断絶剪定事象――狂喜月香世界 ヤーナム 作:見捨てられた娘と共に空を見上げる
やっとこさ投稿でする。
ここまでバズったのは久しぶりですから、半端なものは出せん!と頑張っておりました。
ご期待に添える出来であれば幸いです。誤字などがあったらすいません。
前篇
破滅した街。滅んだ街。荒廃した街。
それらを、立香とマシュは見た事がある。人理救済の為の戦いの中、そういった場所は多く存在した。
……何処か不気味で、それでいて寂寥感に満たされるような寂しさと孤独が入り混じった空気感、それに包まれるように空々しく笑う街の文化の残り香が、やけに精神を圧迫して――あまり見たくない、と。
そういった所に来る度に、二人はいつも思っていた。
故に――この街の光景は、二人に強烈な衝撃を与えるにふさわしい末路だった。
「………」
「………」
視界に広がる街並み。
中世
それはまるで、現代的建設物の中に歴史的建造物が混じっているような。そんな、ある種の歪な雰囲気がそこにあった。
だが、それぞれの意匠が揃えられているからか、むしろその歪みが似合っていて――中世と近代が入り混じった、不思議な街並みになっている。
――
荒れ果てた煉瓦の道、半ばから折れたガス灯、乗り捨てられた馬車――吐き捨てられた死体のように思えるナニカ。
道の隅には、放り捨てられた荷物や何かが入れられた貨物が転がっていて、乱雑に壁に立てかけられた鉄の棺達は威圧的で、微かに揺れていたようにも見えた。
街に存在するその悉くが、壊れ、腐敗し――果てている。生を感じるものはなく、死の匂いが散らばる血と共に流れてくる。
赤と青が混ざれば美しい紫が産まれるが、そこに雑多な色が混ざれば、汚らしい色に成り果ててしまうように。
調和を無くしたこの街にあるのは――混沌だけ。
鉄錆びの匂いとそれに混じる、何か不思議な香りが鼻をねっとりと覆い塞ぎ、街の何処かから響き渡る“獣”の甲高い悲鳴がそれをよりいっそう引き立て、彩っている――残酷なほどに。
唯一、街を包む空だけが、何の混じり気の無いものだった。
日の赤みを、喰い尽くすように広がる夜の闇。
沈んだ日はもはや見えず、残っているのは地平線から飛び出る程度の光のみ。空を包む力はもはや無く……暗く、深い夜が空を支配し始めていた。しかし、その夜空に雲も無く、澄み渡っているというのに――星も無く。
夜空全てに居座るように、蒼の満月だけが夜空に浮かんでいた。
煌々と輝くソレは、まるで――立香とマシュの全てを見透かすが如く見つめてくる巨大な瞳のように錯覚してしまうほど、綺麗で大きい。
「………」
「………」
その光景に、二人は呑まれたように茫然としてしまう。それは今迄の二人からすれば考えられない失策だった。後ろには未だに男であった“獣”が蠢き、今まさに後ろからにじり寄ってくるかもしれない。他にも街の何処かから這い寄って来ないとも限らないのだ。
二人はかなりの善玉で、お人好しだが――長きに渡る戦いを潜り抜けた猛者の内には入る。
だからこそ、こんな危険な場所で茫然と突っ立っているな!馬鹿か!、と戦士系のサーヴァント諸君にはたかれても文句は言えなかった。
でも、でも――二人は、あまりの光景に固まるしかなかった。
――予感はしていた。だが、これほどとは思ってもみなかったのだ。
知らず、互いを繋ぎとめるように繋ぎ合せた手の平から感じる温もりが、辛うじて飛びそうになる意識を留まらせている。だがそれは――この“悪夢のような街”が存在するという絶望が、現実であるという事を二人に伝える事でもあった。
……二人が滅んだ街を好かない理由はたった一つ――死んでいるからだ。文明の跡を残しながらも、全てが死んでいるああいう場所が、怖くて嫌なのだ。
でも、でもこの街は――違う。気色がまるで違う。
――死んではいない。
