みーくんの青春   作:氷の泥

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03 後日のみーくん

「まさかバス乗って早々に寝るとはな」

 昼休み。僕の後ろの席で片手にパンを、もう片手にパックの牛乳を持った久保が僕を煽る。何を煽られているのかというと、修学旅行の行きのバスに乗り込んでから十分と経たないうちに僕が寝てしまったことだ。

「いやー、早起きだったからさ」

「帰りならともかく、行きのバスで隣が寝た人の気持ち考えたことある? 喋るやついねぇし、峰岸に「隣が寝ちゃって暇そうな久保くん!」ってクイズに答えさせられるし」

「ごめんって」

 クイズというのはたぶんバス内レクのことだ。元々バスの中で何かしらのゲームを行うことは決まっていたし、それを仕切るのが峰岸さんだということも決まっていた。ゲームの内容がクイズだったことを確認できていないのは僕だけだろう。久保の言う通り、普通は行きのバスで熟睡する人なんてそうそういないはずだから。

「んでもって帰りもばっちり寝てたしな」

「帰りは疲れてるんだから仕方にゃくにゃい?」

「俺の友達は未来から来た青い狸だけだったよ」

 帰りのバスにはレクがない予定だったけど、その口ぶりからするに僕が眠っている間の車内ではド○えもんの映画が上映されていたようだ。

 小学生の頃からずっと、バスの帰りは未来のネコ型ロボットの映画が上映されると相場が決まっているのだ。そして、上映される映画はなぜか例外なく古めの物というのも決まっている。

「悪かったってば」

「許してしんぜよう、映画わりと楽しかったし」

 僕をいじるのにも飽きた様子で、久保は残りのパンを一気に口に押し込んで牛乳でそれを流し込んだ。ぺっちゃんこになったパックを見るに空になったらしい。パンと飲み物の配分を完璧に管理して食べるとは、こいつできる……!

「ちょっとトイレ行ってくるわ」

「いってらー」

 パンの袋と牛乳パックを握りしめたまま久保は席を立ち去っていった。ついでに捨ててくるのだろう。いや、もしかしたらトイレの方がついでなのかも……ってどうでもいいか。

 取り残された僕は、椅子が引かれたままになっている久保の席を見つつ軽く途方に暮れる。安良岡さんと別れた今、久保がいなくなってしまうともはや話し相手がいない。話し相手がいないと、昼休みなのに特にやることがない。

 ふと峰岸さんの席の方を見ると、やっぱり彼女はそこに座って本を読んでいた。僕も今度からは何か読み物を持ってきた方がいいかな。

「みーくん!」

「わっ」

 視界の横の、さらにその横あたりにある死角から声をかけられてちょっとびっくりした。女の子の声だった。

「あ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど」

「え、いや僕こそ、ぼーっとしてて。……で、にゃにか御用?」

 声をかけてきたのは横田さんだった。彼女はざっくり紹介するなら、ウチのクラスのカースト上位系女子だ。いつもたくさんの友達と一緒にいて、ちょっと声の大きいイメージがある。発言力という意味もあるけど、それよりも単純に声量が。

「御用っていうか、あのさ、もし暇だったら一緒にトランプやらない? 大富豪」

 ふと彼女の後ろを見ると、彼女の友達メンバーが机を寄せ固めて座ってお喋りをしているようだった。たぶん重鎮感のあるおじさんたちが同じようにお喋りをしていたら、何か重大な会議の風景に見えるんだろうなと、そんなどうでもいいことをなんとなく想像する。

「え、いいの? やりたいやりたい」

「よしよし、じゃあやろう!」

 実際に手を引かれたわけではないけれど、あっという間に僕は彼女の雰囲気に引っ張られて、女子のお喋り会議が開かれる机の島にご案内された。

 しまった自分の席から椅子を持ってくるのを忘れた……と思った矢先に横田さんが手近な位置にあった誰にも使われていない椅子を、つまりは他人の椅子を無許可で引っ張り出してきて、ぼくのために設置してくれた。おそるべしカースト上位系女子。

