明治の向こう   作:畳廿畳

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46話 横浜激闘 其の拾参

 

 

 

 

 

剣心と蒼紫による猛攻は苛烈を極めた。

 

両側から、前後から、或いは上下から。

神速の飛天御剣流が、拳と小太刀の御庭番式小太刀流が、容赦なく振るわれる。

 

幕末期において互いに敵同士の陣営に属していた二人が、今は共通の敵を前にして、磨き上げた己が流派の剣術を共に遺憾なく発揮する。

 

二人の過去を知る者ならば、その光景はとても非現実的なものに映っただろう。

 

あくまで、一時的な共闘。

仲間意識など無く、むしろ互いに事情も正体も不確かな仲だ。

 

それでも。

 

目を見張るほどの流麗な剣閃を怒濤の勢いで繰り出す二人の息は、あまりにもぴったりと合っていた。

 

 

 

だが

 

 

 

 

 

「うふふふ、良い、良いぞ。二人を相手にしてはさしもの俺も防戦一方だ、うふわはあはははは!」

 

 

 

刃衛を捉えることは能わなかった。

 

自らの言う通り、攻勢に転じることはできないのだろう。

だが嬉々とした表情と声音は相も変わらず、それが余裕の証左に見えた。

 

全力で回避に専念しているためか、それともまだ余力が有るからか。

その動きはまるで舞踊のようだった。

 

 

「…ぐ!」

 

「チッ」

 

 

苦い顔をする剣心と蒼紫。

 

直後、示し合わせたかのように一息に技を放つ。

 

 

 

 

飛天御剣流『龍巣閃』

 

 

 

御庭番式小太刀流『千紫万紅』

 

 

 

 

暗い赤に染まる闇のなか、一瞬にして多数の白刃が煌めいた。

 

空気を斬り裂き、熱気を振り払う。

 

剣心と蒼紫が、今の自身のコンディションで放てる最大量の連撃だ。

 

一人の太刀筋だけでも回避は不可能なほどの圧倒的な数の暴力。

それが二人から繰り出されては、まずもって避けきることはできないだろう。

 

 

普通ならば。

 

 

 

「うふ、うふふふふ、うふわはあはははは!!」

 

 

 

だがやはり。

 

常と異なる性質の狂人ならば、その限りではなかった。

 

哄笑を上げながら小太刀を避け、喜悦を溢しながら逆刃刀を躱す。

急所への一閃は刀を使って防ぎ、薄い肉や皮を代わりに斬らせる。

 

如何な狂人といえどさすがに無傷とはいかないようだが、自身が傷つく度にその笑顔は一層深くなる。

痛みを感じていない?

いや、痛みは二の次でその感触に快感を覚えているのだ。

 

狂っている。

 

初めから分かっていたが、その狂気度を改めて目の当たりにした剣心と蒼紫は、背筋に一筋の冷や汗を流した。

 

それを皮切りに二人は連撃を止め、間合いを取った。

 

 

「っ、はあ、はあ……こやつ、本当にッ」

 

「あぁ、厄介極まりない…あの狂性を前にするのは」

 

 

互いに肩で息をしながら内心を吐露する。

 

常に狂気を孕んだ笑みを浮かべ、時に高笑いしながら剣を振るう相手は非常にやりづらい。

二人とも手負いでありながら、しかも知らない仲のコンビネーションでありながら良く戦えているが、それでも致命打までのあと一歩が遠い。

 

否、近づきたくない、というのが心の奥底にある。

 

こんな相手とまともに戦える奴がもしいるのなら、今すぐにでも手を貸してほしい。

三人ならばあるいは…だが、そんな贅沢は言ってられない。

 

刀の柄を握りしめ、気合いを新たにしたときだった。

 

 

「ふむ。剣士の動き、篤と拝見した。練習としてだが、念のために隠していた最後の一体で加勢しよう」

 

 

真横から聞こえた声に剣心と蒼紫が視線を向けると、十一体目の十徳人形が近づいてくるのが見えた。

 

