明治の向こう   作:畳廿畳

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短いですが戦闘開始です


では、どうぞ









35話 横浜激闘 其の弐

 

 

 

 

夕日が完全に没してから一刻ほど、夜の静寂(しじま)が辺りを支配し始めたとき、一つの倉庫の扉が音もなく開いた。

そしてそこから一人、また一人と黒ずくめの人影が暗闇へと駆け出て行った。

 

黒ずくめ故に目を凝らさなければ分からず、しかもその人影らはこの暗闇でもブレることなく一直線に、かつ足音も立てていないため、その人影を視認することはかなり困難だった。

人影らはそれぞれ決められたルートを走っているようで、迷うことなく暗闇に溶け込んで行く。

 

その数は七つ。

二、二、三と班を作っていて、一つの廃倉庫を取り囲むように突き進んでいる。

その廃倉庫から薄明かりがぼんやりと漏れ出て、中に人が居ることが分かった。

黒ずくめの人影は皆髑髏のマスクを被っているため、奇妙を通り越して不気味な出で立ちであり、まるでその廃倉庫に居る生者の命を狩りに群がる死神のようだった。

 

死神たちが出てきた倉庫に視線を戻すと、その屋根にもまた一人の、否、屋根上に堂々と立っているその姿から下を駆け出た死神よりも更に上位の威風を醸し出す死神がいた。

されどその凛として佇む姿は死神にしてはあまりに毅然としていて、またあまりに生気というか熱意というか、そういった人間味ある気概が漏れ出ていた。

 

ふと、港湾を駆け抜ける冷たい潮風が一際強く吹いて死神の羽織る黒のマントが大きくたなびくと、髑髏のマスクが風に拐われ漆黒の空へと舞い上がった。

その下から現れたのは、月と星の明かりによって仄かに鈍く輝く白銀の長髪と白い肌、そしてこの暗闇を照らすように煌めいている青い瞳を持った、死神とは到底関連付けられない一人の青年だった。

 

風によって舞い踊る己の髪を無視し、まるでこの暗闇であっても全てを見渡せているかのようにその男は眼下の倉庫街を睥睨していた。

事実、彼は倉庫と倉庫の間の小道や裏道、時には倉庫の屋根や壁を伝って駆けている黒ずくめの死神を皆見落とすことなく視界に収めているのだ。

 

そんな彼が一つ、ふぅと溜め息を吐いて大鎌を大きく掲げると、石突を思いっきり屋根板に突き刺した。

小気味よい破砕音が夜の静けさを小さく破った。

 

 

「……まぁ、確かに最初は来ると思っていたさ。絶好の機会だからな。これを逃すとは思えなかったから警戒をしていたんだが、でもまさかここでとは思わなかったよ」

 

 

下げていた視線を上げ、空に浮かぶ画鋲のような真ん丸の月を亡羊と眺めて独り言を続けた。

 

 

「もっといい場所と時間はあっただろうに……もしかして、敢えて指示されたか?横浜で俺を殺せと。他では手を出すなと」

 

 

否、独り言に非ず。

男が語り掛けるのは自らの背の向こうにいる存在。

同じく黒一色で統一された衣服を身にまとい、白黒の縞模様の入れ墨が施された両腕をした、般若のお面を被った存在だ。

 

彼の存在を、青年――狩生十徳は知っていた。

 

 

(隠密御庭番衆が一人、般若。潜入工作のプロフェッショナルで拳法の達人。庭番頭領、四之森蒼紫への忠を尽くすため、自らの顔を焼き、切り、ちぎったという狂人……いや、狂人は流石に失礼だな)

 

 

ただ御方のため。

そこにあるのは紛れもない、曇り一欠片もない、真っ直ぐな忠道だ。

狂気なんぞに染まってなんかいない、忠義の士である。

 

原作の知識を思い出しながら、十徳はゆっくりと振り向く。

その瞳に映ったのは、やはり紛れもない般若その人だった。

 

 

(とはいえ、厄介だ……相手がじゃなくて、このタイミングが厄介だ。宇治木らはもう行動に移っていて、後は俺の先陣切っての突入待ちの段階に来ている。ここで俺が時間をロスするのは……いや、違う。これはむしろ僥倖と捉えるべきだろう)

 

 

