明治の向こう   作:畳廿畳

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難産でした
久しぶりだったからか、スゴく書き辛かった

多分に独自解釈かつ独自設定を盛り込んでいます。
読みづらいかもしれませんが、後日に追々修正しますのでご容赦ください(筆者的にまだ納得できていないので)


では、どうぞ










43話 横浜激闘 其の拾

 

 

 

 

半壊した倉庫を震わせる轟音が一瞬の絶え間もなく響き続け、夜の横浜倉庫街の一角に喧騒をもたらす。

 

音の発生源はその半壊した倉庫の中、二人の人物が奏でていた。

 

その二人を中心にして、音が轟く度に倉庫の中に旋風が荒れ狂う。

剥き出しの補強材が共振し、そこら中に転がっている瓦礫片や建築材、果ては死体が中心地から離れるように転がっていく。

 

しかし、当の二人はその場から離れない。

 

互いに大きく振りかぶり、叩き付けるようにして繰り出した大鎌によって凄まじい衝撃波を一身に受けながらも、決して足を下がらせることはなかった。

 

もう何合、何十合と打ち合っただろう。

 

互いに決定的な一撃は見舞えておらず、一連の攻防で手傷を負った様子はどちらもない。

だが、大鎌と大鎌がぶつかり合う度、鼓膜が破れてもおかしくない金属音と全身を貫く衝撃を歯を食い縛って耐えているのだ。

確実に、見えないダメージは蓄積している。

 

だが、それは然したる問題ではなかった。

 

確かに、片方は連戦に次ぐ連戦により倒れていても不思議ではない怪我を負っているが、それは些細な問題だと考えていた。

怪我で動けなくなるのは心が弱いから。

痛みに苦しみ喘ぐのは精神が弱いから。

そう狂った考えを持つ彼は、必死に己を律して堪えていたのだ。

 

故に。

例え今までの傷から止めどなく血が流れようと。

例え各所の骨が脳髄に響く程に軋みを上げようと。

 

それは足を下がらせる理由には毛頭ならなかった。

 

だが。

 

 

「……っ!」

 

 

確実に、狩生十徳は一歩後退した。

 

ほぼ五分の腕力と技量による打ち合いを続けていたのだが、確実に十徳は()()()()()後退した。

 

弱い心を鍛え上げ、強くあろうと叩き上げてきた心でもっても、今、確かに気後れした。

 

そうなってしまうほどに、眼前の鎌足の形相が、嫌に心に響いてしまったのだ。

 

 

「あんたにはッ…言ってほしく、なかった!あんたにだけは!!言われたくなかった!!」

 

 

叫び、振るい、叩き付ける。

 

力も技量も五分ならば、蓄積するダメージも等分なはず。

なれど、鎌足の攻勢は減衰しない、否、それどころか増している気配すらある。

 

それは、十徳が気持ちで押されているから感じたものなのだろうか。

それとも事実、膨れ上がる怒りで膂力が上がっているのだろうか。

 

とまれ、理由がなんであっても力の均衡が崩れ始めている現状、このままでは危ない。

圧倒的な暴力の嵐を互いに放っているのだ。

一瞬の均衡の瓦解が命取りになる。

 

これは、窮地と言ってもいい。

 

腕一本を犠牲にする覚悟で、この窮地を脱する策を考えるべきだろう。

 

だが……

 

 

「あんたも……知った風な口を叩く輩か!!ああ?!」

 

 

その叫び声に、心が捕らわれていた。

その睨む瞳に、目が囚われていた。

 

その怒勢に、足が竦んでいた。

 

もはや反撃に転じる気は削がれてしまった。

相手を刈るという意識は頭から抜け落ち、今はただ、鎌足の攻勢を凌ぐことしかできなかった。

 

すなわち、気迫においても均衡が崩れた。

 

 

「!しまっ……!」

 

 

心技体のうち、二つが決定的に劣勢となってしまった今、鎌足の怒濤の攻勢を受け止められることは到底できなかった。

 

鉄製の柄が両断され、迫り来る大鎌をすんでのところで躱し--きれず、顔の一部を斬り裂いて。

 

鎖分銅が鳩尾に直撃した。

 

呻き声を漏らすより先に十徳の身体は吹き飛び、廃材の山に突っ込んでいった。

 

 

「私はッ、私を迫害する者には容赦しない!そして!理解者のふりをする者は絶対に許さない!!」

 

 