 

「なッ、狩生十徳?……いや、傀儡か」

 

「あぁ。あれも、ここらの刀に串刺しにされている物と同じ、人形のようでござるな」

 

 

熱気ある夜風にたなびく銀色の長い髪。

黒の洋装に一振りの刀を持って凛と佇むその姿は、十徳を知る者ならば彼本人であると言わしめるだろう。

それほどに精巧で、歩き方も佇まいも人間と変わらない。

 

ただ唯一遠目からでもやはり違うと断言できてしまうのは、その生気の無い硝子細工の虚ろな瞳だからだろう。

 

 

「それとも、ここは剣客風に『助太刀のため推参つかまつる、いざ』と言うべきかな」

 

 

肩の傷を押さえながら、その片腕を突き出して斬鋼線を操る外印。

 

 

 

十一体目の最後の戦闘用機巧(からくり)が、二人に加勢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人と一体が刃衛を囲むように布陣し、睨み付ける。

正面に剣心、左右後背にそれぞれ蒼紫と十徳人形が位置している。

 

この状況において刃衛は嗜虐的な笑みを一層深くし、そして吼えた。

 

 

「さあ、掛かって来い!死する覚悟で刃向かえば、あるいは俺の身にその刃が届くやも知れぬぞ!!」

 

 

その声を合図としたのかのように、二人と一体が一斉に駆け出した。

そして手に持つ各々の刀をそれぞれ刃衛の顔面、心臓、肩部へと刺し貫くーー

 

 

が、その切っ先はどこにも触れることはなく。

 

 

低姿勢に屈んだ刃衛は躱した刃を見届けると、直ぐ様竜巻の如く身体を回転させながら刀を振るう。

 

鮮血が舞い、数種の部品が地に落ちる。

 

 

「うふわはあはははは!!」

 

 

最初の標的は、剣心だった。

 

仰け反る蒼紫と十徳人形を尻目に、胸に手傷を負った剣心に肉薄する。

それを剣心は必死の覚悟で迎え撃つ!

 

 

「は、ぁぁああ!」

 

 

耳をつんざく剣戟が木霊し、血や汗が地に飛び落ちる。

 

唯一動かせる片腕で致命傷は辛うじて防ぐが、顔、肩、脚などが徐々に徐々に削られていく。

 

そんな防戦一方の剣心だが、一方的に殺戮の嵐に晒されることはなく、しかと()()を見計らっていた。

 

 

そして、満を持した瞬間

 

 

「はああ!」

 

 

刃衛の鋭い刺突に狙いを定め、身を捻って躱す。

 

同時に、その切っ先の前に己の袂を翳し、そして貫かせた。

 

 

「ぬうっ?!」

 

 

そして腕と脇腹で刀身を挟み込み、刃衛の行動を固縛する。

 

胴に食い込む刃に怖じず、しかと抱き寄せる!

 

 

その瞬間を突いて、刃衛の背後から肉薄してきた蒼紫が速度を緩めずに刃衛に突っ込んだ。

 

 

御庭番式小太刀流『柳緑花紅』

 

 

最大戦速の勢いでもって小太刀の柄尻を対象に叩き込み、突き飛ばす技。

それを、振り返った刃衛の水月に叩き込んだ。

 

此の戦いが始まって初めての、会心の一撃。

骨は軋みを上げ、衝撃による苦悶の声を口から溢し、そして刃衛は吹き飛んだ。

 

恐らくこれが本当に最後になるだろう、最大の好機。

 

故に攻め手を緩めるハズもなく、吹き飛ぶ刃衛の先には先回りしていた十徳人形がいた。

口端から血のような赤黒い液体を滴らせながら、刀を構えて刃衛を待ち構える。

 

 

「ぬ、ぉお、おお!」

 

 

滞空中、刃衛はつい、心の一方を発動した。

今の状況に危険性を感じ、相手の動きを封じて少しでも状況を覆せればと咄嗟に考えての行動だった。

 