もとより、十徳はこの長期遠征中に御庭番衆から仕掛けれると絶対視していた。

故に驚きもなければ眉をひそませることもなく、ただ淡々とその事実を受け入れた。

横浜での襲撃は念頭に無かったが、掛かって来るならば是非も無い。

 

そして、考えを改めた。

十本刀(かまたり)の無力化及びモールス信号機の奪取はひとまず置いておこう、と。

ここ横浜ならば志々雄一派の迎撃態勢がかなり厚く敷かれている可能性が高く、それはつまり()()()()()()()()()()()()ということだから、まずは置いておいても構わないだろう。

 

取り敢えず今は、前門の虎より後門の狼をどうにかすべきだ。

今にも襲い掛かりそうな狼が後背にいるのに、敢えて()()()()()()()()()()を狩る阿呆がいるものか。

 

 

(狼ね……ハッ、狼はアイツだけで十分だ。鍛え上げられた暗殺者はどこまで行っても、所詮は暗殺者なんだから)

 

 

自らの例えに自嘲して、十徳は屋根瓦に突き刺した大鎌から手を離し、左腰に帯びていた独特な刀を抜いた。

刀身が鞘を走り抜け、足元で空気が斬られる新鮮な音が鳴った。

月明かりを、まるでその頭髪のように妖しく反射させる白銀の刀はしかし、一般的に思い浮かべる日本刀からはかなり乖離した姿だった。

 

まず、柄が無いし鍔も無い。

抜き身の刀身というべきか、持ち手は柄の下にあるべき中心(なかご)そのものだった。

刃文も無ければ鎬も無い、凡百の刀匠ですら作らないような、刀を馬鹿にしているかのような一刀である。

刃先があるだけ、切れ味は普通にあるのだろうということは辛うじて分かるが、しかして総じてガラクタといっても良い代物だ。

 

そんな刀をプラプラとステッキのように振るい、肩に乗せて軽く叩き始める始末。

 

 

「さて。じゃあ始めようぜ、般若面。狩りに来たんだろ?付き合ってやんよ」

 

 

その態度を見て、そしてその刀を見て、般若は幾ばくかの失望の思いに囚われたが、直ぐ様己の心に喝を入れて切り替えた。

期待、というより僅かながらも一目置いていただけに多分にガッカリしたが、私情は切り捨てる。

 

標的が阿呆なら仕事は楽になる。

愚鈍であればなおのこと。

 

なれば、嫌な予感が付きまとうこの横浜から早急に切り上げるべく、元凶たる目の前のふざけた男を始末しよう。

 

とん、と般若は軽い気持ちで一歩を踏み出し

 

ぶん、と十徳はラフな気分で刀を振り回し

 

 

横浜での戦いが、此処に開幕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根を蹴り、軽いステップを踏むように此方に接近してくる般若。

そして背中から直刀を抜き放ち、加速して一気呵成に強襲を仕掛けた。

 

直後、甲高い金属音が夜の町に響く。

 

 

「「ッ!」」

 

 

お互いに漏らした声は同じで、抱いた感情も同じ。

驚愕。

だがその理由は互いに別々だった。

 

片やお前って直刀なんか使うのかよ、という驚き。

原作知識から、相手の基本戦術は徒手空拳で、奥の手に鉤爪がある、という先入観を抱いていたが故の喫驚。

 

片や防がれるとは思っていなかった、という驚き。

ふざけた刀と態度の標的がまさか自らの太刀筋を見極めようとは、というある種の偏見を抱いていたが故の感嘆。

 

即座に数歩離れた般若に対して十徳は刀を弄ぶように振り回し、そして駆け出す。

攻守が逆転した。

 

 

「忍風情が剣士の真似事とはなッ!」

 

 

十徳が怒濤の斬撃を繰り出し、それを般若が危なげなく防ぎきる。

 

数秒、数十秒と打ち合いが続く。

甲高く、絶え間のない剣戟が鳴り響き、時おり夜を一瞬だけ照らす火花すら舞い散り。

 

やがて額がぶつかりそうな程にお互いの顔が近づき、刀で押し合う形となって、一瞬の停滞。

 

互いの視線が間近で交差した。

直後、般若の刀を持っていない腕がブレたかと思うと、十徳の脇腹に抉り込んだ。

 

