が来ないことを考えると、おそらくは捨て駒なのだと思う。
「いや、なくはない。というかこの先触れの中では当然だが、多胡どのの方が求心力がある。多胡どのが強く命じてしまえば、俺から指揮権を奪い取ることもできなくはない」
幸い多胡どのは声高に自分を主張するタイプではないが、晴久様から沙汰が下ればやりかねない。
ともかく、戦況の変動は晴久様のさじ加減にかかっている。
こればかりは俺にどうすることもできなかった。
しかし、対陣を続けてさらに十日が経った時、俺は衝撃的な光景を目撃した。
一文字三星の旗が西に動いているのである。
「いよいよ、攻勢に出て来たか」
と、警戒して山吹城の麓に物見を放ったところ、山吹城には目もくれずに俺たちが進軍して来た温泉津方面の街道を突き進んでいた。
「鹿之介、これは策と考えていいのか? 仙ノ山西方の山々に伏兵を隠していたりしたら洒落にならんぞ」
「綱憲様それはないと思いますよ。私が聞く限りでは、今以外に仙ノ山から西に兵が動いたという話はなかったはずです」
「そうだぞ、熊之丞。慎重なのはお前の長所だが、それでは好機を逃すぜ」
話し合った結果は慎重論一人、交戦論二人か……。
相手は謀神毛利元就。軽率な行動は控えるべきだが……。
そこで、俺ははたと気づく。
謀神毛利元就。その名はあまりに広まり過ぎている。事実、彼と対面した時その謀略を警戒しない武将はいない。だが、それでも元就に思い通りに動かされる武将は多い。
つまりは、向こうが警戒するのも元就の算段のうちだということだ。
となると、もしかして向こうは俺が警戒して動くことを躊躇することを狙っているのだろうか。
そう考えれば、物見や鹿之介の言葉との整合性が取れる。
最早話し合う時間すら惜しい。俺は床几から立ち上がり、下知をを飛ばしていた。
「全兵に告ぐ! これより尼子軍は毛利軍に追撃を始めることにした! 鹿之介と兵庫は俺に続き、多胡どのは本城どのに追撃に加わるように使者を出して欲しい! ここで毛利軍を打ち砕き、石見に安寧をもたらそうじゃないか!」
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「さすがは元春どのを下した男よ。二度も引っかかってはくれぬか」
尼子方の喊声を聞いた元就は苦笑いを浮かべていた。
今現在の元就は毛利軍全軍を引き連れて銀山街道を用いて温泉津方面への退却を指揮している。
山吹城で対陣して一ヶ月、忍原以前も含めれば三ヶ月弱もの間毛利軍は石見に留まっていた。そろそろ退却を視野に入れなければならない時期ではあったのだ。
「やはり南北を挟まれていては遠征もままならぬわい。おのれ、大友の小娘め。あやつの横槍さえなければ、今頃は塩谷の小僧を叩きのめせたものを」
しかし、多少な無理をしてでも元就は山吹城を落とそうとしていたのだ。
だが、それも豊後の大友義鎮が門司城に軍を進めたとなれば、諦めざるを得なかった。
大友義鎮と毛利元就は尼子家に対するものとはまた違った因縁を持っている。
かつて厳島の戦いの後の防長経略において陶晴賢に担がれていた大内義長……又の名を大友晴英を元就は殺してしまったのである。彼は義鎮の弟であり、義鎮はその死をひどく悼んだ。
それ以来、義鎮は元就を許し難き仇と思い定め、主に筑前と豊前で毛利軍と大友軍の交戦を続けている。
「ご注進、ご注進! 山吹城の本城常光、二千の兵を率いて出陣! 我らの背後を攻め立てております!」
「大義である。下がると良い」
伝令を下げさせたのち、元就は内心で溜息を吐いた。どうやら本城常光も易々と退却を許してはくれないようだ。
