明治の向こう   作:畳廿畳

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間に合った

本日2話目です、ご注意を


では、どうぞ







19話 横浜暗闘 其の漆

 

 

 

 

 

 

 

十日前に起きた爆発事故は横浜を、そして明治政府を騒然とさせた。

 

 

当の家屋は木っ端微塵に消し飛ばされ、辺り一帯は火の海となった。

 

建屋と建屋の間がそれなりに開いて建てられていたため延焼は少なかったが、それでも20棟ほどの建屋が消し炭となってしまった。

 

焼け出された者たちは全員が商人で、何時でも逃げられる準備をしていた事が功を奏したのだろう、奇跡的に死者は()()しかおらず、負傷者も皆、軽傷で済んだ。

 

 

国際港横浜での火事を重く見た政府は全面的に捜査に乗り出すよう、東京警視本署並びに神奈川県警察に全力出動するように指示した。

 

 

そして捜査の結果、火元はレオナ・マックスウェル商店と断定。

当人と思しき遺体も確認されたが、頭部が切断されていたことから殺害後に火を付けられたと推定。

殺人及び死体遺棄、そして放火の容疑で目下犯人を捜索中である。

 

そして、近くに倒壊した建屋の下敷きになっていた形で、一つの白骨遺体が発見された。

今回の火災事件と関係があるとみて、警察は身元の確認を急いでいる。

 

 

横浜の英字新聞には、そう書かれていた。

 

 

「センセーショナルな記事だけど……なんだかなぁ」

 

 

自分のデスクに行儀悪く足を置き、万年筆を口にくわえてボヤく女性。

エミー・クリスタルは一週間ほど前に出版した自分の新聞を見ていた。

ただそれは文字を読んでいるのではなく、紙面をただ呆と眺めているだけだった。

 

 

(この見つかった白骨遺体って、あの人なのかなぁ……)

 

 

記事を書いていた頃から続く答えの出ない自問を、彼女は再び胸中で呟いた。

 

彼女は十徳が犯人だとは露ほども思っていなかった。

犯人だったら態々自分を巻き込まないからだ。

 

きっと彼も何かに巻き込まれたのだろう。

 

 

なればこそ、件の白骨遺体が彼である可能性は高い。

 

被災した人たちに聞いて回ったところ、身の回りで死んだ人が居ないということが分かったのだ。

関係のない人の可能性もあるが、あの人である可能性も十分にある。

 

そう思うと、いたたまれなくなった。

 

別段、仲の良い関係だったわけでもなければ、気があったわけでもない。

むしろ名前すら知らない相手ですらある。

 

理屈ではそのハズで、我ながら悲しんでいる気もしないのに、どうしてかいたたまれなかった。

現場に何度も足を運んだが、彼の死にまったく実感が湧かず、ため息が溢れるだけだった。

 

人とは斯くも簡単に死ぬのだろうか。

 

遠洋遙々この国に来た彼女にとって、別れなど幾度となく経験してきたし、見てきてもいる。

けど、流石に死別は初めてだった。

 

こんなにも簡単に、死が人を拐っていくのか。

 

こんなことになるのなら、ちゃんと名前を聞いておけばよかったな。

何者なの?って聞いて、何が目的なの?って聞いて、ちゃんと話をしておけばよかった……

 

 

(あぁ、そっか。私、後悔してるんだ)

 

 

心中にある形容し難いもやもやの正体が、やっと分かった。

 

あの謎の多い、否、謎そのもののような人を、ちゃんと知っておきたかったのだ。

それは、職業柄からくる探求心ゆえか、それとも別の何かなのか。

そこまでは分からないが、でもそれまでは分かった。

 

分かったのなら、後は動くだけ。

 

あの人本人から自身について話を聞けないのなら、あの人を知る警官たちに聞いて回ろう。

幸い、ウジキなる人は事件当時に一人で帰ってきたのだ。

彼が何者で、何をしようとしていたのかを、聞いてみよう。

 

 

「やぁエミー。何処か出掛けるのかい?」

 

 

捜査現場にいるであろう警官たちに接触しようと席を立ったとき、同僚の男性が声を掛けてきた。

 

 

「えぇ、またあの現場に行ってくるわ」

 

「君は本当に現場主義だね。まぁそのおかげでこんな詳細な記事を書けるんだから、僕も見習わなきゃ。そういえば知っているかい?僕たちの新聞が日本語に翻訳されて出版される契約が決定したんだよ」