満身創痍になりながらも戦い続ける存在に恐怖に近いモノを覚えるように。その目が、理解出来ないほどに強く輝き続けているのに忌避感を覚えるように。その口元が笑みを浮かべ続けていられている事に嫌悪感を覚えるように。
何を考えているのかも、どうしてこうなったのかも――想像出来ない、理解出来ない。
だからこそ。
街の惨状は、よりいっそう鮮烈で――
「――ぅあ……」
最初に我に返ったのは立香だった。
金縛りが突然解けたように、身体が言う事を聞き始める。それと同時に足の震えが除々に来て、身体の芯がゆっくりと冷えを感じ始めてきた。
何処を見ても感じ取れる破滅的な空気。それが底知れない恐怖となって、立香自身を襲っている。突如放り出される事には慣れっこだと自負していたつもりだったが――本当に、放り出されるという意味を理解していなかったと立香は思った。
特異点に行く際、殆どはカルデアとの通信が出来、且つ多数のサーヴァント達が隣にいてくれた。だからこそ、放り出されても何とかなったのだ。
今は――それが無い。
カルデアとの通信も、多くのサーヴァント達も無い。……マシュが頼りないという訳では断じてない。だけど、居ると居ないではかなり違う。
「……ああ、そういえば」
そこで。
立香はカルデアとの通信を試みる事を忘れていたのを思い出した。この場所に呑まれてしまって、そこを失念していた。
直ぐに手首に嵌めるブレスレット型になっている通信機を操作しようとして……その手を止める。
「ない」
そこには、何も無かった。それ自体が、異常以外の何物でも無かった。
レイシフトの際は、必ずそれを嵌めてから出発する。そうしてないと、カルデアとの通信が出来ないばかりか、カルデア側が此方の位置を把握出来ず、不測の事態が起きた時に大変だからだ。
「……診療所に置いてきた……?」
振り向いて先ほどまでいた建物――診療所を見上げる。遠くからは、未だに鉄を齧るうめき声が聞こえてきた。
手術台には無かった。だが、見落としていたやもしれない。それに立香達を運んだという医者が、物珍しいから持って行った……なんて事も考えられる。
数瞬、戻るかとも思ったが――首を振って、諦めた。
診療所にはまだ沢山の人々を襲った“獣”がいるかもしれないし……男であったものもまたいる。そこに戻ろうとは思えなかった。
それに――
「記憶が、ないし……」
レイシフトしたという記憶がない。
風邪を引いているマシュの隣で眠ったのが、最後の記憶だ。それ以降の記憶はまるでない。痕跡すらも。
「……“夢”か?夢なら、どんな悪夢だよって感じだけど」
であるならば、そういう結論に至ったのは当然だった。
眠った後の次の記憶が、自分でも分からないような場所。だから、夢と思うのは必然とも言えた。
どんな事があれば、こんな悪夢が見れるんだよ、と立香は空を仰ぐ。
「………」
広がる夜空には、満月だけが輝いていた。丸く大きいソレを見ているだけで睨まれているような錯覚を受けて、立香は目を逸らした。
逸らした視界の先には――茫然と街を見るマシュがいる。
「マシュ」
立香の声は、少し震えていて、何とは無しに情けなくなった。
しかし、このまま恐怖に震えている事は出来ない――それは立香の理性が、培ってきた感性が告げている。「行動せよ」と言ってくる。
このまま立っていた所で、何も起こらない。
待て、しかして希望せよ――という復讐者の言葉は、此処に至っては意味を為さないだろう。
待っていた所で、この街に呑まれてしまう。
街並みを見ただけでわかる――
まだ確信の域には無いが、誰かが『此処は特異点だ!』と叫べば、間髪入れずに頷く自信が立香にはあった。
「………んんっ」
ともかく。
まずは、目の前の後輩の意識を此方に向かせる必要があると立香は奮起する。