十徳が突っ込んでいった廃材の山に近付きながら、鎌足が憤怒を滾らせて吼えた。

 

その声は、心の底からくるものだった。

 

 

 

本条鎌足。

彼は十徳が言った通り、性同一性障害者だ。

心と身体の性別が一致せずに生まれてきた人である。

 

その障害が起こるプロセスについての説明は割愛しよう。

ただ一つ言えることは、この障害は絶望的な苦しみから一秒たりとも逃れられない地獄である、ということだ。

人は生きる一瞬一瞬において自らの性を意識しないときはなく、それが自分のあるべき性と違うというのは「死にたくなる程の苦しみ」以外のなにものでもないからだ。

 

ましてや、今は明治の世。

情報化社会の平成の世とは違い、何も知らない人たちしかいないのだ。

見た目の姿と違う言動や仕草をしたりすれば、忌避の目で見られるだろう(例えば男性が女性っぽい言葉遣いや仕草をしたりすること。無論、逆も然り)。

 

たったそれだけのことで、と決して思うなかれ。

人は、幼ければ尚一層、周りと微かに違うだけの存在を容易く排斥するのだ。

それは今も昔も、そしてこの先も変わらない現実なのだ。

 

事実、鎌足は生まれ育った村において幼い頃から虐められていた。

狐憑きと囁かれ、気味悪がられ、貶められた。

同世代の子供には石を投げられ、大人たちからは邪険にされ。

 

そして、ついには迫害された。

 

母体もろとも双子も三つ子も容赦なく殺される村だった。

故に鎌足に対しても容赦などするハズもなかった。

 

鍬や鉈、斧、鎌などを持って目を血走らせた大人たちから命からがらに逃げ出した。

自らに巣食う絶望的な苦しみを圧し殺しながら、もって生まれた類稀な身体能力でもって、泣きながら追手を躱し続けた。

 

廃仏毀釈で打ち捨てられた廃寺を根城にし、拾った大鎌で追手を何度も返り討ちにした。

 

食うもの、着るもの、飲むもの一切合切が満足に手に入らず、話し合える仲間も居ない一人ぼっちのなか、一秒毎に死にたくなる苦しみを噛み殺し、時を見計らわずにやって来る村の奴等を殺し続けた。

 

草葉を食らい、泥水を啜り、死体から服を奪い。

 

廃寺に住み着く妖狐妖怪と畏れられ、送られてきた討伐隊も何度も返り討ちにした。

 

 

「耳障りのいい甘ったるい同情の言葉を口にしてッ、思ってもない薄っぺらい励ましの言葉を口にして!お前らのその薄汚いやり口がァ、腹立たしいのよおお!」

 

 

人を恨み、世を呪い。

死にたい、けれどやっぱり死にたくなくて。

だから素直に殺されるなんてことはしてやらず、尽くを返り討ちにしてきた。

 

だけど、やはり心の片隅では望んでいたのだ。

自分の声を聞いてくれる人を。

自分が心を許せる人を。

 

故に、靡いてしまった。

伸ばされた偽りの手を握ってしまった。

 

妖怪変化の類いであれなんであれ、尋常ならざる力を有しているのならそれを活用しよう。

或いは、甘言により警戒心を解き、油断を誘ってから殺そう。

そんな策を弄する男たちを招き入れ、己の胸のうちを告白し、理解してくれた風の相手に心を許してしまった。

 

 

『私は、私はぁ…ぐす、こんな゛ごんな゛身体、望んでながっだぁ…』

 

『分からないよ…分からないよぉ!私は、なに? …なんで、女でありだいなんで、思うの?私は一体なんなの…?』

 

 

生まれてから一度も吐き出したことのない、己の本心。

見ず知らずとは言え、頷いて聞いてくれる人が、どれだけ有り難かったか。

 

彼は夜通し、泣きながら話し続けた。

滂沱の涙を流し続け、心に渦巻いていたどす黒い感情を止めどなく溢した。

 

 

『えへ、えへへ。こんなに、人と話したの、初めて、かも』

 

 

このときの鎌足の喜びは、いかばかりか。

おそらく本人には自覚もなく、また覚えてもいないだろう。

 

その時生まれて初めて、彼は笑顔を見せたのだ。

 

だが、より多くの人の死と、鎌足のより一層の排他意識が作られたのは、そのすぐ後だった。

誘い出され、真実を知り、絶望し--身一つで全員を殺した。

 

 

