明治の向こう   作:畳廿畳

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お待たせしました
















44話 横浜激闘 其の拾壱

 

 

 

 

 

 

 

「はあああぁぁ!!」

 

「があああぁぁ!!」

 

 

空気を切り裂き、地面に転がる瓦礫片を巻き上げながら迫り来る鎌足の一閃。

人体は言うに及ばず、大木や鉄柱すらも容易く両断し得る斬撃だ。

 

それを俺は、真っ向から迎え撃つ!

 

腹の底から咆哮し、渾身の力を乗せた一撃でもって刃を叩き付ける。

瞬間、爆音と衝撃波が総身を貫いた。

 

義手が軋みを上げるが、握る力に変わりはない。

だが義手の接続部である腕部、それに肩などに激痛が走り、思わず千切れたのではとすら錯覚した。

 

 

「……っ!」

 

「ぁ、~!」

 

 

鎌足は苦悶の表情を、俺は笑顔を顔に浮かべて足を一歩動かす。

俺は前に、そして鎌足は後ろに。

 

再度、互いに得物を振りかぶり、雄叫びを上げながら叩き付ける。

衝突によって生じたエネルギーは凄まじく、瞬間的な熱気が肌を焦がしていく。

再び悶絶必至の衝撃が身体を蝕むが、互いに小さく声を漏らすだけ。

 

だが、やはり足を運ぶ向きは変わらない。

俺は前に、鎌足は後ろに。

 

そんな鎌足に、俺は歪に見えるような笑みを見せ続けた。

 

歯を喰い縛れ、苦痛を誤魔化せ、効いていないフリをしろ。

絶対に、絶対に、絶対に下がるんじゃねえ!

一歩でも退けば、さっきまでの言葉が薄っぺらいものになる。

不撓不屈の精神を見せてこそ、俺の言葉が信に足ると証明できるんだから!

 

 

「がッ……、しゃ、ぁぁああ!もう一丁ぉ!」

 

「っ、はああああ!」

 

 

己を鼓舞し、三度(みたび)渾身の力を込めた刃を叩き付ける。

直後、今まで以上の衝撃と爆音が身体を襲った。

 

武器が破砕したのだ。

 

ぐ、ッ~~!痛い痛い痛い痛い!

腕が、肩が、全身の骨と肉が、軋みを通り越して粉砕するんじゃないかと思うほどに痛い。

激痛とか、もうそういうレベルなんかではない。

 

けどそれ以上に、臓腑を震わす衝撃によって生じる気持ち悪さが半端ない。

あらゆる臓物が震え、破裂してもきっと可笑しくない、そんな不思議な感覚に襲われて、せり上がってきた吐瀉物を必死に嚥下する。

 

だけど、それでも俺は笑みを隠さない。

禍々しい笑みは顔面に張り付けたまま。

 

先の激突で互いの武器を破砕した光景を尻目に、俺は腰を屈めて一息に地を蹴り抜いた。

地が爆散した音を背に、全身で空気を突き破る。

ぐんぐんと周りに映る景色が後方へと流れ、鎌足の苦悶に歪む顔に猛接近する。

 

 

「まだっ、まだーー!」

 

 

壊れた大鎌だが、未だ柄は健在。

もつれる足で距離を取りながらそれを振りかざし、鎖分銅を俺目掛けて放った。

 

猛速で一直線に俺の顔面へと迫る高密度の分銅。

相対速度がかなりある現状、ぶつかれば顔面が陥没しても可笑しくない。

否、盛大な音とともに頭蓋を突き破るだろう。

 

以前の横浜騒動時にこいつの威力は身を以て学んだんだ。

身体のどこかに当たれば簡単に骨がイカれてしまう。

式尉の鉄球よりも質量は小さいが、それを上回る速度によって凄まじいエネルギーを叩き出す凶悪武器。

それがうねりを上げて突進してくる。

 

それでも、否、それ故に。

 

否。

 

それだからこそ!

 

 

「ーーーーー!!」

 

 

避けて体勢を崩すなど論外、この期を逃してなるものか。

俺は分銅を、喉を裂かんばかりに吼えながら右拳で思いっきり殴打した。

 

瞬間、気味の悪い断裂音が頭蓋に響いた。

 

あまりの鈍痛にチカチカと明滅する視界も気にならないほど、ぶちりと頭の中で何かが千切れた音がしたのだ。

当の腕ではなく、頭の中で。

次いで、ふわりと身体から何かが根こそぎ削ぎ落ちた感覚に襲われた。

 

分銅を文字通り粉砕した代償に、脳を焼くほどの激痛と()()()()()を失った感覚に襲われてしまった。

 

けど!そんなこと今は後回しだ!