自分よりも怖がっている者がいれば、不思議と冷静になれるのと同じ心理だ。自分がしっかりせねば、という使命感が湧く。
立香はそれの下、震え固まるマシュの視界を覆い隠すように回り込み、焦点が疎らな彼女の瞳をじっと見つめる。……その瞳に映る自分の顔がやけに青白く引き攣っているように見えるが――立香は見なかった事にした。
「マシュ」
「えっ、あっ……――」
眠りをゆっくりと起こすように。眠りを思いっきり引っぺがす目覚まし時計ではなく、顔に落ちる窓からの優しい日差しを意識するように優しく、もう一度声を掛けると――マシュの瞳に焦点がゆっくりと戻って来た。
「せっ、先輩……すみません」
瞳に、真に立香を映したマシュは項垂れるように頭を下げた。彼女の身体は震えていて、気丈にも何とか止まらせようとしているのが余計に恐怖を煽って、震えをより確かなものにしていく。
立香を見つめ返してくる瞳には――明確な恐怖と不安が渦巻いている。彼女は気づいていないだろうが、縋るような印象すら与えてくる。
立香は……一つ深呼吸をして。
「とにかく、行動しよう。ここに居ても、何も始まらない」
街の全容は未だ読めず。そもそもどうして自分達が此処にいるのか、それすらもはっきりしていないのだ。であるならば行動以外に出来る選択肢は無い。
ここは特異点の可能性が濃厚で、“獣”という明らかな異常がある。調べる必要がある。調べなくてはいけない義務が――二人には、ある。
カルデアと連絡が取れないという事は隠した。これ以上不安を与えたくないという立香なりの配慮だった。
「そう……ですね。はい、行きましょう。先輩」
少しの逡巡の後、マシュは静かに頷いた。
先ほどとは少し違う、決意した顔だった。勇気を振り絞ったような、そんな表情。
それを見て、立香は安心感が湧き出てくるのを感じた。マシュは強い。自分は、彼女が居ないとこうやって冷静でいられないというのに。
だが、信頼出来る人が隣にいてくれる。これだけで何とかなりそうな気になってくる。
二人は何とは無しに少しの間、見つめ合った後。
じゃあ、先に進もうと歩こうとして――何かに引っ張られる感覚を覚えた。なにかと思えば、そこで気が付いた。
互いの手が、強く繋がれている事を。
「……ご、ごめん!」
知らずの内に、手を繋いでいた――そんな事に、妙な気恥ずかしさを覚えた立香は慌てて、手を離す。
お互いの手汗でじっとりと暖かった手の感触が、風で冷めて行くのを感じた。
それに何となく、残念な気持ちを抱いていると――隣から「あっ……」と聞こえる小さな声。
バレないように視線を向けると、マシュが手を離された体勢のままでいた。その表情に、寂しさは隠れていなかった。
何となく広がる、気まずい空気。
どう切り返したらいいのか、と立香が慌てていると――マシュは、立香の服の裾を控え目に掴んだ。
「その……繋いだままでいいですか?」
近づいた事による距離感の近さ。身長的問題によって発生した意図しない上目遣い。不安に揺れる表情、瞳。照れを残した赤みづく頬。
立香は、いきなり突如として網膜を襲ったこれらの不意打ちに感情の出し方すらも忘れ――固まった。
それを、マシュは変な勘違いをしたようで、わたわたと慌てだす。
「あっ、いえ!たっ、他意は無いんです!ただまた不測な事態が起きないとも限りませんしその時に素早く対処出来るようにと思っただけで寂しい、とか……そういう、のでは――」
慌てての弁明は、段々と尻すぼみになっていく。
立香はそれを見て、我に帰り、手持無沙汰になっているマシュの手を掴んだ。震えが、こっちにも伝わってくる。
この際、気恥ずかしいとかは無しだ。そもそも誰も見ていないのだから羞恥もクソもないはずだ。それに――こっちも握っていた方が安心する。
立香は、手から伝わる温もりを感じながら、マシュに笑いかけた。