 

「ふ…!」

 

 

異音が十徳の身体中に響いた。

 

だが、めり込んだのは腹部ではなく、脚部。

十徳は片足を上げて膝で受け止めたのだ。

 

次いで十徳の放ったヘッドバッドが見事に炸裂。

 

 

「ッ……!」

 

 

初めて般若が声を漏らす。

その声は苦悶と焦りが混じっていた。

 

たまらず離れようとしたが、強かさは十徳の方が上だった。

般若の刀を持つ片手をその柄ごと握り絞め、身動きを封じたのだ。

 

そのまま足払い。

そして直ぐ様倒れた般若の顔面に向かって、右拳を振り下ろす。

 

 

「ハァッ!」

 

 

屋根を陥没させかけない程度に加減した力は、しかし狙った般若面を叩き割ることが出来ず、屋根瓦を壊すだけの結果となった。

 

そう、既に眼下に般若の姿はない。

そう理解した直後、今度こそ脇腹に蹴足が叩き込まれ、十徳の体が飛んだ。

 

拘束を解き、咄嗟に立ち上がった般若が十徳の腹部に蹴りを見舞ったのだが、それにしてはあまりに()()()()()

 

まるで自分から飛んでいったかのようにすら感じ、般若は追撃を躊躇った。

事実、難なく屋根上で着地した十徳は多少眉間を歪める程度で、痛みに苦しむ素振りを見せず、変わらない爛とした瞳でもって般若を見据えていた。

 

 

「……さっきから人を鞠みたいにポンポン蹴りやがって。足癖がわりィにも程があるぞ」

 

「……」

 

 

十徳の言に返しは無い。

般若は標的に対する評価を内心改めていたのだ。

 

やはり、この男は油断ならない。

普通の警官らしからぬ、やけに戦い慣れしている。

殺し合いを経験している身だ。

外見から推察する年齢上、おそらく維新が舞台ではないと思われる。

抜刀隊として戦争に参加した経験があるのだろう、なるほどお頭が気に掛けていた理由の一端が分かった気がする。

 

なればこそ、やはり確実な手で殺さなければならない。

そう決意を新たにした般若は、ちらと十徳の背後を見遣った。

 

 

「……あん?」

 

 

その挙動を、確かに十徳は知覚した。

 

般若の面からその瞳が見えるわけではない。

十徳が、般若が視線を己から外したと分かったのは、ただふと己に対する意識が弱くなったと肌で感じたからだ。

理屈ではない、ただの直感と確証のない実体験。

 

だが、これが奏した。

 

チリッ、と首筋を焼くような急な悪寒を感じた。

首筋を抉られるような、得体の知れない恐怖。

危機意識に従って直ぐ様振り返ると、目の前に高速で飛んできたのはーーどんぐり?

 

 

「あぶなっ?!」

 

 

咄嗟に刀の柄尻で叩き上げたそれは、どこかで見たことのある物。

 

 

これは……螺旋鋲?

 

 

知ってる。

般若と同じ、隠密御庭番衆が一人、癋見(べしみ)の得意技だ。

奴が攻撃を仕掛けてきたのか。

 

だがそれらしい人影も気配も感じられない。

てゆうか一人じゃないの?どこだ?

 

ーーいや、それより般若だ!

 

慌てて視線を元に戻したが時既に遅し。

般若の姿は影も形も見当たらなかった。

ならば、二人して引いていったということか?

 

 

「逃げる?んな馬鹿な。俺を殺すのが目的のハズ……ッ?!」

 

 

般若の行動原理を汲めない十徳が警戒を新たにしようとしたとき。

月と星の明かりを遮る黒いナニカが、上空から豪速で降り掛かってきた。

 

 

「んなぁ?!」

 

 

呼吸を整えようとした直後であるため身体は咄嗟に動かず、ものの見事に顔面に直撃。

 

耳を塞ぎたくなる破砕音が響いた。

 

そして、十徳はまるで時間が停止したかのように、黒い鉄球を顔面に喰らって上体を軽く仰け反らしたまま、立ち尽くしていた。

 

 

「ふん。般若とやり合っていたから、かなりの実力者だと期待したんだがな。所詮はこの程度か」

 

 