が、直ぐに悟った。

 

人形相手には通じるハズもない、と。

 

 

結果的に無意味になってしまった一連の動作と思考の所為で、刃衛は無防備な状態で十徳人形に突っ込んで行った。

 

そして。

 

 

「    」

 

 

如何な仕掛けか、果たして意味もあるのか。

何か呟くように口を開いた十徳人形は、下段に構えていた刀に力を込めーーー

 

 

 

刃衛を斬り上げた。

 

 

 

 

 

人形故に人を凌駕する膂力でもって刃衛の刀を叩き割り、その身を斬り結んだ。

 

叩き折られた刀とともに、血を撒き散らしながら刃衛は更に後方へと飛ばされ、そして一つの倉庫に突っ込んだ。

 

 

「ーーーー」

 

 

壁を突き破った破砕音が辺りに残響し、それが次第に収まると、炎が立ち上る音と二人の荒い呼吸音だけが響く。

 

どれくらい、皆がその場に留まっていただろうか。

倉庫にできた穴をただただ見詰め、刃衛が出てくるのに備えていた。

 

また、出てこないことを心の片隅で祈っていた。

 

 

「……っはあ、はぁ、ぜえ、ぜぇ」

 

 

その緊張も長くは続かず、剣心はどっと押し寄せてきた激痛と疲労によって片膝を着いて、荒い息を溢す。

蒼紫も力を抜くと、目を瞑って深呼吸を繰り返しだした。

 

無論、誰一人あの男がこれで死ぬとは思っていない。

 

だがあの一撃は、誰の目から見ても文句の付け所のないものだった。

剣士の動きは理解したと髑髏頭巾の者が言ったのは、誇張でもなんでもなかったようだ。

 

なればこそ、重傷は避けられ得まい。

 

こちらは二人が満身創痍だが、ほぼ十割の力を残している剣士人形がいるし、向こうも深い手傷を負ったならば仮に起き上がってきたとしても勝機は十分にある。

 

心の内でそう算段を着けた剣心は、幾分か落ち着いた息を更に整えて隣に佇む蒼紫に問うた。

 

 

「鵜堂刃衛。嘗ての新撰組で知れ渡った悪名高き名と同じだが…?」

 

 

蒼紫も瞼を上げ、息を整えてから答えた。

 

 

「本人だろう。あの異常性と残忍性、そして(れっき)とした実力、他に思い当たる節もない」

 

「そうでござるか……」

 

 

そう言って、剣心は質問を続けた。

 

 

「……そして、お主は隠密御庭番衆の頭目であるのだな?」

 

「そういう貴様は、人斬り抜刀斎に相違ないな?」

 

 

見上げる剣心と、見下ろす蒼紫。

 

その視線が交差し、互いの瞳に突き刺さるも、お互いに動じることはない。

数秒ほどお互いを観察しあうと、先に口を開いたのは蒼紫だった。

 

 

「一つ教えろ。何ゆえ横浜に来た?」

 

「拙者はただの流浪人。当てもなく流れてきただけでござる」

 

「なるほど、本当のことは言えぬか」

 

「え……?」

 

 

いや本当のこと…と剣心が漏らした声はもはや耳に入らなかった。

 

蒼紫の心は今、少しばかり踊っていたのだ。

 

やはり、あの男は面白い。

御庭番衆(われわれ)や観柳の手勢のみならず、大鎌の女が率いる不明集団に、快楽殺人鬼の鵜堂刃衛、後ろに控えている十徳の姿を模した人形を操る人形師に、伝説の人斬り抜刀斎が、奴のいる横浜に集ったのだ。

 

皆が奴を目掛けて、群がってきたのだ!

 

これほど痛快な話があるものか。

維新を経て落ち着きを取り戻した日本において、奴の周りだけは今尚戦乱の煙が渦巻いているのだ。

なんという運命、なんという修羅道!