 

「へぇ、そうなの?」

 

「うん、日本人もようやく報道取材の新聞の重要性を知ったようだよ。僕たちの記事が日本に行き渡る。僕たちが彼らの先達になるんだよ?凄いことじゃないか!」

 

 

それは、確かに凄いことだろう。

自分達が書き上げた記事が横浜のみならず、日本中で読まれるようになるのだから。

 

が、そんな事実に感慨にふける気持ちは湧かなかった。

今はとにかく早いとこ現場に行きたかったから。

 

 

「その話についてはまた後で詳しく聞かせて。私はもう行くから」

 

 

そう言うと彼女はいつもの仕事道具を詰めたバッグを手に取り、外へと向かおうとしたがーー

 

 

「そう、分かったよ。じゃあさっき君宛てに渡しておいてほしいと頼まれた荷物はデスクに置いておくね。なんか白い髪の人から預かったんだけどーー」

 

「白い髪の男?!いつ、どこで渡された?!何を言ってた?!」

 

 

即座にターンして同僚のもとに駆け寄り、その胸ぐらを掴んでいた。

彼が持っているのは緑の風呂敷に包まれた両掌サイズの物だった。

 

 

「あわわわ……な、なにも!エミーに渡してって、さっき来て」

 

「わかった!!」

 

 

胸ぐらを解放したエミーは直ぐ様駆け出し、新聞社を飛び出すと辺りをざっと見渡す。

 

いつものようにたくさんの人が行き交う通りから、一人の男を見つけるのは至難の業だ。

それでもエミーは人混みを掻き分け、当てどなく走り出した。

 

 

 

 

 

それを、新聞社の向かいにある洋風お茶所(カフェ)からポカンと見送る一人の男がいた。

 

 

狩生十徳だ。

 

 

「行っちゃったよ……何をそんなに慌ててんだ?」

 

 

まさか自分を探して飛び出したとは思っていない十徳だった。

先ほどの荷物の中に入れた手紙に、ここで待つと書いたから別件だろうと思ったのだ。

自分が預けた荷物を持っていたのは不思議だが。

 

 

「ま、いっか。報告書も済ませたし、気長に待とう」

 

 

そう言って十徳は珈琲に口をつけて、だらしなく頬を緩ませた。

 

前世での彼は珈琲をよく飲んでいたのだ。

この世界に来てお茶をよく飲むようになって、それなりに日本茶も好きになったがやはり珈琲は好きなままなのだ。

売っている店が限られているが、仕方ない。

東京のどこかにあるかもしれんし今度探してみようか、などと益体もないことを考えていたら、通りをとぼとぼと歩いて戻ってきたエミーが目に入った。

 

どうやら好ましくない結果に終わったようだ、と十徳は思った。

事情を知っている人が見ればさぞ滑稽だろう。

だが、知らないからこそ十徳はこうしてほのぼのと眺めているのだ。

 

知っていたら、こんなにリラックスはできていないだろう。

 

 

と。

 

 

ふと、一陣の強い風が吹いて彼女の手から風呂敷が転げ落ちた。

慌てて拾うと、開かれた包みから手紙がスルリと落ちる。

 

初めて手紙の存在を知った彼女はそれを開き、慌てて目を通す。

瞬間、内容を理解したのか、バッと振り返ると十徳と目が合った。

 

 

「「…………」」

 

 

見つめ合うこと数秒。

 

先に折れたのは十徳だった。

日本人特有の、西洋人には理解されない静かな微苦笑を浮かべて、目を逸らした。

 

それが切っ掛けか、彼女は人の海を強引に掻き分けてまっしぐらに十徳のもとまで駆け寄ると、テーブルを壊さんばかりに叩いて叫んだ。

 

 

「なんで、生きてんのよッ?!」

 

「君は俺の敵か何かか?死ななかったから生きてるんだろうに」

 

「ッ、なにを…呑気に珈琲なんか飲んでんのよ?!」

 

「珈琲ぐらい好きに飲ませてくれ。あ、君も一緒にどう?今なら飲み放題で払い放題だよ?」

 

「ただの普通料金じゃない!じゃなくて……!」

 

 