「さあさあ座って座って。みーくんは途中参加だから、まぁ平民からスタートかな」

「あ、うん。ありがと」

 言われるがまま着席する。誰の椅子かちょっと記憶がおぼろげだけど、持ち主が帰ってきた時に気まずい感じになったらどうしよう。

 いかにも場を仕切っているボス感のある横田さんだけど、トランプをシャッフルして配る役は別の人がやっていた。別に横田さんは仕切りたがり屋というわけではないらしい。ただ無意識にそう振る舞っているんだろうきっと。僕には真似できないからちょっと尊敬する。

「あ、ちなみにウチら8切り以外は特に普通のルールでやってるけどいい?」

「うん、わかった」

 配られた手札を見てみる。ジョーカーはなかったけれど2と8が一枚ずつあったし、悪くはないのではなかろうか。

 とかなんとか考えていると、教室に戻ってきたばかりの久保と目が合った。彼はいつの間にか女子の島に紛れ込んだ僕を特に気にするそぶりもなく、自分の席に戻ってバッグからなにか文庫本を取り出して読み始めた。

「おーい、みーくんの番だよ。どこ見てるの?」

「あっ、ごめん、はいはい」

 なんとなく久保を目で追ってしまっていた。気を取り直してゲームに戻る。やるからには僕だって勝ちにいくぞ!

 そして数十分の死闘の末。身分が平民から一歩も動かない、落ちもしなければ上がりもしない状態の僕の耳に、ある時昼休み終了を告げるチャイムの音が流れ込んでくるのだった。

 

 放課後になって、今日も久保と仲良く帰ろうとしていた僕のところへ、思わぬ人物が駆け寄ってきた。いや、思わぬというのは、少し違う。彼女が僕に話しかけてきた時、なんとなくの方向性は見えた。

「みーくん、今日ってこのあと時間ある……?」

 無い、と言えば快く引き下がってくれそうな、威圧感とは対極的なほんわかした雰囲気で峰岸さんは僕に訊いてきた。

 思わず隣にいた久保に視線を送る。いいよ別に、と言われた気がした。

「えーと、うん、大丈夫だよ。にゃにか……?」

「ちょっと手伝ってほしいことがあって」

「僕に?」

「そう」

 峰岸さんは深く頷いた。たぶん、必要以上に深い頷きだったと思う。

「俺は?」

「久保くんは大丈夫」

「あ、そう。じゃあ帰るわ」

 じゃあな、と僕に手を振って久保は廊下の隅の階段へと姿を消していった。

 峰岸さんが自分から誰かに話しかけるタイミングというのはおそらく決まっている。誰か困っている人に助けの手を差し伸べる時か、そうでないのなら業務連絡か。今回は明らかに後者だ。

「で、僕に手伝ってほしいことって……?」

「運んでほしい物があるの」

 そう言って廊下に振り返った彼女が、ついて来いと言わんばかりに結構すばやく歩いていくので、僕もあわてて追いかける。

 運んでほしい物って一体なんだろう? 力仕事なら少なくとも僕よりは久保の方が適しているはずだけど、僕をご指名だもんな。うーむ、わからん、百聞は一見に如かずだ。 

 階段を下りて一階の一番隅っこへ。授業で見たことなんかない、いつ使われているのだか分からない地球儀などの小道具や、体育祭の時に出てきた覚えのある点数表などがごちゃごちゃと乱雑に置かれた、半ば倉庫と化している部屋へ案内された。

 ここに何か峰岸さんの運ばなければならないものがあるのだろうか。どちらにせよ、やっぱり久保を連れてきた方が正解だったと僕は思う。

「あ、ごめん、扉は閉めて」

「え? あぁ、うん」

 言われて反射的に横開きの扉を閉める。閉めてから、何かを運び出すなら開きっぱなしにしておいた方がよかったんじゃないかと思ったけれど、かといって閉めろと言われたのに開けるわけにはいかない。