 

 

そんな燻りだした胸の熱を感じて、これからの自分達の姿に思いを馳せていた蒼紫はーー

 

 

 

自分の声を無視して己の世界に浸っている蒼紫にどう声を掛けようか迷っていた剣心はーー

 

 

 

 

 

 

 

 

斬り上げさせた際、妙な手応えの無さに違和感を覚えていた外印はーー

 

 

 

 

唐突に訪れた小さな異変に虚を突かれた。

 

 

 

 

 

 

「「「 ??!! 」」」

 

 

 

 

 

直ぐ様精神を切り替えて臨戦態勢に入った剣心と蒼紫の目には、頭部に折れた刀を突き刺された十徳人形が映り、次いで倉庫の穴から出てきた()()が映った。

 

 

「なん…だと」

 

「急激な肉体変貌?一体…!」

 

 

穴から出てきたのは、正しく鵜堂刃衛だ。

 

変わらない禍々しい笑みと醸し出す狂気の気配は、同一人物であることを如実に示している。

だが、体格があまりに違いすぎる。

 

先ほどまでの痩せた体格とは一線を画しており、筋骨隆々の姿と相成っている。

今までに感じたことのなかった“力強さ”が、空気を伝ってひしひしと感じ取れた。

 

 

 

咄嗟に動いたのは外印だった。

 

十徳人形が豹変した刃衛に最も近い場所に位置しているのだ。

距離を置いて、まずは相手を観察することに専念するべきだ。

 

そう判断しての行動は、間違いではない。

 

 

ただ、()()()()()()()()()の話。

 

 

 

「なっ?!」

 

 

その速さに、目を見張る三人。

 

予備動作もなく、一気に距離を潰して十徳人形に迫ったのだ。

 

慌てて刀を振るうよう斬鋼線を操るが、時既に遅し。

 

投擲して頭部に突き刺した刀を掴み、十徳人形を固定する。

もう一方の手で十徳人形の持つ刀を、人形の手ごと掴み上げ、そして脇腹に押し付ける。

 

 

勢いも気合いもなく、それは作業のよう。

 

 

皮を破り、肉を裂き、内蔵部品を断ちながら、背骨に類する柱を捻り折り、どんどん刃を食い込ませていく。

 

ざりざりと、ぐしゃぐしゃと。

 

血のような赤い液体が撒き散り、ひしゃげた部品が弾け、形容しがたい異音が響く。

 

 

そして一際強く刀を押し付けると、遂に胴体を下半と上半とに別けた。

下半身はどっと崩れ落ち、しかし捕まれていない片手は尚抗うかのように刃衛の顔面を掴もうともがく。

 

が、そんな些事などどこ吹く風。

 

刃衛は渾身の力を込め、人形の頭部に刺した刀を地に押し付ける。

 

耳を塞ぎたくなる音とは、このことだろう。

また、あまりの凄惨な光景に、例え人形であろうと吐き気を催すレベル。

 

上半身が縦にスクラップにされ、潰れた頭部に残る刃が墓標となって地に突き刺された。

 

 

「「…………」」

 

 

誰もが固まり、固唾を飲んでいた。

 

絶句、驚愕、そして畏怖。

 

あれが人間のすることなのか。

あれが狂人のすることなのか。

 

もし、あそこの人形が人間であったなら。

 

もし、あそこにいたのが自分だったなら。

 

 

あまりの事態を目の当たりにし、全身が硬直して動けなかった。

 

 

 

「うふふ、驚いてくれたようだな。その表情は非常にそそられるが、なに、これはそう難しい話じゃあない」

 

 

突き立てた墓標から手を離し、立ち上がりながら言う刃衛。

 

 

「これは心の一方を自分に掛け、潜在能力をむりやり顕在化させただけだ。恐怖は時に力をもたらすだろう?ま、要は自己暗示のようなものだ」

 

 

便利なものだろう、と。

軽い感じに言う刃衛に、当然リアクションを取れる者はいなかった。

 