しん、と静まり返る店内。

客も店員も誰も彼もが、彼らを凝視していた。

それでも、そんなことはまったく気にしていないエミーはなんとか胸のモヤモヤを言葉にしようとして、しかし上手く口から出せなくて、再び押し黙ってしまった。

 

 

「そうじゃなくてッ、……生きてたんなら、知らせなさいよ……」

 

「……ごめん。今まで忙しくて身動きが取れなくて」

 

 

はぁ、と大きく息を吐いたエミーはその言葉に返事するでもなく、対面の席に座った。

そうして初めて目の前の青年の様子を窺った。

 

 

「怪我、随分と酷そうね。動いて大じょ…ッ?!」

 

 

今さら?と茶化すこともなく、十徳は微笑んでダイジョブと答えた。

 

彼の今の見た目は、エミーの言う通り酷かった。

西洋医療を施されたのか包帯とガーゼで覗ける素肌は少なく、左手も指先までがぐるぐるに包帯を巻かれていた。

 

が、愕然としているエミーは彼のとある一点のみに見つめていた。

 

ゆらゆらと揺れる、片袖。

 

そこにあるべきはずの腕が、無かったからだ。

 

 

「貴方……その、腕ッ……」

 

「気にすんな。生きてたことが、何よりの幸運だから」

 

 

そうは言うものの、気にしないなどできるハズも無かった。

ついこの間まで普通に話していた相手が、いきなり現れたかと思えば隻腕になっているのだ。

心配するなと言う方こそ無理があった。

 

この時、十徳のとても冷たく、そして無機質な色合いの瞳に彼女が気が付かなかったのは幸いなことだったかもしれない。

 

 

「びょ、病院ッ……」

 

「もう行ってるから。ホントに落ち着いて」

 

「お、落ち着いてられるわけないじゃない!貴方、その腕どうしたのよ?!」

 

 

今にも泣き出しそうはほどに切羽詰まって叫ぶエミーに、十徳はやはり会うのはマズったかなと考えた。

だが、いずれは会って話をしなきゃ、話を進めなきゃならないんだから、早いか遅いかの違いでしかないんだよな、と思い直す。

 

明らかに動揺する彼女に落ち着くよう言い聞かせるも、詳しい事は話さないようにする。

 

 

「……あの店で何があったのかも、話してくれないの?」

 

「ごめん、レオナ・マックスウェルの密売疑惑の話は無かったことにしてくれ。此方から頼んだのに一方的に破棄することを許してほしい」

 

 

そう言われてエミーは、はいそうですかと納得するハズがなかった。

ジャーナリズムはあらゆる力に屈してはならないと考えているからだ。

 

だが、目の前にいる大怪我を負った青年を見て、大きな事件に巻き込まれたことは容易に想像がつくし、そして彼が自分を関わらせないように計らってくれていることも想像がついた。

 

そしてここは異国の地。

自分の活動は範囲も方法も限られている。

大きな事件をピックアップしたい気持ちはあるが、なにも危ない事に首を突っ込みたいわけではない。

 

ましてや、片腕を亡くしている人が目の前にいるのだ。

 

不承不承ながらも頷くしかなかった。

 

 

「……はぁ、あの爆心地にいたんでしょ?よく無事だったわね」

 

「なんとかね。危うくこんがりといい具合に焼けるとこだった。と、そんなことはどーでもいいんだ。俺が君をここに呼んだのは、なにも無事を伝えたかったからじゃない」

 

「……えぇ」

 

 

それは、流し読みした手紙にも書かれていたことだった。

彼はあくまで新聞記者としてのエミー・クリスタルを求めているのだ。

故にエミーは、仕事として俺に接しろと言っているように聞こえた。

 

 

「俺にとって、この火災の事を大々的に報じ続けられるのは些かまずい。だからエミー・クリスタル、予定を変更して阿片の大量密輸の事件をスクープしてくれ」

 

「別の大きな話題で世間の関心を逸らす、てこと?」

 

「その側面もある。けど、本当の目的は別にあるんだが……まぁそこはいい」

 

 

どういう意味?とエミーが聞こうとしたが、それより先に十徳が袂から小包を出してテーブルに置いた。

その大きさと、話の流れからエミーはその包みの中身をすぐに悟った。

 

 

 

 

「さぁ。君の記事で日本に、否、世界に衝撃を与えてくれ」

 

 

 

 

 

 

 









次回で横浜暗闘編ラストです

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