 もしかしてこの部屋の中でなにか作業をするのだろうか。この散らかった倉庫のような部屋で……一体なにを? やっぱりわからない。

「あの、峰岸さん……? にゃにか運び出すにゃら扉は開けておいた方が」

「ううん、いいの」

「あ、そう? …………え? で、にゃにをすればいいの僕は?」

 正面の窓から校庭が、そしてそこで部活動にいそしむ人たちの風景が見える。僕も久保も帰宅部だけれど、正直授業を終えたあとでまだ追加で実技系の学業をやるような部活動には、僕はとても入れる気がしない。続けられる気がしない。だから窓の向こう側の人たちにはいつも尊敬の念を向けている。

 ああ、そういえば、僕をこの部屋に案内するためにサッサと廊下を歩いていた峰岸さんが、部屋に入ってからずっと未だに背を向けている。彼女も部活動に何か想いがあるのかもしれない、僕と同じ帰宅部だから。この学校、帰宅部の人数は結構多いんだ。

 と、峰岸さんがカーテンを閉めた。校庭とこの教室は、視覚的にも遮断される。

「みーくん。いや、深山瞬くん」

 名前を呼ばれた。いつもの彼女とは打って変わって、少し冷たささえ感じる声だった。

「え、あ、はい。にゃんでしょうか」

 しまった、と咄嗟に口元を抑える。何かわからないけれど、峰岸さんの雰囲気が変だ。神妙だ。こういう時に、僕は「な」という文字を口にしてはいけない。安良岡さんとのことで学んだこと……学んだはずのことだった。

「安良岡さんと別れたんだってね」

「えっ」

 まったく予想外のことで頭が真っ白になった。その話題がここで出てくるのか。いや、もしかしてこれが女子の世界での「雑談」なのか。

「まあ、うん」

「どれくらいの間付き合ってたの?」

「えっと、一年くらい」

「楽しかった?」

「え、まあ、うん。……そりゃあね」

 何が言いたのかよくわからないけれど受け答えだけ続けていると、急に峰岸さんが僕の方へ向き直った。その時の光景は、彼女の長い髪が、「ふわりと舞った」とでも表現すればいいのだろうか。なんだかその瞬間の彼女は、とても綺麗だった。

 が、それで僕は余計に混乱する。なんだ、なんなんだこの状況。

 そして、混乱してちょっと目を泳がせている僕に、彼女は急接近してきた。別にとって食われるわけじゃないのに、距離を詰められた……と本能的にあせってしまった。不思議とその時の彼女には、未だかつてない威圧感があったのだ。

「私じゃダメ……!?」

 お互いの吐息も当たりそうなところまで、彼女が顔を僕に近づける。突然のことで正直びびった。

「わっ……!? えっ……!? え、にゃに……!?」

「安良岡さんの代わり、私じゃダメ……?」

 気が付くと峰岸さんは僕の両手を握っていた。懇願するような印象を受けて、もし跪かれたら物乞いを連想するかもな、いやそれは失礼だ、なんて考えが頭の中に浮かんでくる。要するに、今の僕はまともな思考をしていない。

「か、代わり? え、にゃに、どゆこと」

「みーくん、安良岡さんと付き合ってて楽しかったんでしょ? じゃあ私を代わりにしてよ。悪い話じゃないでしょう……?」

 本当に乞うような目をするので、僕は今の状況が掴めなくなってくる。なんだか普通と違っておかしいけれど、でもよくよく考えてみると、これは、これはもしかしてそういうことなのか。

「えーと……? あの……あー……えーと……、勘違いだったらすごく恥ずかしいんだけど」

 一言一句聞き漏らすまいと僕にくぎ付けになっている彼女にそれを言うのは、僕の人生史上まさか訪れるとは思わなかった機会なので、なんだか現実感がなくてふわふわした気分になる。