外印も、蒼紫も、剣心も。

死と恐怖を体現したかのような男を前に、戦意を喪失していった。

 

 

外印は早まったことをしてしまった、と髑髏のマスクの中で歯軋りしていた。

師の人形の練習台として軽く扱おうとしていたつもりが、その相手は人形のみならず自分もろとも残忍に殺せる輩だった。

しかも、噂に名高い人斬り抜刀斎もさえ、圧倒する実力を有していたのだ。 

 

軽い気持ちで師の周りに揺蕩う戦乱の渦に突っ込むべきではなかった。

そうだ、当の師ですら腕を亡くしたり義腕を使い潰したりと、文字通り身を削っていたではないか。

 

それを知っていながら、どうして自分は愚かなことをしてしまったのだろうか。

 

 

 

蒼紫は、相手をよく知りもせずに自ら死地に飛び込んだ己の浅はかさに扼腕していた。

後に控える十徳との戦闘を考え、観柳の手勢を排除した勢いそのままに潰そうと挑んだが、それは大きな誤算だった。

 

あの垣間見た実力、そして醸し出す濃厚な死の気配は、例え自分が万全の状態であっても苦戦は免れ得ないだろう。

いわんや満身創痍の今の状態なら、考えることすら放棄するレベルだ。

 

どうして自分は、十徳と激戦を繰り広げた相手という前情報を持っていながら、こうなることを予期しなかったのか。

 

 

 

剣心は、今までにないほどの激しい怒りを己に向けていた。

 

自分は第一線から身を引き、人殺しを忌避し続けてきた。

殺し合いの戦場から距離を置き、格下の者を相手取ることしかしてこなかった。

 

その事実に、後悔はない。

 

明治の世になって凡そ十年、その結果として多くの弱き人たちを助けることができたのだから。

 

その時の彼らの笑顔や感謝の言葉は、決して嘘ではなかったはずだ。

時おり恐ろしいものを見る目で見られたりすることもあったが、総じて人々の笑顔は守られたと信じている。

 

だから今日、この場においても、自分が顔を突っ込むことは当然と云えたし、やはりそのことに悔いはない。

 

だからこそ。

 

相手の力量を見誤り、結果としてここにいる者を誰一人として守れないという不甲斐なさが、どうしても許しがたかった。

 

何のために逆刃刀を持って流浪の旅に出たのか。

何のために弱い人を守ろうと誓ったのか。

 

これでは、ただ命を数分だけ先伸ばしにしただけではないか!

 

 

鵜堂刃衛。

 

奴の嗜好的殺戮現場に乱入し、それを阻止しようなど烏滸がましいことだったのかもしれない。

この身を犠牲にしてでも奴の注意を逸らし続け、戦線を移動させて他の者を避難させることが、最善手だったのだ。

 

 

戦おうなど、最初から無理だったのだ。

 

 

況してや凶行を阻止しようなど、無茶だったのだ。

 

 

そもそもにして、奴と戦うこと自体が無謀だったのだ。

 

 

 

だから、全てが無駄だったのだ。

 

 

 

 

「ん~?どうしたどうした、三人とも浮かない顔をして。まだ身体は動くだろう?まだ刀は振るえるだろう?ならば諦めるのは早計ではないか。諦めなければ勝てるかも知れぬぞ?」

 

 

醜悪かつ凶悪な笑みを浮かべながら挑発する刃衛。

絶対的な自信を持つが故に、尚抗えと言う、尚戦えと言う。

 

自分を滾らせろ、楽しませろ、悦ばせろ。

 

言外に告げるその思惑に、無論、応える者はいなかった。

外印と蒼紫は徐々に後退り、どうにかしてこの窮地を脱しようと画策する。

当然、刃衛はそんなこと既に看破している。

 

だが今は、その二人よりも一番自分の近くにいる抜刀斎が気になっていた。

 

彼だけが唯一、下がらずにいたのだ。

 

 

「ん~、んふふふ。そうだ、そうだぞ抜刀斎。諦めるな、食い下がれ。まだまだお前も戦えるだろう」

 

 

剣心に近づきながら、まるで言祝ぐように言葉を紡ぐ。

 

そうだ、あの伝説の人斬り抜刀斎がこれしきで終わるわけがない。

弱体化著しいとはいえ、戦いを捨てる愚か者に成り下がるハズもない。

 

まだまだコイツは戦える。

まだまだコイツは、俺を感じさせてくれる!