第一の大鎌、第二の鎖分銅を凌いだのだ、一気呵成に強襲する!

一気に距離をぶっ潰す!

 

一歩、二歩と大きく駆け続け、後ずさっていた鎌足に肉薄することに成功し、己が拳の射程圏内に飛び込んだ。

 

 

そしてーーー

 

 

「がああああああ!!」

 

「ぐ、お、おおおお!」

 

 

奴の小さく、それでいて鋭く放たれた右フックを、左頬にて受け止める!

避ける動作も防ぐ動作も、ここに至れば大きなロスになる。

一発ぐらいなら歯を喰い縛って、必死に意識を繋ぎ止めて耐える!

 

インパクトの際、頬骨が軋みを上げたが大丈夫!

()()()()()()()()

そんなことに構うな、もう一歩を踏み出せ!!

 

地に突き刺さんばかりに叩き付けた左足は、ちょうど鎌足が右フックを繰り出すために残した左足と交差した。

すなわち、既にほぼゼロ距離。

懐に飛び込むことに成功した。

遠・中・近の三つの攻撃を潰し、己の距離へと肉薄できたのだ。

 

すかさず分銅を殴り壊した右拳を下方で握り締め、また鎌足を逃がさないために俺の頬を貫いた右手の手首を思いっきり握り締める。

 

ここで決める、これで終わらせる!

 

そうして拳を放とうとして、奴の間近にある顔が視界の隅に過ると、そこには何故か柔らかい笑みを湛えている鎌足の顔があった。

それは、策があるからとか、罠にまんまと掛かったなとか、そういった考えからくる笑みではないということは直ぐに分かった。

 

朗らかに笑む顔からは、なんというか、戦闘意欲みたいなものが全く感じられなかったのだ。

気付けば、握り締める奴の右手から一切の力が抜けていた。

 

儚く、それでいてどこか満足げな微笑を見せる鎌足。

 

その笑顔を見ても俺は力を込めた右腕を制御することなく、思いの丈を乗せてその顔面へと振り抜いた。

 

 

足や腰、肩のバネをフルに使った全身全霊の右拳。

腹の底から咆哮し、思いの丈を込めた乾坤一擲の一撃。

 

志々雄一派の最高戦力が一角、本条鎌足を完全に降すため。

同時に志々雄一派に対して大きな軛を打ち込むため。

 

 

空気をぶち破り、奥の壁すら突き破らんばかりに

 

 

鎌足の顔すぐ横を貫いた。

 

 

 

轟音とともにつむじ風が巻き起こり、風に飲まれた瓦礫片が渦を巻いて壁に叩き付けられる。

ぶわりと互いの髪が舞い上がり、被服ははためく。

倉庫内に残響する音が嫌に耳に残り、骨の芯にまで響く。

 

それら全てを、俺たちは身動(みじろ)ぎ一つせずに見届け、体感していた。

 

そして、風も音も全てが次第に落ち着きを取り戻すと、やがて静寂の音が耳に響くようになる。

 

 

「…っ、」

 

 

するとどうだろう、驚きに目を瞬かせていた鎌足は足を震わせてすとんと腰を落とした。

俺はそんな鎌足を見遣ると、大きく息を吸って振り抜いていた状態の拳を戻す。

 

 

「なん…で。全力で、いえ、死力を尽くすんじゃ……」

 

 

昂っていた気分を落ち着かせようと深呼吸していると、鎌足が呟いた。

 

踏ん切りを着けるためにも一発二発は貰うつもりでいたってか?