「――行こう。大丈夫、俺も怖いから。一緒だよ」
「……はいっ!」
それに釣られてマシュも笑う。
ほんの束の間であるが、この状況を忘れた事で少しだけ心が軽くなったのを二人は感じた。
どうやら、立香達が先ほどいた診療所は街の端に当たる場所にあったらしく、先に進める道は一つだけ。
街の中に入る為の
その道ではない外れに、上の方へ登れる梯子も見えたが、何処に通じているのかも不明瞭である為、まだ歩いて行く先が把握出来る方がいいと二人は考え、道の方にゆっくりと入って行く。
互いの手は強く、しっかりと繋がれていた。
「まず必要なのは、安全な場所かあるいは現地の人と会う事だね。建物が沢山あるから人は住んでいるんだろうけど……」
立香はそう言いながら、道の両脇に佇む建物を眺める。立香達が歩く道の建物群は中世的で古めかしい事以外は、良くあるマンションの作りに似ていた。入る扉があれば、窓もある。ならば住んでいる人ぐらいは居そうなものだったが――
「人の気配は無さそうですね」
マシュは周りを警戒しながら、静かに呟いた。
そう、気配を何も感じない。魔力的なものは皆無と言っていい。本当に誰も居ないのか、それとも――息を潜んで隠れているのか、それは二人には分からなかった。
こういう時に、魔術の専門家であるキャスターなどが居れば、いるかいないかくらいははっきりしたものだが、立香もマシュも魔術についてはそれほど造詣が深くない。失敗すると分かってる事を挑戦しようとも思えなかった。
二人はいつ街の何処かから敵が来るかも分からない緊張感の中で、街の中を散策していく。
街に入って来てから、よりいっそう滅びを意識させるものが増えてきた。
死体はそこらに転がっているし、血の跡らしきものが至る所に散らばっている。それに、何の用途か分からない悪趣味な像が、規則性無く道に並べてあるのが、よりいっそう不気味さを引き立てている。
……あそこで強がってなくて良かった、と立香は手から感じる温もりに感謝した。
たまに聞こえる“獣”の遠吠えしか響かない沈黙。
必要最低限の会話しかしないという事は、敵に位置を知られないという面で正しかったが――何か気を逸らしたいというのが本音だった。濃密なまでの死の空気に辟易してくる。気分が盛り下がれば、比例して士気にも関わるのは今迄で一番学んだ事だ。
チラリ、と隣のマシュを見れば真剣に周りを警戒しているのが分かるが、手からその恐怖が伝わってくる。
何か軽い世間話でも――っと。思っていると、気になる所を見つけた。
「マシュ、階段だ」
道の脇に敷設された、上へ進む為の階段。
それを見て、立香は一回頷く。このまま進むよりはいいかもしれない。
そんな立香の様子を察せたのか、マシュも賛同するように頷いた。
「成程。上から街を見下ろせれば、様子を知る事が容易になりますね。歴史的建造物とかがあれば場所を特定できますし……――あっ!先輩、前に!」
話の途中で、何かに気が付いたマシュは、通りの先を指差した。
立香がそれを辿ると――かなり行った先の方に、人が数人歩いているのが見えた。
背中を向いているから、人相までははっきりしないが、きちんと服を着ていて、手には夜を照らす松明を掲げ、それ以外にも各々が何かを持っている。
通りは緩やかなカーブを描いているのか、集団の背は直ぐに見えなくなった。
二人はそれを確認した後――顔を見合わせた。
「……人だ」
「……ですね」
やっとこさ、第一街人発見である。喜ぶ………事は出来なかった。
前例があまりにも鮮烈で、おーい!なんて声を掛ける気にはならない。それに夜に松明を持って人通りの少ない道を集団で練り歩くなんて、何となく物騒だと立香達は思った。
一瞬、立香は階段の方を見たが、
「……ついて行ってみよう。取り敢えず……静かに、気づかれないように。話が分かりそうなら、話を聞いてみよう」