 

しかし、刃衛は剣心に近づくにつれて、その瞳の輝きが別の色になっていることに気が付いた。

 

 

「……確かに、無理で、無茶で、無謀で、無駄だったのかもしれない。お主の言う通り、今の拙者ではもはや足元にも及ばぬ。殺される未来に変わりはない。早いか遅いかの違いしかないでござろう」

 

「んんん?」

 

 

 

発せられる言葉はか細く、内容は悲観的。

 

けれど徐々に語気は荒ぶり、刀を握る手は鬱血するほどに力強くなっていて。

 

 

 

「それでも、あと数秒ならば時間は稼げる。たったの数秒だがッ、他の者たちを逃がす時間ぐらいならば、拙者一人でも作れる!」

 

 

 

折れ掛けた心でも尚、彼は吼えた。

 

 

 

「来い、刃衛!拙者を()()()()()()()()()、この身でもって作らせてもらうでござる!!」

 

 

その瞳の色は、死を覚悟した者のそれだ。

 

自分の命を犠牲にして他者を生かそうとする、強い意思。

 

腹の底から叫ぶ剣心を前にして、刃衛の笑みに獰猛さが付け加えられた。

 

 

 

「うふ、うふふ、うふわはあははははは!あの人斬り抜刀斎が、自分の命を犠牲にして、他者を生かすことしか出来ないとは!なんたる滑稽、なんたる道化!堕落した人斬りのなんたる無様さよ!うふわはあははははは!!」

 

 

 

今までに聞いてきた狂気を孕んだ哄笑よりも、なお禍々しく、なお騒々しい大音声。

 

人とは、斯くも狂った笑い声を出せるのかと思わせるほどの、歪な嗤い声。

 

 

人ならざる者の笑い声は、聞く者全ての総身を凍てつかせる。

故にその笑い声を聞いて、誰もが動けなかった。

 

 

 

「ならば望み通り、じっくりたっぷり味わって殺してやろう!うふわはあははははは!!」

 

 

 

 

笑いながら刀を振りかぶり、そして脳天に叩き付けようとしてくるのに、当の剣心ですら動けなかった。

 

 

 

 

戦意を砕き、恐怖と嫌悪を心に刻み付けられたのだ。

 

抗うことも、命を乞うことも、そして逃げることも。

 

 

 

あらゆる行動を取る気概を挫かれ、ただただ眼前の狂人の凶行を見るしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

人の域を逸脱した、正しく死神のような男に抗せる者など、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この瞬間までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーー!??」

 

 

 

 

刃が剣心の頭蓋をかち割る直前に、()()は乱入してきた。

猪突猛進と言える速度を優に上回る速度で、土煙を上げながらばく進してくる、見慣れないナニカ。

 

明治の日本においてはまず知る者はいないし、世界中を探しても知っている者は極少数だろう。

 

涙滴(るいてき)型の体は前後に長くて細く、真ん中に人が入れる窪みがある。

全長は三メートルほど、全高は一・五メートルほど。

体の前と後ろとで挟む様に二対装着されている大きな輪。

 

それが爆音を掻き立てて高速回転し、地を抉りながら体を前方へと突き進ませる。

 

 

欧州の片隅で試作が続けられているそれは、とある男のけしかけによって、観柳が投資して早期実現を果たした物。

 

最果ての東洋の地へと海路遥々運ばれてきた供試品。

 

瞬間最高速度、時速百キロを叩き出す怪物。

 

 

 

 

 

“自動車”が猛進してきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

狂気の笑い声は掻き消えた。

 

変わりに心臓にまで轟くは、エンジン音と土を削る音、そして空気をぶち破って()()した高エネルギーの音。

 

燃え盛る倉庫の横を流れる支流を飛び越え、自動車は人類史上初の飛行を成し遂げたのだ!

