はい、どうぞ
神経が暴走した熱によって犯され、それが焼き尽くされるような錯覚に襲われた。
それは、筆舌に尽くしがたい激痛だった。
視界は一瞬で暗転し、五感の全てが断絶され、倒れ込んだ。
平衡感覚は疾うに狂い、自分がどんな体勢をしているのかも杳として知れず。
身体の内側からもたらされる激痛と高熱が身を蝕み、もはや何かを考えるという行為すらできない程に辛かった。
当然、十徳の突然の奇声に蒼紫は驚くが、直ぐ様好機と見て攻勢に出た。
踞る十徳の顔面に蹴足を叩き込み、次いで晒された腹部に正拳突きを連続して放つ。
「がッ……!」
血と胃の内容物を吐き出し、苦悶に顔を歪めながら地を二転、三転と転がっていく。
やがてうつ伏せに倒れた状態で止まった十徳を見据え、蒼紫が口を開いた。
「無様だな。何が起きたのかは知らんが、自爆とは醜悪極まりない」
「……ぁ、…がはッ、ごほッ……ぐぁ、ぁぁ!」
十徳は答えない、答えられない。
機関を止めても身体を犯す痛みと熱は露ほども引かない。
辛うじて堪えていた吐瀉物も、先の蒼紫の猛攻により血と一緒に吐き出してしまった。
それを皮切りに、身体に震えが生じた。
身体は燃えるように熱いのに、何故か背筋が凍えるほどに寒く感じ、それを抑えるのに必死だった。
その原因は当然、右腕にある。
青紫の猛攻により右腕の各所がひしゃげ、内蔵部品が損傷したことによって熱が上手く伝達できなくなったのだ。
その行き場を失った熱が十徳の身体を蝕んでいるのだ。
這いつくばり、身体を震わしている十徳に蒼紫が近づく。
「何をしている。起きろ、立ち上がれ。貴様はその程度ではないハズだ。慣れた窮地なのだろ、抗ってみせろ」
「ぁ……、ぐぅッ、」
包帯の隙間から異様な煙を噴出させ、赤黒く明滅を繰り返す右腕。
左手は地を掻き毟り、割れた爪と破けた指先から溢れる血によって土が変色する。
足も絶え間なく動かす姿は、立ち上がろうと必死になる生まれたての小鹿を連想させる。
見ていてあまりに痛々しい姿だった。
「……そうか、これまでか。連戦となれば流石に負担もあるか」
蒼紫が溜め息混じりに呟いた。
目の前の男の容態の急変は、あまりに異常だった。
おそらく原因は右腕にあるのだろうが、具体的に何が起きたのかは知り得ない。
ただひどく辛そうで、死に瀕しているのは疑いようのない事実なのだろう、ということは十分に分かった。
故に、小太刀を煌めかせて近づく。
「できれば万全の状態で戦いたかった。そうすれば俺も或いは……いや、これ以上は無粋か」
「……ふッ、ぐぅぅ!、っぅああ!」
「終わりだ。その首もらい受け--ッ?!」
多少の名残惜しさはあったが、仕事は仕事だ。
私欲は滅して果たさなければならない。
そう改めて、小太刀を振り上げた瞬間、急に十徳が地を蹴り猛襲を仕掛けた。
「ガアアア!」
腹部への渾身のタックル。
そしてそのまま押し倒そうと足払いを喰らわす。
咄嗟の事に一瞬だけ反応が遅れた蒼紫は、勢いの飲まれて後方に身体を傾げてしまう。
(苦痛に苛むふりを?!いや、演技には感じなかった……まさか、己の深刻な容態すら攻撃のための手札にして、油断を誘ったのか!)
どこまで戦いに特化した思考をしているのだ!
内心で愕然とした蒼紫は、しかし卑怯などとは思わなかった。
むしろ喜ばしくすら思った。
それでこそ戦鬼だ。それでこそ修羅だ。
どんなになっても戦うことを放棄せず、食らい付くことを諦めない戦意に、心が震えていた。
(面白い!)