「私に理解者なんて要らない。私には、全てをぶち壊してくれる志々雄様がいてくれればそれでいい!策も甘言もあらゆる苦痛も、圧倒的な暴力で壊してくれる志々雄様がいてくれればそれでいい!!」

 

 

鎌足が廃材に手を突っ込み、引き上げる。

その手は胸ぐらを掴み上げていた。

 

そして、それを盛大に脳天から地に叩き付けた。

 

頚椎がへし折れる音が響いた。

 

 

「今までの奴とは違うと思ってた、期待していた!ッ、なのに……ここにきて、ここにきてぇ!その様かぁ!!」

 

 

仰向けになっている胴体にのし掛かり、顔面を連続して殴打する。

渾身の、全力の、全身全霊の力で、何度も何度も拳を叩き付ける。

 

骨が砕け、歯が折れ、血が舞う。

 

それは、決して人の顔から聞こえてはならない異音だった。

 

拳が振るわれる度に顔面は陥没していき。

鼻はへし折れ、眼球は潰れ、歯は全て折れ、首はあらぬ方向に曲がっていて。

 

もはや顔面は嘗ての面影もないほどに変形していた。

 

 

「ああああぁぁぁあああ!!!」

 

 

だが、鎌足は殴打を止めない。

自らの拳も傷付き、血を出していることも厭わずに。

その痛みも忘れ、ただただ顔面を肉片へと変える作業に忘我していた。

 

荒ぶる感情の赴くままに拳を繰り出し続ける。

 

 

もう既に、息絶えているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう……止めろよ」

 

 

ぐしゃり、と。

 

男の頭部が既に肉片と骨片に成り果て、鎌足の拳が地面を叩き続けて数分経ってのこと。

 

廃材の上に佇む十徳が、鎌足を見下ろして言った。

 

その声は、ひどく痛切を帯びていた。

 

 

「あれ~?いつの間に逃げてたんだ……へぇ、へぇ」

 

 

虚ろな瞳で、声のした方向を見る鎌足。

そこに今しがた殺したハズの男がいることに、しかし疑問を抱くことはなかった。

 

 

「また、殺し損なっちゃったかぁ。 あはは、でもいいや。また殺せばいいもんね。何度でも、何度でも殺してあげる。ちゃあんと死ぬまで、殺してあげる」

 

 

幽鬼のようにふらりと立ち上がり、ふらふらと歩き出す鎌足。

 

自分の精神状況を上手く把握しておらず、自分がどうしてこんなに覚束ない足取りをしているのか、さっぱり分からなかった。

頭は割れそうに痛いし、視界も霞んでいる。

胸が締め付けられているかのように苦しく、心なしか指先が震えている。

 

けれど、それらの原因を考える余裕は、今の鎌足にほ無かった。

 

 

そんな鎌足に対し、十徳は微動だにせず問うた。

 

 

「自分が泣いていることに、気付いているか?」

 

「…は?」

 

 

ぴたり、と足が止まった。

十徳の言っている意味が分からなかったのだ。

 

泣いている?

何を言っているんだ、この男は?

 

涙など、流れている訳がない。

そんな不要なもの、疾うの昔に枯らしてある。

 

いったい私が今までどれほど泣き続け、挙げ句泣き枯らしたと思っているのだろうか。

 

自分に嫌悪し、世を憎悪して、もう瞳から流れ落ちるものなどあるハズがない。

 

 

「ずっと、ずっと。お前の手下の死体を殴り続けてる間、ずっとお前は泣いていたよ。いや--お前の叫びは、慟哭のように聞こえていたから。お前の攻撃からは、強い悲しみが伝わってきたから」

 

 

だからもしかしたら、ずっと泣き続けていたのかもな。

 

なんて、悲しげな呟きを漏らす十徳に対し、憎々しげに言葉を返した。

 

 

「嘘だ」

 

 

思い出せ、あの男は嘘つきだ。

 

甘い言葉を平気で吐く輩なのだ、嘘など息をするように吐くだろう。

 

嘗ての輩もそうだった。

安っぽい同情を向け、気障ったい共感を示し、自分は理解している、なんて風を装っていた。

ソイツらが結局何をしたか、今でも鮮明に覚えている。

 

やはり、あの男は殺さなければならない。

何度でも殺して、殺し続けなければならない。

 

 

「嘘だッ」

 

 

泣くわけがない。

 