 

突如として現れた自動車に、さしもの刃衛も身体を硬直させた。

直前まで死を覚悟していた剣心も、退避する算段を思案していた蒼紫と外印も、もはや茫然自失していたエミーも。

 

皆が皆、身体を一寸たりとも動かすことができず、それに目と耳を奪われ、心臓を鷲掴みにされて意識を固定された。

 

 

だが、自動車は飛距離が足りなかったのだろう、次第に車体前部を下に向け始め、遂には支流へと落ちていくではないか。

 

墜ちる。

誰もがそう思ったその時、一人の人間が窪みから勢いよく飛び出て、そして跳躍した。

 

足場にした自動車は支流へと直行し、逆にその者は更なる高みへと飛翔する。

 

 

 

それはまるで、流れ星の如く。

 

 

 

白銀の色をした何かが尾を引くようにたなびき、速度を緩めることなく高空から降りてきた流れ星はーー

 

 

 

 

「刃衛ぇぇぇぇえええええ!!!」

 

 

 

 

嘗ての狂人の笑い声を上回る、臓腑を鈍器で殴りつけたような衝撃をもたらす咆哮を上げた。

 

 

 

 

それが響き、そして未だに硬直している刃衛へと到達すると、その鋭い足先が刃衛の腹部に抉り込まれた。

 

折れ、砕け、そして潰れる音が響き、再び刃衛は這い出てきた倉庫に、だが先ほどよりも上回る速度で突っ込んでいった!

 

まるで砲弾が突っ込んだかのような破砕音と衝撃。

闖入者によるその奇襲を、最初は皆愕然として見届け、身を強張らせていた。

 

 

 

だが。

 

 

 

薄汚れた、しかしそれでも尚綺麗と思わせる白銀の長い髪を煌めかせ。

 

傷だらけの痛々しい姿をむしろ堂々と見せつけるかのようにして剣心の前に降り立ち。

 

皆を守るようにして凛とした背を見せるその者が。

 

 

狩生十徳だと分かってーーーー

 

 

「おぉ、おぉぉお!師だ、やはり私の師だ。師ならこの狂宴に駆け付けてくると……私は、私はッ…!」

 

 

例えば外印は髑髏マスクの中で、初めて十徳と会ったときと同じほど、否、ともすればそれ以上の涙を滂沱する。

 

嘘偽り虚飾脚色無く、本当に十徳の背が輝いて見える。

震え、極彩色に満ちている心が、彼の身を覆っているように外印には見えるのだ。

 

 

「……ふん」

 

 

例えば蒼紫は一つ鼻を鳴らし、構えていた拳と刀を降ろした。

下げていた足も、その分だけ前へと戻した。

 

奴が来た。

それだけで、万に比する援軍が来てくれた頼もしさに似た高揚感が身を包み、撤退の二文字が頭から転がり落ちたのだ。

 

 

「アイツ…またあんなボロボロにッ、また無茶して……でも、良かったぁ。無事で良かったよお、来てくれて良かったよお……!」

 

 

例えばエミーは見知った顔の男が駆け付けて来てくれたことで、漸く心の底から安心して一筋の涙を流した。

 

彼女にとって状況は変わらず何も分からないままだが、それでも今の十徳は何物にも替えがたい唯一の存在に映っているのだ。

この窮状から自分を救ってくれる、空想上の騎士(ナイト)を思い浮かべたほどだ。

 

 

そしてーーーー

 

 

「お主、は……?」

 

 

剣心は知らない。

その背を、その男を、その者の名を。

 

薄汚れ、煤け、赤黒い血痕が大量にこびりついている、逞しい後背姿。

自分を庇うかのようにして立ち塞がり、これからは俺が相手をすると言わんばかりの威風堂々とした気迫。

 

突然の事態に見とれていた剣心は数秒の時を経て漸く我に帰り、その背に声を掛けようとした。

 

いけない。

あの狂人はこれしきで倒れない。

奴を相手にするのは危険すぎる。

助けてくれたことには感謝するが、ここは皆を連れて逃げてくれ。

 

だから……!