地に背中を打ち付けた蒼紫の上に十徳がのし掛かる。
そして勢いよく振りかぶった右拳が顔面へと叩きつれられる瞬間、頭を捻ってそれを躱す。
勢いそのまま拳は轟音とともに地に突き刺さり、そこを陥没させた。
びしり、と頬が掠ったのか一筋の傷ができ、そこから血が流れるが当然蒼紫は気にしない。
直ぐに互いの近接攻撃の応酬が始まったのだ。
拳を、肘を、頭突きを。
互いに避け、躱し、防ぎ、そして喰らい。
体勢的優位は十徳にあるハズなのに、それでも明らかに被弾の数は十徳の方が多い。
蒼紫にも被弾はあるが、冷静さはまったく失われていない。
口端から血が流れ、整った顔立ちに殴打痕が目立つが、その瞳はしっかりと十徳の挙動を捉えていた。
片や十徳は苦痛に顔を歪めながら、顔を青紫色に変えながら猛攻を続ける。
蒼紫の推測通り、十徳の苦痛は演技ではない。
今尚身体は高熱と激痛に晒され、気を抜くと絶叫してしまうほどだ。
しかも、近距離での連打は呼吸すら許さない。
酸素を求めて、呼吸したい。
手を休めて、大きく息をしたい。
だが、止まれば二度と再攻勢に出られない気がしてならない。
痛みと苦しみに身体を悶えさせてしまうだろう。
それに、此方の動きが止まれば蒼紫の攻勢が激化する。
一か八かの特攻染みた反転攻勢は、早くも裏目に出ていた。
やがて、十徳の攻勢に綻びを感じ取った蒼紫が両者の間に足を捩じ込み、十徳を蹴り飛ばしたことによって一連の攻防は終息を見せた。
ゆっくりと、余裕さえ感じるように蒼紫が立ち上がるのに対し、十徳は地に伏せたまま起き上がろうとしない。
かひゅ、かひゅ、ぜぇ、ぜぇと歪な呼吸音を漏らし、大きく肩で息をしている。
時折苦しげに呻く声も漏れ聞こえる。
ダメージは、げに深刻だった。
「先の奇襲を考えたら迂闊に近寄れんか……末恐ろしいものだ」
手負いの獣ほど仕留め難い存在はない。
とかく見境なく暴れ狂うからだ。
下手に手を出して手痛いしっぺ返しを喰らう愚は犯したくない。
ならば中・遠距離からの一方的な攻撃がこの場合理想なのだが、そもそのような武器を蒼紫は持っていない。
どうする?
多少の被害に目を瞑って一気に仕留めるか。
それとも、こちらも
数秒悩んだ末、蒼紫は後者を選んだ。
十徳の己の身を削る猛攻は、蒼紫の身体にも確かなダメージを負わせたのだ。
数秒、数十秒と呼吸を整え、自身の具合を感覚的に走査する。
腕、足は正常に動くし、視覚、聴覚も問題なく機能し始めた。
口や鼻から流れてた血も止まり、傷みも無視できる。
総じて、問題ない。
まだまだ動ける、十分に相手を殺せる。
およそ一分を要してそう判断した蒼紫が視線を十徳に戻したとき、その十徳はマリオネットのように、幽鬼のようにフラりと立ち上がった。
「時間を掛け過ぎたか……まぁいい。それで、その満身創痍の身体で何ができる?」
呼吸の荒さは収まらず、顔を俯かせたまま肩を上下させる十徳に対し、蒼紫が問い掛ける。
十徳は息も絶え絶えに答えた。
「痛みも、熱さも、慣れてきた……あぁ、最初はテンパったが、これぐらいなら、
苦しそうな呼吸音も数秒続くと次第に小さくなっていき、肩の動きも緩慢になってやがては鳴りを
心肺機能の処理能力が無酸素運動によって蓄積した疲労を上回ったようだ。
つと、十徳の
「だが、まぁ……今の俺のままじゃあ勝ち目は薄い」
「現状把握はできるようだな。それで?そう踏まえた上で、どう行動する?どう立ち振舞う?」