成る程その覚悟は確かに立派だ、だがーーー

 

 

「御生憎様だね」

 

 

やっばり、あんな笑顔を見せられたら、ヘタっている今の姿を見れば、さっきの行動は間違いじゃなかったんだって、そう思う。

 

甘い?あぁ、上等だ。

 

 

「お前の覚悟は認めよう。けど、それとこれとは話が別だ。俺の死力に応えるのではなく笑って受け入れようとする奴に対して、ぶん殴るつもりもない……どうよ、お前の嫌いな甘さだぜ」

 

「…っ!」

 

 

眉をしかめる鎌足に対し、俺は苦笑いする。

 

当の俺とて吐き気を催すような甘さだ。

だがコイツの凝り固まった実力主義に対しては、こんぐらいの反吐が出るような甘さをくれてやるのが良いと思ったんだ。

観念論だけど、これからはそういった甘さや暖かさを求めるんだから。

 

 

「ちゅーか腰抜かして立てねぇんじゃねぇのか?当たってもいないのにそんなショック受けるぐらいなんだ、当たってたら洒落にならなかっただろ」

 

「うぐッ…あ、当たり前じゃない!あんな豪腕、当たれば顔がぐしゃぐしゃになってるわよ。それを間近で感じたのだから当然でしょ?!」

 

「お前の鎖分銅も似たようなものだろ。で、気分はどうだ?」

 

「ふん!……はぁ、清々しい程に忌々しいわ。最後に情けを掛けられたから尚更ね。いっそのこと盛大に殴ってくれれば気も晴れたのに」

 

 

可愛らしく頬を膨らませて愚痴を溢す。

 

 

「……その目も右拳も、無事じゃないでしょ。私がそれをしたのに、当の貴方から甘さを掛けられるなんて…辛すぎるわよ」

 

 

顔を逸らしながら、か細い声で苦しそうに言う鎌足。

確かに、自分がやったとなれば罪悪感もかなりあるだろう。

 

けど右拳は義手だからどんなに無茶をしても問題はない。

替えの利く消耗品なんだが、今の鎌足には知る由もないわな。

 

ただ、確かに片目は大鎌によって斬り裂かれ、もう二度と光を見ることは叶わないだろう。

再び取り返しのつかない傷を身体に負ってしまったことに酷い罪悪感があるから、やはりダメージはでかい。

それに遠近感にも若干の不安があるっちゃある。

 

ま、そーだわな、と呟いて俺は続ける。

 

 

「けど、今のお前にはこういった甘さが必要なんだと思う。今までの徹底的な暴力主義とか破滅主義とか、そんなものとは明確に違うものが」

 

「……」

 

「なんつうのかな、幸福主義?快楽主義?まぁなんであれ、すべてを壊して零へと帰結させるような考えはもう止めてくれ、てことだ。嘗て求めた救いと安寧を、今度は一緒に求めようぜ」

 

「救いと、安寧……一緒に」

 

 

応と答えて、座り込む鎌足の視線に合わせるようにしゃがみこむ。

 

 

「お前は今日から俺と共に、優しく温い世界へ向けて歩んでもらう。これは俺が下した決定だからな、お前の意思も答えも聞かん。例え逃げても無駄だぜ、絶対にまた捕まえてやるからよ」

 

「……ふ、ふふ。なによそれ。暴論にも程があるわ」

 

「俺は俺のためにお前を引き摺り込んだんだからな。何を喚こうと(のたま)おうと、絶対に俺の見るべき景色をお前にも見せてやる。覚悟しろよ」

 

 

堪らずに笑う鎌足に、俺も笑んで答えた。

そして、すっと手を突き出して鎌足の額に狙いを定める。

 

 

「ま、夢の中で嘗ての自分と別れを告げて、整理するんだな。それから、俺たちの中に迎え入れてやるぜ」

 

「……えぇ、その時は宜しくね」

 

 

美しい笑みを浮かべ、鎌足は了承の意を示した。

 

例え俺たちと共に歩んでも、きっとこの先多くの苦難を胸に抱えたまま生きることになるだろう。

解決も解消もせず、ただ己の捉え方が変わるだけで、根本的なものは何一つ変わらない。

 

けど、それでも鎌足は受け入れてくれた。

セクシャル的な問題、組織からの裏切りの問題など、一人では抱えきれないものと恐らくは知りながら、それでも笑って受け入れてくれた。

 

ならば俺が、俺たちが、一緒にその荷物を抱えよう。

抱えられぬのならば背を押そう。

手でも背でも、何を使ってでも支えよう。

 

障害者だからとか、裏切り者だからとか、そういう社会的な話じゃない。

ただ純粋に、ただ自然に、俺はコイツを助けたかった。

 

その気持ちに、嘘も偽りも、不純物もないのだ。

 

 

「じゃあ…おやすみ」

 

 

そう言い、直後に鼓膜を震わす鈍い音が響く。

脳に極一点の衝撃を受けた鎌足は、かはぁと変な呻き声を漏らしてから後ろにどさっと倒れた。

 

………

 

……………

 

………………………

 

う~ん…かなり鈍い音が聞こえたが大丈夫か?