階段で上から街を見下ろして情報収集も出来るが、街がどういう風になっているかわからない以上、あまり分かりづらい所に行くのは自殺行為だ。その分、まだ敵かもしれない人達の後に続き、様子を見た方が情報は取れると立香は考えたのだ。
マシュもそれに否は無いようだった。
「わかりました。慎重に……慎重に……」
マシュはそう自分に言い聞かせる。
特に、彼女には手荷物がある。それも巨大な盾だ。身長よりも大きいので、何かの拍子で物に当たったり、地面を擦れたりして音を立ててしまえば、大変な事になるかもしれない。
それを防ぐために、マシュは意識して盾を少し持ち上げていた。
そんな生真面目な行動に、立香は苦笑を零す。緊張も少しだけ解れた。
マシュは盾が十分な高さである事に満足気に確認してから、何処か嬉しそうに笑いかけてくる立香を見て首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いや、やっぱマシュは癒し系だよ。うん」
「………?」
どうしてここで癒し系?っと余計に深く首を傾げるマシュに、何でもないと立香は笑う。
「んじゃ、ひっそりと後を付けよう。退路も確かめながらね」
「はい。先輩は前を。私は後ろに気を付けながら進みます」
「うん、助かるよ。じゃあ――」
「――きゃあああああ!!」
そこで、女性の劈くような悲鳴が響いた。
「マシュ!」
「はい!」
二人は直ぐに体勢を取る。
悲鳴の場所は近く。そして、その特定は直ぐだった。
バンッ!と開かれたのは、立香達の十数歩前の建物の扉。そこから這う這うの体で、道に転がりこんできたのは小さな老婆だった。躓き、尻もちを付いても直ぐに後ずさりする。余程ナニカ恐ろしい者が、扉の先にいるらしい。
老婆の下に駆け寄ろうとした足は、一瞬止まる。
扉の奥から――誰か出てきたからだ。
「くっ、来るんじゃないよ!あんたは私が“獣”に見えるってのかい!」
近世的な服に身を包んだ痩身の男。その手には手頃なサイズの斧が握られている。
そして――腕は異常に延び、服の下からは多くの毛が飛び出ており、顔は最早人の顔に近い獣の人相だった。
顔を隠すように目深に被った帽子、その下は念入りに目を隠すように包帯が付けられていたが、それは緩んでおり、そこからは瞳孔が蕩けた目が爛々と輝いていた。
「“獣”だ……汚らわしい、“獣”だ……!』
憎しみが込められたその叫びは甲高く、耳障りだった。老婆の言葉にも耳を貸さず、男は一歩一歩老婆へ近づく。カラカラ、と引き摺られた斧が鳴る。
老婆は最早、叫ぶ事も出来ず、ただ血に塗れた斧の刃をおぞましそうに見つめるだけだった。
それらを見て――立香達に相談は無かった。
「マシュ!押し出せ!」
「――了解!」
マシュは今にも斧を振り上げようとしている男へ、鋭く接近。その勢いのまま盾で体当たりをする。横合いからの突然の衝撃に受け身の一つも取れず、盛大に男は吹っ飛ばされた。
マシュは男から目を逸らさずに、一歩前に出て、尻もちを付いている老婆を後ろに庇う。立香はその間、周りを警戒しながら、老婆の介抱をする。
特に怪我は無いようで、立香が差し出した手を突っ掛かりに、老婆は問題無く立ち上がった。茫然と、立香とマシュを交互に見ながら。
「あっ、あんた達は……
「危ないです!彼女の後ろに!」
立香は、老婆に注意を促した後――目の前の敵を見やる。
「この匂い……クソのようなよそ者の匂い……!』
よろよろと立ち上がった男は、明確な敵意を以て立香達を睨んだ。斧を力強く握りしめ、確かな足取りで立香達に近寄ってくる。
戦闘は避けられそうにもない。立香は、油断無く構えるマシュに声を掛けた。
「マシュ。……正直、判別がつかない。
「はい。マシュ・キリエライト、行きます――ッ!!」