「うん、そうさな……」
額を流れる汗を鎖手甲で拭いながら呟く。
土気色だった顔色は戻り、呼吸も完全に整った。
一分ほどの猶予があったことが幸いしたのだろう、右腕による灼熱と身体中を襲った激痛にも幾分か慣れたようで、戦闘行動に支障がないと判断を下している。
御庭番衆三人組と戦った時に比べれば遥かにダメージ量が多いのは確かだが、それでもその堂々たる佇まいからは十二分に覇気が伝わってくる。
戦うことを諦めていない。
しかして、その表情は---
「どう考えても俺一人で
「……ほう?」
「一緒に前門へ行こうじゃねぇか。虎が使えりゃ、狼への勝ち目も見えてくる」
悪童を思わせるそれだった。
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「やってくれるじゃないッ……!」
苦虫を噛み潰したような顔をし、怒気の孕んだ言葉を溢す鎌足。
彼は横浜の通信拠点である倉庫に入り、その惨状を見てそう言った。
「あんたを捕らえるには大きすぎる買い物だわ……いいこと?有益な情報を吐かなかったら、いっそ殺してと懇願するほどまでに痛めつけてあげるから覚悟なさい」
そして眼前に転がる男--宇治木を睨み、大鎌を構える。
外での戦闘中、最後に鎌足が鎖分銅で宇治木の腹を直撃し、倉庫にブチ込んだのだ。
宇治木は既に死に体だ。
大鎌による多くの裂傷が身体中に刻み付けられ、激しい戦闘機動をしたのか肩で荒く息をしている。
幸いにも未だ四肢は無事に付いているのだが、顔にも傷が幾つかあり、厳しい戦闘をしてきたのは目に見えて分かる。
一方の相対する鎌足は傷らしい傷もなく、呼吸も乱れていない。
無傷の状態だ。
二人の様子を見れば、実力の違いは歴然だった。
宇治木も決して弱くはないが、志々雄一派最高戦力の一角に挑むには早すぎたのだ。
いや、むしろ宇治木にそれなり以上の実力があったからこそ、まだ五体満足で済んでいるのかもしれない。
ともあれ、それでもそんな現状に歯軋りしたのは宇治木ではなく、鎌足だった。
正面門扉を突き破って転がっていった宇治木を歩きながら追い、中をくぐって見たそれが原因だ。
反対に、宇治木は満身創痍にありながらも相手を小馬鹿にするような嘲笑を浮かべていた。
何故なら、敵の拠点の破壊に成功したのだ。
配置されていた敵兵は排除し(絞り出した情報によると他に敵がいないことも把握済み)、モールス信号機も確保は出来なかったが破壊には成功した。
数多の敵兵と罠により脱落した者も複数いるが、まだ
「ベータ?!大丈夫ですか?」
「デルタ……イプシロン。そっくりお前らに返してやる」
「時間を優先しましたから。お陰で早期に潰せましたが、四人が落伍しました」
「そうか……ならば、後は奴を残すのみか。狩生が来れば形勢は逆転できる。自決は控えろ」
そう小声で囁き、宇治木は二人の肩を借りながら立ち上がった。
得物は既に尽きているため、足元に転がっている敵の死体の傍らにあった槍を拾い上げる。
槍衾でも用いる罠の一つがあったのだろうか、ともあれ間合いが広い槍ならばあの大鎌に少しは対抗しうるだろう。
宇治木はそう考え、二人の肩から手を離し、槍を構えて鎌足を睨む。
身体の状態は最悪だが、戦意は未だ高揚。
命が潰える瞬間まではまだまだある。
二人もボロボロの身体を押して、思い思いの武器を鎌足に構えた。
その姿に一層渋面を深くする鎌足。