 

見た目通りに柔い身体してるか、見た目と相反して頑強な身体をしているかは分からなかったから加減しなかったんだが、もしかして前者だったか?

 

後遺症とか残してたらどうしよう……やっば、今になって慌ててきた。

目を覚まさなかった、とか洒落にならんぞ!

 

いや…でも流石に志々雄一派最高戦力である十本刀の一角が()()()()一発で再起不能とかはないだろう……たぶん、恐らく、メイビー。

 

 

「狩生」

 

「うわ、っほ、はい、なんだ!」

 

 

後ろから唐突に呼ばれたため、かなり上擦った声が喉から溢れてしまった。

慌てて振り向くと、そこには一人の男がいた。

 

ていうか、宇治木だった。

 

 

「なんだ今の声は。ところで……ほぉ、どうやら討ち取ったようだな。なるほど、その女体で今から発散しようとしたわけか」

 

「殺すぞ」

 

 

この際鎌足の容態については後回しだ。

彼の身体的頑丈さに期待しよう。

 

立ち上がり、ちらと見遣るとなかなかにボロボロな姿の宇治木が目に入った。

 

 

「コイツは死んじゃいないし、大事な内通者となってくれる。これからは味方になるんだ、手荒に扱うことなどできるか」

 

 

俺がそう告げると、静寂がこの死屍累々の倉庫内を支配した。

 

 

「……な?!」

 

 

そして、ざっと十秒ほど経ってからやっと宇治木が再起動した。

 

 

「貴様ッ……はぁ?!何を言っている、何を抜かしている!自分の言葉の意味を分かっているのか?!」

 

「分かっている。分かった上で言っているんだ」

 

「いいや、分かっていない!俺たちは今、コイツらと戦争をしているんだぞ。()()()は、コイツを殺そうと戦ったのだ。実際、コイツには殺されかけた!それを、仲間にでも引き入れるつもりか?!」

 

「端的に言うと、そうなるな」

 

「色仕掛けでもされたか?!それとも情にほだされたか!?ふざけたことを……ッ!?」

 

 

気炎を吐きながら詰め寄ってくるが、途中でその勢いは萎んでいった。

俺が振り返って全身を見せたのだ。

特に俺の顔を見て、驚きに目を見開いた。

 

 

「……貴様、目を」

 

「もう一度言う。宇治木、俺は分かった上で言っている。だからーーー頼むッ」

 

 

そう言って、俺は微かに頭を下げた。

深く頭を下げないのには理由が幾つかあるが、面子とか建前とかでは決してないし、かといって宇治木の感情を蔑ろにしているわけでもない。

 

加えて、鎌足にしたように俺の独断を押し付けるようなこともしない。

そうする方が手っ取り早いし、この場においては正解なのだろうけど、できれば押し付ける形にはしたくなかった。

 

やはり俺は甘いのだろう。

 

 

「納得しろとは言わん。だが理解はしてくれ。この一手は、相手の戦力漸減と俺たちの戦力拡充を一挙に成せるものなんだ」

 

「……」

 

「感情的に受け入れてられないのは重々承知しているし、根本的に敵性因子を組織に引き入れる危うさを感じているのも承知している。だけど、今はその不満を飲んでくれ」

 

 

鎌足を引き入れる実利は十二分にあるから、彼の障害についてとか、俺の心情で引き入れたとか、そこら辺については敢えて触れない。

鎌足にとっても、いたずらに言いふらされるのは面白くないだろうし。

 

 

「……くそッ!」

 

 

小さく下げていた頭を上げて宇治木を見ると、苦虫を百匹は噛み潰したような顔をしていた。

そして苛立たしげに頭を掻いて言った。

 

 

「卑怯者め。そのナリでそんなことを言われれば、これ以上何も言えんではないか」

 

「…すまんな」

 

 

本当に。

俺が逆の立場なら、と考えると本当に申し訳なくなる。

 

 

「謝るな。貴様の言い分にも理はある。だが覚えておけ。俺はコイツを仲間と認める気はない。何かあっても責任は全てお前が取れよ」

 

 