奇声と共に、男は斧を振り下ろした。それは腕力だけの力任せの攻撃であり、異様に延びた腕によってか、リーチは伸びて鋭い早さだったが――その程度。
幾度の戦いを乗り越えたマシュにとっては、攻撃にすらならない攻撃だった。
難なくそれは盾によって受け切られ、鉄と鉄が思いっきり打ちつけられた衝撃で、男は大きくのけ反った。マシュはその隙を残さずに男に一歩近づき、鋭い掛け声に合わせ、殴りつけるように盾を強く振った。
たとえ盾でも、マシュよりも大きいこの盾は、巨大な鉄塊に他ならない。純粋な物理エネルギーに、男は防御も取れずにまともに喰らう。
「ぐぅゥ……!!』
「――ハッ!」
マシュはそのまま、足を力強く踏み締め、その勢いで強烈な体当たりを喰らわせた。
中国武術最強先生直伝の功夫によって高められたソレは、男を吹き飛ばし――建物の壁に、叩きつけた。
男は頭を強かに打ちつけたのか、呻きを一つ零した後に動かなくなる。身体は上下しているので死んではいないらしい。
それを確認したマシュは、溜息を一つ零して、盾の構えを解く。
「……戦闘、終了」
立香はその一瞬の戦闘を見て、マシュの力が完全に戻っているという事を再確認した。キャメロットやバビロニアで自分を守ってくれた背中が戻って来た事。それは純粋に嬉しい事だった。……どうして、という疑問は残るが。
マシュ自身も、驚いたように自分の身体を見回した。
「先輩……私、大丈夫そうです」
「うん。色々疑問は残るけど、今は良かったという事にしよう。おめでとう、マシュ」
「はい!……今は、それよりも――」
マシュは喜んだのもつかの間――視線を気絶している男に向ける。立香もそれに続いた。
人型ではあるが、やはり人ではない。異様な風体がそれを証明していた。診療所の男のように、この男も“何か”によってこうなってしまったのだろう。
「魔術的な呪い……でしょうか?」
「んー……否定は出来ないけど――
「はい、そこが気になります」
明らかにおかしくなっている。
なのに――魔術的痕跡が感じられない。ただ単に、立香やマシュに感じる事が出来ていないだけという可能性は否定出来ないが、それでも今迄様々な戦いを乗り越えて来ている。その手の感覚は、培っているという自信はあった。
ならば――もっと現実的に、
「ウィルスや細菌によるものでしょうか?」
「バイオハザード的な?」
「はい。バイオハザード的な、です」
魔術で無いならば、科学的視点。菌類による変異ではないかと二人は疑う。
滑稽かもしれないが、魔術があるのだからこういう風になるものもあるのかもしれない。今はカルデアでヤクをやるのが仕事になりつつあるミスター・ホームズの名言もある。『不可能な事を除いて、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても――それが真実となる』
これはある意味、特異点では良くある事だった。
二人は少しだけ、あーでもないこーでもないと気絶している男を刺激しないように調べていると――ふと、マシュがキョロキョロと辺りを見渡す。
敵か、と立香は身構えたが――そうではない。
「あれ?先輩――先ほど助けたご老人は?」
「……へ?そこに……」
そこで、立香も気が付いた。
さっき助けた老婆が何処にも居ない。そういえばマシュとの戦闘が始まった時に注意を呼び掛けたぐらいで、それからは気に留めなかった。……いつもなら助ける相手はちゃんと認識するのに、と立香は悔いた。知らずに余裕がないのかもしれない。
ともかく。危険な目にまた合っていたら大変だ。
二人は協議を中断し、辺りを見渡していると――
「おぉーい!“獣”!“獣”だ!よそ者の“獣”がこっちにいるよ!!」
そんな老婆の――大声が聞こえた。
反射的にその方向を振り向くと、老婆は先ほど見かけた階段の上に居て、大声を上げては指を差している。