「無能な手下どもめ。数を揃えて罠も幾重に張らしたというのに、このザマとは。ホンっト腹立たしいわ」
鎌足の中で予定が大きく狂った。
まず、倉庫での待ち伏せが成功しなかった。
総勢三十四人による迎撃と、幾重にも張り巡らした罠が食い破られた。
たかが六人という小勢によって、である。
四人は返り討ちに出来たようだが、それでも殺せてはいない。
モールス信号機も壊され、明らかな敗北を喫してしまった。
そうなってしまったのが、べーたなる相手に手間取ったためだ。
時間稼ぎのつもりで残ったのだろうと判断したのがマズかった。
一息に片腕を切り落とし、戦意をもぎ取ってから直ぐにアジトに入り込んだ残りの奴等も駆逐する。
そう考えて一歩を踏み込もうとした瞬間、あろうことか先に攻撃を仕掛けてきたのがべーたなる奴だった。
出鼻を挫かれた。
刀による怒濤の斬撃、意識の外からの体術、超近接からの銃撃、目潰しなどの小技など、途切れることなく仕掛けてきたのだ。
まるで『攻撃こそ最大の防御なり』を体現しているかのようだった。
鎌足にとって宇治木の実力は、あくまでそこそこ。
本気を出せば一分も掛けずに屠れる相手のハズだったのだが、ペースを握れずに延々と守勢に回されてしまったのだ。
自分の持ち味を生かせることなく、歯痒い思いを噛み締めながら攻撃に晒されていた。
それは、実力に劣る宇治木が唯一勝利への道を見出だして実行した、奇襲戦法。
息継ぐ暇さえ彼我に与えない、終始自分のペースで攻撃し続ける。
結果、掛けたくない時間を掛けてしまった。
敵の実力を見誤り、その思惑にまんまと嵌まったことで、忸怩たる思いが鎌足の胸中を占めていた。
最終的には、宇治木の攻勢に乱れが生じた瞬間を鎌足が突き、形勢は一気に逆転した。
しかし、結局致命傷を与えるまでには至らなかったため、尚のこと腸が煮えくりかえっていた。
「雑魚が束になっても私にとって変わりはしないわよ。むしろ腹立たしさに手加減を忘れちゃうぐらいだわ」
「安心しろ、怪力を誇る稲刈り女郎にそんなものは期待していないさ。馬鹿力を有する者は総じて頭も筋肉だからな」
「その舐め腐った口、二度と開けないようにしてやろうか!おぉおどりゃああ!」
外見女性の、されど中身は男性の咆哮が響き、大鎌が半包囲する三人に振るわれた。
鬱憤を晴らすかのような烈帛の気合いが乗った一撃。
直撃はないが、その風圧が三人にぶつかり、後方に仰け反らす。
そして呻く三人に猛接近し、拳と足を繰り出し瞬く間に加わった二人を沈めた。
「はああッ!」
いよいよもって鎌足の攻撃の速度と威力に慣れ始めた宇治木はその拳と蹴足を躱し、即座に反撃に出る。
一つ、二つと高速に繰り出した穂先は唸りを上げて鎌足の顔面に迫り、しかし鎌足それを難なく躱す。
確と穂先を見据え、頬にぎりぎり当たりそうで当たらない最小限の動きで避けた。
そして五つ目、突き出された穂先が鎌足の頬横数センチを通りすぎた瞬間、鎌足の反撃が始まった。
カウンターの要領で大鎌が水平に振るわれた。
瓦礫片を巻き上げながら宇治木の胴体に吸い込まれるように迫る大鎌は、正しく死神のそれ。
ぶち当たれば上と下の半身は泣き別れを期すだろうそれを、宇治木は歯軋りして
槍を突き出したモーションの直後のため、身体の重心は前にある。
故に後ろに回避する余裕はないし、左右も横から来る大鎌に対して有効な回避方向ではない。
ましてや防げる手筈も無い。
ならばッ!