人間の上半身ほどの大きさの鉄球に繋がった鎖を持って近づく一人の偉丈夫。

黒装束の上からでも判るほどに隆起した筋肉。

顔に付いている多数の古傷。

 

隠密御庭番衆が一人、式尉だ。

 

 

「頭部に剛速の鉄球……あっけないな」

 

 

いつの間にか式尉の傍に現れた癋見と般若が言葉を溢す。

これではお頭の出るまでもない、という落胆の声音だった。

 

 

「所詮は戦い方を知らない官警か。大物ぶりやがっていた結果がこの様か」

 

「警察にしてはなかなかの実力を持っていた方だ。お前の奇襲が功を奏しただけで、一対一でぶつかれば分からなかった」

 

「実力を発揮できずに終わったんなら、その程度の半端な実力ってことだろう」

 

 

軽口を諌める般若だが、どこ吹く風の式尉。

鼻息一つ鳴らして、仕事は終わったとばかりに鉄球を引き戻そうとした瞬間。

 

 

「誰の実力が半端だコラァ」

 

「「「?!」」」

 

 

誰の声か、などと確認する事はせず、三人の御庭番衆は即座に臨戦態勢を取った。

 

疑問に思うべきだったのだ。

顔面に鉄球を喰らって立ち続けることなどあり得るのか、顔面に鉄球が食い込んだままなどあり得るのか、と。

 

再度何かが砕ける音がすると、ゆっくりと鉄球が十徳の顔から離れていった。

 

 

「あ~ビックリした。まさか多人数で行動してたとはな。単独行動のイメージが先行してたから危なかったぜ」

 

 

呟く声は至って平静。

鉄球が直撃したハズの顔には傷跡一つとして見当たらない。

そして鉄球は屋根に落ちることなく、十徳の手の中でプラプラと揺れていた。

 

 

「なん……だ、と」

 

 

唖然とする3人。

それもそのはず、十徳は鉄球に五指をめり込ませ、ボーリングの球の如く弄んでいるのだ。

 

先の顔面への一撃は、顔と鉄球の間に手を滑り込ませ、そして掴み取って防いだのだ。

砕ける音は狩生の頭骨ではなく、式尉の鉄球だった。

 

 

「地を割るほどの鉄球を片手で防いだ……しかも指を食い込ませてッ?!」

 

 

顔面を蒼白にして呟く癋見。

両腕で抱えるほどの鉄球は優に50㎏を越える重さを誇る。

それを片手で掴み取るだと?!

なんという握力をしているんだ……!

般若と式尉も、事ここに至って目の前の警官がただ者では無いことを悟り、そして警戒を顕にした。

 

実際のところ、十徳にそれほど握力があるわけでは決してない。

ただその包帯に覆われた義手が異常なまでの力を発揮しただけであり、しかも斯様な芸当が出来るとは十徳も全く思っていなかっただけに、内心では冷や汗を華厳の滝の如く流していた。

 

 

「テメェ……!」

 

「三人掛かりとは味な真似をしてくれる。そっちがその気なら此方も応えてやらぁ。テメェら全員、覚悟しやがれ」

 

 

掴んだ鉄球を式尉にポイと返し、敵愾心を剥き出しにして十徳は唸る。

暴れる心臓と混乱してる思考を誤魔化すため、無理矢理闘争心を駆り立てる。

 

御庭番衆がいつか来ることは予想していたが、まさかこんな土壇場で三人も来るとは想定外だった。

一人か、多くても二人ぐらいだろうと踏んでいたために、十徳は心中かなり焦っている。

 

だがその反面、三対一という数的劣勢においてなお負ける気は無かった。

否、負ける気があろうと勝てる気があろうと、そんな些末な要素は十徳にとってどうでも良かったのだ。

 

ただ、刈る。

その気概しか無かった。

 

自分のコンディションなど二の次、三の次。

目の前の敵を前にして考えることは唯一つ。

 

如何にして刈るか。

 

他の余計な思考は要らない。

任務を果たせると踏んだ以上、襲撃に動いたのだ。

刈れると判断したのだ。

この期に及んで刈る以外の行動は取れるべくもなかった。

 

 

 

心は熱く、頭は冷たく。

 

三人の刈り方を脳内で深く深くシミュレートし始めた。

 

 

 

 

 

 

 







最初の相手は隠密御庭番衆





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