「塩谷綱憲に本城常光。一人のみならず二人に看破されるか。いよいよ謀神の看板を下げねばならぬかもしれないのう」
「父上、軽口を申している場合ではありません。一刻も早く温泉津に出なければ、毛利軍は大友と戦う余力を失います」
「隆景どのの申す通りよ。皆の者疲れておるだろうが、急げ」
元就ら毛利軍は銀山街道を駆けに駆けた。
しかし、度重なる山吹城の力攻めは毛利軍の力を確実に削いでおり、地の利も尼子方にある。
山吹城西南に建つ矢筈城と矢滝城の合間の峠を越えて、海岸線に出でてすぐのところにある降露坂で、ついに毛利軍は尼子軍と山吹城の守備兵の連合軍に補足されていた。
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毛利軍を追うこと半日。銀山街道の山深い道は果てて、眼下には日本海が見渡せる。
「ようやく捕まえたぜ毛利軍! その首おいてけぇぇえ!」
降露坂に兵庫の猿叫が響き、坂を下っている最中の毛利軍は恐れ慄く。
兵庫の武勇は鹿之介に比べれば一歩劣るが、俺には到底敵わない領域にいる。兵庫自身は俺と少ししか変わらないと言っているが、こと混戦になった時の斬り合いにおいてはその差が歴然で俺が一人斬る間に兵庫は三人を斬っている。つまりは兵庫の方が効率的に戦うことができるのだ。
「兵庫介だけに任せるわけにはいきません。私も向かいます」
鹿之介もまたそう言って毛利軍の中に斬り込んで行った。その武勇は比類ない。雑兵では百人束になって掛かろうが、全く鹿之介は疲労の色を見せなかった。
「まだだ……」
その戦いぶりを見ていると身体が滾ってくるが、ここはぐっと抑える。
戦いたいのはやまやまだが、俺はまだ乱戦の中に混じるわけにはいかないのだ。
「必ずや元就をここで討ち取る。そのためには、鹿之介たちが道を開くのを待つしかない」
鹿之介と出会ってから俺はずっと考え続けていた。
どうしたら鹿之介を救えるのかを。
俺の知る歴史では、山中鹿之介は尼子再興を願うが、志は成らずに播磨の上月城で滅ぶのだ。そして平成の世まで続く伝説になる……。
武将としてはその死に方は本懐なのだろう。
だが、それでも俺は鹿之介を死なせたくはなかった。後世の伝説になんてならなくたっていい。今の鹿之介と最期までずっと一緒にいたいのだ。
だからそれを叶えるために色々と考えてきた。とはいえ、良晴みたいに歴史の細かいところまで知らない俺に出せた答えは一つだった。
それは、尼子家を滅ばさせないことだ。
全て尼子家が滅びたから始まったことだ。ならば、尼子家さえ滅びなければ、鹿之介が非業の運命を辿ることはない。そして、どうすれば尼子家が滅びないかと考えを巡らせた結果、ある程度尼子が国力を残している状態で毛利元就を討ち取るという結論に落ち着いた。
「おそらく今回討ち取れなければ二度とチャンスはない。しくじるわけにはいかないんだ……!」
俺は緊張をどうにか抑えようと馬の手綱を必死に握りしめる。
そして、その時が来た。
坂の真ん中に綻びが産まれ、眼を凝らせば毛利元就の馬印が見える。
「おおおおおおおおおおッ!!」
俺は駆けた。
薙刀で、時には十文字槍で、近付かれすぎた時は居合で毛利軍を切り結んで行った。
もはや、未来人の感覚は消え失せ、躊躇なく進んでいく。
首を刎ねた。
腕を切り飛ばした。
心の臓を穿ち抜いた。
全ては毛利元就の首を取るために。
運命をねじ伏せて望む未来を手に入れるために。
「綱憲様! 毛利元就はあそこです!」
鹿之介と途中で合流し、さらに突き進んだ。
すると兵の海が果てて、騎兵が隊列を組んでいる光景が見える。
そろそろ元就の本隊が近いようだ。
あと200メートルぐらいか?