「ガアアァァ!」
前へと、避ける!
重心をそのままに、突き出した槍もそのままに鎌足へと吶喊する。
死中に活を求めるその一手を、しかし鎌足は嘲笑をもって迎えた。
「無駄よ!」
骨の軋む音は、宇治木の横っ腹から。
振るわれた大鎌の柄が直撃したのだ。
「が……ッは!」
宇治木の身体が宙を舞い、飛んでいく。
そこに更なる鎖分銅が襲いかかった。
まるで意思を持つ蛇のように動いたそれは、宇治木の首に巻き付いたのだ。
「つ~かま~えーーたッ!」
鎖により首をへし折られるほどの勢いで空中から引っ張られ、そのまま壁に叩き付けられた。
ずるりと崩れ落ちる間もなく、瞬時に移動してきた鎌足に鎖の上から首を取られ、再度壁に叩き付けられてから締め上げられる。
その力は凄まじく、軽々と壁に張り付かせ、そして足を地に着かせないでいた。
「手こずらせてくれちゃって……でも、これであんたたちはお終い。所詮私たちに敵う実力は持っていないのよ」
「ッ……げほ」
「さぁ、きりきり吐きなさい。あんたたちは何者?どこまで私たちを知っている?目的は?規模は?」
宇治木の顔が酸素不足で青紫色へと変わっていくが、当然鎌足はお構い無し。
問いを重ねる毎にぎりぎりと首への拘束が強まっていく。
線の細い身体からは想像だにできない怪力に蹂躙され、奥底まで見透かそうと細められる視線に突き刺され、呼吸もまともに出来ないだろうに、それでも尚宇治木は
「はッ…俺の口を割らせたきゃ、その身体で懐柔するんだな。挿れる前に、焦らされりゃァ……教えてやらんでも--がッ!」
「舐めた口をまだ聞いてくれるのね。その余裕、いつまで保つかしら?」
首への圧力を増やしながら、空いた拳で顔面を殴打する。
血が舞い、視界がぐわんと揺れて前後不覚に陥る。
五回、六回と拳が打ち付けられ、再度鎌足が口を開いた。
「どう?話す気になった?それともまだ痛みが欲しいかしら?」
「……は、ろまんちしずむの欠片も無い女郎め。積極的な女は遊廓で間に合っ、ぐふッ」
「いちいち下品なことをッ……まずはその舌を抜くのが先かしら--ね!」
顔面を、胸部を、腹部を。
常人ならざる怪力によって放たれる拳は、肉を貫き骨を傷みつける。
身体に拳が突き刺さる度呻き、痛みを堪える。
脳が揺れるために強い目眩に襲われ、吐き気が込み上げてくる。
それでも、宇治木は嘲笑を消さない。
ニヒルに笑い、降り掛かる全てに耐えていた。
その様子をいよいよ怪しく感じた鎌足は、背筋にうすら寒いものを感じるようになった。
なぜ、余裕でいられる?
ここまで窮地に陥っていて、なぜ笑っていられる?
まだ仲間がいるのか?
いや、この状況になって尚救援に来ないのはおかしい。
それにコイツらは私たちにとっての横浜の重要度を知っている可能性が高い。
ならば戦力を小出しにする意味など無いハズだ。
つまり、仲間がいるという可能性は限りなく低い。
じゃあ、なぜ?
この男は、どこを見ている?
何を、待っている?