これは、志々雄様が掲げる理想の為の一歩なのだ。

圧倒的な暴力によって、全てを壊して無に帰してくれる覇道の為の一歩なのだ。

 

全てが瓦礫片へと代わり、佇むは志々雄様一人か、それに追随できる強さを持った者だけの弱肉強食の世界が出来上がる。

 

その聖戦を前にして、泣くわけがない。

 

 

「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だ!!」

 

 

忌々しい過去も、憎々しい己の内も、全てを忘れさせてくれる鮮烈な御方。

その覇道に魅せられ、焦がれたからこそ、自分はその幕下に加わった。

 

憧れの人の背中を追いかけ、少しでも役に立とうと奮迅して。

 

 

 

それでも常に、胸を掻き毟りたくなる絶望的な苦しみからは逃れられなくて。

 

 

 

 

「嘘だぁ……うそ、うぅ、っ、!」

 

 

頭が割れそうだった。

胸が苦しく、今にも踞りたかった。

 

これは、いけない。

このままでは、()()()()()()()()()()()()を思い出してしまう。

 

 

「嘘かどうかはお前が一番分かっているハズだ…怒りの感情の裏側にある、お前の本当の気持ちを、お前の本当の思いを……俺は痛いほどに感じたよ」

 

 

怒りの感情を爆発させたのだ。

表層の感情を吐き出した今、鎌足の心に現れたのは別の、もっと奥深くに仕舞ってあった、とても大切な別の感情。

 

晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、雪の日も。

夏も秋も冬も春も。

 

あのとき、一人ぼっちの時に感じていた、もう二度と思い出すことはないと信じて疑わなかった感情。

 

 

この胸を締め付ける痛みは、あまりに懐かしく、そして鋭かった。

 

 

「ぅぅううっ、ぁぁああああ!」

 

 

 

嘘だ。

 

 

そうだ、嘘だ。

 

 

嘘だったんだ。

 

 

本当は、気が付いていた。

 

このぼやける視界は、頬を流れる熱い涙のせいなのだと、本当は気が付いていた。

彼を斬り飛ばしたときから、もう視界がボヤけて誰も彼も分からなかった。

 

この胸を締め付ける苦しみは、あのとき、一人ぼっちで地獄に抗っていたときと同じだ。

 

胸を抉り、心を占める一つの感情。

 

決して思い出してはいけない、弱い証。

 

 

それは、寂寥だった。

 

 

「最初から求めていたんだろう?理解してくれる人を、共に居られる仲間を。ずっと、今までもずっと無意識に。お前が求めていたのは、遠くに輝く背中なんかじゃなく、寄り添える背中だったハズだ!違うか?!」

 

 

叫ぶ十徳は、悲痛に顔を歪ませていた。

今にも泣きそうに、ともすれば鎌足よりも苦しそうに、彼は咆哮した。

 

 

「だからっ…知った風に語るな偽善者!!お前に私の何が分かる?!私の何を知っている?!」

 

「分っかんねぇよ!お前が心に抱える悲しみと苦しみも。今まで経験した地獄の辛さと絶望の深さも!なんも分っかんねぇよ!けどッ、けどよぉ…っ」

 

 

己の胸を掌で掴みながら叫ぶ様は、まるで胸の痛みに抗っているかのよう。

 

 

「嘗ては救いを求めていたこと、安寧と平穏を求めていたことぐらいならッ、分かんだよ!求めていた、けど裏切られたから、だからお前は“圧倒的な暴力”と“全てを壊してくれる人”を求めたんだろ!」

 

 

性同一性障害の苦しみは、当事者でないため想像しか出来ないし、口が裂けても“分かる”なんて言えるわけがなかった。

 

だが、それでも。

人から迫害される苦しみなら、()()は痛いほどに分かっていた。

自分の外見のせいで、物心ついた頃からほとんどの人から邪険にされ、迫害され、排斥されていた。

 

ただ見た目が違うというだけで、十徳の幼心に今もなお癒えていない傷がつけられたのだ。

 

それでも自分には母がいた、父がいた。

たとえ生んだ子が色白の肌をしていて、銀に近い白の髪色をしていて、青い瞳をしていても、彼らは無限の愛と絶大な庇護をもたらしてくれた。

 

また、当時の薩摩においては、最初は朝敵諸藩、そして徳川幕府、挙げ句最後に明治政府という共通の大きな敵が常にいたため、侍たちの矛先が十徳から逸れていた側面もあったし、十徳自身に剣の腕があったのも幸いした。