その方向は、寸分無く――立香達を向いていた。
「なっ……なんで……!」
突然の事に戸惑いながらもマシュが声を上げると、それに気づいた老婆は――醜悪な表情を隠さないまま吐き捨てるように叫んだ。
「はん!何のつもりか知らないが、ちょっと助けた程度で私が絆されると思ったら大違いだよ、よそ者め!元はと言えばあんたらのせいだろう!?皆そう言ってるんだ!よそ者が不躾にヤーナムに関わったらこんな事なったんだ!」
あんまりにもあんまりな言葉。それが理由……
「せめて、私の代わりに囮になっとくれよ。ほら、さっき助けてくれたみたいねぇ!うふふっ……うははは!!」
狂笑を上げる老婆は――気づかない。
老婆の叫びに誘われてきた男が、後ろから斧を老婆に向かって振り上げているのに。
「危なっ――!!」
マシュの警告は届かなかった。
老婆の笑いは――肩口から胸の辺りまで食い込んだ斧によって止まった。老婆は、何が起こっているのかもわからないような顔をしている。
斧を振り下ろした男は、力任せに斧と共に老婆を薙ぎ倒し、身体を足蹴にして斧を引き抜く。
そして、男は強く斧を老婆に振ると――何かが、飛んだ。ソレは、階段を一段一段降りるように転がって来る。
――ソレは、老婆の首だった。
「せっ、先輩……!」
「くそっ――」
だが、二人にそれを嘲る事も心を痛める時間も無かった。
通りの先から、それと立香達が歩いてきた道からも、老婆の声を聞いて誘われてきた者達が近づいてきたからだ。全員が全員、それそれ人型――というだけであるのは明確だった。
「呪われた“獣”め……』
「呪いだ……酷い、呪いだ……』
「去れ!この街から出て行け!!』
斧を持った者、鍬を持った者、松明を掲げ、木片を纏めて盾のように持つ者……数えきれないほどの群衆が――二人に迫って来ていた。
マシュの力が戻ったとはいえ、この数を相手にするなんて無謀な事は出来ない。それも前からも後ろからも迫って来ている。二人だけで戦うなんて選択肢にもならない。
「――こっちだマシュッ!」
唯一の道は――階段を上るのみ。
立香は、マシュに声を掛けながら、脇目も振らずに駆け出す。足に何かが引っ掛かったなど考える余地もない。
階段の上にいる男は、立香の事などどうでもいいように。低く気味の悪い笑いを零しながら首の無い老婆の身体を切りつけている。
それに吐き気を催すのも後だ。先の道には、運が良いのかそれ以外誰も居ないように見える。
階段の下で、群衆を牽制するマシュは立香に声を上げる。
「私が先行しますか!?」
「いや、こっちには居なさそうだ!マシュも早くこっちに!こんな数、流石に……!」
階段を登った事により、通りが良く見える――何処に隠れていたのか、数十人の群衆がこっちに近づいて来ている。走らず、追い詰めるように歩いて来ているのが恐ろしく――全員の目が、立香達を睨んでいるのが背筋に冷たいモノを奔らせた。
そうこうしている内にマシュも階段を上がってくる。それを確認した立香は、マシュを連れて道なりに走る。何処でもいい。
隠れる所か、撒く所を探すが――
「ああっ……行き止まり……!」
道の到着地は――狭い広場とも言えない場所。左は、見渡しの良い光景があり、その下へ梯子が繋がっている。診療所の前で見えたのがそれだろう。降りれば群衆の後ろに回り込めるが――
「先輩!はしごからも来てます!」
いち早く梯子を確認したマシュは、悲鳴のような叫びを上げる。十人ほどの群衆が我先に、と梯子を上がっていくのが見えたからだ。
残るは、広場の先にある小さな扉。街の奥に通じるものだろう。
立香はそれに駆け寄って開けようとするが――ガチャガチャと残酷な音を響かすだけで、開く事は無い。
「……っ!先輩、どいてください!壊して先に――!」
「いや……駄目だ」