ともかく、もう少しで元就の首に刃を向けられる。そう、思った時だった。
「おやっさんはやらせんけえ!」
目の前を翡翠色の閃光が走った。
「吉川元春、か」
すぐに分かった。というよりも、この時に俺を妨げられるのは彼女しかいない。
陰陽最強の闘将。毛利軍の最終兵器。
そんな彼女がこんな展開の時に出てこないわけがない。
元春は強引に乗馬を俺の進路に差し入れて遮った。
「塩谷綱憲、勝負じゃけえ!」
猛々しく叫びながら腰の脇差を元春が振り抜いてくる。
吉川元春が居合の達人であることは噂に聞いていた。
確かに勢いは凄まじい。俺の技量では到底受け切れないだろう。
だが、別に真っ当に相手をしなければ、その限りではない。
そもそも、俺が相手をすると決まったわけではない。
「鹿之介!」
「お任せを!」
俺が叫ぶと乗馬が足を止め、代わりに二馬身後方にいた鹿之介が元春の脇差に槍を当てて止めてみせる。
剛勇の将には勇将を。適材適所というやつである。
卑怯な気がしないでもないが、死ぬ気しか起きない戦いをわざわざやる必要なんてない。
「吉川元春。ここは鹿之介で我慢しろ。総大将ではないが、武勇では山陰一だ。俺よりかは楽しめるだろ?」
「それとこれとは話が別じゃけえ!」
抜き去ろうとする俺に元春がとやかく言うが、黙殺して俺は元就が逃げる方角へ馬首を向けていた。
元就の首まであと少し。
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降露坂の戦いは惨劇の様相を呈していた。
坂を下る最中に毛利軍は尼子軍に逆落としをかけられて壊乱。
元就は隆景と数人の近習のみを率いてひたすらに逃げなければならない事態に陥っていた。
「隆景どのっ、塩谷綱憲はどこまで迫って来ておる?」
息も絶え絶えに元就は問う。
先程までは元春も元就と馬首を並べていたが、塩谷綱憲を視認すると同時に後方へと駆けて行った。
「真っ直ぐにこちらに向かってきております。どうやら姉上は躱されたようです」
「なんと……!」
隆景の答えを聞いた元就は背筋が凍った。
塩谷綱憲の執念はひしひしと元就に伝わっていたのだ。ここを逃げ切れなければ、確実に毛利家は滅ぼされる、と。
「このような時に、通がいてくれたならば」
渡辺通。
かつて元就が大内義隆に従って月山富田城の戦いに加わった際、撤退する元就の代わりにしんがりを務めて玉砕した男である。あの時も元就は軍勢を捨てて逃げねばならないほど追い詰められていた。
「思えば、あの時の退却路もこの降露坂じゃった。因果は回るとはよく言ったものよ」
ほんの一時のことと言えど、感傷に浸る元就。しかし、それすらも許されないほど事態は逼迫していた。
先程より馬蹄の音が強く元就の耳に聴こえてくる。
塩谷綱憲が、ついに追いついてきたのだ。
「父上、ここは私が近習を率いて綱憲を止めるほかない……。どうか、お逃げを」
意を決して隆景が馬首を翻し、綱憲と向かい合う。
隆景は弓の名手ではあるが、吉川元春に比べると心が繊細だった。表情には出してはいないが、今この場で綱憲を恐れているのは隆景である。
(しかし、それでも塩谷綱憲の手によって父上や姉者が討たれてゆくのを坐して見ているよりは、こうして戦うことを私は選ぶ)
つまるところ、小早川隆景とは心が繊細であるが、背を押してくれる家族を守るためならば、元春と同様に勇気を持って戦うことができる姫武将であった。
「待て、隆景どの。そなたと元春どのを失ったら、わしは妙久たんになんと申し開きをすればよいのか! そなたを死なせるぐらいならばわしが死ぬ!」
この行動に慌てた元就は隆景を止めようとするが、隆景は聞く耳すら持たず、矢をつがえていた。
(ここが、我らが毛利家の切所。厳島の神々よ、どうか我らに加護を与え給え)
隆景は心のうちで祈りながら矢を放った。
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馬が嘶き、視界が揺れる。
元就の背はもう見えない。
もはや小早川隆景の顔しか映らなかった。
背中に鈍痛が走る。
ちくしょう、あともう少しだったのに。
もう少しで、鹿之介に七難八苦の運命を味合わせずに済んだのに。
隆景は馬首を翻して南西へと駆けてゆく。
手を伸ばしても、もう届きやしない。
俺はこの時、尼子の天命は潰えたのだと理解した。
読んで下さりありがとうございます。
こっちはオリ大名ほど長くやるつもりはないので、総じて展開は速いです。まだ細かいところまでは考えてはないですが、多分三十話ぐらいで書きたい部分は書き終わる気がします。