 

だが、それだけだ。

 

ほんの少し、何かが違っていれば、きっと鎌足と同じ境遇になっていた。

迫害され、世を恨む暴力主義者になっていた可能性は、あまりにも高かった。

 

だからこそ、十徳(真世)の中にいる十徳が叫んだのだ。

 

そして、真世自身も心を掻き乱されていた。

鎌足の思考が暴力主義(テロリズム)に染まってしまった原因を、胸を突き刺さすほどの慟哭から分かってしまったのだ。

 

彼の境遇、悲運を知って、胸が引き裂かれそうな痛みに襲われた。

 

故に、真世も叫んだ。

目の前の泣き叫ぶ男の声に、どうしようもなく胸が打たれたのだ。

 

 

「黙れえ!黙れ黙れ黙れ黙れ、黙れ!! 私はもう何も要らない!私には導いてくれる人が居てくれればそれでいい、全てを壊してくれる力の傍に居られればそれでいい!他には何もッ…私には何も要ら--!」

 

 

 

 

 

「嘘だ!!!」

 

 

 

鎌足の叫び声を上回る大音声。

 

 

「…っ!」

 

 

空気を震わせ、髪を吹き荒ばせる気迫が鎌足の身を貫き、竦わせた。

 

 

「それがお前の本心だってんなら、どうして泣いている?どうして顔を歪めている?思い出したんじゃないのかよ?!気が付いたんじゃないのかよ?!」

 

 

裏切られて、絶望したのは、心の底から望んだから。

理解してくれる人を、支えてくれる人を、本気で欲したから。

 

本当に求めて手を伸ばしたからこそ、空を切ったときの絶望はとてつもなく大きかった。

 

そうだ。

あのとき、今と同じように心を占めるこの寂しさが、人を求める衝動になっていたんだ。

 

頭を占めていた数々の否定の言葉を、十徳の咆哮が掬い浚っていったのか。

すとん、と張り詰めていた肩の力が抜けてしまった。

 

そして、もはや否定の言葉は霧散してしまった。

 

 

「だったら何なのよ……」

 

 

掠れる声で、鎌足が呟いた。

 

先ほどまでの鬼気迫る声音からは想像できない、小さなか細い声。

今にも掻き消えてしまいそうな、嘆きの声だった。

 

 

「思い出したから何だって言うのよ、気が付たから何だって言うのよ。私はもう、何も求めない。誰にも手を伸ばさない」

 

 

絶望が、怖いから。

また裏切られて、悲しい思いをするのは、もう御免だ。

温かいものを求めるのは、もう二度としたくなかった。

 

 

「もう、私にはそんな優しいものなんて要らない。そんなもの、望めば望むだけ辛くなるだけだから。もう……」

 

 

心に今なお巣食う絶望と苦しみに目を背け、志々雄という燦然と輝くカリスマに身と心を委ね続ける。

その道を歩む過程は心に一時の安寧をもたらす。

 

そしてその道の果ては、きっと自らもが望む優しくない世界だ。

優しさも甘さも、自分と同じ弱者も生きることを許されない弱肉強食の世界。

 

 

「お前がかつて何に裏切られ、どれ程の深い絶望の底に落ちたのかは知らない。破壊衝動と破滅主義に身を任せるほどの深い嘆きと激しい怒りの程は、俺には到底分からない。けど」

 

 

十徳は片目で赤い涙を流し、もう片目で鎌足を見据えて、廃材を踏み砕きながら歩み出す。

 

 

()()()()を聞けてよかった。お前が嘗て抱いていた気持ちを思い出したなら、俺がどうにかしてやれる」

 

 

そう言い、鎌足のもとまで来ると、その足元に転がる彼の大鎌と自分の壊された大鎌を拾った。

 

 

「なにを…言ったでしょ。私はもう--」

 

「御託はいい。その凍り固まった心じゃ、お前は動けない。お前一人じゃあ動けない。だから、俺が動かしてやる。俺がお前を動かしてやる」

 

 

鎌足の横を通り過ぎる際、彼の胸元にその大鎌を預け、そのまま数歩歩き続ける。

そして、凡そ三メートル離れた位置に立ち止まると、ぞんざいに羽織っている外套をはためかせながら、振り返った。

 

 

「手を伸ばすのが怖いってんなら、こっちで掴んで引張ってやる。求めるのが怖いってんなら、こっちからくれてやる。温かい世界が怖いってんなら、安心しろ。俺の作る(ヌル)い世界は、そう悪いとこじゃないし--」