マシュは盾を構え、扉を壊してでも進もうとするが――扉の先から此方に近づいてくる群衆が見えて、それは断念するしかなかった。
「っ……!」
道からは群衆。梯子からも、閉じられた扉からも――道は完全に塞がれた。
マシュの先ほどの戦いぶりを見れば、一人か二人ぐらいならば問題無く対処出来ただろう。だけど、四方八方からそれも沢山来られてはどうしようもない。
マシュは
――万事窮す。それが今の二人を現すに、ふさわしい言葉だった。
「先輩……」
「こうなったら一かバチか突破するしか……」
道からは群衆が捉えたと言わんばかりの狂相を浮かべながらにじり寄ってくる。梯子から異様に延びた腕が、飛び出て来た。カチャカチャ、と扉を開ける音も聞こえてきた。
もう破れ被れに――と、思ったその時。
――足を、誰かが突く感触が伝わって来た
群衆が後ろからも!?と立香は振り向くが――そこには誰もおらず、目の前には群衆が、梯子からには一人が登り終わり、扉の鍵が合わなかったのか力任せに壊そうとしている。誰も、立香の足に触れるような事は不可能だ。
焦燥感から湧いた気のせいか、と思っていると――足元。
その足元から、白い歪みととも謎の小さな白い人型生物が這い出てきていた。小さなうめき声を上げているソレは三匹ほどで、骨ばった手で立香の足を撫で、見上げている。
「うぇ……!?」
その顔はお世辞にも可愛いとは言えず、群衆の事も一瞬忘れてビビる立香に構わず、その白い生物達は――歪みから何かを引っ張り出してきた。
それは、
白い生物達は、そうした後――ただ立香を見上げていた。
それはまるで……やる事はわかっているだろうと告げているようで――
「先輩……!!」
ランタンに気を取られていた立香は、マシュの叫びに我に返る。
最早、群衆は目と鼻の先にまで迫っていた。梯子から群衆が這い上がり、扉を粉砕した群衆が近づいてくる。いままさに武器が振り上がる、と思った。
その時――立香達と群衆を囲むように、空間に歪みが現れた。
それにリアクションを起こす前に――そこから光り輝く触手が伸びて、突如として群衆を攻撃し始める。鋭い鞭のような攻撃が四方八方から受け、群衆は混乱状態に陥って行った。
その触手には、二人は見覚えがあった。
だが――立香は、それどころじゃなかった。
「……これは……」
「マシュ、こっちだ!」
マシュの手を掴んだ立香は、ランタンに向けて指を鳴らす動作をする。小さな音と共にランタンに、不思議な紫色の灯りが灯った。
そして――――――――
突如として空間の揺らぎとともに現れた光り輝く触手は、一通り、群衆をシバき倒して死体に変えた後――どうだ!と言わんばかりに全ての触手の先っちょを立香達が居た方向に見せつける。
が――
触手は一斉に硬直し、彼らがいたであろう所を先っぽで撫でるも、それは虚しく宙を切る。
それを認識したのか、プルプルと震えた後――混乱したように……または狂ったようにびちびちびちびちと、触手が辺りをのたうち回った。
しかし――
――――――――――
■エネミーデータを更新。
・獣狩りの群衆。
遅々として終わらぬ“獣狩り”に業を煮やし、蜂起したヤーナム市民達。
“狩人”のような特別な武器は持っていない為、代わりに薪割りの斧や藁を梳く鍬、ボロ板を繋ぎ合わせただけの木の盾、轟々と燃える松明などを手に、“獣”を探し、夜のヤーナムを彷徨っている。
しかし、彼らの腕は異様に伸び、服の下からは黒い獣毛が溢れ――その瞳は崩れ、蕩けている。
人からすれば彼らこそ“獣”であるのだろう。しかし――彼らから見れば、人こそが“獣”に映る。
“病”の熱に浮かされたまま、彼らは“獣”を求め彷徨い続ける。
――最早、忘れ去った何かの為に。
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