当たり前だ、と俺の答えを聞いて、宇治木は溜め息を一つ吐いた。

 

 

「はぁ、本当に貴様は。いつもいつも想定の斜め上、しかも遥か上空を行きやがる」

 

「んだよ、その表現。面白いな」

 

 

それから今まで持っていた刀、不知火を俺に差し出した。

 

 

「サンキュ。で、どうなった?」

 

「指示通り敵性勢力三人を捕縛した。今は倉庫街外れの廃道にて監視している」

 

「被害は?」

 

「死者はいないが、俺を含めて全員重傷を負った。化物面の男を捕縛するのに、文字通り骨が折れたからな。もはや全員、戦闘は不可能だ。気を保つだけでも精一杯なほどだ」

 

「上出来だよ。ご苦労」

 

 

手負いとは言え、あの般若を捕縛できたのは上々だ。

しかも死人を出すことなく。

 

俺が労いの言葉を掛けると宇治木は鼻を鳴らして、すっと竹筒を渡してきた。

それを礼を一つ言って受け取ると、栓を抜いて中のものを飲む。

 

…ん、うまい。

 

 

「ふう……全員ちゃんと飲んでいるな?」

 

「念は押してある。効果のほどを実感できていないのは相変わらずだが、この味だ、皆が自発的に飲んでいる」

 

「そりゃあ重畳」

 

 

ん~、やっぱ竹筒は飲みづらい。

口端からこぼれるそれを袖で拭いながら、喉を潤していく。

 

“それ”とは俺お手製の経口補水液、いわゆるスポーツドリンクだ。

糖分と塩分の補給は脱水症状の防止というフィジカル面に役立つが、この甘さと美味しさは意外とメンタル面にも大きく役立つのだ。

 

実際に宇治木の言う通り、ほぼ再現されたこの味は部下たちからかなりの好評を得ている。

このおかげなのかは証明できないが、遠征中は常に飲むように励行しているため脱水症状に陥った者もいない。

 

日々汗や涙や血を流しているんだ、脱水症状は殊更バカにできない。

 

やがてお手製ドリンクを飲み干すと、空の竹筒を宇治木に返して目を瞑る。

 

あぁ、染みるなぁ。

心なしか少しだけ力が戻った気がする。

腕力、握力、脚力を確認するように力を込めてみる。

 

よし、まだ動ける、まだ戦える。

 

まだまだ俺は、生きている。

 

 

気合いを新たにして、ふと自分の容態に意識を向ける。

 

身体中に負った見るも無惨な多様な傷。

裂傷、火傷、銃創、打撲痕などなど。

出血が止まっているところもあれば、今なお流れ落ちているところもある。

 

痛い。

それは事実だ。

けど、どうしてかな。

 

 

()()()()()()()()

 

 

痛いのに、痛いと知覚しているのに、それを「痛い」と思えない。

まるで身体からの信号を頭が完全に誤認しているかのよう。

 

 

「行くのか?」

 

 

己の内を確かめていた俺は、瞑っていた目を開けて問うてきた宇治木に答える。

 

 

「あそこの炎上している倉庫か?当然だろ」

 

 

自分の身に何が起きているのかは分からない。

非常にマズいことであることは薄々分かるし、胸に去来する絶望と焦燥が半端ないが、()()()()()はひとまず無視だ。

 

今は、先を考えることを優先しなくては。

 

 

「あまり良い予感はしないが、まぁ貴様が死んでくれるのなら是非もない」

 

「減らず口を。じゃあ後の事だが、鎌足(コイツ)も捕らえた三人組の所に運んでいけ。んで、今朝方寄った外印(協力者)の洋館に全員連行しろ」

 

「了解だ」

 

 

どす黒い絶望が身体を蝕んでも、すらすらと口は言葉を紡ぐ。

意識と身体が解離しているかのようで、甚だ気持ち悪い。

 

 

「そこで三人組は基本的に監禁。コイツは意思を尊重して、行動を束縛するな。無論、限度はあるがな」

 

「…仕方ない。で、いつまで洋館で待機だ?」

 

「俺が合流するまで。もし明後日の2200までに俺が行けなかったら、お前が指揮を継げ。要綱は以前教えた通りだ」

 

「……分かった」

 

「それと、もし三人組の親玉を名乗る奴が現れたら言いなりになれ。俺でも厳しい相手だったからな……うん、死にたくなければ三人の解放も辞すな。相手は俺たちの主敵ではないから『戦闘』状況は解除しよう」