 

 

俺が傍に居てやれる。

 

睨みながら、しかし冷たさを感じさせない眼光とともに告げられた言葉に、鎌足は背筋に一筋の電気が流れた感覚に襲われた。

 

それは今までに聞いたことのある、腸が煮え繰り返るような甘言だろうか。

それは今までに聞いたことのある、反吐が出るような戯れ言だろうか。

 

否、そうとは到底思えなかった。

 

彼の言葉は、確かに自分を労っている臭いがした。

だが、それは決して甘いものでも、歯の浮くようなものでもなかった。

心身を貫くような鋭さをもっていて、けれど冷たくない、むしろ温かささえ感じさせる不思議な声音ですらあり。

 

今まで生きてきたなかで、志々雄一派に勧誘されたときですら感じたことのない、得も知れない高揚感をもたらしてくれた。

 

 

「そう……」

 

 

とくん、と音とともに何かが胸に広がる感覚がした。

張り裂けそうだった胸の痛みはいつの間にか引いていて、止まなかった頭痛も嘘のように無くなっていた。

 

それどころか、今は背筋を貫いた正体不明の刺激のせいで全身の筋肉が弛緩して、妙に身体の至るところがそわそわして落ち着かなかった。

 

この感覚を、鎌足は知っていた。

あのとき、初めて理解者が目の前に現れた時に抱いた、期待感だ。

身体中が変な浮遊感に包まれ、鼓動が早くなる。

 

あのときと全く同じだった。

 

 

「でも…貴方のその言葉に易々と靡くつもりはないわ」

 

 

そう呟き、十徳に向き直ると、今までと同じように大鎌を構えた。

 

彼は言った。

俺が引張ってやる、俺がくれてやると。

 

本来なら一顧だにするようなものではなく、一蹴して然るべき言葉だ。

考慮するだけで裏切りと捉えられても不思議ではない。

 

だが、それでも。

もし、その言葉が今を切り抜けようと考えた末に出た口先だけのものでないならば。

もし、信じるに足る彼の本心であるとしたならば。

 

いつの日か斬って捨てた甘い願いを、彼に背を預けながら求めて行くのも悪くないかもしれない。

 

 

いつの間にか清々しい心持ちになっていたことに、しかし鎌足は驚きもせず、あまつさえ十徳の言葉を確と受け止めていることにも疑問を抱かなかった。

彼と共にある道もまた良いものなのだろう、と半ば確信めいた気持ちですらいる。

 

故に、選べる道は二つに一つ。

目の前の青年を殺して、今まで通りとなるか。

或いはそうしないか。

 

きっと頭を捻って考えても、答えは選べない。

自分の中では答えを出せない。

 

ならば、己の武技で答えを見極めるしかない。

 

正しいとか間違っているとかではない。

自分の進むべき道は、全力の一閃の向こうにあるべきなのだ。

そのためには、目の前の男に持てる全ての力をぶつける。

されば、如何様な道でもきっと後悔はしない。

 

けれど、ああ……できれば、少しだけ。

ほんの少しだけ、彼には全力以上の力を発揮してほしいかもしれない。

 

そう思うのは、果てしていけないことだろうか。

 

なんて、考えていたら

 

 

「ああ、それでいい。もう俺は怯まないし、竦まない。全力を…いや、死力を尽くしてやる。だから、その冷たく凝り固まった思いを、完膚なきまでにぶっ壊してやんよ」

 

「!……ふふ」

 

 

思ったことが、まさか相手の口から本当に出るとは思わなくて、ついクスリと笑んでしまった。

 

十徳は怪訝そうな顔をしたが、直ぐに気を取り直して武器を構える。

大鎌の柄は中折れしているため、リーチが短い。

故に、最初から大鎌としての特性を彼は捨てていた。

 

柄を床に叩き付けて根本からへし折り、刃だけとなった元大鎌の峰を掴み持つという暴挙に出ていたのだ。

しかも峰に食い込む右手指は、比喩でもなく確実に峰を貫いて確と握り込まれていた。

 

巨大な刃を武器としているその姿は、しかし何故か堂に入っていた。

 

 

「それじゃあ……行くわよ、狩生十徳」

 

 

そう宣した鎌足の顔には、嘗てのようにおちゃらけた風な笑顔はなく、小さくて柔らかい、可愛らしい微笑みがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 











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