「付き合おう……ってこと?」

 言ってから自分の顔が熱くなるのを感じた。これ、僕の恥ずかしい勘違いだったら、どうしよう。恥ずかしさのあまり発狂してしまうかもしれない。

 けれど幸運にも、峰岸さんは僕の手を握ったままブンブンと首を縦に振った。勘違い野郎にならなくて安心する反面、なんだかより一層現実感はなくなっていって、手を握られてさえいなければ頬でもつねりたいくらいだった。

 そして、そんな夢のような気分のまま、

「……にゃ、にゃんで?」

 僕の口から出た言葉は返事でさえない、それだった。

「なんで……って?」

「いや、その、例えば、例えばだよ? 峰岸さんがその……いや仮にね? 仮に、僕のにゃにかしらの部分を気に入って、好きだってにゃってくれたにゃら、それで付き合おうって言ってもらえたら、正直僕は喜んでオーケーしてたと思うけどさ」

 誰かに好意を伝えられることは嬉しい、もちろん受け入れたくなる。誰だって多かれ少なかれそうだろうけど、特に僕は、たぶん他の人よりそういう部分が大きいと思う。

 けれども、じゃあ好意さえもらえれば何でもいいのかというと、そうとも限らない。

「でも、にゃんで安良岡さんの代わり……?」

 峰岸さんはきょとんとした顔をして答えた。

「みーくんが喜ぶかと思って」

 心外だった。

「たしかに安良岡さんと遊んでた時は楽しかったし、別れた時はかにゃしかったよ。でも、誰かに代わりをやってほしいとは思わにゃい」

 なんだか、自分に言い聞かせている気分だった。峰岸さんが僕の両手を放した時に、その時になって今さら、僕はちょっと後悔してしまった。

 嘘を言ったつもりも見栄を張ったつもりもない。けれど、それで僕は彼女の告白を、好意を蹴って、本当にそれでいいのか。それで僕は幸せになれるのか、彼女が幸せになれるのか、誰か幸せになれるのか。逆に、安良岡さんの代わりとやらを受け入れると、誰かが不幸になるのか。

 もしかすると今、取り返しのつかないものを手放したかもしれない。そう思ってしまう自分を、僕は少しだけ嫌いになりそうだった。

 できることなら、このままかっこつけていたかった。

「でも、でも、付き合おうって言ってもらえたこと自体は、嬉しいよ本当に……! 本当に……!」

 泣き出しそうだった目の間の女の子が、太陽みたいに笑うのを見た。かつてどこかで、別の誰かに似たものを見た気がする。

「よかった」

 後ろに数歩引いて僕から離れた峰岸さんが、提出物を催促する時みたいな表情と声で言う。

「返事はいつでもいいから」

「え……」

 僕が意味を理解できずに棒立ちになっていると、親切な彼女は付け加えて言ってくれる。

「帰っていいよ。引き留めてごめんね」

「え、でも何か運ぶ物が」

 ふふっ、と笑われた。悪意のないことだったというのは充分に伝わってくる。

「騙してごめんなさい、運ぶ物なんてないの」

「えっ」

 ばいばい、とでも言う風に胸の前で小さく手を振られたので、僕は彼女の作り出すその空気に逆らうなんて思いつきもせず、倉庫のような部屋を後にした。廊下に出てから、あれはばいばいじゃなくて、出て行ってという意味だったのかもしれないと思った。

 返事はいつでもいいから。……確かにそう言われた。確かに僕はさっき、了承もしなければ拒否もしなかった。

 またいつか、僕は彼女の告白に返事をしなければならない。早い方がいいだろう。けれども結局彼女の真意はわからないままだ。なんで代わりなのか、なんで僕に、僕なんかに告白してくれたのか。何もわからないままで、返事を出さなければいけない。きっと「なぜ」と聞けば聞くほど、僕の出せる返事は狭まっていくだろう。聞くだけ聞いて、それならやっぱりさようならなんて、言える気がしない。

 けど、じゃあ、今の僕なら「ノー」と言えるのか? そもそも僕はノーと言いたのか? もはや何もわからない。いっそ彼女の勢いに流されてしまいたいと思った。それが悪いことだというのは、わかっているけれど。

 

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