「……ッ?!」
ぞわり、と。
背筋に悪寒が走った鎌足は咄嗟に背後を振り返る。
だが、そこには何もない。
奴等の成した手下どもの死屍累々と、べーたなる者以外の崩れ落ちている奴らだけだった。
景色に変わりはない……ハズだった。
「どこを……見ている?」
「ッ?!」
宇治木の声に我に帰った鎌足がさっと視線を戻し、宇治木を睨み上げる。
「何かを、感じた……か?あぁ、その感覚は正しい。俺も、感じたさ」
「……は?」
「確かに、俺じゃ……お前の相手にはならなかっ、た。けど、アイツなら……」
「アイツ? 誰のこと? まだ他にいるって言うの?そいつはどこにいるの?!教えなさい!」
未だ背筋を這いずり回る得体の知れない悪寒が 、鎌足を急き立てる。
なにか、大きな見落としをしている気がしてならないのだ。
関東一円の通信拠点を襲撃した奴等が、こんなに弱いことがあるのか。
最高戦力を引っ張り出すために横浜を残したのだろう、そんな奴等がこれで終わるだろうか。
早く知らなければこの優勢が覆ってしまう、そんな漠然とした不安が鎌足を襲ったのだ。
冷や汗を流し、焦燥を露にする鎌足に対して宇治木は
「はッ……慌てんでも、アイツなら……もう直ぐそこに来てるさ」
「なんですって?」
「気を付けるんだな。こう言うと癪だが……アイツは、俺たちの上司は
本当に凄ぇんだぜ」
今までにない、朗らかな笑みでもって答えた。
そのあまりの変質ぶりに虚を突かれた鎌足は
「なにを--」
--言っている?
そう言おうとしたがしかし、ついぞ言葉が口から出ることはなかった。
それより先に、がしゃんと何かが突き破られる音が響き、直後に身体が微かに揺れたのだ。
音の発生源は、眼前の男の肩直ぐ横。
突き破った壁から伸びる、包帯に包まれた一本の
それが、自分の肩を掴んでいた。
「--は?」
驚きに身体と思考がストップした。
意味不明な事態に、鎌足の中の時間がすべて止まった。
壁から腕が突き出ている。
そしてその腕が、自分の肩をがっしりと掴んでいる。
いったい何の冗談だ?
こんなの怪談か寝物語の類いの話だろうに、この腕は一体なんなのだ?
締め上げている男の背の向こうには、誰がいるの?
肩を掴まれ凡そ一秒、ストップしていた思考が動き出すとそんな疑問が瞬時に脳内を駆け巡ったが、それらの答えを得るより先に腕が動き出した。
ぐんと力強く引っ張られ、
その力は自分と同等か、否、ともすれば自分以上の剛力だった。
抵抗しようと考えるより先にふわりと身体が宙に浮き、そして視界が壁一面に埋め尽くされた
あぁ、これはマズい、とどこか他人事のように考え、それでもコンマ数秒後に身体に襲い掛かって来るであろう衝撃を感じ取って背筋を
先程の音を凌駕する爆音が響き、鎌足が壁を壊して外へと叩き出された。
「がッ……はぁ!」
勢いそのまま地に叩きつけられ、呼吸が止まる。
壁をぶち壊した肩部に激痛が走り、地に後頭部を強かに打ち付けたことで鈍痛に襲われた。
だがしかし、鎌足はそれらの痛みを感知する余裕がなかった。
止まった呼吸も、苦に感じなかった。
目に見えたものに、意識が奪われたのだ。
視界に映る、黄金色に輝く丸い月。
その光を直下に浴びて煌めく、白銀色の長い髪。
逆光となって見えないハズなのに、仄かに灯りを宿す二つの青い瞳。
忘れようもない、見間違えようもない一人の男。
たとえ顔にいくつもの打撲痕や血の跡がこびりつき、裸の上半身が多くの裂傷に犯されていても、一欠片の猜疑の念も湧かなかった。
嘗て横浜で苦戦を強いられ、されど最後には殺したハズの謎多き青年。
その姿を見て、頭の中で全てのピースが当てはまった感覚がした。
そして、とくんと心の水面に一つの波紋が生まれた気がした。
「よう……会いたかったぜ」
耳朶を打つその声音は、確かに以前に横浜で聞いたそれ。
夢でも、幻でもなく、目の前に確実にいる。
十徳と鎌足が、ここに再会した。