 

 

蒼紫とどのタイミングで再度かち合うかは分からない。

俺に会いに来ればシンプルなのだが、満身創痍の部下らとぶつかれば結果は火を見るより明らかだ。

 

ただ蒼紫とてあの銃撃の雨の中で観柳の手勢を無傷で殲滅できるとは思えない。

若干の手負いになる可能性は十分にある……まぁ、瀕死の部下(コイツ)らにとっては関係のないことだが。

 

 

「さて、横浜での任務はこれで完了だ。通信機の奪取もとい破壊、敵戦力の一掃、及び指揮官クラスの敵を撃破。上々の戦果だ。以前の任務失敗の雪辱を果たせたな」

 

「横浜におけるS捜査は一段落か。であれば尚のこと、あそこでの捜査に時間と労力を掛けるべきではなかろう。況してや深入りするのは愚行だ」

 

「だろうな。けど、どうしてかあそこには行かなきゃならないと思うんだ。Sに関係しているのかも知れないし、そうじゃないかもしれない。つまり何が起きているのかは全く想像できないんだけど、それでもーーーあそこに行けば、何かが集束する気がするんだ」

 

 

勘とも言えない、漠然とした気持ち。

根拠もへったくれも無い、ただの感覚。

それを行動の基準にするなど、警察官にとってあるまじき事だ。

 

けれど俺の意識は、もはやあそこへ向かうことしか考えていなかった。

 

 

「ふん。もとより貴様を止めるつもりなど無い。行きたくば勝手に行け。死にたくば勝手に死ね……ただし、ちゃんと為すべきことを為してこい」

 

 

当たり前だ。

 

そう答え、俺は不知火を持って件の倉庫へと足を向ける。

見据える先は、今なお猛るように燃え盛っている、一つの倉庫。

 

任務が一段落着いたことに不思議と達成感も満足感も無かった。

当初の予定とは全く違う帰結に行き着いたから、というわけでもない。

十本刀の一角を物理的に潰せなかったから、というわけでも決してない。

 

たぶん、あそこに行くことこそが横浜での任務の集大成になると、無意識に確信しているからだと思う。

 

あそこに行って、何かを解決して、そうして本当の意味で任務を完遂できるのだ。

 

あそこに行って、何かを成し遂げ、そうして本当の意味で決着をつけられるのだ。

 

 

そう理解しているからこそ、万難を排せた今、終幕(フィナーレ)へと向かう気持ちでいられるのだ。

 

 

 

途中、宇治木とすれ違う際、お互いに挙げていた手をぶつけ合った。

 

ぱん、と軽快な音が死屍累々の倉庫内に響き、俺の背を押してくれた。

 

 

 

 

 

 

あぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「間に合ってよかった。もう、安心するでござる」

 

 

背を向けながら、横顔だけをこちらに向けて微笑みかける小柄な日本人。

左頬に大きな十字傷をもつ青年が、その刀の柄でもって凶刃を防いだのだ。

 

その人こそ、原作主人公「人斬り抜刀斎」こと「緋村剣心」だ。

 

彼の言葉は、日本語の分からないエミーには無論通じなかった。

だが、殺伐としたあの状況とは場違いの穏やかな声音、そして優しい表情から、自分を救い、安心させようとする心遣いを、エミーは確かに感じた。

 

そこまで理解して漸くエミーは死への恐怖を自覚し、身を強張らせた。

そして直後に自らの死が遠ざかったことに身が弛緩して、ほろりと一筋の涙を溢した。

 

 

「えっ…あ、あれ?なん、で」

 

 

慌てて袖で拭うが、涙は止まらなかった。

 

本人は涙を流す理由に思い至らず、慌てているようだが、きっと身体が無意識に理解したのだろう。

喉元に突き付けられていた死神の凶刃が、少しだけ遠退いていったことに。

 

ごしごしと目元を擦るエミーを見て、微かに安堵の息を溢す剣心。

そして、今なお自らの柄に刀を押し付けている狂人を睨みつけた。

 

 

「事情は杳として分からぬが、この者を殺すのなら阻止させてもらうでござる」

 

「ほお、邪魔立てするか……ん?ん~?赤い髪、左頬に十字傷…貴様、もしや」

 

 