 

 

しかし、先に声を掛けられたのは、剣心の方だった。

 

 

ただ一言。

 

たった一言。

 

 

 

 

ありがとう、と。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

聞き間違いか、空耳か。

それとも遂に自分も狂ったのか。

 

こんな死と狂が色濃く渦巻く戦場で、そんな優しい言葉が聞こえるハズがない。

ましてや誰かを労り、慮るような声音でもたらされるなど到底あり得ない。

 

なのに、そうだというのに。

 

 

 

 

 

本当にありがとう、と。

 

 

 

 

今度ははっきりと聞こえた。

 

もはや聞き間違いでもなければ空耳でもない。

確かに、目の前の背中がそう言ってくれたのだ。

 

そしてゆっくりと振り向いて見せてくれた、その優しい言葉を掛けてくれた男の顏は。

 

 

若く、整った顔立ちをしている。

 

けれど、あまりに傷だらけで、至るところから血を流していてとても痛々しかった。

 

額から頬にまでかける一際大きな裂傷から、無惨にも片目を切り裂かれているのだと分かる。

 

 

けれど、それでも。

その男の微笑みはひどく穏やかで。

見ている此方すら、穏やかな気持ちになってしまいそうで。

 

背後にさらさらと流れる白銀の長髪が、どこか幻想的な彩りとして瞳に焼き付いて。

 

魅せられる、とはこのことなのだろうかと、場違いにも思ってしまうほどに温かみがあった。

 

 

「確かに、無理で、無茶で、無謀だったのかもしれない」

 

 

優しげな面貌から紡がれる温かい言葉は、大きな安らぎをもたらしてくれる。

胸にあった様々な感情が、一気に(ほぐ)れていく感覚に襲われた。

 

 

「けど、決して無駄じゃなかった」

 

 

それに、温かいだけじゃない。

後は任せろと語っているようにも聞こえて、まるで荒れ狂う大海の上にある不沈の船に乗った心強さも感じさせてくれる。

 

 

「貴方のおかげで俺は間に合えたんだから。貴方の必死の抵抗、決死の覚悟は、本当に格好良くて、本当に凄かった」

 

 

 

 

やっぱり貴方は、日本の英雄だ。

 

 

 

 

微笑みながらそう言って、再び礼の言葉を述べてから頭を下げた白銀の青年に対し、剣心は何も言えなかった。

 

 

 

あの凶悪強敵を前に手も足も出なかった自分の戦いを。

 

真の力を発揮した相手に命を賭しても数秒しか稼げないと諦めていた自分の不甲斐なさを。

 

 

きっと誰一人として守れなかったであろう自分の弱さも!

 

 

目の前の男は、ありがとうと言い、無駄ではなかったと言い、そして……

 

 

その言葉にいったいどれ程の重みがあるのか、きっと目の前の青年は理解していない。

 

 

けど、それはつまり。

意味を理解して打算的に言ったということではないのだ。

 

 

だからこそ、こんなにも心に響いたのだ。

 

 

 

気付けば強張っていた身体からストンと力が抜け落ち、剣心は地に膝をつけていた。

 

 

 

 

無駄ではなかった。

 

 

 

 

みっともない自分が稼いだ時間は、決して無駄ではなかった。

 

 

 

 

 

 

そのことが、ひどく嬉しくて。

 

 

 

 

 

良かった、良かったと。

 

 

 

 

 

剣心は噛み締めるように何度も呟いた。

 

 

 

 

 

 










次話は少々お待ちください(震え声)






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