剣心の顔をねぶるように見回しながらつぶやく刃衛。

体格差は一目瞭然。

なれど、押し潰す形となっている刃衛の圧力に対し、剣心はぴくりともブレることなく、納刀したまま片手で堪えていた。

 

 

「ここに散乱する死骸…否、残骸はお主らの仕業か。ここで一体何をしているでござるか。お主らは何者でござるか」

 

「うふふふ。俺が誰か教えてほしいのか、人斬り抜刀斎?」

 

 

歪な笑みを浮かべながら、刃衛は剣心の正体を断言した。

しかし剣心はなんらリアクションすることなく、口を開かずにいた。

 

もとより正体を隠すつもりなど毛頭ないのだ。

むしろ自分の正体を看破する者はおしなべて維新の関係者(かつての敵味方問わず)であるため、ある種のパラメーターにすらなっている。

 

今、目の前にいる男についても同様だ。

自らを知っているということは維新の渦中、しかも中心近くにいたということ。

しかも醸し出す狂暴性からして、悪い意味で自らを認知しているのだろう。

 

そこまで考えた剣心は、無言のまま刃衛を睨めつける。

 

その沈黙を自らの問いに対する是と捉えた刃衛は一層笑みを深くして嗤った。

 

 

「うふ、うふふ、うふふふふふふふ!まさかこんなところで伝説の人斬り様に会えるとは!なんたる僥倖、なんたる幸運。うふわはあはははは!!」

 

 

刀から力を抜き、なんの躊躇いもなく剣心とエミー、そして外印に背を向けて歩き出す刃衛。

まるで指揮者のように両腕を広げ、炎が立てる轟音を上回る音声で哄笑する姿は、元来の不気味な雰囲気を一層際立たせた。

 

しかし、その哄笑も長くは続かなかった。

ぴたりとその笑い声が止み、広げていた腕も力なく垂れ落ちた。

 

 

「だが残念だ。今宵の主敵は貴様ではない。奴との死合いが控えているのでな、貴様と戯れる時間はそうないのだ」

 

 

如何にも残念であるかのように落胆する姿は、背しか見えずとも確かに伝わってきた。

そして、振り向いて見せたその相貌は、しかし落胆の色はなく、どちらかと言うと侮蔑の色があった。

 

 

「それになんだ、その瞳は。それが人斬り抜刀斎の目の色か?それが人斬り抜刀斎が醸し出す気配か?」

 

 

刃衛と剣心は互いに面識がない。

だが刃衛は、人斬り抜刀斎は自分と同じ人斬り故、自分と通ずるものが多くある、と心のどこかで勝手に想像していた。

相まみえることも想像したし、殺し合う夢も見た。

 

それは、憧れとも言えるかもしれない。

予期し得ぬタイミングでの邂逅は、確かに彼を歓喜の渦に巻き込んだ。

だが剣心の瞳を見て、雰囲気に触れて、一気にその渦が止んだ。

 

偽物であればどれほどよかったか。

だが自分の想像と大きく解離した様でありながら、確かに己の一刀を片手で防いだ。

外見の一致と垣間見た実力から本物であると、苦々しい思いで断じたのだ。

 

 

「今の貴様は殺し合うに足る存在ではない。一方的に殺されたくなければ消えろ。もしくは退け。そこにいると邪魔なのだ」

 

「それはできぬ。如何な事情があろうと、拙者の目の前で人殺しは絶対にさせない。況してや察するに、その事情もお主の快楽のためであろう。ならば尚のこと退くことはできない。去るのはお主の方でござる」

 

「可笑しなことを抜かすな。人斬りは人を斬り殺すが故に人斬りなのだ。それは貴様が一番よく分かっているハズ……貴様、よもや人殺しはもうしないなどとほざくまい?」

 

「拙者の意思がなんであれ、お主の取るべき行動に変わりはない。退け、でなくば全力で阻止する」

 

 

再び否定も肯定もしない剣心の答えに、刃衛はあからさまに肩を落とす。

 

 

「興が削がれた。だが、もはや伝説から大きく乖離したその姿は見るに耐えんし、邪魔をするというのならある意味都合もいい……」

 

 

そして、ころりと表情を一変させた。

 

禍々しい喜悦を孕んだ笑みだった。

 

 

「嘗ては噂に名高かった“人斬り抜刀斎”の首を、ここの墓標に加えようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








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